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お母様の言うとおり!  作者: ふみ
56/61

人生で一番最低最悪な日


好きな人が恋に落ちる瞬間を見てしまった。

自分にではない、他の誰かに、だ。



「………」


いつも悪態を吐くよく回る口は半開きのまま固まり、呆然と、しかし視線だけは凝視するように一点を見つめたまま動かない。その横顔がじわりじわりと赤くなっていくのを見ていられず目を逸らした。


噴水から流れ落ちる水の音、鳥の声、人々の会話。耳を塞いでいないのにそれら全てが聞えなくなって。


あぁ、失恋したのだと。

初めて味わう感情にヴィオールは唇を噛んで俯いた。






「何でぇ…ッ…なんでよ!!一目惚れって何なのよおおお!!」

「しゃーないんじゃない?相手はすっげー美人だし」

「好みのタイプは強かで何でもできる奴って言ってたもん!!その理論でいくなら見た目は関係ないじゃない!!」

「そんなもんだって」

「うぅうぅっ…そういうの分からないって言ってたのに嘘つきぃいー!!武芸も勉強も、お作法もッ…全部がんばったのにっ…私の方がッ…ずっと…っく…一緒にいたのに!!何で私じゃ駄目だったのよーッ!!」

「…相性とか?」

「そんなの努力じゃどうしようもないじゃない!!うぁあああん!!」


幼子のようにテーブルに泣き伏すと、目の前に座った相手は困ったように「よしよし」と頭をぽんぽんと撫でた。


「ほんと姉さん男を見る目がないよなぁ。あんな捻くれてて腹黒い奴のどこがそんなにいいんだか」

「うるさいッ!!クラテルのこと悪く言わないで!!」

「怖っ…その殿下にふられた…いや、勝手に失恋して大泣きしてるくせに何言ってんだ」

「ぅううぅー!!」


頭を撫でる弟の手を振り払って反論したはいいものの、すぐに事実を説かれ再びテーブルに沈む。


クラテルと初めて会ったのは王宮の庭だった。宰相である父に連れられて行った王城で、緊張に固まる自分に手を差し伸べて優しく笑ってくれた物語から出てきたような王子様。

この国には二人の王子がいる。内政重視の戦争反対派が後見の殆どを占める第一王子のクラテルと、反対に対外政策や好戦派の後見が多い第二王子のカストル。

国土的に実りの少ない我が国は長年慢性的な食料不足や物資不足に悩まされてきた。足りないならどこかから奪えばいい。生き延びるためには仕方ない。貧困ゆえのひもじさや豊かな他国への羨望が恨みつらみに変わり、過去に侵略行動を取る言い訳にされてしまってきたのもそういった背景があったからだろう。けれど繰り返す戦争が齎すものが幸福であるわけがなかった。

宰相でもある父親は戦争反対を唱える第一王子派の筆頭であったから、ヴィオールとクラテルが引き合わされたのも当然の結果と言える。


『お前はクラテル殿下の婚約者候補の筆頭となる』

『候補のひっとう…?』

『そうだ。今は婚約者ではないが、殿下に然るべき相手が見つからなかった場合はお前が婚約者となる』

『殿下にお相手がみつかったら?』

『お前は別の人間へ嫁がせる』


クラテルの第一印象にすっかり騙されていた自分は、帰宅し父から聞かされた言葉にがっかりしたのを覚えている。

二人の王子を各々の旗頭にして水面下で行われていた派閥争いは膠着状態であったため、その時点ではそうするしかなかったのだろうと今なら分かる。恐らくクラテルも同時期に同じ話を聞かされたのだろう。


『結婚するかも知れない相手に猫を被るのは面倒だ』


初対面の時こそ王子様然としていた相手は、ヴィオールを同士と看做したのかは分からないがすぐにその猫を剥いで接してきた。このクラテルという王子は、大人達の思惑に染まらんと反抗している内にかなり性格が捻くれてしまっており、しかも頭が回るお陰で幼いうちから人を食ったようないい性格をしていた。


『めんどう…』

『わかんない未来のために気を使うの面倒じゃないか。不敬罪とか言わないからお前も好きなこと言って良いぞ』

『………』


すっかりクラテルの外面に騙されていたヴィオールが絶句していると、相手は頬を歪めて笑い「どうせ俺達の意思なんか関係なく決められるんだから」と吐き捨てた。

幼い頃から教育を受けているからこそ政略結婚の意味も誰よりも理解していたのだろうと思う。かといって引き合わされて二回目の自分よりも年下の少女にそんな言い方もどうかと、今思い出しても本当に捻くれていると思う。それでもめげずに好きだったのだから初恋における第一印象というのは偉大なのだろう。


『じゃあ言わせて貰うけど、自分だけ被害者面するのやめてくれない?私も同じ立場なのよ。その悲劇の自分に酔ってるみたいなのすっごく痛いわ』

『…お前、本当に好き放題言うな』


元よりヴィオールだって気が強い。捻くれた相手と言いたいことを言い合って、喧嘩したりつまらないことで笑ったり。間違いなく一番近くにいたのは自分だと言う自負があった。だから過ごす数年のうちに欲が出た。


『このまま何事も起きなかったら本当にクラテルと結婚しなきゃならないのかしら』


この想いを気取られないように、わざと嫌そうに顔を顰めて言えば、大して大事でもないように相手は「何にもなければそうなるだろうな」と言った。


『そこはお互いに妥協するしかないだろ。政略結婚なんてそんなもんだろうし』

『それは…そうだけど…妥協ってなんか失礼』

『お前は誰か好きな奴でもいるのか?』

『い、ないけど…てゆうか作れるわけないでしょ。私一応貴方の婚約者候補筆頭なのよ?』

『だよな。俺もそういうのはよく分からん。寄ってくるのは篭絡目的の馬鹿だけだしな』


その軽さから相手がヴィオールに対してこれっぽっちも恋情を抱いていないことが悲しいほどに分かったが、それでもずっとこのままならいいのにと夢を見てしまった。


しかしそんな浮かれた自分を叩きのめしたのは隣国の冥王復活の報せだった。


隣国であるアウストラリスが冥王の脅威に晒されている混乱のうちに侵攻すべきだと、息を潜めて機会を窺っていた第二王子派は天啓を得たと言わんばかりに瞬く間に侵略行為を起こしてしまった。

二国の間に計画的に落とされた火種はすぐに大きくなり王城内も混乱に陥った。クラテルに会うことは勿論、父も城から帰らなくなった。


本当に戦争が起きてしまった。第二王子派が他国への侵攻を唱えていることは知っていても本気で戦争を始める人間がいるなんて信じられなかった。

家族と共に父やクラテルの弱みにならないよう息を潜めて自衛することと、彼等の無事を祈ることだけしかできず己の無力さを嘆いた。


『状況によってはアウストラリスとの間に婚姻を結ぶ必要があるかもしれない』


息を潜めて籠もる中、これから戦場に向かうという父の手紙にはそう書かれていたと母から教えられた。他国との間が険悪になった時、我が国の王女がアウストラリスに嫁いだように。婚姻をもって交友を保つのは過去にもあったことだった。

もし本当にそうなったとしたら、おそらくクラテルがアウストラリス側の王族かそれに近い高位の相手と婚姻を結ぶことになるのだろうと嫌でもわかった。

けれども、それで戦争が止まるなら。クラテルの身の安全が保障されるならそれでいいとヴィオールは本気で思って、身を賭して二国の友好を繋いだ王女に祈った。

事態が最悪な形で動き出してしまった以上、沈静化するには時間を要するだろう。しかしいつまでこの状況が続くのかと不安の渦中にいたヴィオール達の元に国境の沈静化の報せが齎せたのは意外に早かった。

父からの手紙には「ミアプラ王女の幽霊が現れた」という嘘みたいな話が書いてあったが、ヴィオールはきっと自分の願いが王女に通じたに違いないと勝手に思っている。


覚悟していたよりもずっと被害が大きくなく収束した戦争の結末は、旗頭であった第二王子の生涯幽閉と戦争推進派の主だった貴族家の粛清という形で終わりを迎えた。

軒並みとまではいかなかったのは有事で証拠や追い詰めるだけの手が足りなかったからに他ならない。それでも大きな戦火にならなかったことに国民も安堵しているように思えた。

誰も誰かを殺す覚悟なんて持ちたくなかったのだろうと思いたい。まだ油断はできない状況であったが素直に戦争が止まって良かったと思えた。


屋敷に帰ってきた父には一度会ったが、クラテルには会えないまま物々しい空気が元に戻っていくのを日々感じていた。けれど日常が戻ってくるとどうしても考えてしまうのはこれからのことだった。

第二王子派の残党がまだ残っている可能性がある以上、第一王子派の貴族が結束するのは当然の流れだ。けれど今までと同じではまたいつか同じことが起きる可能性がある。そうすれば、必然的に他国との縁談を望む声が出るのは仕方のない事だった。


そうして城に詰めきりだった父が漸く毎日帰宅できるようになった頃、ヴィオールは自分がクラテルの婚約者候補ではなくなったことを知らされた。


『クラテル!』

『ヴィオ、良かった…元気そうだな』

『貴方こそ!心配したんだからね!』


正式な通達のため城に呼ばれたヴィオールはその時になってやっとクラテルに会うことができた。久々に目にしたクラテルは疲れて少しやつれているように見えたが、見た感じどこも怪我などはないようで一先ず安堵する。


『大丈夫なの?』

『…あぁ…大丈夫』


色んな意味を込めて聞いた言葉だったが、思った以上の力強さで返されて漸く本当の意味で安心したヴィオールは微笑んだ。


『良かった…』

『…聞いたか?婚約のこと』

『えぇ』


ショックでなかったとは言えない。一瞬でも夢見てしまったあの時の自分を殴りたい。

元から分かっていたことだと、生きていてくれただけで良かったと、何度も何度も自分に言い聞かせて、ヴィオールは今日この場所に来たのだから。


『相変わらず私達の意志は無視されているけど…貴方は本当にそれでいいの?』

『こうなってしまったらしょうがないさ。向こうの姫には気の毒だけど俺と彼女が婚姻を結べば暫くは安泰だろう』

『そう…』


いつも悪態を吐く時のような軽さで紡がれる言葉にヴィオールは苦笑する。


この時ヴィオールは愚かにも安堵していたのだ。クラテルがするのは政略結婚であると。

そこにあるのがかつての自分達と同じように信頼関係だけであると、無自覚に、無意識に。


『長い間お前を縛ってしまってすまなかった』

『貴方から謝罪が聞けるなんてきっと今日は雨が降るかもね。…どうかお幸せに』

『お前から素直に祝福が聞けるとは…雨どころか雪だな』

『ほんとに最後まで失礼!!』


だから虚勢を張っていられた。笑ってお別れが言えた。

案外涙なんて出ないもんだなとどこか他人事でいられた。


それなのに。



玉座の間で父と共にこれまでの働きを労われ、城を後にする前。父親が事務的な手続きを済ませるまで庭園を見せてもらうことにして、独り歩いていたヴィオールは噴水の横で思わず足を止める。


庭園に面した渡り廊下に先程別れたばかりのクラテル姿があった。


その視線が一点に向けられていることに気付いて、その視線を追った先にいる数人の姿を認めて口を噤んだ。アウストラリスからの使節団と合わせて向こうの王女がクラテルに会うためにお忍びで来国しているというのは父親から聞かされて知ったことだ。自国では見慣れない顔ぶれ、そして彼等に守られるように庭の花を見ている姿は同性のヴィオールから見ても目を奪われるくらい美しかった。

クラテルも呆然として、でもどこか緊張していて。悪態をつくためによく回る口は言葉を忘れたかのように半開きで、目に焼き付けるようにただ遠くからじっと彼女を見つめていた。

ヴィオールが見たことのない顔だった。その頬が赤くなっていることの意味なんて聞くまでもなかった。


何が仕方ないことだからよ。

何が生きててくれればそれでいいよ。


物分りのいい振りをして頷けたのは、クラテルの心が誰のものにもならないと勝手に思い込んでいたからだ。

自分に対してそうだったように、きっと誰に対してもそうなんだと勝手にヴィオールが思い込んでしまっていただけで。


そんなことある訳がなかったのに。


それ以上見ていられなくてヴィオールはその場を逃げ出した。


こんな惨めな姿を誰にも見られたくなかった。一番最悪なタイミングでそれを思い知らされて、呆気なく涙腺は決壊した。雨を言い訳にできないほど憎たらしいくらい空は晴れていて、声を我慢することもこれ以上できそうもなくて。

結局父親を置きざりにして馬車に飛び乗ったヴィオールは、そのまま自宅に逃げ帰り目に付いた弟を部屋に引きずり込んでわんわん泣き喚いた。



「ぅうう…何でよぉ…!!何がいけなかったのよぉ…!!」

「そんなの明らかじゃん。腹黒いくせに自分に向けられる感情に鈍い馬鹿殿下と、戦争なんて起こしてこの状況を作った第二王子派の馬鹿――」

「ヴィオー!!父親を置いて帰るとはどういうことだーッ!!」

「ウワッ!?」


グスグスと泣き喚いていたヴィオールの部屋の扉は、飛び込んで来た父親の怒声と共に勢い良く開かれた。


「と、父さん?」

「こらヴィオ!!どういうことか説明しなさい!!お父さん辻馬車を拾って帰ってきたんだからな!!」

「一国の宰相が辻馬車って…ぷっ…」

「笑い事ではないケトゥス!!」


ぷんぷんと煙を出しながら怒る父親とケラケラ笑う弟を半目で見ていたら段々に悲しみを通り越して腹が立ってきたヴィオールは机を叩いて立ち上がり父親を睨みつけた。


「元はと言えばお父様達が私に長年婚約者候補筆頭なんて立場を押し付けたせいじゃない!!」

「っ!?え、おぉ…?」

「何年も側にいたら犬猫だって情が湧くに決まってるじゃない!!それを人間でなんて…!!実の娘にそんなことを強いたお父様は鬼畜よ!!この人でなし!!」

「え…えぇ…?」


急に娘に罵られて怯んだ父親に詰め寄ったヴィオールは腹に溜まった恨みつらみをぶちまけてやることにした。


そうだ。最初から聞き分けよくなんてするんじゃなかった。

こんなに悲しい思いをするくらいなら納得した振りなんかするべきじゃなかった。

叶わなくたって叫べばよかったんだ。こうして。


「みんなして何なのよ!!長年立場と責任を押し付けてきたくせに、用済みになったからありがとうさようなら?別のところに嫁げ?ふざけるなあッ!!王家もお父様も大っっ嫌いよーーー!!」

「こ、こらヴィオ…不敬が過ぎる!!」

「あっはっは姉さん元気になったじゃん!」

「こら!!ケトゥス油を注ぐな!!」

「だってこんな姉さんしか割を食わない結末酷すぎると俺も思うしー」

「そうよ!!酷すぎるわ!!そもそも戦争が起きなければっ…あの馬鹿共がこんなことしなければ!!一生あんな顔見ないで済んだかもしれないのにッ…!!」


怒りで血が上った頭は敵を定めた。冷静になってから考えれば見誤ったとするべきなのかもしれないが、その時はそうするのが正義だと思った。


「決めた!!私第二王子派の残党を根絶やしにする!!」

「は、はぁ!?何を言ってるんだお前は!?」

「復讐してやるのよ!!」


拳を握って振り上げると、気圧された父親は一歩後ろに後ずさった。


「私をこんな目に合わせた奴等に思い知らせてやるわ!!人の心を弄んだ罪をその身をもって償わせてやる!!」

「お、おい…ヴィオ…お父さんが悪かったから落ち着きなさい…!」

「いいえもう決めたわ!!私が第二王子派の残党共を炙り出してやるっ!!馬鹿共が捕縛されたのを見届けるまでぜっったい他の方になんか嫁がないから!!止めても無駄よ!!」

「ヴィオ!本当に!お父さんが悪かったから!!落ち着きなさい!!頼むから!!」

「あっはっはっ!!姉さんほんと面白い、で、俺何する?」

「ケトゥス!!お前も落ち着きなさい!!頼むから!!」


情けない声を上げ始めた父親を部屋から蹴り出してヴィオールは弟と計画を練った。


第二王子派の残党は両国の同盟の破棄を目論んでいるのは想像に難くない。手っ取り早いのは両国の間に結ばれる婚姻をぶち壊すことだが、いくら馬鹿でも第一王子派がガチガチに固めているところに突っ込んでくることは流石にないだろう。


「次に狙うとしたら何処だと思う?」

「第一王子派の貴族の不祥事とか失脚かなぁ。俺が敵だったらまず父さんを蹴落とすかな」

「そうね…私もお父様を真っ先に消すわ、邪魔だもの」


あんなのでもこの国の宰相であるし、何よりも停戦を結んだ立役者だというのは理解していた。第一王子派筆頭、我が国の宰相、同盟成立の主要人物。しかも娘は第一王子の婚約者候補の筆頭だったのだから。好条件が揃いすぎている。


「お父様を陥れるとしたらどんな手を使う?」

「そーだな…手っ取り早く闇討ちする?」

「何という恐ろしい話をしているんだお前達は…」


ああでもないこうでもないと父親を貶める手段を講じていたヴィオール達に声をかけてきたのは、漸く立ち直ったらしい父親だった。


「邪魔するなら出て行って、邪魔よ」

「ヴィオ!お前いつからそんな口を…!!」

「元からこうよ!!知ってるでしょ!?今までは我慢していただけよ!!」

「全く…とにかく私を闇討ちするのは無駄だ」

「何で?」

「宰相だからだよ!護衛が付いていない筈がない」

「じゃあ家族を人質に取って言うことを聞かせるとかは?」

「それも無理じゃないかしら?」

「お母様?」

「面白そうな話をしていたから」

「君まで面白がらないで」

「だって私もヴィオちゃんの処遇に怒っているのよ?最悪のタイミングで城に呼び出した王家と連れて行った貴方と最後までヴィオちゃんに夢を見せたままでいてくれなかった殿下と…止められなかった自分に一番腹が立つけれど」

「ぐ…」

「宰相の癖に、絆されやすいこの子が傷付くのが予想できなかったなんて言わないわよね?」

「………」

「これ以上ヴィオちゃんに背負わせるのは止めましょうよ、あなた」


母の言葉に父親は黙って椅子に座り項垂れる。


「母さん、さっきの何で無理なの?」

「私は殆ど屋敷から出ないし、このご時勢だからどこの家も茶会などは控えているだろうし…外出の機会自体がないわ。同じ理由でヴィオちゃんもそうね。強いて言えばケトゥスだけど、一応嫡男ですから当然護衛が付いているし…護衛つきの成人男性を襲って拐うのは現実的ではない。そもそも家族を盾にされたとして国を裏切るような人間では宰相は務まらないわ」

「じゃあどうやってお父様を失脚させるのよ」

「……私なら」


項垂れていた父親がノロノロと顔を挙げぼそりと口を開く。


「蹴落としたい本人の身内の弱みを握る」

「本人じゃなくて?」

「そうだ。いくら本人が気をつけたところで、その周囲に一人脆い人間がいるだけで容易く足元を掬える」

「お父様…それよ!!流石宰相なだけあるわ!!」


父親の提案にヴィオールは立ち上がって声を上げる。


「私が餌になればいいのよ!!」

「姉ちゃんが?」

「そうよ。私がアウストラリスに行ってクラテルの相手に…嫉妬して、苛めを…っ」

「駄目じゃん。想像だけで泣いちゃってるし」

「うるさい!!でもこれは演技で済まなくなりそうだから却下よ却下!!」

「ヴィオ…」


こんな汚い気持ちが自分の中にあるとは思わなかったが、それを実行しようとまでは思わない。


「俺がやろうか」

「駄目よ、これは私の復讐なんだから!!」

「ヴィオ…お前そこまで殿下の事を…」

「これはけじめなの」


鼻を啜ってヴィオールは顔をあげる。

自分が選ばれなかったからと言って、もうどうでもいいとは思えない。だって、私達は間違いなく一番の友達だった。同士だった。


「…わかった」


ヴィオールの姿に言葉を呑んだ父親はとうとう折れた。危険なことはしないこと、事が済んだら父の選んだ相手と婚姻を結ぶことなど、いくつか約束させられたが代わりに代替案を考えてくれた。


晴れてクラテルの婚約者候補から外れたヴィオールは、嫁ぎ先をさがしている。

そんな中、偶然アウストラリス側の人間に一目惚れしたヴィオールは、彼と結婚したいとダダを捏ねて周囲に迷惑をかけまくる。ヴィオールが向こうで暴れるほど父親の立場も悪くなる。


「私が愚かな女を演じればいいいのね?」

「父さん、今更だけど…ほんとに姉さんにやらせんの?」

「お前は小さくて覚えてないかもしれないが…ヴィオは「リスになりたい!」と言って木に登って一晩降りてこなかったり、「空を飛ぶの!」と言って布を掴んで二階から飛び降りようとする子供だった」

「やると言ったら聞かない子でしたからね」

「何やってんだよ…姉さん…怖…」

「子供の頃のことを持ち出さないで。今はやらないわ」

「当たり前だッ!…はぁ…とにかく知らないところで勝手に危険なことをされるよりはマシというだけだ。実行したとしてあちらが接触してくる可能性は低いが…譲れる案はこれだけだ。それでもやるかヴィオ?」

「やるわ」


恐らく父なら、ヴィオールの安全を考えなければもっと確実に相手を追い詰める案を出せたのだろうと思う。それでも協力してくれるというのだからみっともなく泣き喚いた甲斐があったというものだ。


「…で、誰を狙えばいいのかしら」

「下位では問題にすらならないだろうから…王族か、侯爵以上の貴族か、王族に近い地位の人間かしら?あとは本気でヴィオちゃんに惚れられても困るし後腐れなさそうな人がいいわよね」

「向こうの王子って二人とも婚約者いないんじゃなかった?」

「まだ発表されていないが第二王子の相手は既に内定していると聞いた…王太子のミザール殿は…勧められない」

「どうして?」

「第一王子で将来国を背負う王太子、人柄も穏やかで公明正大、文武両道。継承問題で過去に弟王子との関係が微妙な時期があり…髪色などは違うが容姿が整っていることに変わりはない。つまりクラテル殿下に似ている。おまけにうちの殿下は外面だが、あちらは恐らく天然物な気がする」

「つまり姉さんの好みのどタイプと」

「なにその傷口に塩‼いやよそんな人‼」


そうして選ばれたのがアルカイド・イーターだった。


男爵家の三男の騎士ではあるが王太子の側近で現在婚約者はいない。性格からして女性が苦手そうというのも条件に合っていた。最初は襲撃を利用して上手く接点を得て近付いた。案の定愛想を必要以上に振りまいて厚顔無恥な真似をすれば、予想通り頬を引き攣らせてくれた。これで万が一にも本当に惚れられる心配などなく演技に集中できるとヴィオールは内心ほくそ笑んだ。

父にクラテルに似ていると評されていたアウストラリスの王太子は一目見て分かった。顔は全然違うけど何というかクラテルと立場が同じだからか雰囲気が確かに似ているとヴィオールでさえ思った。何だか鼻の奥がツンとしたから、王女も含めて今後も近付かないように敢えて避けることを徹底した。


そして可能性は低いと踏んだ父親の予想に反して、第二王子派の残党達は呆気なく釣れた。

割と早い段階で接触を図ってきた相手に気取られないよう、嫉妬に狂う愚かな令嬢を演じながら父親への連絡を重ねた。

計画は概ね順調だったが、誤算だったのはアルカイドに懸想する相手がいたことであった。しかも運悪く彼女はミアプラ王女の娘が嫁いだサザンクロス家の令嬢で、更に姉は第二王子の婚約者だった。第二王子派の残党は、その立場を知るとヴィオールの指示を待たず相手に危害を加え始めてしまった。

ヴィオールが知る以外にもアウストラリス側に潜入している人間が多くいるのかもしれない可能性に気付いて、ヴィオールは残党達が彼女に手を出す前に自ら殊更に大袈裟に動くしかなくなっていった。


『ピーコック公爵令嬢、隣に座ってもいいかな?』


更に追い打ちをかけるように避けていた筈のアウストラリスの王太子に絡まれるようになった。絡まれるというのは言い方が悪いが、アルカイドに対する態度から初めは遠巻きに観察していた様子だったのに、何故か最近は見かけると積極的に話しかけてくる。

はじめはヴィオールの素行を窘めにきたのかと思ったが、始終笑顔で穏やかに声をかけてくる優し気な様子に、とにかく別の意味で心臓が痛い。本当に傷口に塩だ。もしかするとアウストラリス側でもヴィオールの目的に勘付いて、内心を探りに来たのかもしれなかったが、失恋したばっかりのところに何の精神攻撃かとヴィオールは毎回気を磨り減らした。好みのどタイプと判断した父親の判定は間違っていなかったのが何か猛烈に腹が立つ。

そうやって日々神経を使って凶行に走らないよう犯人達を抑えるのも限界だった。ヴィオールの知らないところで靴の紐に細工をされたと知った時にはもう潮時だと思った。


『ヴィオがアウストラリスで馬鹿なことをしていると聞いた。間違いだと思うが本当なら理由を話せ』


おまけに父がクラテルから呼び出されそう詰問されたらしい。幸い父はクラテル以上の狸なので上手く誤魔化してくれたようだがクラテルの耳に入ってしまった以上時間はあまりないと考えていいだろう。

これ以上続ければ間違いなく第二王子派はもっと悪質な手を打ってくる。父親に集めた情報と証拠を書き送り一息ついたヴィオールは、いまだ慣れないアウストラリスの学園寮の窓から町並みを見下ろして決意を固める。

ハダルに手紙が届くのは早くて明日の夜。それまでは残党達の動きを何としてでも抑えなければいけない。最低でもあと一日もってほしいと思う気持ちとは裏腹にヴィオールは嫌な予感が拭えなかった。


そしてその予感は翌日早くも的中することになった。


学園で一人になった彼女に近付こうとしていた潜入者に気付いて、焦ったヴィオールは慌ててアクルの前に飛び出した。


「婚約者でもないのに近付かないでって言ったわよね?」


相手の驚いた顔が目に入る。焦ったためか少し上擦ってしまった声は、興奮しているせいだと取られたらしい。いつもの嫌な女の振りをしながらもヴィオールは焦っていた。


(不味いわ…誰でもいいから通りかかって…)


夕方の昇降口には人気がなかった。だからこそ彼等はアクルを害すために今近付こうとしたのだ。強硬手段に出られてしまえばヴィオールでは庇いきれない。


誰かに気付いてほしくて相手を声高に詰っていると後ろに人影が見えた。

背格好と挙動からしてそれがアルカイドらしいと気付いたヴィオールは安堵して、声が震えないよう続けた。

その場はアルカイドの登場によってうまく退場できたが、最大のチャンスを逃した彼等がアルカイドに目をつけられたヴィオールを見限るのは早かった。




「何のつもりなの!!」

「かのご令嬢をハダルへお連れする準備ですよ」

「勝手にそんなこと…ちょっと嫌がらせをするだけだって言ったじゃない!!」

「今更何を仰っているのですか、我等は貴女の命令に従っただけだ」

「命令なんてしていないわ!」

「したでしょう。あの娘が邪魔だと言ったのは貴女だ」


彼等はもうヴィオールを切り捨てることにしたのだ。昨日アルカイドにはっきり見限られたことで、追い詰められた彼等はすぐにでも計画を強行しようとしていた。


「貴女は既に当事者だ。この国との共生を望むあなたの父君も退場せざるを得なくなるでしょうね」

「そう…やっぱりそれが狙いだったのね…」


私もこんなにも上手く行くとは思わなかったわ、とヴィオールは恐怖で少し震えながら虚勢を張る。

事態が早く進行し過ぎてこんなことになってしまったけど、本来の目的は果たせた。ヴィオールが望んだのは第二王子派の残党達を炙り出して、今度こそ彼等の息の根を止めることなのだから。

恐らく彼等はこれからあの令嬢を浚ってそのままハダルへ出国するつもりだ。けどそんなことはさせない。証拠も得た今彼等の側に残る理由はない。早朝の学園ならばまだ誰もいない。最悪魔法を暴発させてでも逆上させてここで騒ぎにしてやるんだから、とヴィオールが叫ぶと、焦れた相手は髪を掴んできた。


「っやめて…!!」


頬を張られた痛みで思わずあげた悲鳴に、予想もしなかった声が割り込んだ。


「何しているの!!貴方達のやっていることは犯罪よ!!」

「なっ…!?ど、して…!?」


一番ここに居てはいけない相手が突然現れたことにヴィオールは驚いて声が出なくなる。更に髪を引っ張られてもがくと「やめてっ!!」という声と同時に顔のすぐ横をそれと同じ大きさぐらいの水球が掠っていく。ヴィオールを捕らえていた男は避けこそしたが、その一瞬に隙ができた。


「っ!?」

「こっちに来て!!」


駆け寄ってきた相手に手を引かれ走り出すと、すぐにその手が後ろに強く引っ張られる。

すぐに体制を取り戻した相手は、今度こそ令嬢を捕らえてその首を腕で締め上げた。


「離してっ…!!こんな事してばれないと思っているの…!!」


「すぐに衛兵が来るわよ!」と叫んだアクルに、五月蝿そうに舌打ちした相手は首を絞める腕の力を強めた。


「やめッ…!?」


苦悶の声を漏らした少女に駆け寄ろうとしてヴィオールも後ろから羽交い絞めにされ地面に押し付けられる。


「ぐっ…」


ヴィオールを殺すと脅された少女は抵抗を止めて彼等に従った。


「馬車に乗せろ。手を魔具で拘束しておけ」

「けほっ…は…」


馬車の中に転がされたヴィオールは悔しさで口を噛む。腹が立ちすぎて体も震えていた。

折角ここまできたのに最後の最後で取り返しのつかない失敗をしたことにヴィオールは項垂れた。


「どうしてこんなことに…」

「ピーコック様…」

「どうしてっ…どうして貴女があそこにいるのよ!」

「どうしてって…」

「こんな筈じゃなかったのに…!!」

「ピーコック様…?」


喚くヴィオールを怪訝な顔で見つめる相手に、大きく溜め息を吐いて馬車の中に座りなおす。


「もうこうなってしまっては仕方ないわ…貴女だけは絶対に私が助けるから」


巻き込んでしまったならば、せめて彼女だけでも救わなければ。

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