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ストーリー・フェイト  作者: 白糖黒鍵
RESTART──先輩と後輩──

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51/262

こんな事の為に(その終)

修正しました。

 顔面全体がジンジンと痺れて熱い。口の中を切ったのか、舌の上に血の味を感じる。未だに重い鈍痛が背中に広がっていた。


 遅れて、自分は顔を蹴り上げられ、後ろの壁にまで吹っ飛ばされたのだと、僕は呆然と理解して。それとほぼ同時に、その声が騒々しく、喧しく部屋に響き渡る。


「さあ、お楽しみはこれからだぜぇッ!?クラハよぉおッ!!」


 そんな男の声に釣られて顔を上げれば、いつの間にか僕の目の前には金髪の男────ライザーが立っていた。


 その顔をこの上ない喜悦に歪ませ、髪と同じ色をしたその瞳に、昏く淀みながら、それでいて爛々と輝く危うい光を帯びさせていた。


「さあ立て、立てよさっさと立てって言ってんだろうがこの(クソ)ボケがァッ!!」


 言って、ライザーは左足を振り上げ。そして何の躊躇もなく、遠慮容赦なく僕の腹部に向かって振り下ろす。


 ドスッ──ライザーの爪先が突き刺さり、僕の腹部を鋭く深く、抉る。


「そうらどうしたどうしたぁ?やり返してみろよぉ?なあ、なあなあなあァッ!」


 ドスッドスッドスッ──僕が無抵抗なのをいい事に、ライザーは何度も足を振り上げては、僕の腹部へ振り下ろすのを繰り返す。


 その度に彼の爪先が僕の腹部を抉り、鈍痛と激痛が僕の身体を駆け抜けていく。


 ……しかし、それでも僕は動けなかった。抵抗する事ができなかった。そうしようという気力が、欠片程も湧かなかった。


 ──先輩……。


 ただ、そう心の中で呆然と零すのだけで。それだけで、精一杯だった。


 失意の底の底、どん底に文字通り蹴落とされ。無抵抗でいる他ない僕の事を、ライザーは一方的に甚振り続ける。当然だろう。僕の事情も、心境も彼の知る事ではない。


 もはや妄執と怨恨に取り憑かれた彼は、ただそれに従って僕を蹴り続けるだけの狂人へ堕ちたのだから。


 肉を打つ、重く鈍い音だけが部屋に静かに響き。


「ゴホッ……」


 そして唐突に腹の奥底から熱いものが込み上げてくるのを感じた僕は、次の瞬間。喉に少しへばりつかせながら、口から血を吐き出した。吐き出された血が、床に赤い線を引く。


 内臓が傷ついている。このまま無抵抗に蹴られ続けられていれば、己の命に関わってくる。


 その可能性と危険性を目の当たりにした僕は────


「…………」


 ────それでも、何もしなかった。そこまで追い込まれてもなお、僕は失意の底から手を伸ばし、這い上がる事ができないでいた。


 そんな様子の僕を、まるであり得ないとでも言いたげに。興醒め、失望の色が混じる声でライザーが訊いてくる。


「……おいおい。何だって、そこまでなっても反撃しない?何でだ?何でなんだ?」


「……」


 彼の質問に対して、僕はやはり何も答えられない。こんな心情で己にならばともかく、自分以外の他者に何かを答える事など、少なくとも僕にはできない事だったのだ。


 だが、それもライザーが知る事ではない。口の端から血を垂らし、依然黙っているままの僕を見限ったのか。


 彼は痺れを切らしたように舌打ちし────スッと、僕の腹部を執拗に蹴り続けていたその左足を引かせた。


 ドッ──かと思えば、すぐさま引いたその左足で。ライザーは僕の肩を踏みつけた。


「ふざけんじゃあ、ねえぞ……お前がそんなんじゃ、意味がねえだろうがよ……価値がねえだろうがよ」


 と、そんな訳のわからない言葉をポツポツと零しながら、彼は。


「俺がやってる事が、やろうとしてる事が全部無意味なんだよ!全部無価値なんだつってんだよッ!!」


 僕の肩を踏みつけにしていた左足を床に戻し、右足で僕の横面を蹴り飛ばした。


「がっ……」


 防御する事もできず、受け身を取る事もできず。僕は床に倒され、顔面を強く打ちつける。


「なあ、どうしてだ?どうしてお前何もしない?なあ、なあなあなあ!」


 狂人の声音で言いながら、床にうつ伏せで倒れた僕の首根っこを。ライザーは無造作に掴み、彼は僕の身体を少し持ち上げ、そのままズルズルと僕の身体を引き摺る。


 僕を床に擦らせながら、ライザーが狂ったように続ける。


「この俺がわざわざ用意してやったんだ。お前なんかの為に、お前の為に手ずからわざわざ。理由ってのを。そう、お前がやり返せるように、理由を」


 その様は、まるで見えない何かに急かされ、駆り立てられているかのようだった。誰の目から見ても、今のライザーはもはや正気ではない事は、明白であった。


 ライザーは寝台(ベッド)の元にまで歩み寄って。そしてここまで引き摺った僕の身体を、首根っこを掴んだその腕の力だけで持ち上げる。


「ほらこれでよく見えるかあ?そこにあんだろ、理由が。あんなに大事であんなに大切な後輩が、理不尽にも痛めつけられてるってのに……未だ呑気に気を失ってやがる理由がな」


 そう言って、ライザーは僕の身体を前に突き出す。そうする事で僕の視界一面が、寝台の上の先輩で埋め尽くされてしまう。失神し、その痴態を存分に晒してしまっている先輩の姿で。


 ……だが、それでも。未だに僕は、何もできないでしまっている。何の気力も、もはや湧かない。


 そんな、どうしようもない僕に対して、ライザーは更に続ける。


「だからよ、いい加減立てよこの無能。立って、拳の一つくらい振り上げてみせろよ。お前がその気にならなきゃあ……ん?んん?んんん……っ?」


 しかし、言葉の最中でライザーは不可思議そうに疑問の声を上げ、僕の顔を横から覗き込む。


 そして、不意に納得したように呟いた。


「ああ、そうか。そういう事か」


 それから、底冷えする程に低い声音で僕にこう言った。




「お前、()()()()()()




 ──……逃げ、てる……?


 そこでようやく、初めて。僕の中で何かが反応を見せた。が、ライザーはお構いなしに、堰を切ったように────


「おい、おいおいおい現実逃避してんじゃねえぞ、この野郎。そりゃそうだな、確かに逃げたら楽だもんなぁ?逃げて、逃げて逃げて逃げて。そんで逃げ続けて目を背いていれば、受け入れなくても済む。認めなくても済む。そうすりゃあ、お前の()()先輩は傷つかない。砕けない。壊れないもんなぁ?ハハッ、本当に卑怯だなあ、この卑怯者め。どうしようもねえろくでもねえ糞野郎め」


 ────その口から大量の言葉(ぞうお)を吐き出した。


 ライザーにそう言われ、そう罵られ。僕は気がつかされた。気がつかされてしまった。


 ああ、そうだ。そうだったのだ。僕は無気力を()()、諦めた()()()をして。


 ただ、逃げていた。目を、背けていた。


 自分は間に合わなかったという、この受け入れ難い現実を。この認め難い事実を。


 それから僕は────必死に逃げていたんだ。


 ──そうか。そうかそうか……つまり僕は、そういう奴だったんだな……クラハ=ウインドア。


 ライザーの言う通りだ。僕は卑怯者だ。楽な方へ逃げていた、どうしようもない卑怯者。


 それをあろう事か、こうしてライザーに気づかされた。よりにもよって、他ならぬライザー=アシュヴァツグフなどに。


 その事に言い知れぬ無力感と虚脱感、そして敗北感に。呑まれ、沈み行く最中────最後に、ライザーは言った。


「一応、目の前のこれは最後までお前の────クラハ=ウインドアの先輩で在り続けたっていうのになぁ?」


 ──…………え?


 その言葉は、聞き捨てならないもので。今の今までずっと閉じていた口を咄嗟に開く────直前。


 グッと、不意に。そして一気に、僕の顔は前に突き出された。


 瞬間、僕の視界に先輩の下腹部が、ショートパンツの股間部がグンと差し迫って。そこに僕の鼻先が触れたと認識するとほぼ同時に。


「んぶっ」


 僕の顔面が、先輩の股座へと無理矢理押しつけられた。


 ぐちゅりと、微かに響く妙に粘ついたその水音を。僕の鼓膜は鋭敏にも聞き捉える。


「そら卑怯者。たんと存分味わえよ、俺が丹念に仕込んだ(おんな)の味ってのをよ」


 そう言いながら、ライザーは僕の顔面をショートパンツの上から、先輩の股座に沈めようと更に押しつける。


 グリグリ、と。僕の鼻先が押し潰れながらも、先輩の股座を厚顔無恥にも弄る。


 ショートパンツの生地は僅かに、けれど確かに湿り気を帯びていて、蒸れていた。


 ライザーが押しつける度に、その下からぐちゅぐちゅという水音が、僕にしか聞き取れない程度に、しかし何度も響く。


「塩っぽいか?それとも甘いのか?臭いはどうだ?磯臭いか?生臭いのか?なあ、なあ?」


 グッグッ、と。僕の顔面を押しつけながら、心底愉しそうにライザーが訊ねる。だが先輩の股座に顔面を押しつけられている僕に、そんな事を答える余裕などない。


 と、その時だった。




「んっ……ぁ」




 頭上から、そんな。悩ましい色香が滲んだ声が、微かにした。


 これまでで聞いた事のない声だったが、僕はその声音自体は聞いた事があった。


 ──先、輩……?


「……おやぁ?おい、おいおいおい……まさかおい、感じてんのか?気を失ってるってのに?」


 まるで、聞いてはいけない音を聞いてしまったように。そうして愕然とする僕を他所に、ライザーは少し遅れて、呆然とそう呟いて。


 それから格好の、それも大好物の餌を見つけた獣のように、興奮の声を上げるのだった。


「こいつは傑作だ。こいつはとんだ傑作じゃねえかよ、おい!」


 興奮と高揚に堪らずその声色を荒げさせて、より強く激しく、僕の顔面を先輩の股座に押しつけながら。ライザーは楽しくて、そして愉しくて仕方がないとでも言わんばかりに、僕の頭上から言葉を降らす。


「よかったなあ?おい。喜べ、喜べよ裏切り者の後輩。お前みたいな救いようのない(クズ)の顔面で、お前が先輩と呼ぶその(おんな)は気持ち良くなってやがる。揃いも揃って、全くもって、救い難い!」


「むん、ぐっ……!」


 止めろ、と。僕は叫びたかった。けれど、ライザーがそうはさせないとばかりに、僕の顔面を力強く押し出し、押しつけ続け。


 結果、僕の口から漏れるのは何の意味を成さない、くぐもった呻き声だけで。


 ──苦し、い……っ!


 時間にして、それは一分弱だったのだろうか。それとも、たかが数十秒の事だったのか。


 (いず)れにせよ、先輩の股座に顔面を押しつけられている最中、そうして何とか声を絞り出し叫ぼうとしていた僕は。


 当然、肺に取り込んでいた空気の大半を吐き出した訳で。僕の肺が、僕の身体が新鮮な空気を取り込ませてくれと訴え出す。


 このままでは窒息してしまうと、僕の頭の中でけたたましく警鐘を鳴らす。


 今すぐに、今すぐにでも先輩の股座から少しでも離れて、空気を吸わなければ。けれど、ライザーがそれを許す訳がない。


「ほら、もっとだ。もっと()くしてやれよ。お前の先輩なんだろそうなんだろぉ?だったらここは後輩として、もっともっと、もぉっと(よろこ)ばせなきゃなぁ?ハハッ!」


 身勝手極まりなくそう言って、ライザーはさらにまた僕の後頭部を前へ押し出した。


 僕の顔面が、鼻と口の全てが先輩の股座で塞がれる。一分(いちぶ)の隙すら埋め尽くされ、完全に密閉されてしまう。


 息ができない。肺に空気を送り込めない────そんな状況の最中、数秒もしない内に。


 僕の意識は、次第に朦朧と始めてしまって。


 ──もう、だめ……だ…………っ。


 いよいよ窒息間近となった、その時。僕の朦朧とする意識とは無関係に、そうしたところで無意味だというのに。


 死の危険に晒された僕の身体は、そこにあるはずもない空気を求めて。




 猶予として残された僅かばかりの体力の全てを振り絞り、思い切り────先輩の股座に、吸いついた。




「っふ、ぅあぁぁぁ……ッ」


 瞬間、未だその気を失っているはずの先輩が、そんなあられもない艶やかな嬌声をその口から散らして。それとほぼ同時に、先輩の腰がビクンと跳ねる。


 その勢いで、密着していた僕の鼻と口が僅かに離れた。


「ぷはッ……!!」


 ここぞとばかりに、ほんの少しばかりの湿った空気を吸い込む。何処か背徳的で、そして甘美な匂いを孕んだその空気を肺へ余すことなく送り込む。


 しかし、僕の意識はまだ朦朧としていて。手足に上手く力を込められない。そんな状態の僕を、ライザーは。


「よくやったじゃねえか。お前みたいな童貞でも、憧れの紛い物(せんぱい)を立派に啼かせる事ができて……よおッ!」


 ドンッ──一切躊躇する事なく、遠慮容赦なく床に引き倒し、叩きつけた。


「がはッ……!」


 背中を衝撃が隈なく叩いて、堪らず僕は肺に取り込めたなけなしの空気を、無様にもまた宙へと吐き出してしまう。


 だが先程とは違って、すぐさま新たな、それも大量の空気を吸い込む。


 充分な空気を肺に取り込めた。意識も徐々に冴え渡り、視界も鮮明になっていった。


 ……けれど、床に投げ出した手足に力が入らなかった。動かせなかった。


 もう……動かしたく、なかった。


 ──……一体、僕は何をしているんだろうな。


 みっともなく、情けなく。無様に乱れた荒い呼吸を、小さく何度も繰り返して。窒息しかけた事で、妙な程に冷静になった思考で僕は、呆然と訊ねる。


 だがそれは誰に向けたものでもない。自分にすら、向けたものではない。


「さてさぁて。もうこれで十分だろ。だから、立てよ。いつまでも床に寝っ転んでないで、とっとと立てよォッ!」


 ライザーが叫ぶ。だが、それを煩いと不快に思う事はなく────僕はただ、これまでの事を振り返っていた。


 自分が何をしているのか。自分は何がしたかったのか。ただそれだけを、確認する為に。


 その泣き顔を見た瞬間、どうしようもなくなった。その背中が鉄扉の奥に消え去るのを見届けた瞬間、いても立ってもいられなくなった。


 だから、一目散に駆けつけた。形振り構わず、必死になった。


 立ち塞がる障害の全てを、振り払って。捩じ伏せて。打ちのめして。


 そして、そうまでして────




 ──間に合わなかった。




 この現実が身に染みる。その事実が身を侵す。ゆっくりと、ゆっくりと蝕まれていく。


「……おい。おいおいおい、おい。ふざけんなよ。ふざけんなふざけんなふざけるな。何だ、その顔は。何だその目は。止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ……この後に及んでお前、その顔と目で俺を見るんじゃあねえよ」


 限度知らずに加速し続ける喪失感と虚無感と敗北感に取り囲まれる最中、僕の意識から遠くの方でそんな声が聞こえる。


 しかし、今になってはもう、どうでもいい。


 全部が全部、何もかもが。もはや、どうだっていい。


「…………ハッ。ここまで、お膳立てしたってのに」


 そこに込められていたのは、落胆か、失望か。それとも諦観か。或いは、それら全部か。


 何処か曇って淀んでいる視界の中で、投げやりにそう吐き捨てながら、ライザーは腰から下げている剣の柄を握り、そして手慣れた動作でそれを鞘から引き抜いた。


「死ね。死ねよ。……もう、どうでもいい。だから死んでくれよ、クラハ」


 そう、言い終えるや否や。ライザーは感情が一切消え失せた表情で、振り上げたその剣を────躊躇う事なく、振り下ろした。


 部屋の明かりに照らされ、冷たく輝く刃を見上げながら。それを綺麗だなと、僕は他人事のような感想を抱く。


 その綺麗な冷たい刃が、数秒後には己の首に滑り込むというのに。あと数秒という僅かな猶予が過ぎれば、死ぬというのに。


 振り下ろされる刃が首へと到達する、その直前。ふと、僕は思った。


 ──僕は、こんな事の為に……?











「……う。違う……違う、違う違う違う」


 首めがけて振り下ろされた剣を、その刃を握り締めて。腹の底から、心の奥底から込み上げてくるものに任せて、僕は叫ぶ。


「僕は……僕はこんな事の為に強くなった訳じゃないッ!」


 バキンッ──叫んで、握り締めていたその剣を、そのまま握り砕く。砕けた剣の破片が、僕の血と共に胸に降り注ぐ。


 荒ぶり昂る感情のままに叫んだ僕を見下ろしていたライザーが、瞬間────浮かべていたその無表情から、歓喜と狂気が滅茶苦茶に入り乱れた笑みに一変させた。

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― 新着の感想 ―
Xの方から伺わせていただきました! こちらからも読ませていただきましたが、ここまでの印象として、とことん白糖黒鍵さんの書きたいものを詰め込んだ作品だと思います! 初っ端から独自の用語、設定、急展開で…
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