2-2 踊る道中
フィリスの功績もあって準備万端で出発した旅人たちが、まず向かうのは、馬車駅。セレンディアとその周辺国では、街中は馬車の通行が禁止されているため、たいていの街では、馬車駅はその出入り口に設置されている。そこまでは徒歩だ。
「フィリスも、つくづく心配性だよね」旅慣れたリンディは、呆れ気味。「……まぁ、わからなくもないけどさ」
医者の精神状態が、逆に少し気になる。ここから振り返ったところで、その当人は、もう見えないが……。
「ええ……」
ナユカは生返事。
「あたしをもう少し信用してくれてもいいと、思うんだけど」
「はい……」
「あたしがちゃんとユーカのことは……どうかした?」
同行者の様子が、ちょっと変だ。
「あ、すみません」
「もしかして、忘れ物?」
「いえ……違います」
それは間違っても、ない。
「まさか、体調悪いとか……」
「あ、大丈夫です。ただ、いろんな人に心配かけてるな、と……思って」
はっきりとは口にしないが、言い方からリンディが察するに、向こうの世界の家族や友人のことを思い出しているのだろう。
「……あぁ」
「連絡だけでも取れたらな……」ぼそっとつぶやいたところ、無言で自分を見る同行者が、異世界人の目に入る。「あ、そうそう。バシャって……馬ですよね?」
「……はあ?」唐突な話題転換に、リンディは怪訝な顔。「まぁ、『馬車』っていう程度には馬だけど?」
つまりは、馬だ。間違いなく、馬。まさか向こうの「馬車」は馬じゃない? もしかして、「馬」という動物自体が別物とか?
「数年前に子馬に乗ったことがありました」
「そう?」
それがどうしたと?
「そうしたら、落馬しちゃって」
「あらら。でも、子馬でしょ?」
まさか、その「子馬」が……ものすごく大きいとか?
「ええ。だから、たいしたことなかったんですけど、驚いた友だちがわたしの家族に連絡しちゃって……『落馬した』って」
「あー」どうやら、ふつうの子馬……いや、どうなんだろう。とりあえず……。「それは心配したでしょ?」
「そうなんです、かなり……」
「てことは、やっぱり……」
巨大な子馬か……。
「……だから、連絡するのも善し悪しかな……と」
「ふーん」話がつながった。つまりは、連絡できないことをどうにか正当化することで、納得したいわけだ。若干の誤解がリンディにはあるものの、主旨は理解した。「連絡ね……」
「便りがないのは無事の証拠っていいますし……」
ことわざの「無沙汰は無事の便り」というやつ。
「そういえば、そっちの世界の連絡って、どこでもできるんだっけ?」
「はい。『スマホ』を持ってれば」
その単語は向こうの言葉なので、こっちの人間にはまったくわからない。
「なにそれ?」
「ちょうど、リンディさんが持ってるのと同じような……」
「ああ、あれ」
セデイターも連絡用の携帯ディバイスを持っている。名前は「連絡用携帯ディバイス」。つまり、そのまんま。普及品ではなく、名前も形もごつい。どこでも使えるわけではなく、転送装置のある場所と多量の魔力がストックしてある場所の間でのみ連絡できる。スマホはもちろん、ガラケーにすら及ばない。
「なくしちゃいましたけど、バッグごと」
「どっちでなくしたか、わかる?」
どっち……すなわち、この世界か異世界か。一度、聞いたような気もするが……。
「たぶん、あっちです」
「そっか……」
こっちで見つかれば、駄目もとでも使ってみることができるかな……と、こっちの人間は思った。しかし、それは無理。
「まぁ、見つかっても、こっちから通じることはないですけど……『基地局』がないので」
「なに?」
「あー、つまり……『電波』を『中継』する設備がないという……」単語からして、リンディにわかっている風はまったくない。かといって、これ以上噛み砕くのは、科学技術に詳しくないナユカには無理。「すみません、わたしも説明できません」
「まぁ、そんなもんだよね……。あたしもなんで連絡できるか、よくわからないし」
技術は違えど、使う人間がそれをきちんと説明できないのは同じである。ブラックボックスでも動けばいい。
「ですよね」
ただ、フィリスだったら説明できるような気がしなくもない。ちらっと思ったナユカが大きくうなずいたのを、目にしたリンディ。
「なんとなく……ま、いいや」失礼と思うのはやめよう……わからないのは事実だし。「……ともかく、あっちでも異世界のこととか、情報を集めてみよう。帰り方とか……連絡法も含めて」
「はい。わたしも、字が読めるようになりましたし」
情熱と勤勉の成す業。もとより、この異邦人は、言語学専攻志望である。しかし……。
「字? あぁ、それはどうかなぁ」
「え?」
「セレンディー語じゃないから」
「ぐっ」
食らった……。
「『ぐっ』?」
ダメージ音声をリピートしたこの世界の住人に、異世界人は咳払いで誤魔化す。
「……違うんですか?」
「ま、外国だし」
ルウィッセ王国。公用語はルウィン語。
「ど……どうするんですか?」
「いや、あたしは使えるから」
「え? そうなんだ」つまり、三か国語使える……。「すごい」
隣から尊敬の眼差しを向けられ、照れるリンディ。
「そ、そうかなー」
「あ、もしかして、前に言ってた……魔法学習?」
脳を活性化する魔法をかけ続けることにより、言語習得能力を一週間だけ飛躍的に向上させて行う言語学習。かなり過密な学習スケジュールで、健康管理費なども含め、高額となる。魔法によって、ある種、幼児が自然に言葉を覚えるような状態にするもの。被術者の脳への負担を考慮して、最多でも年に一回までと決まっている。そして、必ずうまく習得できるわけでもない――やはり、やる気がなければ無理。
「うん……まぁ、そんなとこ。急いでたから」
急いでいた理由は、もちろん、姉絡み。
「いいな、その……『反則技』」
「なに?」
「いえ、なんでもないです……けっこう話せるんですか?」
「いちおう、それなりに……」これは照れ隠しの謙遜で、ルウィン語のほうはほぼ完璧だ。「セレンディー語に近いしね、隣国だから」
陸続きの隣国で、言語系統も同じ。したがって、習得しやすい。加えて、本人にやる気が満ちていた。
「なるほど」
「セレンディー語を話せる人が多いから、ユーカもそんなに困らないと思うよ」
ルウィッセの準公用語である。
「そうですか、よかった」
「ただ、文書とかは、だいたいルウィン語だから……ね」
「そっちはリンディさんにお任せします」
「……はい?」
自分が言い出したとはいえ、話がまずい方向に……面倒なデスクワークが……。逃げたいリンディをナユカが押し込む。
「お任せします」
「……やっぱ、そうなる?」
「なります」容赦なく断定してから、ナユカが付け加える。「だって……結局、わたしはなにも調べられないから……」
言語的にセレンディー語に近いのなら、魔法学習でなくても学びやすいとは思うが、今すぐには無理。
「……ユーカは、おねぇ……姉と話をしてくれればいいと思うよ。向こうのこととか、こっちに来たときのこととか」
リンディのお姉さんだけには、この異世界人の素性や能力を明かし、協力してもらうことになっている。
「それは、もちろん」
「そのときは、あたしもついててあげるから」
はたして、それは自分についていてくれるということなのか、あるいは姉についていたいのか……。どちらかは疑問だが、ナユカはその言葉をありがたく受け取っておく。
「はい。お願いします」
しばらく歩き、街の出入り口付近に来ると、駅馬車のステーションが見えてきた。
「あ。あれですよね?」
これまで魔法省周辺で過ごしているナユカだが、ここまでは散歩で来たことがある。ただ、馬車駅へ入ったことはないし、ここから街の外へ出たことはない。そもそも、街に入ってきたときは、直接、魔法省へ転送だった。
「そう。やっと着いた……。歩きはそこまで」朝が弱いのに、朝っぱらから結構歩いたリンディはお疲れ。「中入って、ちょっと休憩ね」
駅構内へ入ると、異世界人は、珍しそうに中を見回す。
「馬車って、いろいろありますね」
「乗る人数とか、引く馬の数とか、ね」リンディは、異世界の馬車が気になる。「そっちの馬車はどんなの?」
「たぶん、似た感じじゃないでしょうか? 滅多に見ないので。でも、もう少し小さいかな?」
今や、馬車があるのは観光地くらい。大きくはない。
「小さい? え、そうなの? 巨大な馬なのに?」
「え? 馬は、同じくらいの大きさですけど?」
「あれ? そうなんだ……。ま、いいや」馬はやはり馬みたいだ。ちょっとがっかり。「……そういえば、ふだんは別の乗り物に乗ってるんだっけ……魔導車みたいなの」
以前、ナユカはあちらの自動車の話をしたとき、「魔導車」のことも少し聞いた。文字通り、魔法で動く車で、動かすのは魔導士。
「その魔導車っていうのを見たことないから……なんとも……」
「あれはたいへんなんだよ、運転。……疲れちゃって」いちおう、やったことはある魔導士。「交替でもすごく疲れる」
魔法は、持続的に高出力を出すのには向いていない。ゆえに、長時間走行できない魔導車はほぼ遊具にしかならず、実用性はない。対して、この世界の馬車は、馬に対して回復系や能力上昇系の魔法薬、または、より直接的に魔法を使うことで、安定的かつ効率的に長時間走らせることができる、いわば「魔導馬車」というべきものであり、主要な交通手段となっている。
「数人で入れ替わって、運転するんですよね?」
いちおう話には聞いている魔導車は、いまだ、異世界人にはどうやって動くのかピンと来ない。
「そう。……んじゃ、手続きしてこよっか」
短い休憩を終え、リンディがナユカを連れて手続きを済ませると、いよいよ馬車に乗り込むときが来た。小型でも四人乗りの幌付きで、二頭立て。豪華ではないものの、料金魔法省持ちだけあって、みすぼらしくもない――さすが、魔法研究所のおかげで、なんだかんだで、金のある魔法省。汚職が発覚して間もない今、公金の使いように留意しているとはいえ、それなりのクオリティだ。御者席もあり、ちゃんと御者も付いて……さっそうと現れたその御者は……踊っている。
「イヤー、リンディ、ヘーイ」
「げっ」
今度はリンディが妙な音声を漏らした。立場が逆転したナユカがリピート。
「『げっ』?」
軽く咳払いして誤魔化してから、御者に尋ねる。
「どうして、あんたがここに?」
「これも、外回りの職務ってもんさ、レイディ」
まだ踊っている御者を尻目に、ナユカがリンディに聞く。
「お知り合いですか?」
「知り合いもなにも……これが九課外回りの……」
セデイターの紹介に割り込みながら、しぶとく踊る御者。
「外回り、フォーエヴァーだぜ、イエイ」
「あ、例の……『魂のダンサー』」
新参の九課職員も、その存在は聞いていた。まだ見ぬ外回りとして。
「そんなこと言ったっけ?」
リンディの記憶では、そんなキャッチーなフレーズは口にしてないはず。ただ、そんな内容のことは前に話したかもしれない。
「言いませんでした?」
それなら、ナユカのネーミングということになる。目の前のダンサーは気に入ったようだ。
「いいね、いいね、わかってるね、イヤァ」
もちろん、踊ったまま。
「正式な名前は、『エドォル=サントー』……あと何だっけ?」
あと二つくらい名前がついていたと思うけど……。本人もそこまでは名乗らないので、知っている人は少ない。リンディはサンドラから一度だけフルネームを聞かされたが、覚えているべくもない。
「『エド』でいいぜ、エヴリバディ」
前日、サンドラが「サプライズ」と予告していたのは、このエドのことだった。彼の所在に関しては、はっきりさせないような取り決めがあるのかもしれない。ともあれ、御者が九課専属の情報収集担当外回りなら、この異世界人の秘密が彼に露見するようなことがあっても、外部に漏れることはないはずだ――こんなのでも、サンドラが選んだ人材である。もちろん、リンディもその点に触れないように気を付けるつもりだが……。
「そんじゃ、エド、こっちは……」
ナユカを紹介しようとすると、エドは一回転し、まず、セデイターを指差す。
「知っているぜ、ユーの名は」ここでまた一回転して、ナユカを指す。「聞いているぜ、ユーの名を」
当然ながら、彼の発言の端々に入ってくるのは、英語ではない。セレンディー語を基本としたノリのよいヒップな単語や掛け声であり、異世界人にはよくわからない。
「ユーカね」いちおう、紹介者が本人に呼称の確認。「それでいいでしょ?」
「ええ。ユーカです。よろしくお願い……」ここで、ナユカが一回転。「します」
「おー、ユーカ、グレートだぜ」今度は、エドが一回転してポーズを決める。「ユーカ」
「ありがとう……」異世界人は一回転して、お辞儀の決めポーズ。「ございます」
「会えてうれしいぜ、魂の」ダンサー、一回転。「イエイ、ソウルフレンド」また一回転して別の決めポーズ。「ディア、ユーカ」
「わたしもです……」ナユカは二回転して、片手を広げる。「エドさん」
「今日は最高」エドは一回転し、そのまま体をねじるように逆回転。そして、ポーズ。「楽しもうぜ」
「ええ、楽しみま……」
スレンダー娘が、見本に倣って逆回転しそうになったところで、リンディが大声を出す。
「ストーーップ!」
「おっ」
ナユカ急停止。魂のダンサーは肩をすくめる。
「ヘイ、リンディ。魂の交感を邪魔しないでくれ」
「人が集まってきてるんだけど?」
踊らない同行者から指摘され、女性ダンサーが周囲を見ると……。
「あれ?」
人がちらほら集まってきて、こちらを見ている。
「もー……とにかく、さっさと出発しよう」
図らずもこの場の良識人となったリンディはさっさと馬車に乗り込み、ナユカは周囲へ軽くお辞儀をしてから馬車へ。まだ踊っていたエドは、ギャラリー向けのポーズを決め、さっそうと御者席へ。
「それでは、エヴリワン、サムタイム、サムウェア」
さっと手を振って、馬車を走らせる。
ようやく出発した馬車の中で、リンディはナユカをまじまじと見る。
「……ったく」勢いよく走りだした馬車内は、騒音で会話がしにくいため、同行者に顔を近づける。「あんたがあんなこと始めるとは、思わなかったよ」
「そういう習慣なのかなって」
この言い訳を、リンディはあまり信じない。
「へー、そう?」
「つまり、エドさんに合わせただけで……」眼前の瞳にじっと見つめられ、白状する。「始めたら楽しくなりました、すみません」
「まぁ、いいんだけどさ。なんか、ちょっとね……」
訝しげなリンディ。もしかして、あれが異世界人の本性?
「実は、ここのところ運動不足で……」
この運動好きの性格傾向は、リンディもすでに承知している。基本、サンドラと同じで、運動をしないとストレスが蓄積するタイプだ。にもかかわらず、魔法省周辺では、ナユカの怪我を恐れるフィリスによる監視の目が光っており、ままならなかったのだろう。
「ああ、なるほど」
「隠れて走ったりはしてるんですけど」
元陸上部。専門は400メートル走。走るの大好き。
「知ってる」
「知ってるんですか?」
「走ってるの、見た」
「そうですか……見ましたか……」
こういう言い回しはちょっと怖い。突然、顔かたちが変わり、「見ぃたぁなぁあ」とか言って追っかけてくる妖怪話は、世界を違えても普遍的なもので、こちらにもある。
「フィ……フィリスには言ってないよ」
「……ですよね」
ナユカにしてみれば、この相槌はリンディのことは最初から信用しているという意味なのだが、それを受ける側からすれば、念を押されているように聞こえる。
「そ、それにしても……そんなに隠さなくても……。別に、怒らないと思うけど……」
「怒りはしませんが、心配そうな顔をするんです」
それはちょっと嫌かも。しかし、それを気にしていると、スポーツ娘のストレスは増すばかり――また不意に踊りださないとも限らない。同行者として、踊られるのがどうしてもいやというわけではないものの、九課にもうひとりの「魂のダンサー」を誕生させるのがいいとも思えない。
「でも、フィリスにはもう少し慣れてもらったほうが……いいんじゃない?」
「そう……ですよね。それじゃ、戻ったら……そうだ!」
「なに?」
「踊ってみます」
もうひとりが誕生。軽くつんのめるリンディ。
「……なぜ踊る?」
「ひとりでできるし、狭いところでもできるし、そんなに怪我もしないし」
ダンスも、体育にあるほどにスポーツだ。
「そう?」ふっと笑う。「この際、エドに習ったら?」
「それはいいかも……教えてもらえるでしょうか?」
冗談に、まじめに反応されてしまった。
「そりゃ、時間があれば……ね」さっきの意気投合振りから、間違いなく、喜んで教える。「でも、今回御者やってるのは、たぶん情報収集のついでだよ」
あのサンドラが、ただ御者をやらせるってことはないだろう。
「ということは……忙しい?」
「おそらく。職務ふたつで」
御者と情報収集。
「それだと、やっぱり戻ってからかな……」
もうすっかり教わる気のナユカ。
「それは、無理。ほとんど戻ってこない。ずっと外回りだから……たぶん、永遠に」
「そんな大げさな」
永遠は冗談だが……さっき、本人がそんなことを言ったような気が……。
「なかなか戻ってこないのは事実だよ。生き様ってやつじゃない? 『さすらいの踊り手』……みたいな」
「……なんですか? それ」
「そういう劇があるんだよ」
セレンディアでは演劇が盛んだ。リンディの苦手な魔法研究所主任研究員のターシャも、素人劇団で女優をやっている。
「どんな話ですか?」
「そうだなぁ……。呪われた靴を履いたダンサーが、踊りながら放浪するという……」
それは、あちらにも似た話がある。アンデルセンの「赤い靴」。
「靴が脱げなくて、ひたすら踊り続けるんですね?」
「いや、脱げるけど?」
今度は、ナユカがつんのめりそうになる。
「……脱げちゃしょうがないでしょ?」
「脱げなきゃ、足が蒸れて臭いじゃないの」
そういう問題?
「そりゃ、蒸れるでしょうけど……」それよりも単に不便だとは思うが、それはさて置き。「脱げたら呪いじゃないでしょ?」
「呪いは、履いたときにかかるんだけど」
赤い靴では、履いてすぐではない。
「でも、脱げるんですよね?」
魔導士は少し考え、逆に質問。
「……脱げないっていうのは……足が腫れるってこと?」
「そういうことなんでしょうか……」
童話に現実的な説明を試みても……と、異世界人は思う。しかし、魔法世界ではそれも可能。
「それは、かなり強力な毒魔法だね」
「いえ、そういうことではなく、とにかく踊り続けるんですよ」
「なにそれ。どういう魔法?」
セデイターは聞いたことがない。精神操作だろうか?
「どういう? つまり呪いですよね」
「呪いは魔法でしょうが」
その実体は魔法という意味。
「呪いの魔法です……たぶん」
あちらの認識では、たいてい、呪いは魔法の類に含まれる。しかし、それは実際に魔法を操る魔法世界での、魔法科学的な認識ではない。したがって、異世界人の言い回しは、こちらの魔導士にとっては……。
「ごめん。意味わかんない」
「……わたしもよくわかりません」
「まぁ、そっちにはないもんね……」そこでリンディは御者のエドをちらっと見て、ナユカに目配せ。「あれが」
彼にはまだナユカの秘密については話さない。騒音でふたりの会話は御者席までほぼ届いていないはずだが、念のため。
「え……ええ、そうですね」
「……って、もしかして呪いはあるわけ?」
魔法はないのに?
「それは……ないです、というか、ないはずです」
「そうだよねぇ、あるわけないよね」
呪いという言葉で示される、その実体としての魔法がないのだから。
「かけようとする人はいますけど、こっちと違ってかかりません」
「は? こっちもかからないけど? ていうか、そもそも呪いなんてないし」
「はあ? ないんですか?」
魔法世界なのに。
「あるわけないでしょ。そんな非科学的なの」
「でも、さっきのダンサーは呪われて……」
「ただの表現じゃない。『呪い』なんて、遅延魔法やトリガー魔法のバリエーションで……。劇のダンサーが受けた『呪い』は……たぶん、具体的には加速のトリガー魔法ね」
異世界人にはよくわからないので、生返事。
「はぁ」
「つまり、その靴を履いた瞬間に魔法がかかって加速し、それによってダンスの新境地を開いたわけ。魔法はそのとき限りだったけど、靴は心理的にそのときの感覚を思い出させてくれるから、使い続けた……と、そんな話」
「それは……」難しいが、たぶんこういうことだろう……。「要するに、その靴が気に入ったってだけでは……?」
「ぶっちゃけ、そうかな」
「……全然怖くない」
「だって、コメディだもん」
そのときのダンスシーンがコミカルな劇だ。
「は? それなら、どうして『呪い』?」
「また履きたくなるから、それが『呪い』なのかな? どうしても他の靴じゃ踊れないと」
その葛藤と苦悩が笑いどころだ。
「……意味わかりません」
セレンディー語でなければ、「加速」の「呪い=のろい」ってことでいちおう駄洒落的なギャグにはなるが……別にどうってことはない。
「あたしも、うまく説明できない」
劇の笑いどころを説明するのは難しい。ましてや、相手は異世界人。
「……で、結局、呪いはないんですね?」
劇のほうは見てみないとわからないので、ナユカは諦めた。こっちが本題。
「厳密にはね。その実体が魔法科学で説明できない呪いはないってこと」
「あー……?」
難しいか……。言い換えよう。
「つまり、魔法で再現できないような呪いはない」
それは、こうも聞こえてしまう。
「あれ? 魔法なら、どんな呪いでもできるってことですか?」
「いや、逆だって。魔法でもできないものはできない……だから、呪いはないってことよ」
魔法があっても、なんでもありにはならないという……ある意味、当たり前というか……ここにもここなりの物理法則があるわけだ。魔法物理法則とでもいうべきか……。とすると、もしかしたら、向こうの世界でも本当は魔法が使えるのかもしれないという気がしてくる……。使い方を知らないだけで、物理法則が普遍的なものだとすれば……。しかし、そんな考察をしているナユカ自身を思えば、魔法を無効化しているのにそれを使えるわけがない。それなら、やはり、それはなさそうだ。おそらく、何らかの理由で、向こうの人たちには魔法が効かず、そして、使えず……ゆえに、魔法はこちらの世界の人々だけのものなのだろう。こちらで現実の魔法を見た異世界人はそう納得し、少しほっとした。向こうでいきなり魔法が使えるようになったら、世界は混乱に陥るだろうから。
ところで、このふたりの会話の間、エドはずっと黙っていたが、実はその会話はある程度は聞こえていた。彼には騒音の中でも人の会話を聞き分ける能力がある。その能力を生かして情報収集の外回りを担当しているわけだ。とはいえ、この会話からユーカの能力や素性がわかることもなく、わかったのは、彼女が異国の人で、なんといっても重要なのは……ダンスを習おうとしていること。そのときに振り返って名乗りを上げたくなったのをぐっとこらえたのは、自分の能力をサンドラ以外には秘密にしているため。この能力がばれると、立ち聞きや盗み聞きを含む情報収集の職務をこなしにくくなる。相手に警戒されれば、当然、成功率は下がるからだ。そして、自分の能力についての情報は、どこから漏れるかわからない。ふたりを信用していないわけではないが、わざわざ知らせてから口止めするのは無益な行為だ。
「ねえ、エド」
後ろからリンディが声をかけてきた。余裕で聞こえていても、聞こえないふりの御者。
「……」
「ねえったら」
声の音量を上げてきたが、それでもやはり、エドは反応をしない。通常、この程度では聞こえにくいはずだ……。
「……」
すると、さらに上げてきた。
「おーい! 聞こえる?」
「イヤー」
ようやくエドは、前を向いたまま片手を軽く上げて反応。声は、おそらくリンディには聞こえていないだろう。
「どこまで御者やるのー?」
「ホワット?」
「御者は、どこまでー?」
「行けるところまで行くぜ、イエイ」
なんとなくパフォーマーっぽい表現……でも、後ろには聞こえない。
「えー?」
エドはさっと振り返って答える。
「目的の駅まで、ウィズユー」
この街道は、セレンディアの首都と魔法省のある副首都を直接接続している街道だけに、しっかりとした駅馬車のシステムがあるが、今回は、目的のステーションまで三日以内に到着する行程で、その先は徒歩と水運の利用となる。そうしてたどり着いた街には、国境を跨いで相互に転送できる転送ステーションがあり、そこから友好国であるルウィッセ王国側の同ステーションへ転送できる。一方向にしか転送できない転送スポットと違い、転送ステーション同士なら、それに必要な魔力を生成可能なため、相互に行き来ができる仕様だ。ただし、公務というエクスキューズがあってのことであり、加えて、国境越えする当該施設では事前申請と審査が必要で、警備も厳重になっている。
なお、この街道にも簡易の転送ステーションは数ヶ所あるものの、あくまでも簡易であり、生成可能な魔力の量も少ないため、緊急時以外は、もっぱら流通や通信の中継に使われている。
「わかったー。頼むねー」
了解したリンディに、エドは今度は声を出さずに片手を挙げて済ます。会話の度に御者がやたらに振り返るのは、危険だ。
「じゃ、三日間、エドさんと一緒なんですね」
ナユカはリンディに笑顔を向ける。
「そうだけど……まさか、タイプ?」
惚れっぽいフィリスじゃあるまいに。
「いえ、そういうことじゃなくて……また一緒に踊れるかな、と」
「またあれをやるわけ? マジ?」
「えーと……」冷静になった今となっては、ちょっと照れる。「気が向いたら」
「別にいいけど……あたしには無理ってだけで」とはいえ、護衛役なので、保護対象についている必要はある。人前であれをやられると、こっちが気恥ずかしい。「あー、やっぱ……場所は選んで」
「それは、そうします」
つまり、踊り自体はやるってことか……。リンディはもう観念した。願わくば、人目につかないところでと、祈るのみ。
しかし、「さすらいの踊り手」並に踊りださないようにという同行者の切なる願いも虚しく、ナユカがことあるごとに踊り始めるエドにつられること数知れず――もちろん、馬車駅などで、停まっているときに。ついつい体が動き出してしまう運動不足娘は、本当に呪われているのではないだろうか? 異世界人が馬車の中で口にしていた「ひたすら踊り続ける」呪いのように……。運動への欲求のはけ口が踊りになるなんて、このときほどナユカが異世界人だと実感できたことは、リンディにはない。
しかし、当人によれば、向こうの世界でこんな状態になったことはないという。また、そんなふうになる人も、まずいないらしい。ということは、異世界に来たことがその心身に何らかの誤作動を生じさせたか、あるいは、運動不足とフィリスからの警告があいまって、比較的安全なダンスへの欲求を駆り立てているのか……。おそらく、後者だとは思われるが、そのトリガーを引いているのは間違いなくエドだろう。そして、彼らの絶妙なコンビネーションが衆目を惹きつけるという、無用なとばっちりを受けているのは、リンディである。
「あのさ、いつもそんな感じのノリなの?」
初日の停泊地では、予想通り、エドは情報収集活動に出ていて質問する間がなかった。この情報収集専門家は、基本的にリンディたちとは食事を共にしない。というのも、カウンター席などを利用して、顔見知り、または初対面の人々との会話をするためだ。その間、食事中に面倒なことはしたくも、話したくも、考えたくもない食道楽は、別の店、あるいは同じ店であっても、ナユカとともにテーブル席にて料理に集中している。そんなわけなので、二日目のとあるステーションでの昼食を終え、馬車へと戻ってきたエドに聞いてみたところ、返ってきたのはいつもの調子。
「そうだぜ、セデ、セデ、セデイター」
もうすでにリズムに乗っている。影響が危惧されるナユカをちらっと見て、同行者は立ち話を続ける。
「……まさか、その調子で情報収集してるわけ?」
「T・P・O、T・P・O、イヤァ」
すでに、腰が入っている。……繰り返すが、これは英語ではない。要するに、状況に合わせているということだ。
「どこがさ……」
あきれるリンディ。どこでも踊りだすくせに……。そもそも、今、この状況からして、それに配慮していない。
「踊りは、メニメニ、あるんだ」馬車前にて、全身決めポーズ。「ベイべー」
「そうです、リンディさん、たくさん……」ナユカは自重しつつも、片腕だけはポーズを決めてしまう。「ある」
「はいはい、わかった、よく理解……」なんとなく、つられた。「した」
言葉はリズムを刻んだものの、さすがにポーズまで決めることはないリンディ。しかし、このまま続けたら、またも、ふたりが踊り始めてしまう。それに……まさかありえないとは思うけど、自分がそこまでつられたら……。想像するだけで、恐ろしい。そんな事態だけは避けないと……。とにかく、質問はここまでにしておこう。
しかし、そんな配慮にもかかわらず、案の定、エドとナユカは踊りだしていた。もはや第三者にどうこうできるものではなく、お手上げ。自分が巻き込まれないだけましとして、少し離れて見つめるしかない。護衛役でもあるリンディは、衆目が集まっても逃げ出すわけにもいかず、さりげなく無関係なふりをするというのが、昨日からのパターンだ。「呪い」というなら、これがまさにそれだろう……。
結局、この日の停泊地に到着し、さすらいのダンサーが御者としての役割を終えるまで、そんなことが繰り返された。別れ際にエドはふたりに感謝の踊りを捧げ、ナユカもそれに呼応したことで、同様のパターンがもう一度眼前に展開されたことは言うまでもない。