天使と冥王(前編)
天使と冥王のはじまりの話です。本編とはあまり関係ないのでおまけ程度に。
むかしむかし
まだこの世界に神様が居た頃の話です。
その生まれたばかりの幼い世界では、自分達以外の新しい命を創り育もうとする神様と、特別な力を持った自分達だけの世界を望む神様が争っていました。
諍いの末、他の命を奪うことを繰り返していた神は、やがてその魂を闇に染め融合を繰り返し、いつしか一つの邪しまな神と呼ばれる存在になっていました。
邪神と呼ばれたその神を恐れ、何人もいた神様達は一人、また一人とその世界を去って行きました。誰も止めるものがいなくなった邪神は、自分以外の、その世界に生きる全ての命を消してしまおうとしました。
邪神に抵抗し最後まで一人だけ残っていた神様は、世界の行く末を憂えて、その世界に住む生き物の中で互いに意思疎通ができる人間に自分の力を与え、邪神を倒すよう言いました。
一人には闇に負けない力を。
一人には闇を払う力を。
一人には闇を封じる力を。
***
「神託は下された」
「神託は授けられた」
そう告げた二人の神官を三人は平伏した状態から顔を上げ見上げる。
「お前達はこれより旅立たねばならない」
「全ては悪しき邪神を倒すため」
「我の名の下に」
「御使いとしての使命を果たせ」
同じ顔で虚ろな目をして、決められた台詞を交互に吐くように。目の前に居る神官達には今まさに神がかかっているのだという。告げられる言葉以外は何も音がしない。気味の悪いほどの静寂だというのにそれをあまり感じないのは、やはりここが神の居に近い神聖な場所だからだろう。
争いから身を隠すようにひっそり暮らしていた小さな集落に、ある日突然現れた神殿からの使い。自分達に神託が下されたと聞かされたのは三人がこの神殿へ連れてこられてからだった。神に創られたものである人間が元より神託に背くことなどできないが、突如として世界を救えなどと言われても実感も覚悟も何も浮かばない。
どこか他人事のような、自分以外の二人はどう思っているんだろう、とぼんやり考えているうちに儀式は終った。
「…あの神官達同じ顔してたな、双子かな?」
儀式が終わり待つように言われた場所で、漸く話が出来る状況になってから開口一番にそう言ったのは一緒にここに連れてこられたシリウスだった。
「最初に言うことがそれなのか…シリウス」
「んー…だって、双子って珍しいじゃん?さっき言われたことも含めて、現実味がなさ過ぎてて…もしかしてこれ全部夢なんじゃないかって思ってさ」
シリウスの言葉に少し離れた場所にいた神官がちらりと此方に視線を向けた。それに気付いて少しだけ声を潜める。
「滅多なことを言うな、神託だぞ」
「べテルの言う通りだよ、不謹慎だよお兄ちゃん」
「キオン」
自分の名を呼び、シリウスを咎めたのはキオンだった。
シリウスとキオンは兄妹で、自分を含めた三人は身寄りがなく幼い頃から一緒にあの村の孤児院で育った幼馴染みだった。
「だって…いきなり勇者とか言われてもなぁ…」
「わ、私だって…戸惑ってるけど…」
「………」
先程下された神託で、自分達は各々役職を授けられていた。
シリウスは闇を討つ者、勇者。キオンは聖女として闇を打ち消す力を授かった。
そして自分にも賢者という大層な肩書きが与えられた。
ただの孤児でしかなかった自分達が、神の加護を得たからと言って本当にそんな大義を果たせるのだろうか不安しかない。
「本当に私達にそんなことができるのかな…」
自分の不安が伝播したのか、心許なさそうに呟いたキオンに、己の不安を隠すように笑って言う。
「神様の加護ってのがあるんだから、何とかなるだろ」
「きっと大丈夫だ。それに、シリウスが勇者と言うのは信じられないが、キオンが聖女だって言うのは理解るよ」
「べテルどういう意味だ」
「そのままの意味だ。お前は楽観的過ぎる」
「べテルやキオンが心配しすぎなんだよ。気にしすぎると禿げるぞ」
「それはお兄ちゃんの方でしょ!知ってるんだから、生え際気にしてるの」
「な、何でそれを…!!」
突然騒がしくなった自分達に、部屋にいた神官は何も言わなかった。それはこれから死出の旅に出なければならないと宣告された自分達への情けだったのかもしれない。
それから日々はあっという間に過ぎ去った。
覚悟も固まらないまま、後悔すら抱く暇もないほど、旅立ちの準備は着々と整えられていった。旅立つまでの間、最低限の身を守る術や戦い方を学ばされ、ほとんど三人で話す時間はなかったに等しい。その厳しさにただの孤児であった自分達に課せられた使命の重さを知った。訓練の合間に、これからすべき事を刷り込みのように繰り返し聞かされる。自分達の他にも神の加護を得た人間が何人かいるらしい。それぞれ各地の神殿で保護され、自分達と同じような訓練を受けているそうだ。だから旅をしながら腕を磨き各地の神殿にいる仲間と合流し、邪神討伐に向かうのだという。
自分に魔法の訓練をしてくれたのは、神託の時の双子の神官の一人だった。命をかけた戦いになるだろうと彼にも何度も繰り返し言われていた。元より身寄りなどいないから良いが、シリウスとキオンはどんな気持ちで今この時を過ごしているのだろう。
もやもやとした想いを抱えたまま旅立ちの日が間近に迫った頃、最後になるかもしれないからと育った村へ行くかと聞かれたが自分には親も兄弟もいないからと断った。シリウスとキオンもまた同じく断ったのだと後から聞かされた。遠目から二人の姿をじっと見つめる。自分の中にはまだ困難な道行きであるということしか理解できていない。確固たる覚もいまだ芽生えていない。二人は今どう思っているのか。目に見えて悲観している様子は見られないが、心のうちまでは分からない。話を聞きたくても神殿を出ない限りはゆっくり話すことは難しいだろう。
「どうか…一緒に…」
無事に帰れるよう、少しでも自分の力が役に立つよう、今は訓練に努めるしかないと思った。
やがて迎えた旅立ちの日。
「お兄ちゃん襟が服に挟まってるよ、もー…」
「そういうお前こそ寝癖ついてるぞ」
「直らなかったのっ…あ、べテル!おはよう!」
「おぉ…お前の格好なんか暑そうだな」
二人が気落ちしていたなら励まさなくてはと気負っていた自分は、呆気ない二人の様子に拍子抜けすると同時に少しだけ安堵する。
「これが賢者の装備なんだそうだ」
「神官様の服に似ているのね…似合っているけど、お兄ちゃんの言う通り少し暑そうね」
「そうでもないよ、キオンもよく似合ってる」
「そ、そうかな…えへへ…」
聖女らしい白いローブを着たキオンは、彼女の桃の髪が映えて愛らしかった。
「馬子にも衣装っていう先人のありがたい言葉があるぞ」
「もうお兄ちゃんのバカ!!」
妹に胸を叩かれているシリウスも鎧のような装備を身に付けている。その腕や頬に傷の痕が薄ら残っているのが見えて、この数日でどれ程の鍛錬をつまされたのかが分かるようだった。キオンもそれが分かっているのか胸を叩くその手は加減が見てとれた。
「準備は良いですか」
「…はい」
そう自分に声をかけたのは自分の教官だった神官だ。シリウスもキオンも他の神官たちから声をかけられていた。
「辛い道程となるでしょう。それでも貴方達の旅の果てが光で溢れることを祈っています」
「はい」
「貴方は自分には親兄弟がいないからと言いましたね」
「はい…?」
「例え身寄りがなくとも、それまで貴方の生きてきた場所は、貴方の故郷です。帰るべき場所は貴方の支えになる。それでも貴方があの村を故郷と思えないというのなら、貴方が望むのなら、ここにいる私達が貴方の故郷になりましょう…お行きなさい、そして無事に帰ってきなさい」
「…はい!」
数ヶ月前にたった一言交わしただけの言葉を覚えてくれていたこと、例え同情だったとしても帰るべき場所を作ってくれたことに感謝して、背筋を正して返事を返した。
神官たちに見送られながら、数ヶ月前に初めて足を踏み入れた神殿を後にする。
空には薄く雲が張り、晴天とまではいかなかったけれど、雨が降っていないだけマシだろう。
ずっと監視下に置かれていた場所を出ることができて、少しだけ開放感もあった。気心が知れた二人との旅なら乗り越えられるだろうと、まだこの時の自分は甘い考えを持っていた。
自分達がこの神殿で研鑽をつんでいる間も、邪神の禍は世界の各地へ広がっていた。
使命の重さを理解しているつもりだった。
話に聞くものと、実際に自分達の目で見るものは全く違うものなのだと。
「何とかなる」と、そんな自分達の考えがどれだけ甘いものであったのか。
そう思い知らされたのは初めの町へ着いたときだった。
邪神の勢力との戦闘の痕が禍々しく残るその町には、誰一人として生き残っていた者はいなかった。
崩れた建物、倒れた樹木や踏み荒らされた畑、水を汲むための井戸の桶が転がったのを見て、そこに確かに暮らしていた人がいたのだろうということを思い知らされた。
町のあちこちでまだ燻っている煙を吸わないように足を踏み入れた自分達は、言葉もないまま生存者を探して歩き回った。
「っ…」
倒れ伏した人を見つけ、その息がもうないことを確認して打ちひしがれ。
焼け焦げ、元は人であったであろうものを見つけるたび込上げる慟哭を押し殺した。
神官の話ではこの町にも神の加護を得た人間が居るはずだった。誰も発するべき言葉を失ったまま自分達は焼け落ちた教会へ足を踏み入れた。
「あれは…っ…」
辛うじて一部だけが残った祭壇の前に倒れている人影を見つけシリウスは駆け寄る。
「しっかりしろっ…っ…!!」
抱き起こした少女にそう呼びかけたシリウスはその姿に息を飲む。
倒れていた少女の焼け焦げた半身を見て、キオンはすぐに癒しの魔法を発動させる。しかしその身体の傷が再生することはなく、もう彼女に癒しを享受できるほどの力もないことが見てとれた。
「そんな…」
キオンが力なく膝をつく。
赤みの強い髪色と自分達と変わらない年頃の少女。
この町で自分達が仲間にすべき最初の一人として聞かされていた特徴は、残酷なほどに目の前の彼女と同じだった。
『明日には最初の町へ着けそうだな』
『確か女の子なんだよね。楽しみだな…仲良くなれるかな?』
『きっと大丈夫だよ』
首にかけていた紐が切れたのか、彼女の胸元からロザリオが硬質な音を立てて落ちた。
昨日までの自分達は当たり前に彼女に出会えることを疑いもしなかった。
神官達から聞かされたのと同じ色を持つ彼女は、指先一つ動かすことも出来ずに虚ろな目でシリウスを見上げた。
「……ぁ…っ…」
ひゅうひゅうと風の音に似た絶え絶えの呼吸に、シリウスは唇をきつく噛んでその口元に耳を近づけた。
「さ…壇…の……った……」
「うん」
「…いだ…ん……」
「祭壇か?」
「…っ……し…た……」
「祭壇の下か?そこに何かあるんだな?」
「…お……が……………な………」
「わかった、祭壇の下は確認する、だから、もう喋るな…!」
「………っ……ね……がぃ………」
「っ…」
最後まで「おねがい」と繰り返した少女はそのまま瞳を閉じることも出来ないまま事切れた。
「いやぁっ…こんなの…っ……こんなっ…!!」
「っ…!!」
蹲り地面に嗚咽を零すキオンと、仲間になる筈だった少女の亡骸を抱きしめ唇を噛んで静かに涙を零すシリウスの姿を見ながら、崩れた祭壇へふらふらと近付く。
甘かった。
命をかけた戦いになると何度も何度も言われていた筈なのに。
どれだけ現実味を帯びていなくとも、それが今の自分達に課された使命で、進まなければいけない道だというのに甘く考えていた。
解っていなかった。
物心ついた時には両親は既にいなかった。だから同じように考えていた。
人が死ぬということがどういうことなのか、理解していなかった。
目を背けていた。
目の前で死んだ仲間の少女の姿が、目の前で肩を震わせ蹲るキオンに重なる。
己も大切な人達を目の前で失うかもしれないということに。
「なんて……」
馬鹿だったんだろう。愚かだったんだろう。
覚悟、後悔、それ以前の話だ。あまりにも無知だった。
覚束ない足取りで辿りついた祭壇に手をかける。残っていた祭壇を脇へ崩す。重なった瓦礫を一つずつ脇へ投げながら床を露にしていく。しかれていた赤い絨毯をどけると、白い床に切れ目があるのが見えた。力を込めてその床をこじ開けると、その下に続く階段が見えた。覗き込んだ小さな地下室には、怯えた顔で此方を窺いながら身を寄せ合う数人の人々の姿があった。
最期の瞬間まで彼女が守ろうとしたもの。
涙が頬を伝うのが分かった。
その覚悟すら知ろうとしなかった今の自分には、彼女のために泣く資格すらないと思うのに涙が止まらなかった。
『邪神の眷属が突然町を襲ってきたんだ…』
『神官様達とあの子は必死に戦ったよ…けれど多勢に無勢だった』
『町はあっという間に蹂躙されてしまった…神官様も…』
『命からがら逃げてきた私達を地下へ匿って、あの子は一人上に残ったんだ』
『もうすぐここへ仲間が来てくれるからそれまで耐えて、絶対に出てきては駄目って言って…ルーシスは…』
彼女に助けられ、生き残った人々と一緒に亡くなった人達を埋葬するため動いている最中に聞いた、彼女の話。
“ルーシス”
真新しい、けれど、急拵えでしかない粗末な墓標に刻まれた名前。
仲間になる筈だったのに、名前すら知らないまま。もう彼女の口からその名を聞くことは叶わない。
自分と同じく孤児だった彼女はこの町の神官に拾われ、教会でシスターとして働いていたのだという。
元気がよくて、働き者で優しいが、料理は下手で。神託が下った時ですら「この身で皆が救えるのなら」と、勇者であるシリウスが来る日を待ち望んでいたのだと。
彼女に助けられた誰もが彼女を想って涙した。ただ頷いてそれを聞くしか出来なかった自分は、彼女を悼むにはあまりに彼女のことを知らなさすぎた。
「……これを、もらえないだろうか?」
全ての人々の埋葬を終え町を発つ日、シリウスは目の前の墓標にかけられていたロザリオを指差し、見送りにきた町の人々へ聞いた。
南の空に輝く星を象ったそのロザリオは、倒れていた彼女の胸にかけられていたものだった。
「頼む…」
頭を下げたシリウスに住人達は、頷いてそのロザリオをシリウスへ手渡した。
「どうかあの子の無念を晴らしてください」
「…きっとルーシスが守ってくれるわ」
「勇者様、どうか…」
住人達から手渡されたロザリオをきつく握り締め、シリウスはそれを首から提げる。
あの日から確かに、シリウスの覚悟は固まったのだろう。
そんな兄の姿を見るキオンの目は、泣き続けたせいで赤く瞼が腫れてしまっていた。住人達の前では気丈に振舞いながらも、毎夜一人で泣いていたのを知っている。
「ルーシスさん…行ってきます」
そう言って墓標に祈りを捧げた彼女もまた、その胸に覚悟を持ったのかもしれなかった。
「………」
かける言葉が見つからない自分は薄情なのかもしれない。
今この時になっても恐くて逃げ出してしまいたいと思わないと言ったら嘘になる。けれど逃げない。逃げないことが彼女への、ルーシスへの手向けになると思うから。
再び旅立った自分達に猶予がそれほど残されていないというのが分かった今、旅の道程で各々が貪欲に成長しようと足掻いた。
竦んでいた足はしっかりと地を踏みしめて。
相手から決して目を背けず。
杖や剣を握る手の震えもいつしか止まり。
正しい判断を下すための知識を得て。
仲間が増えるたび、失う度に、誰かを守りたいと思う想いも、もうこれ以上失いたくないという想いも強くなっていった。
やがて、肩書きとその中身が釣り合うようになった頃、人々から勇者一行と呼ばれるようになった自分達は邪神の元へ辿りついた。
いよいよ明日、邪神と相対する日を迎えるというその日の夜。戦いに備えて早くに休んでしまった仲間達を見ながら、寝付くことができなかった自分はそっと起き出して野営の火が届かない場所まで歩いた。
見上げた空には明るい火の元では見えなかった沢山の星が見えた。
「………」
邪神の近くには瘴気が溢れているので、こうして晴れている空が見れたのはそれだけで僥倖だと思う。
「べテル…?」
「…キオン」
森が開けて少しだけ空が見えるその場所に座っていたのはキオンだった。自分もその隣へ行って座る。
「眠れないの?」
「うん…何だか緊張して目が冴えちゃった」
恥ずかしそうに笑うその目元は赤く腫れぼったい。キオンが今でも時折一人で泣いているのを知っていた。けれどそれを悟らせまいと目を擦るキオンに自分は気付かない振りをした。
「こうして二人だけっていうの久しぶりね」
「そうだな…仲間が増えたからな」
「うん…みんな私達の大事な仲間…」
キオンは小さく笑う。
「長かったような、あっという間だったような…とうとう明日なんだね」
「あぁ…」
この旅路で得たものと失ったものどちらが多いのだろう。
「ねぇ、べテルは旅が終ったらどうするの?」
「え?」
ぼんやり星を見ながら考えていた自分は、予想もしなかった問いかけに虚をつかれて聞き返した。
「旅が終ったら?」
「うん」
「気が早いんじゃないか?まだ邪神を倒していないんだから」
「そんなことないよ。私達の旅はどんな形であれ、明日終るんだから」
「そう…だな…」
キオンの口にした「どんな形であれ」という言葉が棘のように刺さる。旅の最中、何度もルーシスの最期の姿がキオンに重なった。邪神を倒すため力をつけてきたつもりだ。それでも敵わなかったら、もし目の前で仲間を、シリウスやキオンを失うようなことになったら。
「ごめんなさい…不安にさせるつもりじゃなかったの」
気付けば自分の手は無意識に震えていたらしい。その手に小さくて暖かい掌が重ねられる。
「私達は精一杯努力してここまで辿りついたんだもの、きっと大丈夫よ」
慰めるように言われて頬が赤くなる。自分の方が年上だと言うのに情けない。
「そうだな、きっと大丈夫だ」
「うん」
反対の手でそっとキオンの頭を撫でると、相手は照れくさそうに笑った。
「もう…子供じゃないのよ」
「そうだね」
「本当にわかってる?」
「分かってる」
どこかムキになって反論するキオンの手を引いて抱きしめる。
「っ…べテル…?」
「…旅が終ったらなんて考えたこともなかったんだ」
目の前の敵を倒すこと、誰も欠けずに、欠けても前に進むこと、それだけに必死だった。
「明日…邪神を倒すことができて…もしもその先の未来を望むことが許されるなら…」
大事な妹みたいな存在だった。親友であるシリウスとも、他の仲間達に抱く感情とも違う。
「べテル?」
「話したいことがあるんだ、けど今は言えない」
「………」
キオンは絶対に守る。例えこの身にかけても。万が一自分が死んだとき、彼女の重荷にだけはなりたくなかった。だから今は口を噤んだ。
「全部、終ったら…聞いてくれるか?」
「…はい」
泣きそうな顔で彼女は頷いた。相手も自分の事を憎からず想ってくれているのに気付いていた。言わないと決めたそんな自分の内心はキオンにとっても同じ。
「約束よ?」
「あぁ、約束だ」
こつりと額を合わせて笑う。今だけはこのまま夜が明けなければいいのにと思った。
「この暗雲といい、瘴気の濃さといい…本当に最終決戦て感じだな」
「緊張しているのか?」
「いいや、漸く仇を討ってやれると思って」
邪神の居る廃墟と化した神殿を見据えて、シリウスは服の中からロザリオを取り出した。
「…皮肉なもんだな、あの時彼女が死んでいなければ、ここまで必死にやってこられなかったかもしれない」
「そうだな…」
ルーシスの死は確かに自分達に甘さを捨てさせるきっかけになった。人の死をそんな風に考えてしまう自分達は薄情なのかもしれない。いや、薄情なのは自分だけだ。目の前の親友がいつもそのロザリオに祈りを捧げていたことを知っている。
「けど、絶対無駄にしない。ルーシスの想いも、覚悟も、意味のないものにしちゃいけないんだ」
「あぁ」
「行こう」
出発を告げるため、仲間の元へ踵を返そうとした後姿に「べテル」と声がかけられる。
「どうした?」
「俺が死んだら、妹を…キオンを頼む」
「縁起でもないことを言うな」
普段はあまり見ない真面目な顔に、言われることを何となく察してしまった自分はすぐに反論をする。
「悲観してる訳じゃないさ、ただ誰が死んでもおかしくない状況だから」
「それなら誰よりもお前が生き残ることを考えろ。お前はキオンのたった一人の兄なんだぞ」
「それならお前だってたった一人のキオンの想い人だろ」
「茶化すな。登る前から山の高さを論じている場合じゃない」
「けど」
「見くびるな」
シリウスの胸倉を掴み睨みつけると、相手は困惑したように見返してくる。
「誰かを犠牲にして助かったってキオンは喜ばない。あの子はそういう子だ。俺も、お前も、欠けちゃ駄目なんだ。例え腕をもがれようと足をもがれようと這い蹲ってでも生き延びてやる。だからお前も絶対に生き延びろ、死に急ぐな、いいか絶対に!」
「はは…お前に怒られたの久しぶりだ」
「勇者なんだろ、しっかりしろ」
「そうだな…」
吹っ切れたように笑うシリウスは、ロザリオを額にあて祈った後、仲間の元へ歩いていく。
「行こう」
「あぁ」




