母の教えその5「躾の基本は飴と鞭」
『ミモザ、第二王子はデ……ごほん……ふくよかな体型、勉強嫌い、基本の鍛練も満足にこなせない根性なしで、あげく性格がひねくれててわがままで癇癪もちよ……これだけ聞けば最低野郎だけれど……本当は第二王子にも事情があるのよ』
母から聞いた第二王子についての話を思い出しながら現実逃避を図る。
『彼の母親のアトリア様は正妃で、けれど体が弱くいらっしゃって中々御子を授からなかったの。そうしているうちに側妃であられるシャウラ様がお産みになったのが王太子殿下と王女殿下よ。アトリア様はその後に第二王子をお産みになられたわ。けれども元々体が丈夫じゃなかったことが祟って、すぐに亡くなってしまった』
ミモザの記憶が定かであれば、確かに王妃様は数年前に亡くなっていた筈だ。
『いくら正妃の子でも継承は生まれた順と決まっていたし、彼を御輿に妙なことを企む輩が出ないように、王の計らいで第二王子は王族としての教育は受けつつも王宮では孤立させられていたようね』
目の前で歩く度に揺れる金色の髪を見る。
確かに正妃の子である第二王子こそ玉座に相応しいと、権力欲にまみれた人間が出てくるのは想像ができる。けれどそれで母親を亡くしたばかりの幼い子供を孤立させるなんて、ミモザは納得がいかなかった。
母親がいないことがどれほど寂しいことなのか、兄妹と比べられ家族の輪を外側から眺めているしかできないことの辛さを、ミモザは知っている。
(確かに、わがままになってしまうのは仕方なかったのかもしれない…)
母親が色々なことを教えてくれなかったら、ミモザもこうなっていたかもしれないのだ。
だからといって婚約者に選ばれるのはごめんだが。
『そして厳しい王子教育。勉強や剣の訓練の度に出来のいい兄である王太子と比べられて……成長すると次第に第二王子は王太子を恨むようになってしまうの………そしてそこで貴女の登場よ。第二王子は幼い頃からの婚約者である貴女にそそのかされ、クーデターを起こそうとし、失敗して、遠い北方地へ流刑となる。第二王子を嫌っていたミモザは全ての罪を第二王子に被せ、騒ぎに乗じてヒロインを害して自分が王太子の婚約者に収まろうと画策するも、ヒロインと騎士達に断罪され処刑されるのよ』
ゲームのミモザは第二王子の生い立ちを知っていたのだろうか。
ミモザにも事情があったとしても、知っていてそんなことをしたというのならば、なんて嫌なヤツなんだろう。そこまでして王太子と結婚したかったのだろうか。
王太子ならば何度か遠目で見たことがあった。
第二王子と同じく金色の髪に凛々しい顔立ちで成長すれば見目麗しい青年となるだろうと思えたが、それだけだ。
剣の腕も立つらしいが噂で聞いただけなので実際には本当かどうか知らないし。
しかし引っ張られる腕が痛いとミモザは思った。誰か助けてくれるような人を探すけれど、残念ながら第二王子は人気のない方へずんずん進んでいく。
(どうしよう……)
思考に気を取られて気がつけばかなり王城の奥まで来てしまっていた。ミモザの焦燥など露知らず、第二王子は温室のような半透明の建物のドアを開けミモザを中へ導いた。
「………」
「あの……」
温室の中程まで進むと、第二王子は振り返ってミモザを見たが、それっきり黙りこんでしまった。さりげなく手を引こうとするも、がっしりと掴まれていて離すことは叶わなかった。
「……ここには僕しかこない」
ぽつりと呟かれた言葉に、もしかして遊ぶ相手が欲しかったのかしらとミモザは思い至る。
(暗示が妙な方に効きすぎちゃったのかな…?)
「寛容に許して」と念じたつもりが逆にミモザのことを「心許せる相手」と第二王子に印象付けてしまったのだろうか。
魔法が上手く効かなかった悔しさに唇を噛むと、第二王子はそんなミモザに気付かずに「だからお前はずっとここにいろ!」と肩を掴んで言った。
相変わらず力が強くて加減をしてほしいと思ったが、ミモザはこの場をどう切り抜けるかで頭が一杯だった。
第二王子の婚約者にはなりたくない。
けれど彼が味わってきた孤独や焦燥は痛いほどわかる。
(もしかしたらゲームの第二王子も、一目惚れとかじゃなくて、ただ遊び相手がほしくてミモザを婚約者にしたのかな…?)
婚約者でなく遊び相手なら。
(それに仲良くなれば、もしかしたら第二王子も私の忠告を聞いてくれるかもしれない)
よく考えれば第二王子も被害者なのだから。
もし第二王子が変わることができたら、彼もミモザも最悪の結末からは逃れられるのではないだろうか。
(それなら…)
「あの…私……友達な」
しかしミモザは最後まで言葉を発することができなかった。
「お前は今日から僕のお嫁さんだ!!」
唾が飛ぶ程大きな声で叫ばれ、ぱかんと口が開く間もなく、眼前に第二王子の顔が迫る。
口付けされそうになっていると気付いた瞬間、ミモザの中で何かが切れた。
「いやあぁっ!!!!」
ばしーん!!と響いた音に、花に止まっていた蝶達が飛び上がった。とにかく離れたい一心でミモザは思い切り第二王子を殴り、突き飛ばして後ずさった。
「な、何するんだよ!!」
「あなたこそ何を考えているの!?」
想い合っているわけでも、婚約者でもない初対面の相手に、同意どころか気持ちを伝えるでもなくいきなりこんなことをされるなど思わなかった。
(信じられない…っ!!)
先程までの第二王子のことを可哀想だと思っていた自分を殴ってやりたい。
友達になれるかもと思った自分の気持ちまで否定されたような気がして涙が零れてくる。
頭に血が登ったミモザは自制することも忘れ叫んでいた。
「あなたなんかきらい…!!大っきらい!!!」
「っ!?」
もう頭の中からは家のこととか不敬罪とかそういう建前は無くなっていた。
すぐにミモザは俯いて零れる涙を必死に手で拭っていたので、第二王子がどんな顔をしているのかなんて知らなかった。
「っ………あ………う……」
「……女の子を泣かせるなんて、最低ねアル」
狼狽えるような第二王子の声と、それと対照的な涼やかな声がして、ミモザはハッとして顔を上げた。
「………あ、姉上………」
「っ!?」
第二王子の発した言葉にミモザは慌てて礼を取ろうと動く。
「あぁ、そのままでいいわ。公式な場ではないのだし……それに悪いのはアルコルの方なのでしょう?」
第二王子と同じ金色の髪がふわりと風に泳ぐ。くるりと巻かれた長い髪の先を手で軽く押さえて、その少女は青い目を細めて優しく微笑んだ。
(うわ……)
あまりの可憐さにミモザは息を飲んだ。色味といい醸し出す柔らかな雰囲気といい、おとぎ話の妖精かお姫様のようで。
第二王子の姉、タニア・アウストラリス王女殿下。
つまり本物のお姫様な訳だが、王女の現実離れした美しさに驚いたミモザの涙は一瞬で引っ込んでしまった。
「アルコル」
「っ……ぼく、は……悪くない…!!」
「そうかしら?」
「だって、こいつがぼくの言うことを聞かないから…!!」
「折角ぼくのお嫁さんにしてやるって言ったのに…」とか「ぼくはわるくない」と言い訳のように不満を漏らす第二王子に、ミモザは腹が立ったが、王女様の手前それをこらえて顔を俯かせる。
ドレスをぎゅっと掴んだミモザの手元を見た王女は「片方の言い分しか聞かないのは不公平ね」と第二王子に冷たい視線を向ける。
「私はタニア。アウストラリス王国第一王女、タニア・アウストラリスよ。貴女のお名前は?」
「……私はミモザです…その…サザンクロス侯爵家の娘にございます…」
正当防衛だったとしても、やっぱり王族相手に頬を叩いたり「大キライ」とか言ったりしてしまったのは不敬罪になってしまうのだろうかと、ミモザは一瞬家名を名乗るのを躊躇ってしまった。
けれどもタニアが王女であることをきちんと名乗ったのだから、ミモザが家名を名乗らないのは礼を欠いてしまう。
どちらにしろ家名に傷がついてしまうのなら礼を欠かない方を選びたかったし、かくなるうえは王女様の記憶も改竄するしかない。
ミモザが顔を青くしながら頭を下げ覚悟を決めていると、頭上からは似つかわしくない明るい声が降ってきた。
「顔をおあげなさい、えぇと…ミモザと呼んでいいかしら?」
「はい殿下」
「まぁ、私のことも名前で呼んでいいのよ、だって貴女は未来の妹になるかもしれないんだもの」
「っ…!?」
またもや持ち上がった死亡フラグに一瞬で青ざめたミモザに構わず、タニアは言葉を続ける。
「アルコル、ミモザは可愛いらしいわね」
「えっ……」
「立ち振舞いも美しいし、それに動揺しながらもきちんと私への礼を忘れなかった礼儀正しさも…貴方が一目でミモザを気に入ったのも納得できるわ」
「は、はぁ……」
スラスラとミモザを褒め称える言葉を吐く王女に第二王子も呆気に取られている。
「思慮も体力も学力も足りない貴方がミモザのような素晴らしい女性を見初め、伴侶にと望むなんて…」
王女に結構ひどいことを言われているが、反論することもなく第二王子はぽかんと立ち尽くす。
「貴方にしては上出来な選択と言えるでしょう」
「…あ…姉上は……その、ぼくの味方なのですか…?」
「いいえ、反対です。このままでは貴方がミモザと結婚するなんてありえないわ」
「な、なんで!?」
好意的だった内容がいきなり否定に変わったことに第二王子は思わず声をあげた。
「当たり前でしょう、だって貴方はミモザに『大キライ』と言われるほど酷いことをしたのだから」
「っ……」
ぴしりと言い放った王女に、第二王子は息をつめ顔を青くした。
「……貴方はもっと自分の立場や発言に責任を持たなくては…アルコル、継承権は二番目だったとしても、貴方はれっきとしたこの国の王子なのよ」
「…………」
王女の言葉はもっともで、子供だからとか相手が気にくわなかったからとか、そんな理由で許される行為ではない。
ミモザの耳にはいる王女の評判と言えば「妖精のように美しい」とか見目の麗しさを讃える声が多かったけれど、実際に目にしている王女様を見ればその清廉で誠実な人柄こそ褒め称えられるべきであろうと思った。
「ミモザだって貴方が守るべき国民の一人。それを貴方のわがままで傷つけるなどあってはならない」
「……はい……」
「アル…なんと言えばいいかわかるわね?」
「はい………その、ミモ」
「あぁ!!そうだわ!わだかまりが残ってはいけないわよね!!」
「え?」
王女に諭された第二王子がミモザに向かって何か喋りかけようとした時、突然王女が両手を胸の前で叩いた。突然此方に向き直った王女にミモザも驚いて声をもらす。
「アルコルばっかり言いたいことを言うのはずるいわよね?」
「え……あ、姉上…?」
「貴方ときたらこんな状況になってまで僕は悪くないだのミモザが言うことを聞かないからだの男のくせにぐじぐじと…矯正するいい機会だわ」
「た…タニア様…?」
「ミモザ今度は貴女が言う番よ。発言を許します。今ここで発した言葉は問題には致しません。不敬罪など心配はいらなくてよ。容赦なく言いたいことを言いなさい」
遠慮ではなく容赦なのか。
見た目は妖精のように可憐なのに、王女様の中身はとても男前らしい。
ミモザは再びぽかんと口を開け、今日何度目かになる令嬢らしからぬ姿を晒してしまう。
そしてすぐに、王女と第二王子の二人からじっと視線を向けられ、はっとして口を閉じる。
(容赦なく、と言われても…)
王女直々に不敬罪には問わないと言われても、それを鵜呑みにしていいものかミモザは迷う。
そしてふと母の言葉を思い出す。
『いいミモザ、厳しく叱るだけでは駄目、時には褒めることも大事よ。けれど甘すぎるのも良くない……私もかつて飼っていた犬の躾には苦労したものよ……ペロ…食いしん坊すぎて待てができない可愛い子だった………まぁ、犬の話は置いておいて、相手が悪いことをした時は容赦なく叱っていいの。そして飴と鞭を駆使しつつ歪んだ根性を徹底的に矯正なさい』
一体どんな流れでそんな話になったのか全く記憶に残っていないが、なんとなく背中を押された気になったミモザは考える。
(……王女様もきっと第二王子が態度を改めることを望んでいるはず……)
それに先程ミモザが感じた王女の印象の通りなら、きっと本当に罰せられることはないのだろう。
自分の考えを信じてミモザは意を決して口を開く。
「わたし、は…」
「あ、あぁ…」
「私……私はっ、わがままで人の気持ちを考えず自分の言い分だけを通そうとして思い通りにならないと使用人に怒ったりわめいたり無理やり腕を引っ張ったり…!!あげくの果てに謝りもせず悪くないとか言って開き直って!!おまけにだらしなくて太ってて食べこぼしがたくさんの不潔で甘ったれたあなた様が大っっっ………嫌いです!!!あなた様と結婚するなんて絶対に嫌ですわ!!!!」
「…!?」
言いたいことを思いきり。ついでに間違っても婚約者に選ばれないように大キライアピールもしておく。
がーん、と音がきこえそうだ。第二王子はショックを受けたような表情になり、項垂れる。目なんか涙がちょっと溜まっていた。
「っ…ぷはっ……ははははっ!!」
言い過ぎてしまっただろうかと内心ミモザが焦っていると、高らかな笑い声が響いた。
「あはは、はは、あぁ可笑しい…っ…くふふ…!!」
「あ、姉上!!」
「だってアル、この世の終わりのような顔して…!!」
「ひどいです姉上っ…!!」
涙目のまま第二王子が王女に食ってかかると、王女は「だってはじめにミモザに酷いことをしたのは貴方の方でしょう?」と事もなげに言った。
「ふふこれで両成敗ね……アルコル、なんて言えばいいか分かるわね?」
「……ごめんなさい」
「それは私にではないでしょう?」と、先程までお腹を抱えて笑っていた姿からは想像できないほど優しげに微笑んだ王女が、第二王子の背中を押してミモザの前にそっと促す。
「…ごめんなさい…」
「…ミモザも許して上げてくれるかしら?」
「私は……」
「………あ、あの…ごめんなさいっ!!」
「っ…」
「さっきは本当にごめん……もう嫌がることはしないし、これからはまわりの人のことをちゃんと考える…あ、あと溢さないように身だしなみにも気をつけるから…!!」
なんと答えてよいものかミモザが思案していると、まだ怒っていると思ったのか第二王子は泣きそうな顔で再び謝った。
もう怒っていないし、ミモザとて酷いことを第二王子に言った自覚はあったため、素直に謝っただけじゃなくて、自分の悪いところに気付いてくれたならよかったと思った。
「殿下」
「っ」
「許します……あと、私も殿下に酷いことを言いました……ごめんなさい」
「!」
ミモザが頭を下げるとようやくホッとしたのか第二王子は少しだけ頬を赤くした。
「いや、僕がわるかったんだ…から…その…」
「それでも、ひどいことを言っていい理由にはなりません」
「でも」
「二人とも、仲直りしたのだから謝るのはもういいんじゃないかしら」
「だってアルコルとミモザはもうお友達でしょう?」と王女のおっとりした声が続く。
「……ともだち……」
王女の言葉に、ぼんやりと返事をした第二王子はミモザの方を向いて再び顔を赤くした。そしてすぐに顔を俯けて指先をもじもじと弄って時々不安そうな視線を寄越してくる。
(…………もしかしてこれは、私とお友達になりたい、とか………)
「第二王子に気に入られない」という当初の目的からは真逆の状況にミモザはくらりとした。
何故か垂れた耳としっぽが見えそうな第二王子のその眼差しを向けられる度に良心はちくちく痛んでいく。
第二王子はミモザの最大の死亡フラグだ。
彼の婚約者に選ばれるということは、処刑エンドへの一歩と言っても過言ではない。
確かにさっきまで友達にならなれるかもしれないとは思ったけれど、一度失敗してしまうとそれも尻込みしてしまう。
友達として第二王子を諌めて助かる道を探してあげるべきか。それともやっぱり距離を置くべきか。
(婚約者じゃないなら大丈夫なのかしら……でもさっきはダメだったし…)
ミモザが返答に迷っていると、意を決したように第二王子がミモザの前に跪いた。
「っ!?」
「……ミモザ嬢、僕と……私と友達になっていただけますか…?」
途中で「僕」から「私」になおしたところまでまるで物語の王子様のようだと思って、途中で本物の王子様ではあることに気づく。
混乱した頭でそんなことを考えていると、第二王子はミモザの手をそっと取って、静かに碧い目でみつめてくる。
その頭に再び垂れた耳の幻影を見てしまったミモザには最早抗う術はなかった。
「……はい」
「っ…ほ、ほんとうか!?」
「………はい」
(お母様……フラグじゃなくて膝を折らせてしまったけど大丈夫でしょうか…?)
婚約者に選ばれた訳じゃない、大丈夫、と自分に言い聞かせながら、母の面影にそっと問いかける。
不安を残しつつ、しかし目の前の王子の嬉しそうな顔を見ているとしょうがないかとミモザは思った。