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お母様の言うとおり!  作者: ふみ
27/61

母の教えその21「あきらめたら試合終了」


それからしばらくそうして歩き、太陽が丁度空の天辺の辺りまで昇った頃に湖の畔へ着いた。


「ここらへんに拠点を作ろうか」


程近い平坦な場所を見つけたミモザ達は、そこへ腰を落ち着けることにした。湖の近くまで行き周囲を見渡すと、近くに同じように拠点を作り始めている生徒達の姿が木々の間から見えた。


「そうだな…ここなら水場も近いし、比較的他の班もいくつか近くにいるようだし…魔物が襲ってきた時に協力して対処しやすい」

「はいっ」

「俺は周囲を探索してくる。獲物が居れば狩ってこよう」

「じゃあ、俺は魔法で竈を作ったり、魔物避けのための障壁を周囲に作ったりするから、二人は近くで食べられそうな野草の採取と、下ごしらえとかお願いできるかなぁ?」

「わかりましたわ」


早速想像していた通りの演習行動にミモザは、内心張り切って拳を握る。


「…草採るだけだろ」

「だってこんなこと家ではさせてもらえないもの」

「阿呆らし」


ミモザの腕から降りたレモンは伸びをして欠伸をすると、すぐに木立の中へ歩いていく。


「どこか行くの?」

「お人よしには付き合いきれないんでね」


ぷいとそっぽを向いて、すぐに茂みの中へ見えなくなってしまった黒い後姿に、ミモザは嘆息して肩を揺らした。

ミモザがスピカと仲良くしようとしているせいか、朝よりもずっと機嫌の悪いレモンを見送ってから、とりあえずミモザは頭を切り替えた。


(折角の実習なんだもの…与えられた役割は全うしないと…!)


しかし、ミモザのその決意は行動を開始してものの数分で崩れることになる。


「見て、食べられそうなキノコを見つけたわ!」

「サザンクロス様、それは食べちゃ駄目なやつです!」

「これはヨモギね」

「それはキクですね」

「……これはニラかしら」

「多分スイセンだと思います」


ミモザの見つけたものは、ことごとく毒のあるキノコや、食べられない野草ばかり。


更に。


「えい」

「っ…あ、あのっ…手は猫の方がいいと思います!」

「そうなのね…でもやっぱり刃物を使うのは恐いわね…えいっ」

「……っ……!」


子供の頃からサザンクロス邸で気配を遮断して厨房でその様を見ていたとはいえ、実際見るのとやるのでは大違いであった。貴族の子女は調理などできなくても困らないかもしれないが、いつか家を出なければいけないかもしれないミモザにとってはそれは重要なことだったから、家でも深夜にこっそり練習をしに行ったことがあったが、その思いとは裏腹に調理だけはいくら練習しても上手くなる気配はなかった。


「できた…!……けど……」


なんとかキノコや葉を刻み終えたミモザだったが、そこには大きさの疎らな物体があちこちに飛び散っているだけのようにも見えた。


「………」


(我ながらひどいわ…)


板の上の惨状にミモザは自分の不甲斐なさに頭痛がした。これでも手を切らなかっただけ上出来と言えただろう。きっとスピカはずっと横ではらはらしながら見ていたに違いない。無駄に心臓に負担をかけてしまって申し訳ないと、落ち込みながらミモザは「これではもったいないお化けが出てしまうわ…」と呟いた。


「もったいないお化け?」

「えぇ……昔亡くなった母が言っていたの。食べ物を粗末にすると“もったいないお化けが出るのよ"って」


母は好き嫌いをしてはいけないという意味で言ったのかもしれないが、食べ物を粗末にしているという意味では、現状もそれに当て嵌まっている気がした。


「どうしましょう…折角集めたのに…」

「っ…大丈夫です!まだなんとかなります!」


落ち込んでしまったミモザを励ますように、スピカは散らばった食材を集めて、手際よく大きさが揃うよう細かく刻んだ。


「すごい…上手なのねスピカ」

「家でもやってましたから!これ具沢山のスープにしてしまいましょう。そうしたらお腹も満たされるし、夜は冷えますから体もあたたまって一石二鳥です!」

「ごめんなさい、私のせいで手間をかけさせて…」

「……違いますよ、サザンクロス様。そういう時はありがとうです」

「!」


スピカの言葉にミモザは目を瞠る。ぱっと照れたように頬を染め無心で食材を刻むスピカの横顔を見ながらミモザは笑った。


「ありがとう」

「はいっ」


お互いに笑みがこぼれて目が合う。


「サザンクロス様は何でもできそうなのに、苦手なことがあるの意外で驚きました」

「私だって苦手なことくらい沢山あるわ。お料理だけは昔から駄目なの、練習しても上手くできなくて…特にお菓子はとても難しかったわ」

「お菓子は…分量をきちんと量らないと失敗しやすいですよね」

「そうね、妹に教えてもらうのだけど、同じように作った筈なのに毎回出来上がりは炭か泥のようだったわ。文字通り雲泥の差がついてしまうの…変でしょう?」

「…っ…」

「この間貴女の口に入ったのが妹の作ったお菓子で良かったわね。私のクッキーだったら貴女のお腹と歯は今頃無事ではなかったわ」

「ふっ…」

「っふふ…っ」

「も…もう…我慢してたのに…っ…」

「ふふふっ…ごめんなさい…、つい笑わせたくなってしまって…っ」


耐え切れずに笑い声を洩らすスピカに、ミモザもつられて笑う。


「サザンクロス様ってば…」

「それだけ笑ってしまったのだから、もうそろそろ名前で呼んでほしいなと思うのだけど…」

「…ほ…本当に?…私なんかが呼んでいいんですか…?」

「スピカが嫌じゃなければ」

「嫌じゃありません!!わ、私だって本当は……っその…仲良く、なりたくて…!!」

「っ…ふっ…」

「笑わないで下さいっ」

「ごめんなさい、だってあまりにも頑固なんですもの…!!」

「…み…ミモザ様…」


顔を見合わせてクスクス笑い合う。無理に呼び捨てにしろというのは彼女の精神衛生上もよろしくないだろうから「ミモザ様」で妥協するが、母の言った通り気付いたら友達になってるってこういうことなのかもしれないと思いながら、はじめてできたであろう女の子の友達にミモザはくすぐったい気持ちのままにはにかんだ。


しばらくそうして笑っていると、くつくつとスープを入れた鍋が煮立つ音が聞こえてきた。


「あ、そういえば、スープに入れるとおいしいハーブが向こうに自生してましたね。私採ってきます」


そうして「ちょっと待っててくださいね」と言い残して、走っていくスピカに「遠くへは行かないでねー」と間延びしながら声をかけたのは、さっきまで少し離れた場所で竈を組み上げていたアリオトだった。


「楽しそうだったね」

「聞こえてしまいました?演習中に不謹慎でした、ごめんなさい」

「怒ってないよ。最初少しぎこちなかったから、君達が仲良くなれたのならそれでいいさ」


ミモザの隣に腰を落としながら「はい」と差し出されたのは絆創膏だった。


「手は切っていませんよ?」

「足、靴擦れしてない?歩き方が変だよ」

「………」

「貼った方が楽だよ」


大して親しくもないミモザの小さな不調にも気付くとは、流石に観察眼に長けているだけあるとミモザは思った。これしきの移動で靴擦れを起こしたなどと呆れられたくなくて黙っていたが、これ以上それを隠すのも無駄だと思ったミモザは「ん」と差し出された絆創膏をお礼を言って受け取った。


「貼ってあげようか?」

「結構です」

「つれない、残念」


ちっとも残念そうではない声でアリオトは笑ったが、ミモザが靴を脱いで絆創膏を貼る間はちゃんと横を向いていてくれた。


「…この絆創膏はイプシロン商会のものだったのですか?」

「そうだよ。宝石やドレスの服飾部門に比べれば取り扱いは微々たるものだけどね」

「このテープとガーゼが一緒になっている絆創膏とても使いやすくて、私気に入ってるんです。家でも使っています」

「……あ、あぁ…これは前に冒険者の人から教えてもらったんだ。その人は転生者で、色々画期的な商品の話を聞かせてもらったから、商品化したんだ」

「そうなのですね。ただ貴族向けなのか少し価格が高めですよね。こういった画期的な医療品こそもっと領民達の手に行き渡ればいいのに」

「…貴族向けとは別に、材料を変えて安価で提供できる商品は現在開発中だよ」

「そうなのですね!もし手軽に手に入るようになれば、些細な傷口から感染を起こすようなことを少なくできるでしょうね」

「………」


治癒魔法は存在していても、その魔法が使える者も、受けられる者も一部に限られる。日常の些細な怪我や病気は、医者にかかって投薬や安静にして治す他ないというのがこの国の現状だ。

中途半端に治癒魔法などがあるためか、こうした薬の開発や医療品の普及が思うように進んでいないという問題もあった。だからたとえ絆創膏一つでも、領民達に行き渡れば彼等が健康に生活する一助となるだろう。

そう思ってミモザは口にしたのだが、いつまでもアリオトから反応が返ってこないため、おかしなことを言っただろうかと、首を傾げて相手を見た。


「宝石やドレスには反応しないのに絆創膏に食いつくって……」


呆然とミモザを見ていたアリオトは、ぶはっと噴出すと両手で腹を抱えて笑った。


「やばいなぁ…本当におしいな…でも第二王子と敵対するのはちょっと無謀かなぁ…」

「え?アリオト様?」


「何か私変なことを言いましたか?」と慌てるミモザを尻目に、笑い声を収めた相手はかしこまって片手を胸に当てて頭を下げた。


「いやぁ、第二王子殿下が貴女を側に置きたがる理由が分かった気がする」

「はぁ…?」

「…貴女はこの間スピカさんを助けてくださったそうですね。ありがとうございました」

「……たまたま居合わせただけですわ、アリオトさ…さん、にお礼を言われることではありません」

「数日の間、彼等の様子がおかしかったからアルカイドに聞いたんだ。貴女が王太子殿下の命を聞き入れ、その身をもってあの場を収めてくれたから、スピカさんは今こうして平穏に過ごせているんだと思う」

「…それもなりゆきです、買い被り過ぎですわ」

「俺はその場にいた訳じゃないけど、貴女が頷いていなかったらきっと王太子派と第二王子派の対立にまで発展する可能性があったと思うよ。水面下でうごめいてる世継ぎの問題は当事者がいなくても勝手に大きくなる。冥王がいつ復活するかもしれないこの時勢にそれは国を揺るがす大きな痛手になるし。それに国がごたつけば人も物も流れが止まってしまうし、下手をしたら内乱のどさくさに紛れてどこかの国が攻め込んでくるかもしれない。そうなったら商売なんてしてる場合じゃなくなるしね。だから買い被りでなくありがとうでいいんだよ」

「………」


相手の口から出てきた意外な言葉にミモザが目を丸くする。


「案外、真面目に色々お考えになっているのですね」

「不真面目に見えた?」

「はい」

「即答かぁ…」


「何かへこむなぁ…」と呟いたアリオトにミモザはクスクス笑いながら「ありがとうございます」と言った。


「ん?」

「…私、あの日の行動を少しだけ後悔していました。でも今そう言ってもらえて、全部が無駄じゃなかったんだなと思ったら少し肩の荷が下りました。だから私もありがとうでいいんです」

「そっか」


へら、と笑ったアリオトは、照れを誤魔化すように頭を掻きながら後ろ側を見た。


「もっと話していたいけど…あんまりミモザさんを独り占めしてると怒られるかな」

「え?」

「彼も、何か君に言いたいことがあるみたいだよ」


「よいしょ」と立ち上がったアリオトが歩いていった木の陰から出てきたのは、肩に動物らしきものを担いだアルカイドだった。


「アルカイド様…お戻りになっていたのであれば声をかけてくださればよかったのに…」

「わ、悪い…決して立ち聞きしていた訳では…」

「別に聞かれて困ることじゃないから構わないよー、でも言いたいことがあるならそんな遠くから見てないでちゃんと言った方がいいと思うな」

「っ」

「じゃあ俺はスピカさんの様子を見てくるね」


そう言ってアリオトは森の中へ消えてしまう。

残されたミモザとアルカイドは、再び落ちた気まずい沈黙にお互い黙り込んでしまった。


「……とりあえず、それを下ろしたらどうでしょう?」

「そうだな…」


ぎこちなく頷いたアルカイドは、獲物をどすんと地面に下ろし肩の埃を手で払った。


「………」


先程のアリオトの話だとアルカイドは何かミモザに話があるらしい。何を言われるのか不安ではあったが待っていても何も言い出さない相手に、ミモザは身を固くしながら口を開く。


「そういえば……この間のお礼をまだ言っていませんでしたね…ありがとうございました」

「!」


ミモザが素直に頭を下げて言うと、アルカイドは驚いた顔をした後顔を背けて「礼を言われることじゃない」と少しだけ悔しそうに言った。


「むしろ謝るべきは俺の方だ」

「貴方様が迅速に動いてくださったおかげで、私の疑いは晴れましたから」

「それだけじゃない。あんたがあの事を内々に収めてくれたから大事にはならなかったが…本来ならいくら王太子といえど許されることじゃない。言い訳になってしまうが…あいつらは普段あんなこと言う奴等じゃないんだ。なのにあの時はスピカを守りたい一心で周りが見えなくなっていたんだと思う……そして側近として止め切れなかった俺にも責任はある」


「すまなかった」と頭を下げたアルカイドに、ミモザはスピカの面影が重なる。


「……皆さん、責任感が強すぎますわ」

「……?」


スピカといい、アリオトといい、揃いも揃ってどうして自分のしたことでないことを悔やんで悩んで謝罪や礼をするのか。アルカイドにしてもそうである。

ミモザだって謝罪ばかりされていると、周囲にまだ怒っているのだと誤解されているのではと気が滅入るし、かといってさっきのように礼を言われても、そこまで考えて取った行動じゃないし過大評価ですよと恥ずかしくもなる。


「………」


目の前で不思議そうな顔をするアルカイドの姿をじっと見る。


(随分変わられたのね……)


あの頃より体は一回りも二回りでも足りないくらいがっしりとして、腕には傷も多い。何より顔つきが違う。以前のような驕ったところはなく、相手のことを真摯に考え、己の立場と職務を全うする姿に、この数年領地で心身ともに研鑽を積んだのだろうと察せられた。


「……言いたいことというのはそのことでしたの?でしたらもういいです。今のところ不都合は起きていません」

「いや…!言いたいことはまだ他にあって…!」

「…?」


「まずはこの間のことを謝罪をすることが筋だと思っていたから」と慌てたように言うアルカイドにミモザは首を傾げる。


「っ…サザンクロス嬢…その…アクル嬢…いや、妹御に謝罪をする機会を与えてもらえないだろうか」

「アクルにですか…?」


大きな体を丸め、ミモザの反応を恐れるかのようにアルカイドは神妙に頷く。


「ずっとあの時のことを謝罪したいと思っていた…」

「…あの時アクルはきちんと貴方の謝罪を受け入れた筈ですわ」

「それでも、あの時の俺は大変なことをしでかしてしまったと、焦りと保身から上辺だけの謝罪をしただけなのかもしれないと、そう考えるとやはりもう一度ちゃんと謝るべきだと思ったんだ」


あれからアクルがアルカイドのことを話題にすることはなかった。無理をしている訳ではなく、本当にもう済んだことだからと割り切っている感じだったので、敢えてミモザも口にすることはなかった。


「アクルはもう気にしておりませんよ?むしろ貴方が目の前に現れることで昔のことを思い出して落ち込むかもしれませんわ」

「……やはりそう思うか……」


ミモザの言葉に更に落ち込んだアルカイドは、叱られた犬のように小さくなってしまう。


「そうだな…彼女が必要としていない謝罪をしたいというのは、俺の一方的な自己満足だ…やはりおこがましかったな…」

「…う…」


繰り返し言おう。ミモザはこのしゅんとした雰囲気にとても弱いのだと。


「……わかりましたわ」

「っ本当か…!」

「ただ、いきなり会うのではなく手紙を書いて頂けませんか?」

「手紙を…?」

「アクルにはアルカイド様から手紙を預かったと話をします。それであの子が読みたくないと言ったときはそのまま持ち帰ってきます。その時は諦めて下さい」


ミモザとて譲歩できない事だってある。いくらアルカイドが変わったとはいえ、アクルが彼を拒否したなら、いくら望まれても会わせるつもりはない。


「………わかった」


神妙に頷いたアルカイドは「学園に戻ったら書く」と言って、下に置いた獲物を引き摺ってそれを捌きに行くといって茂みの奥へ歩いていった。その姿を見送りながらミモザはほっと息をついた。


アルカイドの言いたかったことが、まさかアクルに謝りたいということだったなんて。

意外だと思ったが、それでもあの事件のあと、アルカイドがそこまで変わってくれたことが何だか頼もしかった。


アルコルもメグレズも、アクルもアルカイドも。いろいろあったけれど、今こうして穏やかな関係を築くことができていることにミモザは安堵する。

コトコトとスープの煮立つ音を聞きながら、このまま味方が増えていけば最悪の未来を回避することも難しくないのではないかと。


この時のミモザは胸に湧いた小さな希望に確かに浮わついていたのだと思う。


しかしその小さな希望は、森の奥から聞こえたスピカの悲鳴と、不安を掻き立てられるような低い鳥の鳴き声によって掻き消された。


「っ…何…」

「行くぞ!!」

「はい…!!」


危機感を感じさせるその声にアルカイドもまた、素早くミモザに声をかけスピカ達の方へ走りだした。その後ろをミモザも必死についていく。


(どうして……やっぱりスピカが襲われることは変えられないの…?)


ミモザが魔物を操ったりしなくても、シナリオは変わらないということなのだろうか。


(スピカ…!!)


さっきまで隣で笑っていた姿が頭に浮かぶ。きっと今彼女の身には危険が迫っているのだ。どうか、どうか無事でいてほしい。

懸命に足を動かして、必死にアルカイドの背を見失わないように走る。


「っ…スピカ!!アリオト!!」


アルカイドが二人を見つけたらしい声がして、すぐに剣戟の音が響いた。


『グァアアォア!!』


それと同時に森の中に木々を震わせるような禍々しい声が響いた。


「ぐっ!?」

「アルカイド様っ!!」


魔物の起こした衝撃波によって数メートル弾き飛ばされたアルカイドの体を受け止めて、ミモザはそのまま後ろへ尻餅をつく。そうして森が少し開けた場所にいるそれの姿を見た。


「すまないっ…ぐ…!」

「いいえ、あれはっ…?」

「ガーゴイルだ…高ランクの魔物がどうしてこんな場所に…!!」


この森には生息しない筈の魔物の出現に、アルカイドの声にも焦燥が混じる。ミモザもはじめて見た魔物に、恐怖からか手が震えて唾を飲み込んだ。


ガーゴイルと呼ばれたその魔物は大きな毛むくじゃらのコウモリのような見た目をしており、血のように赤い目は視線を一点に定め、地面近くをその鋭い爪で抉っていった。その視線の先を辿れば、そこには後ろに座り込むスピカを庇うようにアリオトが膝をついて、土壁でその攻撃を防いでいる。


「アリオト!!」


すぐに起き上がり再び剣を構えたアルカイドは、ミモザに「俺がひきつけている間にスピカ達を頼む!!」と言い残して、魔物へと向かっていった。


「っ…」


恐かった。それでも躊躇している暇はない。ミモザは魔物に切りかかるアルカイドの姿から目を離してスピカ達の元へ走った。


「スピカ!!」

「ミモザ様っ…!!」

「怪我は…っ!!」

「私は大丈夫です!!けど、アリオトさんが…!!」

「っ」


地面に片膝をついて、左の手で右肩を押さえながら伸ばした手で、目の前に大きな土の壁を築いていくアリオトの姿にミモザは息を飲む。アリオトの肩は背中にかけてぐっしょり赤い色で染まっていたからだ。


「怪我をっ…!!」

「あー…ミモザさん、ちょっとね咄嗟だったからうまく避けられなくて、格好悪いところを見られちゃったなぁ」

「わ、私を庇って、アリオトさんは私を庇って怪我をしたんです…!!」


血の気の失せた顔で気丈に振舞うアリオトに、スピカは自分のせいでアリオトが重傷を負ったことに涙を浮かべパニックになっていた。


「どうしよう…!!わたし…私のせいで…!!」

「落ち着いて、スピカ」

「だって、こんな酷い怪我っ…」

「しっかりしなさい!!」


バチン、とスピカの頬を両手で叩いて、そのまま挟み込んで顔を合わせる。


「貴女は回復魔法が使える筈でしょう!」

「さっきからやってるけど、発動できないんですっ…!!」

「どうして?」

「わからないっ…このままじゃ、アリオトさんが死んじゃう…っどうしよう…私…!!」

「大丈夫よ、もう一度…!」

「っ…」

「もう大丈夫だから、恐かったわね、ここにいるわ、絶対大丈夫だから…」

「…っ…」


目の前で自分を庇った人間が重傷を負ったのだ。パニックを起こしたスピカの気持ちも分かる。目の前には見たこともないような凶暴な魔物、じわじわと自分を庇う背中を赤く染めていく色に恐慌状態に陥ったスピカはうまく魔法が発動できていない状態にあるのかもしれない。そう思ったミモザは、スピカに安心させるように言い聞かせた。

スピカには暗示は効かない。ミモザだってこの状況は恐いし、誰かが死ぬかもしれないなんてもっと嫌だ。絶対なんて言葉はないということも分かっている。けれどアリオトを救うには今はそう言うしかなかった。


「ミモザ…さま…」

「大丈夫、もう一度やってみましょう?」

「っ…」


漸く目の焦点が合ったスピカが、両手を組んで回復魔法を発動させる。光の粒子がスピカを中心に渦まいて、練り上げられた金色の光がアリオトの上で大きく弾けた。


降り注ぐ金色の粒子にアリオトが「ふぅ……」と息を吐いて、後ろに尻餅をついた。


「アリオトさんっ…」

「あぁ大丈夫、ちょっと気が抜けちゃっただけ…回復ちゃんと効いたよ」


「ホラ」と右肩をぐるぐると動かすアリオトに、スピカはぽろぽろと涙を零して「良かった…」と嗚咽を洩らした。


「ミモザさん、俺はアルカイドの加勢に行くから今のうちにスピカさんを連れて避難して…怪我は治ったけど消費した魔力や流れた血がすぐに戻る訳ではないから。俺が作ったこの壁もそんなに長くはもたない。アイツと遭遇してすぐに先生に連絡はしたけれど、他の場所でも同じような魔物が出たらしくてすぐに加勢は見込めないんだ…だからもし他の七騎士や戦える生徒が近くにいたら応援を頼んでくれるかな」

「そんなっ…!」


他の場所でも同じような魔物が出ているなんて、思ったよりも悪い状況にミモザの顔は青褪める。


「死ぬつもりとかじゃないんだ…ただ自分のことで手一杯で、二人のことまで守りきる余裕がないんだ。だから早く…っ!?」

「きゃあぁっ!!」


ゴッ!!と大きな破壊音がして、ミモザ達を守っていた壁が崩れる。

ガラガラと瓦礫の崩れた上には壁に叩きつけられたらしいアルカイドが倒れていた。


「アルカイド!!」

「ぐ…っぅ…くそ……!!」


げぼっと口の中の血を吐き出したアルカイドが、剣を支えにして身を起こす。


「ミモザさんアルカイドを後ろに!!スピカさん、回復を!!」

「は、はいっ…!!きゃああ!?」

「スピカさんっ!!」


アルカイドの前に立ちはだかったアリオトには目もくれずに、魔物は一足飛びにスピカの身をその足で地面に縫いとめた。


「っか…は…!!」

「スピカっ!!」


地面に押し付けられた苦しさから声を洩らしたスピカに、気がつけばミモザは魔物の前に飛び出していた。


スピカや攻略対象たちの前で能力を使わない方がいいなんて考えは、頭の中からは一切消えていた。


今ここで躊躇したならばミモザはきっと一生後悔するだろう。


「やめなさい!!」


きっ、と目に魔力をこめて魔物の目を見返す。赤いのに黒くて何かドロドロしたものがその奥に渦巻いているようだと思った。けれども目を離すことはしない。

相手の思考に制限をかけ意識の主導権を奪うように魔法を使う。さすがは高ランクの魔物らしく、簡単には精神干渉を受け付けてはくれない。抵抗するように魔物は首を振って逃れようとするが、絶対許さないとミモザは幾重にも暗示をかけ続けた。


「っ…その子を離しなさい…」

『グルァア…!!』

「離すのよ!!」


何度目かの思考制限の末、魔物はゆっくりとスピカの体の上からその足を上げた。


「スピカ、今のうちに離れて…アルカイド様達の方へ…!」

「ミモザ様…っ」

「早く、もうもたないかもしれない…っ!」


精神支配に抵抗しようとする魔物と、その思考を制限しているミモザの精神状態は今拮抗している状態にあった。けれどもさっきから幾重にも魔法をかけ続けているせいでミモザの魔力は尽きかけてきていた。

そうしてやっとスピカがアリオトとアルカイドの元へ辿りついた時、それを見たミモザの気が一瞬弛んだのを感じた魔物は、それまで受けていた支配を完全に跳ねつけて一際大きく嘶いた。


『グァ…グルアッァァアァ!!』

「っ…!?」


押さえつけられていた怒りに、敵意の矛先をミモザだけに変えた魔物は、その鋭い爪のついた足をミモザに振り下ろした。


「ゃ…!!」


咄嗟に横へ飛んだミモザは、すぐに起き上がって森の中へ駆け出した。


「っミモザ嬢!!駄目だ!!」

「ミモザ様っ!!」

「今のうちに回復を…!!」


後ろからミモザの名前を呼ぶ声が聞こえたが、後ろへ戻れば彼等が巻き込まれるのが分かっていたから立ち止まるわけにはいかなかった。それだけ言い残して枝や木に阻まれた道のないような場所を選んでひたすら走った。あちこちぶつけたり、葉に掠った頬が痛かったりしたが形振りなど構っていられない。


『アアアォオア!!』


低く、憎しみを滾らせたような声と森をなぎ倒す音が後ろから追いかけてくる。

もっと早く走らなければと思うのに、思うように足が動かない。恐ろしくて鳴りそうになる歯を食いしばって足を動かすことだけを考える。

ただ無謀をおかしているわけじゃない。少しでも時間を稼げれば、回復したアルカイド達の増援が望めるはず。近くには他の班の生徒達もいたはずだ、そこまで辿り着ければ。運がよければ七騎士の誰かにも会えるかもしれない。

諦めない、諦めたらそこで終わりだって母も言っていた。


「っ…はっ…ぁ…っ死んでたまるものですか…!!」


ミモザはそう信じて懸命に足を動かした。


「っ…!!」


走っていたミモザの前が急に開けて、暗い森から出た眩しさに慌てて立ち止まると、目の前にはほど高い崖があり、その下にまた広がる森が見えた。


「…っ…そんな…」


そこまで高くはないが、飛び降りられる高さではない。横を見ても、同じような断崖が続いているのが見えるだけだった。


『アアァア…!!』


引き返さなくてはとミモザが後ろを向けば、すぐそこまで魔物が迫っているのが見えた。逃げ道もなく、数メートル上から爪を振りかざし飛び掛ってくる魔物の姿にミモザは咄嗟に後ろへ下ってしまった。


「っ…きゃあぁっ…!!」


がくんと自分の体が宙に浮く感覚がしてミモザが声をあげ身を硬くした瞬間、パキンと耳のすぐ近くで音がした。


『グァ…アアァアァァ!!』


カッと突然辺り一面を包んだ白い光に断末魔をあげ身を捩る魔物の姿が掻き消されていく。

その姿が光の中に消えたのを最後にミモザの意識は遠のいた。











光が収まり静けさを取り戻した森の中で、魔物の消えた跡を一羽の小鳥がじっと見ていた。


その無機質な緑色の目で、魔物の先にいた少女の姿が崖の下へ消えたことを確かめた小鳥は、止まっていた木の枝から羽ばたこうと羽を広げた。しかし次の瞬間突如飛び掛ってきた黒い塊によって小鳥は地面へ叩きつけられることになった。

キィ、と高い声で嘶いた小鳥を、黒い塊はもがく体を力任せにそのまま前足で地面へ押し付けた。


「お前っ…!!」

「…久しぶりなのに、随分な挨拶だね、同胞」

「やっぱりお前がやったのか!!」

「そうだよ」

「何でっ!!」

「邪魔した罰だよ。あの女が邪魔しなければもう少しで天使を始末できたのに。くだらない正義感で首を突っ込んだのが悪いんだ。見た?あの怯えた顔、最高に面白かったね」


「きゃはは」と声を上げて笑った小鳥は、地面に縫いとめられていることをものともせずに、自分を押さえつけている黒い猫を勝気に見上げる。


「どうして人間なんかの心配をしてるのさ、それにその姿…まさか、人間に飼われてる訳じゃないよね?レモンなんて名前まで貰ってさ」

「っ…」

「僕を見てたのはお前だけじゃないよ。お前の腑抜けた姿を僕だってずっと見てたさ、裏切り者」

「うるさいっ!!お前だってラムエルって呼ばれて人間の側にいただろ!!どういうことだ!!」

「僕は冥王様の為にちゃんと働いてる。役目を放棄したお前に責められなきゃならないことなんか一つもないよ」


反論できない黒猫の手から少しだけ力が抜けた隙をついて、小鳥は空へ舞い上がった。


「本当に僕たちを裏切ったの?」

「………」

「王子の評判を落とし、孤立させ、あの女の憎しみを焚きつけてクーデターを起こさせるのがお前の仕事だろ?それなのに悪意の種を撒くどころか、その人間に飼われて呑気に暮らしているなんて」

「………」

「僕はお前がそうやってサボってた間もちゃぁんと働いてたってのに。天使の周辺に悪意を吹き込んで、孤立させて周りにいる男達に絶対的に庇護すべき存在だと植えつける。あの人間は天使を傷つける奴は許してはいけないよって唆したら簡単に思い通りに動いてくれたよ。可笑しいよね、僕のこと味方だって信じてるんだ。ほんと愚かだよ。僕は最初にきっかけをつくっただけ。後は何もしなくても勝手に自分達で悪意を大きく育ててくれたし。冥王様に胸を張って報告ができるよ。あとは悪役が登場すれば最初に決めたシナリオ通りだったのに…どうしてお前は何もしなかった?」

「………お前には、一生わかんないかもなっ!!」

「っと!危ないなぁ」


再び飛び掛ってきた黒猫の爪を交わして、小鳥は手の届かない高い枝へと飛び移った。


「ねぇどうして僕にそんなことするの?たった一人の兄弟じゃないか」

「…それもお前にはわかんねぇよ」

「今ならまだ間に合うよ。ねぇ僕と一緒に行こう、王子の周りに悪意をばら撒けばまだ間に合う。クーデターを起こせるよ」

「……俺は行かない」

「どうしてさ、お前だってさっき僕がしたことを止めもしないで見てたじゃないか」

「っ…!!」

「まぁ止めたくてもできないよね、そんな存在意義に反することしたら消えちゃうかもしれないもんね。人間を庇うくせに、仲間を裏切ることもできない、中途半端で哀れな奴」

「………」


黒猫はその問いには答えないまま、頭上にいる小鳥を強く睨む。


「どうしても僕と来ないつもり?」

「……いかない」

「僕よりもあの人間の方が大事なの?」

「…………」

「答えられないんだ」

「っ……ラムエル…!」

「…言い訳なんか聞きたくないね。いいよ、お前がそのつもりなら、僕はお前の大事にしてるものを奪ってやる」

「………」

「全部壊してめちゃくちゃにして、冥王様に捧げてやる…後悔したって遅いんだからな!」

「ラムエル!!」


ばさりと羽を広げて飛び上がった小鳥は、その碧の目に憎悪を滾らせながら黒猫の黄色い目を見返した。


「僕に構ってる暇なんてないんじゃないの?もうすぐ日が暮れるよ?」

「っ…」

「大事なお姫様は今頃崖の下でどんなことになっているだろうねぇ」


「きゃははは」と高い笑い声だけを残して、小鳥は朱に染まり始めた空へ羽ばたいて消えた。

黒猫のすぐ側には押さえつけた時に散った白い羽が数枚残っていた。憎憎しげにそれをにらみつけた黒猫は、踵を返して森の中を走り出す。


空の端はもう暗くなり始めている。


崖の下に居るであろう少女のことを想いながら黒猫は森の中をひたすら走った。




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