母の教えその28「無駄なことなんて一つもない」
薄暗い部屋に響いたノックの音に伏せていた顔を上げる。「失礼します」と無機質な声と共に入室してきた侍女は、目の前に食事の載った皿を無言で並べていく。
「……ここから出して」
「………」
こちらの言葉に表情一つ動かさず何も言葉を返さないまま無言で頭を下げて踵を返す相手に、ミモザは立ち上がって侍女の後を追い入り口へ足を踏み出すが、すぐにその後ろにいた衛兵に前を塞がれてしまう。
「どいて」
「………」
目に魔力を込めてそう暗示をかけるも、相手が引くことはなかった。
「お戻りください」
「っ…ここから出して!」
「どうかお戻りください」
威圧するように言われて、侍女に腕を取られて後ろへ下らせられる。
「アリアはどこ?カペラは?」
「………」
ミモザの見知らぬ侍女はやはり何も言わないまま、衛兵と共に部屋を出ていった。
サザンクロスに着いてすぐに部屋に軟禁される形になったミモザは、この数日ずっと何とか逃げ出せないかと窺っては行動に移していた。しかしミモザの魔法は先程の侍女や衛兵には何故か効かず、味方になってくれそうなアリアやカペラとは会うことができないようにされている。魔法が効かないのはフェクダのように何らかの無効化の魔道具を持っているのかもしれない。ミモザの魔法がそんなに強くないものだと誤解している筈の父親が、そこまで徹底して警戒をしているなど思わなかった。もしかしたらミモザの魔法についてこの状況を作った誰かから何らかの情報を齎されていたのかもしれない。
魔法が使えないのであれば、物理的に逃げ出せないかとドアや窓を調べたが、扉や窓には鍵がつけられ開かないようにされていた。たとえ鍵を開けたとしても部屋の前には衛兵が見張りについているらしい。
顔見知りの使用人たちはミモザの部屋には近付かないように言われているのかもしれなかった。助けを求めて窓から庭を見ていたが、いつも庭を整備していたルガス爺の姿も見えない。見下ろした窓の外にも衛兵の姿が見えて、ミモザは窓の外から目を逸らした。
「アクルはどうしているかしら…」
この屋敷にはアクルもいる筈だが、アリアやカペラ達と同じく一度も会えていない。きっとミモザに近付かないよう父や義母に止められているのだろう。
魔法も使えず、自分の力で逃げ出すことも叶わず。
「…っ……」
今頃皆はどうしているだろう。
スピカは。
メグレズは。
そしてアルコルは。
あの瞬間の連れて行かれるアルコルの後姿が頭に焼き付いている。
握り締めた拳を額につけてしゃがみこむ。自分の無力さに忸怩たる思いだった。
そうしてどのくらい蹲っていただろう。ふと部屋の外が騒がしいことにミモザは気がついた。窓の外は陽が傾きはじめている。じっと耳を澄ますとすぐに屋敷中が物々しくなり、漏れ聞える声は緊迫を帯びていた。
(何が起こったの…?)
部屋から出られない以上、聞き耳を立て様子を窺うしかない。
「……もう、ここも……」
「ハダルが……」
「っ…」
使用人の誰かの「ハダル」という言葉にミモザははっとする。
国境で何かが起きているのだろうか。
そして学園でクラスメイトが言っていた言葉を思い出して息を飲む。
『ハダルとの国境で戦闘が起きているというのは本当ですの?』
(まさか本当に戦闘が起きているの…?)
あの時、父親が言っていた「猶予もない時に」というのはこのことだったのかとミモザは思い至る。漏れ聞えた話を聞いているだけでは規模は分からない。小競り合い程度なら話し合う余地があるかもしれない。けれど戦闘が大小に関わらずここで対応を一歩間違えば、ハダルとの大規模な戦争に発展する可能性もある。
国境が侵されている今、すぐに国として対策を取らなければ国同士の衝突に発展し、国民に被害が及ぶだろう。けれど今王城は全く機能していない状態であろう。あの父がそうならないように動いていると思いたいが、ここから出ることができないミモザではそれを推し量ることはできなかった。
「っ…」
父親がミモザをここに連れてきたのは、ハダルへの牽制に使うためかもしれなかった。それほどまで事態は逼迫しているということなら、父親の目が国境に向いているうちに抜け出せるかもしれない。けれどミモザがいなくなったことでハダルを踏みとどまらせる理由がなくなってしまうのはまずい。しかしこうして国がごたついている間に、アルコルがやってもいない罪を無理矢理被らされるかもしれないと思うとじっとしてはいられなかった。
「アルコル様…っ…」
ぐっと拳を握って立ち上がる。
「っ…私をここから出しなさい!!」
入り口まで歩いて、その閉じられた扉を思い切り叩く。
「誰かいないの!ハダルとの戦闘が起きているなら私が特使として相手方と話をするわ!!お婆様の血を引く私なら役に立つはずよ!!出しなさい!!誰かいるんでしょう!!お父様にそう伝えなさい!!」
ガンガンと何度も扉を叩きながら声を張り上げる。
(何もしないでなんていられない…!!)
とにかく外へ出なければ。国境の戦闘を収束させない限りミモザの置かれた状況が変わらないなら、少しでも早く収束に向かうよう動かなければ。
「ここから、出し…!!」
「お姉さまっ!!」
「!?…アクル…!!」
振り下ろした拳を扉に打ち付けるより早く、目の前の扉が開かれて飛び込んできたのはアクルだった。
「お姉さま…お姉さま、良かった…会えた…!」
「アクル…っ」
ミモザに抱きついたまま目を潤ませて見上げてくるアクルに、ミモザも肩の力を抜いてその震える背中を撫でた。
「私っ…何度も会いに行こうとしたけれど、お父様が部屋から出してくれなくて…!」
「いいのよ、仕方ないわ、貴女のせいじゃないもの」
「ごめんなさい」と何度も謝るアクルに、ミモザは背中を擦りながら尋ねる。
「けど、それならどうしてここに来られたの?」
「メグレズ様が出してくださいましたの!」
「えっ」
「……すまない、入っても良いだろうか?」
「メグレズ様…!!」
開け放たれた扉の影から姿を現したのはメグレズだった。そしてその腕には。
「レモン…!!」
ぐったりとメグレズの腕に抱えられるように手足を投げ出したレモンの姿があった。
「そんな…っレモン、どうして…こんな…!!」
メグレズから抱き渡され、腕の中でぴくりとも動かないレモンに、ミモザはぽろりと涙を零す。
「……死んでない、勝手に泣くな」
「レモン!!」
最悪を想像したミモザに精一杯強がったように言ったレモンは、弱々しくその黄色の目を開けた。
「ほ、本当に、大丈夫なの…?レモン、何があったの…?」
「……冥王様が復活した」
「!!」
レモンの言葉にミモザとアクルが息を飲む。メグレズはレモンからもう聞かされていたのかもしれない。その翳った表情がその言葉が嘘ではないことを物語っていた。
「どうして冥王が復活したと言い切れるんですの…?」
肩を震わせ、青い顔でアクルが問う。
「…ミモザ嬢が侯爵に領地へ連れて行かれた後、あの場でドゥーベが示したらしい…自分こそが冥王の生まれ変わりであると」
「そんな……」
そんなこと母の日記には書かれていなかった。大団円ルートの記載に冥王の存在が示されてはいたが、その正体がドゥーベだとは母も言っていなかった筈だ。
(もしそれが本当なら、スピカは…っ…)
それを聞かされたスピカは今どうしているのだろう。スピカの心境を思うと無意識にレモンを抱く腕に力が入る。
「っ…何かの間違いではありませんの?だって、ドゥーベはスピカのことを…!!」
「…俺も、俺達も嘘だと思いたかった。けれど、そのドゥーベによってメラク様とアルカイド様は操られ、スピカ嬢に危害を加える寸前だったとフェクダ先生から聞いた…」
「そんなっ…スピカは、スピカは無事ですの!?」
「大丈夫、フェクダ先生と、アリオトさんが城から連れ出してくれた。今は学園で、二人と一緒に王太子様を何とか助け出せないか探ってくれている」
「スピカ…」
「…俺はアルと引き離された後、一度学園へ戻ったんだ。そこで傷付いたレモンを見つけた」
「メグレズ様、アルコル様は今どこに…」
「…地下牢に幽閉されているらしい」
「そんな…!!」
証拠がある訳でもなく、嫌疑のかかっている状態だというだけで、王族が投獄されるなどありえない。国王が臥せっている今、他の誰かの権限でそれができるとも思えない。
「今…城の者達は全員、冥王の支配下にあると言っていい」
「っ…どうにかすることはできないのですか?」
「スピカ嬢の…天使の力だけでは無理だろう…せめてミザール殿下が協力してくだされば…」
ミモザと同じようにアルコルが捕らえられているのが無念でならないのだろう。メグレズもまた唇を噛み締めた。
「ミザール殿下なら、王家に伝わる勇者の魔法を使える筈だ。だからこそ、その身の自由を奪われているんだろう…あの後、王太子殿下と会うことも弁明も許されずアルは投獄されたらしい…フェクダ先生からそう聞いた。このままではやってもいない濡れ衣を着せられてしまう…」
「そんな…」
「メラク様の父親…宰相のベータ侯爵にも訴えたが、全く聞く耳を持ってくれない。国境の戦闘のこともさっきアクル嬢から聞いた。国王陛下がいない今、国境の有事に対応しなければいけない時だというのに、あの人をはじめ、城仕えの者達は誰も動こうと…いや、動けないようにされていると言った方が正しい」
「アルコル様…っ…」
たった一人、弁明することも叶わず地下牢へ囚われたアルコルの身を思うといてもたってもいられない。
メグレズの言うとおり、城の人間達を先導しているのが人ならざる力を持つ冥王ならば、いくら身の潔白を訴えたところでなかったことにされてしまうだろう。
「俺と一緒に城へ来てほしい」
「城へ…?」
「君は城下で待っていてくれればいい…今の状態ではアルがどれだけ無実を訴えても罪を着せられてしまうだろう。俺がアルを城から助け出す。君はアルと一緒にそのまま国外へ逃げるんだ」
「メグレズ様、それは…」
「お姉さま…私がお姉さまの身代わりになるわ。だからメグレズ様と一緒に城へ行って…!」
「アクル何を言っているのっ…そんなこと駄目よ!そんなことさせられない!!お父様にばれたら何をされるか分からないわ!!」
「お姉さま…っ…このままここにいたらもう殿下に会えなくなってしまうかもしれないのよ…!!」
「もう会えなくなるって…どういうこと?」
父がミモザを隣国との交渉に使うためにここに連れてきたのは何となく想像ができる。ミモザ自身も戦闘を収束させるためならば交渉の場に着くことに異論はないが、アクルの言おうとしていることはそれとは違う気がする。
「アクルの言う通りよ」
意を決したミモザが扉の外に声をかけようとした瞬間、その影から遮るように声が上がる。
半開きだった扉の影からその姿を現したのはどことなく焦った様子の義母だった。
「お義母様…」
「間に合わなくなる前に…っ」
「え」
「ここから逃げなさい、今すぐ…!」
普段とは違う様子の義母に真意を測りかねていると、部屋の中に入ってきた義母はミモザのクローゼットからドレスと、昔着ていたお仕着せを出して、そのお仕着せの方をミモザに押し付けた。
「これを着なさい!」
「お義母様!?一体何を」
「アクル、貴女はこっちよ」
「は、はい」
「貴女はここにいてはいけないわ…今すぐその服を着て王子の従者の方とここを出なさい」
「!」
てっきり父からミモザをここから出さないように言われているのではと思っていたが、それとは真逆のことを言われて、追いつかない思考と共にミモザは動きを止める。
「何をぼーっとしているの!!早くなさい!!」
「っ…ま、待ってお義母様…私は国境に…!!」
「もうそんな悠長なこと言ってる場合じゃないのよ…!!」
酷く焦った様子の義母が叫ぶ。
「さっき、旦那様から伝令がきたわ…貴女を…ハダルの王太子と婚約を結ばせ、戦闘を終らせるつもりだって」
「それは…侯爵も国の…王家の意思を通して難しい判断を迫られているのだろうとは思う…けれど侯爵は陛下のご意思を無視なさるおつもりか…!!」
「違う!!違うわ…!!もう仕方のない事なのよ…最初は小競り合いだった国境の戦闘が、今では戦争の一歩手前まで来ている。戦力は拮抗していて武力で鎮圧することも叶わず、裏で糸を引いている戦争推進派を見つけることも出来ず、もう無理矢理婚姻でも結ばない限り互いに剣を収められない状況で…!!あの人は何度も隣国へ赴いては手を尽くしてきた…けれど、交渉は上手く行かず…王家や議院へ伺いを立てても、内乱騒ぎのせいでまともな返答は来なかった。隣の領地に援軍を求めても、王家からの命令でない限りは動けないと言われた。誰にも相談することも…助けを求めることも出来ず…日に日に憔悴していくあの人を誰も責められないでしょう…!?」
「確かに戦闘がなかなか鎮圧できなくて…停戦交渉が上手くいかない事にお父様は最近とても苛立っていたわ…だからってお姉さまを犠牲にするというの…?お父様は…どうしてそんなことができるの…!!」
「っ…そう、させてしまったのは…私よ…詰るのなら私になさいアクル…」
ミモザにお仕着せを押し付けていた腕が力なく下に落ちる。よく見れば髪はほつれて、目の下にも隈ができている。肩が落ちているせいか、以前よりも小さく見えるその姿にミモザは息を飲んだ。
ハダルの王位継承者で有力なのは、穏健派の第一王子と戦争推進派の第二王子。父が交渉をしている相手は穏健派の第一王子側だろう。しかしおそらく今国境で起こっている戦闘の糸を引いているのは戦争推進派の第二王子側。ハダルがこの国への侵攻を躊躇う大きな理由はミアプラ王女の血を引く母やミモザにあった。婚姻関係に基づく友好条約を結びたいハダルの穏健派と、抑止力を失いたくないわが国、それぞれの立場が状況を複雑にしていた。
それほどまでに国境の情勢が拗れていたなど理解しているようでわかっていなかったのかもしれない。自分の知らないところでこの身が交渉の材料として大きく影響していた事実に言葉が上手く継げなくなる。どうしてさっさとミモザをハダルの交渉に使わないのかと思っていたが、そういった事情もあったのかと、上手く働かない頭で他人事のように理解した。
「…あの人は今国境のことで手一杯で、この屋敷で起こったことにすぐには気付かないわ。もし戻ってきても私がうまく誤魔化せば時間稼ぎにはなる筈よ…ミモザ、今のうちにお行きなさい」
「どうして…」
どうして義母はミモザを逃がそうとしてくれるのだろう。もしさっき義母の口から漏れたことが本当なら、父に習ってミモザを国境へ送れば済む話だ。
真意が分からず、ただ押し付けられたお仕着せと腕に抱えたレモン落とさないようにぎゅっと胸に抱いたミモザは義母から一歩遠ざかる。
「そうね…いきなり手の平を返されても疑うだけよね…」
きっと険しい顔をしてしまっていたに違いないミモザは、義母が寂しそうにそっと目を伏せたのに困惑する。
「私は自分が幸せになることしか考えてこなかった。そのせいで誰かが辛い目に合っても構わないと思っていた。それがおかしい事だと、なんて惨い考えだったんだろうと気付いたのは…そうね、丁度その子が家に来た頃かしら…」
「……っ…」
ミモザの腕の中のレモンを撫でようと伸ばされた手に、びくりと肩が竦む。
そんなミモザの様子に気付いた義母はそっと手を戻した。
「…気付いたところで、あの人に異を唱えることもせず、貴女に素直に詫びることも出来ず…こんな状況になっても、あの人に逆らえない私は結局昔と何も変わっていない」
「お母様…」
いつも以上に小さく見える義母の姿に、アクルが心配そうにその手を取った。
「追い詰められたあの人は、もう貴女の婚姻という手段を取ると決めてしまった。今起こっている戦闘は止まるけれど、わが国は今後のハダルへの牽制を失う。そうすればあの人は王家から責められるでしょう。だから私は”私の一存”で貴女を逃がす。そうすればあの人は…」
「お義母様…」
「…まだ私を……貴女は…」
小さく頭を振った義母はアクルの名を呼び「ごめんね、貴女にこんなことを頼んで」とアクルを抱きしめた。
「っ…お母様…ううん、私最初からお姉さまの身代わりになるつもりだったの、そのためにここに来たのよ」
「アクル…けれど私は…」
「お姉さま…私は大丈夫!お父様にちょっとぐらい叱られても全然平気よ!」
「アクル…」
「だからお願い、行ってお姉さま」
「俺からも頼む…アルも君も俺にとっては大事な友人なんだ」
メグレズがアルコルの事だけでなくミモザの事も大事な友達だと言ってくれたことも、アクルがこんなにも必死にミモザの幸せを想って逃がそうとしてくれていることも嬉しかった。
アルコルのことを思うとメグレズやアクルの言葉に縋ってしまいたかった。アルコルにもう会えなくなるかもしれないと考えただけで身が引き裂かれそうに苦しくなる。会いたい。何も考えず二人で逃げてしまえたらどれほどいいだろうとも。それでもアクル達を危ない目に合わせてまで行けないと思う。
「メグレズ様…アルコル様はそれを望むと思いますか…?身の潔白も示せないまま逃げることを?大切な人たちの暮らす国を捨てて行くことを?」
「それは…」
「親友である貴方を危険な目に晒して、自分達だけ逃げることを良しとする人だと思うのですか?メグレズ様だって分かってるでしょう?」
「っ…アルは頷かないかもしれないな…けど、だから、君に一緒に来て欲しい…ミモザ嬢がいれば、アルはきっと分かってくれる」
ミモザが縋ればアルコルは一緒に逃げてくれるかもしれない。けれどそれはきっとアルコルの望むことではないだろう。
たとえ逃げたところでドゥーベを止めなければ意味がないし、ドゥーベを止めたとしてもこの国が隣国に蹂躙されてしまっては元も子もない。けれど今行かなければ二度とアルコルと会えなくなるかもしれない。全てを放り出してアルコルの元へ行きたい気持ちと、この身を捨てることが国を守ることに繋がるのであればそうするべきなのではないかという気持ちがせめぎ合う。
「私…」
「迷っている時間はないですよ、お嬢様」
どうしていいか分からなくなって立ち竦んでいたミモザは、再びかけられた声にぱっと顔を上げる。
「アリアっ…」
「遅くなって申し訳ございません、お嬢様」
「お嬢様ぁああぁ!!ご無事だったんですねぇえ!!よがったぁああ…!!」
「カペラも…っ、どうしたの、二人とも、その格好…」
こんなときでも礼儀正しく頭を下げたアリアはまるで歴戦の冒険者のような格好で、いつものように感極まって泣き出したカペラもまた作業着に頭に逆さにした鍋を被っている。突然現れた二人にも驚いたが、それ以上に頭上の鍋のインパクトが強くて思わずぽかんと呆けてしまう。
「…ほら、やっぱりお嬢様も引いているわ。鍋を被るのは止めなさいって言ったでしょう?」
「だ、だって…私はアリアさんみたいに強くないからぁあ…せめて後ろでお手伝いできればと思って…!!」
「だから貴女は付いて来なくていいと言ったでしょう?」
「私だってお嬢様の役に立ちたいんでずうぅ…!!」
「あぁもう泣くんじゃないの」
「あ、アリア…?カペラ…?」
ミモザが呆然と名前を呼ぶと、ふっと我に返ったようにアリアがミモザの前で居住まいを正した。
「国境の戦闘は私達にお任せください」
「わ、私達って…何を言っているの…!いくら貴女が強くても駄目よ!!」
「流石に私一人ではありませんよ。今までこの屋敷を不在にしていたのは協力者を国境に集めるためでした…父の昔の冒険者仲間達です、きっとお役に立ちます」
「ルガス爺の…?でも…危険なことに変わりないわ、私は…」
「お嬢様」
尚も言い募ろうとするミモザの言葉を押し留め、アリアはそっとその肩に手を置く。
「お嬢様にはリディア様から受け継いだその力がありますね。その力はきっとご友人方を…王城の人たちも含めて冥王の呪縛から解放するための助けとなる筈です」
「アリア…」
「そもそも戦闘がこうまで長引いているのはわが国の中枢が冥王によって機能していないせいと、冥王の力による悪意の先導があるからです。王城の機能が回復すれば、国境の戦闘の収束に向けて我に返った貴族達が国を動かすでしょう。隣国にも協力者はおります。あちらも戦争を回避するために動いている筈です。要はその時間が稼げればいいのです。リディア様ではないのですから、無茶はいたしませんよ…ですから、お嬢様は心置きなく城へ行って、殿下を助け、スピカ様達と協力して冥王を倒して下さい」
「っ…」
本当に、行ってもいいのだろうか。
まだ迷いを捨てられないミモザの戸惑いを払拭するように、アリアは笑う。
「リディア様なら、こんな時きっと『お行きなさい』って、貴女の背中を押した筈だから」
「っ…」
「私からも言います。行って下さい、お嬢様」
「お嬢様っ…私もがんばりますから!!」
「アリア…カペラ…ありがとう…」
ぎゅっと目の奥が熱くなって、零れそうになった涙を堪える。すぐに泣いている場合ではないと思い直して、抱き抱えたレモンをそっとベッドの上に置く。
「メグレズ様…すぐに支度します。どうか私も城へお連れ下さいませ…!!」
「あぁ!馬をすぐに…」
「待って、正面では駄目よ!裏口に…そこの貴女…ええと、カペラ、案内なさい!」
「はいっ奥様!」
「お嬢様、はやくこちらへ…アクルお嬢様も…」
「わかったわ!」
それぞれが慌しく動き始めて、整っていく準備に酷く不思議な心地を覚える。
シナリオではアルコルやミモザと敵対する筈だったメグレズも、ミモザの事を嫌って虐げていたアクルや義母も、本来ならば会話どころか名前すら知ることのなかったアリアやカペラも。
今まで雲を掴むような気持ちで、ゲームのシナリオから逃れようと必死にもがいてきた。
自分のしてきたことが正しいことかどうかは分からないし、もしかしたら何も出来ていなかったのかもしれないと後悔することもあったけれど。今の皆の姿を見てきっと全部無駄じゃなかったんだと思えた。
「私…がんばって、良かった…」
「お姉さま?」
「ううん、何でもないの」
そう、まだ終わりではない。アルコルを助け、冥王を倒し、戦闘を終結させる。
絶対に諦めない。シナリオなんかに負けない。
(絶対、絶対、やり遂げてみせる…!!)




