母の教えその6「筋肉は裏切らない」
あの後、ミモザが第二王子に気に入られたことに父はかなり満足げだった。
そんなに私に出ていってほしいのだろうか。
最近では落ち込むより呆れの方が強い。
アクルのことは「実際に第二王子を見て幻滅したようですわ」と言ったら、茶会でのことは深く追及されずに納得してくれたのは良かったと思っている。夫婦揃って単純でこの侯爵家は大丈夫なのかと不安にはなるが。
そしてミモザが恐れていた通り、第二王子がミモザを気に入ったことはその日のうちに国王の知るところとなってしまった。
国王が「アルコルが望むのなら」とミモザを婚約者として迎えることに意外と乗り気だったのには驚いた。
やはり心のどこかでは第二王子を取りまく状況が気になっていたのかもしれない。
王宮という場所で、王女であるタニア様もいらっしゃったのだから話が広がるのは仕方ないといえば仕方ないのだが、そんなに早く婚約の話が出るとは思わなくてミモザはとても肝を冷やした。
けれどタニアは婚約の話を「まだ早いですわ、だってアルコルはミモザに好かれていないもの、むしろ嫌われているわ」とあっさり保留にしてしまった。
あまりきっぱりとした物言いに国王陛下はじめ、王宮の使用人みんなが言葉をなくしていたのは記憶に新しい。
王女の言葉には第二王子も眉を下げ頷いていた。
ミモザ自身もあくまで「友人の一人です」と何度も言い置いてきたのでまだ猶予はあるだろうと思っている。
確かに第二王子はミモザにとって一、二を争う死亡フラグだけれど、やっぱり同じ境遇のアルコルのことをほおっておけないと思うのも事実。
それにアルコルがこのまま改心したら、きっとお嫁さんになりたいと思う令嬢たちも出てくるだろう。
(自分で決めたことなのだから頑張ろう…)
表面上は変わらず、義母や妹を回避する日々が続いていたが、あのお茶会の後ミモザの日常に一つだけ加わったことがあった。
「殿下、頬にお菓子がついております」
「あっ……」
指摘されて声をもらした相手は慌てて手の甲で頬をぬぐう。けれども反対の頬についたそれは取れずに未だ残っていた。
「どこだ…?」
「……こちらですわ」
立ち上がってそばへ行き持っていたハンカチで頬を拭いてあげると、第二王子は頬を染めぎこちなく「ごめん」と言った。
「殿下、そういう時は“ありがとう"です」
「そうか…ありがとう」
「はい」
素直に頷いた第二王子にミモザも小さく微笑んで席に戻って紅茶を一口飲んだ。目の前では先程より慎重にお菓子を食べはじめた第二王子がいる。
今日の天気は穏やかな快晴。第二王子から目を外して眺める庭は色とりどりの花が青空の下咲き乱れ、どこも手入れが行き届いている。流石は王宮だと言わざるを得ない。
何故ミモザがこんなところでお茶をしているのかと言えば、第二王子の話し相手として王城に呼ばれたからだ。
あの後、第二王子の「お友達」になってしまったミモザは、こうして定期的に城へ呼ばれることになってしまった。
ミモザはともかく第二王子の方はミモザに好意を抱いているらしいことと、あのお茶会以来わがまま放題だった第二王子が少しだけ変わりはじめたことが大きな理由らしい。
何故そんなことを知っているのかといえば、城に呼ばれるようになってすぐにタニア様が教えてくれたからだ。
『アルってばね、ミモザに早く会いたくて苦手な勉強もきちんと受けるようになったのよ。この間も我が儘を言ってたからミモザに嫌われるわよって脅……言ったらすぐに大人しくなったわ、貴女のおかげね』
今も見ていると、こぼさないように悪戦苦闘しながら食べているのが分かる。自分のお陰かはともかく、ミモザがいないところでも彼なりに変わろうとしているのが嬉しかった。
「……殿下、またお顔についてますよ」
「う………あ、洗ってくる…!!」
大人達の間でどのような話がなされたのかは分からないが、無理やり婚約させられることはないようなので様子を見てもいいかと今は思っている。
慌てて走っていく後ろ姿が子豚のようだと思ってミモザは少しだけ笑いそうになるのを、いくらなんでも失礼だと思って咳払いしてこらえた。
すぐに戻ってきた第二王子は、そんなミモザに気づかなかったようだが、すぐには座らずミモザの隣にやってきた。
「その…ミモ……サザンクロス嬢」
「…ミモザで構いません」
「そ、そうか……」
この間も名前で呼ばれたような気がするのだけれど、名乗ってもいない相手にそれは失礼な態度であったと気づいたのだろう。家名に言い換えた第二王子にそう言うと、嬉しそうに「見せたいものがあるんだ」とミモザの手を掴んだ。
「こっちだ!」
「いたっ」
またしても急に手を引っ張られたミモザは、転ばないようなんとか椅子から立ち上がった。
「ご、ごめ………すまない…」
「……殿下、女性の手をそのように強く引いてはいけません」
それはやってはいけないこと。そう軽く暗示をかけつつ第二王子の目をじっと覗きこむと「どうしたらいいんだ…?ミモザは知っているのか?」と、頬を赤くしながら素直に聞いてきた。
「こういう時はこのようにして手のひらを上に向けて相手に差し出すのです」
「そうか……」
神妙に頷いた第二王子は、おそるおそるといった感じでミモザに向かって手を差し出してきた。
「ミモザ………えっと、手を…」
「はい」
ミモザが素直に手を預けると、第二王子は嬉しそうに笑い「行こう」と手を引いて歩きだした。握られた掌は汗でちょっと湿っていたけど、前回のように力任せに引かれている訳ではないから十分歩きやすかった。
(息が切れるのがお早いですね…)
手汗もそうだが、第二王子はその体型のせいで普通に歩いているだけでも息が上がってしまっているようだった。首筋には汗の玉も浮いている。
(もう少し痩せた方が体に負担がかからなくていいんじゃないかしら…)
ミモザがそんなことを考えていると、眼前に見覚えのある建物が見えてきた。
それが前回連れ込まれた王宮の温室だと気付いてミモザは体を強張らせる。
「ち、違う!今日は、何もしないから!!」
ミモザの態度に気づいた第二王子が慌てて「見せたいものがあるだけなんだ!!」と弁解をする。
「…………」
「ほ、本当だから…信じて!!」
ミモザのじとっとした半目の視線に、縋るような碧い目が重なる。
「………ぅ………わ、わかりましたわ…」
何故かこの間からミモザは第二王子のそんな縋るような視線にとても弱い。
同じ境遇、似たような逆境に立ち向かう相手だからだろうか。
(まぁ…何かあれば今度こそ距離を置けるし…)
諦めたようにミモザは破顔した第二王子の後に続いて緊張しながら温室の扉をくぐった。
「殿下……見せたいものとはなんですの?」
「こっちにあるんだ……あの大きな植物の後ろに……」
「…………わぁっ」
ミモザと第二王子がたどり着いた先に広がっていたのは、赤みの強い橙色の花が沢山咲いている花壇だった。
「すごくきれい…花畑のようですね…」
「………」
花はひとつひとつは小さく可憐ではあるが花弁が多く、こうして群生するように植えられていると、温室の中であることを忘れてしまいそうになる。
「……気に入ってくれたか?」
「はいっ」
「…よかった…」
心底ホッとしたように第二王子は笑った。
「…殿下はこれを見せたかったのですか?」
「あ、あぁ…うん…お日様にあたるとミモザの髪の色にすこし似てるなって」
「え」
「それに、この間はひどいことしちゃったから……」
「…………」
「僕が悪いんだけど…その、もっとミモザに仲良くしてほしくて…姉上に相談したら、ミモザの喜ぶことをしてあげなさいって…」
王女の入れ知恵とはいえ、きちんと自分の悪かったことを反省して、こうしてミモザの喜びそうなことを考えてくれたのだと思うと、何だか面映ゆい。
ミモザはぼんやり顔が赤くなるのを感じた。
ぽっちゃりで、握られた掌は汗まみれで。全然王子様らしくないのに。
「殿下……その…あの、もう怒ってませんから…」
だから手を、と離れようとしたミモザの手をぎゅっと握って第二王子はミモザの前に膝をつく。
「で、殿下…!」
「殿下じゃなくて、アルコルって呼んでほしい」
「えっ!?」
人生で二度目になる「跪いた王子様のお願い」に動揺が収まらないうちに、再びとんでもないことを言われた気がする。
「それは…っ…」
「この間のことを許してくれるなら、どうかアルと呼んでくれ」
「!?」
ちょっと待ってほしい。いきなり名前から愛称にハードルが上がっている。
答えられないうちに難易度を上げた呼び名に、ミモザの頭はぐるぐると限界を迎えそうになっていた。
「しかし…」
「だめか…?」
(うぅ…っ…!!)
しゅんとして叱られた小さな子供ような視線にミモザが弱いのを分かってやっているのだろうか。
せめてもの抵抗の顔を背けて第二王子の方を見ないようにしたのに、握られた手を引かれもう一度「嫌か?」と聞かれて、ミモザは呆気なく白旗を上げた。
「わ、わかりました……」
「本当か!?」
先程までのしゅんとした様子が嘘だったかのように晴々とした顔で第二王子は破顔する。
「呼んでみてくれ!」
「あ…………アルコル様…」
「アルがいい」
「………」
(ど、どうしたらいいの…!!)
いくら本人がいいと言ってもただの友人であるミモザがいきなり愛称を呼べるわけがない。
もしそう呼んで親しい間柄だと思われて婚約者にされてしまったら。
ざぁっと背筋が冷えて、冷たい汗がこめかみから一筋落ちる。
ミモザのそんな恐怖など知らず、アルコルは期待の目で見つめてくる。どう答えればいいのか必死に考えていると温室の入り口の方からアルコルを呼ぶ声が聞こえた。
「アル、いるの?」
「……姉上、こっちにいます」
姉である王女の声にしぶしぶ返事をしたアルコルは立ち上がってミモザの手を離す。とりあえず危機を脱したことに、ミモザにどっと安堵が押し寄せる。なんとか足をふんばって、震えないようドレスの腿の辺りをぎゅうと掴んで堪える。
「あらミモザ来ていたのね」
「タニア様、本日は殿……アルコル様にお招きいただきました」
「………あら……そうなの、今度は私ともお茶をしましょうね」
ミモザがアルコルを名前で呼んだことに気づいたタニアは意味ありげに微笑む。妖精姫は今日も麗しい。
しかしその見目麗しい王女は片眉を上げため息を吐き、ミモザに名前を呼ばれてご機嫌だったアルコルに言った。
「アル、貴方浮かれるのはいいけど時間を忘れてはいないかしら?武術指南のエルナト先生が探していましたよ」
「あ………」
タニアの一言に、アルコルの表情が一瞬で曇る。
「……休んではいけませんか、今日はミモザも来てくれているのだし…」
「駄目よ。貴方は先生からもっと体を動かしなさいと言われているでしょう。……それにミモザも約束や時間を守れない人は嫌いだと思うわ」
「……っ……」
とどめをさすようにぴしゃりと言い放ったタニアにアルコルは言い返す言葉がないのか、口を噤んでそっぽを向いてしまう。
「だって…」
「アルコル様…?」
「…だってどうせ僕は兄上みたいにできないから…」
なんとなくアルコルの表情が暗い気がして。呼んだ名前の返事の変わりに彼の苦悩が吐き出された。
『幼い頃から第二王子は出来のいい王太子と比べられている』
母から聞いていたことではあったが、そのことはミモザが思っている以上にアルコルの心に深い傷を作っているようだ。
「エルナト先生だけじゃない、みんな“兄上はできた"、“兄上ならこんなの簡単だ"って言う……僕だって一生懸命やってるのに…!!」
「アルコル様…」
「“色落ち"だからしょうがないって陰口たたいて僕の髪を馬鹿にするんだ…!!」
“色落ち"という言葉が引っ掛かって、すぐに母の残した日記に書かれていた言葉であることを思い出す。
『第二王子は王太子や王女と比べると少しくすんだ金色の髪なの。金色の髪は王家の象徴とされているから、その色が薄い第二王子は幼い頃から“色落ち"などと言われていたわ』
確かにアルコルの髪はタニアに比べると色が少し暗い気がする。けれどそれだけのことで“色落ち"などと蔑む輩の気がしれない。
ミモザは腹が立った。
母親を亡くして一人ぼっち。孤立させられ寂しさを紛らわす日々に、追い討ちをかけるような言葉。これではあまりにアルコルがかわいそうだ。
それに。
「アルコル様」
「…………」
「アルコル様はさっきこのお花が私の髪に似ているとおっしゃって下さいましたね」
すっかり落ち込んでしまったアルコルにミモザは顔を覗きこんで話しかける。
「私もアルコル様に似ていると思ったものが一つありますの」
「僕に…?」
今回だけは暗示をかけたりはしない。
ちゃんとミモザの言葉で、アルコルにわかってほしかった。
「アルコル様の髪は小麦の色に似ています」
「小麦…?」
ぽかんとしたアルコルにミモザは少しだけ微笑んで続ける。
「はい。うちの領地の西側には広い農地があります。何もないところですけど、秋になると小麦が一面に実ってお日様の光をきらきら浴びて、まるで金色の野原みたいになってとってもきれいなんですよ?」
「…………」
「でもその金色の小麦はただきれいなだけじゃなくて、領民においしい食事や、そこで暮らしていく仕事を与え、沢山の人々の生活を豊かにしてくれます。だから私は小麦畑の金色が大好きなのです」
「大好き…」と呟いたアルコルが、かっと一気に赤くなる。
「ミモザ……」
決して色落ちなどではありません。そう伝わってほしくてじっと碧の目を見つめる。
「………小麦の、金色………」
「はい」
碧い目が上向いて額にかかる前髪を指がなぞる。ぼんやりとした面持ちでそれを眺めたアルコルは憑き物がおちたような顔で「そうか……」と小さく呟いた。
きっと全てに納得した訳ではないだろう。けれども、ミモザの気持ちが少しでも伝わっていたらいいと思う。
「…それで、アルコルはどうするのかしら?」
はっとして振り返れば、いたく機嫌がよさそうな王女と目が合った。
「………授業は受けます」
「そうね」
授業に行く決心はついたようだが、未だに兄である王太子へのコンプレックスは強いらしい。「行きたくない」と背中に書いてあるみたいな背中に苦笑する。
しょんぼりして肩を落とすアルコルに、ミモザは昔同じように鍛錬を嫌がった時に母に言われたことを思い出した。
「アルコル様、筋肉は裏切りません」
「は?」
「母が言っていました。人や動物は生きている限り裏切ることもあるでしょう、しかし筋肉だけは裏切りません。自分が鍛えた分応えてくれるのが筋肉です、と」
いきなり突拍子もないことを言われて呆気に取られるアルコルに、だめ押しのように「世の中で起こっている問題の3割は筋肉で解決できます」と言う。
「ですから……がんばりましょう?」
「………ミモザは……筋肉がついている方が好きなのか…?」
あまり筋肉筋肉と連呼したせいかどうやら筋肉好きだと解釈されてしまったらしい。
別にそういう意図はなかったけれど、少しでもやる気になってくれたらいいなと打算をもって答える。
「うーん…少なくともないよりはあった方が自分の身を守るためにもいいのではないでしょうか?」
ミモザの適当な返事に「そうか…」と神妙に返したアルコルは、何故か自分のお腹を触って渋い顔をしていた。