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ストーリー・フェイト  作者: 白糖黒鍵
RESTART──先輩と後輩──

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115/265

残響と羅列、そして(後編)

修正しました。

『止めてくださいよ、僕を()()()()使()()()()


 そう、それも事実。歴とした、確かな事実。紛れもない、何の間違いもない事実。


「っ、ぁ」


 今言っていなくとも。今、それが幻聴であったとしても。


『止めてくださいよ、僕を()()()()使()()()()


 あの日、あの夜、あの時に。クラハがラグナにそう言った。その事実は────その現実は変わらない。


「ぁ、ぁぁ」


 たとえ今は言っていないとしても。たとえ今は幻聴だとしても────────それは絶対に、変わらない。


「ぁぁぁぁ……」


 それは決して変えようがない事実だ。それは決して覆せはしない現実だ。その事を今ここで、改めて。ラグナは知った。確と思い知らされ、心の深い奥底にその事実と現実を。


 これでもかと、徹底的に、容赦なく、無遠慮に。刻み、刻まれた。


 ──あぁぁぁぁ…………っ!


 気づき、直面し、自覚してしまえば。後はもう、落ちるだけ。落ちて落ちて、何処までも落ちていって。


 そして最後に、陥るだけ。


 途方もない罪の意識。止まらず加速する後悔。その二つが生む負の大渦に、ラグナは為す術もなく、抵抗する事も許されずに。あっという間に呆気なく、いとも容易く呑み込まれる。


 未だに今も苦しみ、ひたすら苦しみ、ただただ苦しみ。苦しみ苦しみ苦しみ続け事しかできないでいるクラハの姿を。その見るに堪えない、悲痛悲惨この上ない姿を。余さず残さず、在りのままに映すラグナの視界が、徐々に。


 徐々に徐々に少しずつ、暗くなっていく。暗く、そして昏く。


 ──……嫌、だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ……。


 それに比例して。ラグナの精神が苛まれる。ラグナの心意が蝕まれる。その意気を犯され、意志さえも穢される。


 ──嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!


 あれ程までに奮い立たせた決意は、今折られた。その胸中に抱いた覚悟は、今奪われた。


 今や、そこにいるラグナはもう────────無力でちっぽけな一人の少女(ラグナ)でしかなくなっていた。


 ──嫌だ、嫌だ……嫌だっ、嫌だ嫌だ嫌だ、もう嫌だっ!!


 周囲全て、己を取り囲むもの全部が。影に覆われ闇に包まれる最中。ラグナはその深紅の瞳を潤ませ、端に大粒の雫を浮かばせながら。


 小さな身体を惨めに震わせ、自らを覆わんとする影を拒絶し、自らを包まんとする闇に嫌悪した。


 そしてラグナはその末に、その果てに────────




 ──怖い…………っ。




 ────────恐怖した。


 拒絶が嫌悪を引き起こし、そして嫌悪は恐怖を駆り立てる。


 足の爪先(つまさき)から迸った怖気が背筋を一気に駆け抜け、脳天を突き抜けて。ラグナは身体を怯え縮こませ、硬直に固めていく。


 動けとあれ程切実に訴え、あらん限りの力を込めたはずの足は、もう竦んでしまって。たったの一歩を踏み出すどころか、振り上げる事すら叶わない。


 ──怖い、怖い……!


 ラグナの中で恐怖が広がる。底なしの恐怖が、際限なく。それに相対したラグナは(ろく)に抗えもせず、ただ女々しく己が両腕で、己が身体を抱き締める事しかできない。


 ──怖い怖い怖い怖いっ!!


 そして広がり続けるその恐怖は、次第にラグナを支配する。


 ──誰、か……誰でも、いいから……っ。


 影が覆い、闇が包み。拒絶と嫌悪と、そして恐怖が渦巻くその最中で。ラグナは、ただ。


 ──助けて。俺を、助けて……!


 自らに救いの手が差し伸べられるのを、切に求めた。











 そもそも、資格がどうこうの話ではなかったのだ。どうにかするだとか、どうしてやれるだとか────それ以前の問題だったのだ。


 たとえ資格があっても。たとえ、ラグナに誰かを助ける資格が今あったとしても。


 ()()()()()()()()()()()()()()()。到底、絶対の絶対に。


 何故ならば、その当人たるラグナこそ。他の誰よりも強く、他の誰かに。今、切に助けを求めてしまっているのだから。今、切に救いを欲しているのだから。


 ──助けて。助けて、助けて助けて助けて……。


 故に資格がどうこうの話ではなく。故にそれ以前の問題だった。


 一歩も踏み出せず、全く動けずに。ただ恐怖に怯え、惨めに弱々しく震えながら。顔を俯かせたまま、その場に立ち尽くすことしかできないでいるラグナ。




「今の先輩が僕の為に、一体何ができるっていうんですか。……僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが」




 そんな時、不意に。その声がラグナのすぐ耳元でした。


「ひっ……」


 瞬間、肩を跳ねさせ、僅かに薄く開いた唇の隙間から引き攣った悲鳴を小さく漏らすと。ラグナは咄嗟に俯かせていたその顔を、声がした方へ向ける。


 だが、そこにあったのは影よりも濃く闇より深いだけの、漆黒の虚空。


 当然、先程の声の主の姿など、どこにも見当たらない。


 だのに────


「止めてくださいよ。僕を()()()に使うのは」


 ────またしても、その声がラグナの耳元で聞こえてくる。ラグナの耳朶を打ち、ラグナの鼓膜を震わせる。


「何、で、どう、して……?何でどうしてっ!?」


 戸惑い、困惑するしかないでいるラグナを置き去りに。依然としてその声が────クラハの言葉がラグナの事を取り囲むようにして、響き続ける。


「つまり……()()()()()()()()()()()()()()()()()と、先輩は言いたいんですか……?」


「だってそうじゃないですか。先輩は僕の為にここに乗り込んだ。そして酷い目に遭わされた」


「何が違うんですか。何も、違わないじゃないですか」


「遠回しに僕の所為だと、お前が原因で自分は酷い目に遭ったんだって」


 響き続けて、止まらない。クラハの声が、クラハの言葉は。何度も何度も、ずっと。ラグナのすぐ耳元で、止まらず繰り返されて。


「や、止めろ……っ!」


 遠慮容赦なく、止め処なく。ラグナを痛めつけ、嬲る。


 叩き、打ち、突き、圧し、潰し、締め、折り、斬り、刻み、刺し、抉り、剥ぎ、削ぎ、穿ち、貫き────────ありとあらゆる、無数の形の痛みで以て。ラグナを追い込んで、追い詰める。


「止め、ろ……っ!」


 追い込み、追い詰め。追い込みに追い込んで、追い詰めに追い詰める。


「止めろ、止めろっ……止、め……もう、止め……て……!」


 追い込み追い込み追い込み追い込み追い込み。追い詰め追い詰め追い詰め追い詰め追い詰め。ラグナが限界を迎えたとしても、責苦を与えるその手を緩める事などせず。


「止めて止めて止めて止めて止めて止めて止めて…………っい、ぁ……!!」


 ラグナが幾らそう懇願しても、一切緩めず────




「ぁ、あっ……ぅ、ぁぁ、ぁぁぁああっうあああッ!うぅああああああ…………ッ!!!」




 ────そうしてとうとう、遂に。その末に堪えられなくなったラグナは悲痛な叫び声を上げると、手で耳を塞ぎ。その場にへたり込んでしまった。


「聞きたくねえ聞きたくねえ聞きたくねえ!もう聞きたくねえんだよおっ!!だから、だからぁ……っ」


 と、恥も外聞もかなぐり捨てた泣き言を。ラグナは情けなく惨めに喚き散らしながら、耳を塞ぐ手に力をより、さらに込める。


 そうする事でその声から。こうする事でその言葉から。逃れられる、たった一つの方法と信じ。一生懸命、必死になって縋りながら。


 ……だが、それでも。




「僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが」




 その声は聞こえた。その言葉が届いた。先程と寸分も違わず、何もかも違わず、全く同じように。


「……は……?」


 それは、唯一の信頼を寄せていたなけなしの希望が。無情にも、無惨にも粉々に。木っ端微塵と打ち砕かれた瞬間。影も形も残さず破壊された、決定的瞬間。


 恐怖に彩られた絶望の表情を浮かべて、刹那。ラグナは気がついた────────その声がこちらの耳朶など()()()()()()()()。その言葉がこちらの鼓膜を()()()()()()()()()()()()()()()


「僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが」


 その声は。


「僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが」


 その言葉は。


「僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが」


 今までの、その全ては。











『僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』











 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ぅ、ぁ……ぁ、ぁ……」


 耳を塞いでも無駄であると。耳を塞いだとしても逃げられないと。その事を無理矢理に教えられ、否応になく理解させられたラグナは。


 意味を成さない掠れ声を力なく漏らしながら、ゆっくりと。耳を塞いでいたその手を剥がし、そのまま上の方へやる。


 煌めく紅玉が如きその双眸は今や、零れ落ちそうな程に見開いていて。そこから溢れた透き通った涙が流れ、透明な雫となって、輝きの尾を引きながら滴る。


 そのラグナの様は誰もが胸を痛めるだろうくらいに悲しく、哀しく────そして綺麗で美しい。


『止めてくださいよ。僕を()()()に使うのは』


 絶望し、ただひたすらに絶望し、もはや絶望する他ないラグナの頭の中で。


『遠回しに僕の所為だと、お前が原因で自分は酷い目に遭ったんだって』


 その声が響く。


『だってそうじゃないですか。先輩は僕の為にここに乗り込んだ。そして酷い目に遭わされた』


 その言葉が並ぶ。


『何が違うんですか。何も、違わないじゃないですか』


 声が響き。響き、響き。


『遠回しに僕の所為だと』


 言葉が並び。並び、並び。


『僕を()()()に』


 響き。響き。響き。響き。響き。


『何も、違わない』


 並び。並び。並び。並び。並び。


『僕の知っているラグナ先輩じゃない』


 響き響き響き響き響き────────そして。


『今の()()()なんかが』


 並び並び並び並び並び────────そして。






『僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』






 残響し、羅列し。











『つまり……()()()()()()()()()()()()()()()()()と、先輩は言いたいんですか……?』『だってそうじゃないですか。先輩は僕の為にここに乗り込んだ。そして酷い目に遭わされた……ほら、遠回しに僕の所為だと、お前が原因で自分は酷い目に遭ったんだって、そう言ってるじゃないですか』『止めてくださいよ。僕を()()()に使うのは』『何が違うんですか。何も、違わないじゃないですか。先輩は僕を使って、言い訳をしている。そうとしか、僕は思えないんです』『だから、僕の為だとか……軽々しく言わないでくださいよ』『今の先輩が僕の為に、一体何ができるっていうんですか。……僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』『()()()()()』『止めてくださいよ』『今の先輩が僕の為に』『ほら、遠回しに僕の所為だと』『何が違うんですか』『()()()()()()()()()()()()と』『僕を()()()に』『今の()()()なんかが』『僕の知っている』『そうじゃないですか』『()()()に』『僕の所為だ』『僕の為に』『お前が原因で』『()()()なんかが』『先輩は僕を使って』『今の先輩が』『先輩は僕の為に』『僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』『僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』『僕の知っているラグナ先輩じゃない、今の()()()なんかが』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『ラグナ先輩じゃない』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』『違う』











 そして、埋め尽くした。



















「………………」


 気がつけば、聞こえなくなっていた。気がつけば、消えていた。


 つい先程まで頭の中で響いて、響いて、ただひたすらに残響し続けていたその声も。


 今さっきまで頭の中で並んで、並んで、ただひたすらに羅列し続けていたその言葉も。


 頭の中全て、隅々にまで至り、僅か微かな余地すら一切に残さず。埋めて埋めて埋めて埋め尽くしていた声も言葉も、その何もかもが。まるで跡形もなく、ラグナから失せていた。


 ラグナは解放された。こちらの身も心も、その全てを例外なく平等に。散々と苛み虐げ痛め嬲っていた声と言葉から、ようやっと解放された。とうとう、遂に解放された。


 あれ程までに切願し懇願した、自由と安楽。それを今この瞬間、ラグナは手に入れる事ができた────が。


「…………」


 依然へたり込んだままのラグナの身体が少しばかり、左右に揺れ動き。それから前のめりになったかと思えば、そのまま力なく、静かに。ラグナは倒れた。


 遅かった。もう、遅過ぎた。もはや手遅れだったのだ。


 残響し続けた声はラグナを疲弊させた。羅列し続けた言葉はラグナを消耗させた。


 その二つが、ラグナを憔悴させ切った。


 煌めく紅玉が如き真紅の双眸も、今や失意の底へ沈み。果てしなき絶望に呑まれて。何処までも昏く濁り、穢れた硝子(ガラス)玉と化し。


 活力と意志に満ち溢れていたその表情も、今では消失の虚無に上塗られ、塗り潰されていた。


 倒れてしまったラグナは起き上がる気配を全く見せず、微動だにしないまま。時間だけが過ぎていく。


 過ぎ去るその時間と共に、ラグナの瞼が徐々に閉じられていく。まるで、眠るかのように。


 そしてラグナの瞼が完全に閉じられた、その瞬間。




 ズズズ──倒れたままのラグナの身体が、沈み始めた。




「……」


 それはまるで沼へ沈んでいくような感覚。だが今、ラグナが沈んでいっているのは、闇。一筋の光すら届かない、果てしなき終わりの闇。


 もしこのまま、その闇に沈んだとして。深い深い、この闇に沈み込んでしまったとして。


 その時、自分はどうなるのだろうか。その後、自分はどんな末路を辿る事になるのだろうか────という、きっと誰も彼もが抱くであろう、そんな簡単で単純で当然な疑問。


 そんな疑問ですら、ラグナは抱けない。ラグナは何も考えられない。


 今、ラグナの頭にあるのは真っ白な。色のない、空虚な空白だけ。


 故に踠こうとも、足掻こうともせず。一切の、ほんの些細な抵抗を試みようともしないままに。


 抗わないラグナは為す術もなく、闇へ沈んでいく。深闇へ、ただ引き摺り込まれていく。


 そうしてあと十数秒と過ぎない内にその身が闇に飲み込まれる、その時。


 何を思った訳でもなく、無意識に。ラグナは閉じた瞼を薄らと開ける。


 (ろく)に見えもしない、どろりと淀む狭い視界の最中に。


「………………ぁ」


 その姿だけは、綺麗に。はっきりと確かに、ラグナは映した。

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