母の教えその26「大事なことは言わなきゃ伝わらない」 前編
あれからスピカは、王太子と踊るならやはりきちんとした講師について習った方がいいだろうということになり、数日の間王城へ通うこととなった。
「折角教えてもらっていたのに、ごめんなさい」と何度もスピカは頭を下げてくれたけど、それよりもミモザはスピカのことが心配だった。
『スピカはそれで本当にいいの?もし少しでも心残りがあるのなら私アルコル様とタニア様に話して…』
『いいんです、ありがとうございます…ドウの言うとおり、一緒に出ようって約束してたわけじゃないから』
困ったように眉を下げて笑うスピカに、ミモザは何も言えなくなってしまい自分の無力さを痛感した。身分も母からの教えも何も役に立たない。たった一人の友人の憂いも晴らせない自分がひどく情けなかった。
スピカのこともそうだが、ドゥーベの方はもっと酷かった。「スピカがいないのなら、貴方が俺の練習に無理して付き合うことはない」と言って、練習はアリオトやアルカイドに教わることにしたようだったが、あからさまにスピカを避けるようになってしまっていた。
『ドゥーベのルートではね、彼はヒロインが王太子に見初められていると知って、自ら距離を置こうとするの。ただの平民の自分といるよりも、王太子といた方がヒロインが幸せになれると信じて、自分の想いを押し殺してヒロインから遠ざかろうとするのよね』
母の言うとおり、今のドゥーベはスピカのことを想って無理に距離を置こうとしているように見える。もしそうなら今ミモザ達が歩んでいるのはドゥーベのルートなのだろうかとも思ったが、母の日記を読み返してみてもドゥーベのルートではクーデターを阻止して終っていて、悪魔や冥王はこんなに出てきていなかった。
しかしどのみち心配なことには変わりないので、アルカイドやアリオトにあの日あったことを話して、様子に変わったことがないか見ていてくれるように頼んだ。
そして、スピカのこともシナリオのことも、心配ごとばかりで忘れかけていたが、自分の問題もあった。
それを思い出したのは、学園祭の準備や心配事に追われて慌しく過ごしていたミモザの元に、帰国したアルコルが訪ねてきた時だった。
「ミモザ」
「あ…アルコル様っ、お帰りなさいませ!」
「うん、ただいま」
学園祭の準備で夕方まで片付けをしていたミモザは、教室へ戻る途中の渡り廊下の中ほどで呼び止められ、その声と姿に思わず小走りになって駆け寄った。
久しぶりに見たアルコルは、怪我をしたりはしていなさそうでミモザはホッとして「ご無事に戻られたのですね、良かった」と微笑んだ。
そんなミモザの様子に照れたように頬を指で掻いたアルコルは「私もあなたに迎えてもらえてほっとしたよ」と笑って言った。
その笑顔と夕日に照らされてきらきらと麦穂のように光る髪が綺麗だと思って、ミモザは赤くなった頬を誤魔化すようにぱっと俯いた。
「…いつお戻りになられたのですか?」
「今日の昼前だよ、父上に報告をしたり後処理をしていたら学園へ来るのが遅くなってしまって…寮監へ聞いたらミモザもまだ寮へは帰ってきていないというから、会えたらいいなと思って探しにきたんだ」
「そ…な、何かお急ぎの用事でも?」
会えたらいいなのところに反応してしまったミモザは、折角誤魔化した頬がまた赤くなるのが自分でも分かった。夕日のせいだと思ってほしい。
「急ぎとは言えないかもしれないけれど、これを返したくて」
アルコルが差し出したのはミモザのロザリオだった。
「貸していてくれてありがとう、ずっと心強かった」
「そんな…むしろ強引に押し付けてしまったようで申し訳ありませんでした」
気休めにしか過ぎないと分かっていても、持っていてほしいと望んだのは自分のわがままだ。アルコルから礼を言われるようなことではない。
「そんなことはない、これを見るたびあなたを思い出して元気をもらっていた」
「私の方こそ…私もこのロザリオを見るたびにアルコル様を思い出していました」
「そ、か…」
「………」
今度はミモザの言葉に耳まで赤くしたアルコルを見て、ミモザも恥ずかしくなって言葉につまる。しかし恥ずかしがっている場合ではないとも思った。
アルコルに言わなければいけないことがある。
今なら言えるだろうか。二人きり、周りには他の生徒の姿は見えない。
ミモザの力のこと、レモンのこと、これからどうしたらいいか、アルコルは一緒に考えてくれるだろうか。
「あの…」
「あっ、と…」
「あ、どうぞ」
「え、あ、ミモザからいいよ」
「いえ、あのアルコル様からどうぞ!」
アルコルと同時に口を開いてしまい、ぎこちない譲り合いになってしまう。
アルコルも何かを言おうとしていたようで、結局ミモザは言い出せずにアルコルの言葉の続きを待った。
少しの間逡巡したアルコルは、意を決したように「受け取ってほしいものがあるんだ」とミモザに言った。
「受け取ってほしいもの?お礼などでしたら結構です」
「お礼ではないんだけど…あなたに、ダンスパーティーで着るドレスを贈らせてほしいんだ」
「え…」
予想しなかった言葉にミモザはぽかんとアルコルの顔を見る。
学園のダンスパーティーのドレスは自分で用意するのが常だが、婚約者や恋人がいる者は相手から贈られたりしている。そこまで考えて、ミモザはまた頬の熱が一気に再燃するのが分かった。しかしミモザは婚約者ではないのだからそれを貰うわけにはいかない。
「あ、えと…でも、それは…」
「あの、ごめん…本当にこんな外堀を埋めるような真似をするつもりじゃなくて…後夜祭でミモザと一緒に踊るって姉上に言ったら、ミモザから婚約の了承を得たのかと早とちりされてしまって…」
「まぁ…」
「張り切った姉上が私がいない間に既にドレスを注文してしまっていて…」
「………」
「帰ってきて早々に完成したドレスを見せられて、その時に姉上の勘違いに気付いて…」
「……ふっ…」
耳まで赤くしながら困ったように眉を下げて「本当にごめん」と項垂れるアルコルがだんだん可愛く見えてしまって、ミモザは小さく噴出した。
「ふふ…っ…では、私はそのドレスを着た方がタニア様はお喜びになりますか?」
「……姉上だけじゃなくて、私も喜ぶ。着てくれ」
「はい」
「ありがとうミモザ」と少しだけ持ち直したアルコルが、ごほんと咳払いをして居住まいを正す。
「私から贈られたものだと知れたら、ミモザの立場も誤解されてしまうだろうから、表向きには侯爵家で用意したものとして扱ってくれ」
「本当によいのですか?」
「あぁ、サザンクロス侯爵には許可を頂いたから安心して」
既に父に許可をとってあるという言葉に驚きつつも「後で部屋に届けさせるから」と言ったアルコルにミモザは頷いた。
「…もう日が暮れてしまうな…寮まで送ろう」
差し出されたアルコルの手を取り、帰り道でハダルであったことを聞きながら送ってもらう。
ミモザが漸く自分の言うべきことを思い出したのは、どこかふわふわと幸せな気分のままアルコルと別れ自室に帰り着いた後だった。
(なんてこと…浮かれていて言わなきゃいけないことを言えなかったなんて…)
ミモザは自分の単純さに情けなくなりつつ、自室のベッドに倒れこんで窓を見上げた。
湿度が下ったことで空の透明度が増して遠くまで見える気がする。目を閉じると、夏の間は聞えなかった虫の声が僅かに聞えた。
思い出さなかったのは心のどこかで「話したくない」と思っている自分が居たからかもしれなかった。アルコルにこの力の事を告げたら、もうミモザにああして笑いかけてくれなくなるかもしれない。それが恐かった。話すと決めたのにアルコルを前にすると呆気なくその決意は揺らいでしまう。
レモンが寝ている筈の籠を見ると、そこにレモンは居なかった。最近こうして一人でどこかへ行っていることが多くなった気がする。
(明日こそ…言わなきゃ…)
空っぽの籠を眺めながらそう決意して、起き上がったミモザは両手で自分の頬を軽く叩いてレモンを探しに再び部屋の外へ出た。
『いい、ミモザ。大事なことはちゃんと言葉にしないと伝わらないの。ありがとう、ごめんなさい、嬉しい、悲しい、美味しい、不味い、好き、嫌い、愛してる。どんな気持ちも、たった一言が大事なのよ。熟年夫婦が離婚に至る原因の一つはこの一言が足りないせいよ。言わずとも理解してもらおうなんて甘い考えと言わざるを得ないわ。昔私の母も父が自分で道を間違えたくせに開き直って謝らなかった時のことをずぅっと根に持って言っていたわ。きっと一生死ぬまで言うわね。まぁそれは置いておくとして、本当に伝えたいことは声に出して言うべきだと思うわ。分かってもらいたいと思うなら誠意を持って先ずは話すべき。その結果が自分にとって不本意なものであったり、辛いものになったとしても、ずっと後悔するよりいいんじゃないかしら?』
「…………」
カーテンの間から差した光が眩しくて目を開ける。目に飛び込んできたのはいつもの自分の部屋の木の天井だった。
「…お母様…」
夢の中の母の話が可笑しくて、ふっと笑みが零れる。悩んでいる時いつもこうして母の夢を見てしまうのは、きっとミモザが母の思い出に無意識に縋って助けを求めているからかもしれなかった。
中々伝える機会に恵まれず、学園祭の準備にも追われる日々が続き、結局アルコルに伝えられないまま学園祭を迎えることになってしまったミモザはベッドの上でぼんやりと考える。
自分が尻込みしていたせいもあったかもしれない。きっとそのことがずっと気にかかっていたのだろう。
「そっか、言わずに後悔するなら、言ってから後悔した方がいいものね…」
もしアルコルから拒絶されたなら、今日が一緒に過ごせる最後の日になるかもしれない。それでも後悔したくなかった。
起き上がってベッドサイドの籠を見れば、レモンが丸まって眠っている。緩く上下するその腹を撫でてミモザは背伸びをした。
今日は長い一日になりそうだ。
ミモザが学園へ戻ってきてから更に高くなった空に色とりどりの光が上がる。
ぽん、ぽん、と軽快な音を立てて破裂した光は綿菓子のような淡い色の煙を残して秋の空に消えていった。
「お姉さま!」
「アクル、早かったのね」
「お嬢様、ご無沙汰しております」
「アリアも、今日は来てくれてありがとう」
「いいえ、しっかりとお役目を果たさせて頂きます」
外部の来客が増え始めた頃、ミモザのいる教室へアクル達が訪ねてきた。はしゃぐアクルと、気合ばっちりのアリアにミモザも笑って「お願いね」と返した。
アクルの保護者としての意味合いもあったが、アリアには最後のダンスパーティーのときの着付けもお願いしていた。
「そういえば…お父様はいらっしゃらなかったのね」
ミモザだけなら来ないだろうが、アクルも参加するのではついて来そうな気もしないでもなかったが、現れたのはアリアとアクルだけだったから、ミモザは疑問に思ってアリアに聞いた。
「…最近ハダルとの国境で不穏な動きが見られるそうです。侯爵様はその対応に追われていてお忙しいようでした」
「そう…」
冥王復活の情報はきっと周辺国にも流れているのだろう。この国が対処できなければ被害は周辺国にも及ぶため、協力を申し出る国や、自衛に力を入れる国が出ていると聞く。だから此方が弱った隙をついて侵攻を目論む国も出ないとは限らない。侵攻したとしてその後冥王が復活したらどうするのかと疑問に思わないでもないが、ハダルがそうでないことを祈るしかない。
「限定のカフェや演奏会や魔法研究の展示も行われるのでしょう?早く見て回りたいわ!」
「…そういえばアルカイド様はいいの?」
考えに耽っていたミモザだったが、ふとアルカイドから一緒に回ろうとか誘われているのではないかと思って聞いてみたら、アクルから「お姉さまと見て回るからってお断りしたわ」とあっさりと返ってきて拍子抜けする。
「あ、でもアルカイド様、生徒同士の観覧試合に出られるって言っていたから、時間が合えばそれは見に行きたいかも」
「そうね…」
自分の片腕にぎゅっと抱きつくアクルを見ながら、何だかアルカイドが少しだけ不憫になったミモザは「観覧試合は見に行ってあげましょうね」とそっと言った。
「お嬢様は出られるのですか?」
「えぇ、私のクラスは展示だけだから、聞かれたら説明するくらいで特にすることはないの」
「声をかけてくるからちょっと待っていてね」と二人に言い残して、クラスメイトを探すと丁度展示パネルの陰にスピカの姿を見つけた。
「スピ…」
ミモザが名前を呼びかけ、そしてスピカの隣にもう一人いることに気付く。
それがドゥーベであると理解したと同時くらいに、ドゥーベはスピカの手を振りほどいて人ごみの中へ消えて行った。
「………」
残されたスピカが俯いて肩を振るわせるのに気付いたミモザは、駆け寄ってスピカの名前を呼びながら肩を叩いた。
「スピカ!」
「きゃっ!?」
驚いて勢い良く振り向いたスピカに「一緒に回りましょ」と言って、その手を引いてずんずんと歩く。
「えっ、あ、ミモザ様…?」
「今日はアクルが来ているの、これから一緒に回るの。だからスピカも一緒に行きましょう」
「あの」
「城下で有名なカフェが限定で出店してるらしいわ、魔法石の展示もあるし、観覧試合は毎年見ものだと聞くわ」
「………」
「きっと楽しいわ」
「っ……はい」
強引に連れて来てしまったが、スピカの顔に少しだけ笑顔が戻ったのに安心して、アクル達の元へ連れて行く。いくらスピカのためを思っての行動だといえ、当のスピカをこれだけ傷つけるなんて、ミモザはドゥーベに腹を立てていた。
「…大体、きちんと言葉にせずに勝手にスピカの気持ちを決め付けて、勝手に距離を置くなんて、どれだけ独りよがりなのかしら」
「え、ミモザ様?」
「私、怒っているのよ?言わないで分かってもらおうなんてドゥーベは考えが甘いと思うわ」
「えっと」
「大事なことは言わなきゃ伝わらないのに…いいスピカ?貴女は言いたいことがあったらちゃんと言うのよ?本当に何のために口がついているのかしら、それとも前世は貝か何かだったのかしら?スピカはあの人みたいになっては駄目よ」
「………」
ミモザの剣幕にぽかんと口を開けていたスピカは、次の瞬間噴出すようにして肩を震わせて笑い出した。
「貝って…ふふ、くっ…あはは…!」
「そういえば、カフェの限定メニューに貝ののったパスタがあったわね、食べに行きましょう!」
「ふっ…た、食べちゃうんですか?」
「そうよ、食べて懲らしめてやるのよ」
「あははっ…そうですね、ちゃんと言わなきゃ分からないって!」
「その意気よ」
漸くスピカがいつもの調子に戻ったのにホッとしつつ、ミモザはアクルとスピカを連れて教室を出た。
それから四人で魔法石の展示を見て、お揃いのアクセサリーを買ったり、ホールで観劇を見たり、カフェでパスタを食べに行ったりした。
「私が話をしようとしても逃げるんですよ、ずるいと思いません?」
「そうね、戦略以外の敵前逃亡は戦士としての名折れだというもの」
「…アクル、どこでそんな言葉を覚えたの?」
「アクルお嬢様は最近父に護身術を習っておりますので、おそらく父が犯人だと…申し訳ありません」
「えっアリアさんのお父様は騎士かなにかされているのですか?」
「いいえ、ただの庭師です」
「でもすっごく強いのよ?昔は名のある冒険者だったのですって」
「すごい!」
「やぁ、楽しそうだね」
中庭に出されたカフェのテーブルで話していたとき、声をかけてきたのはフェクダだった。
「先生」
今日は流石につなぎではないらしい。教師のような格好をしているが、頭上のゴーグルは外す気はないらしい。魔物事件で壊れてしまった頭上の装備は修復されよりギークな感じに進化していたから、服装と合わなくてちょっとだけ変な感じになっているところがフェクダらしいと思った。
「そちらは?」
「はい、私の妹のアクルと我が家の侍女のアリアです、妹は来年からこの学園へ通うことが決まっていますので、よろしくお願いします」
「名前だけは知っているよ。俺はフェクダ・ガンマールといいます。ミモザ君のクラス担任をしています。魔法省にも事前判定の結果が届いているから…君も魔力が中々に高いらしいな。来年も興味深い新入生が多くて何よりだ」
「魔法省…?」
うんうんと頷くフェクダにアリアが首を傾げる。
「あ、えっとフェクダ先生は魔法省から派遣されている教師なんですよ」
「そうなんですか…」
頷いたアリアの言葉に間髪入れずに「あぁそうだ」とフェクダは言う。
「スピカくん、さっきミザール君達が探していたよ」
「えっ…」
「職員棟の近くだったかな、後夜祭の手順の確認をしたいらしいよ」
「そうなんですか、分かりました。私行ってきます!」
「また後で」と手を振ったスピカが去った後「そういえば君達の事もアリオト君が探していたよ」とまたフェクダは言った。
「アリオトさんが?」
「うん、アルカイド君が観覧試合に出るだろう?アルカイド君そわそわして落ち着かないみたいだから応援に来て欲しいって言ってたよ。アリオト君は自分のクラスに居たからそこへ寄っていってくれないか」
「…そうですか」
それならもっと早くに教えてくれれば良かったのにと思いながら、どことなく読めない笑顔のままのフェクダを見やる。
「では私もお嬢様と一緒に」
「控え室は生徒しか入れないから、よければ観覧席へ直接案内しましょう」
「…保護者を仰せつかっておりますので、傍を離れる訳には」
「学園内は魔法省の関係者も多いしその辺の城下より安全だと思いますよ。観覧試合の会場は特に警備が手厚いですから」
「………」
何故か引かないフェクダと、胡散臭そうにフェクダを見下ろすアリアに、ミモザもドキドキしながら二人を見つめる。アリアの方が背が高いせいで、フェクダが見上げる格好になっているのが何だか不思議だ。
「………わかりました」
やがて折れたのはアリアの方だった。
「お嬢様、私はフェクダ先生について先に観覧席へ行くことにしようと思いますがよろしいでしょうか?」
「え、えぇ私は構わないけれど…アリアは大丈夫なの?」
「はい」
全然大丈夫じゃなさそうな不満げな顔をしていたアリアだったが、引く様子のない相手に諦めたように嘆息してフェクダの後をついていった。
「では、お嬢様方もお気をつけて」
「わかったわ、私達もすぐに行くから」
アリアに手を振りながらアクルは「先生ってもしかしてアリアに一目惚れしちゃったのかしら?じゃなきゃあんなに強引に連れて行ったりしないわよね?」と興奮したようにはしゃいでいたが、ミモザは何となく釈然としなかった。
(うーん…フェクダ先生が一目惚れなんてするとは思えないけど…どうしてもアリアと話したい理由でもあったのかしら…?)
あの研究第一なフェクダが単なる色恋で動くとは思えない。その理由があるとすれば魔法に関することだが、サザンクロス家に関する事で何か知りたいことでもあったのだろうか。
「お姉さま、どうかした?」
「あぁ、いえ、何でもないの」
アクルに声をかけられて「ちょっとぼーっとしてしまっただけよ」と答えたミモザは、手元の紅茶を飲み干した。
「さて、私達も移動しましょうか」
「はい…さっき先生が言ってらした方の教室へ行くのですか?」
「そうね…二年生の教室はこの校舎の二階だったかしら」
ここで考えていても仕方ないと、ミモザは立ち上がってアクルと一緒にアリオトの教室を目指した。
「やー、探しに来てくれて助かりました」
アリオトの教室へ向かったミモザが見たのは、沢山の人に囲まれるアリオトの姿だった。
「アルカイドに頼まれてミモザさん達を探しに来たんだけど、展示の不備があってクラスメイトに捕まるわ、商会のお客さん達に出くわして引きとめられるわで、全然動けなくなっちゃって、ありがとうほんと助かった」
「いえ」
「試合に間に合わなかったらアルカイドに怒られるところだった」と、あははと笑いながら話すアリオトに危機感はないように見える。
「スピカさんは一緒じゃないんだね」
「さっきまで一緒だったのだけれど、王太子殿下に呼ばれて行ってしまったわ」
「そう…ドゥーベは一緒にいた?」
「…いいえ」
「うーん…人の事情に首突っ込むのは野暮だと分かっていても、なんだか歯痒いねぇ…」
「そうですね…アリオトさんにも協力して頂いたのにごめんなさい」
「俺は別に大丈夫だよー、むしろ敵を作らなくて済んでほっとしてる」
「敵…?」
「何でもないよ、こっちの話」
あはは、と笑ったアリオトはミモザの肩越しにアクルの方を見る。
「そちらのお嬢さんが妹さん?」
「はい、アクル・サザンクロスと申します」
「私はアリオト・イプシロンと申します。在学しながら商会の方で補佐をしたりしています」
「イプシロン商会の方だったのですね。侯爵領でもよく商隊の馬車をお見かけしますわ」
「ご利用くださりありがとうございます。王都の本店には商隊で取り扱えない商品もありますから、よければお帰りの際にでも立ち寄ってみてください」
「えっ…じゃああの日持ちのするクッキーもありますか?」
「え?クッキー?」
途中まで商人として話していたアリオトだったが、アクルの質問が予想外だったのか、きょとんと素で返事をしてしまっていた。
「えぇ、短い木の棒みたいな…硬くて水分の少ない、商隊の方が食べているのを見て聞いたら商品の売れ残りだって仰ってて…」
「あー…携帯食のことかなぁ…」
「携帯食?」
「うん、冒険者用の携帯食として開発したんだけどそんなに沢山売れるものじゃないし、冒険者以外に需要がないから商隊には商品としては持たせてないな。本店にいけばあると思うけど…どうしてそんなものが欲しいの?」
アリオトの言葉にミモザも同感だったので、じっと隣を歩くアクルを見る。
「あれを改良したら備蓄用の非常食になると思ったんです。以前メグレズ様が領地が水害に見舞われたとき、備蓄されていた食べ物が味気なくて美味しくなかったって話してたのを思い出して…やっぱり疲弊しているときって甘いものが一口でもあると嬉しいでしょう?だから味を改良すれば備蓄用にいいんじゃないかと思って…」
「ははぁ、なるほど…」
すっかり商人としての口調が抜けてしまったアリオトが片手を口元にやって考える。
「そうですね、それなら防災用品としての価値がでるかもしれないなぁ…」
「アクル…すごいわ、そんな風に考えていたのね…」
「うふふ」
ミモザに褒められて嬉しそうにはにかんだアクルは「あったら便利でしょう?」と言った。
「そうね、いいと思うわ」
「…いやはやしかし、さすがミモザさんの妹御ですね。絆創膏にも驚かされましたが、まさか今度は非常食がくるとは…脳筋のアルカイドには勿体ないのでは?」
「私はずっとそう思っているけど…貴方くらいはアルカイド様の味方をしてあげた方がいいんじゃないかしら…?」
アルカイドにどことなく厳しいアリオトに「ご友人でしょう?」と言えば「友人だからこそ厳しくするんですよ」と全然悪びれていないのほほんとした笑顔で返された。
やっぱり何となくアルカイドが不憫になってきたミモザは、アクルに「アルカイド様は剣の腕がとても立つらしいわね」という当たり障りのない言葉でフォローすることしかできなかった。
「あ、つきましたよ」
学園内の演習場の真ん中に特設されたステージが見える。それを囲むように配置された観客席には沢山の人が集っていた。
「すごい人ですね…」
「あぁ純粋な観客だけじゃなくて、魔法省の関係者とかも混じってるせいじゃないかな」
「優秀な人は、学生のうちから目をつけておくみたい」と言ったアリオトの言葉に「へぇ」と感嘆の溜め息を洩らしながら会場を見渡す。ステージの上では二人の生徒が戦っており、その下には出番を待っているであろう数人の生徒の姿が見えた。
「近くへ行ってみる?」
「部外者が入っても大丈夫ですの?」
「大丈夫大丈夫、むしろ顔を見せないと落ち着かないだろうから、ついでに行ってやってくれると嬉しいなぁ」
ミモザとアクルは先導するアリオトについて行きながら、きょろきょろと辺りを見回す。観客達はステージで戦う二人に釘付けになっている。ステージの上では魔法による火花が散っていた。どうやらどちらかが火属性らしい。
「あれ…お姉さま、あれメグレズ様じゃないかしら?」
「え?」
アクルに言われて、近付いてきた集団の中に目を向けると、そこに見慣れた緑の頭が見えた。
「本当だわ…メグレズ様も参加していたのね…教えてくだされば良かったのに…」
「私ちょっと行ってきます」と、ぱたぱたとメグレズに駆け寄ったミモザは、その背に声をかける。
「メグレズ様」
「っ…あぁ、ミモザ嬢こんにちは」
「こんにちは…じゃなくて、参加されるのであれば教えてくださったら良かったのに」
「す、すまない…本当は参加するはずじゃなかったんだが、欠員が出たからと頼まれて…」
「そうなのですか…でも参加される以上はお怪我がないように頑張って下さいませ」
「あぁ、不甲斐ない成績ではアルにも叱られてしまうからな」
眼鏡を直しながら、メグレズが腰に差した剣の柄を片手で軽く叩く。
「そういえばアルコル様はこちらではありませんの?」
「…アルは今所用で城へ戻っている。後夜祭までには戻るから安心していい」
「そうですの…」
学園祭の最中にアルコルが城へ行かなければならないなど、何か具合でも悪くなったのだろうか。
「…心配するな、アルに何かあったわけじゃない」
俯いたミモザに、頭上からふっと笑う声がして、頭をぽんと撫でられる。
「わかりました」
「あぁ」
「ごめんなさい、応援をしにきたのに、何だか私の方が励まされてしまいましたわね」
「気にするな、それより誰かの試合を見に来たんじゃないのか?」
「あ…はい、アクルと一緒にアルカイド様の試合を…」
「それなら」
メグレズが言いかけた声を、会場に響いた大きな歓声がわっと掻き消した。ミモザ達がステージ上へ視線を向けると、大きな火柱が上がっているのが見えた。その火が渦を巻いて空気に霧散すると、その中心にいた人物は炎を剣に纏わせて重心低く駆け出した。
「丁度、試合中だな」
「まぁ…もう始まっていたのね…見逃してしまったわ」
メグレズの隣で、炎で明るくなったステージを見つめる。
「アクルは間に合ったかしら」
「アクル嬢はどこにいるんだ?」
「一緒に近くまでは来たのだけど、アリオトさんが一緒だから大丈夫だと思うわ」
おそらくアリオトと一緒に観客席へ行ったのだろうとミモザは思って、先に行ったアリアのことを思い出して自分も戻らなければと思う。
「メグレズ様、私も観客席へ戻りますね。頑張ってくださいね」
「あぁ、気をつけて」
片手を上げたメグレズに礼をして、観客席の階段を昇る途中で再びステージ上を見る。先程までの試合と桁違いの火力の炎に、やはりアルカイドは戦闘技術に長けているのだろうと思い知らされた。相手も応戦しているが防戦一方で、勝敗は呆気なくついたようだ。
勝者であるアルカイドが、観客席の一方向を見つめ小さく片手を上げる。その視線の先を辿れば、笑顔で手を振るアクルと隣で何故かしかめっ面をしているアリアの姿を見つけた。
フェクダの姿は見えないことからもう席を外しているらしい。
(一体何を言われたのかしら…)
あの様子ではアリアにとって不本意な内容だったのかもしれない。けれど聞いたところでアリアがミモザに話してくれるとは思えない。
アクルの言うとおりただの「一目惚れ」であったなら平和だったのになと思いながら、ミモザは心中穏やかでないまま二人の居る場所を目指した。
空を見上げると、高い空に横から赤い光が差してきていた。もう日が暮れはじめる時間なんだと思ったミモザは足を速めてアルコルの事を思い浮かべた。




