母の教えその23「自分の気持ちほど思い通りにならないものはない」
アルコルに負われて学園へ戻ったミモザは、森の入り口に待機していたスピカに抱きつかれわんわんと泣かれて、おまけにアリオトやアルカイドにまで涙目で無事を喜ばれ、挙句過保護に磨きがかかったメグレズにアルコル共々医務室へ放り込まれ。
『ミモザ嬢、君はもう少し自分の身を省みた方がいい。君が危険な目に合えばアルは右も左も見ずにすっ飛んで行ってしまう。勿論俺だってすっ飛んでいきます。アルもアルです。いくら心配だからと言って一人で飛び込んで行くの止めてくださいって言いましたよね?しかも後を追ってこられないようにあえて用事を言いつけていくのも。俺は大事な友人をこんなことで失いたくない。無茶をして何かあったらどうするのです、死んでからでは取り返しがつかないのですよ?こんな歩けなくなるほどの怪我をして、もう少し二人とも俺に想われて大事にされているという自覚を持って…っ…』
行進曲のように、お説教をしていたメグレズが急に言葉を途切れさせた。
口を引き結んで声を詰らせ涙を堪えたメグレズに、ぎょっとしたのはミモザだけではない。
同じようにぽかんと口を開けたアルコルは、ハッとした後すぐにメグレズの手を取った。ミモザもまた足を挫いていたので椅子から立ち上がることはできなかったが、アルコルと同じタイミングで、その手を取った。
『す、すまない…』
『ご、ごめんなさいメグレズ様』
『ほ…本当に、分かってらっしゃるのですか…!』
『なるべく善処する…』
『なるべく気をつけますから…』
『なるべくじゃ駄目です!!』
『メグレズ様ごめんなさい…泣かないでくださいませ…』
『メグレズ、分かったから、ごめん…』
普段アルコルやミモザの前以外では表情を消していることが多いメグレズが、声を詰らせて泣き出したことにその場にいて同じように手当てを受けていたアルカイド達も、信じられないものを見たかのように驚いていた。ミモザの膝でぐすぐすと泣いていたスピカでさえ、その衝撃に涙が引っ込んで目を丸くしてメグレズを見ていた。
アルコルと二人、必死になってメグレズを慰め、もう夜も遅いからと動けないミモザと付き添いを申し出たスピカ以外は自室で休むように言われ、静かになった医務室で漸くミモザはどっと疲れが肩に圧し掛かってきたのを感じることができた。
最後まで「ミモザのそばにいたい」と渋っていたアルコルも回復したメグレズが連れ帰ってくれたので、アルコルとどういう顔をして話せばいいのか分からなくなっていたミモザは少しだけほっとした。
動揺が落ち着く暇もなく次から次へ色んなことが起こって、頭が追いつかない。
椅子から移されたベッドに上半身を起こした状態で、自分の膝のあたりに突っ伏すように眠っているスピカに苦笑して、ミモザが昼間着ていたブレザーを肩にかけてやる。
『私がついてます!お願いです、一緒にいさせてください!』
スピカはまた自分のせいでと責任を感じているのか、あの後からずっとミモザから離れようとしなかった。それこそ王太子やドゥーベが彼女を心配して様子を見に来ても「私は大丈夫だけど、怪我してない男子は禁制です」と言って医務室に頑として入れなかったのだから、ミモザが彼等と会わないように気を使ってくれていたのだと思う。
自分だって恐ろしい目に合ったというのに、こうしてミモザの心配をして、疲れているだろうについていてくれるのだから、やっぱり優しい子なんだと思う。助けることができてよかったとも。
(スピカ達の前で力を使ってしまったけれど……良かったのよ、これで…)
誰も彼も動揺の中にいて、未だミモザの使った能力に言及されないのが救いだった。
あの時力を使わなかったらきっとスピカを助けられなかった。この温かさを失っていたかもしれなかった。すやすやと寝息を立てる横顔を見ながら、あったかもしれない最悪の未来の残像を打ち消す。
ミモザがそうして感慨深くスピカを眺めていると、こつこつと入り口の扉を小さく叩く音がした。返事に迷っていると、その人物は中へ入ってきて、そっとミモザ達のいるベッドのカーテンを捲った。
「あぁ、ミモザくん…まだ起きていてくれたか」
「先生…」
カーテンを捲って現れたのはあちこちに絆創膏や包帯を巻いたフェクダだった。
「様子を見にきたんだけど…起きていてくれて丁度良かった。怪我はどうだい?まだ痛むかい?」
ミモザの膝で眠るスピカを見つけたフェクダは、苦笑して声を落として言った。
「いえ薬を飲みましたから……それより先生はどうなさったのですか?」
「ウァプラを倒すのにちょっとね…君達のところにはガーゴイルが出たんだって?いくら七騎士とスピカくんがいたと言ったって、よく君達だけで助かったね」
「救援に行けなくてすまなかった」と頭を下げたフェクダに、ミモザは首を振る。
腕も足も、顔だってあちこちガーゼで覆われ、服はあちこち破れているし頭上のゴーグルは罅が入り一部が欠けていた。満身創痍とでも言うべき姿に、フェクダ達の前に現れたという魔物の姿を見ずとも、その強大さを思い知らされた気分だった。
「やっぱり、あんな魔物が出るのは異常なことなんでしょうか…?」
「そうだね…あの森では今までに高位の魔物の存在は確認されていないし、それがたとえいたとしても同日の同時刻に出現するなんて、どう考えてもおかしい」
「…冥王が関係していると?」
「そうかもしれないね…スピカくんが浄化して回っているけれど、一向に改善の兆しが見えないのは、それを上回る勢いで穢れが溢れてきているからかもしれない」
「………」
ミモザとてこの演習で何かが起こるだろうと予測はしていたものの、こんなに酷いことになるとは思っていなかった。メグレズの言うとおり、死んでしまったらどうにもならない。本当にあの魔物を目の前にしてこうして生きていられたのは運が良かったのだ。それに比べれば冤罪で糾弾されるくらいまだ可愛いものだと今なら思える。
甘く見ていた。考えが足りなかったのかもしれない。
人心を操り唆すことくらいしかできないのだと思っていた。けれど相手は人間を滅ぼすつもりなのだ。ミモザのその考えは甘かったと言わざるをえない。
「そういえば…あれからドゥーベくんとは話す機会があったかい?」
「ドゥーベさんですか…?いえ特に…スピカから話は聞いていますけれど…」
さっきもスピカに追い返されていた話をしたら、フェクダも「スピカくん強いねぇ」と笑っていた。けれどすぐその笑みを引っ込めて、酷く真面目な顔をしたフェクダは静かに口を開いた。
「ミモザくん、ドゥーベくんに気をつけた方がいい」
「え…」
真剣な表情で、じっとミモザを見つめて呟いたフェクダを呆然と見上げる。
「どうして…?彼が何か…?」
「ウァプラと戦っている間、彼もその場にいたんだ。魔物の力が強くて、俺達教師が数人居ても中々倒すことができなかった。そんな時、東側でも魔物が出現してスピカくん達が襲われているという連絡を受けた。いくらアルカイドくんとアリオトくんがいるとはいえ、ガーゴイル相手に勝つのは…正直生き残るのすら難しいと思った。だからドゥーベくんにスピカくんのところへ行くように言ったんだ。スピカくんが危ない、そう言ったら目の色を変えたように急に彼の魔力が膨れ上がったんだ」
「膨れ上がった…」
「うん、おそらくスピカくんが危険だと聞いて無意識に魔力を爆発的に練り上げたんだと思う」
「………」
「彼はその練り上げた強大な魔力でウァプラに強力な一撃を浴びせ、すぐに君達のところへ走り出した。その一撃で致命傷を負った魔物は残った俺達ですぐに倒すことができるほどだった…それだけで彼の力がどれだけ強大か分かるけど…それ以上に、その膨れ上がった魔力が大きすぎて…普通は人間じゃあれほど大きな魔力は内包できない…」
「それは…どういうことですか…?」
「わからない…彼が元々特別魔力量の多い特殊な体質をしているのか、外的要因があったのか、七騎士としての力なのか…以前の鑑定ではそこまでの異常値は出ていなかった筈だし…どれも推測の域を出ないけど、彼はその力をスピカくんに関することに向けている気がするんだ」
「スピカに…?」
「スピカくんが危険だと教えるまでは彼も我々と同じように苦戦を強いられていたんだよ。それがたった一言であんなに爆発的に魔力が膨れ上がるなんて…心因的なものに大きく作用されるとするならば…スピカくんが害されたとき、彼はその力を暴発させる可能性がある」
「………」
フェクダの話にミモザは思わず眠るスピカに視線を移した。
『あんたがやったのか!!』
あの時、スピカを突き飛ばして害したのではないかとミモザに詰め寄った表情を思い出した。王太子やメラクは怒りよりも軽蔑の意思が強かった気がするが、ドゥーベだけはその顔に誰よりも強い怒りを浮かべていたように思う。
「ミモザくんは今一番スピカくんに近いと言える。もちろんそれは今のスピカくんにとっては良いことだろうけれど、それをドゥーベくんがどう思うかは分からない」
「……つまり、彼はスピカと一緒にいる私を今後疎ましく思う可能性があると?」
「この間みたいな誤解が起きないとは言い切れない、可能性の一つとして考えられるよね。見ていて彼はどうやらスピカくんのことになると非常に盲目的というか、他のことが目に入らなくなる傾向があるようだから…注意だけはしていた方がいいだろうっていう…まぁ憶測でしか言えなくて、研究者としては情けないんだけど…老婆心だと思ってくれたら…」
「…わかりました…」
「彼の魔力について俺ももうちょっと詳しく調べてみるよ」と言ったフェクダにミモザは神妙に頷く。ドゥーベが発揮した膨大な魔力が何なのか不安の残るところではあったが、スピカも大事に想っている幼馴染を必要以上に避けたり不要に疑うこともしたくはない。表面上は当たり障りなく距離を取って過ごした方がいいかもしれない。
「あぁそうだ、あとミモザくん皆の前で能力を使ったかい?」
「……はい」
「やっぱりか…アリオトくん達から君が一時魔物を抑えたって聞いたからもしかしたらって思ったんだけど…」
「あ、あの…アリオトさん達はやはり気付いてしまったでしょうか…?」
「……そんなに心配しなくて大丈夫だよ」
余程悲壮な顔をしていたらしい。フェクダにぽんぽんと頭を撫でられ苦笑される。
「アルカイドくんもアリオトくんも、君の魔法が聞いていたものより高度なものだと察したようだったが、把握できるほどの状況じゃなかっただろうし…一応ミモザくんの能力は魔法省で研究中で守秘義務があるからねって口止めしておいた」
「そうですか…すみません…スピカには…」
「スピカくんは多分分かってないと思うよ。魔法を学び始めて日が浅いし、いい意味でも悪い意味でも純粋だ」
「そうですか…」
「気にし過ぎるな…って言っても無理かもしれないけど、少なくともスピカくんの命を救うために魔物の前に立ちはだかった君のことを彼等は悪く言ったりしないと思うよ」
「……はい」
「長々話しちゃってごめんね」と話を終えたフェクダが退室した後、ミモザも布団に倒れて医務室の白い天井を見上げた。
(疲れた……)
今日は本当に色々あった一日だと思う。
ゲームのイベントである野外演習。スピカと仲良くなれたこと。アリオトからの意外な感謝。アルカイドの後悔。シナリオよりも強大な魔物の出現とその強さ。自分の力が及ばなかった悔しさと追い詰められる恐怖。一人遭難した心細さ。そしてアルコルの。
「…っ……!」
思い出して誰に見られる訳ではないけれど、布団を頭の天辺まで引き上げて己の赤くなった顔を覆い隠した。
『初めて城で会ったあの日から、ずっとミモザが好きだった』
初めて会った時から、あのお茶会の時からずっと?
『こんな私を見放すことなくずっと傍にいてくれた。ただそれだけのことがどれだけ嬉しかったかあなたは知らないだろう?』
違うんです、私は貴方の行動次第では距離を置くつもりでした。貴方を友人だと言いながら、死にたくないから、婚約者に選ばれたくないから、しかるべき時が来たら離れようと思っていた薄情な人間なのです。そしてそれが出来なかったのは偏に貴方が誠実に努力されていた姿を見ていたから。
『一人の人間として、あなたに好いてもらえるまでは言う資格もないんだと思って我慢していた。だから周囲に積極的に誤解されるよう動いていたのは私の方なんだ…はっきりと自分の口で言えないくせに、猾いことをしてごめん』
貴方が狡いのであれば私はもっと極悪です。友人の振りをして、貴方の隣を長い間独占して、勝手に助けを期待してしまうくらいには貴方に甘えていたのを思い知らされました。貴方は勇気を持って私に告白してくれたのでしょう、けれども私は自分の力を打ち明けることもせず、嫌われたくないなどと身勝手な理由で助けにきてくれた貴方に告げる決心も持てない愚か者で。本当の私は貴方に好いてもらえるような綺麗な人間ではないのです。
でも
『この先ずっと隣であなたが笑っていてくれたらいいと思った。辛いことを分かち合うのも、楽しいことを増やしていくのもあなたがいいと思った。ミモザとなら、どんなことがあっても一緒に乗り越えられると思った』
私もこの先ずっと隣で笑っていてくれるのは貴方がいいと思ってしまった。母が昔歌って聞かせてくれた『楽しいことはふたりぶん、悲しいことははんぶん』という歌詞のように、楽しいことや嬉しいことを、未来を一緒に生きたい、辛いことも一緒に背負いたいと分不相応にも思ってしまった。
頬が熱い。頭も心も沸立って、胸が一杯で、膨れ上がった想いを溜めておけなくて吐き出すように大きく息を吐く。
結局自分は頭では死亡フラグだからと言い訳をしながら、その実遠ざかることもせず与えられたあたたかな現状に甘んじていただけだ。
「ほんとに……私…最低ね……悪役令嬢みたい……」
アルコルにはこんな自分よりももっと相応しい相手がいるだろう。そう思いながらも、心の中ではアルコルの隣を望んでしまう自分がひどく狡く思えた。
『ミモザ、この力はね使い方によってはとても恐ろしい結果を引き起こしてしまうの。貴女が弱いままだと、きっといつか貴女自身もこの力に溺れ、絡め取られ、飲み込まれてしまうでしょう。だから普段から己を律し、心を強く育てることが必要よ。…けどね、自分の気持ちほど思い通りにならないものはないのよ……もしそれほどに貴女の心を揺らがせることにこの先遭遇したのなら、沢山悩みなさい。相手のためにも、自分のためにも。真っ向から向き合うのが辛くても。たとえ前に進んでいないように思えても、そうやって悩んだことは一つも無駄じゃない』
「おかあ…さま……」
胸を過った母の言葉に慰められたような気がしたミモザは、寄る眠気に身を任せるように瞼を閉じた。




