RESTART(その十一)
「その先は地獄だ」
不意に、僕の背後からそんな言葉をかけられた。その声は何処かで聴いたことがあると、何故か僕はそう思った。
思いはしたが、その言葉を無視して。歩みを止めず、僕は先に進む。
「引き返すことはできない。進んだが最後、もう戻れない。それくらい、自分でもわかっているはずだ」
再度その声に言われて、僕はその場に立ち止まる。そうして、改めて見据える。視線の先を────目の前に広がる、あの眩く輝く光を。
「それでも進むのか。そうだとしても、進むつもりなのか」
それがこちらの身を案じての言葉ではなく、確認の為の言葉であることには気づいていた。少し遅れて、僕は先の光を見つめながらに口を開く。
「泣いているんです」
間を空け、そうして僕は続ける。
「あの人が泣いているから」
そこまで言って、僕はようやっと背後を振り返る────そこに立っていたのは、騎士だった。
影よりも濃く、闇よりも昏い、漆黒の全身鎧にその身を包んだ、一人の騎士。無論顔など見えるはずもなく、しかし先程の声からして、男だということは辛うじてわかる。
騎士────その黒騎士の、獣を模った鎧兜と見合いながら、僕ははっきりと告げる。
「だから僕は行くんです」
僕の言葉に対して、黒騎士が返事をすることはなかった。そうして数秒、僕と彼の間で沈黙による静寂が流れた後。徐に僕は彼に背を向け、再び歩き出す。
黒騎士はもう何も言わなかった。僕ももう立ち止まる気はなかった。
──捨てよ。棄てよ──
またしても唐突に、しかし今度ばかりは一度たりとも聴いたことがない、不思議で。そして不気味な程に澄んだ、綺麗な音色が。
──此の先に待つは不変の結末である──
僕の頭の中で響いて、反響して、残響する。
──此の先に在る果ては絶対の運命である──
歌のように。唄のように。詩のように。謳のように。相も変わらず、綺麗に澄んだ音色で。
──希望を捨てよ。願望を棄てよ。其命全てを捨てよ。其命総てを棄てよ──
理解した。漠然と朧げにではあるが、自分が一体どうなるのか、わかった。どんな結末が待ち受けているのか、わかった。
──故に汝破滅を齎せ。黒き獣に還りて紛う神を失せ──
その全てを理解し、受け入れた上で、それでも僕は光に足を踏み入れ────
「最後に言っておく。お前は決して、報われない」
────その言葉を最後に、僕の視界は光に覆われ、光が埋め尽くした。
「……終わった」
今し方まで教会だった木材や石材の破片やら欠片やら何やらが四方八方、死屍累々かの如く散らばって転がっている最中。その中心地で、巨大な木片と瓦礫の山を見つめながら、ラグナが静かにそう呟いた瞬間。ラグナの髪から光が散って、それは宙に舞い上がり、淡くそして儚く、霧散し消失していく。その傍らで、ラグナの髪は元の色へと戻っていく。
その最中、徐にラグナはその場から歩き出し。そうして数分を費やし、そこに────クラハの元に、ラグナは辿り着く。
「クラハ、終わったぞ」
と、何処までも優しげな声音で穏やかに言葉をかけながら、ラグナはその場に腰を下ろす。そして、クラハのことを抱き上げる。
「終わったんだぞ。なあ、クラハ……」
クラハの身体は重かった。そして、冷たかった。その重みと冷たさを如実に感じ取り、受け取りながら。ラグナは優しげなまま、穏やかなままに、己の膝にクラハを寝かせる。
そうしてラグナは、髪と同様に元に戻ったその瞳から、静かに涙を流すのだった。
「……終わったんだ。終わった、んだ……」
ぽたぽた、と。すっかり血の気が失せてしまった、真っ白なクラハの顔をラグナの涙が打つ。その静かな音を聴きながら、ラグナは震えて止まらない、弱々しい声で。やっとの思いで、言葉を吐き出していく。
「守、れなかっ、た。俺、また、守れなかった……」
と、一言一句を口に出す度に、ラグナの涙の勢いが増し。その泣き顔もまた、痛々しく崩れて滅茶苦茶になっていく。
「守るって、お前だけは……あの時、に……俺、は……っ」
クラハの顔を涙で濡らす傍らで、ラグナの脳裏に過ぎるその光景。
崩壊して炎上する建物。未だに炎に巻かれて焦がされていく無数の人々。
そして今や物言わぬ死骸と化した竜種の前で、一人の少年を抱き締める、まだ十代半ばの少年。
「……結局、変わって、ねえじゃねえ、か。俺は何も変わってねえ……俺はずっと弱い、まんまで……!」
その光景を、鮮明に、克明に思い出しながら。とうとう堪え切れなくなったラグナが声を上げて泣く────
「まぁあだああぁあああぁああッ!!!!!まだッ!まだ、まだまだまだまだまだッ!!まだ!!!終わってないッ!!!終わってなァァァイイイッッッ!!!!!」
────その寸前で、木片と瓦礫の山が吹き飛び。凶々しく禍々しい紫闇の光柱が突き立ち。そして悍ましい執着心が透けて見える、その声がラグナの鼓膜を不快に震わせた。
「フハ、フハハ……ッ、よくも神核を砕いてくれたなぁ……完全に、完璧に、完膚なきまでにィッ!ハ、ハッ……魂が崩れていく、壊れていく……崩壊が止められない、止まらない。おお、おおぉおぉおおおぉぉぉぉ……だが、許せるッ!!」
などと、叫び散らし、喚き散らしながら。紫闇の粒子を放ち、或いは纏いながら────先程討ち滅ぼされたはずのエンディニグル・ネガは光柱の最中から現れ、身を乗り出す。
「感謝するぞ、ラグナ=アルティ=ブレイズ……貴様のおかげで思い出した。復讐に囚われるあまり、甘美なる復讐を求めたばかりに、我は……我は忘れていたぞ」
と、言い終えた瞬間。エンディニグル・ネガが俯かせていたその顔を思い切り振り上げる────そこにあったのは、狂気だった。見る者触れる者全員を悉く侵して冒す、人ならざる人外の狂気がそこにあり。ただひたすらに、広がって。伸びて、膨れて、張って、増えて。
「そうだ。そうだった……そうだったよぉおッ!!ラグナ=アルティ=ブレイズッ!我は、貴様を殺したかったんだァアアアアアッ!!!」
血走り今にでも弾け飛びそうになっている左目と、今や瞳孔だけでなく眼球全体が黒く染まって、黒紫色の血が駆け巡っている右目で、一切瞬きもせずに、クラハを抱えるラグナのことを睨めつけそう叫ぶと。エンディニグル・ネガは両腕を左右に仰々しく広げ、振り上げる。
するとエンディニグル・ネガの背後で天に向かって突き立っていた紫闇の光柱に、一筋の亀裂が走り。それは瞬く間に全体に広がって。直後、硝子のように砕け散って、宙に飛ぶ。
粒子の全てがエンディニグル・ネガの前方へと集中し────ラグナが気づいた時にはもう既に、そこにはあまりにも巨大な紫闇の光球が浮かんでいたのだった。
「ッハッハッハッハ!ハッハッハッハ!ハハハハッ!貴様の所為だラグナ=アルティ=ブレイズ。そう、全てが全て、ラグナ=アルティ=ブレイズの所為なのだッ!!」
言いながら、エンディニグル・ネガは徐々に広げた両腕を狭め、右手と左手をじりじりと近づけていく。それと同時に、光球が縮んでいく。エンディニグル・ネガの両腕が狭まる程に、両手が近づく程に。光球は縮み、ただでさえ強過ぎるその輝きが、更に増していく。
「その男が死んだのも!他の人間が死ぬのも!この街が消えるのも!この我が滅ぶのも!全て全て全て全て全て全て全て全て全て全て……全て!全て!!全て!!!ラグナ=アルティ=ブレイズの所為だァアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」
そうしてエンディニグル・ネガの右手と左手が触れるかないかまでに近づき。あれ程までに巨大だった紫闇の光球は縮みに縮んで、極限の収縮を果たし。今や、破滅的な輝きを周囲に放つ硝子玉のようになった時。
「…………」
依然としてクラハのことを抱き抱えたまま、ラグナは笑んだ。それは何もかもを諦めた、失意と絶望の笑みだった。
──結局、何もできなかった。何もできてなかった。昔も今も、俺は本当に……。
相変わらず馬鹿みたいな嗤い声を、馬鹿みたいに高らかに上げているエンディニグル・ネガから顔を逸らし、ラグナは膝上のクラハに顔を向ける。
──……ごめん。GM、メルネ、ロックス、皆……。
そしてゆっくりと、ラグナは瞳を閉じた。
「ごめん、クラハ」
と、ラグナは呟き、クラハのことを力の限り抱き締め。それを他所にエンディニグル・ネガが狂喜の叫びをその口から迸らせる。
「さあ!!終わりだッ!我こそが終焉……『魔焉崩神』エンディニグルだアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」
そうしてエンディニグル・ネガは両手を叩き合わせ。瞬間、紫闇の硝子玉は一際強く輝いたかと思うと、凄まじい勢いで一気に膨れ上がり、そのまま炸裂して。紫闇の極光がラグナとクラハを、この街を、ここに在る全てを呑み込む──────────
「……先程の我が魔力の爆発は我自身を巻き込んで、ここに在る全てを吹き飛ばし、消し去る威力だった。そのはずだ。そのはずだった……そうだった、はずだ」
口を開くことも、ほんの僅かな呻き声や微かな吐息を漏らすことすらも、思わず憚られてしまう静寂の只中にて。
少し遅れて、未だ無事に存在してしまっているエンディニグル・ネガが呆然としながらもそう呟く。
「何が起こった?いや、何をした?否────何故生きているッ!?」
と、抑え難い動揺と混乱が明け透けな声音で、大いにみっともなく取り乱した叫びを上げながら、背後を振り返ったエンディニグル・ネガ。
その視線の先には────
「……」
────ラグナのことを片腕で抱き上げている、クラハが立っていたのだった。




