天使と冥王(中編)
神様に選ばれた人間達は苦闘の末、協力して邪神の力を削ぎ、何とか封じることに成功しました。
邪神の消えた後には光が溢れ、怯え隠れるように暮らしていた人々は歓喜に沸きました。
脅威がなくなった世界で、人々は勇者を讃えました。
しかしそれを面白く思わない人間達もいました。
力と人心を得た勇者に、自分の地位が脅かされるのではないかと考えた一人の愚かな王がいたのです。
勇者は王になるつもりなどありませんでした。しかしいくら訴えたところで疑心暗鬼に陥った王にその言葉が届くことはありませんでした。
そして王とその近しい者達は、自分達の地位を守るため勇者を殺そうとしたのです。
勇者は怒り、抵抗し仲間と共に戦いました。
けれど狡猾な王達は卑劣な手を使い、勇者から一人、また一人と仲間を奪っていきました。
そうして勇者に残酷な提案をしたのです。
***
「聖女を余の妻に差し出せ。そうすればお前とそこのもう一人の仲間だけは助けてやろう」
追い詰められた場所は都の教会だった。
元は神殿だった崩れた石の壁にその冷酷な声が反響して響く。
「ふざけるな!!」
シリウスは怒声を上げながら、目の前に立ちふさがった兵士を斬った。
「こんなことは許されない!!神への反乱だ!!」
「神が何をしてくれるというのだ?事実今この状況になってもお前達を助けようともしないではないか」
「どうしてこんなことを…!!」
「邪魔なのだ。邪神の脅威がなくなった今、余以上に力を持つ者も権力を持つ者もいらぬ」
「っうあぁ!?」
「キオンっ!!」
矢に肩を貫かれたキオンが悲鳴をあげる。
「待ってろ、今抜いてやるから…!!」
「ぐうっ…!!」
「貴様…っ!!」
自分がキオンに刺さった矢を抜いている間に、王へと斬りかかったシリウスは、前を守る兵士に阻まれて押し返される。
「っぅ…く…!!」
「シリウスっ」
「はははっ…その矢には特別な毒が塗ってある。早く解毒しなければ死んでしまうぞ。逃げたところでお前達に帰る場所はない。お前達の住んでいた村は戦火でとっくに滅びてしまっているからな」
「村が…貴様…それも貴様の仕業か…っぐぁっ…!!」
「シリウス!!くっ…!?」
「お兄ちゃん…っ!!べテル…!!」
斬っても斬っても追い詰める兵士の数は減らない。数の暴力とも言える攻撃に数時間戦いっぱなしだった自分達の身体も限界だった。
「分かった!!分かったからもうやめて!!あなたの言うとおりにするから!!」
「駄目だキオン!!」
「コイツらは言うとおりにしたって俺達を殺すつもりだ」
「でも、これ以上は本当に二人が死んじゃう…!!」
床に倒れた自分達に縋って涙を零すキオンもまた、もう癒しを施せるだけの力は残っていない。
「聖女の方が物分りが良いな。慈悲深いお前が余の妻となれば人心は自ずとわが国へ向かうだろう。すぐに解毒も施してやろう。さぁ、兄と友を殺されたくなければ此方へ来い」
「っ…」
目を擦って震える足で立ち上がったキオンの手を、必死に伸ばした腕で掴んだ。
「だめだキオン」
「べテルっ…」
「お前は…お前だけは守る…!!」
「っ!?」
シリウス達が話している間にひそかに練っていた魔法を発動させる。本来数人がかりで発動させる高位の転移魔法に体中からごっそりと生気が抜け落ちていく感覚に襲われる。
「っ…いや…待って…!!」
足元に輝いた魔方陣はとても小さい、転移できる人数には限界がある。天井に向かって伸びる光の柱の中で、必死に此方へ手を伸ばすキオンの姿が見える。
「シリウス!!お前も行くんだ!!」
「………」
「早くしろ!!魔方陣を維持しなきゃならない、俺も後からすぐ行くから!!」
「何をしている、聖女が消える!!すぐに捕らえろ!!」
「シリウ…っ!?」
兵達の足止めをしていたシリウスを呼ぶ声は、当のその名の主によって遮られた。
後ろから強く押されて魔方陣の中へ転げ込んだ自分は起き上がってその名を呼ぶ。
「べテル…キオンを頼んだぞ」
「シリウスっ!!やめろ!!やめろぉおお!!」
「キオン、どうか生きて幸せに」
「お兄ちゃん!!いやああぁ!!」
バチンと目の前の景色が突然消えるように魔方陣が閉じる。最後に見えたのは咆哮を上げながら敵兵へ突っ込んでいくシリウスの背中だった。
ぐにゃりと歪んだ景色、突如落下するような感覚に襲われて、次の瞬間には別の場所へ座り込んでいた。
「っ…うぅ…ぅああ…おにい、ちゃ…!!」
「…っ……!!」
拳を打ちつけた床が、さっきまでいた廃墟とは違うことが、転移の成功を示していた。それなのに絶望は深くなるばかりだった。
「シリウス…っ…ああああぁあぁあ!!」
どうして自分など助けた、キオンに必要なのはお前だったのに。
お前には家族がいるのに。
いつだってそうだ。いつもなんでもない顔して自分を助けて。
失いたくなかった。
失いたく、なかった。
孤児であってもシリウスとキオンは暖かい家族の象徴だった。例え自分がそこにいなくても、二人が無事でいてくれたらいいと。ずっと願ってきたのに。
「…に…ちゃ…ん…っ…」
床に蹲ったまま泣いているキオンの声に、唇を噛み締めて立ち上がる。「キオンを頼む」と言ったシリウスの声を思い出して傍へ行って抱え起こした。
お前の想いも、覚悟も、意味のないものになんてさせない。
「キオン……行こう」
「っ」
いやいやと首を振るようにしたキオンに「しっかりするんだ」と声をかける。
「シリウスの想いを無駄にしちゃいけない」
「っ…ベテ、ル…」
「さぁ、立ってキオン…」
すすり泣くキオンを抱きしめ、毒のせいで満足に動けない身体を支えながら周囲を見渡す。見覚えのある模様の柱、高い天井。白い石の床。咄嗟に転移した場所は最初に自分達が連れてこられた神殿だと気付いた。
「ここなら…」
高位の神官ならキオンの解毒ができるかもしれない。それに神の意思を尊ぶ神殿なら。例えあの王に信仰心はなくとも神殿に手を出せば同じ神を信仰している他の国からも責任を問われる筈。神託を受けている自分達をきっと見捨てはしないだろう。そう考えてべテルはキオンに肩を貸して神殿の中を進む。
しかし歩いても歩いても神殿に神官達の姿は見つからなかった。高い天井が自分達の足音と荒い息遣いを反響させる。嫌な予感を、最悪の想像から目を背けるように唇を噛み締めた。
そして辿りついたのは最初に自分達が神託を受けた神殿の最奥の祈りの間だった。
自分の背も何倍もある扉は、手で押すと見た目に反して呆気なく開く。
「っ…」
「…ぁ……あぁ…」
そこに神官達はいた。しかしそこに誰一人として息をしている者はいなかった。
折り重なるようにして床に倒れている者。祈りを捧げる格好のまま伏して動かない者。手を取り合うように並んで壁に寄りかかっている者。その誰にも致命傷と思われるような傷はない。けれど、異質なほどの静けさがもう誰も生きてはいないのだと教えていた。
「そ…な……どう…して…」
「っ…」
すぐ近くの柱に凭れるようにしている神官の顔を見てキオンが泣き崩れる。よろよろと歩を前に進めると祭壇の前に倒れている神官の顔が目に入る。傍にはもう一人同じ顔をした神官が倒れていた。
『お行きなさい、そして無事に帰ってきなさい』
そう言って送り出してくれた穏やかな顔を思い出して膝をつく。
「ど……して…何で…!!」
堪えきれずに零れてしまった問いかけに答えはない。なす術もなく項垂れた自分の目に写ったのは、亡骸の傍に転がる小さな小瓶だった。その小瓶の中に小さく折り畳まれた紙が入っていることに気付く。呆然としながら、瓶を逆さにしその紙を取り出せば、小さく文字の書かれた手紙であることに気がついた。
神への反逆者である王に逆らい、勇者達を守ろうとしたこと。それも叶わず、各地で教会や神殿が襲われ沢山の罪のない人々が犠牲になったこと。神官達や民の命と引き換えにここへ戻ってきた勇者達を殺すよう言われたこと。
『神の意思だけではない、人々のため命を賭して戦った彼等を殺すなど非道な真似が出来るはずがない。そんなことをするくらいなら、我等は自決を選ぶ』
手紙の最後には細かい文字で、そう書かれていた。
呆然とその文字を追っていた自分は、後ろで何かが倒れる音がしてはっとして振り向く。
「キオンっ!!」
急いで駆け寄ると、キオンは荒い息を吐いてぐったりと地面に伏して動けなくなっていた。
「毒が…キオン…!!しっかりしろ、キオンっ…!!」
「ベテ……ル……」
「キオン待ってろ、すぐに解毒ができる場所に…」
「っ…ベ……ル…さいご…に、あなた、の…言いたかったこと…おねが…聞かせて…」
「キオンっ…最後じゃない、最後なんて言うなっ!!お願いだ、諦めないでくれ…!!」
「おねが…い…ベテル…」
「っ…好きだ、キオンが好きなんだ…だから、最後なんて、言わないでくれ…!!」
「…ごめんなさい…でも……や…っと……聞け、た………」
最後の力を振り絞るように、小さく微笑んだキオンは涙を零した。
その涙が頬を伝って下に落ちるよりも早く、その瞳は閉じられて、抱えた体からは全ての力が抜け落ちた。
「キオン…いやだ…キオン…っ…キオン…うああぁああぁぁ!!」
いくら呼びかけても返事が返ってくることのなくなった身体を抱きしめて声を上げる。
神様がいるなら、どうして助けてくれないのですか。
自分達はこれまで貴方の意思を貫き戦ってきたではないか。
自分はどうなってもいい。だからキオンは、シリウスは。
「ぁ…あ、あぁ…!!」
二人が助からないのなら、自分のことも殺してくれ。
一体何のために戦ってきたのだ。
唯一無二の友を失い、愛して守ると誓った少女さえ失い。
仲間を殺され。
故郷を奪われ。
覚悟を穢され。
想いも踏みにじられた。
どうして自分だけがおめおめと生きていられる。
『神が何をしてくれるというのだ?事実今この状況になってもお前達を助けようともしないではないか』
あの王の言葉が何度も頭に甦る。
シリウスは死んだのに。キオンは死んでしまったのに。二人を殺したあの愚王は生きている。
神が何をしてくれた。自分は何もかもを失ったのに、神はただ見ていただけだ。
正しく裁きを与えてくれないのなら。
等しく救いを与えてくれないのなら。
もう神なんて必要ない。
辿りついた場所で、崩れていない場所をみつけ、そこに背負っていた身体をそっと下ろす。
ここは邪神が巣くっていた廃墟だった。元々神殿だったそこは、邪神との戦いの後さらにその形を失っていた。
あれからまだ一月も経っていないというのに、ここへ来たのが酷く昔のことのように思い出される。
自分達はこの神殿の、最奥の間で邪神と戦い、そしてそこへ封じた。
忌み地であるこの場所に近付こうとする者はいない。
いてはいけなかった。
「もう少しだよ…キオン」
物言わぬ亡骸の頬を撫で、封印の中心地である場所へ立ち、魔力を込める。
闇を封じることができるのなら、その逆だって出来る筈。
足元に浮かび上がった魔方陣のあちこちに皹が入り、文字や記号が綻び始める。
地響きとともに聞こえる声は邪神の憎悪の声。
許さない。
いらない。
こんな世界、いらない。
「…そうだな……こんな世界いらない…」
今なら邪神の気持ちがよく分かる。
あの旅路の果てがこんな結末なら、こんな救いのない世界などいらない。
「お前を開放し、身体をやろう。だから力を寄越せ。冥府の王となるその力を」
邪神も元は神の一部。ならばその力を全て自分のものにしてしまえばいい。
冥府の神は魂を司る。
友を、彼女を助けられるのなら。
この身など滅んだって構わない。




