1-4 リンディの晩餐
「どうして、事前にはっきり言ってくれなかったんですか!」
悲壮な決意とともに課長宅へと赴いた自分を、今、フィリスは思い起こす。
「どうしてと言われても……」
はっきり聞かれなかった。言葉を濁すサンドラを、医師は糾弾する。
「わざとでしょう」
「まぁ、多少は」
最初は成り行きだったが、途中から隠したほうがおもしろいと思った。
「毒見だとか言って……毒だったら、まだよかった……」
医者らしからぬ見解だ。リンディの口元が緩む。
「……変わった味覚だねぇ」
「どうしていつもそんなに……」フィリスは料理人を頭のてっぺんからつま先まで……は、テーブルの下で見えないが……見渡す。「わたしがどれほど努力して……それなのに……」
ぶつぶつつぶやくその先の言葉はよく聞こえない……。しかし、調理した者として、いちおうは聞いておきたい。
「なに?」
「どうしてくれるんですか! 食べ過ぎちゃたじゃないですか……おいしくて」
妙な怒り方もあるもんだ……いや、ほめている?
「そう? よかった」
「本当においしかったですよ。びっくりしました」
異世界人の舌も満足したらしい。調理してあれば、大概の食べ物は口にできるナユカでも、ちゃんとした味覚を持っており、まずければ食べ切れない。
「ダイエットの効果がまだ出ないのに……」
己の過食のほうを気にしているフィリス……。
「ユーカは食べ過ぎてない?」代わりにサンドラが本人に尋ねてから、医者へと確認。「胃腸薬、あるよね? 非魔法薬」
昼間の「胃腸薬」や「自己管理」という発言は、食べ過ぎに備えてのことだった……。今になってそれを思うと、健康管理責任者も不貞腐れたくなるというものだ。
「……ありますよぉ」
「わたしは、まだ大丈夫です」
リンディほどではないにせよ、ナユカは健啖だ。フィリスと同程度に食べていても、まだ空きがある。
「ユーカは」強調して一区切り。「問題ないよねー、食べ過ぎてもねー、太らないよねー」
ダイエット中の人は、不貞腐れ気味。
「それは……まぁ……」
確かに太らないが、本人の自覚では、食べ過ぎたことはあまりない。そして、もう一人、太らない体質の人は、食道楽の料理人。
「回復魔法にないの? ダイエット魔法とか?」
「あったら苦労はしません」
きっぱりと言い切ったヒーラーに、サンドラも同調。
「そうなんだよね」
「ふーん……」
うなずいているセデイターに、魔法の苦手な武器専門家が突っ込む。
「なんで、ないって知らないのさ。魔導士でしょうが」
「あたしは回復魔法使わないし、そもそもダイエットは関係ないし」
リンディは回復魔法が苦手で滅多に使わない――というか、効果が低すぎて使う価値がない。自分で回復したいときは、魔法薬を使う。そのほうが間違いなく効くし、簡単だ。
「……カチンと来ない?」
サンドラの視線を受けたフィリス。
「はい、かなり」
「やっぱり、地道にトレーニングしないと……」
太らない体質……それは筋肉のおかげ。それがトレーニング好きであるナユカの信じるところ。
「してますけど?」
筋肉姉さんの敬語が逆に怖い。やぶへびか? 回避行動に入る筋肉スレンダー。
「え? あ……い、忙しいから……たぶん不足して……」
「ま、確かにね……ここのところは、ね」
ゆえに、脂肪のほうは増加した。サンドラ並の筋肉維持は、なかなかに大変である。
「わたしもやってるけど……知ってるよね?」
フィリスとナユカは同居中。
「あ……うん」
「足りない?」
「あー……でも、やりすぎないほうが……」
オーバートレーニングで筋肉減少ということもあるが、同居人はそれほどしてはいない。
「それは……わたしには減量は無理、って意味かな……?」
「そんなに必要ないかなって」
ナユカの認識している限り、フィリスはとりたてて太ってはいない。
「こんなでも?」
自分の腹の肉をつまむ医者。サンドラが覗き込んでいる。
「あらら」
「あ」そこはやばいかも……。そういえば、以前にも、ナユカは風呂場でこんな姿を見た。「あー、そういうことはしないほうが……おなかいっぱいだし……」
「……そうね」
腹から手を離す。
「だから……その……トレーニングは地道にってことで……始めたばかりだし……」
スレンダー娘の取り成しに、フィリスが簡単に乗る……願望込みで。
「そっか。そうだよね」
「そうすれば、結果は……」
出るだろう、たぶん……おそらく……待てば……。ともかく、本人次第。
「がんばるよ、わたし。ユーカが帰ってくる頃には、見違えてるよ」
その意志を受け取ったのはサンドラ。
「それならわたしに任せて。本格的に鍛えてあげるから」
「……フィリス……死んだ」
リンディが祈りを捧げるポーズ。ちなみに、筋トレや、ウエイトトレーニング用のフィットネスなどの場合、負傷しない限りは回復魔法をかけない――よって、しんどい。すぐにその場で回復してしまっては、負荷をかけなかったことになり、身体の自然な超回復による筋肉強化が期待できなくなるからだ。
「あ。あー」フィリスの声が上ずった。体重と一緒に命まで失いたくはない。「……それは、大丈夫です。自分でやりますから」
トレーニング好きのナユカは、「脂肪とともに死亡」なんて駄洒落にもならないと思いつつも、反面、サンドラによる「本格的な」トレーニングにチャレンジしたい気もする……。それは、おそらく「特訓」というやつだ。日ごろ筋肉姉さんと一緒にトレーニングをすることもあるとはいえ、フィリスの要請により、ソフトなものしか指導してもらえていない。では、そのハードなトレーニングがどういうものなのか――スポ根が肉体的に好ましくないのはわかっていても、どうしても、興味を惹かれてしまう。そして、このトレーナーも同じタイプの人。
「そう? ま、必要ならいつでも言って」
「は、はい……必要なら……」
健康管理者の立場から、絶対必要ないと断言できる。傍らのナユカは、自分には必要だと挙手したくなったが、そんなことをすれば、この医者が心配性をぶり返してしまいそうなので、自身の願望を抑えて料理の話へと戻す。
「それにしても、料理上手ですよね、リンディさん」
「こいつは、子供の頃から料理好きでね、その才能はあるんだ」
代わって答えた付き合いの長い姉さんに、料理人が突っかかる。
「なんか、他にはないような言い方だな」
「そんなことはないよ。ただ、子供の頃からあるのは、それってこと」
「……なに、それ」
やっぱり他にはないのかよと、再び突っかかりたいリンディだが、肯定されたらどうしようという危惧が頭をよぎる。
「教えられなくても覚えたからさ。ユリーシャの見よう見まねで」
サンドラの発言に姉が出てきたことで、そんな危惧は飛んだ。
「それは、やっぱりおねーちゃ……姉がうまいからだよ」
「確かにね」
「おね……姉の料理は最高なんだから」
これほどの料理人に、そこまで言わせるのなら……。ひいきの引き倒しを疑って黙ったままのフィリスとは違い、ナユカは素直に反応する。
「そうなんですね。早く会いたいな」
「だよね、あたしも」
はいはい……。このシスコンには、三人とも心の中でそうつぶやいていた。ところで、料理といえば、フィリスには聞きたいことがある。
「サンドラさんは、料理は……」
「人を見て聞こうね、フィリス」
料理上手がさえぎってきた。
「ていうと、やっぱり……」
異世界人が想起したのは、夕食はプロテインとか……。こちらにも似たようなものはあるだろう……たぶん。
「そう。それは聞かない約束……」
今度は、リンディをサンドラがさえぎる。
「じゃないよ。そんなひどくないよ、ふつうだよ。……ていうか、食べたことあるでしょ」
「あるけど」
「それで、聞くなということは……」
やはり主食プロテイン? ナユカから疑いの目を向けられた筋肉姉さん。
「……もしかして、そんなにまずかった?」
意外にも不安に駆られている……。対する食道楽の評価は?
「まぁ、ふつう」
「……なら、いいじゃないですか」
フィリスが期待した答えではなかった……。
「だから、聞いてもおもしろくないじゃん」
リンディの最初の答えは、そういう意味らしい。
「それなら、フィリリンの……」料理上手へナユカが話そうとしたところ、同居人から鋭いまなざしを受け、中断。「なんでもないです」
ここ一月ほどフィリスと同居していることで、ナユカには、はっきりわかったことがある――この医者に料理の才能はない。素材や調味料の分量は薬の調合のごとくきっちりしているものの、火加減や手順など、調理そのものの部分にセンスがない。その結果、出来上がったものは、たいていいまいち。「失敗」から「一味足りない」までブレはあるが、「ふつう」という山を越えるのはなかなか難しいようだ。そのため、調理はナユカがするか、またはフィリスが調理したものに彼女が一手間、必要ならそれ以上加えることで、自炊を成立させている。
さて、ダイエットだなんだといいつつも、結局デザートまできっちり平らげたフィリスと、元をたどれば彼女の苗字のおかげでリンディの料理にありつけたナユカは、心身ともに満ち足りて、もう動きたくない気分……。振舞った本日のシェフは、いったん自室に戻ってからサンドラ宅へ来ており、ついでに着替えなども持ってきたので、泊まっていくとのこと。今晩は旦那がいないことを聞かされているし、たまにここへ泊まることもあって、まったく遠慮がない。ナユカとフィリスもサンドラから泊まっていくよう誘われたものの、リンディと違ってそのつもりではなかったため、準備をしておらず、やむなく辞退。根の生えかかった体をどうにか動かし、ふたりは魔法省敷地内の自室へと戻っていった。