閑話:守りたかった女の子
『スピカ、大丈夫か?』
自分の体ほどもある大きな藁束を抱え、隣を歩く幼馴染の少女に声をかける。
『大丈夫よドウ、これくらい運べるわ…みんな忙しいのだもの、私もお手伝いしなきゃ…ひゃっ』
健気に頷いて懸命にそれを運んでいたスピカは、根元の硬い草に躓いて、抱えていた藁束を視界一杯に散らばせた。
『あ…』
『大丈夫かスピカ!』
『うん…でも藁が…』
『こんなのは拾えば大丈夫さ』
落ち込むスピカの頭を撫でて、ドゥーベは笑って散らばった藁を拾い集めた。
『ほら、今度はちゃんと持つんだぞ』
そう言って彼女に渡した藁は、最初に持っていたものよりもずっと少ない。
『ドウ、私自分で持てるよ』
『あぁ偉いなスピカは』
『そうじゃなくて…』
尚も言い募ろうとしたスピカの頭をぽんぽんと宥めるように撫でて、再び歩き出す。
小さい頃からずっと一緒だった。
家が隣同士で、生まれた日も近く、気付いた時には一番の友達で。ドゥーベの名前を上手く呼べなくて、その度に悲しそうな顔をするので、「ドウ」でいいといった。それ以来彼女は自分のことをそう呼ぶようになった。
同じ歳だけど、危なっかしくて放っておけなくて。笑った顔が可愛くて。
気がついた時には、スピカはドゥーベにとって一番大切な女の子になっていた。
自分達が生まれ育ったのは王都からは程遠い小さな村だ。
王国北部の山の裾野に広がる草原で、ほとんどの村人が牧畜や農業を営んで暮らしていた。
月に一度ほど商人の馬車はやってくるし、贅沢をしなければ村の中だけでも充分暮らしていける。人口自体が少ないこの村で、子供の数はそれよりも更に少ない。外の世界に憧れる気持ちがないわけではなかったが、自分の父や母も、祖父母も、みんなこの村で結婚をして外の街へ出ることなく幸せに暮らしていた。だからいつか自分もそうしてスピカと結婚して、この村で暮らしていくのかもしれないと、幼い頃はずっと、そう思っていた。
当たり前のように与えられていた世界がとても小さいものだと知ったのは、加工品を持って街へはじめて出かけたときだった。
沢山の行き交う人、見たこともない大きな建物、見知らぬ道具。王国北部の街はとても賑やかで違う世界に来たようだと思った。更に驚いたのは、こんな大きな街でさえ王都よりは劣るのだということだった。
自分達の村が、いかに外界から切り離され、閉鎖的なのかを思い知った。けれどもそれでもまだ、村の外へ出るというのは現実的ではなかった。
あの日が来るまでは。
風の強い日だった。
草原に放していた家畜を集めるため、犬を連れ家を出た。草を踏みながら丘を登ると、ざぁっと強い風が吹いて思わず腕で顔を覆う。風が通り過ぎた音を聞き、そっと目を開けて空を見れば、村の方へ雲が速く流れていった。流れた雲を追って村の方へ向ければ、見慣れない馬車が一台村長の家の前に止まっているのが見えた。
『………』
商人の馬車とも違うそれに、何故だか胸騒ぎを覚えたのを覚えている。
そうして胸の中に芽生えた不安は、すぐに現実のこととなった。
あの馬車に乗ってきていたのは、王国から派遣された鑑定士だった。
十五の年を迎えた全員が、受けることを義務とされている魔力判定。
呼ばれた村長の家で、恐々小さな水晶に手を触れさせた瞬間から、自分達の世界は大きく変わってしまった。
数度の鑑定を経て、強い魔力を持っていることが分かったスピカとドゥーベは、すぐに学園へ入学するための手続きが取られ、数日も経たない内に故郷を離れることが決まった。最初は戸惑っていた家族も村の人達も「光栄なことだから」とドゥーベ達の門出を喜んだ。そこに自分達の意思はない。魔力を持つ者は等しく学園へ通うことを義務付けられているためだと分かっている。けれど、真っ暗な部屋から突然明るいところへ弾き出されたみたいに、周囲を取り巻く環境が一変することに戸惑いを隠せなかった。
そんなときにドゥーベの頭に浮かぶのはいつも側にいたスピカの姿だった。
お互いに王都へ向かう準備に忙しく数日会えていなかったスピカと話ができたのは、出発前夜のことだった。
『スピカ』
『ドウっ……私…わたしっ…』
『大丈夫だ…落ち着いて…』
家畜に与える干草の上、家の裏に積んであるその上に座り込んで、星をぼんやり眺めていたスピカを呼ぶと、彼女は突然泣き出した。
『どうして…どうして私達が行かなきゃならないの…っ…』
『スピカ…』
『私っ……魔法なんて欲しくないっ…』
スピカは、一日速く王都から迎えにきた王国の鑑定士に、学園を卒業したら村へ戻ることが出来るのかと聞いたところ、定かではないが貴重な魔力の保持者であるスピカが再び村に戻るのは難しいのではないかと言われていた。
スピカもまた、ずっとこの村で生きていくのだと思い込んでいたのだろう。
魔力があるとわかったことで、それが呆気なく崩れ、不安で、どうしていいか分からなくなったようだった。
『落ち着いて……』
隣に座ったドゥーベは片手でスピカの頭を抱き寄せた。
『スピカは今まで村の外へ出たことがないから、急に外へ行くことになって、きっと混乱しているんだ…』
『だって、行く必要なんてなかったもの…』
『そうだな…けれど、スピカにとっては悪いことじゃないと思うよ』
『どうして…何でドウがそんなことを言うの…!』
自分と同じ気持ちでいてくれていると思っていたドゥーベの言葉に、スピカが傷付いているのが分かった。
『ドウは私が居なくなっても平気なの…?もうここには戻ってこられないかもしれないのよ?』
『違う、違うよスピカ。けど、外の世界を見ることは、スピカにとって大切なことなんだ』
『何故…?』
『……お前もこの村の状況を知っているだろう…この村は閉じられている』
『………』
『俺は街へ加工品を売りに行く度にそう気付かされたよ。村の外には見たこともないような店や商品があったり、食べたことのない食べ物だってある。それに………人だって、こことは比べ物にならないくらい沢山の人が暮らしているんだ』
『………』
『……今までは…この村には、俺しかいなかったから…お前はそう思い込んでしまっているんだよ』
『っ違うわ!私は…!』
『家族に感じるそれと、違うと言い切れるか?』
『…っ……』
ドゥーベの言葉にスピカは答えられない。
彼女の気持ちが自分と同じではないことは分かっていた。さっき言ったように、お互いしかいなかったからこそ、スピカは自分を想ってくれていただけだ。
『お前がどんな形でも俺に好意を抱いてくれたことは嬉しい…けど、何も知らないまま、この小さな世界で生きていくと決めるにはまだ早いんじゃないか…?』
『………それでも私は…ドウと一緒にいたいよ……』
『大丈夫、その時はちゃんと側にいる』
『……本当に?』
『あぁ』
『っ…』
ドゥーベの言葉にまた涙を溢れさせたスピカは、その肩に額を押し付ける。
不安に泣きじゃくる彼女に、何があっても守るからと、ドゥーベはその小さな肩を抱きしめた。
王都での生活は慌しくて、賑やかで、めまぐるしかった。
住むところこそ学園の寮ではあったが、衣食住が保障されていても、日用品などは自分で買いに行かなければならなかったし、道も覚えなければならなかった。
王都の街はどこへ行っても人が沢山いた。大きな声で物を売る店の店主、馬車の発車時間を知らせる御者の声、大きな噴水から勢いよく水の噴き出る音、走る子供達。色んな音が響く中、最初の頃はただ呆然とそれに見入っていることしかできなかった。これからのことを悩まないでいられたのは、この煩雑さのおかげかもしれなかった。
王都で暮らすようになってから、今まで朝早くに起きてしていた家畜の世話もなくなったし、することと言えば自室の掃除や予習だけ。他にはマナーの講習などを受けたくらいで、手が空いてしまった二人は、入学式の前日学園内を見て回ろうと待ち合わせをした。
しかし約束の時間になっても現れないスピカに、不安になったドゥーベは学園内を探すことにした。
広い敷地内を歩いているうちに、広い花壇のような場所に行き着く。足元には沢山の白い蕾をつけた花が植わっていた。辺りを見渡せば、そこにしゃがみこむ人影を見つける。特徴的な桃色の髪に名前を呼ぼうとして、ドゥーベよりも先に誰かがスピカに話しかけた。
『……君は』
声をかけたのは金色の髪の青年だった。ハッと立ち上がったスピカは、相手の顔も見ずに「ごめんなさい!」と言って慌てて頭を下げて走り去った。
走り去ったスピカを見て、ドゥーベも追いかけなければと踵を返そうとしたが、振り返る間際に見た、青年の焦がれるような顔にジリジリと胸が痛んだ。
がむしゃらに走ってその場を離れると、そこは見慣れた学園の庭だった。結局スピカには会えたが、気分が悪いといってその日はそのまま自室へと戻った。
翌日、星の花が咲いたことで、また彼女を取り巻く環境は一変した。
属性判定の授業中に力を暴発させたスピカは、一人だけ別室へ呼ばれ、城からやってきた鑑定士の鑑定を再度受けることとなった。数人の鑑定士と、学園長やフェクダが見守る中、差し出された小さな鉢に植えられていた星の花を咲かせた彼女は、正式に天使の生まれ変わりとして国王に認められた。
『スピカ』
『………ドウ』
話を終えて、スピカが出てくるのを待っていた。彼女は憔悴し切った顔で、自分が天使の生まれ変わりであることを告げられたのだと言った。
『私がやらなきゃ、この国は滅びてしまうんだって言われた…どうしよう…冥王と戦えって言われても…私にそんな大変なこと、できるのかな…』
『スピカ……』
『………』
酷く落ち込んでいた彼女に自分はただ「大丈夫だ」と繰り返すことしかできなかった。
だからこそ、翌日自分が七騎士の一人であると知らされた時は、彼女を守る力を得たことが嬉しかった。
これからも彼女を側で守ってやれる。そう思っていたドゥーベは、七騎士に選ばれた中に昨日見かけた金髪の青年がいることに気がついた。
ミザール・アウストラリスと名乗った青年はこの国の王太子だった。
『君は……』
はじめて顔合わせをした日、王太子は、スピカの顔を見て反応した。
『……あの時、星の花の庭にいた子だね』
『あ……』
その言葉にスピカは、入学式の前日あの迷い込んだ場所で出会ったのは、王太子だったのだと知ったのだろう。
『あの時は驚いてしまって…いきなり逃げ出してしまって申し訳ありませんでした』
『あ、あぁ…』
スピカが頭を下げると、王太子は少しだけ頬を赤くして、何かを言いたげに視線を逸らした。それから他の騎士の紹介が終るまでの間に、王太子は何度もスピカに視線を向けていた。
ドゥーベは自分の心がざわりと動くのが分かった。
あの王太子の様子を見れば、スピカに好意を抱いているのだと分かった。それに気付いた瞬間、目の前が暗くなっていくような錯覚を覚えた。
そしてその日から、スピカは彼等と行動を共にすることが多くなった。
王太子と並んで話しながら歩くスピカを見て、ドゥーベは今更ながらに後悔した。
分かった振りをして、自分から遠ざけておいて、彼女を広い世界に引っ張り出して。いざスピカが自分から離れてから気付くなんて。自分がこんなにも愚かだと思わなかった。
それでも彼女の側を離れようとは思えなかった。彼女を守りたいと思う気持ちは誰よりもある。それにたとえ彼女が自分を選んでくれなくても、あの小さな村で一生を暮らすより王都にいた方が彼女にとっても幸せであると思ったからだった。ならば自分は影ながら彼女の幸せを守ろう、そう思った。
王太子と行動を共にするようになって、陰湿な虐めを受けるようになったスピカを庇い、クラスメイト達から遠ざけた。身分が高い相手は王太子やその側近達に注意をしてもらった。そんな時スピカがどんな顔をしていたのか見ることもしなかった。
自分は正しいことをしている。そういった自負があったのかもしれない。
彼女が令嬢達にどこかに連れて行かれたと聞いて、地面にしゃがみこむ彼女の姿を見つけて頭に血がのぼって、怒鳴り散らして。彼女の制止も聞かずに相手をただ罵った。
相手は貴族だとしてもどうでもいい、スピカさえ守れるなら、後はどうでも。
「どうして私の話を聞いてくれないの!!」
だからあの時、そのスピカの声が聞こえるまで、彼女がどんな思いで過ごしてきたのか考えてもいなかったことを気付かされた。
「ごめんなさい…っ…私なんかを助けたせいで、こんな目にあわせて…ごめんなさい…!!」
自分達が糾弾した令嬢に向かって、泣きながら頭を下げる彼女に、その声に今自分達がした事を自覚した。
怒りで何も見えなくなっていたというのは言い訳に過ぎない。正しいことをしていると酔って、相手の話も聞かずに一方的に責めた。そして何よりも大事だった筈の彼女の意思を無視して泣かせた。
頭に上った血が下ると同時に、自分達がどれ程愚かだったかを思い知らされた。
貴族ではないドゥーベでさえ謝って済むことではないと思った。けれども、事を大きくしたくないと言った令嬢の言葉に甘えた自分達をスピカは許さなかった。
第二王子と令嬢がその場を去った後、一人走り去ったスピカを咄嗟に追いかけた。追い縋った腕はすぐに払われて「話しかけないで!もう一人にして…!!」と叫んだ彼女に、自分は何も言えずその後姿を見送ることしかできなかった。
「スピカさん大丈夫でしょうか…?」
「………」
「折角あなたが守ってくださったのにあんな風に言うなんて…」
「…いや、俺達が…俺が、悪いんだ…スピカのせいじゃない…」
「そうなんですか?」
「………」
その声に返事をしないまま、踵を返す。
「仲直りしなくていいんですか?」
「今日はもう…話を聞いてくれないだろう…」
「ちゃんと仲直りしたほうがいいと思います。そうじゃなきゃ側でスピカさんを守れませんから」
「………」
「スピカさんは私達の大事な天使様の生まれ変わりなのです。あなたしか守れる人はいないのですよ?そのためには彼女を害する人間は排除していただかないと…」
「………わかっている、ラムエル」
そのまま元来た道を戻っていくドゥーベの後姿を見つめるのは、翼も嘴も真っ白な小鳥だった。その姿が見えなくなったのを確認して、小鳥は暗い雲が立ち込める空へと舞い上がる。
もうすぐ雨が降るだろう。




