18
エイラは、塔の頂上に立っていた。
見張り台のような構造で、円形の足場は大人、四、五人が立てるかどうかという広さ。エイラの背よりも高い外壁には、ところどころに直径十センチほどの穴が開いていて、覗き込むと、一面の雪景色が広がっていた。別の方角の穴を除くと、切り立った山肌が見えた。
どうやら、塔は山と山の谷合に立っているようである。民家や、田畑の類は散見できず、塔は完全に孤立しているようだった。また、別の穴をのぞき込むと、谷底に蛇のようにうねった街道が見えた。道幅は、車がすれ違えるかどうかという狭さだ。人通りはなく、舗装もされていないところを見ると、普段はあまり使われていないのだろうと容易に想像がついた。
このままここにいても埒が明かない。そう思って、エイラは塔を下りることにした。塔の頂上には梯子があって、これで下に下れそうだった。エイラは、慎重にしたまで下りる。そこは、倉庫のようになっていた。大きな樽や、小麦の袋がいくつも置かれている。埃っぽく、天井には蜘蛛の巣が散見された。衛生状況は悪そうだ。倉庫を出ると、長細い廊下が続いていた。その突き当りの部屋は食堂のようで、四十人分ほどの長いテーブルと椅子が置かれている。今は食事している人はいないようだが、一番、奥の席で軍服を着た男が二人、話をしていた。
そのうちの、一人はジルクニフだった。向かいに座る男は見たことがなかった。堀の深い顔で、太い眉が印象的だった。恰幅もよく、細身なジルクニフとは対照的だった。テーブルには地図が広げられている。見知らぬ男が言う。
「敵さん、どうやら南を攻めようとしてるらしいぜ。俺たちは、また留守番かもな。まったく、せっかく前線に配置換えしてもらったてのに、運がねぇよ」
「そういうな。第一、お前は、南部をしょって立つかもしれない男なんだ。死なれちゃ困る」
「俺は、親父の後を継ぐ気はないぜ。兄貴の方が向いてるさ」
「本当に変わってるよお前は。前線に行きたくないという奴が大半だろうに」
「そういういお前はどうなんだ?こんな僻地まで、ついてきたのはお前だけだぞ」
「死ぬのが怖くないからさ。俺に失うものはない。それだけの理由だ。お前のような気高い精神は持ち合わせてないよ」
「十分変わってると思うがな。お前が八十を超えた老人なら理解できなくないが。――で、レイ。そのわきに抱えてるもんは何だ?」
そこで、ジルは人差し指で「もっと近くに寄れ」と合図をした。見知ら男は、前傾姿勢になった。ジルクニフは、わきに抱えた麻袋をテーブルの上に出すと、口を縛っていた縄を解き、中が見えるように見知らぬ男の方へ向けた。
「お、お前!こんなもんどうしたんだ!」
気になってエイラも袋の中をのぞき込む。肉だ。燻製にされた牛肉の原木が入っていた。
「声がでかいぞ」
「す、すまん」
「大佐のところからくすねてきたんだ」
「ば、馬鹿野郎!ばれたら間違いなく、独居房行だぞ!」
見知らぬ男は、最大限の小声で言った。
「なに、ばれやしないさ」
ジルクニフは冷静に言う。
「お前ってやつは本当に……」そこで、見知らぬ男は開き直ったように、「だが、やっちまったもんは仕方ない。せめて、証拠は隠滅しないとな」
「ああ、そのためにお前を呼んだんだ」
二人はニヤニヤと、いやらしい笑みを浮かべた。
その時。どこからか、鐘の音が響き渡った。耳を劈くような、不快な音だ。
その音に続いて、誰かが叫んだ。
「敵襲だ!急いで、配置につけえええ!」
ジルクニフと、見知らぬ男は、慌てて席を立ち、どこかへ走り去っていた。
エイラは、再び、塔へと向かった。梯子を上って、穴から街道をのぞき込む。遠くの方に、もぞもぞと蠢くものが見えた。人だ。蟻のように隊列をなしておびただしい数の人々が進んでいる。
それを見たと同時に、意識が突然、遠のいた。そのなしの井戸に落ちてゆくように、次第に光が失われていく。
どれくらいかの時間がたって、ようやく光が戻った時、エイラはベッドの上で仰向けに倒れていた。
「これって、夢?」
天井を見上げながら、エイラはぽつりと呟いた。