『大翼の不死鳥』の新人受付嬢(後編)
修正しました。
「『大翼の不死鳥』の新人受付嬢、ラグナ=アルティ=ブレイズ……か」
と、依然紫煙を吹かせつつ、ポツリとロックスはそう呟く。
今、彼の視線の先に映っているのは────黙々とテーブルを拭いている、ラグナの姿。
嘗て世界最強の一人と謳われたラグナであるが、果たして。一体どれだけの人間が今のラグナを目の当たりにして、その過去を再認識できる事だろう。
恐らくきっと、いない────仮にそう問いかけられたのならば、ロックスは心を鬼にしてそう答える。
……そう答えねばならない程に、今のラグナは昔のラグナとはかけ離れているのだから。
最も大きな違いとしてはその性別。何故そうなってしまったのかというその原因も、肝心の当人がわからず終いで未だ謎に包まれてしまっているのだが。
元々は正真正銘の歴とした大の男だったラグナは、ある日突然少女となってしまった。そして問題はそれだけに留まらず、その強さも失われた。
そう、ラグナはただ少女になったのではなく。嘗ての最強ぶりが全くの嘘だったかのように、ただのか弱い少女となってしまったのだ。
当然ながら、元に戻る術など現時点ではまるで皆無である。
性転換と弱体化────これらの問題が世界に与えた影響は言うまでもなく甚大で、計り知れず。今でも四大陸の各地に波紋が広がり続けている。
そしてそれを特に受けているのが、『世界冒険者』だ。
『世界冒険者組合』────有象無象の冒険者組合が跋扈し、良い意味でも悪い意味でも各々が好き勝手にやっていた、秩序なき混沌たる黎明期の最中に。そんな組合全てを統制統括し、完全管理する為に立ち上げられ。
いつの時代からか四大陸を纏め上げ、この世界の法を定め秩序を築き上げた、今や世界的行政機関となりつつある巨大組織────それが『世界冒険者組合』である。
ラグナ=アルティ=ブレイズを世界最強と認め、彼に特級ランク────《SS》ランクを与えたのも『世界冒険者組合』であり、そしてラグナの他にも世界最強の証たる《SS》ランクを与えられた者は二人いる。
『極剣聖』サクラ=アザミヤと『天魔王』フィーリア=レリウ=クロミアである。
この二人について説明するには、生憎ロックスは詳しい情報を持ち合わせていない。
彼が知っている事といえば、この三人が『極者』という人類の超越者で、総じて『三極』と呼ばれている事。そしてこの世界のありとあらゆる均衡を保っている存在となっているという事くらいだ。
……そう、『三極』の存在によって世界の均衡は穏便に、そして安寧に保たれていた。
しかし現在、その一角が欠けた事により。世界は激動を迎える一歩手前の状態になりつつある。
『三極』という抑止力によって、今の今まで抑えられていた闇の勢力────裏社会に蔓延り、表立っての派手な行動を控えていた無数の犯罪組織。『世界冒険者組合』の目を欺き、やがて訪れるだろう好機を今か今かと待ち望む、その心に底知れぬ悪意を宿す者たち。
そして────『五大厄災』。
とまあ、叩けば叩く程に問題が出てくる。それ程までに、今回ラグナが齎した影響は凄まじいものだった。
──けど、本人はそれを全くと言っていい程に自覚してなかったんだよなあ……。
と、半ば呆れながらロックスは心の中で呟いた。だがまあ、それも無理はないだろう。何故ならばラグナは自分の関心を引くもの以外には、何処までも無関心なのだから。
世界の行末なども、大して興味もないのだろう────と、諦観にも似た奇妙な感情に揺れ動かされつつ、ロックスは受付嬢としての仕事に、直向きに勤しむラグナの姿を眺める。
ロックスが知る限り、『大翼の不死鳥』の受付嬢の制服は評判が良い。それを着て働く女性からも、そんな彼女たちを目の保養として眺める男性からも。
『大翼の不死鳥』のイメージカラーである赤を基調色とした制服は、喫茶店の給仕服を元にしており。当然ながら要所要所に工夫が加えられている。
例えばフリルだが、この制服の設計に関わった一人であるメルネ曰く、不死鳥の羽を意識したものらしい。他にも工夫があるが、その全てをロックスは把握していないし、たとえ把握していたとしても流石に全部を説明したりしない。理由は面倒だからである。
とまあ、そんな制服を着ているラグナであるが。誠に勝手ながら野朗共の代表として、ロックスの率直な感想はこうだ。
──……似合っちゃってんな。うん。
今はともかくとして、一週間前であったら不服かつ不本意であると当人は思うに違いないだろうが、今のラグナは誰もが認める美少女。
その紅蓮の髪を揺らして街を歩けば、誰もがこぞって振り返ってしまうような、大変将来有望な美少女だ。
そんな美少女が着て、似合わない筈がない。ラグナ自身きっと自覚はしていないだろうが、その制服を見事に着こなしている。
……そしてそれが、その現実が。ロックスに複雑な心情を抱かせる。
失望、とは違うかもしれない。悲嘆、にも似ているのかもしれない。憐憫、なのかもしれない。
そのどれでもあるようで、しかしそのどれでもない。上手く言葉にして説明のできない、そんな複雑な心情をだ。
けれど、ただ一つ。一つだけ確かに、ロックスがラグナへ言える事は。
──らしくない。それはお前らしくないんだ、ラグナ……。
生憎、ロックスと現状の、か弱く非力な少女と化したラグナとの付き合いは短い。その日数にして、一週間。たったの一週間しかない。もっと言えば、新人受付嬢となる前のラグナとの付き合いなど数十分もなかった。
だが、それでも。ロックスにはわかった。伝わった。ラグナはラグナだった。何も変わってなどいなかった。
たとえ天上天下唯我独尊、他を一切寄せ付けない絶対的な強さが失われようと。たとえ花も恥じらう、美麗にして可憐な少女になろうとも。
それでも、ラグナはラグナで在ろうとした。
嘗ての全てが消え失せた今、それでもなお己は己であると────ラグナ=アルティ=ブレイズなのだと。
『そうだ。俺はライザー……二年前、『大翼の不死鳥』から抜けた元《S》冒険者のライザー=アシュヴァツグフだ』
……少なくとも、一週間前のあの日までは。
──一体どうしちまったってんだよ……全くよお。
あの日から、ラグナは変わった。変わってしまった。どんな姿形に成り果てようとも、自分は自分のままだという気概だとか、意地だとか。そういったもの全てが、ラグナから跡形もなく消え失せてしまった。すっぽりと抜け落ちた。
そうして、この現状に至る訳だ。
そう、女性の衣服を着て、女性としての仕事に勤しんでいるこの現状。それがロックスには、あまりにも酷く歪なものに思えて仕方がなかった。
ラグナがそうする事に、言いようのない拒否感のようなものを胸中に抱いてしまう。……過去のラグナを間近で見続けてきた、それ故に。
──良いのか?ラグナ、お前はこれで良いのか……?本当にそれで良いってのか、お前らはよ……。
と、ロックスが心の中で深々と呟いたその時。ラグナもまた、テーブルを拭き終えた。そしてどうやら、それで一通りの仕事が片付いたらしい。
こうしてロックスとメルネが遠目から眺めていることに気づく事なく、ラグナは一息ついて────────
ギィ──それとほぼ同時に、『大翼の不死鳥』の扉が静かに開かれた。




