閑話:第二王子は恋を知る
読んでいただいてありがとうございますm(_ _)m
書くのが遅くてごめんなさい。
『兄上様は簡単にできましたよ』
『兄君はもっとお上手でした』
今よりももっと子供だったころから、毎日のようにそう言われていた。
どれだけ勉強しても、どれほど努力しても、自分が得られた評価は兄には及ばなかった。
『大丈夫、人によって得意なことも苦手なこともあって当たり前なのよ。アルにはアルのいいところがちゃんとあるわ』
出来のいい兄と何一つ満足にこなせない自分を比べる時に、周囲の人間は揃って“色落ち”と口にした。
兄に比べてくすんだ色合いの髪色のせいだろう。
うまくいかなくて悔しくて泣きつくと、母はいつも根気よく慰めて諭してくれた。兄にかなわないことにひねくれた時は叱られたこともあった。
体が弱く、いつも床に臥せっていた記憶しかない母ではあったが、優しく芯の強い人間であったと思う。
自分の存在をきちんと認めて慈しんでくれる、そんな母の膝の上で頭を撫でてもらうのが大好きだった。だからこそ、たとえ兄にかなわなくとも勉強や鍛錬を怠ることはしなかったし、母が悲しむような道理に背くことは絶対にすまいと思っていた。
けれどそんな優しい母は自分をおいて逝ってしまった。
母親がいなくなったことがよく実感できていなくて。ただもう会えないのだということだけは嫌というほどに分かっていた。
父親である国王は、正妃であった母が亡くなってすぐに、側妃であった兄の母を正妃に迎えた。母が亡くなったことを、父も同じように悼んでいると思っていたのに、ひどく裏切られたような気がした。
それと呼応するように自分のまわりからはどんどん人が離れていった。継承順は二番目ではあったが「正妃の息子」という肩書きもなくなってしまった今の自分には、きっと誰も好んで寄ってはこないのだろう。
いろんな事がもうどうでも良くなってしまって、母や国民に誇れる自分であろうと努力していたことも、意地のように続けていたことも、全て手につかなくなった。
腫れ物のように扱われ、哀れだと言いながら陰では“色落ち”だと見下して。まわりにいる人間全てが敵に思えて、普通に人と話すことができなくなり、鬱憤を当たり散らしては酷くなる悪口に苛立って。
勉学や鍛練に励んでも兄と比べられて蔑まれるのであれば最初からしない方がいい。どうせ誰も自分に期待などしていないし、目も向けないだろう。
授業はどんどん遅れていったし、食べてばかりで動くこともしなかったせいか体はどんどん重く鈍っていった。
そんな自分を唯一姉だけは心配してくれて、何度も話しかけてくれたけれど、頭が愚鈍になろうが、見た目が醜悪になろうが、他人からどう思われようが、もう自分には関係ないことだと思っていた。
認めてくれる母はもういない。
自分を見てくれる人はもういないのだから。
自棄になっていたのだと思う。全部がどうでもよくて、諦めていたのだと思う。
気づけば自分の周りには誰もいなくなっていた。
そんな時、王宮で茶会が開かれることになった。
同じ年頃の令息や令嬢が集められ、自分の将来の従者や伴侶を探すのが目的だというのだ。
茶会の前に「もしこの中で従者にするなら誰がいいか」とか「気に入った者があればすぐに侍従に言うように」と、父から言われた気がするけれどよく覚えていない。
なんと返事を返したのかもハッキリしないが、分かっているのは従者だろうが婚約者だろうが、誰がなってもおんなじだということだ。
こんな自分には誰も好んで寄り付かないし、疎まれるのが分かっているのだから此方から声をかけるなんてことしたくない。政略的にお互い利害が一致している相手であれば誰でもよかった。
会場に入った瞬間、見せ物のように注目され、陰でひそひそと囁き合う姿は大人顔負けで。この場にいるだけで気分が悪くなりそうだった。
遠巻きにしているだけで近寄ってすらこないのだから、気に入るもなにもない。どうせ此方からは話すこともないのだし、今さら取り繕ってどうなるものでもないだろう。
いつものようにテーブルの菓子に手を伸ばし、自由に振る舞う。視界の端で数人が離れていくのが見えて、やっぱり子供とはいえ貴族なんだなと皮肉気に口許が歪んだ。
そんな時だった。
『ねぇあなた、王子様を見かけなかった?』
いきなり不躾に話しかけられ、驚いて動きを止めると、周囲にいた使用人達が一斉に顔色を変えた。唐突に生まれた不穏な空気にしんと会場が静まり返る中、薄茶の髪に似合わない派手なピンクのドレスを着た少女は尚も「私、王子様にお目にかかりたくて探しているの!」と言い募った。
相手の顔も知らずに探しているなどと馬鹿げていると思ったし、最低限の礼儀もなっていない。相手にするまでもないと思ったが、話を聞きそうな雰囲気もない。仕方なく「……王子は僕だ」と言えば案の定そんな太っている王子はいないと吐き捨てられた。
誰かが堪えきれず漏らした小さな悲鳴が事の重大さを物語っていた。
礼儀がなっていないどころではなく、不敬罪となってもおかしくない暴言だった。
あまりのふざけた物言いに腹が立って肩を振るわせていると、尚も少女は此方を貶めるようなことを吐こうとしていた。
そんな時だ、彼女が自分の前に現れたのは。
妹の名を呼びながら目の前に突然現れた彼女は、その肩を掴んで非礼を言い聞かせるように妹に諭している。
橙色がまじった赤い髪。明るい緑の目は真剣に妹の目を見つめていた。
その眼差しは、いつかの自分を心配して叱る母を思い出させる。不敬を咎めようと開いた口はぴたりと上下が張り付いてしまったかのように動かなくなった。
『あれは確かサザンクロス家のご令嬢よね』
『あぁ…確か侯爵は夫人が亡くなってすぐ後妻を迎えられたのだろう?』
『なんでも姉の方は後妻に入った新しい夫人と連れ子の娘にひどく苛められているそうよ…父親も見ないふりだとか…お可哀想に…』
どこかからひそひそと囁く声がする。
誰が言ったのかは分からない。けれどそれが本当であるならば、あの少女は自らを虐げる義妹を庇うため、王子である自分の前に現れたということだ。
どうしてそんなことができるのだろう。自分を苛めるような奴をどうして庇う。何故卑屈にならない。逆の立場だったらそいつは絶対にお前のことなんか庇わないだろう。
黒くてドロドロしたものが胸にせりあがってくるのを感じながら呆然と二人を見ていると、姉である少女は此方を覗き込むようにして、許しを乞うてきた。
急に近くなった顔に息を飲むも、心のどこかでは自分の境遇を恨んでいるのだろうと、見返した瞳の奥に相手を疎む気持ちや憎しみを探す。
『王子殿下、誠に申し訳ありません…!!妹はまだサザンクロス家に来てから日が浅く世情に疎いのです…どうぞお許しを…!!』
けれど間近で見た緑の目に、暗い影は一切見つからなかった。
義妹を背に庇い、仕出かした騒動を真摯に謝り。
その真っ直ぐな瞳に、頬を思い切りひっ叩かれたような気になった。
同時に心臓が煩いほどの音を立てる。
顔が熱い。
胸が痛い。
恥ずかしかった。
この少女は自分と同じだと思っていた。
母親を亡くし、父から見放され、自分の責ではないことを責められ、努力してもどうにもならない現実を恨んでいるのだと。
しかし目の前の少女はそんなこと微塵も感じさせず、しっかりと自分を見据えて見つめ返してくる。
きっと彼女は諦めていないのだ。
何もかもを諦めて捨ててしまった自分とは違うと気づいたとき、急にその少女が眩しく思えて頬に更に熱が上がるのがわかった。
もし自分が彼女をほしいと言ったら。
同じような境遇を持つ彼女なら自分のことを分かってくれるのではないだろうか。暗いところから引っ張りあげてくれるのではないだろうか。
『王子の婚約者に選ばれれば彼女も家族に疎まれずに済むんじゃないかしら』
そんなことを考えていたとき、また何処かから声が聞こえた。
そうだ。今誰かが言ったように、自分の婚約者になれば彼女の家での扱いもきっと良くなる筈だ。
それがいい。彼女は自分の助けを必要としている。彼女を助けてやれるのは自分しかないないのだ。
それに王子の婚約者になれるのだから、きっと彼女も喜ぶだろう。
この時は、相手の気持ちなど考えもせず。それがとても独りよがりな考えなのだと、自分は思いもしなかった。
すぐに背を向け去ろうとした彼女の腕を掴み、無理矢理温室まで引っ張ってきて「ずっとここにいろ」とか「結婚しろ」とか言ったのかもしれない。心臓が煩くて、頭がぼおっとして。言い訳になってしまうけれど、まるで自分の意思ではないみたいだった。
驚いて見開かれた大きな緑の目に自分が写っているのが嬉しくて。
よく見ると彼女はとても可愛い。
掴んだ腕の白い指先も、新緑の瞳に映える赤い髪も、自分よりひとまわり小さな肩も、不安なのか戦慄く唇も。
靄のかかったような頭でそんなことを考えていたら自然と体が動いていた。
我にかえったのは、彼女の悲鳴と頬に衝撃を感じたときだった。
『あなたなんかきらい…!!大っきらい!!』
ぶつけられた言葉に頬を殴られた以上の衝撃を受けた。
拒否されるなんて思わなかった。彼女は自分の助けを必要としていて、王子と結婚できることを喜ばない筈がないと思っていた。
自分のとった行動によって泣き出してしまった彼女に、激しい動揺と後悔が襲う。
突然現れた姉があの場を収めてくれなかったら、どうなっていたかわからない。
目の前で泣く彼女に「僕は悪くない」とか言い訳しながらおろおろするしかなかった自分はとても無能だった。
『……私はミモザです…その…サザンクロス侯爵家の娘にございます…』
姉に聞かれて「ミモザ」と名乗った彼女に、それまで相手の名前すら聞こうとしなかったことに気づかされた。
これでは本当に嫌われたって仕方ない。
名前すら聞かず、無理矢理連れてこられて結婚を迫り口付けようとするなど、彼女にとっては恐怖でしかなかっただろう。
今や彼女は顔を青ざめさせ、姉の質問に肩を震わせながら答えている。
きっと王子である自分に不敬を働いてしまったと思いつめているのであろう。
悪いのは自分なのに。
早く謝らなければと思うのに、彼女に嫌われたかもしれないと思うと、声が出なくて。
『アルコル、継承権は二番目だったとしても、貴方はれっきとしたこの国の王子なのよ』
姉の言葉はもっともで、自分は良かれと思ってやったとか、そんな理由で許されるものではなかった。
謝らなければ。
そう決意して口を開こうとしたら、姉の「わだかまりが残ってはいけないわね」というよく分からない発言で、彼女の気持ちを知り、更に落ち込んで泣きそうになった。実際ちょっと泣いてしまったかもしれない。
項垂れた自分を笑う姉を恨めしく思いつつも、姉がああして彼女の気持ちを知るきっかけを与えてくれなかったら、自分はずっとあのままだったかもしれないと思うとそれ以上は責められなかった。
『…ごめんなさい…』
きっともうこれ以上嫌われることもないだろう。
底まで落ちていた自分の評価に、そう思ったら素直に言葉が出てきた。
彼女はあんなことをした自分を許してくれて、それどころか自分もひどいことを言って悪かったと謝ってくれた。
ほっとして、目の前の彼女に緊張して、また顔が熱くなる。
反省しなければと思うのに、姉の「友達」という言葉に勝手に期待してしまう自分はずるいと思う。
彼女に嫌われたくない。もっと仲良くなりたい。話がしたい。笑ってほしい。虫がいいのは分かってる。彼女に酷いことをした自分が望んではいけないことだと。
相反する感情を持て余しながら彼女の方を窺えば、どこか戸惑うように考え込んでしまった。
すぐに断らないのは彼女が優しいからだろう。
けれど、もし少しだけでも、まだ自分のことを考えてくれているのなら。
『……ミモザ嬢、僕と……私と友達になっていただけますか…?』
意を決したように彼女の前に跪いて、自分の気持ちを伝える。
ずるいと分かっていてもこのまま帰したくなかった。意図して一人称を変えたのもせめてもの足掻きだ。
返答をじっと待って静かに見つめていると、やがて根負けしたように彼女は頷いてくれた。
それがどれだけ嬉しかったか、きっと今でも彼女は知らないだろう。
ミモザ・サザンクロス。
サザンクロス侯爵家の長女で、歳は自分と同じ十歳。家ではやはり不遇な目にあっているようだが、本人はへこたれずに健気に過ごしているという。母親を亡くしてからあまり茶会などの公な場には出てきていないが、愛らしい見た目のせいか縁談を望む家も少なくはない。侯爵家は義妹に婿を迎えて継がせるらしく、ミモザは他家へ嫁入りが可能。
あの茶会の後で、知った彼女のことだ。
どこか情報が偏っているのは、それが姉からの情報であったせいかもしれない。
あの茶会の後、ミモザは友人として時々会いに来てくれることになった。
そんなことを思い出しながら、ミモザに見入っていると、此方を向いた彼女に「頬にお菓子がついております」と頬を拭われてしまった。
彼女に呆れられたくなくて、こぼさないように注意していたというのに。
恥ずかしくなって「ごめん」と謝れば「そういう時は“ありがとう"です」と言われた。
素直に頷いた自分にミモザは小さく微笑んでくれた。
そういうところが可愛いと思う。
確かに見た目だって可愛いけれど、優しくてこんな自分に呆れたりせず、ちゃんと目を合わせて話をしてくれる。そういう彼女だから、自分はこんなにも惹かれているのだ。
だから姉の話を聞いたとき、見た目だけで結婚を望むような輩には絶対にミモザを渡したくないと思った。
父である国王はすぐにでも彼女を婚約者にと言ったが、姉の言う通り自分はミモザに嫌われているのだ。無理強いしたくないけれど、やっぱり彼女の隣を諦められなかった。
彼女に見直してもらえるよう、止めてしまっていた鍛練や勉強を再開した。口調や立ち振舞いは王子らしく。使用人への振る舞いも見直して今までのことを謝った。
今も菓子一つ食べるのにみっともないくらい必死だ。
すぐには変わらないだろうけど、胸を張って彼女に気持ちを伝えられるように。いつか彼女に好いてもらえるように。
嫌われている現状からせめて普通の友達になれるようにするのが最近の目標である。
顔を洗ったあと彼女のもとに戻って呼び掛けようとして、名前で呼ぶ許可も得ていなかったことに気付く。遠慮がちに「サザンクロス嬢」と呼ぶと「ミモザで構いません」と言われ、頬がだらしなく弛むのが自分でもわかった。
誤魔化すように手を掴むとあがった小さな悲鳴にまた失敗してしまったことを知る。
けれど謝った自分に彼女はちゃんと目を合わせて「それはいけないこと」と教えてくれた。
近くなった顔に頬が赤くなりながら、言うとおり手を差し出せば、小さな手が乗せられる。
宝物みたいにその小さな手を握って歩くと、とても幸せな気持ちになった。
太っているため手汗をかいてしまうのが恥ずかしいが、その手を離したくはなかった。困惑しながらも着いてきてくれたミモザは本当に優しいのだと思う。
『貴方に贖罪する意志があるのなら、自分のしてあげたいことではなくて、相手の喜びそうなことを考えてあげなさい』
どうしたらミモザに仲良くしてもらえるか姉に相談したら、そう返ってきた。
悩みに悩んで、彼女が喜びそうなことが分からなくて。自分なりに考えた結果が、彼女の髪色と似たこの花を見せるということだった。
これでいいのか心配だったけれど、彼女はとても喜んで、頬を染め笑ってくれた。
その顔を見ていたらどうしても我慢できなくなって膝をついていた。
驚く彼女に名前で呼んでほしいとお願いすると、彼女は当然困った顔をする。
殿下と呼ばれる度に距離を感じて嫌だった。
姉を名前で呼ぶように、自分のことも「アルコル」と名前で呼んでほしかった。できれば「アル」と。
ミモザを困らせているのがわかった。でも我慢ができなかった。
渋る彼女に「だめか…?」と眉を下げて見上げると、彼女は再び考えこんでしまった。
最近気づいたことだが、彼女は情が深い。こうしたしゅんとした視線に弱いのだと思う。汚いとは思ったが、彼女に名前を呼んでもらう為には利用するのも許してほしい。
顔を背けたミモザに、こっちを向いてほしくて握った手を引くと、諦めたように彼女は顔を戻して頷いてくれた。
『あ…………アルコル様…』
言わせてしまった感は否めないが、ミモザに名前を呼んでもらえて、自分は有頂天になっていたのだと思う。
その後すぐ温室へやってきた姉に、苦手な剣術の先生がやってきていることを知らされ、嫌でも兄に劣る自分を思い出させた。
こんな卑屈な自分を見られたくなかった。
けれど、一度兄への劣等感を口に出してしまうと止められなかった。
そんな自分を止めたのは、またしても彼女だった。
『アルコル様の髪は小麦の色に似ています』
ぽかんとした自分に彼女は微笑んで「お日様の光をきらきら浴びた金色の野原」の話をしてくれた。
この髪が大嫌いだった。兄のように、姉のように、きれいな金色じゃないこの髪が。
ずっと嫌いなままだと思っていた。
『だから私は小麦畑の金色が大好きなのです』
なのに彼女はその一言で、ずっと自分が抱えていたものをきれいに吹き飛ばしてしまった。
「大好き」などと自分が言われた訳ではないのに、急激に顔が熱くなる。
ミモザはすごい。
母恋しさに、自分を認めてくれる相手を求めているだけなのかと思う時もあった。けれども彼女は母の代わりなんかじゃない。代わりになんてなれない。
だってこんなにも好きで、大好きで、胸が痛いくらいなのだから。
決心したものの「行きたくない」と思っていたのが分かってしまったのか「筋肉は裏切りません」と言ったミモザに、もしかして筋肉質な男が好きなのだろうかと思って聞くと、それに近い言葉が返ってきた。
思わず掴んでしまった自分の腹の肉に渋い顔をしてしまったのは許してほしい。
もっと痩せて、筋肉をつけよう。
この日から、嫌われている現状から抜け出すことの他に筋肉をつけることも、目標に加えようと思った。