閑話:天使の生まれ変わりと冥王の生まれ変わり
「いやっ…離して…!!」
呆然とドゥーベの顔を見上げていたスピカは、後ろから聞えたミモザの悲壮な声にはっと振り返る。
「っ…ミモザ様!!」
「だめだ、スピカさん、落ち着いて…」
「でもっ」
「相手は侯爵様だ…いくら君が訴えたところで、考えを改めてくれることはない」
「どうして、あの人はミモザ様のお父さんなんでしょう!?」
嫌がるミモザを無理矢理引き摺るようにして歩いていく侯爵の暴挙に、スピカは止めるアリオトの片腕を掴んで揺さぶる。
ミモザは何度もスピカのことを助けてくれたのに。穏やかで優しい彼女があんなに必死に声を荒げて嫌がっていたというのに、訴え出ることさえできないなんて。
「あきらめろスピカ、お前には関係ないことだろう」
「っ…ふざけないで!!」
降ってきたドゥーベの言葉に、スピカはカッとなって怒鳴った。
「友達なの!!ミモザ様は私を友達だって言ってくれた…!!関係なくない!!どうしちゃったの…?どうしてそんなことを言うの!?第二王子殿下がそんな人じゃないってあなただって知ってる筈じゃない!!」
「…王太子様が決めたことだから、俺はそれに従っただけだよ」
「嘘!!王太子様は第二王子殿下や陛下のことを大事に思っていたわ!!あの時だって、自分の浅慮な行動を悔やんで誠意をもって家族のことと自分のことを話してくれた。メラク様だって…自分の意思でこんなことをするなんて思えない!!みんな冥王に操られているのよ!!お願い…元に戻って…!!」
「……それは半分正解で、半分間違いだな」
「ドウ…?」
ドゥーベは一歩スピカに歩み寄ると、その手で頬をそっと撫ぜた。掌はそのまま肩に置かれたが、触れられたところが冷たくなっていく。気付けばその場に衛兵達の姿はなくなって、スピカ達の前にはドゥーベとメラクとアルカイドだけになっていた。
「確かに思考を奪い意のままに操っていることは認める。ただ、天使の加護を得た七騎士を操るなどいくら冥王でも本来はできないことだ。それができたのは、この人達の心に付け入るだけの弱味があったからなんだよ」
「っ…何を、言っているの…?っ…!!」
ぐっと肩に食い込んだ指に、スピカが顔を顰める。
「憧憬、責任、重圧、苦悩、焦燥…人の抱えた闇なんて外からは分からないものだよ。真面目な人間ほど陥りやすい。操るのは簡単だった」
「どういうこと…操るのは簡単って…ドウがやったっていうの…?」
「そうだ」
「嘘よ…そんなことあるはずない…!!」
「嘘じゃないさ。俺がやった」
「どうして、だってそんなことできる訳…」
「できるよ。出来るようになったんだ……冥王として目覚めたから」
「っ…!!」
ドゥーベの言葉に全員が息を飲む。
「ドウが…冥王…?」
「そうだよ」
「嘘よ…だってドウは、大事な友達で…仲間で…いつも私を助けてくれて…っ」
「それでも、冥王は俺だよ」
「いや!!そんなの信じられない!!」
「信じようと信じまいと、俺が冥王の生まれ変わりであることに変わりはないんだよ。スピカ、お前が天使の生まれ変わりであったようにね」
「っ…」
ドゥーベから齎された事実に、スピカは言葉を失くす。
信じたくない。認めたくない。
「いやよ…ドウはそんなことしない…!!」
「…その名前で呼ぶなよ。俺はもうドゥーベじゃない」
「っドウ!!」
「…あぁ鬱陶しいな」
「っ!?」
紫色のその目が細められ、ドゥーベの胸元に縋っていたスピカがその肩を突き飛ばされ後ろへよろめいた。次の瞬間、強い風のような衝撃波でスピカの身体は数メートル先の地面まで飛ばされた。
「きゃあぁっ!?」
「スピカさん!!」
「スピカくん!!」
地面に転がる形になったスピカにアリオトとフェクダが駆け寄る。
「スピカくん、怪我は…っ!?」
「っ…なんで…ど…して…どうし…て」
ドゥーベに初めて敵意を向けられたことに呆然として、スピカは地面に座り込んだまま動けなかった。
ずっと傍で笑って守ってくれた人。
誰よりも、大好きだった人。
信じたくなくて、冷たい視線を向けられているのが現実だと理解したくなくて。ドゥーベの顔を見ていられなくて、スピカは俯いて地面に涙を零した。
「っ…信じられないのなら、信じさせてやるまでだ」
スピカ達から視線を外し、横を向いたドゥーベはメラクとアルカイドに合図をする。
「なにを…っ!?」
「………」
ドゥーベの前に進み出たメラクとアルカイドは互いに剣を構え、その切っ先を互いに向ける。
「俺が命令すれば二人で戦い合わせることもできる」
「やめて…!!」
「もちろんその切っ先をお前達に向けることだってできるんだよ」
「っ…どうして、何で君がそんなことをするんだ!!」
アリオトとスピカの前に立ち上がったフェクダが叫ぶ。
「君はスピカくんのことを誰よりも思っていた筈じゃないか!!君が本当に冥王の生まれ変わりだったとしても、君がスピカくんを悲しませるようなことをするとは思えない!!」
「………」
フェクダの言葉に少しだけ顔を歪めたドゥーベは、それでもその迷いを消すように顔を上げた。
「…俺の何を知っているんですか。ずっと我慢していただけで、もううんざりしただけですよ。…狭苦しくて古臭い閉鎖的な村も、そこで暮らしてた記憶も、煩いくらいに纏わり着いてくる幼馴染にも」
「っ…!!」
突き放すようなその言葉に、スピカの心はこれ以上ないくらい軋みを上げる。
「…何が目的なんだ、君の目的はなんだ」
「自由に生きたかった、それだけですよ。こんな不自由な世界で鬱屈して暮らすより、全部壊して、奪って、自分の望むままの世界を造ればいいんだって気付いただけです」
「ドゥーベ君…」
「止めたければ俺を殺すことです」
「そんなっ…!!」
その言葉にスピカは顔を上げる。
「そんなことできるわけない!!」
「…出来るだろう、お前は星の天使の生まれ変わりなんだから」
「!!」
顔を上げた先、ドゥーベの顔に憎しみに似た表情を見てしまいスピカは言葉を詰らせる。
「俺とお前はこうなる運命だったんだよ」
「いや…」
「生まれる前から憎しみ合うことが決まってたんだ。…むしろ今までがおかしかったんだよ」
「違う、そんなのっ…!!」
「俺を殺さない限り、災いは続くだろう。第二王子の嫌疑は晴れず、処刑され、あの令嬢はやってもいない罪を被ってでもその名誉を守ろうとするかもしれないな。その結果死ぬことになっても」
「やめてっ…!!」
「二人が死んだ後に洗脳を解いたら、この人達はどんな顔をするかな。この二人だけじゃない…捕らわれたまま父親や弟が死ぬ時に何も出来なかった王太子にとっては、どれほどの絶望だろうな」
「っ…」
幼馴染の口から吐き出される人を傷つける言葉に涙が零れる。
「っ…いや…やめて…ねぇ、全部嘘だって言ってよ…ドウ…」
「…これだけ言ってもまだ分からないか」
「っ!?」
溜め息を吐いたドゥーベが、アルカイドの方を見る。
メラクに剣先を向けていたアルカイドが、ゆっくりとその切っ先をスピカ達に向ける。
「アルカイドっ…」
「………」
「やめろ、正気に戻れ!!」
「無駄だよ、城内は俺の支配下だ。この場を離れた状態ならまだしも、勇者の末裔である王太子もいない今、スピカの力だけじゃ俺を倒せない」
「っ…ドウ!!」
一歩、一歩と歩を進めてくるアルカイドに、スピカ達の前にいたフェクダが後ずさる。
「くっ…一旦、引こう…ここで戦えば彼等も傷つけてしまう」
「っ…しかし、引いたところで…」
「諦めるな、希望はまだある…とにかくスピカくんを今ここで傷つけさせる訳にはいかない…!!」
「待ってください…私っ…ドウと話を…!!」
「スピカくん、今のドゥーベ君には何を言ってもきっと無駄だ…落ち着いて、機会を待つんだ…ミザール君を助け出せれば、状況は変わるかもしれない…アリオト君、魔法で土を出してくれ」
「わかりました…!!」
「っ!?」
アリオトの魔法で隆起した地面から土が溢れてくる。ほぼ同時にフェクダが魔法によって起こした風がその土を舞い上げて、大きな土埃となって視界を遮った。
「今のうちに行くんだ!!」
「…ドウ…っ…」
土埃に遮られ見えなくなっていくドゥーベの姿にスピカは唇を噛んで顔を背けた。悔しくて滲んだ視界に最後に見えたドゥーベの表情には何も浮かんでいなかった。
こんな状況になっても、どれだけ酷い言葉を投げつけられても、まだドゥーベを信じたいと思っている心が軋みをあげた。




