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月が、綺麗ですね  作者: 明智龍之介
第1章 初花月~March~
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 某有名洋菓子チェーン店の駐車場に車を停め、僕は軽快に車を降りた。

 腕時計を見る。午後3時ジャスト。我ながらここまでは完璧だ。

 僕は、大きく息を吸い込んで、某有名洋菓子チェーン店のドアの前に立った。

 ドア横には、その洋菓子チェーン店の有名マスコット人形が置いてある。小学生くらいの大きさはあるんじゃないだろうか。僕は挨拶代わりに、彼女の頭を“ぽんぽん”と叩いた。彼女は嬉しそうにその大きな頭を揺らしている。

 扉を開けると、“カランコロン”というレトロなベルが鳴り響いた。こぢんまりとした店内には、ショーケースが“ずらっ”と置かれており、その中には美味しそうなケーキがたくさん並んでいる。

 店員は、誰もいなかった。もしかすると、奥の厨房で何か作業をしているのかもしれない。

 好都合だ。僕としては、気兼ねなくゆっくりとショーケースの中のケーキを品定め出来る。もちろん、目的は新垣結衣のクリアファイルだが、せっかくお金を払ってケーキを3品も買うのだから、より美味しそうなケーキを選びたいじゃないか。

 生クリームの上に大きなイチゴが鎮座しているショートケーキは王道だろう。ケーキの断面からもサンドされたイチゴがゴロゴロと見えている。白くてきめ細やかな生クリームも美味しそうだ。

 その隣にあるのは、気品漂うチョコレートケーキだ。ビター感を醸し出している、てっぺんをコーティングしているチョコレートに、削りチョコレートが乗せてある。チョコ生クリームも美味しそうで、断面も綺麗な層になっている。

 その隣はベイクドチーズケーキだ。僕はチーズがあまり得意ではないから、レアチーズケーキは食べたことがないが、ベイクドチーズケーキなら食べられる。表面はこんがりと焼かれて美味しそうな色がついている。断面は真っ白で、見ているだけでチーズの香りが漂ってくるようだ。

 いや、困ったな。どれにしたらいいのか迷う。


 「いらっしゃいませ。」

 可愛らしい声が、店内に響いた。

 ようやく、店員さんが接客応対に出てきたのだろう。僕は、反射的に顔を上げた。

 「えっ…。」

 思わず、口から声が漏れた。女性の店員さんが、不思議そうに首を傾げる。

 「あ、ごめんなさい。」

 訳のわからない謝罪の言葉を投げ、そのままショーケースへと視線を戻す。完全なる不審者の挙動だ。

 “か、可愛い~!”

 僕の挙動不審の全ての原因は、突然目の前に現れた店員さんが、超絶可愛かったからである。

 目はクリックリの大きな猫目で、二重。

 鼻筋も顎のラインもシュッとしていて、ステキ。

 笑顔がとにかく可愛くて、歯並びもいいし、歯も白い。

 お肌も透明感がある。メイクも自然体。そして小顔。

 完璧じゃないか。何でこんな美人が、こんな田舎の洋菓子チェーン店にいるんだ?

 「ケーキをお求めですか?」

 女性店員さんが気さくに話しかけてくれる。あ、気さくってわけじゃないか。単なる注文を取っているだけかな。もう、テンパっていて、何が何だか自分でもよく分かっていない。

眩しすぎるほどの笑顔。少し見え隠れする八重歯もまた、可愛い。

 天使だ。天使って、こんな身近にいるんだな。

 「あ、え~っと、ガッキーのクリアファイルを…。」

 そこまで言って、“しまった!”と後悔した。

 僕は何を言っているんだ!?初対面の人に、“僕、ガッキーの大ファンなんですよ~。だから、そのクリアファイル欲しさにケーキを3つも買うんですよ~”と、自慢げに僕の内面の趣味を暴露しているようなもんじゃないか。しかも、こんな美人に。

 最高潮の後悔を味わっている僕に向けて、店員さんは無邪気以外に表現しようのない笑顔を向けている。

 「あ~、キャンペーンのクリアファイルですね。ちょうど先ほど再入荷したんですよ~。」

 そう言って、店員さんは後ろを振り返って、ガサゴソと棚の中を何やら探っている。

 赤いベレー帽のような、この洋菓子店の有名な制帽の下から、店員さんのうなじが覗いている。飲食店なので、髪は綺麗に束ねて、帽子の中に入れることになっているのだろう。だから、実際の店員さんの髪が長いのか、短いのかまでは分からない。

 とにかく、男性としては実にラッキーだ。首筋も白くて、とても綺麗。

 後ろ姿も綺麗だなんて、本当に奇跡としか表現しようがないな。うん。

 白いブラウスにはヒラヒラがついていて、まるで中世の女性メイドのようだ。体の下の方はショーケース越しにしか見えないが、結構短めの赤いスカートと、黒のストッキングを履いているようだ。何だか、『不思議の国のアリス』に出てきそうな感じのメルヘンな服装だ。ま、そういうコンセプトの制服なのだろう。

 そんな風に見惚れていると、突然、店員さんが僕の方を振り返った。

 “ヤバッ”と、一瞬冷や汗が出た。

 おいおい、何がヤバいんだよ。別に何もしてないじゃないか。だが、犯罪者が警察官と目が合ったときの感情が、何故だか今の僕には理解が出来る。

 「こちらのクリアファイルでよろしかったですか?」

 店員さんが、満面の笑みを浮かべたまま、胸の前でそのクリアファイルを僕に見せてくれた。

 クリアファイルには、目の前の店員さんと同じ制服を着たガッキーが、透明感抜群の笑顔を湛えている。

 可愛い。やっぱり、ガッキーは可愛い。透明感が、ハンパない。芸能人の中でも、群を抜いて美人だ。

 でも、今僕の目の前にいる女の子も、ガッキーに負けないくらいに透明感がある。そして、間違いない、正真正銘の美人だ。

 店員さんは、破壊力抜群の笑顔をみせて、僕に話しかけてくれる。

 「1週間前にキャンペーンが始まったんですけど、もう、お店の前に長蛇の列が出来ちゃって。やっぱり、ガッキー人気はスゴイですね~。」

 “僕もその長蛇の列に並んで、そして撃沈した人間です”とは、ここでは言えない。執念深くガッキーを追っている男だと思われたくない。実は、その通りなんだけど。

 「す、すごい人気ですよね~。」

 店員さんの言葉を、ただオウム返しに喋っただけだった。なんて、能のない…。

 「では、こちらのショーケースにある商品から、3つお好きなものをお選びいただいてよろしいですか?」

 店員さんがクリアファイルをショーケースの上に置くと、掌を上にしてショーケースの中にあるケーキたちを指した。

 指も長くて、白い。指輪やマニキュアはしていないようだ。これも、“食品を扱う店員さんあるある”なのだろうか。

 「どうしよう…。」

 思わず、心の声が口から出てしまった。

 どうにかしちゃいたいくらいの美人さんだ。まさか、僕が一目惚れするなんて、しかもこんなに激しく。自分でも驚いてしまう。

 いやいや、どうするもこうするも、今会ったばっかりの、しかも店員さんとお客さんの関係なだけなのに。どうするもこうするもないじゃないか。名前も、お互いに知らないのに。

 名前?そりゃ、名前だけでも知りたいとは思うよ。知ったからって、何があるってわけでもないし、お互いの心の距離が縮むわけでもないし、個人情報を検索する糸口になるわけでもないけど。

でも不幸なことに、ちょうど店員さんの胸元にある名札が見えない。ショーケースの上に置かれている誕生日ケーキ用のロウソクに被ってしまって見えないのだ。くそっ。あのロウソク、全部買い占めてやろうか。

 「たくさんあると、悩んでしまいますよね~。」

 店員さんが、頭が真っ白になっている僕を見兼ねて、声を掛けてくれた。

 あれ?もしかして店員さん、僕が悩んでいる理由を勘違いしているのか?僕が悩んでいる理由は、ケーキが選べないからじゃなくて、店員さんとどうやったら仲良くなれるのかが分からないからなんだけど…。

 でも、いいか。理由はどうあれ、声を掛けてもらえたんだから、結果オーライだ。このチャンスを逃してなるものか。

 「どれが人気ありますか?」

 思い切って聞いてみた。いや、客としては普通の質問なのだが、僕にとっては店員さんに声を掛けたという、とてつもない高いハードルを越えたのだ。

 「そうですね~…。」

 店員さんは、顎に人差し指を置いて真剣に考えてくれている。その悩ましく眉を顰める顔も、めちゃくちゃ綺麗。めちゃくちゃ美人。めちゃくちゃ天使。

 「1番人気があるのは、やっぱり苺のショートケーキですね。スライスした苺をふんだんにサンドしていますので、大人の方からお子さんまで幅広い世代に人気です。それから、チョコ生ケーキも人気があります。なめらかなチョコレートクリームと、柔らかなチョコスポンジを使っておりまして、サンドされたチョコチップがアクセントになっていて、触感も楽しいんです。」

 「じゃあ、それ下さい!」

 即答。店員さんも思わず笑みを浮かべている。あぁ、なんて可愛いんだろう。

 「店員さんが好きなケーキって、どれですか?」

 勢い余って、随分とブッコんだ質問をしてしまった。

 店員さんも、大きな目を更に大きくして僕を見つめている。

 ヤバイ。嫌われたかも。気持ち悪いヤツだって思われたかも。バカ、俺。

 「私ですか?そうですね~…。」

 店員さんが、ショーケースを覗き込む。その時に初めて、店員さんの制服の首部分に、赤いリボンがしてあることに気が付いた。フリフリの大きな襟に、赤いリボンがよく似合う。

 「私はこの、白桃と紅茶のケーキなんか結構好きですよ。新商品なんですけど、アールグレイ風味のシフォン生地に、軽いタイプのカスタードクリームと白桃をサンドしてあるんです。スポンジが紅茶なので甘すぎず、だから、サンドされている白桃の甘みをすごく自然に感じることが出来て、オススメですよ。」

 「美味しそうですね。」

 素直な感想だった。この店員さん、プレゼンがバツグンに上手い。きっと、真面目で、勉強熱心で、そして本当にケーキが好きなんだろう。そう勝手に想像する。

 「じゃ、それにします。」

 「はい。ありがとうございます。」

 店員さんが笑顔で言った。

 この店員さん、笑顔になると目が綺麗な弧を描く。明るくて、華やかで、そして親しみを感じる笑顔だ。

 トングを使って、器用にケーキを箱の中に入れていく。そして、3つのケーキを綺麗に箱の中に並べて、僕の方に見せた。

 「こちらの3点でお間違いないですか?」

 「はい。大丈夫です。」

 「お持ち帰りのお時間は?」

 「え~っと…30分くらいかな。」

 「かしこまりました。では保冷剤を入れておきますね。」

 何から何まで気が利く娘だ。…あ、いや、洋菓子店では当たり前か。

 店員さんがケーキの箱の蓋を閉めて、やや慎重にレジを打つ。レジを打つ仕草も可愛い。

 「3点で、1,450円になります。」

 サッと、僕の前にトレイを出す。僕は財布から、2,050円を出してトレイに載せた。

 店員さんがお金を受け取って、また慎重にレジを打つ。“ピピーピー”という機械音とともに、レジからレシートが打ち出された。随分と年季の入ったレジスターだ。

 「2,050円お預かりいたしましたので、600円のお返しと、レシートになります。お品物、少々お待ちください。」

 そう言って、店員さんはまたクルッと僕に背中を向けて、紙袋やら何やらを準備している。

 そして、ケーキの箱が入った手提げ袋を両手で持って、店員さんが僕の方に差し出した。

 「お待たせいたしました。お品物と、それからキャンペーンのクリアファイルになります。」

 お、そうだ。店員さんに見惚れていて、すっかり忘れていた。当初の目的は、ガッキーのクリアファイルをゲットすることだったじゃないか。

 「中に、キャンペーンのチラシも入れさせて頂きました。チラシにも、ガッキーが載ってますので、よろしかったらどうぞ。」

 そう言って、店員さんが笑顔で手提げ袋を差し出してきた。

 「あ、チラシもあるんですね。」

 知らなかった。ラッキー。ガッキーが載っているチラシだったら、ファンとしては欲しい。しかも、今回のコラボキャンペーン限定のチラシだから、他では手に入らない。

いやいや。でも、ここでニヤニヤしてはいけない。確実に気持ち悪いと思われてしまう。ここは、あくまでも冷静を装って…。

 「ありがとうございます。」

 いつもより低めの、クールな声でお礼を言った。そして、店員さんから手提げ袋を受け取った。

 その時。

 僕の手と店員さんの手が、微かに触れた。

 それは、ほんの一瞬だったけど、店員さんの手の温かさと、柔らかさが伝わってきた気がした。

 手が触れただけなのに、心臓がバクバクと鼓動を早めていく。これは、マズイ。

 「ありがとうございました~。」

 店員さんの方は、何事もなかったかのように、ごくフツーに僕に向かってお辞儀をした。焦りと興奮を覚えているのは、どうやら僕だけのようだ。


 照れを悟られないように、僕は足早にお店を後にした。

 お店を出てから、車までは早歩き。運転席のドアを開け、滑り込むようにして車の中に入り、シートに全体重を預けた。

 大きく息を吐き、呼吸を整える。

 そして、今起きたばかりの奇跡に興奮した。

 「すげぇ。なに、あの可愛い娘!女神だ!天使だ!!」

 ようやく手に入れたガッキーのクリアファイルのことなど、すっ飛んでしまった。僕の頭の中には今、あの店員さんのことしかない。

 「若かったよな、あの子。僕と同じくらいかな。それとも年下かな…。」

 正規職員という可能性もあるが、僕より年上には見えなかった。おそらくアルバイトなんだろう。そうなると大学生か、高校生か…。

 僕は興奮のあまり、膝を何度もドラムのように叩いた。

 「人生の楽しみが、ひとつ増えたぞ~!ヒャッホ~イ!!」

 綺麗な、可愛い女性に会えただけで、人生というものは不思議なくらい鮮やかに色づいてしまう。今この一瞬で、僕の人生は彩られた。

 こういう些細な幸せを積み重ねていくことで、人生というものは実に豊かになり、そして楽しくなっていくのだ。何たって、男は単純だから。


 そこまで考えて、ふと僕は冷静になった。

 僕に、もう少し勇気があれば…。あの子と、もっと話しが出来たのかもしれない。

 僕に、もう少し器用さがあれば…。気の利いたことのひとつやふたつ、言えたり聞けたり出来たのかもしれない。

 それは、ほんのちょっぴりの後悔だった。

 僕は、チラッと窓の外を見た。

 店員さんの姿は、ここからは見えない。代わりに、入り口の横に立っているマスコット人形が見えた。マスコット人形は、相変わらずニコニコと微笑んでいる。

 その笑顔を僕は、僕に対する応援なんだとポジティブに捉えることにした。

 「また、来ます!」

 彼女に届けと言わんばかりに、僕はマスコット人形へ自分の気持ちを素直に伝える。

 微かに、マスコット人形が首を縦に振ったかのように僕には見えた。

 僕は、静かに微笑み、そして息を吐いた。

 僕の人生は、ここから確実に何かいい方に向かって進むんだ。そんな予感がした。


 淡い喜びと、ほんのちょっとのほろ苦い後悔を胸に秘めながら、僕はゆっくりと車のエンジンをかけた。


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