母の教え番外編「同い年夫婦は火吹く力もない」
冥王の脅威が消えて数ヶ月。国全体が落ち着きを取り戻し、学園の授業も通常に戻って間もない頃。
学園の庭にある木陰のベンチで一人悩んでいたミモザは、何度目になるか分からない溜め息を吐いた。
数日前、ミモザは正式にアルコルの婚約者となった。国王陛下の怪我が改善し漸く公務に戻ったことを機に、王家からの正式な申し込みがサザンクロスになされた。アルコルが自ら陛下にミモザを婚約者にと望んでくれていたが、あの時の父の様子では認めてもらえないのではないかと危惧もあった。しかし王家からの直々の申し入れであったから、父も思うところはあっても断れなかったのかもしれない。
簡潔に用件のみが書かれた手紙に複雑な想いを抱きつつも“認める”と書かれた父の字に酷く安堵したのは記憶に新しい。たとえ渋々だったとしても、認めて貰えたことは嬉しかったから。
まだ発表されていないが、アクルやメグレズに祝福され、ずっと心配してくれていたタニアも泣くほど喜んでくれたり、既に婚約の事実を知っている王城で働く人達から「おめでとうございます」と声をかけてもらえたり。
本当はもう一人。報告したい相手がいたけれど。
きっと言ったところで「あーはいはい良かったな」とぞんざいに言われるだけだったかもしれないけれど。
思い出すとまだ目の奥が痛んで寂しさが込上げてくる。
それでも笑って「おかえり」と言える日が来るまで精一杯生きていくと決めた。
そう思えるようになったのはやっぱりアルコルが傍に居てくれたからなのだと思う。
「溜め息なんて吐いてどうしました?」
「っ…メグレズ様…」
ぐるぐるした思考に捕らわれすぎてぼんやりしていたらしい。気付けばすぐ傍まで来ていたメグレズに肩を揺らして驚いてしまった。
「すまない、気付いていると思った」
「いえ私こそごめんなさい、ちょっと考え事をしていて」
一人分の間を空けて同じベンチに腰かけたメグレズは苦笑する。
「アルのことか?」
「っ…」
すぐに言い当てられて、そんなに自分は分かりやすかっただろうかと顔が赤くなる。
「喧嘩でもしましたか?」
「ううん、違います、違うの…その…早く帰ってこないかなって…」
ミモザの言葉にメグレズが横で驚いた気配がした。ミモザ自身も自分で口にしたことだというのに恥ずかしくなって余計に顔に火が昇るのがわかった。
「ふっ…そうか…っ…アルがいなくて寂しいと」
「さ…!!っメグレズ様、笑わないで下さい!!」
あえて避けた言い回しをはっきり言い当てられてミモザは叫んだ。
「婚約者なんだからそう思うことは別におかしくないだろう?」
「それ聞いたらアルは絶対喜ぶと思うけどな」と笑うメグレズに笑われ、ミモザは呻りながら自分の両手に顔を伏せた。
「だって…たったの一週間なのよ?」
アルコルが執務で王都を留守にしたのは一週間ほど前だった。
「なるべく早く終らせて帰ってくるから…行きたくないなぁ…」と溢してミモザの手を中々離そうとしなかったアルコルに「一週間なんてすぐですわ」と宥めるように言い聞かせていた一週間前の姿を思い出してメグレズは目を細めて少し微笑む。
「自分であんなこと言っておいて、いざ離れたら、さ…寂しいなんて…しかも昨日今日知り合ったばかりという訳でもないのに…子供の頃からずっと一緒にいた相手にこんな風に思うなんて…恥ずかしくて本人には言えないわ…メグレズ様、絶対に言わないで下さいね、絶対」
メグレズの生暖かい目が居たたまれない。
ミモザだってこんなに自分が堪え性がないとは思わなかったのだ。学園に入学してからはあまりなかったが、今までだって一週間以上会えない時だってあったのに、婚約したせいなのかそれすらも我慢できなくなっていることに気付いてミモザは項垂れる。
アルコルのことが好きだと自覚してから、ずっとずっと狭量になっている。
こっちを見てくれて嬉しいのに、恥ずかしくてあまり見ないでほしいと思うわけの分からない思考に襲われたり、誰にでも分け隔てなく優しい姿を尊敬しているのに、自分以外に優しくしないでほしいと最低なことを考えてしまったり。エスコートの時に手を握られるだけでドキドキするし、子供の頃から見慣れた顔のはずなのにキラキラしてすごく格好良くて。
「今までもずっと傍に居て…これからもっとこうしてアルのことを好きになっていくんだって…思ったら、すごく会いたくなって…でもそんなことを言ったら呆れられてしまうわ…」
自分でも何を言っているんだろうとミモザは本気で頭を抱える。
「メグレズ様!私にとっては笑い事ではないのですよ!?」
「すまない…概ね想像通りで安心したというか…」
我慢できずに口元を隠しながら肩を震わせるメグレズにミモザは赤い顔のままむっと口を結ぶ。
「これでも一応は二人を心配したんだ。婚約早々喧嘩でもしたのかと…結局惚気られただったけど」
「誰かに相談しようと思うと惚気にしかならないからこうして一人で頭を冷やしてたんです!」
「別に冷やさなくてもいいんじゃないか?」とメグレズが軽い調子で言う。
「呆れるなんてこと絶対ない」
「もうそんな簡単に言って…」
「アルは喜ぶよ。一般論としても好きな女の子にそう言われて悪い気を抱く奴はいないと思う」
「………」
「例えはじまりが同情だったとしても…今の君は間違いなくアルのことが好きだろう?」
メグレズの言葉にかっと顔が熱くなり、逡巡しながらも無言で頷く。
「うん…私、アルのことが好き…だから」
「だそうだ、アル。良かったな」
「え?は…?」
いたたまれなくて言い訳をしようとして口を開いた時、言われたメグレズの言葉に呆然とその視線を追って振り向いたミモザは、そこにいた人物に息を止めて固まった。
「っ!!?」
がたん、とベンチを鳴らして、中途半端な姿勢で固まったミモザは、赤くなった顔の下半分を掌で隠して視線を彷徨わせるアルコルにはくはくと口を開け閉めする。
「あっ…あ、アル……?」
「あ……うん…」
「い…いつから……きいて…」
「わりと……はじめから……」
「っ…!!」
今度こそ頭の天辺から噴火する勢いで悲鳴を上げたミモザは「メグレズ様のばかぁっ!!」と叫んで走って逃げ出した。
羞恥が限界を迎えて逃げ出してしまったミモザは知らない。
腹を抱えて笑うメグレズの視線の先のアルコルもまた、頭から湯気が出そうな勢いで赤くなった顔を冷ますようにしゃがみこんで甘過ぎる溜め息を吐いていたことに。
***
「まだ体調が万全でないのに申し訳ありません。本日はお願いがあり参上しました」
緊張で口の中が渇き、震えそうになる声を腹の底から出すことで奮い立たせる。
静かに頭を下げた自分に、ベッドから半身を起こしたサザンクロス侯爵は驚いたように目を瞠っていた。
「…まさか殿下自らが使者としていらっしゃるとは…」
侯爵は王家からの親書を持った使者が来たとしか聞かされていなかったのかもしれない。ここまでアルコルを案内してくれた奥方は気を遣って退室したらしい。二人きりになった部屋に気まずい沈黙が落ちる。
ここはサザンクロス領の本邸とは別の邸だ。先の戦闘で重傷を負った侯爵は本邸から程近いこの別邸で療養しながら仕事をしている。既にミモザは学園へ戻っていて、ここにはいない。アルコルが今日この場所に来たのは最初に言ったように侯爵に自分の願いを訴えるためだった。
「親書の内容は既にご存知だと思いますが…他の使者ではなく、私が言葉を尽くすべきだと思ったからです」
「………」
「どうかミモザ嬢との婚約を認めてもらえないでしょうか」
精一杯の誠意を込めて頭を下げそう言った自分に侯爵は息を飲んだ。
「殿下、頭を上げてください…王族がそんなに簡単に頭を下げていいものではありません」
「…昔ミモザにも同じようなことを言われました」
「っ…」
アルコルの言葉にばつが悪そうに黙り込み顔を背けた相手をじっと見る。
療養中で活気がないとはいえ、以前のような敵意は感じない。戦場で何を見たのか、あの戦闘のあと人が変わったようだというのが侯爵と対話した周囲の反応だった。自分も昔そうだったように、おそらく悪魔の影響を多少受けていたのだろうと推測された。それでも立ち止まるきっかけも、気付く機会もあった筈だ。ミモザが今も苦しんでいることを思えば同情はできない。
「順序が逆になってしまったことは申し訳ないと思っています。けれど私はミモザの隣にいる権利を誰にも譲りたくない」
王家が正式にミモザをアルコルの伴侶として望むとサザンクロス領に通達したのは数日前で、今日はその内容の親書を持った使者がサザンクロスに来る予定になっていた。
あの冥王の一件でミモザを失うかもしれないと気付いたとき、自分達の名前のない関係が酷く脆いものだったのだと思い知った。だから事態が沈静化してすぐに父親である陛下にミモザとの婚約を願い出た。きちんと本人から了承をもらったと伝えれば、父は「やっとか」と喜んでくれた。反対されたときのために姉にも口添えを頼んでいたが、そんな必要もないくらい呆気なくアルコルの願いは叶えられた。
本来ならばアルコル自身が直接出向く必要はなかったが、結局ここに来ることを決めたのは冥王の事件の後、時折寂しそうにしているミモザの憂いを一つでも取り除いてやりたいと思った結果だった。
「…今更私の許可など必要ないでしょう。あの子には王家から申し入れがあった時点で婚約を許可すると手紙を出している。第一王家からの申し出なら我が家には断るくべもない」
「それでも貴方はミモザの父親です。蟠りは残したくない」
「………」
黙り込んだ侯爵にアルコルは傍まで行って少しかがんで目線を合わせる。
「……昔、彼女に初めて会った時“大嫌い”と言われました」
「は…?」
アルコルの唐突な言葉に侯爵はぽかんと口を開ける。
「確か…太ってて我侭で甘ったれた貴方が大嫌いだったかな?」
「それは……殿下になんという…不敬を…申し訳ありません」
「いえ…本当の事でしたから。それにあの時は私の方が悪かったんだ」
思わぬ身内の不祥事に青くなった侯爵が口元を引き攣らせ謝罪を口にする。
「ご存知の通りあの頃の私は本当に酷いものでした。自分のすべきことから目を逸らし、できないからと言い訳をして、責任も立場も…全て投げ出した。けれどもそんな私にミモザだけはちゃんと向き合ってくれた」
「………」
「本当に…彼女だけだったんです。ミモザは優しいから、きっと自分と似た境遇の私に同情して傍に居てくれたんでしょう」
変わろうと思えた。変わりたいと思った。傍に居られるよう必死に努力して足掻いてきた。想いがやっと報われた時はこれ以上幸せなことなんかないと思えるほどに。ずっとミモザだけを見てきた。
「けれどミモザしかいなかったから、ミモザを好きになった訳じゃないんです」
ずっと傍で見ていたから気付いた、彼女の抱えた寂しさに。誰かに甘えて頼ることができなくなってしまった脆さに。ずっと笑っていてほしいけれど、辛い時は我慢しないで目の前で泣いてほしいから信頼を得る為に必死だった。
「…ミモザは、貴方とどう話せばいいのか分からないと言っていた。あんな仕打ちを受けていたというのに無意識にもまだ貴方と向き合おうとしている」
「っ…」
「すぐじゃなくていい、時間がかかってもいい。貴方がもしこの先ご自分のしたことを省みる時が来たなら…その時は彼女と話をしてあげて下さい。お願いします」
じっと侯爵の目を見て自分の想いを告げる。
黙り込んだ相手は、やがて溜め息を吐き「殿下」と弱弱しく呼びかけた。
「わかりました…あの子に私の言葉が必要だと言うのなら…ただ、まだ今の私にはそんな資格はないでしょう…」
「侯爵…」
「どうぞ、あの娘をお願いいたします」
今までに見た表情のどれとも違う顔で頭を下げた侯爵に、アルコルもまた頭を下げた。
長年に渡る確執がすぐに改善されるとは思わないし、自分の言葉がそれを変えられるとも思っていない。けれど、少しでも伝わればいいと思った。
屋敷を出て馬車の準備を待つ間、庭に植えられた赤い花が見えた。
無性にミモザに会いたかった。
王都に戻って父に諸侯達の返書を渡し、アルコルは逸る気持ちを抑えられずにすぐに学園へ向かった。
アルコルが執務に出て一週間が経っていた。まだ日が高いうちに学園へと戻ってくることができたので、教室には居なかったミモザの姿を庭で探す。彼女のクラスメイトは「最近よくお庭でみかけますわ」と話していたので、まだ居てくれるよう願いながら草を踏んで歩いた。
「会いたいな…」
出立前にも子供のように駄々を捏ねたアルコルに「一週間なんてすぐですわ。それよりもちゃんと無事に帰ってきてくださいね」と困った顔で宥めて送り出してくれたミモザに、自分との熱量差を感じさせられて少しばかり落ち込んだ。
最近はやっとアルコルを意識してくれるようになって、その頬を染めてくれることも多くなったけれど、もっと好きになって欲しいと思ってしまうのは自分が欲張りだからだろうか。
正式に婚約したことで、手を繋いだり誕生日やクリスマス以外の日にプレゼントをしたりするのも、いちいち整合の取れた理由をこじつけなくてよくなった。それだけのことが嬉しいと思っていたのに今はそれだけじゃ足りないと感じるなど欲深いことだとアルコルは思う。
まだミモザが時折膝の上を見て寂しそうにしているのを知っている。隣に座ってただ手を握るくらいしかできないけれど、そうすると健気にも笑ってくれるミモザが愛おしい。
我慢ができずにそのまま抱きしめてしまう時もあるけれど、あまり押し過ぎると恥ずかしさからか逃げられてしまうこともあり、ついメグレズに愚痴とも惚気ともつかない事を溢してしまうのもアルコルの日課になりつつあった。
そんなことを思い出して頬を緩めながら歩いていると、庭の端の木陰のベンチに見慣れた二人の後姿を見つけた。
「ミ」
「さ…!!っメグレズ様、笑わないで下さい!!」
聞えたミモザの言葉に呼びかけようとした声を喉の奥に飲み込んだ。
「婚約者なんだからそう思うことは別におかしくないだろう?」
どうやらアルコルの存在に気付いたらしいメグレズがちらりと後ろを振り返り視線を寄越す。呆れた顔で小さく苦笑したメグレズはそのまま視線を前に戻し、気付かなかった振りをして「…それ聞いたらアルは絶対喜ぶと思うけどな」と、アルコルにも聞かせるように続けた。
「だって…たったの一週間なのよ…?」
ミモザの言葉に、二人が出立前のことを話しているのだとわかった。
「自分であんなこと言っておいて、いざ離れたら、さ…寂しいなんて…しかも昨日今日知り合ったばかりという訳でもないのに…子供の頃からずっと一緒にいた相手にこんな風に思うなんて…」
ミモザの声にどっと大きく心臓が跳ねる。
(寂しい…今、寂しいって…)
かっと顔が熱くなって思わず片手で口元を押さえた。もしその言葉が本当ならミモザも同じように寂しいと思ってくれていたということになる。
掌の下で緩みまくった口元が「恥ずかしくて言えない」とか「メグレズ様、絶対に言わないで下さいね、絶対」とか可愛い言葉の羅列で更に酷くなる。
ミモザのことがこれ以上ないくらい好きだ。
城で会った時から、ずっとそう思って生きてきた。優しくて可愛い、寂しがりでひたむきな、アルコルにとってたった一人の大事な女の子。だからこれ以上に好きになることなんかないって思っていた。
「今までもずっと傍に居て…これからもっとこうしてアルのことを好きになっていくんだって…思ったら、すごく会いたくなって…でもそんなことを言ったら呆れられてしまうわ…」
それなのに、呆気なくそんな天井を吹き飛ばして更に好きにさせるのだからどうしようもない。顔が熱い。頭でも殴られたかのようだ。
「メグレズ様!私にとっては笑い事ではないのですよ!?」
我慢できずに肩を震わせるメグレズにミモザはむっとしたように言った。
「これでも一応は二人を心配したんだ。婚約早々喧嘩でもしたのかと…結局惚気られただったけど」
「誰かに相談しようと思うと惚気にしかならないからこうして一人で頭を冷やしてたんです!」
必死にアルコルが衝動を抑えていると「呆れるなんてこと絶対ない」とメグレズが言った。
「例えはじまりが同情だったとしても…今の君は間違いなくアルのことが好きだろう?」
メグレズの言葉に声を詰らせたミモザに、緊張して息を止める。
脈絡が繋がらないように思える会話は、きっと自分の知らないところで二人がした会話の続きなのかもしれなかった。
このまま隠れてその気持ちを聞くのはずるいと思った、けれど聞きたい。
(ミモザは…)
背が伸びても、痩せても、どれだけ周囲の評価が好転しようとも自信なんか持てなかった。
同じ想いを返してもらった今ですら、その言葉をこうして切望してしまう。
「うん…私、アルのことが好き…だから」
頷いたミモザにその姿を目にして心臓は大きく軋みをあげた。どうしようもなく嬉しいのに、同時に間接的にでもいいから聞きたいと思ったくせに何故そのお言葉を直接聞けなかったんだという後悔が浮かぶ。どんな表情をしていいかわからずに真っ赤な顔で口を引き結んでいると、呆れたような声で「…だそうだ、アル。良かったな」と、今度こそメグレズから声をかけられる。
「え?は…?」
その言葉に隣のミモザが呆然とメグレズの視線を追って振り返る。その緑色の目と視線があった瞬間、相手は凍ったように動きを止めた。
「っ!!?」
がたんとベンチを鳴らして、真っ赤な顔で言葉が継げないミモザに、同じように赤くなった顔を見られるのが恥ずかしくてアルコルも視線を彷徨わせる。
「あっ…あ、アル……?」
「あ……うん…」
「い…いつから……きいて…」
真っ赤な顔で、涙目で。ふるふる震えながらアルコルに聞くミモザに、割とはじめから聞いていたと思うと返せば「きゃあああぁ!!」と真っ赤になった顔を両手で覆って悲鳴を上げられた。
顔から火を噴きそうな勢いで「メグレズ様のばかぁっ!!」と叫んで走り去ってしまったミモザの後姿を見送ったアルコルもまた限界を迎えて地面にしゃがみこむ。
「くっくく…っ…」
「メグレズ…笑いすぎ…」
「っふ…はは…っ我ながらいい仕事をしたと思いますけど」
「……そうだな」
何だあれは。可愛い。困る。かわいい。ただでさえ好きで好きでどうしようもないのに。ずっと傍で見てきた相手に今この時になって大きすぎる感情を持て余すことになるなんて考えもしなかった。
「……これ以上……幸せなことなんてないって思ってたのにな……」
きっとミモザといれば、この先も、何度でもそう思えるんだろう。
「追わなくていいんですか」と未だに笑いが収まらないメグレズが言う。
「ん……行ってくる」
立ち上がって耳まで赤く染めた熱を逃がそうと大きく息を吐く。しかしいくら吐いても一度上がった顔の熱はしばらく収まりそうもない。
「中庭の薔薇園の方ですね、手伝いますか?」
「いや、大丈夫」
薔薇園は迷路のように入り組んでいるが、一度道を覚えてしまえば抜けるのは容易い。
見つけて、捕まえて、そしたらこの想いもぶちまけてしまおう。持て余しているのなら一緒に持ってもらえばいい。
アルコルは半ば自棄になって走り去った背を追いかけるために駆け出した。




