閑話:もう一人の悪魔
『ここはどこ?』
『知ってる、冥王様のいる、場所だ』
『冥王様は、どこ』
『もうすぐ』
『もうすぐ』
『そうだ』
『だから』
生まれた瞬間から、ずっと一緒だった。
この世界で自我を持ったときから、自分達がすべきことも知っていた。
『どっちが、冥王様、ほめてもらえる』
『名前もらう』
『先にほしい』
『競争しよう』
『そうしよう』
競うように、遊ぶように、悪意の種を撒いていった。
まずは周囲の期待や思惑に押しつぶされそうになっていた王太子。
『王太子にはやはり正妃様の子である第二王子が相応しいのではないか』
そう囁いては、不安を煽り。
『しかし第二王子は性格に問題があるだろう。やはり第一王子が適任だ』
次にはそう囁いて安堵を与えては、心が弱いまま育めないように心を揺さぶった。
次は王太子の側近の子供達。
『お父様のように立派な側近となるのですよ』と事ある毎に優秀な父親と比べられ、王太子に相応しい従者であろうと努力していた彼等にも
一人目には『第二王子と従者殿はとても良好な関係を築いているようですね』と、そう焦燥を植え付け、誰にも開けないよう冷酷な脆い心を持たせ。
二人目には『こんなに努力しているあなたを認めない周りが悪い』と驕り傲慢に振舞うよう仕向けた。
いずれ国を継ぐ者達を潰したならば次は外側の番だ。
『あの国土は本当はあなたのものになる筈だった』
そう囁けば、王と名のついた隣国のその人間は簡単にも戦争を起こす準備を始めた。
計画は順調。こんなに簡単に自分の一言で人間達がざわめくのが愚かで
バカみたいで、可笑しくて仕方なかった。
兄弟の蒔いた種もまた悪意を大きく芽吹かせていて、冥王様が顕現される日もそう遠くないのだと感じることができた。
けれどある日を境に、ぱたりと兄弟が消えてしまった。
この世界でたった一人の兄弟だった。
離れていてもその存在を感じることができたのに、その日から何度呼びかけても返事もなく、気配もなく。消えてしまったというのが一番しっくりくるような、そんな風に呆気なくその存在は消失した。
勿論探し回った。信じたくなくて、昼も夜も駆け回った。足取りを辿ろうとして、兄弟の蒔いた悪意がいつの間にか消えてしまっていることに気付いたとき愕然とした。
消えてしまった兄弟に、呆然と漂っている間にも第二王子は本当の姿を取り戻し、従者は自ら望み王子に仕えるようになった。そしてクーデターの引き金となる筈だった少女すら、用意された凄惨な運命とは程遠く穏やかな日常を過ごしていた。
そして見つけてしまった。
彼女の腕の中にいる黒い小さな塊。
何故、とか、どうして、とか、思うよりも先に自分が覚えたのは仄暗い感情だった。
どうしてお前はそんなところでぬくぬくと暮らしている。冥王様を復活させるんじゃなかったのか。何故僕の元に戻ってこない。たった一人の兄弟なのに。裏切った、それとも忘れてしまった?きっと人間に何かをされたんだ。そうじゃなきゃたった一人の兄弟である僕を裏切る筈がない。
自分が悪意を蒔き続ければ、育った悪意が冥王様を復活させたら。
きっとアイツも力を取り戻して僕の元に戻ってくる筈。
自らの使命も忘れ、穏やかな陽の下で安穏と暮らす片割れの姿に激しい感情が渦巻く。そうして抱いた激情は悪意となって自分の力を大きくしていった。
今までのままでは駄目だ。もっと、もっと悪意を大きく育てなければ。
クーデターの引き金にしようとしていたあの少女のように、大きな苗床を見つけなければ。
そうして見つけたのは、王都からは程遠い小さな集落の一人の人間だ。
冥王様の宿敵である天使。その生まれ変わりを探して、沢山の人間を唆し、誑かして辿りついた天使の生まれ変わりの少女。そしてその隣にいた黒髪の青年。
天使の生まれ変わりを見つけたものの、葬り去るにはまだ力は足りない。
どうするかと思案を抱えた時、その隣で苦悩と絶望を抱える人間を見つけた。
少女の未来を奪いたくないと思う心と、このままずっと自分の隣に居て欲しいと望む心とがない交ぜになって、いずれ遠くない未来に絶望を覚える姿に、ぞくりと背筋がうごめくのが分かった。
感情の動きは心の器を大きくする。幼い頃から少女の事だけを想い焦がれてきた青年は、その少女の幸せの為に彼女を手放さなければならなくなった。内に宿したその葛藤や培った想いは、その器だけを大きくして満たされないまま空洞となる。そこに溜まるのは冥王様や自分と同じ、青年に宿った闇の魔力。
望んでいた以上の苗床の発見に酷く興奮を覚えた。
『あなたはあの子の味方ですか?』
青年の傍へ行っただけで分かる。潤沢な闇の魔力に興奮が冷め遣らぬままそう問いかけた。
『私はラムエル』
いつか「レモン」と呼ばれていた片割れの姿が頭を過り、咄嗟にそう名乗った。
『あなたの力が必要なのです…スピカさんを守るために』
天からの使いを模した白い羽。人間達が想像する姿を模して目の前に姿を現す。戸惑う青年の紫の瞳の奥を覗き込みながらそう囁きかけた。
元々闇の魔力を有していたその青年の心の内は酷く心地が良い。疑心に満ちていた瞳は天使の名前を出したことで、すぐに強い色を宿した。
『彼女はこれからその身を大きな脅威に晒されることになるでしょう、そうなった時に傍で支えてあげられる人間が必要なのです…私はあなたに力を貸すことができる…その時がきても、あなたは私と彼女の味方であると約束ができますか?』
天使の身に悪いことが降りかかると知って、湧き上がった怒りや不安を自分の力で増幅させる。暗い色に染まった心に、ゆっくりと毒を流し込むかのように取り入った。頷いて縦に揺れた強い決意を宿した紫の瞳を見て口の端が上がる。
『契約成立ですね』
青年を悪意の中に取り込んだ瞬間、その瞳の奥にぞっとした力を感じた。
人間ならば心臓を握られるようなとでも表現すべきなのだろう。命を、存在そのものを握られる感覚に、身体が震え何故だか酷く惹かれた。
あぁ、これだけの力があれば。
全てを壊して。
冥王様を復活させることが叶い。
そして、あいつも戻ってくる。
そう、思っていたのに。
『お前がやったのか!!』
声を上げて笑う自分を地面に縫いとめた兄弟を見上げながら、内心酷く動揺する。
演習の最中、暗示をかけた魔物を天使達にけしかけて高みの見物をしていた自分に突然襲い掛かった懐かしい声。
どうして庇うの?その人間にお前は酷い目に合わされてたんじゃないの?力を奪われて無理矢理従わせられてるだけなんだろう?そうじゃなきゃ僕を裏切るはずがない。
『お前には、一生わかんないかもなっ!!』
何でそんなこと言うの?ねぇたった一人の兄弟じゃない。存在意義に反することをしたら消えてしまうかもしれないんだよ?今ならまだ間に合うよ。僕と一緒に行こうよ。
『俺は行かない』
どうして。どうしてさ。
僕にはお前しかいないのに。
本当に僕を裏切ったの?無理矢理じゃなくて、自分の意思で僕のことを切り捨てたの?
見下ろした兄弟の姿に、いつか盗み見た彼の姿が重なる。
日差しが差し込む暖かな部屋、テーブルの上の籠の中で丸くなる彼、その背を椅子に座った少女が頬杖をつきながら片手で撫でている。動いていた口元が笑みの形を作るのに、見ていられなくてすぐに飛び去ってしまった。
もう僕は必要じゃないの?どうしてお前の周りにはいつも誰かがいるの?
僕はずっと一人ぼっちだったのに。
妬ましい、憎らしい、許さない。
そんなこと絶対許さない。
僕の元に帰ってこないのなら。お前が僕よりも人間を取ると言うのなら。
全部、全部壊して消してやる。
『ラムエル!!』
初めて呼ばれた名前が、こんなにも虚しくて悲しいものだとは思わなかった。
「こんなところで覗きとはいい趣味だな」
大木の枝で、テラスにいる人間達を見ていた自分にかけられた声に、ぼんやりと頭を声のした方に向けた。
「もうアイツは…アイツ等はクーデターなんか起こさない」
「………」
「お前がコソコソ動いてたのは、全部無駄になったんだ」
「………」
「…もう、やめよう、ラムエル」
傍に降り立った黒猫は、何も言わない自分にどう思ったかは知らないが諭すように言った。
「お前が王太子の周辺や、あの黒髪に悪意を吹き込んでたのは知ってる」
「………」
「人間は俺達が思ってるよりずっと強かなんだよ…自分の為だけに動いてる奴と、誰かの為に動いてる奴を比べたら、誰かの為に動ける奴の力の方がずっと強い」
黙ったまま何も反論しない自分に、黒猫は、レモンは言い募る。
無駄になった?何がだ。今更やめる?何を言っているんだ。
「…だから、やめよう、今ならまだ止まれる…アイツはバカみたいなお人好しだからきっとお前のことも…」
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
「くくっ…あははっ!!」
思わず漏れた笑い声と身の内に膨れ上がった強い力に、大きく翼を広げた自分の中から黒い光が溢れる。
「っ…」
「本当に、バカみたいなお人好しなのはお前の方だろ」
「ラムエルっ」
「王太子の周辺に悪意を撒いて?あいつに悪意を吹き込んで唆して?僕がそれだけしかしてないと思った?」
「っ…」
自分を中心に強い風が巻き起こった。吹き飛ばされまいと木の枝に爪を立てた相手は此方を強い眼差しで睨んだ。
「ラムエル、話を聞け!」
「僕の邪魔をする奴の話なんか聞く気はない」
「っ」
「折角忠告してあげたのに。存在意義に反することをしたら消えるよって」
「………」
「僕の蒔いた悪意を上書きして回ってたみたいだけど、そのせいで魂がボロボロじゃないか。そうして動くのだって辛いだろうに。それじゃ冥王様が復活する前に消えちゃうかもよ?」
「それでも、俺はお前に止まってほしかった…」
今更気遣ってなんてほしくなかった。
もう自分には恨むことしかできないのだから。
「…ほんとバカ」
身のうちから溢れた黒い光を消し去ると、今まで蓄積した魔力によって大きくなった羽を数度はためかせた。今の自分の姿は魔物のようになっているのだろう。天を向いて乾いた声で笑う。
「もうとっくに戻れないんだよ」
「っ…何を…」
「言っただろ、お前の大事なものを全部壊してやるって」
「ラムエル」
「うるさい!!僕の名前を気安く呼ぶな!!」
僕の名前を呼んでいいのは、兄弟だったかつてのお前だけだ。
「分かるか?一つでも失敗したら正妃の息子である弟王子に自分の地位を脅かされるのではないかとずっと怯えていた王太子の気持ちが。ずっと優秀な父と比べられ相応しくあろうと努力していた王太子の側近の覚えた焦燥を。そしてアイツの、たった一人愛した少女すら手に入れられず、自分から離れなければならないという苦悩がどれほどかお前に分かるか?」
そしてたった一人の兄弟に裏切られた絶望が。
分からないだろうな。僕だってお前のことが分からないんだから。
「それだけじゃない。第二王子が邪魔だと、あの女の存在を疎ましく思う奴が他にどれだけいると思ってるんだ?たとえ当事者であるあいつらが行動しなかったとしてももう遅い。そいつらが勝手に悲惨なクーデターを起こしてくれるだろうよ」
「そんなことさせるか!!」
お前がどうしようが、動き出した運命はもう止まらない。
「きゃははは!お前に何ができるの?どれほどの嘆きか、悔やみか。今まで集めたその感情は全部僕の力になったんだ。もう僕とお前は対等じゃないんだよ。冥王様を揺り起こすには十分すぎるほどの力が僕にはあるんだ!」
「っ…ラムエル…!!」
うるさい。僕の名前を呼ぶな。
「ぅあ、ぁぐっ!?」
大きく嘶いて枝が撓るほど蹴って飛び上がると、巻き起こった突風に相手はその体を木の幹にぶつける。その体を魔力で生み出した黒い手で木に縫いとめ締め上げた。
「あ、ぐぅ…っ!!」
「もう一つ教えてやるよ。嘆きや絶望って、憎しみよりも恨みよりもずっと強い力になるんだ」
「らむ、え…!!」
「この力には僕の嘆きも含まれてるんだよ」
「が…っ…え…」
「じゃあな、もう兄弟じゃない誰か」
放出していた魔力を消し去って、空へ高く舞い上がると、視界の端で小さな黒い体が木の下へ落下するのが見えた。目を逸らして暗い空を羽ばたいていく。
飛び続け、学園の一番高い塔を大きく旋回して下降すると、庭の隅にすぐに目的の人物は見つかった。
「…こんなところで一人とは、スピカさんはどうされました?」
「………」
何も答えない相手に分かりきったことを問う。
ダンスパーティーの会場である明るい光が漏れる窓を、ぼんやりと見上げるその横顔にほくそ笑む。
「今頃、王太子と踊っているんでしょうか」
「………」
「殿下と踊ったらいい」と、諭す振りして自ら拒絶しておきながら、こうしてひっそりと一人で絶望している青年に心底呆れて、同時に心の中で嘲け笑った。
「あの方は随分とスピカさんにご執心でしたもんね」
「………」
覗き込んだその紫の瞳に光はない。
『やっぱり、私っ…ドウと踊りたい…!!』
『そんなことできる訳がないだろう…第一、俺じゃあドレスも宝石も用意してやれない』
『じゃあパーティーなんか出なくていい…!!』
『スピカ…』
『傍に居てくれるんじゃなかったの?どうして最近私から離れようとするの?』
『…それがスピカにとって』
『そんなのただの嘘つきじゃない!!』
『っ…何も知らないくせに…!!』
『!』
『っ……もう、いいだろう。構わないでくれ』
『ドウっ…待って!!』
朝、この青年が天使の女とそう言い争っていたのを知っている。
「お二人とも見目が麗しいですから、さぞやお似合いの二人になったでしょう」
「………」
自分が意図した通りになったと言うのに、ちっとも嬉しそうでない。絶望が深すぎて嘆くことも出来ないのだろう。あぁ本当くだらない。
「ただ…スピカさんには王太子に釣り合うだけの身分がありませんからねぇ」
身分のことを持ち出せば、ぴくりと肩を動かして漸く此方を見た紫の瞳と正面から目が合う。
以前にも感じた身震いするような闇の力。ぞっと背筋を走った感覚と、おぞましいほどの魔力に漸く悟る。
「そうか……ここにおられたのか」
「……ラムエル?」
どうしてこんなに惹かれるのか不思議だった。
相手も自分と同じように大切なものを失った絶望を抱いていたからかと思っていたが違う。
「冥王様は闇から現れるって随分抽象的な表現だなって疑問だったけど、天使が生まれ変わってるなら冥王様も生まれ変わっててもおかしくないよね」
「…お前は…」
「まだわかってない?……そう…ならば、全て思い出させて差し上げましょう」
「…何を…っぁうああ!!?」
一瞬、光を取り戻しかけた紫の瞳の奥に魔力を注ぎ込む。
「っがぁ…っ…やめろ、ラ…エルっ…!!」
「っ…」
ばちん、と弾かれた干渉に舌打ちをする。未だに七騎士としての加護が失われていないのが腹が立つ。
「…どうして拒絶するの?」
「お前は…一体、何なんだ…!」
「僕は悪魔だよ」
「悪魔…だと…?」
呆気なく言い放つと相手の目は驚いたように見開かれた。
「そんな、お前はスピカを…救世の天使を助けるために来た天使じゃなかったのか!?」
「そんなことは一言も言ってないよ」
「俺を騙したのか!!」
「騙すだなんて…嘘なんてついていないよ」
「勝手にそっちが勘違いしただけじゃん」と意地悪く言ってやりながら、睨みつける目を覗き込む。
「僕はあの天使の女を助けるのにあなたの力が必要ですって言っただけ」
「そんなのは詭弁だ!!あの時だって本当はスピカのことを助けてくれた彼女を…俺は…!!」
「彼女だって貴族だ。庶民だと君達を蔑み虐げる可能性だってあった。だから僕はそれを忠告してあげただけ。間違いではないでしょう?それにあの天使は彼女にかなり感化されていてあなたの言うことを素直に聞かなくなった。扱い辛かったでしょう?だから天使をそそのかす邪魔な彼女を排除してあげようとしたのに」
「っ…まさか演習中に出た魔物もお前の仕業なのか…!!」
「まさか二体とも倒されちゃうなんて誤算だったけどね」
「っ…スピカも…殺そうとしたのか…!!」
「あぁ、いいなぁその目」
暗く淀んで憎しみを湛えた瞳を一心に受け、声を出して笑う。もっと憎め。恨め。
「憎しみで塗りつぶされた目も、絶望に沈んだその心も…僕等の暗王となるに相応しい」
「…王、だと?」
「まだわかんないの?お前は…あなたは冥王様の生まれ変わりなんですよ」
「な…」
一瞬怒りを忘れ、呆然としたその身体の前の地面に羽を畳んで降り立った。
「俺が…冥王だって…?」
「絶対的な力、おぞましい闇の魔力、憎しみに支配され全てを恨む心…いずれ復活を果たされる冥王様の力の苗床として丁度よいと絶望を育ませてきましたが、それがこんな形で報われるなんて嬉しい限りです」
「嘘だ…」
「嘘ではありません」
「嘘をつくなッ!!」
「知っていますか?悪魔は嘘をつかないんだよ」
「っ!?」
魔力を開放し、身の丈を何倍にも膨れ上がらせる。青年の背を越し、見下ろす高さからその身体を溢れた黒い手で拘束した。
「かわいそうにね、守りたかった相手の最大の敵が自分だったなんてね」
「ぐっ…ぁ、はな…!!」
「ほんとかわいそう」
笑い声を上げながら目を逸らせないようにして相手の体を締め上げる。地面から浮いた足先は、何とか抜け出そうともがいた影を地面に映し出した。
「違う、俺…は…!!」
「ねぇ、その力でこの国を支配しちゃいなよ。そしたらあの天使を自分のものにできるよ」
「ふざっ…け…な!!」
手も足も出ないくせに、強さが消えない瞳に背筋がぞくぞくとざわめいて口元が歪む。
「ふざけてなんかいないよ」
「そ、んなこと…しない…!!」
「ふぅん…でも、もう遅いよ」
「っ…何だ…っあぐ…ぅ…!!」
さっきから話している間もずっと強い力を注ぎ続けていた。自分の身のうちからあふれ出す黒い靄に怯えて腕で必死に振り払おうともがく姿に恍惚ささえ覚える。このまま魔力を注ぎ続け、自分はこの冥王の一部となるのだ。
「…冥王として君臨もせず、好きな女と結ばれることも出来ず、ただ無為に死んでいくお前は誰よりも可哀相で愚かだ」
「黙れっ…や、めろ…!!そんなことをするくらいなら…っ、あいつを、傷つけるくらいなら…!!ここで、命を絶っ…や…る!!」
「きゃはははっ、バカだな物は考えようだってのに」
最後まで抵抗を止めない相手の心に毒針でも刺すように問いかける。
「たとえお前が、冥王がいなくなっても、あの女が王太子と結婚できるわけないだろう?」
「ぐ…っ…!!」
「だって平民なんだから」と吐き捨てる。
「相手はこの国の王太子、いくら天使の生まれ変わりと言ってもただの平民が后になどなれるわけがない」
「な、にを…!?」
「でも、冥王を倒した功績があればどうだろうね?」
「っ…」
今まで頑なだった抵抗していた腕から力が抜ける。
「救世の天使は勇者の子孫である王太子と協力して邪悪な冥王を討ち倒しました…やがて二人は結婚し幸せに暮らしました、ってなったら誰も文句言わないと思わない?最高のめでたしめでたしじゃん」
「そんな、こと…!!」
「お前の望みはあの天使に幸せになってもらうことだろう?」
「…っ…お前の、思い通りになったり、しない…!」
「いいさ、元々僕の役目は冥王様を復活させることだった。お前は冥王として覚醒し、僕はお前の一部として吸収され消える。僕の思い通りになりたくないのなら覚醒した後精々飲み込まれぬよう自分で頑張ればいいことだ」
最後まで残っていた目の光が完全に消えたことに声を上げずに笑う。
大きな黒い翼を繭のようにして青年の体を包み込む。一瞬強い風が巻き起こり、建物の窓を鳴らし、木々の葉を散らして消えた。
その余韻が収まった暗い庭では、一人の青年がその暗い紫色の瞳から涙を流し慟哭に似た呻き声を漏らしていた。




