母の教えその31「叩き折れ!」
城門に沿って歩き、地下へ降りるための隠し通路を下ると、城の排水のために作られた水路に出た。暗い水路を手に持ったランプの明かりを頼りに歩いていくと、階段で上へと昇る横道が現れる。
「こっちだ」
「メグレズ様…よく分かりますね…」
ここへ来るまでの間いくつもの横道があったにも関わらず、メグレズは迷いなく進んでいくことにミモザが感心してそう洩らすと、メグレズは悪戯っぽく笑って「アルと昔探検したことがあって」と言った。
「まぁ…こんなところをですか?」
「あぁ…隠し通路なんかもいくつか見つけた。おそらく有事に王族を逃がすためのものだったのだろう」
「私も混ぜてくださればよかったのに…」
「ミモザ嬢が?」
意外そうに首だけ振り向いたメグレズは、すぐに可笑しそうに笑った。
「そうだったな…君はそういう人だ」
「それどういう意味ですの?」
最近どうにも褒められているのか分からない言い方をするメグレズにミモザが聞き返すと「昔から不思議だったんだ」と前を向き直したメグレズが歩みを止めないまま話す。
「だって普通の令嬢はこんなところ嫌がるものだろう?」
「それは…そうですね…」
普通の令嬢と言われてクラスメイトの顔を浮かべると、確かに下水探検に自ら着いていくような子はいないかもしれないと思い直す。
「アルのことだって…」
「アルコル様のこと?」
「はじめの…出会う前のアルのことを知っていたんだろう。なのにどうして貴女はアルの傍にいようと思ったんだ?」
「それは…」
どうして今になって出会った頃の事を聞かれるのかと首を傾げるも、ミモザは思いをめぐらせる。
あの頃はただ自分が死亡フラグから逃れることに必死だった気がする。アルコルと出会って、母を亡くし、家族から目を向けられない、同じ寂しさを相手も持っていることに気がついた。横暴な振る舞いに理由があったことを知った。母に教えられた“悪役令嬢”の自分みたいだと思った。
「…自分と似ていると思ったんです」
「アルとミモザ嬢が?」
一人ぼっちの孤独を埋めることもできず、己の不幸を嘆き、報われないと知ってからは腐るしかなかった。全てを恨んで、全てを憎んで、全てを奪って。叶わないと知って全部全部壊してしまおうとした。
ゲームのミモザは自分が辿るかもしれなかった未来だけれど、今の自分にもそういう気持ちが全くない訳じゃなかった。
ゲームのミモザはやり方を間違えたけれど、その気持ちは、誰かを恨むしかなかったその気持ちは痛いほどに分かる。
母から与えられるただの情報だったそれが、意思を持った一人の人間の起こしたことなのだと初めて理解したのは、アルコルと出会って自分を重ねたときだったのかもしれない。
「私だって自分の境遇を恨まなかった訳じゃない」
「………」
それでも母の残してくれた思い出や、もらった想いがあったから腐らず前を向いて歩いてこれた。一人じゃないと思えるようになった。自分の心一つで世界は変わる。未来だって変えられる。誰かを好きになることも、誰かを思いやることも。そして同じ想いを返してもらえることの幸せも知った。
「今は幸せじゃなくても、心から笑うことが出来なくても、これから先もずっとそうじゃないって知って欲しかった。上手く言えませんけど…未来のことまで諦めて欲しくなかったというか…」
「そうか…」
ぎこちない言葉だったが、それが紛れもなくミモザの本心だった。「もしかしたら自分が必要とされたかっただけなのかもしれませんけど」と、そう言ったらメグレズも思い当たることがあったのか、壁に映った影が小さく頷いた。
「そうか…何となくそれは分かる…俺も、あの時アルが俺を必要としてくれたから…今ここにいるんだろうな…」
「後悔していますか?」
「まさか!むしろ危なっかしい君達を傍で見守ることができて良かったと思っている」
「もう、危なっかしいってなんですの!」
「本当のことだろう。アルも君も無茶ばかりだ。友としては放っておけない」
「私の事は中々呼び捨てで呼んでは下さいませんけど」
「な…それは…仕方ないだろう…君はアルの…」
ごにょごにょと言葉を濁しながら、照れているのか少し速くなった歩みに置いていかれないようミモザも小走りでついていく。
それから幾度か曲がったり降りたりを繰り返して、やがて天井が今までの通路より少しだけ高い場所に出たことに気がついた。きっと下水から出て城の地下へ入ったのだろう。
「もうすぐだ…」
「はい」
「おそらく見張りがいるだろう…俺が奇襲をかけるから、全員を倒すまでミモザ嬢は姿を現さず隠れていてほしい」
「…わかりました」
足音を消して冷たい石畳の通路を歩く。周囲に目を配りながら進むメグレズの後ろで、ミモザも緊張を解かずに気を引き締める。
メグレズの腕は知っている。数人の見張りならば問題なく一人で倒せるだろうが、この世に絶対はないのだから心配してしまうのは許してほしい。しかし下手にミモザが出て行ったところで却って邪魔になるのは目に見えている。
(いつでも魔法を使えるようにしなきゃ…)
邪魔にならないよう陰から窺いつつ、不測の事態に備え頭の中で魔法をイメージしておく。少し寒いくらいの場所なのに、緊張のせいか掌にじっとりと汗が滲む。
最後の階段を下りた先、魔法のかがり火が照らす牢の鉄柵が見えてメグレズが足を止める。無言で振り向いたメグレズはここにいろとミモザに目配せをした後、一人で中へ踏み込んだ。
「がっ…!?」
「な、なん…ぐぁっ!?」
素早く中へ走りこんだメグレズは、後ろから一人の看守の頚部を剣を抜かないまま鞘で殴り、振りぬいたその鞘ですぐ近くにいたもう一人の額を打ちつけた。
「っ…」
影からミモザが確認した人数は三人。襲撃に気付いた残りの一人は向かってくると思いきや戦うことよりも逃げることを優先したらしい。身を翻してミモザ達が来たのとは別の方向に逃げようとするのをメグレズが追う。
「待てっ……ミモザ嬢、アルを頼む!!」
もしも人を呼ばれたら大変なことになってしまう。ミモザはメグレズの言葉を聞くや否や駆け出した。
「っ…アルコル様!!アルコル様っ…どこにいるのですか!!」
いくつもの牢が並ぶ中を走りながら名前を呼ぶ。
「アルコル様…!!」
「………ミモザ…?」
何度目かで聞えた返事にミモザは立ち止まる。
「アルコル様っ」
「ミモザ……ミモザ…!!」
アルコルの声と、がしゃんと鉄柵を揺らす硬質な音が響いた方を向く。通路の最奥になっているその牢に、探していたアルコルの姿を見つけミモザは駆け寄った。
「アルコル様、ご無事ですか…!」
「どうして…どうしてここに来たんだ!!」
「っ」
がしゃんと牢の内側からアルコルが鉄柵を思い切り叩いた。はじめてアルコルに怒鳴られたことと、拒絶するようなその態度に怯みそうになりながらミモザは、悲壮な顔で鉄柵を掴むアルコルの手に自分の手を添える。
「私…助けに来たんです。アルコル様ここを出ましょう」
「駄目だ、ここにいてはいけない…!!あなたは逃げるんだ」
「アルコル様も一緒でないと嫌です」
「ミモザ…っ…頼む…あなただけでも逃げてくれ…」
離れようとするアルコルの手をミモザは離すまいと強く掴んだ。
「嫌です…っ」
「今の私には国王暗殺の容疑がかかっているんだ。私といればあなたにも責が及ぶ」
「構いません、だってアルコル様はそんなことしないって分かっているもの」
「ここへ来るまで誰も私の声を聞こうとする者はいなかった…たとえ無実だったとしても関係ない、誰もが私がやったことなのだと信じ込まされていた…人知が及ばない相手では…このままではあなたまで罪を被ることになる」
「構いません…っ…それで貴方が私と逃げて下さるなら」
「駄目だミモザ…お願いだ…逃げてくれ…!!」
「嫌です!!」
「ミモザっ…」
「だって、私は貴方の婚約者ですもの!!」
「っ…」
どうあってもミモザを遠ざけようとするその言葉にカッとなって叫んだ。
「ミモザ…婚約の話はまだ誰にも言っていない…だから私とあなたはただの友人だ。まだ間に合うんだ…だから…」
「っ…それでも私は約束しました…!!」
「ミモザ…」
「私…約束しましたもの…貴方の婚約者になるって…!!」
アルコルが自分を逃がそうとしてくれていることも、立場が逆なら自分も同じことをするだろうと思ったことも。分かってる。
「ミモザ…」
「一緒にここから出ましょう。スピカ達と協力して、冥王を倒して、話をする機会を得られるまで待つんです」
自分達だけが逃げることを良しとしないのも、家族や民を置いていけないと思うのも。分かっている。
「もしそれでも分かってもらえなかったら、一緒に国外へ行きましょう。私お料理以外は得意なんですよ、ううん、お料理だって覚えます…魔法だって、戦闘だってもっとできるようになります…だから…っ…」
話しているうちに感情が高ぶってぼろぼろと涙が溢れた。
「一人で逃げろなんてっ…言わないで…!!」
「っ…」
「私と一緒に生きてくださると…一緒なら乗り越えられるって言ってくれたじゃないですか…なのにどうして一人で逃げろなんて言うんですか…!!」
一旦感情が溢れてしまえば、もう建前なんかどうでも良くなってしまった。
疑いが晴れなければ民を置いてでも逃げればいいなどと王子を唆すなんて。侯爵を賜る貴族の令嬢として失格かもしれない。アルコルが好いてくれたのはこんなことを言って縋る自分ではないのも分かっていた。ここへ来るまでどうするのが正しいのか同じことを何度も考えて悩んだ。でも結局最後に行き着くのはアルコルの傍に居たいということだけで。
「私は…っ…貴方の傍にいたいのにっ…!!」
一緒に行けないと言うのなら「逃げろ」ではなく「ここにいてほしい」と言ってほしかった。ミモザがアルコルを必要としているように、アルコルにもミモザが必要だと思ってほしかった。滅茶苦茶なことを言っているのは分かっていても、頑なにミモザばかりを助けようとするアルコルの気持ちが寂しくて、支えにもなれない自分が悔しくて涙が零れた。
「ミモザ…っ」
「っ!」
牢越しのアルコルの顔がくしゃりと泣きそうに歪んだと思った瞬間、伸ばされた手で腕を引かれて抱きしめられる。
「あなたはっ……本当に…!!」
「っ…」
ぎゅうと強く押し付けるように抱かれて、ミモザも伸ばした腕を牢に差し入れて抱きしめ返す。間に挟まった鉄格子が体に当たって痛かったけれど、それでも腕を緩める気にはなれなかった。
「私といれば謀反の罪を一緒に被るんだぞ」
「無実ですもの…いざとなったら力ずくで反論します」
「勝ち目のない戦いかもしれないよ」
「みんなで力を合わせればきっと大丈夫ですわ」
「…ミモザを不幸にしたくない」
「私は…アルコル様が幸せじゃないと幸せじゃありません」
体や頬に当たる鉄柵の冷たさよりも、背中に回された腕の暖かさを確かめるようにアルコルにしがみつく。嗚咽で声が震えないよう、涙を止めようとぐっと一度目を瞑って開く。
「私は何度あなたに救われるんだろうな……」
「アルコル様…?」
抱きしめていた腕が解かれる。よく聞えなかった言葉に顔をあげ正面から相手を見上げると、困ったような顔でアルコルは笑った。
「……一緒に行こう」
「っ…はいっ!!」
言われた言葉にアルコルが一緒にここを出ることを決心してくれたことを知り、ミモザは何度も頷く。
「早くここを出ましょう!」
「うん……メグレズ、いるか?」
「あぁ」
「め、メグレズ様…いつからそこに…?」
いつの間に戻ってきていたのか。急に後ろから声が聞えてミモザは肩を跳ねさせる。同時にさっきまでアルコルに抱きついていたところを見られたのかと急に恥ずかしくなった。
「アルが早く決心しないから悪い」
「それは…簡単には決められないだろう……ミモザを連れて来るなんて反則だ」
「だって、俺の言うことじゃ聞かないだろう…俺まで遠ざけたこと、怒ってるんですからね」
「う…」
「あれほど自分を大事にしてくださいと言ったのに」
「メグレズ様…あのもうその辺で…」
「ミモザ嬢もだ。一人でハダルへ行こうとするなんて、俺がサザンクロスに着くのが遅くなっていたらどうなっていたか…」
「う…」
「…ミモザ、そんな危ないことしようとしていたの?本当に?」
「うぅ…」
メグレズのお叱りの矛先が此方に向いただけでなく、アルコルにまで咎められミモザは小さくなりながら言い返す。
「でも、それならメグレズ様だってこれから危険なことをしようとしてるじゃないですか」
「俺が?」
「私達だけ逃がして自分はスピカ達とドゥーベに挑むのでしょう?」
「それは…七騎士としての役目だから…」
「仕方ないだろう」と歯切れが悪くなったメグレズにミモザは畳み掛ける。
「…メグレズ様が危険な目に遭えばアルコル様は右も左も見ずすっ飛んで行ってしまいますわね。勿論私もすっ飛んで行きますわ」
「!」
以前にメグレズに泣かれてしまった時に言われた言葉をなぞってミモザは話す。
メグレズがここまで必死に自分達を助けようとしてくれたことを知っていて狡い言い方かもしれないけれど、最初から一人で危険な場所へ行こうとしているメグレズを黙って見送るつもりはない。
ミモザの言葉に気付いたアルコルが口の端を上げる。そのまま笑顔でメグレズに問いかけた。
「確か…一人で飛び込んでいくのは駄目なんだろう?」
「ぐ…しかし二人を巻き込むわけには…助けた意味が…」
「私は大事な友人をこんなことで失いたくありませんわ」
「無茶をして何かあったらどうする?死んでからでは取り返しがつかないんだぞ」
「そうです、もう少しメグレズ様は私達に想われて大事にされているという自覚を持って」
「わ、わかってます!」
「ならば私達が着いて行っても問題ありませんわね」
「そ、れは…」
「私だって光魔法が使えるし、ミモザの魔法だって役に立つ筈だ」
「自分のあずかり知らぬところで無茶をされるのと、目の前である程度把握できるのと、どっちがいいかなんて考えるよりも明らかだろう?」
「放っておけないと言うのなら、ちゃんと目を離さず見ておく方が良いと思いますわ」
「………」
アルコルとミモザの仕返しとも取れるそれに、困惑と悔しさを滲ませ黙り込んでしまったメグレズが大きな溜め息を吐いて額に手を置く。
「……二人ともまた俺を泣かせるつもりですか?」
「すまない、なるべく善処はする」
「ごめんなさい、私もなるべく」
「なるべくじゃ駄目です……あぁもう…」
以前もしたようなやり取りにミモザが耐え切れずに噴出すと、アルコルもつられて笑い、メグレズもやれやれと頭を振って笑った。
「全く……本当に危険なときは逃げてくださいよ?絶対ですからね?」
「あぁ…これ開けられるか?」
「鍵を奪ってきました。これで開けられる筈です」
メグレズが持った鍵の束から幾つか手にとって順番に回す。
「開いた」
がしゃん、と錆びた音を立てて回った鍵が鉄柵についた小さな扉を開く。
「アルコル様…」
「ありがとう、ミモザ、メグレズ…行こう」
「はいっ」
「はい!」
地下牢を駆けて再び下水の通路に出る。元来た道を辿り地表を目指して走った。
「ドゥーベは今どこにいるんだ?」
「彼は学園へ行っていると言っていました」
「学園へ?…そうか、星の庭があるからか…」
星の花が咲き乱れる学園の一角はかつて天使と冥王が戦った場所だ。
「ドゥーベはそこでわざとスピカに討たれようとしているのかもしれません」
「そうか…」
アルコルもまた兄である王太子の気持ちに気付いていたのかもしれなかった。
「スピカ嬢達も王太子殿下を救出に向かっている…おそらくもう学園へ向かっているかもしれない」
「急ぎましょう…スピカが心配です」
不安に急かされるように足を早くしたミモザは、前を走るアルコルとメグレズの背を見失わないよう走るスピードを上げた。
息が切れそうになった頃漸く地表に出たミモザ達は、隠してあった馬を使いすぐに学園へ向かった。
重く垂れ込めた黒い雲が陽を覆い隠し、強くも弱くもない風が吹いていた。身を切るような冷たさに外に出たことを実感した。学園は普段の姿が嘘のように静かで、人の気配がしない。誰もいない正門を潜り星の庭を目指して走る。聞えるのは葉擦れの音と自分達の足音だけだ。
「これは一体…」
「皆はどこへ…」
異様な光景と雰囲気に飲まれそうになり、不安に竦んでしまいそうになる足を必死に動かす。
「今は先を急ごう…スピカ嬢達が心配だ…」
「はい…」
いくつかの校舎を通り過ぎ、最奥である星の庭を目指す。冥王が復活してから星の花が咲き乱れたままのそこは、そこだけ雪が積もったかのようだ。
庭に足を踏み入れたミモザは、星の花の中に立つスピカ達の姿を見つけた。
「スピカ!」
「ミモザ様…!どうしてここへ…」
「友達を助けるのに理由が必要?」
「っ…でも…」
「私は七騎士ではないけれど、何かの役には立つはずよ」
「ミモザ様……ありがとうございます…」
スピカが無事なことにホッとしつつ、周囲を見渡すとフェクダやアリオトだけでなく彼等と話すアルカイドの姿も見つけた。
「アルカイド様!戻ってきていたのですね」
「サザンクロス嬢、無事だったか…あぁ、ついさっき着いたばかりだが…」
「イーター伯はなんと…サザンクロスはどうなったか聞いていませんか!」
「親父殿は既に行軍の準備をしていたようだ。落ち着け、もうサザンクロスへ向け出立している。国境ではあのメイドの父親だという元冒険者とその仲間が善戦していると斥候から聞いた。すぐに俺は取って返してきたからそれ以上は分からないが…悪いばかりの状況にはない筈だ」
「そうですか…いいえ、ありがとうございますアルカイド様。貴方の…イーター伯のご助力に感謝いたします」
「あ、あぁ…」
アルカイドから聞いた国境の戦況に少しだけ落ち着いたミモザは、今できる最大限の礼として頭を下げた。
(アリア…カペラ…ルガス爺…どうか皆無事でいて…)
戦闘に関わっている彼女達だけではない。サザンクロスに残してきたアクルや義母、そして仕えてくれていた使用人達、領地の民も。心配が尽きることはないけれど祈らずにはいられない。
「兄上!ご無事で良かった…」
「アル……あぁ、お前も無事だったか…良かった…!!」
すぐ傍ではアルコルと助け出された王太子が再会を果たしていた。
「兄上…そのお怪我は…!?」
「あぁ…大したことはない。お前が捕らわれたと聞いたときに…力ずくで出ようとしてドゥーベに返り討ちにあっただけだ…尤も大分手加減はされていたようだが…気付いた時には幽閉され身動きが取れなくなっていた」
「兄上、姉上はご無事なのですかっ…」
「タニアも無事だよ。事が済むまで避難させた学園の生徒達を宥めていてくれる筈だ」
「姉上が…そうですか」
だから誰も人がいなかったのかと納得する反面、城からどうやってここまで逃げ出すことができたのかとも思う。
「城の中は静まり返っていて…皆眠らされていたんです」
ミモザの疑問を察したかのようにスピカが答える。
城の中にやはりドゥーベの姿はなく、城に仕える人間達は全員が眠っていたとのことだった。
「やっぱり…ドウは誰かを傷つけることを望んでいる訳じゃないんです…良かった…」
「スピカ…」
相手の考えていることが分からず不安な中で、それでも一つの光を見出したようなスピカの目に涙が浮かぶ。
「………」
そんなスピカの姿を目を細めて切なげに見つめた王太子は、ゆっくりとスピカに歩み寄ってその肩を叩く。
「…彼を探そう。皆で力を合わせれば、君の言葉を彼に届けることが出来るかもしれない」
「王太子様…はいっ…ありがとうございます…!お願いです、皆さんの力を私に貸してください…!!」
「あぁ!」
「勿論だよ~」
「戦闘は任せろ」
皆がスピカの言葉に頷いた時、ざぁっと強い風が星の庭を吹き抜けた。
「茶番は済んだか?」
ミモザ達のいる場所から少し離れた所に突然姿を現したドゥーベに、ピリピリと空気が張り詰める。
「ドウ…」
「力を貸して、か…それで俺を倒すつもりか」
「ううん、ドウじゃなくて…貴方の中にいる冥王を倒しに来たの」
「同じことだろ」
凄んだドゥーベの魔力に気圧されるように、酷く体が重くなったように感じる。
「違うっ…ドウはこんなことする人じゃない…!お願いドウ…私の話を聞いて」
「話なんかないさ…俺とお前は敵同士、それ以外ないんだから」
「違う、私は天使なんかじゃない…ただのスピカだよ。そしてあなたもただのドウだよ。私の幼馴染で、優しい」
「っうるさい!!」
振り下ろされた腕から衝撃波のような魔法が放たれる。
「スピカっ!?」
「っぅ…!!」
スピカの頬を掠めた魔法は風に溶けるように霧散したが、その頬からは血が一筋流れ出た。
「スピカ!!」
「スピカ嬢!!」
「待って下さい…!!」
思わず駆け寄ろうとしたミモザ達を制したのはスピカだった。
「一人で大丈夫です…お願い、一人で行かせて下さい」
「でも傷がっ…!!」
「大丈夫です…私…ドウを信じるって決めたから…」
振り返って笑うスピカの顔にははっきりとした決意が浮かんでいた。
「何をごちゃごちゃと…俺を倒さない限り城の連中は目覚めないぞ」
「もうやめて、ドウ…貴方はそんなことする人じゃない」
「…何を言ってるんだ?」
その言葉に反応を示さず、ざわりと魔力を練り上げたドゥーベは正面からスピカを睨みつける。
「何を思い上がればそんな風に思えるんだ?頼めば止めてくれると?それともまだ俺に守ってもらえるとでも?」
「そうだね…私ずっと貴方に頼って甘えてばかりだった」
「自分の力で立とうともしない」
「うん、傍に居るのが当たり前だったから…でも当たり前なんかじゃなかったんだ」
「重たいんだ。存在も、何もかもが目障りなんだよ」
「ごめんね…それでも私……貴方が好きなの」
「何を…っ」
ドゥーベを見据えて言い切ったスピカは一歩を踏み出す。
「っ…来るな…」
「ドウ、一緒に帰ろう」
「黙れっ」
「っ!!」
振り払った腕から放たれた魔法がスピカのすぐ近くの地面を削った。
「スピカ…っ…」
「駄目だ…!」
スピカを守ろうと動きかけた全員を止めたのは王太子の声だった。とび出そうとしたミモザもアルコルに腕を掴まれその場に留められる。
「でも…!」
「スピカ嬢を信じよう…今ドゥーベに必要なのは彼女の声だ」
「っ…」
そう言った王太子自身も白く色が変わるほどきつく拳を握り締めて耐えていた。必死に飛び出さないよう抑え込むその様子に誰もが言葉を噤む。
「今更何を言ってるんだって思われるかもしれないけど…私ずっとドウが好きだった」
「っ…そんなの嘘だ」
「嘘じゃない…困ってるときいつも手を差し伸べてくれる優しい貴方が好き。辛いときただ黙って傍に居てくれる穏やかな貴方が好き。できないことも文句も言わず付き合ってくれる面倒見の良い貴方が好き。大変な仕事も、誰かのために率先して引き受ける強い貴方が好き。私の事も、家族も、あの村のことも全部全部大事に考えてくれる貴方が大好き」
「そんなのはお前が勝手に抱いてる偶像に過ぎない!さっきも言っただろ、そういう甘ったれた考えが大嫌いなんだよ!!」
「うん…ずっと私はドウのこと理解していなかったのかもしれない。ドウが居なくなってはじめてドウが沢山悩んでたことに気付いた…本当にごめん」
「来るなって言ってるだろう!!」
再び放たれた魔法がスピカのすぐ傍を通り過ぎ、足元の星の花弁が舞った。
「私分かったよ、ドウが私にわざと倒されようとしてること」
「ふざけるな…まだそんなことを」
「だってさっきから攻撃が外れてばっかりだもん」
「っ…」
「魔物をけしかけることだって今の貴方には出来るはず」
「っ…来るな…!!」
「っう…!」
一歩ずつドゥーベに近付いていたスピカは、肩と足を掠めた魔法に顔を顰め足を止めた。じわりと滲む赤い色を一瞥しまた歩みを進める。
「ほら、今だって私に当てる気ならできたでしょう?」
「やめろ、来るな…!!」
「いやよ、私、ドウが一緒に帰るって約束してくれるまでやめない」
「っ…」
一歩も引こうとしないスピカにドゥーベが怯む。
「何故っ…どうして…」
「そんなの決まってる。ドウとまた一緒にいたいからだよ」
スピカの言葉にドゥーベが苦悶に顔を歪ませる。傷付いた片足を引き摺るようにして、一歩、また一歩と近付いていたスピカはもうドゥーベの目の前までたどり着こうとしていた。
「まだ…分からないのか…」
「分からないよ。そんなの分かりたくもない」
「そうか……なら……」
「!」
度重なるスピカの言葉に悲痛な面持ちのまま、諦めたように息を吐いたドゥーベは懐からナイフを取り出す。
「やっぱり最初からこうしておけば良かったんだ…お前が手を下さないなら、嫌でも筋書きを作るしかないって分かってたのに」
「っやめて!!」
振り上げたナイフを自らに突き立てようとしたドゥーベに、咄嗟にスピカがその懐へ飛び込む。
「スピカっ!!」
最悪を想像してミモザは悲鳴を上げて手を伸ばす。ドゥーベの驚いた顔も、振り下ろすことを止められない手もスローモーションのように。間に合わない。誰もがそう諦めかけた瞬間、光が弾ける。
「っぐあ…!?」
「っ…!?」
カッと、一瞬で辺りを白に染め上げた光に視界を奪われる。眩い光の氾濫の中で、スピカの背から彼女を守るように広がった透き通った白い翼に、ドゥーベの掲げていたナイフが崩れ落ちるのが見えた。
「…っ…天使…様……?」
その光景にミモザは呆然と呟く。背に羽根を負ったスピカは伝承の天使のようだ。
強い光の力に地面に膝をついて蹲るドゥーベの目の前で、同じように膝をついたスピカはドゥーベの胸を力なく叩く。
「どうして…何でだよ…何で邪魔をするんだ!!さっさと俺を見限って殺せよ!!お前の幸せはっ…王太子様とここで暮らすことだろ…!!ここにいれば国を救った英雄だと人々に感謝され傅かれてっ…薄汚れた仕事なんかしなくても、綺麗な服を着て、何不自由なく暮らせるんだぞ!!」
「ドウは馬鹿だよ…綺麗な服を着て、毎日仕事もせず優雅に暮らすことが私の幸せ?本当にそんなことが私の幸せだと思ってるの?」
再びスピカは腕を振り上げてその胸をどんと叩く。
「私、あの村が大好きよ。小さくて、田舎で、人よりも家畜の数の方が多いような村だけど…私いつかはドウのお嫁さんになってずっとここで暮らして行くんだなって思ってた…私の家とドウの家の真ん中に小さいけどお庭のついた家を建てて、その庭で羊を飼って、放牧から帰ってくるドウをご飯を作って迎えるようになるのかなとか、子供は三人ぐらいいたらいいなぁとか、勝手に夢見るくらいには…あの場所で貴方と過ごす未来を楽しみにしてた…一生村から出られなくたって別に構わなかった。だってあそこには貴方がいたから」
「っ…」
「勿論、学園へ来ていいこともあったよ…こんな私を友達だって言ってくれた人に出会えた、七騎士の皆にも沢山親切にしてもらった…けどドウがいなきゃ駄目なんだよ…それなのにっ…貴方は私のためだと言って自分の命まで使おうとする…!!どうして一緒に居てくれないの…私の幸せを…私の気持ちを勝手に決めないでっ…!」
「っ…俺は…お前のために…」
「ドウはずるいよ…私のためってそればかりで、全然自分の気持ちも教えてくれない」
「俺は…」
自分の胸を叩くスピカを抱きしめることも出来ず、腕を下ろしたドゥーベは呆然と呟く。
「……もう遅い…俺は……」
「まだ遅くないよ…」
「だって、俺は…沢山間違えた…もう元には戻れない…」
「まだよ、まだ遅くない…だって私も貴方も生きてるもの」
「!」
顔を上げたスピカの、その強い眼差しに射抜かれたようにドゥーベが息を飲む。
「必ず助けてみせる」
「スピカ…」
「…やっと私の名前を呼んでくれた…っ…ふふ…」
「っ」
くしゃりと泣きそうに顔を歪めたドゥーベと、嬉しそうに笑ったスピカの姿を見届けて、ミモザも胸の前で握り締めていた手をそっと解いた。力を入れていたせいで痺れた手に血が通ってじんじんする。
(…スピカ…)
当事者でないというのに、じわりと浮かんだ涙を零すまいと目を閉じて頭を振る。すぐ横でアルコルに苦笑された気配がしたが、恥ずかしかったので気付かない振りをした。
「待ってて、今浄化の魔法を…」
「っ……う…ぐ…あ…」
「ドウ?…っきゃ…!?」
ドゥーベが急にスピカを突き飛ばして二、三歩と後ずさる。よろける様にスピカから距離を取ろうとするドゥーベからは黒い魔力が目に見える形で溢れ出して、周囲の星の花を枯らしていく。
「ドウっ…」
「ぐぁ…あぁあっ…!!」
「ドゥーベ!!」
「魔力が溢れている…制御できていないのかっ…」
近付こうとするスピカから必死に遠ざかろうとするように奥へ行こうとするドゥーベにスピカも手を伸ばす。
「っ…ドウ…今助けるから…!!」
「皆スピカ嬢に魔力を集めるんだ!!」
スピカの周囲に淡い金色の光が溢れる。その光に呼応するように星の花が揺れ、庭全体を包むようにその金色の光が広がっていった。
「お願い…私の中にいる天使様…私に力を貸して…!」
「…勇者シリウスの名の元に、星よ未来を望む者達の標となれ…!」
七騎士やミモザ達夫々が魔力をスピカに集めて、王太子が勇者の魔法を発動させた後、その大きな金色の光はドゥーベを包み込み輝きを増す。
「あぁあぁ…!!」
「っ…ドウ…必ず…助けるからっ…!!」
もがき苦しむドゥーベの姿にスピカの顔に焦燥が浮かぶ。
「っ…どうして…どうして…浄化できないの…?」
「諦めるなっ…ここで止めたらもう彼を救う手立てはない…!!」
「そうだよスピカさん」
「あぁアイツも大事な仲間だからな…」
「王太子様…みんな…っ…はい!!」
スピカ達が魔法を維持している間、光の中でもがき苦しむドゥーベの声に重なるように、ミモザはもう一つ声が聞えることに気がついた。
『うぁ…あぁ…』
「この声は…」
『折角ここまできたのに…いやだ…いや…消えたくない…』
「ミモザ?」
「何か声が…」
『一人ぼっちはもう嫌だ…!!』
「何も聞えないが…」
「………」
すぐ隣にいるアルコルには聞えない声。泣き声に近いその声が酷く胸を締め付ける。
「…レモン?」
口に出してしまえばそうとしか思えないほど、レモンに似ているその声の主を探す。けれど辺りにはそんな姿は見えなくて。
「っ…」
もし自分にしか聞えないこの声がレモンのたった一人の兄弟のものだとしたら。
消えたくないと、一人ぼっちは嫌だと願うその心が浄化を阻んでいるのだとしたら。
「……おい」
「っ!」
いつの間にかすぐ後ろにいたレモンに肩を跳ねさせる。黒色のレモンは白い星の花の間でそこだけが別の世界のように目立っていた。
「俺の暗示を解け」
レモンの黄色い目がミモザを見据える。
「暗示を…?」
「アイツをあの男からどうにか引き剥がさなきゃ浄化はならない。俺が、ラムエルを抑える…でもこの姿じゃ押し負ける…だから俺を元に戻しやがれ」
「でも…だってあの子はあなたの…っ」
悲痛な叫びは今もミモザの耳に聞えている。たった一人の兄弟だと言っていたではないか。大事な片割れが消えることを、それに手を貸すことをどんな気持ちでレモンは口に出したのだろう。
「お前にも聞えてるんだろ、アイツの声が」
「っ…」
「だったら分かるだろ」
「もう楽にしてやってくれ」と頭を垂れたレモンを、ミモザはしゃがみこんで抱き上げる。
「っ…ごめんなさい…ごめん、なさい…レモンっ…」
「何でお前が泣くんだよ…」
「だって…こんなの……」
叫び声を聞いていたら分かってしまった。ラムエルはきっと寂しかったのだろう。方法は間違っていたけれど、その行動の根幹にあるのが寂しさなのだと知ってしまったら、誰も恨むことも責めることも出来ないと思った。
「やり直すために必要なことなんだ。ラムエルのためにも」
「やり直す…」
「急げ…アイツ等が持ちこたえてるうちに…俺がばしっとラムエルを抑えてやるから、さっさと暗示を解きやがれ」
「…っ…わかった…」
鼻を啜って涙を腕で拭ったミモザは顔を上げる。
「…レモン、暗示は解くけど…約束してね」
「何だよ、暗示を解いたら俺が敵になるかもって?」
「違うわ、そうじゃなくて……居なくならないでね、必ず…必ず戻ってきてね」
「………上等」
ミモザが目に力を込めた瞬間、腕の中のレモンの体が大きな黒い靄になって飛び上がる。
「っ…レモン…!!」
黒い形のない靄はそのまま光の中へ飛び込んで、そこで苦しむドゥーベへ体当たりするようにぶつかった。
『見つけた!』
レモンのそんな声が聞えた瞬間、浄化の光が爆発的に輝きを増した。
「ぐああぁあぁぁっ!!」
「っ…ドウ…!!」
目を開けていられないほどの閃光に瞳を閉じる瞬間、そこに見えたのは見知らぬ黒髪の青年と、その手を握る今空から降りてきたように空に浮く白い羽を持つ女性の姿だった。
「っ…」
「く…」
ミモザもアルコルに庇われながら光が収まるのを待った。瞼の裏が真っ白に焼けて、おそるおそる目を開けて何度か瞬きをしながら周囲を見渡す。
魔力の収束に合わせて光が霧散し、風が巻き起こる。星の花弁が空に舞ってまるで雪が降っているようで。
その景色の中、倒れたドゥーベに駆け寄るスピカの姿や、お互いの無事を確認しあう七騎士の姿を見て、ミモザはゆっくりとアルコルの手を借りて立ち上がる。
「っ…」
震える足を自分の手で叩いて活を入れる。なんとか踏み出した足を小さな声が聞える方に向けた。
『いやだ…一人で、消えたくない…』
『一人じゃないさ、俺がいるだろ』
『だって、お前は帰ってきてくれなかった…』
『違う、お前が来なかったんだ……俺は何度もちゃんと呼んだだろう?』
『………』
『一緒に行こう』
『…本当に?今度は、本当に一緒にいてくれるの?』
『あぁ、兄弟だもんな』
『っ…』
『今度は』
『うん…今度こそ…』
ドゥーベ達の傍を通り過ぎ、その後ろ側に小さな一つだけ残った黒い塊を見つけたミモザはぺたんとしゃがみこむ。花弁が上っていく空を見上げていたその黒い影もまた、透き通って光の中に溶けるようにその存在を今にも消そうとしていた。
『さよならだ』
「…レモン…レモンのばかっ…嘘つき…!!消えないって言ったじゃない!!」
地面についた手で土を握り締める。爪の間に入った土の冷たさが、頬を伝った涙の熱さを際立たせた。
『消えないさ、まっさらになってまた生まれるときを待つんだ』
「そんなのへ理屈じゃない…!!戻ってくるって…約束…っ…」
『あぁ…何年か何十年か何百年か…いつかは分かんないけどな』
「…っ…百年後なんてもう私は生きていないわ…」
『それでも嘘はついてない』
「…レモン…っ…」
後ろで揺れる星の花が透けて見えるほど、もうほとんど原型を留めず黒い影の輪郭は崩れていた。
『行かなきゃ…アイツが待ってる』
「レモン…っ…」
『…それと…お前もちゃんと約束守れよ』
「あぁ…」
いつの間にか後ろに来ていたアルコルにレモンが言う。
「約束…?」
二人の間でいつの間にか交わされていたらしいそれにミモザが聞き返すと、レモンは「こっちの話だ」と言って最後に笑った。
『割と楽しかったぜ』
「っ…いや…レモンっ…待って!!」
『じゃあな、ミモザ』
「レモンっ…!!」
ぱちんと光の玉が弾けるように黒い影は完全に霧散する。空気に溶けるよう空に上っていく光の粒子が見えなくなってしまったのにミモザは俯いて声を上げて泣いた。




