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森の中は、梢に陽光が遮られ、少し肌寒く感じた。ログウッドの東の森。未だ手つかずの自然を多く残す、美しい森だ。天高く聳える広葉樹の下には、地衣類の緑のカーペットが広がっている。
まさに、原生林ともいうべき光景である。三人の姿は車を使われたせいで、見失ってしまったが、地図に記された場所を目指しているのなら、いずれ見つけられるはずだ。
エイラは、コンパスと地図を頼りに道なき道を進む。山にこもる訓練は嫌という程させられた。
地図の場所は、それほど遠くは無く迷うことはない。
「そろそろ、地図の印の場所だよ」
エイラが伝えると、ジルクニフは小さく頷く。その時。カサッと、エイラの背後で微かな物音がした。三人組が森に入ってからかなり時間をおいて森に入ったつもりだったが、追い抜いた可能性もある。それか、熊か鹿などの獣だろうか。エイラは、最悪の事態を想定して、腰の一二式自動拳銃をホルスターから抜いた。再び、カサッという物音。しかし、音の正体は見えない。エイラは拳銃を構えた、次の瞬間。
「きゃあっ!」
という、なんとも、可愛らしい声が聞こえてきた。甲高く、耳に痛いこの声。
(もしかして……)
エイラの脳裏を嫌な予感が過るのと同時に、もぞもぞと草木をが動き、そこからひょっこりとヘレナが顔を出した。頭には葉っぱを数枚乗っけていて、袖は泥で汚れていた。どうやら、草木に足を取られ転んだようだ。エイラは、ため息をついて拳銃をホルスターに戻す。
「ヘレナ。一体、何をしてるの?」
ヘレナは立ち上がると、頭の葉っぱを払いながら言う。
「そっちこそ!この森で何をしてるのかしら!」
「な、何って……っていうか、アンタから答えなさいよ」
二人の元へ歩いてくると、ヘレナは胸を張って言う。
「貴方たちを、見張っていたの。森の入り口で見かけてね」
「私たちを?どうして?」
「もしかしたら貴方たちが、密猟者の仲間じゃないかと思って、見張っていたのよ?」
「密猟者?私たちが?一体、どういうこと?」
「二人とも、落ち着け」
ジルクニフの声で二人は冷静になった。ジルクニフはヘレナに向き直って、
「ヘレナ。俺たちは密猟者ではない。俺たちも、君と同じで怪しい連中を負って森まできている」
「それでしたら、密猟者をみつけたってことですの?」
「ああ、恐らくそうだろう。網と縄を持っていた」
「ちょっと待って、密漁って言って何を?」
エイラが尋ねると、ヘレナは訝し気な表情を浮かべてから、
「妖精よ」
「だから、あの時、ジャスミンの場所を訪ねてきたのね?妖精を探すために」
「ええ、そうよ。ご存じの通り妖精の捕獲は法律で禁止されてますの。けれど、鑑賞用や魔法の実験用などに用途がありまして、ブラックマーケットで高値で取引されてるわ。一週間前くらいに、妖精が出品されたという情報を軍は入手いたしまして、私はその調査を命令されましたの」
ジルクニフは首肯した。
「なるほど。白と青の光は妖精を捕まえるために使った魔法とみて間違いなさそうだ。妖精は森の守り神だ。そこに異常がでだから、動物たちが街に現れたのだろう」
「じゃあ、森に入った人たちが体調不良になったっていうのは?」
「あれは、リネットたちが広めたデマだろう。森から人を遠ざける目的だ」
「ちょっと、お二人とも何の話をなさっていますの?」
蚊帳の外だったヘレナに、エイラは事情を説明した。
「なるほど、それで彼らを追って森まで来たと」
「ええ」
「でしたら、申し訳ないですけども、ここからは私の仕事ですわ。無関係の貴方たちはここまでになさい」
「はあ?無関係じゃないんですけど。こっちも頼まれてやってるの?」
「頼まれたのは、怪奇現象の正体を突き止めることですわよね?でしたら、もうその目的は達せられたのではなくて?犯人逮捕は私の仕事ですわ」
「てか、そっちが後から割り込んできたんじゃん!」
「違いますわ。私はここを突き止めるために、何日も――」
「二人とも、静かにしろ」
ピシャリとジルクニフの声が響いて、二人は口を噤んだ。ジルクニフは前方を指さす。その先には、三人組の姿があった。距離としては50mほど離れている。草木の合間から辛うじて姿が確認できるレベルだ。これでは、いつ見失ってもおかしくない。
「少し距離を詰めて、後を追うぞ」ジルクニフは小声で言う。
姿勢を低く保ち、忍び足で彼らの後を追う。そうして、数分としないうちに、陽光が刺しこむ開けた場所へ出た。見れば、そこは湖になっていた。いや、泉という表現の方が正しい。清らかな水を湛え、その水面は太陽の光を反射し、眩い光を一帯に散らしている。
その泉の上で麗しい小動物が舞い踊っている。妖精だ。二対の羽と四本の腕を持つ、人型の魔法小動物。その生息域は非常に限られ、この森のように、手つかずの自然を残す原生林や、北の密林に僅かに報告があるのみである。また、非常にか弱い生物であると知られている。魔法動物の中でも彼らは、高度な言語を操る「有語族」に分類される。
すなわち、彼らは非常に高い知能を持っている。にもかかわらず、彼らを捕まえるのはとても簡単だ。それはなぜか?妖精を捕まえようとする生物が人間以外に存在しないからだ。だから、妖精は逃げることを知らない。理由は不明だが、妖精を捕食したり傷つけるようなことを野生の動物は行わない。故に、その神秘的な見た目と相まって、妖精は古くから、森の守り神と崇められている。エイラが目にしたその光景は、正に、その呼び名に相応しき神々しさだった。
三人組は、その泉の近くでネットを広げ、準備を始める。捕まえるのならば、現行犯が望ましい。
「エイラ、お前はここで待機していろ」
「私も行く」
「ダメだ。奴らは魔法も使えるし、武器を持っているかもしれない。危険すぎる」
「そうよ、実技がダメダメな貴女はここに居なさい」ジルクニフの言葉にヘレナは同調する。
「で、でも、ジルの護衛が私の任務で」
「俺は大丈夫だ。お前はここに居ろ」
「エイラ。私も彼に続いて奴らを捕まえないといけない。悪いけど、ここに居てね」
「分かったわ」
(だったら、どうして私はここに居るんだろう?)
護衛を果たせない、護衛に意味はあるのだろうか?いや、そもそも、エイラはログウッドの案内役で、護衛という任務は建前のようなものなのだ。でも、任務という形で与えられた以上は、全身全霊で全うするのが、軍人としての矜持ではなかろうか。
だというに、それを全うできない自分が恥ずかしかった。情けなかった。こんなことでは、いつまでたってもレイ・サウザーの下へは近づけない。レイは英雄だ。サルヴァ峠の戦いにおいて、一人で前線を保持した、一人で戦端を切り開いた。その上、その功績に対する褒賞を病院へ全て寄付したのだ。そのおかげで、エイラの弟は治療を受け続けることができている。彼のような人間になることがエイラの目標にしていた。でも、それは、叶わない夢なのだろうか?
二人の背中が遠ざかる。エイラは、≪ハイト≫を使い起動して、ただ、それを見ている事しかできなかった。
ネットをわきに抱えて、三人組たちが泉へと向かう。それを遮るように、ジルクニフとヘレナが立ち塞がった。先頭を歩いていた男は、途端に表情を曇らせた。
「誰だ?お前たち?」