手柄の意味
手柄という言葉の意味をアクルが知ったのは、あれから数日経った後だった。
結果から言えば、今回の件は結局表沙汰にはされなかった。
第二王子派の残党が起こした暴挙とはいえ、公になればせっかく結ばれた二国の和議が破棄されてもおかしくはない。秘密裏に処理すると決めた国の判断も仕方ないことだと思えた。ミザールは謝罪してくれたが、戦争が始まってしまうよりはずっといい。
誘拐犯達は和議締結の重要人物であるピーコック公爵の失脚を狙って、ヴィオールを利用していたと供述をした。公爵の動きを止めるために、最初からヴィオールに目をつけていたらしい。ヴィオールがアルカイドに好意を抱くきっかけとなった馬車の襲撃も同じ賊の仕業だったと判明している。襲撃自体は防がれたが、思いもかけずヴィオールがアルカイドに執着しはじめたため、駒として利用しようとしたのだと。
結局、犯人達は公爵の策と囮のヴィオールに見事に釣り上げられた形になったのだ。
確たる証拠がかたまり次第掃討する予定だったが、事態が予想より早く進行したのはハダルの王太子とタニアの婚姻が決まったことで犯人達が焦ったためだろうというのは聞かされた。
『不安な思いをさせて申し訳なかった。あの者は、君につけた護衛だった』
ミザールから事の顛末の話を聞いている時に、教えられたのはあの少年のことだ。元々顔は見えなかったし姿形も朧気にしか思い出せない。
あの日、アクル達が拐われたことを知らせてくれたのも彼だったと教えられた。朝の早い時間帯で、周囲に人気も少なかったこともあり、気取られないよう少し離れた場所にいた彼は、飛び出していくアクルを止めるのに間に合わなかったのだとも。
タイミング悪くあんな場面に出くわしたこともそうだが、まさか向こうもアクルが自ら飛び出していくとは思わなかっただろう。
『アクル! もう絶対にそんなことしちゃ駄目よ! 絶対に、約束して!!』
『はい……ごめんなさい……』
同席していたミモザにも、誘拐のいきさつを知られて叱られた上に泣かれてしまったし、処分を受けたという護衛の彼にも申し訳ないと思った。
アクルの中に申し訳なさと、少しの苦い想いを残して、事件は幕を閉じた。
肝心のアルカイドについて、事情聴取やら診察やらで忙しくあまり考える暇もなかったというのが実情だった。不謹慎だけれど体調を心配したミモザがずっと傍にいてくれるのが嬉しかったというのもある。
それでもふとした拍子に、今どこにいるのだろうとか、怪我をしていないかなとか、会いたくなるのだからどうしようもない。これが恋なのかと考えて一人で羞恥を覚える程には未だ慣れていない。
怪我自体は大したことはなかったけれど、学園は数日の間休みをもらっていた。国内に潜伏していたハダルの残党が捕縛されたことを知ったのは登園を再開した頃だ。
そして、アルカイドの帰都と共に齎されたのはそれだけではなかった。
「アクル、もうすぐ着くわよ」
優しい声に揺り起こされて、アクルはうとうとしていた意識を引き上げられる。
「ご、ごめんなさい……私寝てた?」
「いいのよ。ドキドキして眠れなかったのでしょう?」
ミモザはくすりと笑うとアクルの方へ手を伸ばして髪のリボンを整えた。緊張であまり眠れなかったのを言い当てられアクルも素直に頷いて眉を下げて微笑んだ。
「こんなに早くご挨拶に行くことになるとは思っていなくて」
アクル達が今向かっているのは、アルカイドの実家のあるイーター領だ。
ハダル残党の捕らえた働きによって、アルカイドは叙勲されることとなった。そしてアクルとの縁談を望んだのだという。
サザンクロス家は既にミモザがアルコルの婚約者になっていることから異を唱える者も居たらしいが、アルカイドの働きを現地で見ていた者の証言や、王太子や国王陛下からも事件の重大さを説かれ最後は納得した様子だったと聞いた。有用だと認められたからこそ王太子の側近も続けることを許されている。
アルカイドが帰都してすぐにその事実と、イーター家より婚約の申し込みが来ていることを知らされたアクルは、呼ばれた父の部屋でどうしたいかを尋ねられた。
アクルの意見など聞かれると思っていなかったから驚いてしまったが、望んでいたことが叶うのだからすぐに頷いて返事をした。アクルの勢いに動揺した父は、寂しそうに、そして久しぶりに少し笑った。
アルカイドと会わないまま、両家の間で結ばれた婚約はとんとん拍子で進み、あっと言う間に顔合わせの日取りまで決まってしまっていた。
『少し……展開が早いのではないかしら……?』
『そうですね……私も、そう思います……』
『なんだか絶対に逃がさないぞっていう、あちらの強い意思を感じますね!』
婚約の返事を出した翌日、爆速でイーター家から届いた招待状を見ていた母とミモザの戸惑った様子が忘れられない。そしてその場にいたカペラの感想に父の眉間の皺が深まったのも。
アクルの近くにいるモデルケースはミモザくらいしかいないので、これが早いのか遅いのかはいまいち理解できなかったが、久しぶりにアルカイドに会えることは嬉しいので、緊張半分楽しみにもしていた。
「やはり私が一緒に行く」と行って聞かなかった父を宥め、保護者代わりのミモザとアリアと一緒にイーター領へ向かっている。
「そうね、私も驚いているけれど……それだけアルカイド様が貴女のことを考えてくれているってことなんじゃないかしら」
「そ、そうかしら……?」
ミモザの言葉に顔が熱くなる。にやけてしまわないよう頬に力を入れながら、アクルは大事なことを思い出した。
「そうだ、お姉さまはいつアルコル様に好きだと言わたの?」
「ッ!?」
突然の質問にむせたミモザは手のひらで口元を抑えて「な、何を突然っ……!」と顔を真っ赤にさせた。
アルカイドを待っている間、アルカイドのことを考えていたアクルは、一度も面と向かって好きだと言われた事がないことに気付いてしまったのだ。
「俺が勝手に拗らせて」云々はアクルではなくヴィオールに向けて言ったものだし、婚約を申し込まれたのだからそういうものだと分かっているが、やはりちゃんとした言葉で聞きたいのは乙女心だった。
「いつと言われても……」
「婚約後ではないでしょう? だって私まだ、アルカイド様から好きだって言われたことがないんですもの。こう、どんな雰囲気でとか、どんな場所でとか、聞いて参考にしたいと思って」
「……特殊な状況下だったから参考にはならないと思うわ」
「これ以上は内緒、もうこの話はおしまい!」と赤面しながら言うミモザに、やっぱり恋するお姉さまは可愛いと胸をときめかせたアクルは、いつか自分もこういう風にアルカイドのことを想えたらいいなと思った。
馬車の速度が遅くなり、すぐに完全に停車する。外からかけられた声にイーター家に到着したことを告げられた。緊張しながら扉を潜ると傍に立っていた騎士から手を差し伸べられる。
「レディ、どうぞお手を」
「はい」
スラリとした隙のない佇まいで編み込んだ金糸の髪を横に流している美丈夫だった。見たことのない騎士服はイーター家の私兵のものだろうか。差し出された手を取ってアクルは馬車を降りた。
「…………」
「あの? 手を離して下さいますか?」
降りるときに借りた手がいつまでも離されないことを怪訝に思い声を掛けるが、相手はじっとアクルを見つめたまま動かない。
「あぁ、失礼……つい可愛らしくて見惚れてしまいました」
「はぁ……」
初対面という以前に、自分が仕えている家と婚約を結ぶ家の令嬢を迎えるにあたってこの対応は不躾ではないかとアクルが内心困惑していると、後から馬車を降りてきたミモザが「まぁ」と声をあげる。
ミモザの知り合いなのかとアクルが尋ねようとした瞬間、遠くから叫ぶ声がした。
「何してるんだ!」
「!?」
遠くに見えた姿がすごい勢いで近づいてきて、あっという間にアクルの手を青年から取り返して背中に庇う。毛を逆立てた猫のように「どういうつもりだ!」と怒っているアルカイドの背の影から覗くと、相手は悪びれなさそうに「歓迎したつもりですけど」と腰に手を当て、反対の手で肩にかかった髪を後ろへやった。
「というかその格好は何なんだ!」
「年頃の女の子に気に入ってもらうにはどうしたらいいか、サウラさんに聞いたらこの格好が良いと言われたから」
「聞く人間を間違ってる!」
「アルカイド様?」
手を額に当て天を仰いだアルカイドの服の背を引いて説明を請う。ようやくアクルの困惑に気付いたアルカイドははっとして「すまない」と言った後、面倒そうに、本当に仕方なくと言ったように目の前の青年に手を指し向けた。
「母だ」
「はは……えッ!?」
言葉の意味を理解したアクルが驚いて声を上げると、青年、もといアルカイドの母はにっこりと「はじめましてアクルさん」と微笑んだ。
何故男装なのかとか、ものすごく若く見えるとか、何か失礼なことをしなかっただろうか、とか一遍に頭の中が一杯になり慌ててアクルは服の裾をつまんで礼をした。
「は、はじめまして。アクル・サザンクロスと申します! アルカイド様のお母様とは存じず、ご無礼を――」
「いい、君が謝ることじゃない」
アクルの謝罪を途中で遮ったアルカイドは「だまし討ちみたいに突然出てきた方が悪いんだ」と言って、再び母親を睨みつけた。
「第一、俺よりも先に出迎えるなんてありえない」
「あら、貴方が遅いだけではなくて?」
「本人を差し置いて飛び出して行くとは思わなかったからな!」
「あ、あの……」
始まった親子喧嘩にアクルがおろおろしていると、ミモザの手が肩にぽんと置かれた。
「お姉さまはあの方がアルカイド様のお母様だって知っていたの?」
「えぇ。前にお話しさせて頂いたことがあったから」
「私もまさか男装でいらっしゃるとは思わなかったけれど」とミモザも苦笑していた。
「私は先に戻っているから、カイド。さっさとお二人を中へご案内なさい」
「言われなくてもそうする!」
「またね」と、颯爽と去っていく後姿を呆然とアクルが呆然と見送っていると、すまなそうにアルカイドが手を差し出す。
「本当に申し訳ない」
「いえ……驚きましたけど、大丈夫です!」
「粗相をしないようにがんばります」と言うと「あの人以上の粗相なんてないだろう」とアルカイドは苦笑する。
「来てくれてありがとう」
そのままアルカイドにエスコートされ、アクル達は屋敷の中へと通された。玄関で迎えてくれたイーター伯爵は人好きする笑顔で「よく来てくれたね」とアクルを出迎えてくれ、他の家族へも紹介してくれた。
「遅れてごめんなさい」
「!?」
ここでも驚かされたのは、先程別れたばかりの伯爵夫人だった。皆が集まる部屋に入ってきた彼女はドレスを着ており、貞淑な美しき貴婦人という姿そのものだった。
魔法めいた早着替えもそうだが、着ているもの一つでこれだけ印象が変わるというのはすごい。
「母上……早速やらかしたのか……」
「やらかしたとは何です、ナアシュ」
「朝からじゃない。来ることが決まった時から大騒ぎで大変だった」
二番目の兄の言葉にげんなりとしたアルカイドがアクルの隣でため息を吐いた。
「バナト兄さんの時もこうだったっけ?」
「サウラが来た時はこれ程じゃなかった気がするけどなぁ」
「そうですね……私の場合は元より顔見知りでしたから」
アルカイドの兄二人は、アルカイドと同じ髪色をしていた。アルカイドと同じというよりは、三人とも父親のイーター伯爵の色を継いでいるのだろう。面立ちもよく似ている。金髪なのは夫人だけだ。
短髪なのが長男のバナト、長い髪をそのまま後ろへ流しているのが次男のナアシュ。そしてこの場にいるもう一人の女性がバナトの妻であるサウラだ。
「サウラさんは動きづらいとか言って、なかなか可愛い格好をしてくれないし」
「はぁ……何度も言いますが、私はそういう格好は好かないのです」
「似合うのに……」
臙脂のタイトなドレスは似合っているが、本人が言うように苦手なのだろう。着心地悪そうに居住まいを正したサウラは眉を下げて微笑んだ。
サウラは普段夫であるバナトと同じく騎士隊を率いているらしい。夫人に憧れて騎士になったという。颯爽と騎士の制服を靡かせ働く麗人に憧れる女性陣は多いのだろう。嫁姑の仲は良好だが、可愛いものが大好きで、可愛いものに飢えていて、いつか息子にお嫁さんがきたら可愛く着飾りたいという野望を持っていた夫人との温度差があるらしい。だからアクルの来訪を誰よりも楽しみにしていたのだという。
「ナアシュは聞くたびに違うお嬢さんの名前を出すし……よくぞアクルさんを射止めてくれたわカイド。貴方の成長を嬉しく思います」
「飛び火したんだけど……」
「兄さんのは自業自得だろ。俺だってこんなことで成長したとか言われても嬉しくない」
アルカイドはアクルよりも年上で頼りになるという印象だったが、兄弟の中に入るとなんだか幼く見えるのが面白い。
「当たり前でしょう。ずっと図体ばかりでかい男四人に囲まれて生活していたのよ。愛くるしさを求めて何がいけないの?」
「驚かせてすまないね。ミラは昔から可愛いものや人に目がなくてね」
フォローするように言う伯爵に「いえ、歓迎して下さって嬉しいです」と返したアクルは、隣に座ったアルカイドを見上げて微笑んだ。目が合った相手も眉を下げ、口元を緩ませる。
「あぁ……見れば見るほど可愛いわ……小柄で華奢で妖精さんのよう……リボンやレースで飾り立てたい……」
「ミラ、落ち着きなさい。アクルさんに嫌われてもいいのかい?」
「いいわけないでしょう! 何のために反対した家の弱味を――!」
「ミラ」
夫に諭されて興奮した様子から一転落ち着いて微笑んだ夫人は、美しい所作で紅茶を飲んだ。聞き間違いでなければ「反対した家の弱味」と聞こえたが、不安になってそろりとミモザの方を向けば、安心させるようにアクルに微笑んだ後、無言で首を振った。きっと聞いてはいけない、ということなのだろう。アクルは学んだ。
「はぁ……」
ぐったりしたアルカイドにバナトが慰めるように「何はともあれ、おめでとうカイド」と言った。
「ほんと良かったなカイド」
「兄さん……」
「少し二人で庭でも見てこいよ、手続きとか書状とか、こっちで詰めておくから」
「そうねアクル、ご案内していただきなさい……今度こそ、お任せしても大丈夫ですわねアルカイド様?」
ミモザの言葉に苦笑したアルカイドは「今度は違えない」と言ってアクルへ手を差し伸べた。
「疲れていないか?」
「はい、大丈夫です」
アルカイドのエスコートでイーター家の庭に来たアクルは、花壇に咲くサルビアに目を細めた。
はじめて城で案内してもらった時は、アクルの方なんかちっとも見ないで一人でずんずんと先に行ってしまう後姿を追いかけるのに必死だった。けれど今は手を握り隣で歩幅を合わせてくれている。似て非なる状況に不思議な感じを覚えた。
「アルカイド様」
「どうした?」
名前を呼べば、柔らかくなる視線が気恥ずかしい。
「あの……アルカイド様は私のことをどう思っていますか?」
「そ……」
固まったアルカイドに申し訳なさを覚える。好きな人と結婚できて、これ以上望んだら贅沢だと言われるかもしれないけれど、やはり聞いておきたい。
「アクル嬢……」
「アクルで構いません。私も……できたら、その、カイド様と呼んでもいいでしょうか?」
「それは構わないが……」
赤面しながら困惑していたアルカイドは腹を括ったように「アクル」と呼んだ。
「俺は……言っていなかったか?」
「はい」
「…………」
手を口元にあて考えこんだ相手は「言ったつもりになっていた」と、視線をさ迷わせた後、アクルの方を見た。
「アルカ……カイド様!?」
「このままで」
突然肩に頭を乗せられて動揺したアクルが叫ぶと「情けない顔を見られたくない」と耳元でアルカイドの声がした。早鐘を打つ心臓を宥めながらアクルが神妙に待っていると、再び耳元で声が聞こえた。
「俺と結婚してほしい」
「はい! 喜んで!」
「それで……」
ごにょごにょと口ごもりながら身体に似合わない小さな声で、耳元に続きが吹き込まれる。かろうじ
て聞き取れた「好きなんだ、君が」という言葉に感極まって目の前の頭にアクルが抱き着くと、アルカイドが呻き声をあげた。
「近い……その、少し離れ……!」
狼狽したアルカイドの声が聞こえる。髪と同じくらい赤くなった顔に覚えたのは愛しさで、好きだという気持ちが溢れたアクルは「私も大好きです!」と言った。
「……俺も、捻じ曲がった俺を許してくれたあの日から、ずっと」
アクルの言葉に安堵したように破顔したアルカイドは顔を上げ、今度はアクルを抱きしめて「夢じゃないよな?」と言った。
「水でも被りますか?」
「それは遠慮する」
即答したアルカイドにクスクス笑って、その胸元に額を摺り寄せた。
はじめて会った時は、ずっと険しい顔をしていた。振り返りもしない相手と仲良くなれるか不安で一杯だった。アルカイドの口から気持ちを聞いて泣いていたあの時の自分は、きっとこんな風にアルカイドと笑い合える日が来るなんて考えもしなかっただろう。
「私達、随分遠回りをした気がします」
「……そうだな」
同じことを考えていたのか、苦笑しながら肯定した相手にアクルも笑みを溢した。




