21
病室を出て、一階のエントランスへ行くと、ジルクニフの姿があった。廊下の壁に背中を預けて、腕を組んでいる。エイラに気が付き、顔を上げた。
「わざわざ、こんな所まで来たって事は、何か用があるんでしょ?」
「≪獣化病≫と言う病に少し興味があってな」
「へー。ジルって、そういうのには興味ないと思ってた」
「極めて稀な病気で、ニーラ人のみが発症するとなれば、当然、興味も沸く」
「何か知りたい事は?私で良ければ答えますけど?」
人一倍、獣化病には詳しい自負がある。何せ、ジャレッドが小さい頃からずっとこの病気と見てきているのだから。
「それには及ばない。自分で調べる」
「あっそ」
(ちょっとやそっと、調べたくらいでは何も分からないだろうけど)
「そこで、ターナーと会った。あいつは何と言っていた?」
「ジルを舞踏会に来るように説得してくれって」
「やはりな。そんな事だろうと思った」
「私一人だけじゃ、心細いし、一緒に行ってくれない?」
エイラは最大限の上目遣いと、猫撫で声で言った。
「断る。……その喋り方。気色悪いぞ」
思った通り効果なしだ。学生の頃は、この技を駆使して、よくただ飯にありついてたため、それなりに自信はあった。が、感情の無い人形には通じるはずもない。
エイラは、頬を膨らませ、不満をアピールする。
「それで、今後の予定は?」
行方不明者の捜索を行う予定だったのだが、その行方不明者が即刻見つかったために、今日の予定は空になった。なんでも、その行方不明になった死体になって見つかったらしい。最近、通り魔が出ているというが、その仕業だろうか。
「特にない」
「そう。じゃあ、ここで解散でもいい?今日中に片付けないといけない、事務仕事が残ってるの」
エイラは嘘を吐いた。この後、ジルクニフについて、調べてみるつもりなのだ。どうにかして、舞踏会に連れていく方法を見つけなくてはならない。そのために、ジルクニフがどうして舞踏会を毛嫌いしているのか、その理由を探ってみようという考えだ。やはり、問題が発生したときは、原因を究明して、それを取り除くのが最もシンプルで効率のいい方法だ。
「好きにするといい。それと、一昨晩のことだが……」
珍しく、ジルクニフは言い淀んだ。それに少し驚きつつも、エイラは、優しく微笑んで、
「別に気にしてないって。悪気があった訳じゃないんだし」
「ああ、そうか」と、ジルは歯切れの悪い声で答えた。
ジルクニフと分かれ、病院を出ると、エイラはその足で街の南西にある閑静な住宅街へ向かった。妖精の一件があった後、エイラは個人的に「ジルクニフ・リンストン」について、少ししらべてみた。そこで、分かったことが一つ。ディンデールには、リンストンという姓を持つ人間が、ジルクニフ以外に、もう一人いるということである。リジィ・リンストンという名の女性で、エイラは、その女性を尋ねるつもりで、この場所にやって来た。ジルクニフの母親か、姉、もしくは妹という可能性が高い。そうであれば、ジルクニフが舞踏会を拒む理由を知っているだろうと、考えたのだ。
いや、それ以上に、エイラはジルクニフ・リンストンという人物を理解したかった。どんな境遇で育ち、何を考え、そして何をしようとしているのか。漠然と、興味がわいた。他人にこれほど、興味が湧いたのは初めてだった。
事前に調べておいた住所までくると、煉瓦造りの一軒家が建っていた。周りはマンションやアパートなどの集合住宅が多いので、すぐに見つけることができた。アンティーク調の鉄柵がぐるりと家を取り囲んでいて、正面には見上げる高さの鉄柵門が佇んでいる。門扉だけを見れば、さぞかし立派な豪邸に違いないだろうと考えるが、実際の家はそれほど大きくは無い。敷地自体も三十坪あたりで、特段、広く無い上に、その半分以上が庭になっていた。家のサイズとしては、平均、いやそれ以下だろうか。
庭に関しては、素晴らしいの一言に尽きた。色彩豊かな花々や、珍しい木々。手入れもいい届いている。植物やインテリアの配置も絶妙で、素人の域を雄に超えている。
門扉は、見た目に反して軽い力で開いた。玄関までの動線は、石畳の美しいカーブになっている。
玄関扉を三度、ノックすると、中から気のよさそうな五〇歳あたりの女性が現れた。
「どちら様かしら?」
「エイラ・ノースピートといいます。貴女がリジィ・リンストンさん?
「ええ。そうよ」
「でしたら、ジルクニフさんをご存じで?」
「その名前を、どこでお聞きになったのかしら?」
リジィの表情が、険しくなった。声音はそれ以前と変わらない。
「彼の護衛の任務を預かっています」
エイラが答えると、途端に、リジィの表情は柔らかくなった。
「あら!ターナー坊ちゃんが仰っていたのは貴方のことだったのね。こんな可愛らしいお嬢さんだっただなんて。私、てっきり、武骨な男性の軍人の方かと。それで、一体、どういったご用向きかしら?」
ターナー坊ちゃんという呼び方が引っかかったが、今は後回しだ。
「ジルクニフさんのことで、聞きたいことがあるんです」
「でしたら、どうぞお入りになって、お茶とお菓子があるの。召し上がっていって」
「お言葉に甘えて」
庭とは打って変わって、内装は質素な印象だった。飾り気は全くなく、家具や食器に至るまで、必要最低限のもので収まっている。出された紅茶は、嗅いだことのない香りだったが、見渡す限りの草原を想起させるような、長閑で優しい香りがした。一口すすると、これまた経験のない味だった。
「とってもおいしいお茶ですね。どこで買われたんですか?」
「友人に譲ってもらったのよ。庭をご覧になったでしょ?あれはね、その友人からの贈り物なの。手入れは別の方にお願いしているのだけどね」
なるほどとエイラは思った。やはり、職人の仕事だったのだ。恐らくは、草木や花に詳しい人物なのだろう。次に、エイラは菓子にも手を伸ばした。見た目はただのありふれたクッキーだ。しかし、一口かじってみれば、これも驚くほどおいしい。程よい酸味と、滑らかな舌触りは圧巻だ。これも、その友人からの贈り物だろうかと考えたが、ふと、キッチンを覗くと、一般家庭には不釣り合いなレンガ窯があった。ということは、これはリジィの手作りだろう。
「さて、どんなことを聞きたいのかしら?」
「まず、彼との関係を伺っても?」
「そうですね。関係と問われると、複雑で……法律上は、養子ということになりますけども」
養子というこてはリンストンという姓は、彼女のものだったということか。
「彼の本当の御両親は?」
「戦争で、既に亡くなっておられるようです。詳しいこは私も知りませんが」
「他のご家族については?」
「私の知る限りは、親類はいらっしゃらないみたいですね」
「分かりました。それで、ここからが本題なんですけど、彼が舞踏会の出席を拒むんです。何か理由をしりませんか?子供の頃に、嫌な思いをしたとか」
リジィは一度、大きく頷く。
「ええ。心当たりはありますよ。ですけれど、それは私の口からは申せません。どうぞ、彼から直接、お聞きになってください」
「何か人には言えない事情でも?」
「聞けばわかりますよ。さあ、質問は終わりですか?」
「では、最後に一つ。――彼は何者ですか?」
リジィは、一泊置いて、神妙な面持ちで答えた。
「そうですね。しいて言うとすれば、か弱い一人の人間、でしょうかね」
(か弱い?)
「納得できないのですが……」
「彼と、長く付き合っていけば、いずれ分かる時も来るでしょう」
「はあ」
エイラは、なんとも言えない声で、返事をした。
帰り際に、お菓子の入った袋を一つもらった。それが、唯一得られた収穫だった。