母の教えその32「ハッピーエンド至上主義」
冥王の力が消えたあと、正気に戻った王城内の人々は、ハダルの侵攻を知り、すぐに戦闘を収束させるべく動き出した。意識の戻らない陛下に代わり、その指揮を取ったのは王太子だった。
国境はサザンクロス領の私兵に加え、援助を申し出た精鋭のイーター軍、各都市の冒険者ギルドから集った冒険者達の善戦により、正式な援軍が派遣される前に終息しようとしていた。
いくら精鋭揃いだったとはいえ、ここまで速やかに戦闘が終結したのは、かつてこの国に嫁ぎ二国に和平をもたらした“ミアプラ王女”の幽霊が戦を嘆き戦場に現れたからだと、嘘か本当か分からない噂が国境の民達の間でまことしやかに囁かれていた。
ほぼ鎮圧されていた戦闘ではあったが、王太子が自らの側近と共にハダルへ赴き、相手国の穏健派である第一王子と協力し休戦の協定を結んだ事によって完全に終結を迎える。
そして国境の戦闘が終息したという知らせがアウストラリスの国内に知れ渡った頃、陛下の意識が戻った。
国王は肝心なときに自らが倒れてしまったことを国民や臣下に詫び、国境の戦闘で先頭に立って戦い重傷を負った侯爵を労った。執務もままならないほどの怪我を負った侯爵の任を解くことはせず、王家から補佐を送り次代の侯爵であるアクルとその婚約者に侯爵位を引き継ぐまで、支援することを誓った。侯爵は引退後、夫人と共に領地で療養する予定である。
アルコルと共に王太子の補佐や不在の間王城の執務を手伝っていたミモザは、国境での噂も含め色々なことを省みる暇もなく、送り出したアリアたちが無事にサザンクロスに帰還したという知らせに安堵したり、国境の戦闘の始末に奔走したり慌しく与えられた仕事をこなしていた。一度滞った城の機能が元の状態に回復するのはもう少し時間がかかるだろう。
漸くサザンクロスに戻ることが出来たのは、城内が表面上だけでも普段の流れを取り戻し、休校していた学園が新年度から再開されると決定した頃だった。
アルコルに見送られ、サザンクロスに戻ったミモザはアクル達とお互いの無事を喜び、今度はサザンクロス領の復興に奔走することになる。
重傷を負ったという父は、義母の献身的な看病により一命は取り留めたものの、もう一人で執務をこなすのは難しい状態であると言われた。怪我が少し良くなり、起き上がることが出来るようになってからは、国境の戦闘で何を見たのか憑き物が落ちたように黙々と執務をこなしている。話せる状態まで回復してから会いに行ったミモザも、また何か言われるのかと身構えていたが、父はミモザを一瞥し気まずそうに押し黙るだけだった。
ミモザも思うところがなかった訳ではない。けれども満身創痍の状態の父親を目の前にして何を言えばいいのか分からなかったミモザは、目の前の仕事に没頭することで色々な言葉を飲み込んだ。いつか許せる日が来るかは分からないけれど、今はまだ面と向かって話す勇気がない。
アリアやルガスたちの尽力とイーター伯爵軍の助けによって、幸い領民への被害は食い止めることができたらしい。けれど国境近くの農耕地や建物などの被害は深刻なものもあり、すぐに対処が必要なものも多かった。ミモザは病床の父が裁ききれなかった書類や、実際に視察が必要な場所へ赴いたり、アクルや領地の役人達と協力しながら日々働いた。
荒らされ寒さで霜が降りていた農耕地は、領民の手によってまた新しい種を蒔けるような状態に戻りつつある。
めまぐるしく動く状況の中で、忙しくしていてもぽっかりと空いた時間が出来てしまうことも増えた。それだけこの事態が落ち着いてきているという証拠なのだろうが、そうなった時、どうしてもレモンのことを思い出してしまう。忙しくしていた時には紛れていた悲しさや喪失感が大きな波のように押し寄せて、苦しくなった。その度にレモンとの約束を何度も何度も思い出していた。
そして、身を切られるような寒さが和らぎ少しだけ陽が伸びたのを実感し始めた頃。
サザンクロスに一通の手紙が届いた。
「スピカ…本当に行ってしまうの?」
「はい…今まで、本当にお世話になりました」
ミモザの元に届いたのは学園にいるスピカからの手紙だった。
そこに書かれていたのは、ドゥーベと共に生まれ故郷の村に帰ることを決めたという知らせだった。
驚いたミモザはサザンクロスからすぐに王都へと向かった。そしてスピカ本人の口からそれが紛れもなく事実であることを聞かされたのだった。
あの浄化の後、自分の愚かさを素直に吐露したドゥーベは、スピカに今までのことを謝り自分の犯した過ちを償うため、自らを捕らえるよう王太子やメラクらに訴えた。
ドゥーベの罪は重い。国王を襲撃し、クーデターを引き起こしたこと。城内の人間を操り、国境の戦闘への対応を遅らせたこと。冥王の力を使って、天使や王族を害そうとしたことなど。本来なら許されるものではなかった。
しかしほとんどのものはドゥーベ自身が自ら手を下したものではないことや、本来冥王の支配に抵抗出来るはずだった七騎士や魔法省の職員達ですら洗脳下にあったことを言えば一概には言えなくなる。それだけラムエルの力がドゥーベだけでなく重臣達の精神に及んでいた証明にほかならない。それに何より、天使であるスピカが自らも共に王太子達に頭を下げたことが大きかった。
「私も一緒に背負うから」と笑うスピカに、その時になって漸くドゥーベは涙を零しスピカに自分の想いを告げた。
七騎士としての今までの貢献や王太子達の口添えも大きかったが、結局国王襲撃や城内での行為はドゥーベを操っていた悪魔の仕業とされ、その罪は問われないこととなり、冥王の正体については緘口令が敷かれた。
既に冥王の力も失い魔法も使えない状態となったドゥーベは学園を去ることになった、と、アルコルからの手紙で聞いていたミモザは、スピカも着いていくのかもしれないと頭のどこかで思っていた。しかし本人の口から聞いてそれが現実であることをはっきりと思い知らされた。
「本当に、行ってしまうのね…」
「はい、ドウと同じで私にももう天使の力は残っていないそうですし…」
浄化の後、ドゥーベと同じくスピカからも天使の力は失われていた。
「私、あの瞬間…少しだけ天使様の声が聞えたんです。“もう全部終ったんだよ”って言って、天使様は笑って誰かの手を引いて光の中へ消えていきました…きっと天使様も争いを繰り返す自分達の運命を断ち切りたかったんだと思います」
冥王としての力を失ったドゥーベはただのドゥーベとして。そして、また同じく天使の力を失ったスピカもただのスピカとして。二人は相談して一緒に故郷の村へ帰ることを決めたのだ。
「私も…前に進みたい。村へ帰ることは後退じゃなくて、未来をドウと歩いていきたいから一緒に帰ろうって決めたんです…」
そう言ったスピカの桃色の髪がざぁっと吹いた風に揺れる。その風に桜色の花弁が舞っていることに気がついた二人は一緒に空を見上げた。
「もう…一年になるのね」
「そうですね、長いようであっという間だったような気がします」
一年前、ミモザ達が学園へ入学した頃に咲いていたのと同じ花だ。
「はじめてここに来た時…賑やかな王都や学園の様子に驚くことばかりで…」
「そうね、私も学園がこんなに素敵な場所だって知らなかった」
いよいよはじまる乙女ゲームの舞台に立った緊張と、登場人物たちとの邂逅に余裕がなく、その日一日をこなすのが精一杯だった気がする。
「魔力判定の授業でミモザ様が声をかけてくれて」
「私は叫んだだけよ、何も出来なかった」
スピカが天使の生まれ変わりであると判明してから、彼女の世界は変わってしまった。一生話すことが叶わないような王族と関わりができ、危険に晒されることになっても、国を救うことをその身に課されていた。本人が望んでそうなった訳ではないと明らかなのに、あの頃のスピカの置かれた環境は辛いものだったろう。
「助けて上げられなくてごめんなさい…スピカ…」
「ううん、あの時ミモザ様が私を助けてくれたから、私貴族の人たちを全員嫌いにならずに済んだんです。…それにミモザ様とこんな風に仲良くなれたから」
スピカに詰め寄る令嬢達の前に割って入った時、王太子殿下達に責められ悪役令嬢にされそうになった時の恐怖は未だに忘れられない。けれどもあの時アルコルが庇ってくれたことが、自分のために怒ってくれたことがミモザは不謹慎にも嬉しかった。そしてヒロインだからという理由で自分が避けていたスピカが、とてもいい子なんだということに気がついた。
「夏季演習では大変な目に遭ったわね」
「…もうあんなことしちゃ駄目ですよミモザ様」
「お料理は練習しないと上手くならないわ」
「そっちじゃないです!一人で魔物に立ち向かうとか危ないことしないで下さいねってことですっ」
演習中、一緒に調理をしたこと。話しながらもっとスピカと仲良くなれたらいいなと思ったこと。アリオトやアルカイドと話をして、ゲームの登場人物たちが実際に悩みながらも生きているのだと実感した。見たこともない大きな魔物に襲われ、一人崖下で助けを待つ間の不安。助けに来てくれたアルコルの背中を思い出すと今でも顔が赤くなる。
「休暇の間は会えなくて寂しかったです」
「でもいつもよりは短い休暇だったのよ?」
魔物の襲撃の尾を引き、短くなった夏季休暇。休暇中ミモザは母の実家であるノーザンクロスにアクルを伴って行った。アクルが自分のいないところでお爺様に謝っていたことを後で知り、肝心な時に傍にいてあげられなかったことやアクルの気持ちが嬉しくて胸が一杯になった。
「でもあの後、ダンスを教えてもらって」
「…すぐにお役御免になっちゃったけどね」
人を好きになることは難しい。誰かが誰かを想う気持ちはその人のものだ。他の誰にもそれを否定したり消したりすることはできない。誰もがそれを知っていたから、誰もがジレンマを抱えながら見守ることしか出来なかった。結果ドゥーベが冥王として覚醒してしまったことは全員の心に後悔を残した。
「…スピカにとってはあんまりいい思い出ばかりじゃないかもしれないわね」
「そんなことありません!確かに大変な思いもしたけれど、ここへ来たからミモザ様やみんなに会えたんです。過ぎればみんないい思い出です!」
ぎゅっと握られた手に、ミモザもスピカの手を握り返す。遠くで馬の嘶く声が聞えて、風に乗って馬車の音がミモザ達の場所まで届いた。それとは別に近付いてくる草を踏む音がスピカの近くで止まる。
「ドウ?」
「………」
ミモザに対して無言で頭を深く下げたドゥーベは、顔を上げ「今まで本当に申し訳なかった」と口に出した。
「…それは何に対しての謝罪ですの?」
「あなたや第二王子殿下に対しての…」
「私、怒ってますのよ」
「あぁ…許されるとは思っていな」
「勘違いしないで下さる?私が怒っているのはスピカをこんなに泣かせたことに対してですわ」
「!」
びしりとドゥーベに指を突きつけて「ふん」と悪役令嬢っぽく鼻を鳴らしたミモザは更に言い募る。
「スピカが大事だと言う口でどうして遠ざけることができるのです?貴方のその曖昧で極端な態度にどれだけスピカが傷付いたと思っているの?おまけにスピカの話を聞きもせず勝手に自己完結して、自虐趣味でもありますの?それとも悲劇の自分に酔いしれる趣味でも?最初からスピカときちんと話をしていれば済んだ話ではありませんか。大体殿方というのはどうしてそう勝手に一人で決めようとするのでしょう?こっちの気持ちも知ろうともせず、察してくれと言わんばかりの性根ではスピカにもすぐに愛想を尽かされましてよ?」
「うっ…」
「ミモザ様…」
「まぁそれでもいいかもしれませんわね。スピカ、その人が嫌になったら私のところへいらっしゃい。いつでも歓迎するわ」
「…それは、駄目だ」
ミモザの辛辣な口撃に項垂れていたドゥーベは、それでもスピカを引き寄せミモザに「スピカが居なくなるのは耐えられない」と言った。
「ど、ドウ?」
「あなたの言うとおりだ、全部俺が悪かった…言い訳はできない。けどこれからはちゃんと話をすると誓う…誰でもないスピカのためにも」
「ドウ…」
「…当たり前でしてよ。つまらない意地で泣かせたら今度こそ許しませんわ」
微笑み合う二人の姿に、ミモザも怒っていた顔を解いてふっと笑った。
「…スピカ嬢、ドゥーベ、馬車の用意が出来たようだ」
「王太子様…わざわざ見送りに来て下さったんですか?」
「あぁ、君はこの国を救った功労者だからね、見送るのは当然だ」
「そんな…」
スピカ達が故郷へ発とうとしている今日、王太子は忙しい執務の合間を縫って自ら見送りに来ていた。すぐ後ろにはフェクダとアリオトもいる。
「改めて礼を…王国を救って下さった貴女に感謝を」
「王太子様っ…やめてください!」
王太子が膝をつきスピカに頭を下げる。
「私だけの力ではありません!…それに私はあの時、国のことなんて考えてなかった…ただドウを助けたかっただけだった」
「………」
スピカの言葉に寂しそうな顔をした王太子は、その表情をすぐに消し立ち上がって「どうか二人で幸せに」と二人に向かって言った。
「パールはまだ寒さが残っているだろうから、二人とも体に気をつけるんだよ」
「道中も長い、スピカさんもドゥーベも元気でね」
「はいっ、先生も…アリオトさんもお元気で…」
皆に見送られながら馬車へ近付いていくスピカの元にミモザが駆け寄るのと、スピカが振り返るのはほとんど同時だった。
「ねぇ、スピカ、離れても、どこにいてもずっと友達でいてくれる?」
「っ…はい!ずっと友達です!!」
ぎゅっと握った手がどちらからともなく離れる。泣くのを堪えたような笑顔で馬車に乗ったスピカが手を大きく振る。
「私っ…ここで過ごした日々を忘れません…!!ありがとうございました…!!」
「スピカ…!!」
「さようならミモザ様…っ…また、必ず…!!」
手を振りながら小さくなっていく姿にずっと堪えていた涙が零れる。
「…みんな居なくなってしまいましたわ…」
「そんなことはないよ」
ぽつりと零したミモザの言葉を救い上げてくれたのは優しい声だった。
「アルコル様…」
アルコルとメグレズもまた見送りには来ていたが、自分が冤罪をかけた相手に見送られるのもドゥーベが気に病むだろうと影から見守っていたのだ。
ミモザの頬に伝う涙を掌でぐいと拭ったアルコルは「確かにパールは遠いけれど、会えない距離じゃない」と言った。
「また必ず会えるよ」
「っ…はい…」
頬に手を添えられたまま、こつりと額を合わせられる。
「わたしはスピカ嬢やレモンの代わりにはなれないけれど…ずっとあなたの傍にいるから」
「アルコル様っ…」
至近距離でのその言葉に狼狽えてミモザが目を泳がせると「かわいい」と額に口付けられる。
「っ…なに…を…!!」
「察してほしいと言わんばかりでは愛想をつかされてしまうんだろう?だからこれからは私の思っていることを素直に伝えようと思ったんだけど…」
「アルコル様っ…!?あれは…っそういう意味じゃありませんのに…もう!」
顔を赤くして反論するミモザを見ながらアルコルは笑う。その碧の瞳に写る自分の顔もまた笑っていることに気付いて、ミモザはまた目頭が熱くなった。
「レイ、こんなところにいたのか。母上達が探していたよ?」
「だって、今日は叔母様達が来るんだろ?」
「みんなして寄ってたかって可愛い可愛いって、もみくちゃにされるんだぞ。耐えられない」と子供らしからぬ口調で口を尖らせ悪態を垂れる幼い我が子にアルコルは苦笑する。
王家特有の金色の髪に顔立ちこそアルコルに似ているが、母親譲りの澄んだ緑色の瞳を持つ幼子は、親の贔屓目を差し引いても確かに可愛らしい容姿をしていると思う。双子の弟と並んでいる姿は「天使」のようだと言うのは彼にとっての叔母の口癖だ。
「皆に好かれている証拠だろう?」
「だからって毎回菓子を口まで運ばれるんだぞ、自分で食べられるのに…ライは黙ってされるがままになってるし…今日だって一緒に隠れようと思ったのに呑気に昼寝してるし…」
「そうかな…わたしはミモザに食べさせてもらうのは嬉しいけどな」
「…言った俺がバカだった…あと、いい加減わざと食べかす頬につけて取ってもらおうとするの止めろよ」
「いつか気付くかなって思ってたんだけど…気付かないならそれまで役得でいいかなって」
「…教えてやれよ」
自らの両親の仲の良さに辟易とした溜め息を吐いた少年は、呆れたように自らの父親を見上げる。
「レイこそ…そろそろミモザに教えてあげたらどうだい?」
「………」
「きっと喜ぶよ?」
アルコルは屈んでその緑色の目に視線を合わせてから、少年が隠れていた茂みからその体を抱き上げて連れ出した。
そのまま高い高いをするように持ち上げてやる。独特の浮遊感に子供らしく頬を緩めそうになったレイは、慌ててぎゅっと眉根を寄せてアルコルを睨んだ。その体を胸の高さで抱きなおしじっとその目を見つめてやると、根負けしたようにふっとレイが視線を逸らす。
「だって……元悪魔が子供だなんて…嫌かもしれないだろ…」
聞えないほど小さな声が耳に届きアルコルは苦笑してその背中を撫でた。
「そんな訳ないだろう」
「な、何でそんなことが言えるんだよ!」
「だって、知っているわたしがお前達の事が可愛くて仕方ないからだよ」
「!」
ずっと悩んでいたことを呆気なく一蹴されレイは言葉に詰る。
「もちろんミモザだってそうだ。それはわたしよりもお前の方が知っているんじゃないか?」
「………」
アルコルの肩を掴む小さな手にぎゅうと力が入る。嬉しくて笑いたいような、それでいて泣きそうな不思議な顔で押し黙ったレイにアルコルは笑う。
しがみついてきた耳元でかろうじて聞こえた「相変わらずお前の腕は抱かれ心地が悪いな」という言葉に「もう毛だらけにされなくて済むからね、いくらでも抱っこするよ」と返せば、首にしがみつく腕は更に強くなった。
「さて、このまま母上のところまで行こうか」
「っ…おいそれとこれとは別だろ!嫌だから隠れてたのに!」
「レイ?」
「あっ」
「ミモザ、レイならここにいるよ」
「あーっ!」
じたばたともがくレイの抵抗をものともせず、アルコルは自分達を探しにきたであろうミモザの元へ歩いていく。
「レイ、こんなところにいたのね。姿が見えないから心配したのよ」
「だって叔母様たちが来るって言うから…」
「もしかしてアクル達が来るから隠れていたの?」
「………」
押し黙った我が子にミモザも苦笑する。
「そうね、レイも男の子だから気恥ずかしいかもしれないわね。けど皆貴方達のことが大好きだからああなってしまうの。どうか許してあげてね」
「…はぁい」
ミモザの前では殊勝な態度の息子に、噴き出したくなるのを我慢していたアルコルをレイはムッとして見上げた。
「アル?レイも…お父様と何をお話してたの?」
「母上には内緒です…」
「まぁ…アルも教えて下さらないの?」
「うーん…レイと言わないって約束しちゃったからなぁ…」
「そうなの…何だか寂しいわ…」
「………」
しゅんとしたミモザに、アルコルはレイを抱き上げているのとは別の手をそっと伸ばす。
「アル?」
「わたしがいるのに寂しい?」
「え…」
頬を撫でられミモザは顔が赤くなっていくのが自分でも分かった。
「あ、あの、ち、近い、から…」
「ん?」
「その…っ…レイも、いるから…」
「いないところでならいいの?」
「…っつ…もう、アル…意地悪をしないで…!!」
耐え切れなくなったミモザはアルコルの胸を押して一歩離れた。同じく至近距離で呆れたような顔をしたレイは「父上降ろしてください」と半目で訴えた。
「もうそろそろライが起きるから…先に戻ります」
「そうか…慌てないで戻るんだぞ」
「わかっ……っ…はい」
地面に足がついた途端一目散に走っていく後姿に転ばないか心配しながらも見送ったミモザはアルコルに目を移す。
ミモザと同じようにその後姿を優しい表情で見つめたアルコルの姿に胸がぎゅうっと締め付けられた。
「…どうしたの?」
「…何でもないわ…何でもないけど…なんだかすごく嬉しくて…」
「?」
不思議な顔をしながらも、黙って話を聞いてくれるアルコルにミモザはゆっくりと話し始める。
「あの子達が元気に遊んだり、話したりしているのを見ると、幸せな気持ちになるの。寝ている顔を見るのも、ご飯を食べたりしている時も…それからあの子達の小さな靴や服を見たときとか、同じくらいの年の子供を見かけたときとか…変でしょう?自分の子でもないのに…そしてそれを私とおんなじ顔で見ている貴方の姿を見つけるたびに胸の中が温かくなる」
「ミモザ…」
まだ甲高い幼子特有の声で母上と呼ばれると、抱きしめずにはいられないくらい愛しさが胸に溢れて苦しくなる。そんな想いを共有してくれる人が隣に居てくれることがどうしようもなく幸せで。
ミモザが悪役令嬢のままだったら、こんな想いは一生知ることができなかっただろう。
「昔…お母様がわたしの誕生日に言ったんです…ミモザが五歳なら私も五歳のお母さんなのよって…」
『親と子って一緒に生まれるのよ?子供が生まれてはじめて親は親になるの。だから私もまだまだ母親としては未熟かもしれないけれど、貴女の事を誰よりも愛してる。貴女が幸せになることを誰よりも願うわ。お誕生日おめでとうミモザ…私の元に生まれてきてくれてありがとう…今まで元気に育ってくれて本当にありがとう』
あの時のミモザは母の言葉の意味がよく分からなかったけれど、同じ立場になった今なら分かる。
「きっと……お母様はこんな気持ちだったんだわ…」
「そうだね…」
ミモザのために必死で運命を変えようとしてくれた母。
叶うならばこの姿を見せたかったと、虚しい想いに囚われてしまいそうになる時もある。
けれどその度にいつも胸の中にある母の言葉がミモザに力をくれる。
「お手をどうぞ、レイとライがきっと待ちくたびれているよ」
「えぇ」
差し出されたアルコルの手を取ってミモザは歩き出す。見上げた空は雲ひとつないような晴天だった。
お母様、私がんばりましたのよ。
ううん、今もがんばっている最中ですの。
レイもライもとてもいい子です。
私がお母様からもらったことを、今度はあの子達に伝えていこうと思います。
沢山悩んで、後悔して、諦めたり、泣いたりもするかもしれません。
けれども今の私は一人じゃありません。
一緒に悩んで答えを探してくれるアルがいます。
私が元気がないと一生懸命笑わせてくれようとする可愛い子供達もいます。
アリアもカペラも、アクルたちも相談に乗ってくれたり、助けてくれます。
だからきっと大丈夫。
私もまだ親としては未熟でお母様は心配かもしれませんが、どうか私達のことを信じてください。
「ゲーム」は終ってしまったけれど、私達は今もこの世界を生きています。
いつか、
いつかお母様に会えたときに、
私の歩んだ人生が幸せなものであったと。
笑って貴女に報告ができるよう、私は一日一日を大事にこれからも生きていこうと思います。
どうか、私たちのことを見守っていて下さいね。
(終わり)
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。お約束気味な最終話でしたが、とにもかくにも書き終えることができたのが何よりもほっとしました。過分な評価を頂いたり、未熟さを指摘されたり、改めて文章を書くことの難しさを再認識致しました。続きを読みたいと言ってくださったお言葉にどれだけ励まされたか、完結することが少しでもお返しができていたらいいなと思いつつ過ごすこの頃です。
国境で何があったか、本当はあと一つ閑話を入れる予定でしたが、話の流れ的にない方がいいなと思い結局入れませんでした。いつになるかは分かりませんが、それも後で書けたらいいなぁと思ってます。
補足に、どうでもいい設定を。
双子の名前はレイモンドとライムンドです。レイは覚えてますが、ライは覚えてません。レイはミモザの前ではちゃんと猫を被り行儀よくしてるので、ミモザは気づいていません。
進捗が遅く、誤字脱字ばかりのこんな話に長らくお付き合いくださいまして、本当に、本当にありがとうございました。こんなご時世です、どうか皆さまもお体に気をつけて。
ふみ




