表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お母様の言うとおり!  作者: ふみ
53/61

アルカイドの後悔(前編)


幼い頃は何も恐いものなんてなかった。

そう思えていたのは、偏にアルカイドが世間知らずだった証拠だ。



若い頃から騎士として名を馳せ、騎士団長という地位についていた厳格な父。対して母は元騎士とは思えないほど、常にそんな父の一歩後ろを歩くような、いかにも貴族の夫人らしい女性だった。男ばかり三人兄弟の末子として生まれ、幼い頃から父の姿を見て育った自分を含めた兄弟全員が、その父の姿に憧れ騎士を目指していた。父のつける訓練は厳しかったが鍛錬するほど上達していくことが楽しかったし、兄弟同士競い合うように学んだことも大きかった。成長し他の騎士達に混じって鍛錬させてもらえるようになっても、騎士団長の息子であるアルカイドは恭しい態度で接せられることも多く、それが自分の実力の賜物であると誤解し自惚れ、いつしか当たり前に思うようになっていく。

アルカイドと一緒に鍛錬していた兄達は何度も諌めてきたが、ただただ煩わしいだけだった。自分よりも弱い人間は見下してもいいと思っていたし、兄達にしても自分の才能を僻んでいるだけだろうと、そんな風に考えて。他人から見れば愚かとしか言い様がないほどだったが、当時のアルカイドは省みることのできない傲慢な子供だった。そしてそれは王太子であるミザールの側近に選ばれたことで更に加速した。


『さすがアルカイド様、王太子様の側近に選ばれるのも当然です』

『アルカイド様の実力の賜物でしょう』


自分より先に生まれ、自分よりも多くの時間を鍛錬に費やしてきたであろう兄達でなく、アルカイドが選ばれたこと。いつも打ち負かされている相手に勝ったことが愉快で仕方なかった。しかし両親は褒めこそすれ、今まで以上にアルカイドを窘める言を多く口にした。最初は口うるさかった兄達にもいつしか距離を置かれていたのにも気付けなくなっていた程、傲慢さは加速していった。それがどんなに馬鹿だったか。思い知らされたのは婚約者とされた少女と城で会ったあの日のことだった。


両親から突然齎された婚約の話。


三男であるアルカイドは家督を継ぐことはない。婚約者などという面倒な存在ができることを嫌がる自分に、両親は侯爵家の令嬢であるその少女と婚姻を結べば次期侯爵の地位を得られるということを説いた。それでもその時のアルカイドは、王太子の側近としての役目があるのだから自分には関係ないと、身分しか齎さない何も出来ない婚約者など邪魔なだけだと、そう思っていた。

騎士として働く父とは反対に、母は家を花で飾ったり茶会を開いたり、他の家に呼ばれて着飾って出かけることもある。自ら働きもせず、父の爵位や働きで得た金を身にもならないものにつぎ込んで着飾ってただ見栄を張るだけ。女というものは呑気なものだなと思っていた。きっと自分の婚約者になる令嬢も母のようになるのだろうと。何だかんだと理由をつけ顔合わせを嫌がった自分に、父はとうとうその令嬢を城へ連れてくると言い出した。


『アクル・サザンクロスと申します』


やや緊張した面持ちでそう名乗った少女に対してその時になってもまだ不貞腐れていたアルカイドは、碌に挨拶も返さなかった。何故自分がこんな想いをしなければならないのか。爵位が欲しいなら二番目の兄が婚約すれば良かったのにと。

鍛錬を邪魔されたことにも苛々して、案内を放り出して目に付いた第二王子に剣の相手をするよう迫るだけでも不敬なのに。それすら理解せず不満をそのままその相手にぶつけた。自分の言葉に涙を零した相手を見ても罪悪感は生まれなくて。自分だけが正しくて、理不尽を押し付けられているのだと、そう思っていた。

けれどアルカイドの目の前に突如として現れた少女の姉と名乗る人物に、その身勝手な持論は呆気なくひっくり返される。言い負かされ反論できずカッとなって手を上げようとして、呆気なく反撃されて地面に沈んだ。呆然としているアルカイドにその少女は嵐のように正論を突きつけた。その勢いは周りにいた第二王子や当事者である婚約者の少女すら泣くのを忘れてしまうほどで。

感情のまま振舞っていたアルカイドが我に返ったのは、悲しげな顔で頭を下げた父の姿を目にした時だった。

自分にとって誰よりも強く大きな存在だった父が、王族や高位貴族とはいえ子供に頭を下げるなど、その姿を見てアルカイドは頭を強く殴られるほどの衝撃を受けた。領地で教育しなおすと言われたことよりも、「全て私の監督不行届です。私も同様にいかような処罰も受けます」の言葉にみっともなく叫んで父に縋る。

悪いのはアルカイドであって、父親ではない。自分のせいで父が頭を下げているという状況に漸く事の重大さに気がついた。


『子供だから、まだ騎士じゃないから、そんな理由で許されることではない。お前が否定しようが騎士隊長の息子という肩書きを持つお前はれっきとした貴族だ。お前の言葉一つでも外へ出てしまえば我が「伯爵家の言葉」として大衆には受け取られる』


兄達が、母が、諭してくれていた言葉が頭を一遍に埋め尽くす。その時になって初めて、アルカイドは自分の言葉や行動が沢山の人を傷つけていたことを知った。

どうして自分だけだと思ったのだろう。自分よりも年下の少女が、見ず知らずの政略結婚の相手と初めて会うのに不安がない筈がないのに。一方的に罵られて、暴力を振るわれそうになって、恐ろしく思わない筈がないのに。周りが言う通り騎士以前の問題だ。どうしてこんなことも分からなかった。

アルカイドの挙動にびくりと肩を揺らし怯えたようにも思えた相手はそれでも許すと言ってくれた。そのぎこちなく笑った顔を見て、アルカイドは胸が苦しくなった。

罪悪感とか、後悔とか、色んな感情がいっぺんに押し寄せて、ない交ぜになって呆然と立ち竦んでいる間に、今回の件は第二王子により遊んでいる最中の事故とされ、アルカイドの不敬も不問としてくれた。だがこんな事態を招いたアルカイドの行いを両親は許さなかった。今までの自惚れた不遜な振る舞いが招いたこと。王族への不敬罪。高位貴族の令嬢に対する暴言と暴力。騎士への信頼を損なうような立ち振る舞い。貴族としての資質を疑われるような言動。おまけに去り際、第二王子からは「今後二度と彼女に手を出すな」と不興まで買っている。



「あなたはこの母のこともそんな風に思っていたのね、屈辱だわ」



王太子の側近を外され、領地に戻ったアルカイドを待っていたのは、門扉の前で腕を組んで仁王立ちしている母だった。その格好はいつものようにドレスではあったが、手に持っているのは鉄扇だった。ぱしん、ぱしんとそれを手で打ち鳴らす母に後ろにいた父が焦りながら母の名前を呼ぶ。


「ミラ、落ち着」

「貴方は黙って」

「………」


常に父を立てるように大人しく決して口答えなどしなかった母が、父を一刀両断に黙らせたのを見てアルカイドの口が驚きに開く。


「夫を立て影ながら家を支えることが妻としての務めと思って徹してきたけど、どうやら私も間違っていたようです。反省します」

「は、母上…?」

「カイド、今私が着ているこのドレス、何キロあるか知っている?」

「へ?」

「今日私が参加してきた茶会の主催者と参加者の関係、そしてその茶会の意味をお前は説明できる?」

「え…え…?」

「バナトやナアシュでなく、お前が王太子殿下の側近に選ばれたのはただ単に王太子殿下と一番年が近かったから。実力は断然バナトとナアシュの方が上です」

「え……」

「ミラ、取りあえず中へ…」

「黙って」


告げられた事実を噛み砕くよりも早く、普段とは明らかに違う母の様子に恐怖が沸く。


「今日から、お前には淑女教育を受けてもらいます」

「えっ、な、何で」

「女は家にいてただ呑気に着飾って遊んで暮らしているだけなのか自分で確かめてみなさい。丁度いいからバナトとナアシュにも受けさせましょう。勿論普段の鍛錬もやってもらうし、今まで以上に厳しくさせてもらう。淑女教育が完了するまでお前は王都へは戻れないと思いなさい」

「な…な…何故ですっ…確かに俺が悪かったけれど、女が受ける教育を何で俺が…!!騎士の役目の方が大事じゃ………ッ…」

「……その言い方が気に食わない」


ひゅっと、喉元に鉄扇を突きつけられて、突然のことに言葉を詰らせた自分に母は冷たく言い放った。


「男だから、女だからということでなく、どちらが優れているかでもなく、私は私の方法で家を守っているだけ。それを否定するのなら身をもって知ってもらうまで。納得がいかないのならいつでも相手になりましょう」


殺気ともとれるその怜悧な空気にアルカイドの背に冷汗が流れる。


「あなた。バナトとナアシュに週末はこの邸へ帰ってくるように伝えてね。必ずよ」


そう父に言い含めた母は、父が黙って頷くのを見て踵を返して家の中へ戻っていった。




「………で、それからどうしてこうなった?」

「……納得できなかったから、抗議したら木剣渡されて立会させられた」

「馬鹿かお前…母上は猫かぶってるだけで昔戦姫とまで言われた女騎士だったんだぞ…!!」

「だって、そんなこと知らなかったんだ!!」

「それでコテンパンに伸されて今日に至る……と…」

「お前のせいだぞカイド…おかげで俺達も巻き添えに…」

「まぁ、三人とも内緒話をするときは口元は隠すものよ」

「「「!!?」」」


突然音もなく現れた母にびくついた拍子に、アルカイドの頭の上に乗っていた本が落ちた。


「カイド、淑女たるものそのように大きく感情を表に出してはいけないわ」

「っわか…」

「わか?」

「………はい、お母様」


つい以前のように返事をしかけて、母親の鋭い目つきに慌てて取り繕って落ちた本を拾い上げる。


「屈むときに足を開かない」

「っ……は、はい…」


アルカイドは膝を閉じ、屈んだときに乱れたドレスを手で直す。そう、ドレスをだ。

あの後、有言実行に徹した母によって、イーター家の三兄弟はこうして揃って淑女教育を受けさせられることになった。ドレスだけでもかなりの精神的ダメージだというのに、朝の鍛錬が済んだらすぐにそれを着せられて、マナーの一環として厳しく監視される食事が終ったらすぐに座学の勉強があり、それが終れば昼食がてら午後の予定を確認し準備をしなければならない。母との擬似的な茶会で隠した本音を読み取る会話術を学ばされ、夕方にはまた鍛錬。クタクタになって部屋に戻れば、夜は夜で長い長い湯浴みと肌や髪を美しく保つための手入れを受けさせられる。ドレスを着ている間は令嬢として過ごすように、と厳命されているため、姿勢や話し方一つでもすぐに注意が飛んでくる。口答えをすれば正論でやり込められ、徹底的に自尊心をへし折られ。逃げ出そうものならば今度は物理的にへし折られる。

長兄のバナトと次兄のナアシュは学園に行っているので週末だけで済んでいるが、アルカイドに至ってはほぼ毎日鍛錬に加えてこのルーティンを受けさせられている。地獄だった。


「は、母上…」

「ナアシュ、お母様でしょう?」

「……お母様……ここまでする必要が本当にあるのですか?」

「えぇ、少なくとも女性が着ている服がどれほど重たいものなのか分かったでしょう。今後女性を見る目が変わったのではなくて?」

「…そう…ですね…それは、そうなのですが…」

「お母様…」

「何ですバナト」

「今回の件はカイドが悪いんだから、受けるのはカイドだけでいいと思う!」

「俺もそう思う!」

「兄さん!!自分達だけ逃げようとしてずるい!!」

「ずるくない!!元はといえばお前が馬鹿なことしたのが悪い!!」

「そうだぞ!!お前俺達の忠告もちっとも聞かなかったじゃないか!!」

「そ、それは俺が悪かったけど!!兄弟なんだから助けてくれたっていいだろ!?」

「兄弟でもできない相談はある!!」

「父上に頼めよ!!」

「言ったさ!!でも父上は母上が許さないなら駄目だって…!!」


後から知ったことだが、無口で厳格に見えていた父は、ただ不器用で口下手なだけだった。そして母が元騎士だからというだけでなく、惚れた弱みを入れたら下手をしたら父よりも強いかもしれないということも。

結婚を期に騎士を引退した母は、子供達の前では常に夫に付き従う良妻賢母であるよう努めていたらしい。それにあっさり騙されていた自分はやっぱり考えの足りない子供でしかなかったのだろう。自分は知らない間に虎の尾を踏んだのだ。


「…三人とも、まだ無駄口を叩く元気が有り余っているようね」

「「「あ」」」


ぱしんと鉄扇を掌に叩きつけ、にこりと笑った母に揃って青くなる。

その日の指導は苛烈さを極め、その夜はアルカイド達兄弟は揃って仲良く泥のように床に沈む羽目になった。

そうして半ば強制的に受けさせられていた「やっと可愛い娘ができると思ったのに…」という、母の私怨も多少入っていたと思われる淑女教育ではあったが、そのお陰で傲慢に育っていたアルカイドの自尊心ははベコベコに凹み、少しずつ一歩引いたところから自分を客観視することを学んだ。

相手に合わせること。時と場合に応じて着飾ることも求められる。見くびられないように周囲に目を配ること。社交は情報収集の場。自分が必要ないものだと切り捨てたことがどれだけ大変なことなのか理解した。

そしてあの時、アルカイドが言った言葉がどれほど相手を傷つけたのかを知り、後悔や罪悪感がは日を追うごとに自分の中に膨らんでいく。

母の許しが出る頃には、険悪になっていた兄達との関係は昔のように軽口で言い合えるくらいに改善し。結局終ってみれば、一度王太子の側近を外されている自分を、父も母も兄達も見放さずここまで正してくれていたのだと後になとアルカイドは思った。

それに気付けたのは、もう一度実力でその地位を勝ち取ったことにより、王都に戻ることを許された時だ。

ミザールとメラクも、一度側近を外れてしまったアルカイドを心配してくれていた。何度か領地へ手紙のやり取りはしていたが、王都へ戻って実際に顔を合わせると込上げてくるものがあり、自分の不徳で手放してしまったものの大きさを知った。

「戻ってくるって信じていた」と、言って迎えてくれた二人の、ただの友人として待っていてくれた信用と、見放さず正してくれた家族を今度こそ裏切らないと誓って、アルカイドの王都での生活は再度始まった。

学園に入学するのは、アルカイドだけが一年遅い。一足先に入学した二人に遅れをとらないよう努力しながら、いつかあの少女に、アクル・サザンクロスに、もう一度ちゃんと謝りたいと考えるようになった。



順調であった王都での生活に不穏さを感じるようになったのは、第二王子が学園へ入学する頃だった。従者のメグレズとミモザと三人でいる姿を王城でもよくみかけている。そんな彼等の様子を目にする度、ミザールとメラクは何故か二人とも揃って空気が落ち着かなくなる。そんな二人の様子にアルカイドは王都へ戻る時に父から言われた言葉を思い出す。


『我等騎士は主の剣であり、盾であり、そして時には鞘にもならなければならない。戦うことは造作ないが、それだけならば騎士でなくてもできること。主が道を誤ったときはこの身を持ってお諌めする。それが忠誠を誓うということだ…未だ第二王子を王位に推す声は絶えない。対応を見誤るな。王太子殿下は未だ脆い砂山の上にいるのだと自覚しろ』


ミザールは立派に王太子としての責務を果たしている。正妃の息子である第二王子を王位につけるべきだという声がミザールを苦しめていることも知っている。どれだけ努力してもその声が消えないのはもうミザールのせいではない。そのせいで幼い頃第二王子との関係が上手く行かずに悩んでいたこともあった。それが改善されてもう久しくなるが、最近のミザールの様子を見ているとまた幼い頃のように思いつめないか心配だった。

メラクもまた優秀な父親を持つが故に、一つの過ちも許されないと気負いすぎているようなところがあった。ミザールの苦悩を誰よりも傍で見ていたからこそ、今のこの状況に不安を感じているのかもしれない。あの第二王子が王位を望んでいるとは思えなかったが、ミザール第一のメラクにとっては彼等の存在自体が不安要素であるのかもしれない。

思えば、この時点で既に二人の様子は普段とは違っていた。そこを見誤ったから学園でのあの事態を引き起こした。

浄化のためにミザール達と行動を共にするようになったスピカは、貴族の令嬢達から疎まれて、影で嫌がらせを受けるようになった。そしてそれに対して誰よりも腹を立てていたのがミザールだった。

王太子であるミザールが庇えば庇うほどスピカの立場は悪くなっていく。思うようにならない状況に、スピカを守らなければならないと強迫めいた感情は強くなっていったのだろう。

アルカイド達が駆けつけるとそこには地面に座り込むスピカの姿と、スピカに向かって手を差し出そうとしているもう一人の姿があった。その見覚えのある髪色に、アルカイドは彼女がスピカを助けたのかと思ったが、ミザール達はそうは思わなかったらしく、止める間もなく一方的にミモザを糾弾した。

王太子であるミザールに責められ、しかも自分よりも体格の大きな男子生徒に怒鳴れれば誰だって顔色くらい悪くするだろう。スピカの表情や必死に止めようとする姿を見て、すぐに誤解だと分かりそうなものなのに、スピカの話をきちんと聞こうともしない。止めたところで納得しそうもない三人の様子にアルカイドは、証人を連れてきた方が早いかとその場を離れ走った。

スピカが令嬢に連れて行かれたとその場で話していた生徒の顔を思い出し校内を走る。幸いまだ近くにいたようですぐに連れて戻ると、ミザールといつの間に現れたのか第二王子の争う声が聞えた。

幼い頃からあれだけ大事にしてきた相手を確証もなく一方的に傷つけられれば怒るのは当然だった。今二人の間に確執が生まれればどうなるか誰よりも彼等は知っていた筈だ。

それが大事にならなかったのは、結局ミザール達の要求をミモザが一人で飲み込んだからだった。「そんなことできません」と固辞するスピカを複雑そうに見ていたミモザの後ろで、第二王子とその従者のメグレズだけは険しい視線を此方に向け続けていた。

泣きながら走り去ったスピカを追いかけたのはドゥーベだけで、アルカイド達はただ呆然とその後姿を見送るしかできずにいた。


「私は、間違えたのか…」

「いいえ、そのようなことはありません」


スピカ達の去った方を見つめながら小さく言ったミザールに、メラクはすぐに反論した。


「今回は誤解だっただけで、貴方と行動を共にすることで、スピカ嬢が貴族の令嬢達から筋違いな嫉妬を向けられ嫌がらせを受けていたのは事実です。結果的にこれからはサザンクロス嬢がその令嬢達の風除けになってくれるのですから、貴方の判断は間違って」

「いい加減にしろメラク」


まるで開き直るかのような言い方に我慢の限界がきて、メラクの肩を掴んでその言葉を遮った。


「ミザールもだ…!思い込みで無実の人間を責め、挙句サザンクロス嬢にスピカ嬢を庇えなんて、いつものお前達なら言わないだろう!!冷静になれ!!一体どうしたんだ…!!」


第二王子派の貴族達が表立って動かないのは、ミザールが王太子の肩書きにに恥じない公正な人間だからだ。取り返しのつかない失態を犯したアルカイドにも、再び側近として仕えるチャンスが与えられたのもミザールの意思を反映したものだということくらい解る。それなのに感情のまま一方的に糾弾し、そういった輩に足元を掬われるみすみす攻撃材料を与えるなど、普段の彼等では考えられないことだった。


「だが、スピカ嬢を守るためには…」

「お前達がしたことはスピカを苛めていたあの令嬢達と同じことじゃないのか?」

「…っ…」


どうにか二人に思い直して欲しくて、アルカイドは処罰されることも覚悟で口に出した。臣下として以前に、友人としても二人の姿に納得ができなかったからだった。

かつての自分に返ってくるその言葉は、アルカイドの中にある罪悪感を煽る。どの口が言うのかと自分でも自己嫌悪に陥りそうになるが、そう思えるようになったのは間違いなくあの時のことがあったからだ。


「…そうだな」


アルカイドの言葉に重苦しく口を開いたのはミザールだった。


「守らなければと、此方の思いを勝手に押し付けていた。一方的に庇護されるような幼子でもないというのに、彼女の気持ちを考えていなかった。二人ともすまなかった。頭を冷やす」

「ミザール…」


ミザールの目に普段の意思を感じたアルカイドは内心安堵する。


「帰ったらもう一度アルコルと話す。スピカ嬢には…明日謝ろう」

「はい…俺も、共に行きます」

「………」


何とか冷静さを取り戻してくれたらしい二人の様子に、アルカイドは安堵しつつ胸の中にずっとモヤモヤとした感情を抱えていた。最近の二人の抱く焦燥といい、ミザールと第二王子が同じ場所に揃ったことも、二人の対立を狙った何者かの意思が働いているのではないかと疑ってしまう。

考え過ぎならいい。そう思いながら前を歩く二人の背中を眺める。今回は立ち止まってくれた。けれど次もそうであるとは限らない。もし本当にスピカが怪我を負うような事態になれば、再度同じことが起こるかもしれない。今回のように後手に回るような失態はもうしたくない。とつとつと雨が降り始めた暗い空を見上げて、アルカイドは胸の中の暗い想いにも蓋をするように頭を振った。




「どう接したらいいか分からないだけですわ」


その言葉にこの班分けに思わず閉口したのは自分だけではないのだなとアルカイドは知る。

あの日以来、スピカとミモザが行動を共にしているのを見かけるようになった。王太子から言われた以上、義務感でそうしているのかと思っていたが、スピカの口から聞く様子ではそうでもないらしい。

スピカへの嫌がらせはめっきりと減り、結果的にミザールやメラクが意図した通りになったことに複雑な思いを抱きつつ、ミモザが被害を蒙っていないのなら様子を見てもいいのかもしれないとアルカイドが思い始めていた頃、夏季演習の班分けが発表された。

七騎士の誰かがスピカと同じ班になるだろうと思っていたが、まさか自分がそうなるとは思わなかったし、何よりミモザまで同じ班だとは思わなかった。

しかももう一人の班員であるアリオトが、いきなりミモザを口説き始めたのだから驚いた。アルカイドは始まる前からどっと疲れを感じ隣を歩くアリオトを睨むと、相手は全く気にする様子もなく口笛でも吹きそうな気安さで言った。


「班分けしてくれた先生に感謝だねぇ」

「お前それ絶対第二王子の前で言うなよ」

「あはは、流石にあれだけ牽制されれば言わないよ。でも、アルカイドだって彼女と話す機会ができて喜んでるんじゃないの?」

「それは……」


七騎士の中で唯一同じ学年であることもあり比較的気安い友人関係であるアリオトには、過去の事も話してあった。


「ミモザさんの妹さんでしょ。謝りたいって言ってたじゃん。取り次いでもらえるかもしれないよ?」

「果たして許してくれるか…」


尻込みしてしまうのは、ミモザからすればアルカイドは今も大事な妹を傷つけた憎い相手と思われているのかもしれないからだ。


「それは、お前の態度次第だと思うけどなぁ」

「………」

「なんにせよ、まずは演習を無事に終えないとねー」

「そうだな…」


いくら低ランクの魔物しか出ない場所での演習とはいえ同じ班にスピカがいるのだ。責任は重大である。

野営する場所も決まり、食材の調達の目処が立ち幸いにも話す機会に恵まれて。演習自体は順調だと、そう思っていられたのはそこまでだった。


森の奥から響いたスピカの悲鳴に、アルカイドはハッと顔をあげ、地面を蹴って走り出す。

走りながら抜剣し、音を頼りにスピカのいる場所を見つけ出すと、視界に大きな鳥型の魔物の姿が見えすぐに応戦する。一瞬だけ見たアリオトは赤く染まった肩を庇っていた。おそらくまともに戦闘できる状態ではないだろう。連絡を受けた教師達が来るまで自分一人で持ちこたえなければならない。通常数人がかりで討伐するような魔物である。

何処までやれるのか分からないがせめてスピカ達を逃がす時間を稼がなければと、アルカイドは刃を弾く硬い羽に炎を纏わせた剣で斬りつけた。しかしすぐに高温の炎に羽を焼かれ忌々しげに鳴いた魔物に構える間もなくその翼で思い切り叩き飛ばされ、受身も取れずアリオトが造った土壁に叩きつけられた。喉奥から競りあがってきた血を地面に吐き出して起き上がろうとするが、痛みで体が軋んで上手く動かせない。ミモザを追って森へ飛ぶ魔物の姿を追わなければと思うのに目の前が霞んでいく。


「スピカ?」

「ドウ…っ」

「アルカイド?スピカ嬢!!無事か!?」

「王太子様…!ミモザ様がっ…!」

「サザンクロス嬢が魔物に追われて森の中へ…ッ!」


ドゥーベに次いで、すぐに現れたミザール達にアルカイドは叫ぶ。アルカイドの姿を認めたミザールはすぐに「っ…すぐにサザンクロス嬢を探せ!!」と周囲に指示を出した。アルカイドがはっきりと意識を保っていられたのはそこまでだった。


アルカイドが気を失っている間に魔物に追われたミモザは、足を踏み外して崖から滑り落ちた場所で彼女を探して森に入った第二王子によって発見された。魔物は彼女の身につけていた髪飾りの加護の魔法によって消滅したらしいというのが教師達の見解だった。

アリオトも、ミザール達も、教師達も誰もアルカイドを責めなかった。それだけ出現した魔物が強大だったというのが大きいだろう。実際ミザール達のところに現れた魔物の齎した被害も甚大だった。それでも、スピカを守りきることも出来ずミモザまで危険に晒し、主であるミザールに連れ帰ってもらうなどと、不甲斐なさに自分を殴りたくなった。アルカイドがもっと強ければ、もっと早くに危機を察知できていたら。誰も危険な目に合わせずに済んだかもしれないのにと。


「アルカイド様のせいではないでしょう?」


己の無力さに打ちのめされながら謝りに行った時、恨み言一つ零さずミモザはそう言った。信じられなくて呆然と見返すと相手は苦笑した。


「だが、俺は騎士として…」

「世の中には努力ではどうにもならないことが沢山あるのよって母が言っていました。今回の事はアルカイド様がどれだけ強くても、一人ではどうにもならなかったことだと思います」

「………」

「それよりも安静にしていなくて大丈夫なのですか?私よりも重傷でしょう」

「スピカが回復魔法をかけてくれたから、俺は大丈夫だ」

「そうですか…ですが、あまりご無理はされませんよう…手紙の件はいつでも大丈夫ですから」

「そ、れは…書けたら、頼む…」


言われるまでアクルに手紙を書く許しをもらったことを忘れていたが、思い出した途端に治しきれていない肋骨の痛みを感じて、アルカイドは自分の単純さに呆れた。




体調が戻るまで休んでいるように言われたが、結局じっとしていられなくてアルカイドは翌日には手紙を書き終えてしまった。すぐに渡しに行こうとしたが、相手も療養中だということを思い出してその日は踏みとどまる。それでも気が急いてその翌日には渡しに出向いてしまったけれど。


「さっき見たばっかじゃん。そんなにすぐ来ないと思うけど」

「……いいだろ別に」


毎日寮監にしつこく自分への手紙はないかを確認するアルカイドに呆れながら肩を竦めたアリオトに、いつか逆の立場になったら笑ってやると思いながら、アルカイドが待つこと数日。待ちかねた手紙を手にした時の緊張は今でも言葉に出来ない。


『突然のお手紙にとても驚きました』


桃色の花の透かしの入った便箋にそんな書き出しで綴られた手紙は、アクルの歩んできたこれまでが伝わってくるような内容だった。

驚いたけれど手紙をもらったことが嬉しかったこと、演習で姉を助けたことへの礼、アルカイドの体調を尋ねる内容、彼女の近況など。責めるような言葉は一つもなかったことに安堵すると同時に、アルカイドは手紙を書く前とは違う熱が体に沸き起こるのが分かった。


罪悪感でしかないと思っていた。けれど、この動悸はただの罪悪感だけではない気がして。その違和感は思いもかけず休暇前学園でアクルに会った時に直面することになった。


「え…アルカイド様?」


休暇が始まる前にスピカと共に学園内を浄化して回っていたアルカイド達は、ミザール達と合流するために向かったカフェテリアで彼女と再会した。

ミモザの正面に座り此方に背を向けてはいたものの、見覚えのある茶色のふわふわした髪と小さな背中に、アルカイドは気付けば名前を呼んでいた。

名前を呼ばれたことに振り向いたアクルは昔と変わらず小柄で華奢ではあったが、アルカイドの想像よりもずっと大人っぽくなっている姿に咄嗟に言葉を失くす。記憶の中で幼子の姿でしかなかったアクルの変貌にアルカイドの顔に熱が上がってくる。

すごい速さでミモザに足を踏まれたが、あのまま惚けていたら妙なことを口走りそうだったので、逆に小突いてくれて助かったとさえアルカイドは思った。


「えっ、ダンスパーティーがあるんですか?」


ぼうっと見惚れているうちにスピカ達の話は学園内の浄化から学園祭のことに移っていた。

ダンスをすることに不安を抱くスピカとドゥーベに、学園であったことを知らないアクルは無邪気にも「彼もスピカと一緒に練習をしたらいいのではないでしょうか?」とミモザに言った。

謝罪して表面上はミモザが水に流してくれた状態になってはいたが、あんなふうに責められた相手に積極的に関わることを良くは思わないのではないだろうかというアルカイドの杞憂を他所に、ミモザは進んで二人を教える役目に手を上げた。

スピカと仲良くなったからと言って、自分を傷つけた相手にまで手を差し伸べるなどお人よし過ぎないかと口を開こうとした瞬間「ならば、アリオトさんにも協力していただきましょう」とミモザの口から新たな問題発言が飛び出してアルカイドは頭痛を発症する。


「おい…それ第二王子じゃなくて平気なのか?」


第二王子がそんなことをみすみす許すとは思えない。名前を挙げられたここにはいない友人の安否も相まって、アルカイドは思わず聞き返したが、当の本人は「何がですの?」と全くわかっていない状態だった。


「それにアルコル様はお忙しいもの、私の都合でダンスの練習に付き合ってくださいとは言えません」


そんなことは絶対ないとアルカイドだって断言できる。他人の機微には敏感なのに、自分の事になるとどうしてこうも鈍いのだろうか。心底女心というものは分からない。


けれど。


「いいなぁ…私は参加できないので、後でしっかりとお姉さまと殿下の様子を教えて下さいませね、スピカ?」


しゅん、と音でもしそうに肩を落としたアクルの顔を見ていたら、アルカイドは立ち上がって気がついたら手を差し出していた。


「俺が……その……俺と…」


相手の驚いた顔にしまったと思いつつも、もう後にも引けないと思った。だってそんな顔をされたら放っておけない。


「ミモザ嬢、どうか妹御を後夜祭へ誘う許可をもらえないだろうか…!!」


何とか絞り出した声で彼女の保護者であるミモザに訴えると、案の定半目で睨まれ手を叩き落された。


「アルカイド様、私を誘ってくださるんですか?嬉しい!!」


柄にもないことをしてしまい羞恥と混乱でどうにかなりそうだったが、スピカと手を叩いて喜ぶアクルの姿を見て、アルカイドは咄嗟でも声を上げてよかったと思った。




学園祭当日は幸い天候にも恵まれた秋晴れだった。

夏の頃のような青々しさはないが、赤い蜻蛉が柔らかい色合いの青空に映えている。


「………よし」


アルカイドは見上げていた空から手元にある剣に視線を戻す。昨日のうちに手入れは済ませている。食事もちゃんと摂った。前日までの仕事で睡眠時間が十分とはいかないけれど、コンディションは悪くない。何よりやる気と言うか、活気は漲っている。


「一緒に学園祭を回らないか」と、アルカイドが勇気を出して誘った結果「お姉さまと見て回るからごめんなさい」と呆気なく撃沈したのはついこの間のことだ。傷もまだ真新しい。なんとなくそこまでは予想できていた自分もいたため、せめてと思い「観覧試合に出るから、良かったら見にきて欲しい」と言っておいた。だから、もしかしたら試合を見にきてくれるかもしれない。まだ来ると決まった訳ではないのに、その希望だけでこれだけ浮き足立つ自分はやはり単純なのだろうとアルカイドは思った。


手紙のやり取りをしていて分かったことだが、アクルは姉であるミモザの事が大好きだ。


『お姉さまとお茶をしました』

『お姉さまが言っていました』

『お姉さまとお揃いの…』

『お姉さまはいつも綺麗で…』

『それはお姉さまと…』


手紙にはいつも姉であるミモザに対する好意が沢山記されていた。そしてまたミモザもアクルの事を大切にしているのは二人の様子を見ればわかる。お互いを想い合う姉妹の絆に割って入れるとは思えないし、しようとも思わない。だから今日も、もしかしたらミモザを優先してアクルは試合には来ないかもしれない。夜には会えるというのに、アルカイドが自らの余裕のなさに溜め息を飲み込んでいると参加者の中で見慣れた後姿を見つけた。


「メグレズ」

「あぁ、アルカイドも出るのでしたね」


深緑の髪を後ろに流し、居住まいを正した相手は軽く会釈して此方へ歩み寄る。


「お前も出るのか…」

「はい、欠員の補充で頼まれて…仕方なく」


相手はにこりともせず、腰に差した剣に手をかけそう言って溜め息を吐いた。未だに自分が敵視されているだけなのかと思ったが、第二王子やミモザといる時以外は常にこの表情なのだと知ってからは気まずさは少し抜けた。


「当たった時はよろしく頼む」

「…俺は途中で棄権しますから」

「棄権?何でだ?」

「タニア殿下から頼まれたことがあって…」


珍しく歯切れの悪い相手に首を傾げつつ、試合の開始を知らせる声が響いたため、その話は結局そこまでしかできなかった。


試合の参加者は学園の生徒のみ、トーナメント制の勝ちあがっていく形式だ。これまでの鍛錬と経験のお陰か順調に勝つことができていた。集中をとくと観客達の歓声が降ってくるのが聞える。見渡した観覧席から手を振るアクルを見つけ、みっともなく弛みそうになる口元を隠しながらすぐに小さく手を上げて返した。アリオトはちゃんとアルカイドの希望を叶えてくれたらしい。

前の試合を終えたばかりだというのに再び無駄に闘志が漲ってきたアルカイドは、その後も順調に勝ち進み、結果優勝が叶った。試合が終わった後は後片付けや表彰などがあり会いに行くことは出来なかったが、陽が落ちるにつれ、もうすぐ話せるのだと高揚感と緊張感がアルカイドの内心を次第に占めていく。


指定された控え室のある廊下では、パートナーの支度を待っていたり連れ立って話をする生徒達の姿で一杯だ。皆一様に着飾っていたが学園は元々貴族の子弟が多いから真新しさはない。アルカイドの今日の格好は騎士の正装だ。式典などでしか着ないので着慣れないが不恰好ではないだろうと居住まいを正す。あちらこちらから談笑する声が聞える筈なのに、自分の足音がやけに響いて聞えるのは緊張しているからだろうか。扉の前まで来て、ノックをするために持ち上げた手までぎこちない。

叩いた扉を開けたのは侍女だった。その後ろに姿見の前に立つアクルの姿を見つけて、迎えに来るのが早すぎただろうかと口にする。


「いいえ、もう支度は済んでいましたから」

「そうか…」


ふわふわとしたドレスを着て微笑む彼女に見とれていると、その背後から冷ややかな視線が突き刺さる。何とか「似合っている」の一言を搾り出したアルカイドは片手で口元を隠して、反対の手を相手に差し出した。ドレスの事は見た目よりも重いということ以外よく解らないがよく似合っていたし、髪や襟元に飾られている赤い花の飾りがアルカイドの髪の色だということに口元を必死に引き結ばなければならなかった。

乗せられた手は力を入れて握り締めたら怪我をさせてしまいそうなくらい小さくて、緊張しながらアルカイドはその指先を握り返す。

姉と侍女に呼びかけてアクルは自分の隣に並ぶ。その背の小ささにまたしても自分の対格差を自覚してしまい、絶対に足を踏んだりしないようにしなければと気を引き締めた。


「今日はありがとうございました」


歩き出してすぐに彼女がそう言った。


「いや…俺こそ…」

「私がダンスパーティーに出たいって我侭言ったから、アルカイド様は叶えてくれたんですよね」

「そ、ういうわけでは…」


こういう時碌に回らない自分の口が恨めしくなる。感情を素直に口に出してしまえば、あの時のようにまた誰かを傷つけるのではないかと一度飲み込んで咀嚼してから口を開く癖がついてしまっていた。それが嫌われたくない相手ならば尚更で。


「あと、優勝おめでとうございます!」

「ありがとう」

「特にあの火の魔法すごかったです!!剣に纏わせることで攻撃力が上がるのですね」

「そうだ」

「歴代の優勝者にはアルカイド様のお兄様もいらっしゃるのですよね?観覧席で話題になっていました」

「あぁ」

「もう既に騎士団に所属されているからスカウトできないって悔しがっている人もいたんですよ?」

「そうか」


さっきから沢山話しかけてくれているのに相槌しか返せない。アルカイドはあの頃の偉そうな口の回る自分が少しだけ戻ってきてくれればいいのにとさえ思う。


「アルカイド様はどうして騎士になろうと思ったんですか?」

「俺は…父親が騎士だったから」


聞かれた質問に、少し遠くに視線をやりながらアルカイドは答える。

騎士である父親の姿を見ているのが当たり前で、勇敢に戦う父親に憧れを抱くのは必然で。きっと兄達もそう感じていたから騎士を目指して幼い頃から鍛錬を繰り返してきたのだろう。そんな家族の中にいて、物心ついた時には自分もそうやって騎士を目指すのが当たり前の事なのだとアルカイドは思っていた。


「お父様が騎士だったから、ですか?」

「あぁ、別に立派な理由じゃないんだ。父親が騎士だったから、その子供の自分も騎士になるんだって思ってただけだったのかもな」


父の姿に憧れを抱いたのは確かに間違いない。けれど盲目的にそうあるべきと思い込んでいたかもしれないのは事実。

実際そのことに気付いたのは、自分よりもずっと強くて大きな存在だった父が頭を下げたあの時だった。躊躇うことなく頭を下げたのは家を守るためだけではなく、騎士としての誇りがあったからなんだと思う。アルカイドはその時に気付いたのだ。自分が惰性で目指していた職業は、生半可な気持ちで望んではいけないものだったんじゃないかと。


「…あの時、俺は騎士になるべきじゃないのかもしれないって思った。けれどその道を諦められなかったのは、親父殿への憧れがあったんだろうな」


領地に帰って剣を振るうたび、あの時の父親の姿が脳裏に浮かんだ。

そんなことをさせてしまった自分が情けなくて、守られているだけの子供でしかなかったんだと思い知って。もう遅いかもしれない。二度と認めてもらえないかもしれない。けれど諦められなかった。自分もなりたいと思った。いつか信念を貫くことができるように。


「まぁ…今も全然追いつけていないけど…」


夏季演習の時も自分は無力だった。学園内では誰にも負けないと自負していた剣術でさえ全く歯が立たなかった。結果スピカやミモザを危険に晒した。

もっと強くなりたい。強くなければ誰も守れない。けれど焦れば焦るほど剣先がぶれて定まらなくなる。


「…何となく分かります」


言うつもりなどなかったのに、後悔と焦燥に苛まれる心情を零してしまったのが情けなくて俯くと、相手が此方を見上げるのが横目に分かった。


「私も同じような覚えがあります…私の事情はご存知だと思いますが、サザンクロスに来てすぐの頃は貴族のお勉強が嫌で、そんなことできなくても別にいいじゃないって開き直って投げ出して」

「君が?」

「ええ、あの頃の私は我侭で甘ったれで、誰からも見放されていてもおかしくなかったのに…お姉さまはきちんと私に何がいけなくて、どうしたらいいかを一緒に考えてくれた。だから私も…すぐにはできなくても、変わりたいって思えた」

「………」

「最初は小さな憧れだったとしても、それを実現したのはアルカイド様が沢山努力をしたからです。気付いたきっかけは後悔だったかもしれないけれど…先程の試合を見ていれば分かります。常日頃の鍛錬がなければあのようには動けないでしょう?才能があったとしても努力をしなければあんな風に発揮することはできない筈です」

「………」

「今アルカイド様がこうして騎士として勤めを果たしているのは、間違いなくアルカイド様が誠実に努力を続けたからであって…だから私はそんな貴方を尊敬していて…えっと…だから、そんな風にあんまりご自分を卑下しないでほしくて…ごめんなさい、何だか上手く言えなくなってしまいました。まだまだ未熟者ですね」

「そんなことはない」

「アルカイド様…」


アクルにも同じような後悔があるとは思えなかった。けれど、姉に憧れ努力をする姿が自分と同じだと言うのなら、アクルもまた苦しみながらも自分が落としてしまったものを一つ一つ拾い上げながら周囲に向き合ってきたのだろう。


「あの時のアルカイド様はちょっと恐かったけど、今のアルカイド様は素敵だと思います。今更なんですけど、アルカイド様とパーティーに出たかった方が沢山いらっしゃったんじゃないですか?」

「そんな相手はいない」

「で、でも…さっき試合でアルカイド様を応援なさっているご令嬢が沢山いました!」

「あぁ…それはありがたいことだとは思うが…別に誰とも約束はしていないから」

「そうじゃなくて…その…アルカイド様のパートナーが本当に私なんかで良かったのかなって…!」


食い下がる言葉に、もしかしてアルカイドとパーティーに出ることを後悔しているのかと冷やりとして足を止めて向き合う。しかし目に映ったのは想像していたのとは違い、眉を下げた不安そうな表情だった。


「俺から誘ったんだから、それは気にするな」

「けど…私より相応しい方が…」

「…そのドレスは俺の服に合わせてくれたものだろ」

「え…?」

「いつもより踵の高い靴を履いているのだって」

「っ」


言い当てられたことに驚いた顔をした相手は「どうしてわかったの」と小さく呟く。ドレスで足元が見えなくとも、並んだ時に昼間と目線が違うことには気がついていた。高さのある靴は足に負担をかけるのは地獄の淑女教育のお陰で経験済みだ。例え数センチしか違わなくとも自分と身長差が目立たないようにそうして努めてくれたことがアルカイドには嬉しかった。

相応しくないと言うならアルカイドの方だろう。あの頃よりは思慮は深くなったがそれだけだ。自分の傲慢さに指摘されてからしか気付けなかった馬鹿さといい、思うことの半分も伝えられない愚鈍さといい、アクルの姉の傍にいたいという気持ちを利用して、自分の気持ちも告げないまま一緒にパーティーに行ける口実をもぎとった情けなさといい。


「…あの時からそうだったな」

「え?」


はじめて城で会った時。あの時もアクルは目一杯のおしゃれをして、たどたどしくも懸命に覚えたカーテシーで、碌でもない自分に会いに来てくれた。

泣いた目元を赤く腫らしながら笑いかけてくれたあの日から。今も変わらずこうして後悔の中でもがくアルカイドを許してくれようとしている。


「…もし足が痛くなったら、すぐ教えてほしい」

「は、はい」

「行こう」

「はいっ!」


繋いだ手と反対の掌で赤くなった顔を覆った自分はさぞかし無様だっただろう。

後悔だ、罪悪感だと目を逸らし続けてきた心臓の鼓動を、こんな時に思い切り自覚する羽目になって掌に汗が滲む。心臓が痛いほどに軋む。


「早くお姉様の踊っているところを見たいなぁ」と嬉しそうに歩く横で、アルカイドは自然に微笑む。

会場に入った後も、皆の輪の中で踊るミザールとスピカを見ている間も、隣で「お姉さまたち本当に素敵…!」と興奮した彼女に袖を引かれている間も、パーティーが終って彼女を送り届ける間も、アルカイドはずっとどこかへ行ってしまった平静を取り戻すのに必死だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ