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魔法世界のセデイター 3.本業再開、姉と助手と  作者: 七瀬 ノイド
第一章 始動
3/30

1-3 フィリスの心配事

 翌日、リンディは午後から九課に現れた。ここしばらくと違って、明らかに遅い時間だ。このように午後から姿を現すというのが、セデイターとしてのリンディの本来の姿であり、つまりは、ようやく本業への意欲が戻ってきたことを示唆している。サンドラは自分の策、すなわち、このセデイターを復帰させるためにリンディの最愛の姉ユリーシャを出しにするという策がばっちりはまって、にんまり。

 そんな、妙ににやにやしている九課課長を不気味に思いつつ、リンディは気にかかっていることを尋ねる。それは、自分とナユカのユリーシャ詣でに、結局フィリスは帯同するのかどうか。質問を受けて表情を戻したサンドラによれば、今回はやむなく見送るとのこと。やはり、友人である魔導士ニーナを回復途上のまま放置して、遠出する気にはなれないらしい――医師として。したがって、リンディはナユカとふたりで姉のところへ向かうこととなる。


 さて、出発を二日後に控えた今、やる気回復中のセデイターがすべきことは、あちら方面にいるセデイト対象者の情報収集くらいだが、隣国につき、たいした情報は得られない。多少なりともあったらいいほうという程度なので、本格的に始動するのは向こうに着いてからになるだろう。また、出発までは、法務関係者からの呼び出しがかかったら応じる必要があることから、それに対しては待機となる。

 といっても、釘付けになって待っていなければならないわけではなく、ここは旅に備えて、リンディお気に入りのフローラ店長のところで薬草などの買出しをしたいところ。とはいえ、先日、ナユカやフィリスと一緒に行ったときに買い込んでしまったため、今は買うものがない。それ以来、遠出してもいないし……。かといって、消費期限もあるのに無駄に追加購入して、フローラさんの調合した薬草をなにもしないまま駄目にしてしまうなどという所業は以ての外。移動中の劣化ならいざ知らず、爆買いによって使用不能にするなど、一ファンとしての名折れである。なんといっても、あのフローラさんが作った薬草なのだから。


 何にせよ暇なリンディが、ふとドアのほうへ目をやると、出ていたフィリスが九課へ戻ってきた……ひとりで。

「やぁ、フィリス。ユーカは?」

 この健康管理者と一緒だと思っていた。

「あ、こんにちは……リンディさん……」妙にアンニュイな雰囲気がある。「ユーカは……結界の破壊に……」

「また? 売れっ子だねぇ」

 暇にしている自分とは大違い……。多忙の理由はサンドラが答える。

「魔法省も結界の全面張替えを始めたしね」

 その話はしょっちゅうここに来ているだけあって、リンディもすでに知っている。それにしても……。

「……なんか、いいように使われてない?」

「まぁ、職務だから」

 と、中間管理職。しかし、フリーランスとしては言いたい。

「薄給でね」

 魔法省の規定賃金だ。職務契約をしたのはサンドラ。あのときは汚職事件による魔法省のごたごたを利用したため、契約を急いでいたし、異世界人を目立たせたくなかったことから、極めて普通の報酬しか割り当てなかった。しかし、今やナユカはその筋では知る人ぞ知る存在であり、限定的ながら目立っている。

「確かにね……。そもそも、今回の結界全面張替えも、ユーカの能力をあてにしてのことだから……コスト的に」

「フリーなら大もうけなのに」

 こちらフリーのセデイターは……まあ、それなり。

「でも、特別手当は出るよ」

 ていうか、ぼったくっているようで嫌なので、出させるつもり。課長権限で何とか「説得」する。

「いくら?」

「あー」そこを聞くなよ。「……それなりに」

「それなりねぇ……」

 あまり出ないな、これは……。リンディがそう思っているのは、あからさまにわかる。

「魔法省よりも、法務省からけっこうもらえそう……かな」

 ナユカは先に法務省から依頼され、そちらの結界破壊を迅速にこなしている。その評判を聞いた魔法省が、逆に遅ればせながら結界再構築を計画し、古い結界の破壊を省内の「天才」結界破壊士ナユカに依頼してきたわけだ。ちなみに、契約したサンドラは省内の財務方面からの株を上げた。

「なんで?」

「向こうから魔法省に結界除去の費用を払ってくるんだけどさ……外注だった予算から、その分をね。その金額を指摘して交渉すれば、魔法省が出すでしょ」

 払わないと「天才」に逃げられるとか言えば、それなりに出すだろう。それでも、かなりのコストカットにはなる。気分的には全額ふんだくりたいところだが、ナユカは公務員として魔法省と契約しているので、そうもいかない。

「……出させるわけね」

 言外に言いたいことはわかる。ただ、あまり強引にやって、ナユカの立場が悪くなるのは好ましくない。

「ま、適度に」

「ふーん……」この課長の適度がどの程度なのか……リンディはあえて追求せず、黙ったまま気もそぞろのフィリスの方を見る。「ところで、ユーカと一緒じゃなかったんだ?」

「ええ……ミレットさんが同行しています……助手として」

 異世界人であるナユカがぼろを出す前にフォローする役割。これまでは概ね、回復魔法の効かない彼女が負傷するのを心配し、フィリスが付き添っている。

「ミレットが、ね……」

 リンディは、ナユカがミレットと一緒にいる様子を想像してみる……。自分だったら気疲れしそうだ……。一方、心配で気の休まらない健康管理者は、自分に言い聞かせる。

「……ユーカと離れていても大丈夫だって、私自身が認識しないと」

「子離れか」

 隣のサンドラから耳打ちを受けたリンディは、冷やかしなのに、むしろ納得する。

「……あ、そういうことか」つまりは、ナユカを置いて、自分がここへ残るための、精神的な準備ということ……なのだろう。「ま、ユーカのことはあたしに任せて……」

「任せる? リンディさんに?」思いっきりため息をするフィリス。「……はあ」

「……なんか失礼だな」

 眉をひそめるご本人に、医者がまくし立てる。

「べつに、リンディさんが当てにならないとか、頼りにならないとか、自分のことで手一杯なんじゃないかとか、そういうことではなく……」

「そう言ってるよね?」

 当人にサンドラも同意。

「言われてるね」

「やっぱり、専門家じゃないですから……」

 中傷の自覚なく、フィリスは続けてきた。いちおう否定はしているので、当該本人も抗弁しようもない。逆に墓穴を掘りそうだ。

「……ああ……まぁ……わからなかったらすぐ連絡するよ」

「わかっていても、してください。わからなくなる前に」

 とにかく連絡しろってことね。

「はいはい。わかった、わかった」いい加減な返事とみなした健康管理者から視線で射抜かれ、リンディはまじめに言い直す――皮肉も込めて。「承知いたしました」

「……よろしくお願いいたします」重厚ともいえる趣で念を押したフィリスが、雰囲気と口調を変えて、ころっと話を切り替える。「……ところで、リンディさんは……今日は何しに?」

 来ちゃいけないのかよと、心中つっかかるセデイター。さっきの言われようで若干ひがみっぽくなっている。

「セデイト対象者の情報収集とか……バジャバル関係のことで待機とか……」

「バジャバル……って、あの……先にセデイトした……」

 フィリスには直接関わりはない。ナユカの魔法無効化絡みで、リンディから聞いた。

「そう。よく覚えてるね」

「確か……『バジャバル=ジュバール=ジャジャバジャール』さん」

「……あんた何者?」

 なぜ、きっちり名前が言える? 自分は初見から今まで、まともに言えた試しがない……たぶん。

「はい?」

 意味がわからず聞き返した疑惑の人に、サンドラが尋問。

「まさか知り合いとか?」

「いいえ、全然」

「それじゃ、どうして……あ」リンディには、フィリスが口にした名前が正確なのかわからない。ということは……。「もしかして適当?」

「合ってるように聞こえたけどね」

 課長にも自信なし。手元にあるはずの資料を探す。

「ああ」フィリスは論点を理解した。「名前のことですか」

 うなずくリンディ。

「そう」

「昨日、ここでフルネームを聞きましたから。『バジャバル=ジュバール=ジャジャバジャール』で合ってるはずです」

 確かに、この場にいた。名前を確認すべく、課長は見つけた資料を手に取り、目を通す。

「……正解」

「ありえない……。あたしはまだ覚えてない……ていうか、もう覚えようとしたくない」

 あんなのをセデイトしたせいで、無駄に疲れることが多い。主に名前で。

「まぁ、そうでしょうね……」フィリス自身の名前が頭をよぎる。「わたしの出身国は名前が複雑で、そのせいか、名前を覚えるのは得意なんです」

 それにしたって、あのレベルをよく覚えるな……。感心するリンディ。

「出身国って……ファディ=ファディだっけ?」

「正式には、『ファディージョ=ファディエスタ公国』です」

 国名までも複雑だ。

「ファディジョ……ファディエ……」

 復唱できない人を見て、サンドラの口元が緩む。

「一般には、ファディージョとか……リンディの言った『ファディ=ファディ』とかだね」

「ええ。国名だけではなく、基本的に固有名詞は頭韻を踏みますから、長くなります」

 と、その国の出身者。

「フィリスのフルネームがそれだよね。ちゃんと発音できる? リンディ」

 筋肉が挑戦してきた……ので、受ける。

「フィリス=フィリ……」

「どうしたの? リンディ」

「フィリス……フィリファ……ディ……ア」

 どうにか搾り出した答えを聞いて、サンドラがおどける。

「正解ですか? フィリスさん」

「いえ、あの……ちょっとだけ……違います」

「そうだよねぇ、違うよねぇ。失礼だねぇ、ひどいよねぇ」

 調子に乗りまくっている筋肉に、誤答者はカチンとくる。

「じゃあ、正解はなんなのさ。自分だって、わから……」

「『フィリファルディア』でしょ?」

 さすが課長。

「正解です」

 大きくうなずいたフィリスは、満足げ。部下のフルネームを覚えているのは当たり前とはいえ、いつまでたっても正確に覚えない上司、あるいは、学生時代には教師がたまにおり、毎度訂正するのが面倒だったことを思い出した。

「……ごめん」

 こちら、友人の苗字がわからなかった人は、さすがに申し訳なさそう。

「あ……いいんですよ、別に。よくあることですから」

 本人にそう慰められても、自分に納得がいかない。

「でも……」

「ご飯でもおごってあげたら? あ。……作ってあげたら?」

 このサンドラの提案には、医者の本能が、即座に回答を導いた。

「いえ、いいです……そんな……」

 遠慮を取り繕いつつ、本心では、リンディの料理には不安しか感じない……いまだ食べたことはなくとも。でも、まぁ……本人が拒否するだろうな……。

「そうする……」

 予想に反して、当人が乗ってしまった……断るのもなんだし……。こうなったら、自分の被害を低減するための、道連れが必要だ。できるだけ、そっちに自分の分を回そう……。フィリスが責任を取らせるのは、当然、言いだしっぺ。

「では、サンドラさんも誘って……」

「もちろん、呼ばれるよ」付き合いが長い人からの意外な反応。ということは……もしかして……。光明が差したフィリスの耳元に届いたサンドラの小声は、こっち。「……毒見に」

 やっぱりそっちか。医者の期待は予測に敗北した。料理人にも、付け加えた一言は聞こえていた。

「……サンディは来なくていいよ」

「まぁ、そう言わずに」

「いいってば。無理に毒を食べることないでしょ」

 本人も自覚しているということは……フィリスの不安がいや増す。

「あぁ……」

「それじゃ、代わりにターシャを……」

 サンドラがその名前を出した途端、もてなし役は即答。

「サンディでいいや」

 少しはましになったとはいえ、リンディは魔法研主任研究員のターシャが苦手だ。いじりたがる、というか、絡みたがる、というより、手を出したがる、つまりは、触りたがる、とにかく、問題ある――というのが、本人の見解である。

「ありがと」

 微笑む課長。フィリスの見たところ、リンディはもともとサンドラが来るのを嫌がっていたわけではなさそう。毒と言われて、すねてみたという感じ……。招待を受ける側にとっては、言われたとおりでなければいいのだけど……。


 そうこうしていると、ナユカが秘書のミレットと九課へ戻ってきた。

「あ、リンディさん、こんにちは」

「こんにちは。ご苦労様です」

 それぞれの挨拶に、リンディは手を軽く挙げて答える。

「あたしは律儀だからね」

 公務でわざわざ来てるんだから……。それに、ミレットがあっさりと同意。

「そうですね」

 秘書の認識では、このセデイターは本人の自覚とは違って、実はそれなりに律儀だ。

「はいはい。どうせそうでしょうよ」

 律儀さでいえば遥かに上を行くお堅い秘書の素直な肯定を、リンディは皮肉だと受け取ったらしい。ただ、それで関係が悪化することがないのはわかっているので、ミレットは何も言わずに放っておく。本人も、かまわず話を始める。

「ところで、ミレットもユーカのサポートしてたの?」

「はい」

 ということは……。

「ミレットも演技できるんだ?」

「必要とあらば、いたします」

 ここでいう、「サポート」や「演技」というのは、ナユカのあまりにも高い結界破壊能力を、できるだけ隠蔽するための工作のこと。異世界人であることを秘密にしている彼女が、あまりにも簡単に結界を破ってしまうと、それを目の当たりにした者に、かえって警戒感を与えたり、こちらにとって好ましからざる憶測などを招いてしまうこともありうる。

 その実際の能力たるや、ふつうなら数人でも一日がかりでようやく除去できるような強固な結界でも、ナユカの「手」にかかれば、一瞬で消滅する。それは、ただ触るだけ――他になにをする必要もない。いちおう、呪文詠唱のふりなどを見せてはいるものの、結界破壊を次々に速攻でこなされたら、周囲から危険視されるのは想像に難くない。したがって、そうなることを避けるべく、無駄に時間をかけて作業を進めるようにしている。そこで、とりあえず「この結界破壊の専門家は、とある秘技によって結界破りを行っており、それにはそれ相応の精神集中とインターバルが必要」というフェイクの設定を作ってある。ゆえに、「クスノキ先生の精神集中」の際には、本人のみならず、それを仕切る「助手」にもある程度の演技力が必要だ。

「ミレットの演技力はどうだった? ユーカ」

 どちらかといえば、その方面が苦手と思われるリンディが聞いてきた。

「上手でしたよ」

「本当に?」

 お堅い秘書の演技がうまいとは、意外だ。

「ええ。わたしの最初のときよりも、遥かに」

 ナユカ自身、最初はギクシャクしていたが、今はもう慣れた……と思う。

「ユーカは、こういうのにあまり慣れないほうがいいような気がするな……」

 やむを得ないとはいえ、すでに世間を謀っているのだから、それを主導している課長として責任を感じる。まるで嘘つきを育成しているかのよう。

「それは大丈夫です」

 秘書がきっぱり言い切ったので、リンディは興味が涌く。

「ミレットは、ずいぶんユーカを信用してるんだね」

「信用?」なぜか聞き返し、一瞬の間を空けて肯定する。「あ、はい。それはもちろん」

 この返答はなんなのだろう。なんだか、違和感が……。その答えは結界破壊士の作業には、たいてい付き添っていたフィリスから。

「演技を見たからでしょう?」

「わたしは、最初は知りませんが……」

 初回はミレットはいなかったため、変化はわからないものの、少なくとも現状はわかる。どう見ても、ナユカが慣れたとは言いがたい。

「同じですよ」

「なるほど」

「安心した」

 フィリス、リンディ、サンドラは、意味を共有した。付き添ったのが初回のみの課長の懸念は、無意味なようだ。全員がナユカに視線を集中する。

「どうかしました?」

 会話が伏字で進行し過ぎて、本人にはよくわからない。

「あ、別になんでもない」

「ユーカはよくやってるな、って」

「そのまま素直に育ってね」

 リンディ、フィリス、サンドラは姉モードに入っている。

「え? ああ、はい……」

 いまひとつ釈然としていない異世界人に演技評価を悟られる前に、セデイターは話題を転換する。

「あ。フィリスが一緒に行かないってこと、聞いたよ」

「そうですか……残念ですけど……」

 ここで「大丈夫」とか口走ってしまうと、かえってフィリスがついて来たがってしまうかもしれない。不必要扱いするのも悪いし……。それは、さすがにナユカの気の回しすぎで、すでに医師は決断を下している。

「リンディさんのお姉さんに会えないのは、残念ですが……」

 姉のことが出れば、即、食いつくのはこの人。

「そうだよね、残念だよね、やっぱりね、当然だよね」畳み掛けてきた妹。「次の機会に会わせてあげるから……待ちきれないかもしれないけど……楽しみにしてて」

 自他の区別がつかなくなるほどのお姉ちゃん子がここにいる。まだ間もないナユカとフィリスのみならず、付き合いの長いサンドラやミレットをも加えた四人が一様に苦笑を浮かべる。

「はい。もちろん、楽しみに待っています」

 フィリスの返事が脳に届いているのかいないのか、リンディは目を輝かせてトリップ中。姉の話が続いて機能不全に陥られても困るので、課長が話を変える。


「ところで……今晩がいいな」

「え? なに?」

 シスコンは夢から覚めた。提示される話題は別の好物。これなら脳が反応する。

「食事」

「……ああ、おごってくれるわけね。十回分だっけ?」

 リンディに多数の食事の「借り」があるのは間違いないが、いくらなんでもそんなにはない。それに、サンドラが言いたいのはこっちの借りではなく……。

「いや、作ってくれるのがさ。暇でしょ?」

「作る?」

 目を見開いたナユカには、まだこの件は聞かされていない。

「……まぁ……時間はあるけど」

 リンディもこういう「借り」のようなものはさっさと消化してしまいたい。ただ、「借り」はフィリスに対してのはず……筋肉姉さんではなく。

「じゃ、決まりね」

 勝手に決めるし。

「サンディじゃなくて、フィリスの都合が優先でしょ」

「わたしは……予定はないですけど……」警戒心が拭いきれない……医師として。「あ。まだユーカに言ってませんし」

 ここで言えばいいだけ。苦し紛れの逃げ道なのが、ありあり。それなら、代わりに……。

「ユーカ、リンディの手料理食べる?」

「え?」サンドラに聞かれ、料理人をちらっと見る異世界人。「手料理?」

 身の危険が頭をよぎったのか、返答に窮している。

「そう。今晩、空いてるよね?」

 上司にこう聞かれたときは……どう答える? 

「ええ……空いてはいます……」

 演技を重ねても、ナユカは嘘つきには育成されなかった。先ほど頭をよぎった無用な懸念は消え去り、微笑むサンドラ。

「なら、来られるね。よかった」警戒が感じられる本人の返答は待たず、秘書に視線を向ける。「ミレットも来る?」

「いえ……わたしは、予定があるので……残念です」

 表情からは、それが断る口実なのか、課長にもわからない。

「それは残念」

「ええ、本当に」

 本当に「残念」かも、やはり不明。

「それじゃ、今晩、わたしのうちに……」

「なに? サンディんち? 旦那は?」

 もちろん、リンディは旦那と顔見知り。

「今晩はいない」

「それでか……」だからあたしに作らせると。一人の食事はいや、ってわけ? 「もしかして、逃げられた?」

 サンドラは冷静に答える。

「取材だよ」

「というのは表向きで……」

 表向き冷静に答える。

「取材だって」

「でも、本当は……」

 冷静さ終了。

「取材だってばっ」

「わかったよ、怖いなぁ……。でも、むきになるのが……」

 抵抗も終了。

「……はあ」

 残るはため息。

「はいはい、ごめんごめん」リンディ、久々の勝利。「先に入っていいんでしょ?」

 料理の仕込がある。

「いいよ」

「愛の巣に」

 なにを付け足すんだ、こいつは。しかし、ここは部下の手前、冷静さを失ってはならない。

「……やめてくれる?」

 一拍間を置き、低めの声で突っぱねたものの、部下たちの関心の対象は、課長の権威などではない。

「なんか、いいな……」

「ええ、ほんとに」

 ナユカとフィリスの興味はそっちだ。そして、ミレットまでもが無言でサンドラに視線を向ける。

「か、鍵は……」らしくない動揺……咳払いを二つ。「渡しておくから」

 どうにか立て直した。

「承知」

 からかった張本人はしれっとしている。もとより、恋愛音痴だ。

「……材料費は折半ね」

「あ? あー……」自分が払うのは自分と「借り」のあるフィリスの分、サンドラは本人とナユカの分ということになるか……。料理人は納得。「ま、いいか」

「あ、わたしも……」

 いちおう自分で払おうという異世界人。何が食卓に出てこようと……。

「ユーカの分はサンディが払う。フィリスの分は、あたしが払わないと意味がない」

 脳内で納得した内容をそのままアウトプット。それに、サンドラは同意。

「そういうこと。ふたりは無理につき合わせてるからね」

「……まーね」

 リンディは、その言い方を特に否定しなかった……。料理の質への確信がさらに深まったフィリスから、小声が漏れる。

「やっぱり……」

「いえ、無理なんてことは……」一間置く、道連れのナユカ。「ないですよ」

「というわけで、こっち持ちで任せて。あ、それと……」課長は健康管理者を見る。「念のため、非魔法系の胃薬を」

 異世界人用にという意味なのは明らかなのに、それを聞いた料理人は黙ったままで、サンドラに抗議をすることもない。これは決まりだろう、料理の腕がどういうものなのかは……。医師はあきれる。

「……出発はあさってですよ」

「だから、まぁ……自己管理してね」

 やばかったら食うなということを、上司としてほのめかしているのだろう……。そう解釈し、フィリスは覚悟を決めた。

「承知しました」

「よろしく」

 微笑むサンドラに恨めしげな視線を送りつつ、フィリスはリンディによる「恐怖の晩餐」へ出向く覚悟を決めた。自分、そして大雑把な上司はともかく、回復魔法の効かないナユカだけは絶対に守らないと……。堅く決意する健康管理責任者であった。




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