第四章「次世代への希望」
会議に参加していた瞬は一枚のメモを渡された。
『要様の反乱により、正様、優里様死去。澪様が代理で指揮をとり、要様を追放したとのこと』
自分の予想が当たってしまった。今頃、文と涼が止めに入っているだろう。瞬はクシャリとメモを丸める。
「島本様はこうなることを分かっておられたのですか?」
一人の執事が話しかけてきた。本橋家とも比較的交流がある家の執事だった。
「気づいていました」
「なら、どうして戻らなかったのですか! どうして……! 白蘭会で澪様の次に、一番強いと言われているあなたが戻れば、正様も優里様も死ぬことはなかった!」
その執事の声は悲鳴に近いものがある。
「私は執事として与えられた仕事をしただけです」
「主を失ったというのに、とうしてそんなに冷静でいられるのですか!」
「なぜ、でしょう?」
瞬は視線を下へと落とす。
いつもなら、人の目を見て話す彼には珍しい行動だった。 それを見て、この人も弱っていることを知る。瞬も血の通った人間なのだと実感するほかなかった。
「失礼しました」
瞬にあたっても、何かが変わるわけではない。
「私はね。この世界から身を引こうと思います」
「あなたが引退となれば、次世代は野田兄妹ですか?」
思い浮かぶのは涼と文である。
瞬の厳しい訓練にもついてきた。
食らいついてきた。
まだまだ、未熟な部分はあるが磨けば執事として頭角を現してくるだろう。瞬はその時が楽しみで、密かに二人に期待をしていた。
「澪様を含む次世代が台頭してきております。私が引退しても安泰でしょう」
「要様を止められるでしょうか?」
「信じましょう――あの子たちの未来を。希望を。他の執事を頼みます」
瞬の青みがかった瞳が見返してくる。執事の肩に手をおき歩き始めた。
「正様、優里様。守れなくて申し訳ありませんでした」
優里と正の墓に花を添えた。
山奥の静かな場所に建っているため、東京都心とは違い空気が澄んでいる。
「どうして、瞬が謝る?」
「正様、優里様」
これは、現か。
幻か。
それとも、夢を見ているのだろうか?
正と優里。
生前と変わらない凛とした出で立ちの二人がそこにあった。
「瞬。私たちもこの世界に身をおく者だもの。このような日がくるかもしれないと覚悟はしていたわ」
「要様が憎くないのですか?」
「あいつにはあいつなりの考えがあるのだろう」
親が子供の思いを捻じ曲げることはできない。こうであると気持ちを押し付けるつもりはなかった。だから、要の反逆を許した。
容認して命を散らした。
要に命を託した。
敵に殺されるよりも、家族の手で終わらせる方がよかったのである。
「ですが、残された者の気持ちをお考えください。特に澪様は――」
そこまで、言って瞬は口をつぐむ。
澪との約束を破るわけにはいかなかった。
数十年前――。
「澪様」
瞬は空手のけいこをやりきり、崩れ落ちた澪の体を支えた。苦しいとかつらいとか一言も言わなかった。冷えきった体を上着で包み込む。
乱れた呼吸をしている背中をさすった。
正と優里にはこのような体の異常はなかった。
要にもその兆候はない。
澪だけが代々本橋家に伝わる遺伝子の弱さ色濃く引き継いでいた。
神様は何て残酷な試練を与えたのだろうか。
澪に伝わらないように、瞬はゆっくりと歩く。同学年でもあるはずの澪の体は小さく細かった。きっと、人に見られない場所で食事を吐いたりしていたのだろう。
「やはり、無理をされていたのですね。発作も最近ですか?」
「最近はなかったから、油断していた。瞬……お前には隠せないな」
「澪様を見てきましたから」
「瞬と話していると心を読まれているようだ」
どこか、複雑そうな表情で澪は笑う。自分が置かれている環境を自覚して、大人になっていくしかなかったのだろう。もしかしたら、要よりも成長のスピードが速いのかもしれない。
「学校は大丈夫ですか?」
「体育は休ませてもらっている」
「訓練の量を減らしましょう」
「それはやめてほしい。家族に気が付かれたくない。このことは、誰にも言うな」
澪の指が瞬のスーツを掴む。
指が白くなるほど強く。
その指を瞬が開いた。
救急セットを取り出すと、消毒をして手当をする。
「正様たちに? どうして? 家族でしょう?」
「組長も補佐も要兄様も忙しい……負担をかけたくない」
「澪様はそれでよろしいのですか? 下手すれば、命にかかわります」
「頼む――瞬」
「分かりました。これで、私は共犯者です」
「共犯か……いい響きだ」
「少しお休みください」
瞬は澪の体を布団におろして、タオルケットをかけエアコンをつける。カーテンを閉めてそれでも、眩しい夏の日差しから守るように手でそっと澪の瞳を隠す。
熱くもなく。
冷たくもなく。
その体温は丁度よくて、体力自体奪われている澪を眠りへと誘う。その寝顔は幼く、年相応に見える。そのことに、瞬は安堵した。
どれだけ、大人びた行動をしても子供なのだと実感させられる。
「お休みなさい」
眠りについた澪を見て、瞬は静かに部屋を退出した。
「澪に何かあったの?」
優里に表情を読み取られてしまいそうだった。こうして、話していると正と優里が本当に生きているかのようである。
瞬は表情を取り繕う。
「何でもありません」
「あの子を遠くからでもいいから、見守ってやってくれ」
「正様、優里様」
「どうしたの? 瞬」
優里が優しく瞬を呼ぶ。
「私たちが進む道に間違いはないのでしょうか?」
「進む道が違うこともあるだろう、いずれ、また交わる日が来るだろうと私は思っている」
「正様のその言葉を私は信じます」
三人の間に強い風が吹く。
風がおさまり、目を開けた時には、優里と正の姿は消えていた。