番外編:従者の悩み事
今にも雪が降り出しそうな寒い日。
職員棟での用事が終わり、教室に戻る途中、すれ違った女生徒達の声が聞えた。
「今年の休暇は家に帰らないことにしたわ」
「それなら一緒にでかけない?」
「いいけど…婚約者様はいいの?」
「さすがに聖誕祭の当日は無理だけど、それ以外の日なら大丈夫」
耳に入ったそんな会話に、もうそんな時期かとメグレズは足をとめて廊下の窓から空を見上げる。雲に覆われた空からは既に時折雪が落ちてきていた。
学園でも、王城でも。どこか浮かれた空気は冬期休暇前のこの時期特有のものだろう。
「あっ、メグレズ様、こんにちは」
「ミモザ嬢、こんにちは」
「アルと一緒ではなかったのですね」
「あぁ、少し職員棟へ用事があって…アルなら教室にいると思う」
「あっいえ、別に用事があったわけじゃないから大丈夫ですわ!」
自分に挨拶した後、すぐにアルコルの姿を探す目の前の友人に苦笑すると、相手は顔を赤くして頭をぶんぶんと振った。
「ミモザ嬢はどこへ?」
自分が教室に戻って彼女に会ったことを教えたら、きっとどこに行ったかを聞かれるだろうなと思って少しだけ笑って、行き先を聞いておくことにした。
「私はこれからアクルとお買い物に」
「城下へ?」
「はい」
「護衛は」
「ちゃんとお願いしていますので大丈夫です!」
楽しそうに顔をほころばせる彼女は友人の贔屓目を抜いても可愛らしいと思う。だからこそ婚約者となった今でも心配が尽きないアルコルの気持ちもよく分かるが、校外へ出るのなら流石に自分も付いていくとは言えないだろう。更に護衛の数を増やすことになる。
「そうか、護衛がいるなら大丈夫だとは思うが、城下も人も多そうだ。気をつけて」
「ありがとうございます。あ、メグレズ様、今年のお菓子も楽しみにしててくださいね」
「っと…それは」
「サザンクロス様」
メグレズが言いかけた時、背後からミモザを呼ぶ声がかかった。
「はい、どうされました?」
「フェクダ先生がお探しになっていましたわ」
「えっ…分かりましたわ、ありがとう、すぐに窺います。ではメグレズ様、ごきげんよう」
「あぁ…」
片手を上げて返すと、呼びに来た相手と元来た道を去っていくミモザの後姿に、また言いそびれてしまった言葉を飲み込んで眼鏡に触れる。
数年前のこと。それは自分が第二王子付きの従者に選ばれて初めての冬。
誠心誠意アルコルに仕えようと決心した日から、日々覚えなければいけない勉強と鍛錬に漸く体が慣れてきたのは寒さも一入の年の瀬の頃だった。
城仕えの者達は交代で休暇を取ることになっており、メグレズもまた幾日かの休みを取る事が許されていた。
休暇中は領地に帰省する者が殆どだったが、メグレズはどうしても家に帰りたくなかった。
『うるさい!!これにはそれくらいしか利用価値がないだろう!!』
そう言われた父の言葉が未だに頭にこびりついて消えない。
母や兄は気を遣って手紙を送ってくるが、どんなに言葉を尽くされても、自分は家族に捨てられたのだという気持ちはいつまで経ってもメグレズの中で拭えなかった。
『メグレズは家に帰るんだろう?』
『いえ…僕は帰りません』
『え?帰らなくていいんですの?』
そう言ったときの二人の驚いた顔を思い出す。本音を言えば、複雑な想いを抱いている家族よりも誠実に向き合ってくれる彼等の傍に居る方が心地良い。
家にも帰らず、かと言っていつものようにアルコルの元へと出仕するわけにもいかず。そんな風に一人で自室に籠もって休暇を過ごしていたメグレズの前に現れたのも、やっぱり二人だった。
『メグレズ?』
『メグレズ様、いらっしゃる?』
王城内にある城仕えの者達が暮らす寮の、その小さな窓を叩いたのは見慣れた金色と朱色の頭だった。
『っ!?アルコル様っ…ミモザ嬢…どうしてここに!?』
驚いて飛び起きて窓を急いで開けると「遊びに来た」と無邪気な返事が返された。
『入ってもいい?』
『よ、用事があるなら僕が城に!!』
『駄目ですわ、だってメグレズ様は今お休み中なのですから』
『だ、だって…こんなところに王子と侯爵家の二人が…!!』
そう泡を食っている自分を尻目に、器用に窓から入り込んだ二人は「吃驚したか?」と、悪戯が成功したかのように笑った。
『一緒にパーティーしないか?』
『パーティー?』
『そうです、招待客はメグレズ様とアルコル様と私の三人です』
見れば二人の手にはバスケットと何かが入っている袋が握られていて、本気でそう思って来訪してくれたことが窺えた。
戸惑う自分に苦笑したアルコルが『私もミモザも家族と過ごす予定はないんだ』と教えるように言う。そしてメグレズは言われてその意味に気が付いた。
不出来で我侭な第二王子というアルコルに張られた印象は、本人が変わり始めた今も重く圧し掛かっている。継承問題が起きないように上二人の殿下と距離を置かされているのも。
そしてミモザもまた義母や義妹との関係に加えて、実の父親である侯爵からも疎まれ、決して恵まれた家庭環境にいるわけではないということも。
どちらも宰相が「君が知っておかなければいけないことだから」と城に来てすぐの頃に聞かされていた。
メグレズが二人の置かれている立場を聞かされているように、きっと二人もメグレズの立場を知らされているのだ。だからこそ「帰りたくない」と言ったメグレズの事を想ってここに来てくれたんだろう。
『パーティーの間、私はどうせ離宮で留守番だし』
『私もお義母様が「パーティーの準備をしておきなさい!」って言うから厨房でケーキを焼いて出したらもう準備はいいから大人しく部屋にいなさいと言われてしまいましたわ。ちょっとお砂糖とお塩を間違えただけなのに…』
『そのケーキはどうしたの?』
『お父様へってカードをつけて父の書斎に置いてきました。その後アクルからの贈り物と勘違いした父が悶絶しながら完食していたそうですわ』
『ふっ!』
思わず噴出してしまったメグレズは、さっきまでの家族のことを思い出して沈んでしまっていた気持ちが浮上していくのがわかった。
『ふふ…はははっ…ごめんなさい、ミモザ嬢…』
『ふふふっ…メグレズ様にそんなに笑ってもらえるなんて、お父様にばれて「お前はもう二度と厨房に入るんじゃない!」と叱られた甲斐がありましたわ』
『く…ふふ…いつか私もミモザの焼いたケーキが食べたいな』
『一日中水を飲んでお花摘みに行く羽目になってしまいますよ?』
『ぶはっ!!』
トイレ通いをする侯爵を想像してしまい再び噴出したメグレズはお腹を抱えて笑い声を洩らす。
『と、いうわけなので…それなら三人だけでパーティーしませんかってお話になったのです』
領地に戻りたくないと意固地になっていたメグレズは、申し訳なさを覚えると同時に少しだけあの頃の自分が救われたような気がした。
『お菓子持ってきたんだ』
『私は飲み物を』
『あ…僕は何を…』
『今更で申し訳ないのですが…メグレズ様は場所係をお願いしてもいいですか?』
『勝手に来てごめん。城の外には出られないし、城内も人が多くて…』
『えっと…僕は大丈夫です…でも本当にこんな部屋でいいのですか?』
散らかしていた訳ではないが、決して王族や貴族令嬢を招くような部屋ではない。
メグレズは気後れからきょどきょどと部屋を見渡してずれた眼鏡を直した。
『メグレズが嫌じゃなければ』
『……嫌では、ないです』
ここで諌めるのが従者としては正しい行動なのかもしれないが、できなかった。
『良かった!ありがとうございますメグレズ様!』
『ありがとう!じゃあ用意をはじめよう』
『あっ…て、手伝います!』
数ヶ月経ってやっと見慣れて愛着が湧き始めた部屋にアルコルとミモザがいるのが未だに信じられないけれど、父親にすらいらないと言われた自分を必要としてくれる目の前の二人にどうしても否定の言葉を言いたくないと思った。
『来年は是非プレゼント交換もしましょうね』
『プレゼント交換?』
『お母様が言っていましたの、一人ずつ贈り物を用意して、輪になって歌いながらそのプレゼントをぐるぐる隣へ回すのですわ。歌が終わった時に持っていたプレゼントが自分のものになります。中身は開けてみてのお楽しみです。とっても楽しそうじゃないですか?』
『それは…うん、そう思うけど…』
『じゃあ、来年もまたやろう』
『はいっ』
それから三人だけの秘密のパーティーは毎年恒例になった。
秘密、とは言っても、王子やその想い人の令嬢の居場所が知られないなんてことはなくて。
きっと多分に、同情した大人達の優しい目こぼしもあったのかもしれないけれど。
それでもメグレズが王都に来てから数年続いてきた習慣だった。
この先ずっと長期休暇のたびに、家族の顔が浮かんで言い様のない憂鬱さを覚えるのだろうと思っていた。それが気付けば休暇が来るのが待ち遠しく感じる程に。アルコルとミモザと過ごす休日はメグレズにとって大事な時間になっていった。
ずっと続けばいいと思う反面、きっと“ある時”までだろうと思っていた。
『ミモザと正式に婚約したんだ』
いつか二人が婚約する日がきたら、きっとこうして三人で過ごすことも少なくなっていくのだろうと思っていた。
けれども長年の片思いが漸く実ったアルコルと、その隣で照れたように笑む彼女を見て、ずっと見守ってきたメグレズは、覚えた寂しさよりも二人の想いが報われたことが本当に嬉しかったのだ。
嬉しかった、筈だったけれど。
『ミモザ、一緒に図書室で勉強しない?』
『はい、私も難しいところがあったので…分からないところを教えて欲しいです』
『もちろん。私が分からない時はメグレズもいるし』
『え?』
『助かります。メグレズ様も居てくれたら心強いです』
『あ、あぁ…俺で分かるところならば…』
と、メグレズが同席するのを当たり前に思っていたりとか。
『アル、メグレズ様、あの、帰りにカフェテリアに寄りませんか?』
『うん、いいよ。何か食べたいものあるの?』
『実は…期間限定のマスカットを使ったタルトがあるのですけど…それが食べたくて』
『あ、俺は…』
『えっ…メグレズ様甘いもの苦手でしたか?』
『そんなことはないが…』
『メグレズの好きな栗のケーキも出てたよ』
『あぁそっちも美味しいですよねぇ…なら早く行きましょう!』
と、メグレズが一緒に行くことを疑いもしないところとか。
『この資料なんだけど…ここがおかしくないか?』
『…本当ですね。年号が違っているのと…ここの地名も以前王城で習ったものと違います』
『………』
『最近になって新しい史実が見つかったとかかな?』
『いずれにしても先生に確認が必要ですね。でもこの解釈の方がしっくりきます』
『そうだな…私もそう思う。メグレズはどう思う?』
『………』
と、何故かメグレズを間に挟んで座って議論してしまうところとか。
寂しさよりも二人のあまりに変わらない態度にやきもきしてしまうくらいには、寂しくなるなぁなんて思っていたメグレズの予想は外れてばかりだった。
『メグレズ、今年のパーティーは学園でやろうと思うんだけど』
『ガゼボ…は流石に寒いので、談話室を借りられるように申請しましょうか?』
『それはいいね、そうしよう』
『メグレズ様もそれでいいですか?』
流石に婚約してはじめての特別な日くらいは二人きりで過ごすだろうと思っていたらこれだ。
その場で「そこは二人で過ごすべきだろう」と突っ込まなかった自分を今になって悔やんでいる。
二人の仲が良好なのは間に挟まった自分が誰よりも知っている。
だからこそじれったくて仕方がないわけだが、当の本人達がメグレズを間に入れることを厭わないから困るのだ。
そう、困る。それを嬉しいと思ってしまうから、困っている。
幼い頃に植えつけられた、捨てられたのだという暗くてどろどろした思いとか。
家族の事が好きになれないのに、恨み続けることもできない中途半端さとか。
二人といるとそういったものが全部、居心地が良くていつの間にか消えてしまうから。
「友人離れが出来てないのは俺か…」
回想に耽っていたメグレズは苦笑して空を見上げる。空からは先程よりも大きな雪粒が落ちてきていた。
教室でメグレズを待っているであろうアルコルの元へと歩き出す。
(さて…どうしたものか…)
きっとメグレズがいくら「今年は二人でどうぞ」と言ったところで、二人は揃って「どうして?」と言うだろう。
いつまでも甘えていてはいけないと思うのは、彼等の幸せを誰よりも願う者としての自負だ。
どうやったらうまく二人きりにしてあげられるだろう。そんなことを考えるメグレズの口元は自然に緩んでいた。
きっと押しきられて3人で過ごすことになってしまって、メグレズが「俺にも婚約者ができたので」って嘘ついて騒動になるまでがセット。ずっとわちゃわちゃしててもらいたい。




