2-3 エドと別れて
前日の昼頃に馬車での行程を終えたふたりは、本日からは街道を離れ、徒歩と川を行く水運を交えた旅となる。転送スポットにたどり着いたら転送というのを繰り返せば、なにをおいても楽で速いものの、今回のようにさほど急ぐ必要のないケースでは、そうそう転送は許可されない。生物の転送時には魔力を多量に使用するので、その素となる魔法元素を、優先度の高いほうへ回すべくストックしておくためだ。
さて、馬車に比べれば歩くのが大変なのは言うまでもないが、リンディには、ようやく落ち着きを取り戻した感がある。というのも、御者をしていたエドがいなくなったことで、二名のダンサーによる協演がなくなったから。はたして、残ったもうひとりのダンサーは、ソロ活動に入るのだろうか? これまでのところないとはいえ、同行者としては、気が気でない。
「もう踊らないの?」
「ええ。しばらくは」
ナユカの答えにリンディはほっとする。
「あ、そうなんだ」
さすがにソロじゃノレないか……エドとは違うもんな……。
「なんか……すっきりしました。今は満足です」
表情がそれを語っている……が、少しひっかかる。
「『今は』? ってことは……もしかして、また踊る?」
「かもしれません……けど……」
「けど?」
「……」
なぜか答えにくそうな新米ダンサー。
「なに?」
「……次は、目立たないように」
「あれ……そうなの? なんで?」
あれだけ目立っておいて……。
「なんでって……恥ずかしいじゃないですか」
「なにをいまさら……」呆れるリンディ。「楽しんでたじゃないの」
「どうかしてました」
素直に認めた。踊らない同行者は納得。
「……あ、やっぱ?」
エドによる「呪い」が解けたってことかな……。靴はそのままだったけど。
「どうして、あんなこと……」元ダンサーは視線を下に落として、額に手を当てる。「思い出すと……ちょっと……」
「ふーん……」リンディは少し間を空ける。正直、エドと踊っているときのナユカは、なんだか別人のように感じてしまっていたが……。「でも、楽しかったんでしょ?」
「それは……やってるときは」
ナユカは顔を上げる。
「なら、いいじゃない」
「……そうでしょうか」
「どうせ、知り合いもいないし」
それは、当人の意識の片隅にあった。向こうだったら絶対にやらない。
「……そうですよね」
そんな異世界人の今の境遇を、リンディは思い出した。
「あ、ごめん」
「え?」ナユカは同行者が謝った意味に気づく。当人は別段気にしていない。「あ、それは、まぁ……いいんですけど」
「とにかく、エドのせいだ……あんなユーカになったのは……」
しみじみとうなずいているリンディに、「あんな」呼ばわりされた元ダンサーは不満げ。
「いや、それは……」
でも……やっぱり迷惑をかけていたんだろうな……。反論を飲み込むナユカ。言ったほうは意に介さず、原因究明を続ける。
「あと、運動不足が悪い」
その点は、間違いない。健康管理者から運動を制限されていた異世界のスポーツ好きは、激しく同意。
「それです、絶対」
「だよね」
「なんだか、自分が心配です。運動不足のたびに踊りだすんじゃないかと……」
微笑む元ダンサー。
「あるね」
「……そこは否定してください」
冗談だったのに、思いっきり肯定された。
「そう?」
「不安になるじゃないですか」
「……あたしも」
エドがいない今、巻き込まれるのは確実に自分だ。今度は踊らされるかもしれない。あれを自分がやるのは……ありえない。でも、この筋肉スレンダーは力が強いし……困ったことに、魔法も効かないから、嫌がるあたしを無理矢理……。捕まる前に逃げても、足が速いから逃げきれない……どうしよう。強化魔法で足を速くする手があるけど苦手だし……かけてもスタミナの消耗が激しいから、ばてて止まったところを捕獲される……。こうなったら、風魔法で上空へ逃げるしか……でも、これも自信がない……だけど、それしか……。そんなことを考えているところへ、ダンサーから救いの言葉がもたらされる。
「まぁ、今度は……隠れて踊りま……」
「そうだね」
逃れた。被せ気味にほっとしたリンディへ襲い掛かる呪いは、発言の続き。
「……しょう。一緒に」
「え?」
「ひとりよりも、ふたりのほうが恥ずかしくないですし」
「は? なんで?」
余計目立つでしょーが。
「だって、注目がひとりに集まるより……ねぇ」
衆目がそれぞれに分散する、ということなのだろう。言いたいことはわかったので、相槌を打つ。
「ああ、なるほど」
「それじゃ、お願いしますね」
「え?」確かにうなずいたが……それは踊るという意味ではない。「いや、それは……」
もとより、ナユカの説に納得してもいない。注目は必ずしも個別には向かわないし、そもそも、デュオのほうがより目立ち、ギャラリーも増えるだろう。
「お願いしますね」
念押しに、にっこりと微笑むナユカ。劇中の呪われたダンサーは、こんな感じなんだろうか……。無碍にして祟られてもなんなので、よくある誤魔化しをリンディは返す。
「か、考えとく」
願わくば、考える機会が訪れませんように……。
その祈りはどうやら届け入れられたようで、次の目的地、すなわち、転送ステーションのある国境沿いの街に着くまで、ナユカが踊りだすことはなかった。基本的に徒歩移動なので、どうやら運動不足になる余地はなかったのだろう。それでもスポーツ女子には体力が残っているらしく、旅慣れているにもかかわらず、到着時には相応に疲れたリンディとは対照的に、まだ十分な余力がある。本人の希望で、水や携帯食料まで持たせていたというのに……。これでは、数日内にまた踊り始めてしまうかもしれない。
このような、リンディには想像もつかない体力――それは、まさにあの筋肉姉さん、体力の化け物、人間凶器のサンドラと同じ傾向を示している。もちろん、幸いにしてその域には達していないものの、そう遠くないうちに、その近似値を示してしまうかもしれない……。そんな懸念がリンディの脳裏をよぎる――現れるのは、サンドラ化したナユカの姿……。あのふたりは筋肉的な部分で通じ合うものがあることを考えると、無きにしも非ずだ。できるだけそうならないように、自分が心を砕かなければ……興味や関心を別の方面へ向けるようにと……。そんな同行者の煩悶などいざ知らず、到着した宿で、体力娘は柔軟体操を開始する。
「な……なに、それ?」ついにそのときが……。あわてるリンディ。「まさか、筋肉……じゃない。踊り?」
「いえ、体操ですよ。筋肉をほぐすための……『ストレッチ』とかです」
なんかよくわからない異世界語が混ざっているものの、踊りだしたわけではないようだ。ただ、図らずも筋肉は関係あるらしい。
「なら、いいけど……」
たぶん。
「こっちでもやりますよね。サンドラさんも似たのをやってましたし」
「そういえば、あったな……」
こちらでは、「ラジオ体操」的なものは普及していない。それに、セデイターはあくまでも魔法の人。筋力戦闘系ではない。
「リンディさんは、やらないんですか?」
「疲れたから、いい」
そんな残存体力はない。
「やったほうが疲れは取れますよ。一緒にやりませんか?」
「なんか……難しそうだから、また今度」
勘弁して。
「そうですか……。それじゃ、マッサージしましょうか? わたし、上手いんですよ」
それは本当だ。向こうで何度もやった。
「いいよ、回復魔法かけてもらうから」
この世界の宿では、そういうサービスもある。
「そうか……そうですよね……」
この異世界人には効かない。それを思うと、なんだかリンディは悪い気がしてきた。そういえば、魔法耐性検査をしたときに、回復魔法をやたらに使うのは、それへの耐性を高めてしまうため好ましくないと、魔法科学者のターシャから何度か念押しされた。こっちもわかっちゃいるんだけど……。いい機会だから、ここは……少しだけ異世界の手さばきを試してみようかな……。
「あ。やっぱ、やってもらう」
「やります? やった!」
なぜかナユカが喜ぶのが気になるリンディだが、とりあえず任せてみることにする。やってもらうと、異世界のマッサージは特に変わったところはないものの、手馴れていてなかなかいい感じ……。以前、サンドラにしてもらったときとは、大違いだ。
幸運にも、というよりも常識的に、ナユカは力加減というものを知っている。それに比べて、あっちの筋肉姉さんは、自分と同じ筋肉しか相手にしてはいけない人だ。いくらそのほうが早く治るとか言われても、あんな苦痛を我慢するのは無理というもの。……あのときは、早々に逃げ出したっけ。あれからしばらくは、マッサージはできるだけ避けてたな……。そんなちょっとしたトラウマ体験と、今の心地よさは雲泥の差。だんだん、リンディは眠たくなっていく……そこへナユカの声。
「はい、終わりです」
「どうもありがと……ふゎ……」あくびが出る。「上手だね、ユーカ」
「わりと自信あるんです……えへへ」
「みたいだね」
自信に結果が見合っている。
「その人の筋肉の質や状態を見極めるのがコツです」
「ああ、なるほど」
その辺り、見もしない誰かとは違う。それなら、ナユカがサンドラ化するというのはただの杞憂に過ぎないだろう……。リンディは少しほっとした。
「リンディさんの筋肉はとてもいいですよぉ、柔らかくて」
それは褒めてる? 筋肉は専門じゃないからよくわからない。
「……そ、そぉ?」
「でも、弾力があって。鍛えれば、すごくよくなります」
もしかしたら、ナユカの筋肉へのこだわりは、逆にサンドラ以上? 新たなる懸念が……。
「……それは……どうも」
「今度、一緒にトレーニングしませんか? 楽しいですよ」
やっぱ、そう来るか。
「あー……そう……だね。まぁ……時間が……」あったら、などと続けると、逃げ切れない。「気が向いたら……ね」
まぁ、向くことはないだろな……いや、向いてはいけないかもしれない……。筋肉好き娘の相手は筋肉姉さんに任せよう……と思ったところへ、先手を打たれる。
「待ってますね」
「う、うん……サンディに……言っとく……あ、フィリスに……許可……」何を言ってるんだか、自分でもわからなくなった。こういうときは、話題転換で逃げよう。「と、ところで……マッサージって、どっかで習った?」
あまり転換できていない。ちょっと戻っただけ。
「ええ、『部活』で……あー、つまり……クラブで」
すでにこのスポーツ好きが「陸上競技」というのをやっていたのは聞いている。こちらの学校にもクラブ活動のようなものはあるが、魔法なしのスポーツはあまりない。
「例の……走ったりするやつ?」
「はい。たまに来るコーチから習いました」
それから何度もやっているので、場数は踏んでいる。
「今度、サンディに教えてあげてよ」
「いちおうできますよね、サンドラさんも……」
受けたことはあるが、お世辞にも上手とはいえない……。異世界人の印象がその程度で留まっているのは、フィリスがサンドラに手加減するよう散々注意したおかげ。一方、それがなかった者にとっては……。
「あれはマッサージじゃなく、拷問という」体にいいわけがない。「だから、説教してやって」
「……それは……リンディさん、どうぞ」
「あたしの言うことなんて聞かないもん」
こと肉体関連については。
「それなら、わたしも無理です」
同系の筋肉好きが言うことなら、自分よりも聞き入れそうだが……。
「命が惜しい?」
「誰だってそうですよね?」
「そっか……ユーカはまだ怖いものを知ってるんだね。よかった、よかった」
誰かさんの境地には、まだまだ届かない……。リンディは安堵した。
「だって……物理攻撃は効きますから」
魔法攻撃が自分にはまったく効かないというのは、すでにナユカも完全に自覚している。しかし、その言い様を耳にし、少々引っかかることがリンディの頭にふと浮かんだ。
「……ねぇ、ユーカはさぁ……あたしには勝てると思ってない?」
「え? あー、それは……どうでしょう……ね?」
間違いない、これは。負けるつもりは、さらさらなさそう……。敏腕セデイターは少々カチンと来た。こっちだって、たとえ魔法メインでも、戦闘そのものには慣れている。
「戦ってみる?」
「は? どうしてですか?」
「……試しに」
「でも、わたし、魔法効きませんよ」
完全に勝つつもりだ。「魔法使えません」ではなく、「効きません」と来た。物理戦闘なら絶対勝てると……。侮られたもんだ。もうやるしかない。
「それなら……」
寝転がっていたリンディは、すっくと立ち上がった……ところで、立ちくらみ。その体を即座に支えた対戦相手のおかげで、事なきを得る。
「大丈夫ですか?」
さすがのスピードだ……。
「……うん……ありがと」
「いきなり立ち上がっちゃだめですよ」
マッサージを終えて体がリラックスした状態だったため、急激な血圧の変化を起こしたのだろう。
「うん、ごめん。気をつける」
もはや、面目もなにもない。戦う前に負けていた……。これを、無駄な争いはやめなさいという天啓だとみなして、ナユカと戦うなどという馬鹿な考えはやめよう。平和が一番だ……。リンディは、心の平安を得た。今の動きを見て、勝てなさそうだからでは決してない。