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お母様の言うとおり!  作者: ふみ
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二度目の自覚


国境で起こったハダルとの戦闘が終結したのはまだ記憶に新しい。

領地でミモザや国境に向かった皆の無事を祈りながら過ごすしかなかったアクルに齎されたのは、戦闘の鎮圧と父親の重体の報せだった。

ミモザに対して酷いことをした父親に対して怒っていたのも事実だが、その報せに容態を心配するのも本当で。母と一緒に屋敷に運び込まれた父を介抱したり、国境の戦闘から帰ってきた兵や協力者である冒険者達の対応に追われたりしている内にあっという間に日は過ぎていった。

冥王討伐の報せもその後すぐに齎されたけれど、ミモザもまた洗脳から回復したばかりの混乱を極める王城から帰ってこられないようで、手紙でのやり取りが続いた。

怪我を負った父がまともに動けない今、次々に持ち込まれる仕事をアクルと母だけで全て補うのは無理があった。それでも優先すべきものと猶予のあるものを見分けられるくらいはちゃんと勉強してきて良かったと今なら思う。そしてそれがまだまだ足りないことも。

幼いアクルにとってただの「お城のよう」な場所だったサザンクロスは、成長した今「沢山の人の働きで成り立っている」大事な場所に変わっていた。

滞ってはいるが一つずつ着実にこなすことが、きっと平穏を取り戻すことにつながるだろう。


アクルがそんな忙しい日々を送っている間、ハダルに向かう途中アルカイドが約束どおりサザンクロスに足を運んでくれたのだと後から聞いたけれど、タイミングが合わず会うことは叶わなかった。

きっとハダル側もまだ情勢が安定していないだろう。忙しさに目の回る日々の中アクルはアルカイドの無事を祈った。



そうして日々が過ぎて。厳しかった寒さが和らいできて、日が少しずつ長くなったと感じられるようになり。

荒らされていた畑にも新しい種が蒔かれ、外にいるのにも外套が必要なくなるほど暖かい陽光が耕されたばかりの湿り気を帯びた土に降り注ぐ頃、アクルは学園の入学を迎えた。


侯爵である父の容態は安定していたが、長時間座っていることが難しいほどまでしか回復しなかった。命に別状はないだろうが表立って執務を行うには荷が重い。今サザンクロスにはアクルが婿を迎え候爵位を引き継ぐまでという期限付きで王家から人員が派遣されている。

本当ならばミモザが継ぐはずだった侯爵位だ。自分よりもミモザが継いだ方がいいのではと今まで何度も考えてきたことだ。それでもミモザには想い合うアルコルと結ばれてもらいたい。だからアクルが頑張らなければと思う。学園への入学はその一歩目だとも。


そうやってアクルなりに沢山考えて迎えた学園生活は、不安もあったけれどとても楽しいものだった。

ショート丈のマントのついた制服はいかにも魔法使いという感じで可愛いし、真新しい教科書に自分の名前を記入するだけでも心が弾む。幸いにも以前から友人だった子と同じクラスになることができたし、大好きなミモザも何かと気にかけてくれる。

アルカイドとはサザンクロスで別れてからまだ一度も会えていなかった。入学式には在校生も出席するため会えるかと期待していたがその姿を見つけることは叶わなかった。見かけたアリオトに聞いてみたが「王太子様が陛下の執務の代行をされているから、あいつも忙しいんじゃないかな」と教えられてアクルも納得する。


手紙の返事も少し間を置いたほうがいいかもしれない。そう思いながらも日々をこなしていたアクルの平和だった学園生活は、突如として現れた一人の令嬢によってその様相を変えた。


「貴女、カイド様に近付かないでくださる?」

「はい?」


授業が終わって友人達と別れてミモザの待つカフェテリアへ向かおうとした時、突然目の前に立ちふさがった見知らぬ女子生徒はいきなりアクルに扇子を突きつけてそう言い放った。いきなりの不躾な態度にアクルは驚きつつも、すぐ鼻先のその扇子の先から逃れるように一歩後ろへと下る。


「カイド様…?いいえ、私はそのような方は存じませんが、どなたかとお間違えではないですか?」

「いいえ、貴女であっていてよ」


告げられた名前に覚えもなく、まして目の前の令嬢にも見覚えはなく。アクルは困って眉を潜めた。


「貴女様とは初対面だと思うのですが…」

「そうね、特別に名乗ってあげるわ。私はヴィオール・ピーコック。ハダルのピーコック公爵家の娘よ」


自分の身分に相当の自信を持った言い方だった。事実ピーコック公爵といえば現在我が国の王太子殿下と和議を結ぶための交渉に臨んでいるハダル側の重要人物であるから、尊大さは間違っていないのかもしれない。けれど言えば相手が平伏すとでも思っていそうな態度に良い気持ちはしなかった。面倒な相手に絡まれてしまったと思いながらアクルも礼儀として名乗る。


「ピーコック様、私はアクル・サザンクロスと申し」

「貴女の名前なんてどうでもいいのよ。カイド様に近付かないでって言ってるの」

「は…」


全く此方の話を聞こうとしない相手に頬が引き攣りそうになる。


「近付くなと言われましても…本当にカイド様というのが誰のことだか…」

「しらじらしい。貴女カイド様と城で会っていたでしょう?」

「城…?」


そこまで言われてアクルは漸く思い至る。


「もしかして…カイド様というのは、アルカイド様のことでしょうか?」


名前と愛称が結びついていなかったものの、アクルが城で会うような人間はかなり限られている。


「そうよ!」

「あの時は偶然に会って…」

「貴女があの姉に頼み込んで無理に呼びつけたのでしょう?そうでなければ私よりも優先される筈がないもの!」


(全然話を聞いてくれない…)


アクルが内心呆れているのにも気付かないのだろう、相手の言葉は止まることはなかった。


「いい?カイド様はお疲れなの、そしてそれを癒すのは未来の夫人である私の務め。貴女ごときが手を出していい人じゃないの」

「ですから誤解で…」

「貴女、公爵家の娘である私に口答えする気?」

「………」


偉いのはその地位に恥じない働きをしている公爵様であって、その笠を着ている当人ではないというのに。その姿を見ていて昔の自分を思い出したアクルは自らの黒歴史を思い出して居たたまれなくなった。

違う意味で押し黙ったアクルに満足したのか「わかればいいのよ」と言って勝ち誇ったように笑った相手は踵を返し去っていった。自分の言いたいことだけを言って去っていくその姿を呆然と見送ったアクルは、そのままこうしていても仕方ないと思いながらとぼとぼとカフェテリアへ向かった。


(あの人もしかして私がアルカイド様と恋愛関係にあると誤解してる…?)


歩きながら先程言われたことを整理してみると、そうなのではないかという結論に落ち着いた。

おそらくヴィオールはアルカイドのことが好きなのであろう。未来の夫人とか言っていたからもしかしたら今後婚姻を結ぶ予定があるのかもしれない。

そう考えるとアクルは少しだけもやもやとした。そんな相手がいるなら教えて欲しかったと、頭の中でアルカイドを責めるけれど、元々そんなことを教えてもらえるような親しい関係ではないと思い直す。


(アルカイド様が私に持っているのは罪悪感だけだもの…)


それでもやっぱりアクルは残念に思う。最近のアルカイドとは新しい関係を築けていると思っていただけに、そんなことも教えてもらえなかった自分が寂しかった。

もし本当にヴィオールがアルカイドと婚約する予定があるならば、ミモザ達が知っていてアクルに教えない筈がない。だからまだ実現するには遠い話なのだろうと推察して気持ちを切り替える。

話をしていたのを目撃しただけで何故そこまで誤解が膨らんだかは分からないが、もしかしたらアクル以外にもああして突撃しているのかもしれない。実際アクルとアルカイドの間にはヴィオールが疑うような事は何もない。きっとアルカイド本人からすぐに間違いだと知らされるだろう。


だからアクルはこの時まだ自分の身に起こったことをあまり重要に捉えていなかった。


「………」


ぷかぷかと噴水に浮いた自分の鞄にアクルはこめかみをひくつかせる。

あの時から、ヴィオールに絡まれたあの日から、アクルの周りでこうした嫌がらせが起こるようになった。私物を駄目にされたり、嫌味を言われるとかその規模は大小あったが、こうして続けば気が滅入るし対応にも困る。


「はぁ…」


濡れた鞄や散った中身を拾い上げて、水魔法の応用で余分な水分だけを荷物から分離する。掌の上に浮いた水球をそっと噴水の中に投げ入れれば鞄は殆ど元通りだ。水濡れになるだけなら今のように魔法で水分だけ絞ることができるけれど、この間のように靴の紐に細工をされては堪らない。切れたのが学園内であったから良かったようなもので、これが演習中であったらと考えたらゾッとした。

犯人は分かっている。というより隠す気もないのだろう。校舎の方を見上げれば意地悪く笑う彼女の姿があった。こうしてアクルが被害に合うのを必ず近くで見ているのもいつものことだ。


そのうち解けるだろうと思っていた誤解は最悪なまま続いているらしかった。


「………」


何度誤解だと言っても相手が聞き入れてくれる様子はない。友人達はアクルを庇ってくれていたが、その結果アクルのいないところでヴィオールから恫喝を受けたということがあって以来、アクルも必要以上に刺激しないようにしていたので余計に図に乗らせているのかもしれなかった。


(困ったな…)


今回の和議の立役者であるハダルの公爵家の娘というヴィオールの立場を考えると、アクルを含め誰もが強く出られない。事実、アクルの同級生はともかく近くで関わる教員達も手をこまねいている。せめてもの救いは見てみぬ振りをされないということだろう。友人達も皆ヴィオールのいないところでは色々フォローしてくれていた。

ただ段々アクル自身も誤魔化しきれなくなってきていたのは本当だった。学年の違うミモザにはまだ知られていないようだけど、口止めも杜撰なヴィオールのやり方ではすぐに知られてしまうことは難くない。本当に自分の立場を理解しているのだろうかと怒りすら覚えた。


(お姉さまに心配かけたくないんだけどなぁ…)


アルカイド本人に誤解を解いてもらうことも考えたが、逆に火に油を注ぎかねないと思って相談できないでいた。「貴方がカイド様に告げ口したのね!?」と逆上するのが目に見える。


「………」


第一相談したところで、和議の責任者である王太子の側近のアルカイドがアクルを表立って庇ってくれるとは思えなかった。

ヴィオールが言うように本当に婚約関係にあればそうではないかもしれないけれど、アクル達の間にそれはない。身分だって相手は王家の次に偉い公爵家のご令嬢で、アクルは血は引いているが平民上がりの侯爵令嬢。見た目だって背の低い自分よりもヴィオールの方が隣に並んだ時に見栄えがするだろう。アルカイドもきっと今更アクルと婚約するよりヴィオールと婚約して公爵になったほうが出世も約束されて幸せに違いない。


「………」


何だか前にも抱えたもやもやが大きくなっていくのが分かったが、アクルは考えないように頭を振った。

友人達のようにきっと影でフォローくらいはしてくれるかもしれないが、同盟に波風が立たないようアルカイドの立場ならばヴィオールの行為を黙認するのではないかと思っていた。



それが



「貴女は自分が何をしたのか分かっているのか」



叩かれる、と、身構えた自分の前に現れてその腕を止めてくれたのはまさかのアルカイドだった。


出自を馬鹿にされるだけならまだしもミモザのことまで侮辱され腸が煮えくり返る思いをしたアクルだったが、相手の傲慢さに過去の自分の亡霊を見てしまい我慢ができずに声を振り絞って反論した。その結果叩かれそうになった訳だが、どうしてアルカイドがここにいるのか分からずにアクルはその大きな背中を見上げた。


(もしかしてヴィオール様を心配して…?)


アクルに対する態度は傍若無人だが、彼女はれっきとしたハダルの要人だ。アルカイドが護衛としてついて歩いてもおかしくはない。アクルがそう納得しかけた時、口を開いたアルカイドの声色にそれが間違いだと気付いた。


「いくらハダルの公爵家のご令嬢とはいえ我が国の貴族に危害を加えようとするなど、貴女方はまた戦争を始めるつもりか」

「そ、そんなつもりはありませんわ!!」


怒気をこめてヴィオールを咎めるアルカイドにアクルは驚く。後ろにいるため顔は見えないが、はっきりと怒りを表して厳しい言葉で責めるアルカイドにアクルは信じられないような思いで、後ろで一つに括られた赤い髪を見上げた。


「今回の国境戦では沢山の負傷者も出ている。住む場所を失った者だって少なくない。協定が結ばれたとはいえ、その地に住んでいた民は故郷や畑を失い、怪我で職をなくしたことで今も喘いでいる者がいる。それなのに貴女はご自分の立場も理解せず協定を壊すようなことをしたというのか」


本当にその通りだった。アクルも自分が我慢していればそのうち飽きるだろうとヴィオールに今日まで毅然とした態度を取ってこなかった。

でもそれは違っていたのかもしれない。本当に戦争に巻き込まれた人達の境遇を考えれば、同盟に罅を入れ再び戦火の火種を作る可能性のある行為を黙認するべきではなかった。


(アルカイド様…)


きっとアルカイドも他の皆と同じようにヴィオールの行為を黙認するだろうと思っていた自分が恥ずかしくなった。アルカイドはちゃんと同盟の必要性を理解しながらもアクルのことも守ろうとしてくれている。申し訳なさと、庇われた安堵とも嬉しさともつかない感情でじわりと涙が滲んだ。


「私はカイド様のために…!!貴女がカイド様に取り入ってるんでしょう!?貴女と婚約すればカイド様は側近としての地位を失うかもしれないのよ!?」


ヴィオールの言葉が胸に刺さる。


知っている。言われなくても分かっている。姉であるミモザが第二王子の婚約者になった時点で、アルカイドとの婚約は難しいことは理解していた。別に今は好きではないとか、相手が抱いているのは罪悪感だけだとか、期待しないよう誤魔化してきた。その言葉をはっきり付きつけられる度に胸が痛くなる理由なんて一つしかない。けれど今度こそ泣きそうになって俯いたアクルの耳に聞えたのは思ってもみない言葉だった。


「それを決めるのは貴女ではないし、そもそも彼女は俺と何の関係もない……俺が一方的に拗らせているだけですよ。彼女には何の落ち度もない。俺のせいでこんなことに巻き込んでしまって…本当に申し訳ないと思う」


驚いて顔を上げたアクルは、自分の方を申し訳なさそうに振り向いたアルカイドの薄い赤色の目を見る。

ヴィオールの声にすぐにアルカイドは視線を前に戻してしまったけれど、アクルは先程のアルカイドの言葉が信じられなくて意味を反芻する。


「俺が彼女に相応しくないと言われることはあっても、逆はありえない。俺は彼女を尊敬している。…彼女の心が得られるなら、この地位も惜しくないと、今はそう思います」


赤くなる顔を、早くなる鼓動を、謝罪感情の延長だとまだ悪あがきのようにそんな風に考えていたアクルの思考を吹き飛ばしたのは続けられたアルカイドの言葉だった。


「っ…」


ぼっと顔に熱が昇る。その言葉が意味するところは一つしかない。


(…本当に…?アルカイド様が、ほんとに…?私の事―――)


「………」


最後まで考えられなかったのは感情が爆発したからだ。これは本当に現実なのだろうかと、アクルが沸騰した頭で必死に平静を取り戻そうとしている間に、ヴィオールはアクルをに睨みつけて去っていった。


「………」

「………あの」


アルカイドが何も言わないので、その背におずおずと声をかけると、ゆっくり振り向いたアルカイドは「すまなかった」と頭を下げた。


「っ、いいえ、あの…助けてくれてありがとうございます…」


アルカイドから謝られるくべなどない。むしろ今まで彼女の行為について相談しなかった謝罪をしなければならないのは此方の方だと思った。

けれどそれ以上に今は先程のアルカイドの言葉が気になって仕方ない。本当にそういう意味でいいのかと問うてみたいけれど、声にしようとすると緊張で唇が震えて声にならなかった。

赤くなった顔を誤魔化すように笑顔を作る。きっと今の顔は酷くぎこちないだろう。


「あのっ…」

「顔色が悪いな…ミモザ嬢から寮まで送るように頼まれている。今日はもう休んだほうがいい」

「お姉さまが?あ…あの…えっと…さっきの……」

「大丈夫か?歩けるか?」

「あ……はい…歩けます…」


そんな自分の様子を具合が悪いせいだと勝手に結論付けたアルカイドは、アクルの話を聞かずに帰り道に促した。

そういうことじゃないんです、とも思ったが、訂正してこの赤面の理由を説明するのも無理だと思ったアクルは大人しく歩き出す。


「………」

「………」


少し後ろを歩くアルカイドにこんな顔を見られなくて良かった。無言の帰り道にアクルは少しだけ安堵しながら歩いた。




アルカイドに送られて自室に帰ったはいいものの、動揺したままだったアクルは部屋にいても落ち着かず、寮の共同の厨房へ赴いて無心でクッキーを焼き続けた。手持ち無沙汰になれば否応に思い出してしまって叫び出しそうになるから、何でもいいから手を動かしたかった。

部屋にいないアクルを心配してミモザが見に来たときも、夕食の時間になっても、アクルがその手を止めることはできなかった。

消灯時間を告げられて、甘い匂いを纏ったまま部屋に戻り、疲労でベッドに倒れこんで。目を覚ました自分の部屋に大量に焼いたクッキーの山を見つけて、昨日のことが夢ではないのだと一晩経ってやっと実感した。



はじめて会った時も憧れのような恋慕は持っていた筈なのに、今のそれとは比べ物にもならないとアクルは思う。

クッキーの乗った机の一番上の引き出しを開く。重ねてリボンで結んである白い封筒の束はアルカイドからもらったものだ。


何度も書き直したであろう、消し跡の残る。何の柄もないただの真っ白な便箋。それに綴られた後悔の言葉。

初めてもらった手紙に感じたのは、怒りでもなく過去を思い出した傷心でもなく、ただ申し訳なさだった。

あの日城で起こったことは、アルカイドにとってもアクルにとっても、とても大きな“きっかけ”だったと思う。

数年経つというのにまだあの日の後悔に捕らわれているんだと。そう思うと気の毒になると同時に、アルカイドも自分と同じなのかもしれないと思った。今でも寝る前に真っ暗な部屋の中で目を瞑ると、自分の過去の過ちや失敗の数々を思い出しては情けなくて恥ずかしくて悶々としてしまうことは一度や二度でない。一度その思考に捕らわれると抜け出せなくなってしまうことも多い。そんなアクルと同じような夜をアルカイドも過ごしていたのかもしれないと思うと、何だか少しだけ可笑しくなってアクルは笑んだ。

過去のアルカイドの言動によって傷付いたのは確かだけれど、アクルの中ではあの時のことはもう既に過去の出来事だった。過去の出来事に変えてくれる人が身近にいたからこそ今のアクルがある。


『今更謝りたいなどと、自己満足でしかないかもしれないが』


幼かったから、ミモザの事情など何も知らなかったからで済まされることではない。ミモザは許してくれたけれど、姉のことを大事に想っていた人達には未だ謝罪も顔向けも出来ていなかったアクルには、手紙に書かれたそのアルカイドの言葉が胸に刺さった。

謝罪したいと願うことすらおこがましいと、今更なんだと自分でも何度も思ったけれど、成長するにつれ知らぬ振りを通せるほど無知なままではいられなかった。

きちんと謝りたい。けれど恐い。許してもらえないのは自業自得でも、もし今までのようにミモザの傍にいることすら許してもらえなくなったらどうしようとか、謝って楽になったアクルをミモザが許してくれるのかとか、そんなことばかり考えてしまい謝罪をする機会を与えてもらったというのにすっかり怖気づいてしまっていたアクルの背を押したのはアルカイドの手紙だった。

アクルが踏み出せなかった一歩を、アルカイドはこうして手紙という形で示してくれた。

例え許してもらえなくても、謝る機会を得たなら踏み出すべきなのかもしれない。アクルは心の中に蟠ってぐしゃぐしゃになっていた色んな思いが、アルカイドの言葉によって解けてすとんと落ちる思いがした。

アクルはこの手紙を貰って素直に嬉しかった。だから自分も頑張ってみようと思った。そう思えたのは間違いなくこの手紙を貰ったからだった。


背伸びをして狭めていた窓を開け放つ。吹き込んだ風に目を閉じて、その眼裏にアルカイドの姿を思い浮かべる。


『あの時、俺は騎士になるべきじゃないのかもしれないって思った』


学園での舞踏会のあった日も、アルカイドはそう言っていた。きっとアクルがもういいと言っても、アルカイドはずっとそうやって気に病むのだろう。アクルも同じだ。お姉様のお爺様は自分を許してくれたけれど、「お爺様」と呼ぶたびにその罪悪感は自分の中に静かに降り積もっていく。

それでも罪の意識に飲まれずにいられるのは、引き上げてくれた人に恥じないようその背中に必死に手を伸ばしているからで。その横顔が後悔の滲むだけのものではないことが分かってしまうのは、同じ失敗をした者同士だったから。

だから自分の前ではそんな顔をしなくてもいいと知ってほしくて、アクルは一生懸命話したが結局言いたいことがまとまらず尻すぼみになってしまい、逆にフォローされる始末だった。

アルカイドに対して勝手な同属意識を持っていたけれど、もしかしたらアルカイドはアクルよりももっともっと先を行っているのかもしれない。自分を変えることがどれだけ難しいのか知っている。それを現実のものとしたのはさっき言ったようにアルカイドが努力を惜しまなかったからだ。

だからこそあの時、冥王に操られた姿が許せなくてありったけの魔法をぶつけてしまったわけだが。それについてはアクルもやり過ぎたかもと反省している。


今のアルカイドは尊敬できる相手で、志のために努力ができる人で、アクルに対していつでも優しかった。

だから余計にそんな相手がアクルに対して恋愛感情を抱いてくれていたなどと信じられなかった。

アクルが自覚をしたのは昨日のアルカイドの言葉を聞いてからだったが、一体いつからそうだったのだろうと、これではミモザのことを笑えないとアクルは苦笑する。


けれど実際にお互いに両想いだったからと言って婚約出来るわけではないというのは理解していた。ヴィオールの言った通り、姉であるミモザが王家と縁を結んでいる以上更に妹であるアクルが王家に近しい者との縁を結ぶのは好ましくない。二人が婚姻を結ぼうと思ったらアルカイドは側近としての任を解かれてしまうかもしれない可能性があった。それは絶対に駄目だとアクルは思う。アルカイドが努力して掴み取った地位をそんなことで奪って良い訳がなかった。

そうして思考は最初に戻って、解決する宛てもなく堂々巡りを続けている。答えの出ない問題に諦めて、起き上がって一つ取ったクッキーを齧る。無心で作った割にはおいしくできていた。


「お姉さまに…相談してみようかな…」


とにかく誰かに話を聞いてもらいたかった。

ヴィオールにされていたこともきちんと話さなければならないと思ったし、上手く自分でも纏まらない思考を吐き出したかった。

そう結論付けて身支度を整えたアクルは普段よりも早めに寮を出る。寮監にミモザへの言付けを頼んで、まだ朝靄の残る寮から学園への道を辿る。

寮と同じ敷地内とはいえ学園は広い。草木を揺り起こすような朝日に目を細めて歩く。まだ誰の姿もない静かな道は頭の中を整理しながら歩くには丁度良い。

ミモザには後で時間をもらえる様に頼むとして、授業が始まるまでは図書室ででも時間を潰していようかとアクルが考えながら歩いていると、どこかで人が言い争っているような声が聞えた。


「……?」


声が遠いので何を言っているのかは分からなかったが、何かあれば衛兵がすぐ飛んでくるような学園の敷地内で何ごとかと思ってアクルは周囲を見渡した。

早朝という時間帯が災いしてか辺りに人影はない。仕方なく声を頼りに騒ぎが起こっている場所を探す。誰もいない校舎で余計に声が響いて分かりにくかったが少しずつ歩を進めていくと、どうやら主に学園外からの馬車が到着する乗り場の方で声の主は争っているらしかった。


「……っ…なの…!!」

「…は……も…」


聞いている限り二人、何かを怒鳴っている女性のような声と、声量を抑えているのか聞き取りづらいがもう一人の声がしていた。


「………」


少し恐くなったアクルは場所を確認だけして先生を呼びに行こうと、静かにその場所へ歩み寄る。


「勝手にそんなこと…ちょっと嫌がらせをするだけだって言ったじゃない!!」


覗き込む一歩手前ではっきり聞えた叫び声にアクルは動きを止める。聞き覚えがある声は間違いなくヴィオールのものだった。


「今更何を仰っているのですか、我等は貴女の命令に従っただけだ」

「命令なんてしていないわ!」

「したでしょう。あの娘が邪魔だと言ったのは貴女だ」


アクルの肩が震える。あの娘というのは自分のことだろうかと身を固くする。


「それはっ…」

「ピーコック様、どうか落ち着かれてください。もう計画は動いている。今更なかった事になどできません」

「他国の貴族令嬢を誘拐するなんて…捕まるだけじゃ済まないのよ!?」

「大きい声を出さないで下さい。だからこそでしょう。あの娘の姉は我が国の王女殿下の血を引いている。しかも第二王子の婚約者だ。この同盟をぶち壊すのに相応しい人選です」


誘拐という言葉に青褪めたアクルはその場でしゃがみこむ。


(うそ…っ…どうしよう…誰か…)


震えて歯が鳴らないよう両手で口を押さえたアクルは必死に落ち着こうとする。それほどに恨まれていたのも知らなかったが、それ以上に同盟をぶち壊すという言葉に震えが止まらない。和議が壊れればまた戦争が始まる。


「貴女は既に当事者だ。この国との共生を望むあなたの父君も退場せざるを得なくなるでしょうね」

「そう…やっぱりそれが狙いだったのね…」


ヴィオールの言葉を信じるなら、彼女自身はそこまで考えていなかったのかもしれない。アクルはまだこうして無事だがそれでも取り返しの付かないことには変わりない。


見つかるわけにはいかない。何としてでもこの場を離れてこの話を伝えなければ。震える足を叱咤してそっと踏み出そうとしたアクルの耳に届いたのはヴィオールの切羽詰った悲鳴だった。


「何をするの!?離しなさい!!」

「全ての罪を被ってもらうだけですよ。祖国の繁栄の礎となれることに感謝して下さい」

「感謝ですって!?ふざけないで!!この売国奴っ!!」

「…はぁ…ほんっとにプライドだけは高い。すぐには殺さない予定だったけど、あんまり騒ぐと早めに黙ってもらう」

「っ!!」

「っやめて…!!」


発着場に響いた叩くような音とヴィオールの悲鳴に驚いたアクルは思わず身を乗り出して叫んだ。


「何しているの!!貴方達のやっていることは犯罪よ!!」

「なっ…!?ど、して…!?」

「あれ?…これは好都合」


ヴィオールの反応でアクルの顔を漸く認識したらしい相手は厭らしく笑った。


「はは、お嬢様の癇癪もたまには役に立つもんだ。まさか向こうから来てくれるとは思わなかった」

「っ…いっ…!?」


髪を引っ張られて苦悶の声を洩らしたヴィオールがもがく。


「やめてっ!!」


咄嗟に相手に向けた掌から水の塊を飛ばす。


「っ!?」

「こっちに来て!!」


場慣れしている相手にはアクルの魔法など通じるわけもなく避けられてしまったが、それでもヴィオールの髪から怯んで手を離した瞬間を駆け寄って手を引いた。


「走って!!」

「ッ…!」


恐慌状態のヴィオールを叱咤して走り出そうとした瞬間、髪を後ろに強く引っ張られる。

逃げる間もなくあっという間に距離を詰められ、痛みに怯んだ隙に腕を取られて引きずられる。ぐっと首を腕で絞められるような恰好でアクルはヴィオールから引き離された。


「離してっ…!!こんな事してばれないと思っているの…!!」


「すぐに衛兵が来るわよ!」と叫んだアクルに、五月蝿そうに舌打ちした相手は首を絞める腕の力を強めた。


「うぅっ…」

「衛兵ならそこにいるよ」

「!?」


朦朧とする意識の中で、馬車から降りてくる学園の衛兵の制服を着た人物を認めてアクルは顔を青褪めさせる。


「っ…」

「根回し…って言っても貴族のお嬢様には分かんないか。こんなところで破綻するような計画は立ててない」

「っ…ぅ…」

「下手な真似はもうするなよ。あっちのお嬢様を目の前で殺されたくなければ」

「…く…」


仲間らしき人間に捕らえられたヴィオールの姿にアクルも唇を噛む。例え今自分が逃げ出せたとしても、殺されるのが分かっていてヴィオールを置いて行けない。アクルは仕方なく抵抗する腕を下ろした。


「馬車に乗せろ。手を魔具で拘束しておけ」

「けほっ…は…」


ようやく首の腕を解かれたアクルは咳き込んでしゃがみ込む。すぐに馬車から降りてきた他の人間に手枷を嵌められて馬車の荷物の隙間に押し込まれた。アクルと同じように隣にはヴィオールが投げられるように転がされた。


「ッう…!!」

「お前の機嫌をとるのにどれだけ我慢して下手に出てやったと思ってるんだ。これ以上喚いて煩わせるならすぐに殺す」

「っ…」


凄まれて怯えたように身を竦ませたヴィオールは、馬車が動き出すのに合わせてぐったりと項垂れた。


「どうしてこんなことに…」

「ピーコック様…」

「どうしてっ…どうして貴女があそこにいるのよ!」

「どうしてって…」

「こんな筈じゃなかったのに…!!」

「ピーコック様…?」


ヴィオールの言動に何か違和感を覚えて聞き返す。今この瞬間まで取り乱していた相手は、大きく溜め息を吐いて馬車の中に座りなおす。


「もうこうなってしまっては仕方ないわ…貴女だけは絶対に私が助けるから」


がらりと変わった態度と聞かされた言葉にアクルはぽかんと口を開けた。

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