15
低い男の声。
「お前らに説明する必要はない」
「おい、どうなっている!?」「話と違うぞ!」慌てた二人を、低い男の声が一喝する。「どうするもこうするも無いだろ!やるぞ!相手は二人だけだ!」それで残りの二人も平静を取り戻したようだ。
「ったく、舐められたもんだぜ。女と男のたった二人で俺たちに勝てると思ってんのか?こっちはな、戦争の前線で長いこと戦ってたんだ!お前らなんかに負けるわけねぇだろ!」
声の低い男は、威勢よくそう言って腕を捲る。直後、その両手が白く瞬いた。≪バレック≫の同時発動だ。口先だけでなく、実力もあるようだった。
直後、男の腕からすさまじい突風が放たれた。ジルクニフと、エイラはそれをサイドステップで躱す。
「エイラ、発砲は禁止だ。気絶させる分には構わない」
「私に命令しないでくださる。でも、いいですわ。私にとってもその方が好都合ですからね」
「ふざけやがって!」
後の二人は、その拳銃を取り出した。どうやら、こちらはあまり魔法が得意ではないようだ。それを見て、ヘレナは防御魔法の≪エルソレーション≫を使った。黄色の≪詠唱光≫を放ち、ヘレナの正面に半透明の壁を作り出した。拳銃の弾は、その障壁に阻まれ空中で静止する。≪エルソレーション≫は戦闘系の魔法の中では基礎の基礎だ。だが、銃弾を何発も防ぐほど強靭な障壁を作り出すのはそれなりの鍛錬が必要で安定して作り出すのは難しい。つまり、一歩、間違えれば途端に命を落としかねない、戦闘なのである。
傍から見ているだけで、エイラの心臓はバクバクとV型8気筒エンジンのような唸りを挙げていた。
やはり、自分では役に立たなかった。寧ろ、邪魔になっていただろう。苦汁を飲む思いで、唇を噛んだ。
その時。エイラは、あることに気が付いた。
リネットの姿が無い。
三人組の中にてっきり彼も居ると思っていた。だが、≪ハイト≫でよくよく確認してみると、リネットらしき男はいない。雑居ビルを出た時、確かに仲間は三人だった。だとすると、その後どこかで更に仲間を拾い、森へ向かったということだ。
――ということは?
「おい、手を挙げろ」
突如、響いた、囁くような男の声にエイラは全身を硬直させた。その声は、右の耳元で聞こえたのだ。≪ハイト≫を使っていたせいで、接近に気がつけなかった。この魔法は、五感や集中力を鈍らせる副作用がある。もっと、周りに気を配っておくべきだった。だが、後悔ももう遅い。エイラは、ゆっくりと手を挙げた。
「そのまま、ゆっくりと振り向け」
言われた通り、≪ハイト≫の発動を解除し、振り向く。
「やあ、かなり早い再開だったな、エイラ」
リネットは、口元と釣り上げ不気味にほくそ笑んだ。右手には一八式自動拳銃が握られ、その銃口はエイラの右の胸のあたりに押し当てられている。リネットの他に、男がもう二人。三人組だと思っていたのが、実は四人組だった訳だ。
「あの二人を、今すぐ止めさせろ」
エイラは逡巡した。リネットの指示に従うべきだろうか?仮に従ったとしたら、どうなるだろうか。拒否した場合は?シュミレーションの結果はどれも好ましくなかった。
ふと、レイ・サウザーのことが脳裏に浮かぶ。彼ならこの状況で、どうするのだろうか?エイラは彼と直接、会ったことはない。それどころか、彼について知っている情報と言えば、ほんの僅か。でも、何となく、彼は決して逃げないだろうと思った。
エイラは、リネットを睨みつけた。
「嫌よ」
「あん?」リネットは凄むが、エイラは怯まない。
「撃てるもんなら、撃ってみれば?」
「本気で言ってんのか?」
「軍人殺しは大罪よ。一生、檻の中で過ごしたい?」
「口では何とでも言える」
「……ええ、そうね!」
そう言ったのと同時。エイラは思いっきり、リネットの股間を蹴り上げた。彼は、その場で飛び上り、銃口が逸れる。その一瞬の隙をついて、エイラは直ぐ近くの茂みへ飛び込んだ。そのまま木の裏へ逃げ込む。そこへ数発の銃弾が放たれるが、木に弾痕を残すのみで、エイラには当たらなかった。
「やめろ!あの女は、俺がやる。お前らは、向こうに加勢に行け!」
痛みに耐えながらのリネットの声。クリーンヒットした気だったが、どうやら持ちこたえているようだ。
二つの足音が遠ざかっていく。これで一対一。状況は好転したとみるべきか。
「随分な自信ね」
「当然だ。女相手に負けるわけねぇよ」
ジルクニフの戦闘能力は確かなものだ。ヘレナも同期の中では実技は一番だった。しかし、状況的には二対五の筈だ。助けは当てにならない。
(私だけで、どうにかしなくちゃ)
エイラは、ホルスターから拳銃を抜く。心臓の鼓動が高鳴る。凍えているように手足が震えた。初めての実戦。聞いていたよりも、遥かに体の融通が利かない。でも、やらなくては。いつまでも、怖気づいてはいられない。エイラは、覚悟を決めた。幹に背を預け、撃鉄を起しこす。それから、深呼吸をした。
「本気で、殺しに行くから」
怒りに満ちた声でリネットは言う。
「ああ、やってみろ」
エイラは、顔だけを一瞬木の幹から覗かせる。リネットは、さっきと変わらず同じ位置に立っていた。直後、エイラが顔を覗かせた位置に、銃弾が飛ぶ。シュッ!という風切り音を残し、森へ吸い込まれた。今度は、思い切ってエイラは半身を木から乗り出し、一発の弾丸をリネット向けて放つ。しかし、リネットが寸前で発動した≪エルソレーション≫によって防がれてしまう。反撃にリネットは、銃弾を三発、エイラに向かって連射した。木の幹に隠れることで、それをやり過ごす。
「軍人のくせして、防御魔法も使えねぇのか?」
≪エルソレーション≫はエイラの数少ないまともに使用できる魔法の一つだ。だが、こんな緊張感の中、正確に発動できる自信は無い。今は、木の幹の方がよっぽど頼りになる。それに、こんな分かりやすい挑発に乗ってはだめだ。
エイラは、返事の代わりに、リネットに弾丸を放った。しかし、障壁に阻まれリネットには届かない。
「おいおい、無視してんじゃねぇぞッ!」
リネットの声音からは、明らかな苛立ちが感じ取れた。冷静さを失えば、魔法の制度の鈍る。このまま、リネットを苛立たせ続ければ――。
バギイィィィ!
強烈な破壊音が、エイラの思考を停止させた。エイラの隠れていた木が、幹が腰の高さの辺り折れ曲がっていた。それが、音の正体だった。リネットが≪バレック≫を使い、強引に木を折ってしまったのだ。隠れる場所を失った。予想外の展開ではあったが、エイラは咄嗟の判断で身を屈めた。一瞬前まで、エイラの顔があった位置を数発の弾丸が通過する。間一髪だ。弾丸を打ち切りったようで、リネットは拳銃のリロードに入った。
(この隙に、近くの別の木まで移動しないと)
そう考え、踏み出した矢先。エイラは、右足を草木にとられ、その場に転倒した。それが、致命傷だった。リネットは、リロードを終え、照準は真っすぐ地面に這いつくばるエイラを捉えていた。
周囲の音が、景色が、遠ざかる。時の流れが、鈍重になった。
さっきまで、あんなにも焦っていたはずなのに、驚くほど冷静で落ち着いた気分。
リネットの指が、トリガーに掛かる。
エイラは、死を悟った。今からでは、≪エルソレーション≫の発動は間に合わない。
――くだらない理由だな。
あの言葉の意味がたった今、理解できた。「お金がほしい」なんて、適当な理由で軍人になるべきではなかったのだ。ましてや、英雄になろうなどと、おこがましい考えだった。そんなことを考えるから、早死にすることになる。自分の傲慢が招いた結果だ。
エイラは目を瞑った。
刹那。何かが起きた。何が起こったのか、目を瞑っていたせいで分からない。けれど、確かなことは、エイラに銃弾は命中しなかったということだ。目を開けると、そこには見慣れた背中があった。この二日間、ずっと追いかけていた背中である。
「よく持ち堪えた」
その声は、いつもと変わらない冷淡なものだった。けれど、この時ばかりは、とても温かく感じた。
「俺の後ろに隠れてろ」
「う、うん」
言われた通りに、ジルの背中に張り付く様に隠れた。思っていたよりも背が高いなと、素朴な感想が浮かぶ。
「何故だ……アベルたちはどうした!」
リネットが叫ぶ。余裕の無い声だ。
「全員、寝てる」
「な、そんなバカな。アベルは特殊部隊にいた精鋭だ。そう簡単に負けるわけが……」
リネットは、視線を横へ向けた。そこには、だらしなく草木の上に横たわるアベルの姿があった。アベルの手足は縄で縛られていて、身動きが取れないようになっている。
「ちくしょー!どうして、こんなことに!」
リネットは大声を上げ、銃口をジルクニフに向けた。が、その引き金が引き切られる前に、ジルクニフは動いた。一瞬で、リネットの眼前に迫る。右手で、リネットの手首を掴み捻り上げた。痛みから、苦しそうに悶え、銃を手放した
「分かった。もう抵抗しない!だから、止めてくれ!」
ジルクニフが手を離すと、リネットは手首を抑え、地面に項垂れるように膝をついた。
「ヘレナ、こいつも縄で縛っておいてくれ」
いつの間に、エイラの背後の立っていたヘレナは、ジルクニフに言われ、リネットの手足を縛った。
その様子を見ていたら、急に足に力が入らなくなって、エイラは崩れるようにへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」ジルクニフはエイラを見下ろして言った。
言葉とは裏腹に、全く心配していなさそうな声。今なら、これが普通なのだと分かる。
「ごめん。ちょっと、休憩」
ヘレナが近くに寄ってきて、水筒を差し出した。
「水よ。飲みなさい」
エイラは無言で水筒を受け取ると、中身を全て飲み干した。自分の感覚より、体は水を欲していたらしい。
水を飲み終えると、潤った体のためか、怖いくらいに爽やかな気分になった。まるで、新春の朝日を浴びた時のようだった。「これが生を実感するってことなのか」という少し稚拙な感想が、図らずとも口から零れた。