どう思ってんだ?
修正しました。
「クラハ。お前、俺の事……どう思ってんだ?」
その先輩の声は、静かなものだった。
不安げながらも、意を決したような、覚悟を決めたかのような────そんな声だった。
「どうって……先輩、それはどういう……」
何故先輩の声音がそうも真剣味に溢れているのか、どうして先輩はそんな、まるで思い詰めた様子になっているのか────それがわからず、先輩に問われたにも関わらず。
僕はそんな風に狼狽えてしまって、気がつけばそう問い返してしまっていた。
だが、この時僕が狼狽えていなくとも、その先輩の問いには答えられなかっただろう。何せ先輩の問いは曖昧なもので、如何様にでもこちらで解釈できてしまう。
故に、安易に僕は答える訳にはいかなかった。
そう訊き返した後で、情けなくも僕は少し後悔してしまう。これでもし先輩が機嫌を損ねてしまったらどうしよう、と。まるで親に叱られる子供のような気持ちになって、それを心の中で恐れてしまう。
だが、そんな僕の小っぽけな恐れは否定される。先輩は特に機嫌を崩すことなく、また静かにその声をリビングに響かせた。
「そのまんまの意味だ。今の俺を、お前はどういう風に思ってんのか……どう見えてんのかを、知りたい」
プチ──と、その時。先輩が言い終えるのとほぼ同時に、まるで衣服のボタンを外すような、そんな音がした。
──……何だ?空耳か……?
本当にしたかどうかもわからない程に小さい、不審な謎の音。それに思わず意識を引かれながらも、僕は先輩の問いの意味を理解し、思わず安堵してしまう。
そして深く考える事もなく、まるで当たり前の事実を突きつけるかのように────
「ああ、なるほど。そういうことでしたか。そんなの考えるまでもありませんよ、僕にとって先輩は先輩です。誰よりも尊敬すべき、僕の大切な恩人なんです」
────と、僕は平然と答えてみせた。
僕の言葉がリビングに響き渡る。僕の答えを聞いた先輩は────何も、返さない。
──……?
今一度、静寂がこの場に返り咲く。しかも今度の場合は何故か重たい圧迫感を伴って。
が、それも束の間────長い沈黙を挟んでから、ようやっと先輩がその口を開かせる。
「……へえ。クラハ、お前そう思ってんだ。……今でも、そう思ってんだな」
先輩の声音は僅かに、だが明らかに────荒んでいた。
そうしてまるで吐き捨てるように、先輩がそう言った瞬間。
プチ──今度は間違いなく、衣服のボタンを外す微かな音が僕の耳に届いた。
「せ、先ぱ「クラハ」
先程までの様子がまるで嘘だったように、先輩が僕の言葉を強く遮る。
その声音はあくまでも静かなものであったが────明確な怒気を孕んでいると、僕には感じ取ることができた。
──あ、拙い。これは、拙い……。
瞬間、他人事のように僕は思う。自分が取り返しのつかない事をしでかしてしまったのだと、呆然と悟る。
そう、例えるなら────強大に過ぎる竜種の逆鱗に触れてしまった、どころか。その上で爪で引っ掻いてしまったような、そんな感じに。
今し方確かに聴き取れた衣服のボタンを外す音の事など、瞬く間に忘れ、僕は全身から嫌な汗を噴き出させる。心が恐怖と怯えに支配され、無意識にも呼吸を荒くさせてしまう。
そんな心理状態を如実に示すように、鼓動を劇的に早める心臓を堪らず煩わしく思う僕に。依然として夜闇にその姿を沈めたままでいる先輩は静かに、そして冷たく言い放つ。
「目、閉じてろ」
「え?」
先輩の要求は、唐突だった。何故、この状況下で目を閉じなければならないのか。それとも目を閉じると同時に自分は歯を食い縛ればいいのか────そう思い、僕は困惑の声を漏らしてしまう。
そんな僕の態度に、チッとその苛立ちを表すように先輩が舌打ちをする。それから先輩は乱暴に言葉を吐き捨てた。
「いいからとにかく閉じてろこの馬鹿ッ!」
「は、はいすみませんっ!」
先輩に怒鳴られ、僕は悲鳴のような情けない謝罪を入れながら、為す術もなく言われた通りに固く目を閉じた。
──な、何だ!?先輩は僕に一体何をするつもりなんだ!?
そう心の中でみっともなく、恐らくこれから訪れるだろう先輩の折檻に対して、僕は身構える。そんな僕に先輩が言う。
「俺が開けろって言うまで、目ぇ開けんなよ。絶対だからな?いいな?」
「りょ、了解です僕は絶対に目を開けません……!」
そんな問答を終え、そして遂に。その場から先輩が動いた。ゆっくりと、僕の方に足音が近づいて来る。その度に、僕の緊張が増していく。
とうとう、その足音が僕のすぐ目の前にまで近づいて────不意に、止んだ。先輩がその歩みを止めたのだ。
「……クラハ、お前言ったよな。俺の事、先輩だって思ってるって。尊敬できる、先輩だって……まだ思ってるんだよな?」
唐突に、僕の言葉の真偽を確かめるように、先輩が僕に確認する。
……何故だか、一瞬その声音が堪らなく不安で怯えている、幼い子供のように聞こえた。
だが今の僕にそれを深く考え込む余裕も予断もなく、焦燥に揉まれながら咄嗟に、先輩の確認に対して肯定の意を示す。
「は、はい。僕の言葉に嘘偽りなんてこれっぽっちもありません」
「…………」
僕の返事に、先輩はすぐに言葉を返す事はなかった。また長い沈黙を挟んで、そしてようやく。
「わかった」
パサ──そう返すと同時に、軽い何かがリビングの床に落ちる音がした。
──……え、何か、落ちて……?
そう僕が思った束の間────突然、僕の膝の上に何かが乗った。重さは然程ない、何かが。
「ッ……!?」
だがその何かは温かかった。その何かは柔らかかった。
じんわりと、その何処か心地良い熱と感触が僕の膝に伝わる。視界を封じているせいか、いつにも増して敏感に。
そしてすぐさま────今度は僕の両頬が温かみと柔らかさを伴う別の何かに包み込まれてしまった。
「はっ?え……ッ?!」
堪え切れず、僕はみっともなく素っ頓狂な声を上げてしまう。そして咄嗟に顔を動かそうとしたが、その包み込んだ何かがそれを許さない。
「クラハ」
果てしなく動揺し混乱する最中、その口を閉ざしていた先輩がようやっとまた開き、静かに僕の名を呼ぶ。
「もう目、開けてもいいぞ」
と、言われて。その通り、僕は閉じていた目を恐る恐る開かせて────直後、驚愕に思わず見開かせてしまった。
「ん、なッ……」
何故ならば。僕のすぐ眼前に────先輩の顔があったから。




