母の教えその7「眼鏡は立派な取り柄」
アルコルに呼ばれ登城するようになってからしばらく経った頃、ミモザの前に第三の死亡フラグが現れた。
「今日から一緒に授業をうけることになったメグレズだ」
そうアルコルから紹介された彼は、俯き気味の顔を少しだけあげミモザと目を合わせた後、すぐに目を逸らしながら小さな声で「よろしくお願いします…」と言った。
「メグレズはデルタ伯爵家の次男で、将来は僕の従者になる予定なんだ」
アルコルがミモザに説明している間もメグレズはきょろきょろと不安そうに視線を彷徨わせている。視線が動くたび後ろで一つ括りにした深い緑色の髪が揺れ動いて、顔の大きさと合っていない眼鏡がずれるので忙しそうに何度も直しているのが印象的だった。それだけ聞くと不恰好に思えるが、眼鏡の奥の黒目は切れ長で鼻筋の通った整った顔をしていて、さすが乙女ゲームの登場人物の一人であるといえた。
(新しい死亡フラグがやってきたのね…)
そう、何を隠そうこのメグレズ。ゲームのタイトルにもなっている「七人の騎士」のうちの一人であり、れっきとした攻略対象なのだ。
『七人の騎士のうちの一人、メグレズ。冷静沈着なインテリメガネ。腹黒度は王太子の側近メラクといい勝負だけど、見た目穏やかそうなあちらに比べると冷たい印象を受けるわ。実際にゲームでも最初ヒロインにもかなりそっけないもの。心を許した相手にしか笑わないからファンからチベットスナギツネってあだ名をつけられていたわね。彼は幼少時から第二王子に仕えている側近よ。実家であるデルタ伯爵領は大きな災害に見舞われて、伯爵一家や領民はかなり生活に困窮していたようね。だからこそ伯爵は領地への多額の援助の代わりに、まだ幼い次男を評判の悪い第二王子の従者に差し出したの』
母の説明によると、つまり人身御供として王家に献上されたのがこのメグレズであるというのだ。
将来の王弟の側近になれると聞けばかなりの好条件ではないかと思うのだが、そこはやはり今までのアルコルの悪評が響いているのだろう。
あれからアルコルだって変わろうとしているのに。
毎日少しずつ体に負担がかからないよう鍛錬をするようになったと言っていたし「兄のようにできなくても決して投げ出さない」とミモザに言ってくれた。城へ会いにくればそうして努力している姿を見かけることだってあった。
けれど未だに「我侭で傍若無人な第二王子」のイメージが払拭されないせいで、こういった状況になってしまったのだろう。
(大人って何を見ているのかしら…)
メグレズの様子を見れば、アルコルに対して不安を感じているのがよく分かる。恐らく第二王子の悪評を聞かされているのだろう。アルコルもまたそんな相手に緊張しているようだった。
変わろうと努力しているアルコルを見もせず、まるで生贄のようにメグレズを良くない評判があった相手に差し出す。
ミモザは思わず渋い顔をしそうになって、挨拶の途中だったと気を引きしめる。
「はじめまして、私はミモザ・サザンクロスと申します。殿下には友人として仲良くさせていただいています」
そう言って令嬢らしくお辞儀をすると、おどおどしていたメグレズも居住まいを正して名乗り返した。そしてすぐに怪訝な顔をして「友人…?」と小さく呟いた。
「えぇ、この間の王宮で開かれたお茶会でご縁があって、それ以来友人として時々王城にお招きいただいていますの。友人として。メグレズ様は殿下のご学友になられるのでしょう?私とも友人として仲良くしてくださると嬉しいです」
大事なことなので何回も言いました。
あくまで自分とアルコルは「友人」なのだとにっこり笑って言い含めると、ミモザから何か感じ取ったのかメグレズは焦って「そうなのか」と目を逸らした。
なにも『第二王子の婚約者に選ばれないようにする』という打倒死亡フラグのためだけに言ったわけではない。
ミモザが友人、友人と連呼したのにはちゃんと理由があるのだ。
『彼は最初は王太子の側近の候補に上がっていたんだけど、王太子が選んだのは別の人間で、そのことでそれはもう父親にひどく叱責されたらしいわ。家が傾いたのは彼のせいではないというのにね。そして"今度こそ選ばれてくるように"と誰もなり手のいなかった第二王子のもとへ人身御供のように送り出されたのよ。家を助けてもらった恩や、家にはもう自分の居場所がないことが分かっていたから彼は我侭な第二王子に誠心誠意尽くすしかなかった。ゲームの中で第二王子がクーデターを企てた時も付き従っていたくらいだもの余程ね。けれども彼は学園でヒロインと出会って第二王子に見切りをつけ、諌め切れなかった自分を恥じて王子を裏切り断罪に手を貸すの。第二王子と貴女の断罪にね』
そう、ゲームのシナリオで第二王子とミモザが起こしたクーデターが失敗するのは、このメグレズの裏切りが最大の原因である。
メグレズルートだけでなく他の攻略対象ルートでも、詳細は多少違うが彼は第二王子を裏切ってヒロインに手を貸している。
彼が裏切るのは、第二王子の長年にわたる傍若無人な仕打ちに耐え切れなくなったとか、他人を省みない第二王子とその婚約者の振る舞いが許せなかったとか、危なくなったら自分を切り捨てようとしていた第二王子に信用をなくしたからとか、色々な理由があったが、そもそもは第二王子との信頼関係が損なわれていることが原因だと言える。
つまり、この第二の死亡フラグを回避するにはアルコルとメグレズの信頼関係がしっかりと結ばれていることが重要なのだ。
だからこそわざとらしいくらいに友人友人と口にしているのだけれど、当の本人達がそんなに話そうとしていないのが気にかかる。
ここはミモザががんばって二人の間を取り持たなければと、心の中で決意していると、それまで黙っていたアルコルが口を開いた。
「……ミモザ」
「はい?」
名前を呼ばれたのでメグレズから意識を外すと、どこか拗ねたような表情をしたアルコルが「殿下じゃないだろう」とミモザの方に手を差し出した。
「………」
(これは手を出せということなのかしら…?)
よく分からず差し出された掌に、ぽす、と自分の手を乗せると、きゅうと握られてもう一度「殿下じゃなくて」と言われる。
「殿下?」
「アルコルと呼んでほしいと言っただろう…」
「しかし、メグレズ様もおりますし…他の方の前ではきちんと礼をとらなければ…」
「いやだ」
「いやだと言われても…婚約者でもないのにそんな風にずうずうしく呼べませんわ」
「うっ…」
ミモザの言い放った言葉に空いている方の手で胸を押さえて項垂れるアルコルに首を傾げながら、同意を求めるようにメグレズを見れば彼は彼の方で驚いてずれた眼鏡を直していた。
「…ミモザ嬢は、殿下の婚約者ではなかったのですか…?」
「違います」
またしても横からうめき声が聞こえたが、今はメグレズの誤解を解くほうが先だ。
「でも名前で呼んで欲しいなんてどう考え…」
「違います。友人です、親しい友人なら名前で呼び合ってもおかしくないですよね?」
「そ、そうかな…?」
「そうです」
きっぱりと言い切ると、握られていた手がくいくいと引かれる。
「確かに……その…まだ………婚約者じゃないけど、それなら僕の従者で学友で友達なんだから、メグレズも僕をアルコルと呼んだらいい」
「そっ、それは…!」
いきなり王子から名前を呼ぶように言われて驚いてメグレズが言葉を失くす。
(そうよね、いきなり王族から名前で呼べと言われたら驚くわよね…)
最近同じことを言われた身としてはメグレズが固まってしまう気持ちがよく分かった。
ましてやメグレズはアルコルが「我侭癇癪もちのどうしようもない王子」だと聞かされているのだろうから、下手なことを言って不敬罪にでもされたらどうしようとか考えているに違いない。
そんなメグレズの葛藤に気付くことなくアルコルは「そうしたらミモザだっていつでも僕の名を呼べるだろう」とか言っている。
(ん…?)
「殿下…もしかしてそんなことのためにメグレズ様に友人だと言ったのですか」
「っ…だ、だってそうでも言わないと呼んでくれないだろう…」
「だとしても、それにメグレズ様を利用して無理矢理言わせるのはいけないと思います」
「メグレズのことを友達って言ったのは本当だよ!」
「!」
固まって顔を伏せていたメグレズがアルコルの言葉に勢い良く顔をあげる。
「ずっと一人ぼっちだった王宮にミモザが来てくれるようになって、これからはメグレズも一緒に勉強したり鍛錬したりできるんだって言われて嬉しかったんだ」
「………」
「やっと少し仲良くなれたと思ったのに、そうやってミモザに殿下って呼ばれるとまた一人に戻っちゃう気がして嫌だった」
「あ……」
自分も何を見ていたのだろう。今のアルコルは理由もなく我侭なんて言わないのに。
一人ぼっちの部屋で母親の日記を抱えている自分の姿が重なる。他の誰でもない自分こそ、その寂しい気持ちをわかってあげなくちゃいけなかったのにと後悔が込み上げる。
「二人がどうしても呼びづらいというなら無理強いはしない」
「折角できた友人をこんな我侭でなくしたくないからな」と眉を下げて笑うアルコルに、ミモザは体ごとしっかりと向き直って名を呼んだ。
「………アルコル様」
「!」
「ごめんなさい…またお名前でお呼びしてもいいですか?」
「…っ…あぁ!」
ミモザの言葉に嬉しそうに笑って頷いたアルコルに、それまで横で呆然としていたメグレズが一歩近付く。
「王子殿下…」
「あ、あぁ…どうし」
「……ごめんなさい!!」
「!」
がばりと頭を下げたメグレズに驚いて今度はアルコルが固まる番だった。
「僕は…僕は、殿下のことをとても怖い人だと思っていました」
「………」
「僕は次男で、兄のように領主としての教育も満足に受けていないし、魔法だって満足に使えない…何の取り柄もない僕を従者に選んでくれたのは他の誰でもない殿下だったのに…僕は殿下の悪い噂を信じて自分であなたを見ようとしなかった」
「…半分は本当のことだからそれは仕方ないよ…それにメグレズを選んだのも宰相に言われたからなんだ…君を従者にすることで伯爵領が再興できるならそれでいいと思ったし、恩を売っておけば他の奴らみたいに僕を蔑ろにしないんじゃないかって自分勝手に考えただけなんだ…ちゃんと考えたわけじゃなくて、ごめん」
「それでもです、僕は家の為に選ばれなきゃいけなかった。もしあなたがあの茶会のとき選んでくれなかったら、僕はきっと厳しく叱られて家でも居場所をなくしていたでしょう」
「………」
先程までおどおどしていたのとは別人のように、アルコルの目を見て堂々と話す様子は彼が攻略対象の一人であると思い知らされた。背筋が伸び、ずれ落ちていた眼鏡はようやく収まりどころを見つけたのかかちりと目元に嵌っていた。
「今更、と思われるかもしれません…どうか僕にも殿下の名前を呼ぶお許しをいただけませんでしょうか」
「申し訳ありませんでした」と頭を深く下げたメグレズに、アルコルはミモザの手を一度ぎゅっと握ってからその手を離して向き直った。
「僕もこの間言われたんだけど…そういう時はありがとうって言うんだよ、メグレズ」
「!」
「僕こそなんの取り柄もないし、こんな見た目だし、まだ直さなきゃいけない悪いところもたくさんある…それでも友達として名前を呼んでくれる?」
「っ…はい!!」
「アルコル様」と言ったメグレズに笑い返して、アルコルは少し赤くなった頬を指先で掻いた。
「嬉しいけど、照れくさいな…友達だって胸を張って言ってもらえるよう努力するよ」
「そんなことないです!僕こそもっと勉強して取柄の一つもみつけられるよう努力します」
「お二人ともちゃんと努力しているのですからきっと大丈夫です。それに母が『眼鏡はかけているだけで取り柄なのよ』と言っていました」
「どういう意味なんだ…?」
「わかりません」
「わからないって………っふふ、ははっ…」
王宮へ来てから初めて声を出して笑ったメグレズを見たアルコルは、ミモザに小さく「ありがとう」と耳打ちをした。
「……っ…」
それが恥ずかしかったのと、アルコルが少しずついい方に変わってきていることを感じて。感極まってミモザの胸は一杯になった。
嬉しくて心のままにアルコルに「良かったですね」と笑い返すと、ミモザより更に赤くなったアルコルは反対の方を向いてしまった。
「婚約者ではないんだな…………まだ」
そんな自分達を見ていたメグレズは可笑しそうに小さく呟いた。
誤字報告ありがとうございましたm(_ _)m