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下弦の盃(さかづき)  作者: 朝海
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第九章「小さな変化」

「私には関係ありません。巻き込まないでください」

 あかりは思わず溜息をつく。

「抗争を見た時点で巻き込まれています。それとも、自分で自分の身を守れるとでも?」

 確かに、文の言葉は的確である。澪たちに守られて今のあかりに戦う力はない。文の言葉に車に飲み込む。悔しいが従うしかなかった。

「話してください」

「白蘭会は緊急事態を除いて、武器を持たずに話し合いで解決することを主旨としている団体です」

「穏健派ということですか?」

「はい。澪様が武器を持たずに、戦う姿をあなたも見ているでしょう?」

 助けてもらったあの時、澪は武器を持っていなかった。身のこなしとしては空手だろう。テレビで空手の大会を少しだけ見たことがある。しかも、それなりの段の有権者だろう。そうでなければ、あそこまで戦えない。

「空手ですか?」

「よくお分かりで。私も私の兄も皆、武術を心得ています」

「でも、本橋さんも二十五・六ですよね? まだ、両親が生きていてもおかしくはないはずです」

 あのような若い歳でやくざとはいえ家業を継ぐ方が珍しい。いくら、穏健派といえども、中で争いが起こっていてもおかしくはないはずだ。

「それは」

「野田さん?」

 もしかして、聞いてはいけない質問だったのだろうか?

 知られたくないことだったのだろうか?

「ご両親はすでに他界されております。澪様はご両親の思いを引き継いでいらっしゃいます」

「申し訳ありませんが、隠し事をするぐらいなら信じるに値しません」

 そのような人物が自分を守れるだろうか?

 あかりは警護される身として不安になる。

 心配にあり心細くなった。

「どう考えるかは須田さん次第です」

「野田さんも本橋さんと同い年ぐらいですよね? なぜ、この世界に?」

 見た目は普通の会社員にしか見えない。

 普通の日々を捨ててまで、過酷な場所に足を踏み入れたのだろうか?

「私たち兄妹は施設から脱走したところを澪様に助けてもらったのです」

 海外からの仕事を終えた涼を、紹介してもらったのはつい最近のことだった。

「施設にいた方が幸せだったのでは?」

「施設にいても楽しくなかった。私は兄とともに、偶然澪様と出会い尽くすことを決めました。だから、私はここにいるのです。それが、私たちの生きがいなのです」

 車が澪のマンションに到着する。あかりは用意された部屋に入ると体をベッドに投げ出した。


 数か月後――。

「あれ? 本橋さんと野田さん?」 

 あかりは学校帰りの車の中で、澪と涼を見つけた。子供たちと一緒に遊んでいる。懐いているのか子供たちも澪と涼の傍にいた。二人に笑顔を見えた。普段、見ることができない涼と澪の姿だった。

(あの二人、あんな表情もできるのね)

 あかりにとっても、新鮮だった。仕事中には見せない柔らかな空気である。あかりとしては、自然と引き寄せられる何かがあった。

「ここは、白蘭会が経営している孤児院だわ」

「文が言っているのは仕事が一つではないと?」

「ええ。その他にも障害者のグループホームの経営をしていたりするのよ」

 文とは敬語なしで、名前を呼べる仲になっていた。涼との区別をつけるという意味合いもある。あかりも涼よりも文の方が話しやすかった。今や頼りになるお姉さん的な存在になっている。

「本橋さん、笑っている」

「あれが、澪様の本当の笑顔だと思う?」

「どういう意味かしら?」

 今の笑顔が偽りだというのだろうか?

 作っているものだというのだろうか?

 付き合いが浅いあかりには分からない。判断ができなかった。二人が笑っているというのに、文の表情にはいつも以上に影をおとしている。

「私から話していいかは分からないけれど、澪様はお兄様に両親を殺されているの」

「お兄さんに?」

「それから、澪様は私たちの前でも笑わなくなったわ」

 澪から正と優里を奪った要が許すことができない。できれば、この手で殺してやりたい。めった刺しにしてやりたい。だが、澪はそのことを快く思わないだろう。

 部下の手が血で染まることを、誰よりも嫌っている人だから――。

「血のつながっている兄弟なのに? それこそ、話し合いで解決すればいいじゃない」

「要様に甘さは通用しないわ」

 両親の意思を大切にしていきたいというのが、澪の考えである。新しいやり方で切り開いていきたい要と思いがすれ違ってしまっていた。

 二人の道が交わることはなくなってしまう。

 残されたのは戦いのみ。

 刃を交わるのみ。

「兄弟で争うなんて私には考えられない。やっぱり、私はこの世界は嫌いだわ」

「ええ。嫌いなままでいいわ。澪様もあかりには染まらないと思っているはずよ」

「でもね、あなたたちのような人もいるのだと思えるようになったのは事実よ」

「ありがとう。その言葉、何だか告白みたいね。澪様に伝えたらどうかしら?」

「文」

 文の言葉にあかりは慌てる。完全にあかりをからかっていた。

 文があかりに心を開いている証拠である。

「あかりが素直になればいいじゃない」

「文。それ以上は言わないで」

「残念」

 あかりは流れていく風景を眺めた。





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