進み、廻り、巡る
黒き獣。神を喰らう其の獣。
彼の獣の威容、偉様。それは影であり、夜であり、闇であり。何処までも暗く、何処までも昏く。
陽を翳す天蓋、果たして。影か。夜か。闇か。その何も正しく、その何も誤り。
大熊のように逞しく。雌豹のように麗しく。そして、獅子のように厳かで在り。
その頭に戴くは。天を突く角と、天を刺す角。そして角より生る、七の冠。
円環纏て逆立つは十の尾。世界を業と睥睨す竜の瞳。
全てを以て総てを記す。戒め因り今示す。此れ即ち黒き獣。神を喰らう其の獣。
祖の獣の名こそは──────────
「『黒黙示録』ですか」
謂うなれば、そこは聖堂だった。否、正しく解するのであれば、聖堂を模倣したかのような、玉座の間だった。
四方を囲む純白の壁。ステンドグラスが嵌め込まれた窓。そして祭壇であるべき場所に、些か巨大過ぎるであろう玉座────故に、玉座の間。
「当たり。流石はアエリオ君、抹消された外典も、ちゃんと履修済みとはね。うんうん、こっちも鼻が高いよ」
その玉座の巨大さに劣らないほどの、美麗なステンドグラスを背に。そこに座る一人の者は楽しげに、そして愉しげに言う。
随分と凝った意匠が施された、祭服。見た目からしてだいぶ重そうなそれを着る、彼の者は────奇異で、そして特異であった。
凡そ常人とは、否最早浮世離れした雰囲気を発し、漂わせ、纏いつつ。首筋を仄かに隠す程度にまで伸ばされた真白の髪を、陽射しで照らし、輝かせながら。
「まあ別に、特には関係ないの事だけれどね。『黒黙示録』と今する話は。そう、赤裸々に語ってしまうと、ただの前準備みたいなものなのさ。こっちもぶっつけ本番というのは、できれば遠慮したいからね」
一見して男のように見えれば、女のようにも見えるその貌を、悪戯に弛ませ、歪ませ。そうして身も蓋もなく、へったくれもない白状をかますのだった。
「そうですか」
そんな言葉を面と向かって放たれた、鉄とよく似た鈍い銀色の髪の青年は、然程気にしていない────というよりは、慣れた────という訳でもなく、もはや諦めてしまったかのような。そんな態度で以て、そう言葉を返した。
少年か少女か。青年か淑女か。年若くも見えれば、年老いているようにも見える玉座の者は。やはりこの世ならざる存在としか思えない雰囲気のままに、言葉を紡ぐ。
「パパっと色々考えたものの、やっぱり単刀直入が一番だねパパっと色々。という訳でアエリオ君、近々無数にある内一つの荒野が吹き飛ぶ。ああっとこれは予言とかではないよ」
「そうですか」
荒野が吹き飛ぶ────それは些か、否だいぶ。突拍子もなく、まるで現実味を怯えていない、絵空事の言葉。
だがしかし、玉座の者が言うと────何故か、これといった根拠などないというのに、到底無視できない説得力がある。必ずそうなるのだという、運命の一言に聞こえてならない。
そしてそれは青年────アエリオ=ルオットにとっては別に初めてという訳でもないらしい。
故にだからこその、実に淡白な反応。無論玉座の者にとっても、別に初めてという訳ではない。
「うん。だから君には見届けてほしいんだ。次いでにね。折角だしね」
「わかりました」
「ありがとう。話はこれで終わり。もう下がっていいよ」
「御意。全ては御心の為に」
そうして二人の会話は、まるでこうなると元より定められていたかのように、何の支障もなく終わり。深紅の絨毯に跪いていたアエリオは立ち上がり、踵を返して背を向け。そのままゆっくりと、その場から歩き出す。
「……あぁ、アエリオ君。一つ訊くけども」
遠去かるアエリオの背中を眺めていた玉座の者は、徐に口を開き、彼を呼び止める。
「今日、君は日常通りなのかな?」
と、訊ねた玉座の者に対して。立ち止まり、振り返ったアエリオは数秒の沈黙を挟んでから。
「はい」
そう、彼は短く答えるのだった。
「うん、わかった。ならきっと、そういう事かな」
「……では、失礼します」
何やら意味深な発言に、しかし気にかける様子を見せる事なく、そう言って、再び歩き出すアエリオ。玉座の者も今度は止めようとはせず、彼がこの玉座の間から去るのを見届けて。
「さて」
そうして、改めて玉座の者はそちらの方へと顔を向け。
「君は一体誰だい?」
そして、訊ねた。
玉座の間に数秒の静寂が流れ────
「あれー?おかしい、おっかしいなあ?そっちの認識、こっちと合う筈なんかないんだけど」
────玉座の者とアエリオの会話を側から聞き、玉座の者と同じように、ここから立ち去る彼の背中を見届けた栗色の髪と瞳を持つ少女は数秒、玉座の者と見つめ合った後。唐突にその口を開かせ、不思議そうに言うのだった。
「その明らかに普通じゃない雰囲気といい、存在といい……やっぱりそっか。そうなんだ。敵って事かぁ」
続けてそう言って、勝手に納得した様子で呟く少女。そんな彼女に対して、玉座の者が言う。
「うん。まあ、そうなんだろうね。こっちとそっち、お互い敵同士という認識でいいんじゃないかな。一先ず、今の所はね。……で、肝心の質問には答えてくれないのかな?」
「……まあ、別にいっか。第一、敵と敵がこうして邂逅したんだから、名乗りの一つくらいは済ませるのが礼儀だろうし」
と、言ってから。少女は目と口を閉じ、玉座の者と正面から向かい合い。
「一在は断罪。一在は討滅。一在は観測」
そうして先ずは口を開いてそう言って────
「全在はゼロの神使」
────閉ざしたその瞳を確と見開かせて、はっきりとそう口にするのだった。
「……ゼロの神使」
「そそ。てな訳で、私はそろそろ御暇させてもらうよー」
と、言い終えるや否や。少女はぷらぷらと軽く手を振る。
「なるほど」
そうして独りとなった玉座の間の天井を仰ぎ見ながら、玉座の者は静かに呟く。
「実に何とも、本当に……報われない」
そして背後に佇む、黒い鎧を見やるのだった。
斯くして運命の物語は進み、廻り、巡る。




