天使と冥王(後編)
友であった勇者を失い。
愛していた聖女を失い。
たった一人残された賢者は嘆きの底で願いました。
自分が冥府の王となり、勇者と聖女を生き返らせることを。
邪神の力を自分のものにした賢者は冥王となり果て、死んでしまった勇者達の魂を呼び戻そうとしました。
けれど既に勇者と聖女の魂は新たなる命を得るため、転生の輪に旅立ってしまっていたのです。
もう戻らない二人の魂が戻ってくるのを切望しながら待ち続けた冥王は、賢者だった頃の心を少しずつ失くしていきました。やがて短くない時が過ぎ、二人がもう永遠に戻らないのだと悟った冥王は、最後の希望も絶たれとうとうその心を絶望に飲まれてしまいました。
心を失くした冥王は、邪神がそうしたように、全てを憎み世界を壊そうとしました。
こんな世界いらない。
こんな世界は望んでいなかった。
あの旅路の果てがこんな結果ならば。
いらない。
全部消えてしまえ。
暗闇に飲まれた大地に吹き渡る風は、冥王の嘆きでした。
天上からその姿を見ていた神様は酷く後悔していました。
自分があの時彼等を救えていたら。
それ以前に力を与えなければこんなことにはならなかった。
神様が世界に干渉できることは限られていました。だから人間達に託したのです。それでもこんな結末を招いたのが自分であると、後悔を抱き続けていたのです。
泣きながら世界を壊し続ける冥王を哀れに思った神様は、転生の輪から一つの魂を探し出し、掬い上げて天使の器にその命を吹き込みました。
勇者の魂は、既に今世に転生を果たしています。そしてかつて聖女だった彼女を、天使として今世の勇者のもとへ遣わすことにしたのです。
全ては、彼を救うためでした。
しかしそれが悲しい繰り返しのはじまりだったのです。
転生を果たした勇者は彼等のことを覚えていませんでした。
冥王となった彼もまた、彼等のことが分からなくなっていました。
唯一、天使として生まれ変わった彼女だけが彼等のことを覚えていました。
天使は勇者を助け、そして必死に冥王に、賢者であった青年に訴えました。けれど彼女の声は冥王となってしまった彼には届きません。闇の力はそれほど強大で、奥底に飲み込まれてしまった彼の心に届くことはなかったのです。
勇者と天使は、冥王を討つしかありませんでした。
冥府の王となり魂を操る術を得た彼は、何度でも甦ることができる。今世で彼を救うことのできなかった天使は、最期の瞬間力を振り絞り、自分の命と引き換えにその転生に自分の運命を組み込んだのです。
冥王である彼が復活すれば、己の命もまた同じ世に生まれることが出来るように。
それから冥王と天使は何度も転生を繰り返しました。
一度目の転生で天使としての器を失った彼女もまた、現世に生を受けている間は前世の記憶を失くしていました。
彼女がそれを思い出すのは、いつも命と引き換えに冥王を死闘の末に討ち倒して魂だけの姿になってからなのです。
また助けることができなかった。
彼女はその度に後悔と自責の念に苛まれながら嘆きました。
けれど決して諦めることはしませんでした。
幼い頃からずっと仲良しで、いつも助けてくれた優しい手。困ったように笑いかけてくれた顔。守られてばかりで、甘えてばかりだった。
死ぬ間際に見た泣き顔が頭に焼き付いて離れない。貴方は最後まで私を助けようとしてくれていた。きっと今も、そうやって苦しんでいる。
彼を助けたい、そう思う心が彼女に転生を繰り返す理由を与えてくれていました。
それからも何度も運命を繰り返すうちに、彼女は現世での彼との関係が変わってきていることに気付きました。
最初の転生で生き残った勇者と仲間達は、そこに国を興し、天使に力を与える信仰と大地を造りました。
転生を繰り返すうちに国は大きく、そこに暮らす人間達は強くなっていきました。
生まれ変わった彼女も、転生する度に最初に失った天使としての力を徐々に取り戻していきました。そして天使の力が強まるのと比例するように冥王の生まれ変わりである彼は、その力を段々と維持できなくなっていきました。
初めは敵対する者同士として生まれていた彼女達は、転生を繰り返すうちに段々とその関係性は変化し、彼が冥王として覚醒する前ならば、話すことができるほどの関係になっていました。
様変わりしていった二人の関係が、何よりも天使に希望を与えたのです。
そのことに気付いた天使はそれからまた何度も運命を繰り返しながら待ちました。
また駄目だった。
でも今度も前回よりもずっと近くに。
今度こそ、今度こそは絶対。
待ってて。
絶対、助けるから。
現世でもう一度、賢者の青年の心に触れられるようになる日を。
「お願い…私の中の天使様…どうか私に力を貸して…!!」
それが叶ったのだと、天使が知ることができたのは、眩い光の中でそう願われた時のことでした。
***
ただ助けたかっただけだった。
他愛もないことで笑って、何が原因かも分からないようなことで喧嘩して、対等な、何でも言い合えるかけがえのない友達だった。
辛いことがあった時は自分の事のように悲しんで、嬉しいときは誰よりも一緒に喜んでくれる、そんな優しくて純粋な彼女が好きだった。
そんな彼等を、理不尽に目の前で奪われて。
無様に自分だけが生き残って。
二人を助けようと己を保っていられたのは最初のうちだけだった。
呆気なく絶望に飲み込まれた後は感情のままに暴れて壊して、彼等だけでなく共に戦った仲間や、信じてくれていた人達まで裏切った。
シリウスは、キオンは。皆は。全部、自分のせいで。
「違う、ベテルのせいじゃない」
「違わない、俺のせいだ。俺の所為で皆は…」
「ううん、悪いのは邪神とあの王達。ベテルは私達を助けようとずっと一人で戦ってくれた」
「………」
「ずっとベテルを見てきた。謝るのは私の方…ごめんなさい…私があの時貴方を一人残してしまったから…」
「違う!お前達のせいじゃない!!俺が…俺が」
「貴方が闇に飲まれたのは、間違いなく私達のせいよ」
「違う!!俺が弱かったからだ!!」
「目の前で大事な人達を失っても強くあれる人間なんていないよ…そんな優しい貴方だから、私はベテルに恋をしたの」
「キオン…」
「ふふ…やっと私の名前も呼んでくれた…この子もね、ずっと待ってたんだよ?」
「俺は……」
「一緒に行こう。お兄ちゃんも…みんなも待ってる」
「…行けない。俺は…許されないことをした…」
「ベテルが自分を許せないのなら、私が貴方を許す。貴方を許した私を許してくれないのなら、私を憎んでほしい。ベテルに憎まれた分、私は一緒にその罪を背負うから」
「…一緒に……そんなの、キオンは何も悪くないのに…俺は許されちゃいけないのに…」
「私、もうベテルを一人にしたくない。そのために戻ってきたんだよ」
「…キオン…」
「大丈夫…もう全部終ったんだよ」
「………あぁ」
目の前に差し出された小さな手を取る。その暖かさに涙が零れた。
光が溢れた世界には雪のように舞う星の花弁。
「行こうベテル」
「あぁ…」
しっかりと握った手を離さないよう強く握り返す。
薄れていく視界に映った見慣れたくすんだ金色の髪とその隣にある姿に目を細めた。
輩はずっとそこに居てくれたらしい。




