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月が、綺麗ですね  作者: 明智龍之介
第1章 初花月~March~
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 大学生の春休みは、長い。

 もう2月の上旬には後期試験があらかた終わってしまい、そこから長期の休みに突入する。

 長期休暇を利用して好き放題遊ぶヤツもいれば、アルバイトに勤しむヤツもいる。部活動に参加して汗水垂らして青春するヤツもいれば、ゼミの気になる課題に取り組む真面目なお方もいる。

 大学とは、多種多様な人種が集まる“共和国”のようなものだ。多くの人が、自分の人生を自分なりに謳歌している。そこには一定の自由があり、また一定の責任もある。何を選択しようとも、拒否しようとも、基本的には自由。お互いに好きな人種とだけ交流を持ち、また必要以上に干渉することは基本的にない。滞在期間が最短で4年間、最長で8年間という、この限られた自由の国を、学生たちはそれなりに楽しんでいるのである。

 

 僕も、長期春休み中である。

 いつもであれば、短期の家庭教師のアルバイトを追加したり、趣味のアーチェリーで汗を流したり、仲のいい学生とどこかに出掛けたりしているのだが、今日は違う。

 違うといっても、大層なことはない。ただ学生控室で漫画を読んでいるだけだ。一昔前に流行った『金田一少年の事件簿』という漫画が、何故か控室に陳列してあったので、それを時間潰しに読み始めて、ドハマりしてしまった。

 僕の通っているU大学は、県唯一の国立大学である。だから、県庁所在地が大学の名前に冠されている。しかし、大学の場所は県庁からも市役所からも離れていて、市の中心地とも言えるJRの駅からも微妙に離れている。バスを使って15分程度といったところだろうか。まぁ、車社会の県なので、特に僕としては不便を感じないが、他県から来る人たちからすれば、利便性がすこぶる悪いらしい。

 まぁ要は、大学のキャンパスを作るほどの広大な土地を確保するとなると、今の場所くらいしかなかったのだろうと僕なりに推察する。何でもここは、江戸時代には処刑場だった場所らしいという噂を聞いたことがある。そんな縁起の悪い場所なもんで、広大な土地が手つかずのまま残っていたというわけだ。処刑場の跡地に大学を建てるなんて、夜中に落武者たちが化けて出て、キャンパス内を跋扈(ばっこ)したらどうする気なのだろうかという疑問はさて置いて、そういう不思議な都市伝説を持つのが、私の通うU大学なのである。

 もちろん、そんなことは大学のHPの“沿革”には書かれていない。キャンパス内にはフランス式庭園とイギリス式庭園、さらには日本庭園があり、大正時代に建てられた講堂が現存するなど、何とも優雅なことしか書かれていない。だから、その謳い文句に釣られたTVクルーによって、ごくたまに映画やドラマの撮影に使われたりする。

 僕がいる教育学部F棟は、U大学キャンパスの東南に位置する。大正時代に建てられた講堂は、何とも言えないノスタルジックな雰囲気を纏っているが、教育学部棟はただ単純に古いだけの建物だ。ノスタルジックでも何でもない。とにかく古い。周辺の中学や高校の校舎の方が新しいんじゃないかと錯覚するくらいに古い。

 その4階建ての教育学部F棟の1階に、僕が所属している社会科の学生控室がある。F棟には1階に2つの教室と、社会科と国語科の学生控室がある。学生控室は基本的に1年生と2年生が活用する。3年生以上になると、それぞれゼミに所属することになるため、各ゼミ室が控室代わりとなる。

 社会科のゼミは種類が多い。日本史、東洋史、西洋史、地理学、哲学、社会学、経済学、政治学、法学、社会教育学と、舌を噛みそうなくらいにある。その中からひとつ何かを選ばなければならないというのも、何とも酷な話しだ。これだけゼミがあるから、部屋の数も必要になる。そのため、F棟の3階~4階は全て、社会科のゼミ控室と教授室になっている。

 ただ、何と言っても田舎の国立大学だから、それぞれのゼミを担当する先生は1人しかいない。だから、例えば日本史を専攻すると、自然と研究対象が“近世史”になってしまう。何故なら、日本史の教授が近世史専攻だからだ。同じように東洋史は中国近代史、地理学は農業地理学といった具合に、研究対象が狭められてしまう。

 もちろん、自分が研究したいテーマを追求することも出来るのだが、その場合には誰からも援助を受けられないという事態に陥る。まぁ、そこまで気概がある学生なんて、U大学には存在しないのだが。

 話しが結構、脱線してしまった。そういうわけで、僕は4月から3年生という身分なので、現時点ではギリギリまだここF棟1階の社会科学生控室を使用できるというわけだ。

 4月からはこの学生控室を使えなくなるわけで、特に感慨深いものもないわけだが、使えるうちに使っておこうという気持ちもある。

 僕と同級の社会科学生は、今は全部で14名。男子6名、女子8名という内訳だ。仲は良くもなく、悪くもなく。適度な付き合いといった感じだろうか。僕はどちらかというと、他の学科の学生と一緒にいることの方が多い。好きな人間と気兼ねなく付き合えるというのも、この共和国の醍醐味みたいなものだ。

 僕はふと、控室内を見渡した。南側に出入口があり、窓は北側にしかない。中央にミーティングテーブルが置かれ、窓際にはテレビとくたびれたソファが置いてある。テレビにはゲーム機が接続されている。おそらく誰かが自宅から持ってきたのだろう。最新式のものではなく、2つ前のタイプのものだ。

 東側の壁にはロッカーがずらりと並んでいて、個人用に宛てがわれている。

 『雨宮 俊』と書かれたネームプレートの入ったロッカーが、僕のロッカーだ。『名探偵コナン』の江戸川コナンのステッカーが貼ってある。あれもそろそろ剥がさないと、次に使う後輩に迷惑を掛けてしまうということに、今ようやく思い至ったが、今日はまだ気分が乗らないので外さないでおく。


 壁に掛かっているアナログ時計を見た。時計の針は、午後2時40分を指している。

 「さて、そろそろ行くか。」

 誰もいない学生控室で、無駄な独り言を呟いてしまった。僕は頭を掻くと、椅子に置いてあった黒のリュックを手に持ち、学生控室を後にした。


 車社会の県なので、大学のキャンパス内には駐車場が広く整備されている。それでも、1年生は構内への駐車権を与えられないので、車通学するためには近くの駐車場を探して借りるしかない。僕の場合には、半年間は頑張って自転車通学した。片道16キロの道のりを、毎日通った。“あの頃は若かったなぁ”と、つい1年くらい前のことなのに、しみじみと振り返ってみる。まぁ、高校3年間も片道11キロの道のりを自転車通学していたので、自転車を漕ぐのには自信があったわけだが。もう、今ではそんな長い距離を乗る自信はもちろんない。

 自転車通学をしつつ、残りの半年に向けて、大学近隣の駐車場探しをした。父親と同じ職場の同僚の人が、大学近郊に更地を持っているということで、父親と2人で見に行ったことがあったが、確かに車を駐車できるものの、道は狭く、周囲の家から死角になるような場所で、防犯的な心配と運転技術的な不安があったために、そこをお借りするのはやめた。

最終的には、父親の先輩の家がたまたま大学の近くにあったため、父親が誠意交渉してくれて、車を停めていいことになった。父親の持つ人脈というものに驚いたのと同時に、その行動力と想いに感謝した。

 2年生になってからは、構内駐車場抽選に運よく受かったため、大学構内に車を停めている。専用のパスカードでゲートをくぐり、速度規制のための凸凹した道路を徐行しながら進んで、指定の駐車場に車を停める。車のフロント部分に、“U大学駐車許可証”というものを貼らなければならないのが難点だが、文句は言えない。自転車通学に比べれば、何てことはない。


 駐車場に着いた私は、父親に買ってもらった中古のマニュアル車に乗り込み、エンジンをかけた。

 目的地は、大学から少し離れている。と言っても、15分くらいで到着する計算だが。

 場所は、市街地にある某有名洋菓子チェーン店である。

 目的はただひとつ。超人気女優の新垣結衣のクリアファイルをゲットすること。

 新垣結衣が某有名洋菓子チェーン店のCMに起用されたため、期間限定キャンペーンとして、洋菓子3個を購入すると、新垣結衣がプリントされたクリアファイルが貰えるのだ。

 キャンペーンは先週から始まった。新垣結衣ファンの僕は、もちろん初日に某有名洋菓子チェーン店に並んだのだが、即完売となりクリアファイルをGET出来なかった。あの日ほど、新垣結衣の人気を改めて思い知らされた日はない。

 その後も、いくつもの某有名洋菓子チェーン店に足を運んだのだが、どこでも売り切れだった。

 手に入らないと、余計に欲しくなる。これは人間の真理だ。

 それから毎日、そのお店に電話をし、クリアファイルが再入荷されないかどうかを確認した。何という気持ち悪い執念だろう。自分で言っていれば、世話はない。

 そして、遂に。

 「あ~、今日の午後3時に入荷される予定ですよ。」

 優しそうな中年男性が電話口でそう答えてくれたのは、ほんの数時間前の出来事。おそらく店長さんか、支配人さんだろう。

 「マジっすか!?じゃ、今すぐ行きますっ!」

 食い気味の反応を見せる僕に、電話口の男性は軽く失笑していた。

 「慌てなくても大丈夫ですよ。たくさん数はあるから。」

 “その油断で、前回取り返しのつかないことになったんじゃないか”という憤怒は、心の奥底に沈める。電話口の男性には全く関係ない恨み節だから。


 鼻歌を歌いながら、僕は車を軽快に走らせる。今走っている片側2車線の国道を、次の信号で右折すると、その某有名洋菓子チェーン店のある道路になる。

 「待ってろよ、ガッキー!」

 新垣結衣のニックネームを叫びながら、僕はウィンカーを右に出した。


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