夢ではありません。
「つまり、ピーコック様はハダルの第二王子派の残党を捕えるため囮になっていたということですか?」
激しく揺れる馬車の中、肩を寄せ合ってアクル達はお互いの身体を支えながらひそひそと密談を交わす。
「そうよ……今まで意地悪していたこと謝るわ。振りとはいえ……本当にごめんなさい」
「は、はい……」
今までとは別人のように態度の違うヴィオールに、真意を図りかねていたアクルも相手が嘘をついているわけではないことは分かった。
「残党が釣れたのはいいけど、まさかこんなに早く強硬手段に出るとまでは思わなかった。貴女があの場にいることも気付かないで、止めようと焦って彼等を詰って逆上させて……完全に私の失態よ」
「ピーコック様……」
再度謝って悔しそうに唇を噛むヴィオールを前に、アクルも今の状況を考える。
誘拐犯は、まだヴィオールが囮だと気付いていない。ヴィオールとアクルの証言があれば確実に彼らを捕らえることができるだろう。でもそれは二人が無事に戻ることができたらの話だ。今のままなら二人とも殺されてしまう可能性が高い。
「もう事が起こってしまった以上、私達は無事に帰るしかないわ」
魔法は使えないようにされてしまったが、幸い足は縛られていない。相手がアクル達を魔法しか使えない非力な人間だと侮っているのは好機といえた。
「昨日お父様に送った手紙はもう届いているはずだわ。きっと何らかの手は打ってくれる……」
おそらく登校時間はもうすぐだ。時間になっても登校しなければ、きっと異常が起きたのだと誰かが気付いてくれると思いたいが、不安材料は犯人側に学園の衛兵を装った者がいたことだ。
元から彼らの手下だったのか、それとも内通者だったのかは分からない。警備側に犯人がいる以上、足取りを消されてしまうかもしれない。
「お姉さま……」
恐怖を紛らわすように零したアクルの呟きに「そこはアルカイド様じゃないの?」とヴィオールが首を傾げる。
「アルカイド様は、別に私のことは何とも……」
「あんなに熱烈な告白されてて何言ってるのよ」
「う……あれって、やっぱりそういう意味ですよね?」
「私に聞くまでもなくそうでしょ」
呆れるヴィオールにアクルは頬を染めて黙り込む。そんな場合ではないというのに、不安で張り詰めていた気が少しだけ落ち着く。もしかしたらヴィオールが気を遣ってわざと話題を誘導してくれたのかもしれなかった。
「あんなに一途に思ってもらえて……良かったじゃない」
「ピーコック様はやっぱりアルカイド様のことは好きじゃないんですね?」
「あたりまえよ」
ヴィオールの返事にアクルは無意識に肩の力を抜いた。
「……そんな風に安心するくらいなら、早く告白でもしてしまいなさい」
「でも私のせいでアルカイド様が側近を外されたりしたら……」
「あの人が自分でそんなの惜しくないって言ってたでしょうが」
「うぅ……」
赤面して口ごもるアクルに「言わないままだったら絶対に後悔するんだから」とヴィオールはため息を吐く。
「好きな人に想ってもらえるって、すごいことだと思う。私が言うことじゃないけど、側近を外されずに婚約する手段なんて後付けで十分間に合うんだから。悩む前に行動なさいな」
「そ、そういうものですか?」
アクルは怯むのと同時に、心のつかえがとれたような気がした。
「まぁ、話は無事に戻ってからね……従う振りをして、隙を見て逃げましょう」
「わかりました……!」
「戦争の火種になんてなってやるものですか」
アクル達が話している間にも、馬車は速度を緩めないまま進んでいく。疲労はあったがヴィオールが話しかけ続けてくれていたため、アクルも弱気にならずに済んでいた。
走り始めておそらく数時間ほど経った頃、肩を寄せ合い揺れに耐えていると、馬車はようやく速度を落とし始めた。
ガタン、と一際大きく車輪が鳴る。完全に止まった車体に身構えていると扉が外から開かれた。
「……またすぐに出発する」
アクル達にそう命じたのは、学園の衛兵の格好をした人物だった。顔はマスクのような布を巻いているため確認できないが、声の感じからも少年のように思えた。
「ここはどこ?」
「…………」
ヴィオールの問いには答えず、相手は無言でアクルとヴィオールの前に膝を立てて座った。どうやら彼が見張りらしい。
外の物音からも誘拐犯たちは休憩をとるため一度馬車を止めたようだ。町中のような生活音は聞こえないことからも、おそらく周囲に人目はない。
このままここで殺されるのだろうかとアクルは怖くなったが、ヴィオールが言っていた通りならば、おそらく手を出してくるのはハダル側に入国してからだろうと自分を落ち着かせた。
「…………」
大きく息を吐いたアクルを一瞥した見張りは、顔を横に向け遠くを見るような素振りをした。
馬車の中は静かだった。カーテンで塞がれていて外は見えない。隙間から僅かに漏れる日差ししか光源がなく薄暗い車内で、一体ここはどの辺りなのだろうとアクルが考え始めたその時、突然外で怒号が響いた。
「っ!?」
急に身体を引っ張られて前に倒れこむ。すぐに外で怒号に混じって剣戟の音が聞こえて身を固くした。
「頭を下げていろ」
「何が…っ!?」
「ッ」
アクルは伏せたまま外の声を拾う。すると怒声の中に僅かアクルとヴィオールの名前を呼ぶ声が聞えていた。アクル達の不在に気付いた誰かがきっと通報してくれたのだと、安堵から泣きそうになって唇を結ぶ。
先程までの先の見えない不安な状態よりはずっといい。外から聞える怒声は次第に大きくなり、剣戟の音なども混じって混戦している様子が窺えたが、アクル達は上から見張りの少年に押さえつけられており動くことができなかった。
「ッ…!?」
ガタンと一際大きな音がして馬車が揺れる。
「サザンクロス嬢っ!!」
名前を呼ばれ顔を上げた時、馬車の扉が乱暴に開かれた。蹴破られたドアの向こうに必死の形相のアルカイドが見えて、明るさに目を細めたアクルに、アルカイドは顔を真っ青にして抱き起こしてくれた。
「うっ…」
「っ…どこか怪我を!?」
拘束されたままの手が痛くて思わず呻き声を上げてしまったアクルに、アルカイドは鬼の形相で「どこが痛い? 奴らに何をされた? 全員殺してやる」とアクルを抱えたまま、抜き身だった剣を持って立ち上がる。
「ま、まって……! あの人達の仲間がここに……え!?」
アルカイドの肩にしがみつきながら見張りの少年の姿を探すと、少年はヴィオールの手錠を外していた。
「ど、どういう……きゃあぁッ!?」
アクルが現状を理解するよりも早く、馬車から飛び降りたアルカイドに驚いて悲鳴を上げる。
「アルカイド様、止まって! ピーコック様がまだ中に……!」
「あれは味方だ。彼女はあいつが保護しているから問題ない」という言葉にアクルが驚く間もなく、アルカイドは「どいつだ」と怒りを露わにする。
「髪の毛を引っ張られたくらいです! 怪我はしていません!」
「同じことだ」
肌を焼くような炎が抜き身の剣から迸る。怒りで魔力のコントロールが出来なくなるほど完全に切れてしまっている。アクルを片腕で抱えたまま、ずんずんと歩いていくアルカイドに叫ぶ。
「アルカイド様っ……下ろして、歩けます!」
馬車の周囲にはまだ炎が燻っていたり、黒煙が上がったりしていた。地面には斬り捨てられたのか呻き声を上げながら転がっている誘拐犯達の姿も見える。他の騎士達に身柄を抑えつけられている中に、アクルとヴィオールを攫った人物の姿もあった。
「駄目だ」
「っ…」
いつもと違い、話を聞いてくれないアルカイドにアクルは少し恐怖する。けれど相手を必要以上に痛めつけそうな様子に、このままにしていいとは思えなかった。
「アルカイド……落ち着け、サザンクロス嬢が怯えている」
「メラク……」
アルカイドの歩みを止めてくれたのは、アルカイドと同じ王太子の側近の一人だった。
ベータ侯爵家の子息で、王太子と同じ学年である彼はアクルの入学とは入れ違いになるように学園を卒業していたため、直接会ったことはない。けれどアルカイドと行動を共にしているので必然的に目にすることも多かった。
「気を鎮めろ。これ以上の制裁はただの暴力だ」
「でもあいつらは何の関係もない彼女を巻き込んだ……!」
燃え盛る炎の傍にいるような、頬を撫でる熱風に身を竦めたアクルに気付いたメラクは「いい加減にしろ」と、目を細めて片手を横に薙ぎ払った。
「ッが!?」
「ひゃ!?」
突然頭上から振ってきた掌大の氷の塊が、アルカイドの頭を直撃し地面に落ちて砕けた。アルカイドに抱えられたままのアクルも、大きく揺れた腕に慌ててしがみついたが、落とされることはなかった。瞬間的に溶けて消える氷の欠片を見て、それがメラクの魔法であったことに気付く。
「アルカイド様…っ…大丈夫ですか……?」
「ッ!?」
あの大きさの塊であればさぞ痛かっただろうと、目の前にある赤い頭を撫でる。ぶつかった辺りに大きなこぶができていた。
「ぅぐ……」
赤面したまま動きを止めたアルカイドに気付かないまま、アクルは頭を撫で続ける。
打ち所が悪かったのではと、アクルがメラクの方を見ると「そんな柔な奴じゃないので心配ありませんよ」とアクルの心を読んだかのような答えが返ってきた。
「頭が冷えただろう。ほらアルカイド、サザンクロス嬢を降ろしなさい」
メラクはアルカイドに指示をして「まずそれを外しましょう」と、アクルの手首に嵌っていた手枷を凍らせて一瞬で壊した。
「赤く擦れてしまっていますね。すぐに治療をさせましょう」
「あ、あの…これくらい大丈夫です。それよりも早くお姉さまに知らせたいんですけど」
「既に報せは送っているよ」
「っお、王太子様!?」
メラクの後ろから現れた自国の王太子の姿にアクルは慌てて礼をとる。アクルを手で制した相手は「間に合わなくて申し訳なかった」と言って頭を下げた。
「っ、あの、頭を上げてください! 私は無事でしたから!」
「事が起きる前に助けられれば良かったのだが……」
「いいえっ私が……その、自分であの人たちの前に出てしまったんです……」
本気で悔いているらしいミザールにアクルも慌てて言い訳をする。あの時、無鉄砲にも飛び出してしまったアクルにも責任があった。実際に何も出来ず捕まっただけで、人を呼ぶことすらできなかった。
「あの、ピーコック様は……! ピーコック様は自分は囮だって……!」
「うん。向こうの宰相から話は聞いているよ」
「貴女につけていた護衛が保護しているので大丈夫ですよ」
すぐに返ってきた返事の内容にアクルはひとまず安堵する。
「彼女から直接聞いたのか?」
「はい。ピーコック様は残党を捕えるために今まであのような振る舞いをしていたと聞きました」
「公爵の証言とも合うか……わかった。そのことはまだ他言しないでほしい」
「わかりました……」
おそらくヴィオールが出した手紙を受け取った公爵が、猶予がないと踏んでアウストラリス王家に直接連絡したのだろう。彼らの話し方からも、そのような印象を受けた。
「治療が済んだらすぐに王城へ帰れるよう手配しよう」
「あのお姉さまは」
「王城で待っているよ。どうしても行くと言って聞かなかったんだが、護衛対象が増えれば騎士の数を増やさなければならなくなると、それでは動きが鈍るからと説得して残ってもらった」
「そうですか……」
確かに王太子の護衛にしては数が少ない。緊急事態だと理解した上で最優先で動いてくれたのだろう。それでもミモザに心配をかけてしまったことにアクルは落ち込む。
「悪いのはあいつらだ」
「アルカイド様……」
先程までの殺伐とした様子はもう見られず、普段と同じ声にアクルは安堵を覚える。
「…………」
「どうした、どこか痛むのか?」
覗き込むアルカイドに顔が赤くなる。アクルの様子を見たミザール達は苦笑して「アルカイドは彼女に事情を聞いていてくれ」と言い残し、別の場所へ離れていった。
「あの……アルカイド様」
「事情なら後でいい。もう大丈夫だ、あんな目にあってさぞ恐ろしかっただろう」
「いえ、違います……その――」
「こういうものは思っている以上に心に傷を残すものだ」
「私」
「無理はするな」
こちらが話そうとしているのに気付かず、言葉を遮り一人納得する相手に、混乱したアクルは言葉を選べなくなった。
「好きです!」
混乱の果てに口から出たのは、情緒の欠片もないストレートな言葉だった。
そして返ってきたのは「何がだ?」という、察する欠片もない返事だった。
「貴方が、です……!」
動揺していたせいで抜けてしまった主語を付け加えれば「俺も君の事を一人の人間として尊敬している」という、絶対に伝わってないであろう答えと表情が返ってきて、アクルは途方に暮れる。
「違いますっ、そうじゃなくて、アルカイド様のことが好きなんです……!」
「ありがとう……?」
「違います!」
どう言ってもボタンを掛け違う相手にアクルは困り果てて頭を悩ませる。察してほしいと思うが、おそらくアクルの身を気遣ってくれているからこその言葉だと思うので責められない。
「確かに混乱はしていますけど……これとそれとは別で」
「あぁ」
「アルカイド様が女性を苦手とされていることは、あの時から知っていますが……」
「? うん……?」
言葉尻が萎むアクルの声を聞き洩らさないようにと、アルカイドはアクルの目の前に膝をついて屈む。
「罪悪感でも、優しくしてくれて嬉しくて……」
「?」
「っ……だからっ、貴方のお嫁さんになりたいと……そう言えば分かりますか?」
「あぁ…………は?」
迷走を極めた告白になってしまったが、これなら流石にわかってくれるだろうとアクルは自分の制服の裾をぎゅっと握ってアルカイドを見つめる。
首を傾げアクルの話を聞いていたアルカイドは、最後の言葉にようやくその意味を理解したようで、呆然と動きを止めた。
「ほ……本当、なのか……?」
呆然と聞き返してくるアルカイドに、居たたまれないままアクルは黙って神妙に頷く。
「夢か……?」
「もう……夢じゃないです」
アルカイドの手がおそるおそるアクルの頬に伸ばされる。しかし触れる直前、アクルがぎゅっと目を瞑った瞬間に「そこまで」という声が響いた。
肩を跳ねさせ、同時に声の方に顔を向けると、いつの間にか戻ってきていたメラクが「悪いが仕事だ」と、アルカイドの肩を叩いた。
「はぁ!?」
「さっき報告があった。こいつらの仲間がまだ我が国内に潜伏しているらしい」
メラクの後ろから歩み出て、アルカイドの腕を掴み立たせたミザールは、いい笑顔で「残党を殲滅してこい」と言った。
「今か!?」
「今だ。お前には手柄が必要だろう?」
「っ……」
言い聞かせるように言われたアルカイドは、何度か逡巡してから、結局口を引き結んで頷いた。
「くそ……」
「全く……どいつもこいつも幸せそうで胸焼けがするからな」
「僻みじゃねーか!!」
「頑張れよアルカイド」
他人事のように言ったメラクにも、すかさずミザールは「お前にもこのままハダルへ行ってもらう」と言い放った。
「は? 聞いてませんけど…?」
「今言ったからな」
呆然とするメラクにミザールはしれっと続ける。
「国のためという大義名分があったとしても、あちらの思惑で我が国が迷惑を被ったことに変わりはない。きちんと事情を聞かせてもらう。さもないとご息女はお返しできませんと脅してきてくれ」
「は……はぁ!? そんなこと言ったら下手したら無事に帰してもらえなくなるでしょう!?」
「腕を試されるところだろうな」とミザールは笑う。
「ベータ侯爵に代わってもらってもいいが、その場合宰相の業務が大量にお前に回ってくるだけだ。諦めろ」
「………」
「頑張れよメラク」
引き攣った表情で眼鏡を触るメラクに、仕返しのように言ったアルカイドは表情を切り替えてアクルに向き直る。
「アルカイド様?」
じっと見つめられ、居住まいを正したアクルはアルカイドを見上げる。
「帰ってきたら、その……この話の続きをさせてほしい」
「は、はい!」
「必ず手柄を立てて戻る」
「はい……?」
言葉の意味がよく分からなかったけれど、真剣な相手に水を差すのも憚られてアクルも神妙に頷く。晴れやかに笑ったアルカイドは、他の騎士を連れ出発していった。
馬上から手を振って背を向け馬を駆っていく姿を見送ったアクルは、自分の想いを無事伝えられたことに安堵して目を閉じた。
(答えは保留だけど……)
貴族である以上、お互いの感情だけで結ばれることは難しいというのは分かっている。それでもヴィオールが言ったように、伝えられないまま後悔はしたくなかった。
王都へ戻る馬車の壁に寄りかかり、その揺れを頬で感じているうちに瞼が落ちてくる。アクルは気がつけば眠りに落ちていた。




