閑話:ヒロインの事情
ミモザ・サザンクロスという人は不思議な人だ。
スピカが彼女の存在を知るきっかけとなったのは、授業で行った魔力の属性判定だった。
入学式の翌日、星の花が咲いたことで皆が不安に苛まれる中、行われた魔力判定の授業。
水晶に手を触れた瞬間、目の前が真っ白になるほどの閃光が溢れて。目が眩んで何も見えない中、悲鳴や物が倒れる音が聞こえてパニックに陥り、助けを叫んだスピカにその声は届いた。
『水晶から手を離すのよ!!』
その声の言うとおりに水晶から手を離すと、周囲の光は収まりはじめた。そして光が全て収まった教室で、席に戻ったスピカは俯いたまま無事を確認してくるドゥーベに生返事をしつつ、さっきの声は誰だったのだろうと考えた。
その声の主が判明したのは、それから数日経ってからだった。
天使の生まれ変わりであると告げられ、心の準備などできないまま七騎士達との浄化の任務を命じられ、スピカが学園を中心に彼等と行動を共にするようになった頃から、周囲の反応が変化し始めた。
最初はほんの些細な陰口だった。
「殿下に近付くな」とか「平民のくせに」とか、教室にいるだけで、ひそひそとそんな声が聞こえるようになった。
スピカだって好きで彼等の近くにいる訳じゃない。七騎士に選ばれた中には王太子をはじめ、ただの村娘だったスピカが一生会うこともなかったような身分の高い貴族が何人もいた。
あまり気を使わず話せるのはドゥーベと、商家出身のアリオトくらいしかいないという現状も、スピカの気を重くさせている一因だというのに。
スピカ達が生まれ育ったのはパールという小さな農村だった。
アウストラリス王国の東北端に位置する村は、北部の山地から続く美しい渓谷と、その周囲をとりまく広い草原が広がっており、牧畜や農業でほとんど自給自足のような暮らしをしている小さな村だった。外との交流といえば、商人の馬車が月に一台やってくる程度。村を出ることを禁止されているわけではないが、一番近い街まで、大人の足でも一日ほどかかってしまうため、用事でもない限り好んで出かける人間はほとんどいないという閉鎖的な村だった。
そんな村で外の世界を知ることなく育ったスピカが、いきなり王都に連れてこられて伝承の天使の生まれ変わりだなどと言われても、信じられる訳がなかったし、ましてや冥王と戦わなければならないと聞かされて簡単に頷いた訳でもない。
事態は思ったよりも深刻で、既に学園を中心にあちこちで穢れや瘴気が発生しているのだと、あの日王国からやってきた役人から説明を受けた。スピカにはこれから選ばれた七人の騎士達とその穢れを浄化してほしいとも。
恐くて、不安で仕方なかった。どうして私が、と何度も思った。
いっそのこと全部投げ出して村に帰ってしまいたかったが、それは許されないことだとも分かっていた。今スピカが自分の任を投げ出してしまったら、誰も浄化をする人間はいなくなって、冥王の力を強めることに繋がってしまう。
だから毎日そうして叩かれる陰口にもただの平民であるスピカは黙って耐えるしかなかった。
そうしてスピカが教室で身を縮め、ひそひそと交わされる悪口に嫌気が差してきた時、すぐ側の廊下から、聞き覚えのある声を聞いた。
『アルコル様』
その声の方にそっと顔を向けて廊下を覗き込むと、そこには第二王子と、その意中の相手と噂になっている一人の女生徒の姿があった。
『ミモザ』
『どうされたのですか?』
『今日のお昼を一緒に食べたくて誘いにきたんだ』
『今日はメグレズ様やご友人の方々はいらっしゃらないのですか?』
『あぁ、どうも今日は皆用事があるらしくて…』
ミモザと呼ばれた少女は、確か身分の高い貴族のご令嬢だった筈。朱色の髪に綺麗な顔立ち、たおやかな声と立ち振る舞い。学園の制服だというのに、朗らかな第二王子と並ぶとまるで物語の王子様とお姫様のようだと思った。
あの授業の時、スピカに手を離すよう教えてくれたのはあの人の声だ。
ほとんどの貴族が平民であるスピカを蔑む中、そんな人が自分を助けてくれたのだと思うと、何だか胸がドキドキした。
『一人で食べるのはちょっと寂しいだろう?』
『私は構いませんが…ご友人でなくてもアルコル様と一緒に食事をしたいと思ってらっしゃる方が他にも何人もいらっしゃるのではありませんか?』
『…?私が一緒に食べたいと思うのはあなただけだが』
『ぅ…』
第二王子の無自覚であろう口説き文句に、赤面した令嬢は頷いて了承の意を返すと、嬉しそうに自分のクラスへと戻っていった第二王子の背中を眺めながら、赤くなった頬を両手でぺちぺちと叩いていた。かわいい。
その可愛らしいその仕草に心を射抜かれたのはスピカだけではないらしい。
気付けば教室の中は、第二王子とその令嬢の話で持ちきりになっていて、スピカへの陰口は消えていた。
たったそれだけのことでも、スピカの気持ちがどれほど軽くなったのか、きっと彼女は知らないのだろう。
それからは彼女をよく目で追うようになった。
名前はミモザ・サザンクロス。
サザンクロス侯爵家の令嬢で、れっきとした貴族のお姫様だった。
侯爵家と言えば、この国の貴族で公爵に次いで二番目に偉い身分なのだと、入学前のマナー講話で聞いた。スピカは以前授業のときに助けてもらったお礼を言いたいと思ったが、ただの平民でしかないスピカが侯爵家のお姫様に話しかけることは許されないだろうと思った。
それに万が一話す機会が巡ってきたとして、今度は彼女からも嫌なものを見るような目で見られたらどうしようと思うと、側へ寄ることさえできないでいた。
スピカはいつも前の入り口側の近くの席に座っているが、彼女が座るのは窓際の一番後ろの席だ。
遠目から見る彼女は、凛々しくて、綺麗で、同じ歳とは思えないほど立ち振る舞いは洗練されていて。しかも勉強の成績もよく、困った人がいれば身分に関係なく手を差し伸べる優しい心を持っていた。今までに何度も男子女子関係なく彼女に見惚れる生徒を見たことがあるが、お互いにけん制しあっているのか、クラスでは特定の誰かと一緒に居ることは少ないようだった。
スピカの陰口にも参加することはなく、それどころかその話題を振られた時には、上手く別の話題にすり替えてくれていた。
天使の生まれ変わりというのは本当は彼女のことなんじゃないだろうかと、半ば本気でスピカは思ったものだ。
そしてそんな風に毎日が過ぎていく中で、ある日庭を歩いていたスピカは前から嫌味を言ってくる数人の令嬢達に捕まってしまった。
校舎の裏に連れて行かれ「平民が殿下のまわりをうろつくな」とか「色目を使っているんじゃないか」と罵られ、黙って耐えていたらいきなり突き飛ばされた。
思わず倒れこんだスピカのスカートを靴で踏みつけられながら、笑う令嬢達に「やめて!」と抵抗すれば、更に彼女達の笑みは深くなった。
どうしてこんな目に遭わないといけないんだろう。天使の生まれ変わりなんてなりたくてなった訳じゃない。代われるものならとっくに代わっている。
背負った荷が重過ぎて、スピカは悔しさで視界が滲むのが分かった。
『お待ちください』
その時、ここにはいない筈の声が聞こえた。
視線を真っ直ぐ前に向け、凛とした声で令嬢達を諌めたのは、毎日スピカが目で追っていた彼女だった。
彼女は一歩下った令嬢達の前まで歩いて、スピカをその背に庇うように立つと令嬢達に言った。
『彼女は国王陛下より授かった使命を果たしているだけですわ』
その言葉に、スピカは彼女が分かってくれていたことに泣きそうになった。
彼女がスピカを庇ったことで、自分達の立場が悪くなると思った令嬢達は頬を引き攣らせそそくさと逃げていった。あまりの逃げ足の速さに呆然としながら目の前の後姿を見上げると、肩が小さく震えているのが見えた。複数人の前に割って入るというのがどれほど勇気のいる行動だったのかを気付かされた。それなのに彼女は自分が覚えた恐怖を隠すように、振り向いて怪我はなかったかと手を差しのべてくれた。
その手も、心配そうな目にも、スピカのことを蔑む色は見られない。
その手を取ろうとしてスピカが手を伸ばしかけたとき、突然響いた怒声によってその動きは止められた。
そこに現れたのは王太子であるミザールと、側近であるメラクとアルカイド、そしてドゥーベだった。
此方へ駆けつけるなり、スピカの前に立ちふさがったのはミザールとメラクだった。ドゥーベに助け起こされながら「どうしてここへ…?」と聞くと、誰かからスピカが令嬢達に裏庭へ連れて行かれたと聞かされたらしかった。
スピカは今彼女に助けてもらったことを話さなければと口を開きかけたが、突然大きな声をだしたドゥーベによってそれは遮られた。
『あんたがやったのか!!』
突然目の前で怒鳴られて、怯えてびくりと肩を竦めた彼女に、スピカはざぁっと顔が青褪めるのが分かった。
「平民だからって馬鹿にして…!!」と彼女を睨みつけるドゥーベを止めると、王太子までもが「君を貶めた人間を庇わなくていいんだ」などと彼女を糾弾し始めた。
どうして、違うって言っているのに。
『殿下っ止めてください!!その方は私を助けてくださったんです!!』
スピカは必死にドゥーベの腕に縋り動きを抑えながら、王太子達に彼女の潔白を言い募った。けれど二人は怒りに飲まれていて、スピカの話を聞こうともしなかった。
その間にも彼女に対して酷い言葉をぶつける彼等に、スピカも段々苛立ってきて大きな声で反抗した。けれどもそれでも彼等は止めようとしなかったばかりか、アルカイドに命じてスピカをこの場から遠ざけようとまでした。
『っ…は……っ…』
短い呼吸の音が聞こえて、ハッとしてスピカが彼女を見れば、彼女の顔は真っ青で今にも倒れそうに肩が震えていた。
その様子に、いい加減にしろとスピカが怒鳴りかけたとき、彼女の体が揺れた。
『ミモザっ!!』
『っ』
ふっと、力の抜けた彼女の体を支えたのは、突然現れた第二王子だった。
『無理に話さなくていい…もう、大丈夫だから…』
そう言って、過呼吸を起こしかけていた彼女を宥め、第二王子は真っ向から王太子へどうしてそんなことになったのかを問いただした。
何故証拠もないのに彼女を責めたのか、話をちゃんと聞くべきだ、という当たり前のことを諭した第二王子に、王太子達はそれでも引かなかった。
彼等はスピカが以前も加害者を庇っていたと言うが、別に庇った訳ではなく口にしなかっただけだ。
前にスピカに文句を言ってきた貴族らしき女生徒を、王太子達がきつく注意しているのを見たことがあったが、王太子の怒りを買ったと思った令嬢は、かわいそうなくらい顔を青褪めさせて涙を流して、数日の間学園を休んでいた。自業自得だとは思うが、たかが悪口一つでそんな大事になってしまうのだから、貴族の常識が分からないスピカは大事にしたくなかっただけだ。決して優しさではない。
やがてアルカイドが証人を連れてきて、第二王子の言うとおり、本来ならば話を聞くべきだった彼等はきちんと確認もしないまま彼女を責めたことを認めざるを得なくなった。
それでもみっともなく言い訳をした彼等に、とうとうスピカの怒りと涙腺は爆発した。
『メラク様もうやめて!!ドウも、殿下もっ…どうして私の話を聞いてくれないの!!』
挙句の果てに「私のため」だと言う。ふざけるなと思った。
申し訳なかった。自分を助けたばかりにこんな目に合わせてしまったことが。
悔しかった。自分で対処できるほどの力がないことが。
情けなかった。暴走する彼等を止め切れなかったことが。
『ごめんなさい…っ…私なんかを助けたせいで、こんな目にあわせて…ごめんなさい…!!』
みっともなく泣いて謝ることしかできなかった自分が本当に情けなかった。
たった一人、目の前で助けてくれた人を守ることもできないのに、こんな自分が世界を救うなんて出来るわけないと思った。
怒って当たり前なのに、嫌われて当然なのに、それなのに彼女は「本当に怪我はないのですね?」とスピカの心配をし、それどころか王太子達の口走った身勝手な願いすら頷いて、スピカの側にいてくれると言ったのだ。
どうしてそんなことが言えるのだろう。そんなこと許されないのに、縋ってしまいそうになる自分が嫌だった。
「お互いに考えてみましょう」と言ってスピカに微笑んでくれた彼女に、返事ができないまま結局その日は別れることになってしまったが、部屋に戻った後もそのことが気になって眠れなかった。
翌日、スピカは朝早くに寮を出た。
彼女はいつも早くから教室にいることを知っていた。一晩考えて、やっぱり昨日のことをきちんと謝らなくてはいけないと思った。そして、自分には友人として接してもらえる資格がないことも。
庭へ出て草を踏むと雨の匂いがした。自分の心情を表しているような今にも泣き出しそうな空に、挫けそうになる足を必死に動かして、教室へと向かった。
教室にはやはり、彼女が一人で座っていた。まだ早い時間だからか他の生徒の姿は見えないことにほっとする。スピカが話しかけたせいで彼女の評判が落ちるようなことになってはいけない。
『おはようございます、サザンクロス様!』
深呼吸して、意を決してから呼びかける。意気込みすぎて思っていたよりも大きな声が出て内心焦って逃げ出したくなったが、ここで引いては勇気を出して声をかけた意味がないと思い踏みとどまった。
驚いたように挨拶を返してくれた彼女に、机の上にいた使い魔らしき黒猫はスピカを避けるように、スピカから遠い方の肩に乗って顔を隠してしまった。
『あのっ……おこがましいお願いかもしれませんが…っお話を、させていただいてもよろしいでしょうか…!』
噛まないよう緊張して声が震えた。しかも隣に座るよう促され、とんでもないことだとスピカは断ったが「一人だけ座っているというのも落ち着かないから」と、綺麗な顔で微笑まれて覗き込まれ、スピカは顔が赤くなるのが分かった。
しかし今は見惚れている場合ではない。スピカは俯かせていた顔を上げ、意を決したようにずっと話したいと思っていたことや、昨日のことを謝った。
『スピカ様…』
『どうか私のことはスピカと呼び捨ててください』
自分はそんな様付けで呼ばれるような人間じゃない。考えても考えても、私は自分が許せなかった。勿論彼等にも非はあるだろうが、スピカが彼等ともっと信頼関係を築けていたらああはならなかったかもしれない。そう思うとどうしてもその手に縋ることはできなかった。
『だから、私はこのままのうのうとあなたの側に置いていただくわけにはいきません』
自分で言っていて泣きそうになる。
スピカの話を黙って聞いていた彼女がふと視線をあげる。スピカもそれにつられるようにその視線を追えば、教室の前の入り口付近にドゥーベの姿を見つけた。
昨日あの後、スピカは口を開けば人を傷つける言葉を吐いてしまいそうで、王太子達に何も言わず走り去ってしまった。それを追いかけてきたのはドゥーベだった。しかし、一人になりたかったスピカは彼に「しばらく話しかけないで」と叫んで、その腕を振りほどいて逃げ出してしまったのだ。
自分は弱い。彼女のように彼等の過ちを、簡単には許してあげられそうになかった。
顔を背けたスピカに、彼女は優しい声で諭す。
何故そんなに優しいのか、と聞いたら「優しい訳じゃないわ…あの場で私が怒ってもアルコル様のお立場が悪くなるだけですもの」と当然のように言った。その時になってやっと彼女の言動の理由がわかった気がした。
彼女が自分の不利益を飲み込んで頷いたのはきっと第二王子を守りたかったからだ。
『それでも、ドウはサザンクロス様に酷いことをしたんです!私の話だってちっとも聞いてくれなかった!…小さい頃からずっと、幼馴染で、殿下達よりもずっと一緒に居たのに…分かってくれなかった…』
そうだ。村を出る前は、スピカにも大切なものがあった。
小さい頃からずっと一緒で。うまく名前を呼べない自分に「ドウでいい」と優しく笑いかけてくれた。家が隣で、同じ年だというのに、いつも兄のように私を見守ってくれた。助けてくれた。村を出る時だって不安で泣いてしまった自分を「側にいるから」と言って安心させてくれた。穏やかで、優しくて、そんなドウが大好きだった。
その時になって自分は彼にだけは分かってほしかったのだと気づく。
俯いたスピカの頭上から深い溜め息が聞こえた。
呆れられたかもしれない。いい加減鬱陶しいと罵られるかもしれない。それでも自分は甘んじてそれを受けなければいけない。そうスピカは身構えていたが、目の前の彼女から発せられたのは予想しなかった言葉だった。
『……スピカ、お腹空いてない?』
名前を呼ばれたことと、言われた言葉の意味が理解できなくて、勢いよく顔を上げたスピカにクスクスと笑った彼女は懐かしむように「昔、私の母が言っていたのだけれど、怒るのってとってもエネルギーがいるのですって」と言った。
食事を摂ったかどうか聞かれ、食べていないというと家から送られてきたというクッキーを差し出された。恐れ多いと首を振れば、悲しそうに肩を落とされて、つい反射的にスピカは「嫌じゃありません!」と言ってしまった。そして次の瞬間、ケロリと笑った彼女の思惑に嵌った自分に気付き顔を赤くした。
『嫌じゃないですけど、っ…私はさっきも言ったように…あなたの隣にいるには相応し……んぐっ!?』
否定しようと開いた口に無理矢理クッキーを詰め込まれる。咄嗟に口を押さえて何とか咀嚼して飲み下すと口の中に甘い香りが広がった。しかし抗議しようと再び開いた口にまた一つクッキーを投げ入れられる。
『まだお腹が空いてるみたいね、もっと食べる?姉としての贔屓目を抜いてもとてもよく焼けていると思うの』
「あの子とてもお菓子を作るのが上手なのよ」と、次のクッキーを構える彼女に、手で口を押さえてぶんぶんと首を振ると相手は可笑しそうに笑った。
思わず零した愚痴に「笑ってしまってごめんなさい」と頭を下げられて、スピカは慌てて「頭を上げて下さい!」と言った。
しかし返ってきたのはさっきよりも信じられないことだった。
『本気で怒ってもらった方が良かったのだけれど…そうしたらこれでおあいこにできるもの』
『……本気でおっしゃってるんですか?』
『えぇ、そうすれば一緒にお菓子を食べたりこうしておしゃべりできる友人が一人できるじゃない』
『な……』
彼女の言った言葉に、呆気に取られたようにスピカが口を開けると、彼女は申し訳なさそうに自分の気持ちを教えてくれた。
『諍いや揉め事に巻き込まれるのが嫌で、貴女を庇いもせず、我が身可愛さに遠巻きに見ていることしかできなかった。昨日の事だって、腹も立ったし、あの場を早く収めて立ち去りたい一心で王太子様の命を受けたのであって、そこまで貴女の為を思ってした行動じゃない…だから私は貴女にそこまでの罪悪感を感じてもらえるほど立派な人間ではないの……ごめんなさい』
彼女がそう思うのは当たり前だ。昨日あんな目にあって、好んでスピカと関わろうなどと彼女の立場でなくとも誰も思わない。スピカだってそうだ、本当はちゃんと彼等と話をしなければいけなかったのに逃げ出して。こうして勝手に落ち込んでいる。
『頭を上げてくださいっ…あなたはちゃんと私を助けてくれました!』
『それなら、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうが聞きたいわ』
『っ…』
その時になってスピカは、謝ることばかりで彼女が自分に何を求めていたのかを考えていなかったことに気付いた。
うまく返事ができないスピカに「まぁ、まだお腹が空いているようですわね」と新たなクッキーを掲げた相手に、慌てて口元を隠すとまた笑われた。からかわれたと知ったら今まで張っていた気が一気に抜けて、赤くなった顔を両手で隠した。
『お腹がふくれたら、少しは心に余裕ができると思うわ。貴女も私も、色んなことを許せるかどうかは保留にして、まずは相手と向き合ってみたらどうかしら?』
その言葉に昨日去り際に見たドゥーベの傷付いた表情を思い出す。
『今私と貴女がこうして話しているように、王太子殿下や幼馴染の彼ともちゃんと話し合った方がいいと思うわ』
その言葉に、ずっと沈んでいた気持ちが、少しずつ晴れていくような気がした。
魔力があるといわれてから、ずっと余裕がなくなっていた。自分のことに必死でちっとも周りを見ていなかった。あんなに一緒にいたのに、いつからちゃんと話していないのか思い出せない。
「駄目だったらまたその時考えればいいのよ」と言いながらクッキーを口に頬張った彼女に、なんとか頷くことができたスピカは、じっと教室の前方に座るドゥーベの後姿を見た。
ちゃんと話そう。どうしてそんなことをしたのか、何故ちゃんと話を聞いてくれなかったのか。もしかしたら自分にも悪いところがあったかもしれない。彼に甘えすぎていたのかもしれない。
窓の外からは、ぽつぽつと雨が屋根に当たる音が聞こえていた。
『あの………ありがとうございます』
『どういたしまして………ふふっ…』
逡巡しながら言ったスピカの言葉に、笑った彼女の顔は暖かい陽だまりのようだと思った。




