母の教えその27「冬来たりなば春遠からじ」(前編)
アルコルに自分の力を告げたのと同じく、ミモザは母から聞いたゲームのシナリオのことや、レモンのこと、冥王を復活させるために悪意をもって動いている悪魔の存在を打ち明けた。
『ゲームというのはよく分からないが…この世界にはシナリオが存在するということか?』
『そうですね…それに近いかもしれません』
『そのシナリオは絶対なのか?』
『いいえ、母から聞いていた話と今のこの状況は大分違ってしまっています。レモンも…人々を唆す悪魔も母の話にはほぼ出てきていませんでした。私がレモンを見つけたのは、多分、本当に偶然が重なったのだと思います』
本来のゲームシナリオでは、悪魔は周囲の人間を唆しこそすれミモザに直接接触はしていない筈だ。その前提が変わったのは母の助言に従いミモザが変わったことや、アルコル達他のキャラクターとの関係性が変化したことが要因だと思われる。
『母は前世でそのゲームを遊び、シナリオを知っていたからこそ、未来を変えるために私に色々なことを教えてくれていたんだと思います』
『どうしてミモザに…?国に訴え出ることは出来なかったのか?』
『それは…自分達が今生きている世界にシナリオがあるなんて荒唐無稽な話を信じてくれるかどうか分からなかったのと…母や私の力を隠す為でもあったのだと思います…母が私にしかそれを告げなかったのは…シナリオでは私が、クーデターを…引き起こす者だったから…です…』
『!』
ゲームのミモザがアルコルを唆しクーデターを起こさせ最終的には処刑される筈だったのは変わりはないが、口ごもってしまったのはもう起こらない話だったとしても、アルコルが家族を裏切りクーデターを起こし遠い地へ流刑されるなどと、知られたくなかったから。
『レモンは、私を唆してクーデターを起こさせるのが目的だったと言っていました』
『………』
『だから母は私が“シナリオ通りのミモザ”にならないよう手を尽くしてくれたのだと思います…』
震えてしまった声を自分の腕を握りながら落ち着かせる。母の意図としては、クーデターの原因となるミモザの意識を変え、ゲームとは違う形にシナリオを改編しようとしたのだろう。ミモザも途中までは自分さえクーデターなどと大それたことを考えなければ、平穏無事に過ごせるのだと錯覚していたのかもしれない。しかし実際はシナリオに登場しなかった悪魔の存在が浮き彫りになり、ミモザが何もせずとも演習では魔物が現れた。
黙ったままのアルコルに不安が募る。何故もっと早く言わなかったのかと詰られたって仕方ないことだった。
『少しずつ本来のシナリオからは外れてきているんだと思います…ごめんなさい…私がもっと早くに伝えていれば…』
『…っ…ミモザ…』
『!』
腕を引かれてアルコルに抱きしめられたミモザは、驚きながらもすぐ横にある金色の頭を見る。
『アルコル様…?』
『あなたは…もしかしてずっと前から私を守ろうとしてくれていたのか?』
『っ…』
耳の近くで聞えたアルコルの声に肩がぴくりと揺れる。
『いいえっ…私が…!』
『確かにゲームのミモザも関与していたかもしれないけれど…ミモザを唆してもクーデターは起こせないよ。王位に関わる人間が近くにいなければ』
『っ…』
ゲームのアルコルは悪魔によって孤立させられ、ミモザに利用されただけだ。本当に悪いのはゲームのミモザである。
アルコルには知られたくなくて黙っていたのに、呆気なく黙していた事実を見抜かれミモザは言葉に詰った。
『……私が』
『ん?』
『…私が厭わしくならないのですか…?』
おぞましい力を持ちながらそれを隠し、ずっと欺いてきたミモザをどうして許してしまうのか。自分で口にしたことなのにじわりと涙が浮かんだ。
『ずっと好きだった女の子が自分の未来まで守ろうとしてくれていたのを知って、嫌いになるわけないだろう…何度言えば伝わる?』
『っ…』
腕の力を強められ、ミモザは顔を赤くして固まった。
『あ…あの…アルコル様…』
『うん…話の途中だね…ごめん…』
漸く解かれた腕にホッとしつつ、煩い心臓の音を意識しないようにミモザは口を開いた。
『…冥王は人の悪意を糧に復活を遂げるのだそうです。だからクーデターを起こし、人々の悪意を吸い上げ、そして天使の生まれ変わりであるスピカを害そうとしています』
『あなたや私がクーデターなど起こさなくても、相手が強硬な手段に出る可能性があるということか』
『もう一人の悪魔が…周りにそう悪意を吹き込んでいるかもしれません』
『…あの時、兄上の様子がおかしかったのもその悪魔のせいなのか?』
『はっきりとはわかりませんが、おそらくそうなのだと思います…あの時の王太子様やメラク様の言動は確かにおかしかった』
『………』
少しだけ考え込んだアルコルは『やはり陛下にも話しておくべきだと思う』と言った。
『私達だけではできることに限界がある。話しておくことで証明できる潔白もあるだろうし…スピカ嬢や兄上達七騎士の助けも必要だ…』
『そう、ですね…』
ミモザもそう思ったからアルコルに話した。けれどもどうしても心配なのはレモンのことだった。
『私も一緒に説得する』
『アルコル様…』
『ミモザの力を知れば、父上はきっと無理矢理にでもあなたを私の妃に縛りつけたがるだろう。だからレモンも同じように利用したり危害を加えようとするのなら…ミモザの力を引き合いに出してうまく交渉できないか考えている…あなたにはその力を取引材料にするみたいで、悪いけれど…』
『!』
アルコルが考えていたことが自分と同じでミモザは少し驚いた。
『…私も、そう考えていました…』
『…利用するのかって幻滅しないのか?』
『幻滅なんてしません』
『ミモザはレモンと一緒に出奔するとか無茶をしそうだったから…そうされるくらいなら幻滅された方がいいなって思って言ったんだけど…そうか良かった…』
『………』
『…もしかして本当に逃げることも考えてた?』
アルコルからじっと呆れたような視線を送られ、居心地が悪くなりつつ『だって放ってはおけないでしょう』と俯いて言い訳をした。
『…逃げるときは私も一緒に行くから』
『え…そ、そんなこと無理で』
『無理じゃない』
『いけません、アルコル様を巻き込む訳には…』
レモンの事を認めてもらえなかったら逃げるというのは最後の手段だ。たとえ本当に実行する事になったとしてもアルコルまでそんな無茶に巻き込むわけにはいかない。しかし何故か譲ろうとしないアルコルに、最悪は暗示をかけて自分の存在自体をなかったことにしなければならないかもしれないとまで考えていたミモザにアルコルは苦笑して言った。
『…私には暗示は効かないよ』
『え…』
アルコルの言葉にぽかんとミモザは口が開く。
『さっきの話で、もしかして気付いてないのかなって思ったんだけど…やっぱり気付いてなかったんだね』
『え…どういうこと…』
『勇者の末裔である王家の者は光の属性を持つから、闇の魔法に対する耐性があるんだ』
『……あ』
そういえばフェクダも同じようなことを言っていなかったか。光属性を持つスピカにはミモザの精神魔法は効かないと。今更になってそのことに気付いたミモザは今までの事を思い出して顔が赤くなっていくのが分かった。
『私の近くにいたメグレズやあなたは身元や能力の調査がされていたのは知っていた?』
『はい…』
『いくら私が望んだところで、王族に暗示をかけられる者を陛下は傍に置いたりはしないよ。あなたが私の友人として城にあがるのを許されたのはそれが分かっていたから。加えて鑑定でもあなたの能力が然程強くないものだと証明されていたしね』
『結局その鑑定結果は正しくないものだったみたいだけれど…』と言うアルコルに、ミモザは混乱した頭で言われたことを整理するのに必死だった。
もしアルコルの言うことが本当なら、あの時、初めてあった時もミモザの暗示はアルコルに全く効いていなかったことになってしまうではないか。
『ミモザは私に魔法を使った結果そうなったと思ってたみたいだけど…』
『じゃあ…』
『あの時、あなたに私が一目惚れをしたのは別に魔法のせいなんかじゃないんだよ』
『!!』
ミモザの赤かった顔が更にぼっと熱を増した。
『うそ…だ、だって…その後だって…私アルコル様に…』
『多分、暗示をかけるのに目を合わせる必要があったんだろう?その仕草の意味に気付いたのは成長してからだけど…あの頃はミモザが間近で私の顔を覗き込んでくれるのが嬉しくて、素直に頷いていただけで…別に暗示が効いてた訳じゃない』
『な、なんで今まで言ってくれなかったんですか…!!』
『その仕草をしていたのは最初の頃だけで、途中から私に魔法を使おうとしなくなっただろう?だからとっくに気付いているのかと思って…』
『ごめん』と噴出すのを堪えるように言ったアルコルに、ミモザは羞恥で言葉が告げなくなった。
『そ…な…だってゲームのミモザだってアルコル様に…』
ゲームのミモザは自分の能力を使ってアルコルを唆してクーデターを起こさせた筈だ。
『…案外ゲームの私も、ただ単にあなたのことが好きだったんじゃないかな』
『な…』
それなのに呆気なくアルコルにそう返されてミモザは言葉に詰る。
『クーデターまで起こしたのは理解はできないけど…』
もしアルコルが言うように、ゲームのアルコルがミモザのことが好きだったとしたら。暗示なんかなくても、ミモザに言われるままクーデターを起こしたのだとしたら。しかし母は入学式の時点で第二王子はヒロインに心変わりしていると言っていた。いや、母は日記の中で『気になっていた』という言葉を使っていた。もしゲームのアルコルが最初からクーデターを起こすつもりで動いていたのだとしたら。光の魔力を持つヒロインが天使の生まれ変わりである可能性を入学前に知っていたとしたら。自分の邪魔をするかもしれない相手を確かめようとしただけだったとしたら。そこまで考えたミモザは、今までそう思っていたものが、本当に正しかったのか分からなくなった。
もし、もし本当にそうだったとしたらゲームのミモザは自分を本当に想ってくれている相手を裏切り、未来を奪い、切り捨て、挙句自滅したということだ。本当に救いようもない。
『私…』
やはりこんな自分ではアルコルには相応しくないのではないかと口を開きかけたミモザは、ぎゅうと手を握られてそろりと顔をあげる。
『ミモザ』
『はい…っ…!?』
『…まだまだ伝わってないみたいだから』
顔を覗き込むように額にキスをされ、思わずミモザは額に手を当てて後ずさる。
ミモザと同じように赤くなった頬を掻いたアルコルは『ゲームの私のことでそんなに心を痛めないで欲しい』と少しだけ悔しそうに言った。
『自分の事だというのに、妬いてしまう』
『っ…』
今の話のどこに嫉妬する要素があったのか分からないが、とにかく赤くなった顔を隠したくて
ミモザは握られたままの手を離して欲しくてアルコルを見上げる。
それに気付いたアルコルはふっと笑みを零して『一度繋いだ手を離すつもりはないんだ』と屈託なく笑った。
『私は私のやり方であなたを守るよ』
『ぁ…』
『…もうすぐラストダンスの時間かな…そろそろ戻ろう』
ミモザは赤い顔を冷ます余裕もなく無言で頷いて、繋いだままの手を引かれ明るい会場の中へ戻った。
翌日は学園祭の振り替えで、学園は休校となっていた。
昨夜、ダンスパーティーが終わりアルコルに送り届けてもらって、アリアやアクルが学園を出て城下の宿泊場所へ出発するのを見送って。漸く一人になった寮の部屋で今日あったことを振り返ってベッドの上で悶えたり考えこんだりしていたら気がついたら朝になっていた。しかし起きた瞬間から昨夜のことが甦り、もう朝だと言うのに未だに枕から顔を上げられない。
どうしたらいいのか分からない。勝手に顔がにやけてしまう。もう絶対に嫌われてしまうと思いつめていた分、受け入れてもらえた喜びは一入で。それと同時にこれからの事を考えて不安に襲われるのも確かで。レモンのことを守れるのか、冥王が復活したらどうなってしまうのか。アルコルがレモンのことを分かってくれたこともホッとした要因の一つではあったが、ミモザは一晩たっても上がり下がりが落ち着かない感情を自分でも持て余していた。
あの後、送ってもらった帰り道でこれからのことを話し合い、早いほうが良いだろうとのことで、翌日中に話が出来るのならば一緒に陛下のもとに報告をしようということになっていた。アルコルはあの後城へ戻って、国王陛下への謁見を申し出るつもりだと言っていた。だからその返事によって、今日はこれから王城へ行かなければならないというのに。
「どうしようちゃんとしなきゃいけないのに……レモン…」
いつもならすぐに呆れたような返事が返ってくるのに、今日はいつまでも返事が返ってくることはなかった。
「レモン…?」
ぱっと身を起こして、テーブルの上の籠を確認するとそこにレモンの姿はない。
「どこに行ったのかしら…?」
レモンは最近こうしてミモザにも言わずに何処かへ行ってしまうことが多くなっていた。
いつもけろっとした顔ですぐに戻ってくるので、ミモザもあまり気を止めていなかったが、何だか今日に限っては胸騒ぎを覚えた。
「レモン」
名前を呼びながら、部屋を見て回る。いれば返事をするだろうからやはりここには帰ってきていないのだろう。
「………」
ミモザはすぐに制服に着替えて部屋を出た。
寮の入り口を出ると、空は今にも雨が降りそうな曇天が広がっていた。
「レモン、どこにいるの?」
それから学園の中を探し回ったミモザだったが、結局レモンのことを見つけることができなかった。とうとう雨が降り出し、空が光ったため、ミモザはレモンを探すことを諦めて昼過ぎに寮へ戻った。
戻った部屋にはアルコルから今日は謁見が叶わなかった旨が書かれた手紙が届いていた。了の返事をしたためつつ窓の外に目を向ければ、大きな雨粒がガラスに叩きつけられ、雲から下に伸びた稲光が低く地震のような音を響かせていた。
「レモン…早く帰ってきて…」
言い知れない不安にミモザは胸の辺りを片手でぎゅっと握った。
しかし、その不安が的中するように、翌日になってもレモンは戻ってこなかった。
ミモザの胸にある不安もどんどんと増していった。何がと言われれば、はっきりと答えることができないのに、何かを見落としているような漠然とした不安が拭えない。
(一体どうしちゃったのレモン…どこにいるの…?)
レモンの身に何かが起こった?それともミモザがレモンのことをアルコルや国王に話すと言ったから逃げ出した?そんな筈ない。レモンは今更そんなことしない。きっと何かあったんだ。
そう自分に言い聞かせながら学園へ登園したミモザは、ざわざわと生徒達の様子が落ち着かないことに気付く。
「…?」
どことなく遠巻きに見られているような視線も感じたが、話しかけられたりはしなかったので、そのまま教室へと向かった。
(何かあったのかしら…?)
いぶかしみつつ、ミモザが教室へ入ると、ざわざわとしていた教室が一瞬で静かになる。
「………」
(っ…これは、何かあったのね…)
教室中の視線を向けられたミモザは、動揺を悟られないようにいつも通り微笑んで挨拶をして教室へ入った。
「おはようございます」
「…お、おはようございます…」
近くにいた生徒に挨拶をすると、その女生徒はぎこちなく挨拶を返してくれた。他の生徒も同様の反応だったので、ミモザに対して悪意を持っている訳ではないようだ。手近な空いている場所に座り、ならば一体何が、と考えかけたところに、目の前に影がかかる。
「サザンクロス様」
「はい?」
目の前にいたのはクラスメイトの数人の女子生徒だった。
「その…お聞きしたいことがありますの…」
「なんでしょう?」
そんなに話したこともない相手だったが、固い表情の相手からは良くない話なのだろうと察せたが、そのまま話を促した。
「サザンクロス領で…ハダルとの国境で戦闘が起こっているというのは本当ですの?」
「国境で?」
何を言われるのかと覚悟をしていたら、サザンクロスの事を聞かれミモザは首を傾げる。
「いいえ…父からはそんな話は聞いていませんわ」
「っほら、やっぱり嘘だったのよ!」
「良かったぁ…」
ミモザの返事に口々に安堵の言葉を洩らす生徒達に、何となくミモザはこの不穏な空気の理由を察した。
「ハダルとの国境で戦闘が起こっていると噂になっていますの?」
「そうなんです。昨日うちの領地へきた商隊の人がそう言っていたって、実家から手紙が来たものですから」
「そう、ですか…」
「けれど、ご領主様の娘であるサザンクロス様が聞いていないのなら、根も葉もない噂だったってことですよね?」
「そう…ね…そんな緊急時ならば家から連絡が入るでしょうから…」
本当にそんな緊急事態が起こっているのならば、流石にあの父でもミモザに連絡くらいするだろう。隣国の王女であった祖母の血を引くミモザならば、ハダルへの牽制として矢面に立たせるくらいの事は考えていそうだ。それにアリアも学園祭のときは何も言っていなかった。
安堵を洩らす生徒達の中で、一人考え込んだミモザはレモンのことを思い出して、ちりちりとした焦燥が芽生えたのが分かった。
(違う…レモンはそんなことしないわ…)
ハダルの人間に悪意を吹き込んで戦争を起こそうとしているのなら、それはレモンの仕業じゃない。そもそも今のレモンにはそんな力はないのだから。
「ミモザくん」
ミモザの心境とは裏腹に教室内が平穏を取り戻し始めた頃、フェクダが教室の入り口からミモザのことを呼んだ。
「先生?」
「ちょっと研究室まで来てくれるかな」
「はい」
ミモザが立ち上がるとフェクダは「今日はカノープス先生が授業をしてくれるから」と教室の生徒達に聞えるように言い、ミモザを連れ立って歩き出した。
「先生…何かあったんですか?」
「部屋についたら話すよ。スピカくんもいるから」
「スピカも?」
そういえばさっき教室にスピカの姿はなかった。ドゥーベの姿も見えなかった気がする。
「入って」
先程の教室の様子を思い出しながらミモザがフェクダの研究室に入室すると、そこにはスピカとアリオトの姿があった。
「ミモザ様…」
「スピカ…アリオトさんも…?」
どうしてこの面々が集められたのか分からないミモザは、促されるままスピカの隣へ座った。
「これから俺が話すことは内密にして欲しい」
「何かあったのですか」
「………昨夜、王城に魔物が現れ陛下が襲われた」
「っそんな…陛下はご無事なのですか!?」
「お城に魔物…!?」
「幸い陛下は一命を取り留めた、けれど怪我が酷く起き上がれないような状態だ」
「魔物はどうしたんですか?」
「城の魔術師と騎士達が辛くも倒した」
「っ…アルコル様はっ、アルコル様はご無事なんですか!?」
「アルコルくんは無事だよ。ミザールくんもタニアくんも大丈夫だ。対応にあたった者で負傷者はいるけど他の王族に被害はでていないよ」
「……」
無意識に詰めていた息を吐いたミモザは安堵から脱力して椅子に身を預けた。
「どうしてその話を俺達に?」
しんと誰もが一瞬黙ったタイミングでアリオトが口を開く。
「……今回の事件に第二王子が関わっているのではないかという声が上がっている」
「な…」
フェクダの言葉にミモザは机を叩いて立ち上がる。
「そんなはずないわ!!」
「っ…ミモザくん」
「アルコル様は絶対にそんなことしませんっ…!!何かの間違いです!!」
「落ち着いて、俺もそんなこと思ってないから」
「でも…!!」
「ミモザさん、とりあえず話を聞きましょう」
「っ……わかり、ました…」
アリオトに宥められ一度座ったミモザだったが、アルコルがそんな嫌疑をかけられていることが悔しくて涙が滲む。膝の上でぐっと握った拳を睨んで涙を堪えた。
「どうして第二王子殿下がそんな嫌疑をかけられているのです?」
「それが分からないんだ…」
「分からないって、そんなのおかしいでしょう…!?」
「…魔物の襲撃の後、陛下は治療のために後宮へ運ばれ、それから意識が戻らない状態だ。面会もできない。代わりに指揮を執っているのは王太子…ミザール君の筈だけど…調査も満足に終らないうちだと言うのにアルコル君の関与を疑う声が城中で囁かれるようになり、あっという間に第二王子を拘束するべきだという声が重臣達からも漏れた」
「そんな…王太子殿下は本当にアルコル様がそんなことをしたと思ってらっしゃるの…?兄弟なのですよ…っ」
「俺も信じられない…アルコル君との関係について思い悩むことはあったかもしれないが…ミザール君は私情と家族を天秤にかけるような子ではない…だから会って話をしようとしたんだ…けれどそれも叶わなかった」
「叶わなかったと言うのは…?」
「会いたいと言っても側近達や城の者達に阻まれて目通りが叶わない。それどころか、人を掻い潜って執務室に近付こうとしたんだけど、ガードが固くて近付くこともできなかった。タニアくんも同じだ。誰の指示で動いているのか、問いただしてもそれを答えられる人間は誰一人いない。異常事態と言っていい」
「まさか王太子様の身にも何かあったんじゃ…」
「その可能性もある…陛下の襲撃、姿を現さない王太子殿下、それなのに着々と第二王子を捕らえる筋書きが動き出している…城にいる人間は誰もそれに疑問を抱かない。何者かの意思が働いているように思う…けれど断定はできない」
アルコルは絶対にそんなことはしないとミモザは言い切れるが、もしそうなら誰もが国王に続いて、王太子まで害されている可能性があるということを意識出来ないようにされているということだ。しかも誰もがその異常さに気付いていないなどと。ミモザ達は誰もその恐ろしい事実に口を利けなくなった。
そんなことができる人間がいるのだろうか。いるとしたらもう。
「冥王…の、仕業なの…?」
ぽつりとスピカの零した言葉に重い沈黙が落ちる。
「俺はそう思う…」
組んだ両手に顎を乗せ重い口を開いたフェクダは疲れたようにそう言った。
「明らかに城の人達の様子はおかしい。闇の力では操ることの出来ない勇者の末裔である王族を害し…又は幽閉し、他の人間を操って内部から王国を崩壊させようとしているように思える」
「…冥王は復活したのですか?」
「わからない…けれどそれを確かめるためにも城の奥へ入りたい」
フェクダが組んでいた手を解いてミモザに向き直る。
「城は今、全く機能していない状態だ…本当に冥王の仕業だとするならせめて七騎士である俺達が全員戦える状態にしておきたい」
「他の皆はどうしたんです?」
「メラクくんとアルカイドくんは城にいる。二人とも王太子の指示で動いていると言っていた」
「…あの二人が王太子の指示と言っているなら…冥王の仕業と決め付けるのも危険じゃないかなぁ」
「それは…」
「あぁ、もちろん第二王子がクーデターを起こしたって意味じゃなくて、王太子殿下がそう思って自分の意思で動いている可能性もあるよねってこと」
「そうだね…直接話せていないからミザールくんの本心であるのか、それとも冥王の筋書きなのかはっきりとは分からない」
「そんな…」
フェクダの言葉にミモザはぐっと言葉を詰らせる。恐れていたことが本当になってしまった。ミモザが何もしなくても、アルコルはクーデターの嫌疑をかけられ捕らえられそうになっている。
「メグレズ様はどこに?」
「メグレズくんもアルコルくんと会えないようにされていたみたいだった。彼は諦めずにアルコルくんのところへ行こうとしていたみたいだけど…このまま目通りが叶わなければ一旦学園へ戻るように声はかけたけど…」
「メグレズ様…」
きっとメグレズもアルコルの事が心配なのだろう。
「ドウは…先生はドウがどこにいるか知りませんか?」
悲壮な顔をしてフェクダに尋ねたのはスピカだった。
「今日はずっと朝から姿が見えないんです…いえ…昨日も見ていません。寮まで会いに行ったけど、留守だと言われました」
「俺もドゥーベくんが今どこにいるかは分からない」
「そう…ですか…」
肩を落としたスピカに「きっとすれ違ってしまっただけだよ」と慰めるフェクダの顔にも疲労が見て取れた。
「俺はもう一度城へ行く。城へ行ってミザールくんと話ができるようできるだけのことをやってみようと思う。だから万が一俺が戻らなかった時は、君達にはスピカくんのことを頼みたい」
「私も行きます!!」
フェクダの言葉にかぶせるようにミモザが言うと、フェクダは少しだけ驚いた顔をした。
「お願いします!!私も連れて行ってください!!」
「しかし…」
「私の魔法なら…城の人達の目を掻い潜って近付くことができるかもしれません」
もし姿の見えない冥王の目的がアルコルにクーデターの嫌疑をかけることであったなら、その元凶となる筈だったミモザがそこに行くことは相手にとって望むところだろう。けれど、たとえミモザが捕らえられることになってもアルコルを助けられる可能性があるのなら。この力をアルコルのために使えるのなら、躊躇う理由はない。
「…君にこの話をすべきではないと分かっていたのに…本当に嫌な人間だな俺は」
ミモザを苦しそうに顔を顰めて見返したフェクダは「すまない」と小さく言った。アルコルの身を案じるミモザを利用したことを悔いているのかもしれなかったが、今のミモザにもフェクダのことを気遣う余裕などなかった。
「待って…私も一緒に行きます…!!」
立ち上がってすぐにでも城へ向かおうとするミモザの腕を掴んで止めたのはスピカだった。
「スピカ…」
「もし本当に冥王の仕業なら…私がやらなきゃいけないことでしょう?」
「でも…城には冥王やその操る魔物がいるかもしれないわ…危険よ…」
「構いません、私はそのための力を授かっているのだから」
「しかし…スピカさんを今の城に連れて行くのはやはり危険じゃないかな先生…」
「いや…スピカくんにも来てもらった方がいいかもしれない…もしかしたら…」
「先生…?」
黙り込んでしまったフェクダに聞き返したスピカは胸元で心許なくその手を握った。しかしフェクダは「間違いかもしれないし…今もそう思っている」と呟いて目を閉じる。ミモザの腕に置かれたままだったスピカの腕が小さく震えたのに、ミモザもぎゅっとその手を握った。
「そう…だね…二人も一緒に行こう。でもみすみす危険に晒すつもりはないんだ…どうにもならなくなったらこの身を捨ててでも君達を逃がすよ。アリオトくんには二人を連れて逃げて欲しい」
「逃がされたとしてもその後はどうするんですか?」
「…戦力を集めて冥王に対峙できるだけの体制を整えて欲しい」
「わかりました、私、元からミモザ様と一緒に行くつもりでしたから…」
「わかりました…でも先生も七騎士なんだから死に急がないで下さいよ。最善は全員で無事に戻ってくることですから」
「うん…ありがとう…」
アリオトの言う通り最善は城内の様子を確認し、もし今起きていることが王太子の意思でなければ救出して一緒に脱出し冥王を迎え撃つ準備ができれば良いのだろうが、これだけ大規模に人心を操ることができる相手がそれを簡単に許してくれるとは思えない。
城へ向かうために移動しながらミモザ達は、どうやって侵入するかを話しながらそれぞれの胸に言いようのない不安を抱えていた。




