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お母様の言うとおり!  作者: ふみ
22/61

母の教えその18「権力が必要な時もある」


昔、まだ母が生きていた頃、母と一緒に街へ出かけたことがあった。


サザンクロス侯爵領は、西側には広い農地を持っているが、それ以外は割と栄えた街並みが広がっている。王都へ続く大きな街道が通っているため、農作物の輸送にも適していたし、人の出入りがあるせいか商業も発展していた。馬車の窓から見た街には活気があり、人々の顔も皆生き生きとしていた。


『貴女が将来、守り慈しんでいくかもしれない人達が、どんな生活をしているのか、自分の目で見ることは大事よね』


窓から離れないミモザの横顔に母は微笑みながらそう言った。

今まで買い物と言えば家に商家の人がやってきて、どれがいいか選ぶだけだった。だからこうして街へ出て買い物をするなんてはじめてで、その場に父はいなかったが、母とアリアと一緒に馬車に揺られてミモザはとても楽しみで、嬉しかったのを覚えている。


『お母様、あれはなに?』

『お嬢様今日はお忍びなのですから、あまり離れないでください』

『アリア、私は大丈夫だから少しミモザについていてあげて頂戴』


幼かった自分はお忍びがどんなことかよく分かっていなかった。いつものようなドレスではなく、街でみかけるような商人の子供のようなワンピースを着せられ、母もアリアも似たような服を着ていた。


『ですが…』

『この街は治安がいいし、私は慣れているから大丈夫。心配だったら、あそこの噴水に腰掛けて待っているわ』


母が指差した方には、街の中央を示す大きな噴水があった。ミモザは二人の話が終るのを待ちきれず一人で駆け出した。さっきから視線に入る色とりどりの風船が気になって間近で見たかった。しかしミモザが駆け出した先で突然怒号が響いたことに驚いて足が止まった。


『お前の子供が跳ねたせいで泥水で服が汚れてしまっただろう!』

『も、申し訳ありません!!』

『平民風情がどうやって償うというんだ!』


『お前の命よりも高いものだぞ』と我が子を背に庇いながら頭を下げる父親を睨みつけているのは、豪奢な服をまとった貴族と思われる男性だった。その顔がとても恐くて、幼いミモザはその場で立ち竦んでしまった。


『何年かかっても弁償させていただきます…!だからどうかお許しください!』

『ならん、もうこの服は着られないのだからな。貴族に対してのそこの子供の無礼な振る舞いを許すことはできぬ』


貴族の男の足元を見れば、そこにはほんの少し泥が跳ねた跡がついているだけだった。なにもあれしきの泥、少し拭けば元通り着られるようになるだろう。


『元はと言えばアイツの乗ってきた馬が嘶いて、それに驚いたあの子が避けた拍子についちまっただけだろう』

『あんなの洗えばすぐに落ちるわ』

『貴族様ってのはどうしてああすぐに平民を見下したがるのかねぇ…』


何ごとかと集まった人々も一様にミモザと同じ反応をしていた。怒鳴りつけられる父親の後ろで、子供は助けを求めて泣きながら周囲に視線を彷徨わせていた。


『相手が貴族じゃなきゃ助けてやれるんだが…』

『っ…』


ミモザの隣にいた誰かがそう言った。その言葉に見てみぬ振りはいけないことよ、という母の言葉が頭を過る。確かに身分を持たない彼等には貴族に表立って楯突くことは出来ない。けれどミモザなら。この領を預かる侯爵家の娘であるミモザなら、彼等を助けられるのではないか。しかしそう思う心とは裏腹にミモザの体は石にでもなったかのように動かない。もし、言っても相手が分かってくれなかったら。その悪意を此方にぶつけてきたら。そう考えると恐ろしくて一歩が踏み出せなかった。


『その子供を此方へ出せ』

『子供だけは…!!』

『うるさい!』


子供を庇った父親に貴族の男が持っていた杖を振りかぶる。


『っ』


その光景に、恐いと思っていたことさえ忘れミモザは思わず飛び出そうとした。


『お待ちなさい』


その瞬間、後ろから腕を引かれ、がくんとミモザは動きを止め振り返る。


『お母様っ…』

『ああいう輩は話が通じないの。子供の貴女がいくら正論で諭したところで、逆上するのがオチよ』

『でも…!』

『大丈夫』


あの人達がと言い掛けて、すぐに後ろで小さな悲鳴が上がったのが聞こえて、ミモザは顔を青褪めさせ勢いよく振り向いた。しかし地面に倒れている父親の姿を想像していたミモザは、振り返った先が予想だにしなかった光景であったことに驚いて目を瞠った。


『あ、りあ…?』


振り下ろされた貴族の杖を両手に持った棒状の武器で受け止めていたのは、ミモザや母と一緒に来ていたアリアだった。


『っ、な、何だおま…ぐぁっ!?』


そのまま受け流すよう武器ごと横に押し流したアリアは、よろけた貴族の足元へ爪先を出した。案の定その足に躓いた貴族は、地面に思い切り顔面を強打することになった。


『どうしてアリアが……え……つ、つよい…』

『アリアは戦闘メイドだから』

『せんと…?』

『えーと…護衛もできる侍女ってことよ』


ミモザが呆然としている間に、打った顔面を押さえながら起き上がった貴族が「ふざけるなっ!!」とアリアに杖を突きつけた。


『こんなことをして無事で済むと思うなよ!!おいっ護衛!!この女を切れ!!』


その言葉に貴族の側にいた護衛らしき人間が剣を抜く。


『お母様っ、アリアが!!』

『大丈夫だと思うけど…そろそろ私の出番かしら』


『よっこいしょ』と貴族の夫人らしからぬ掛け声を出し、ミモザの頭を撫でた母は「ここにいてね」と言い残して騒ぎの輪の中心へ歩き出した。


『お待ちください』


アリアや親子の前に割って入るように立った母は凛とした声で話しかける。

このままでは母も危ないのではないかと、思ったミモザは同じように飛び出そうとするけれど、母の一歩後ろのアリアが「いけませんお嬢様」とでも言うように首を振ったのに気付いてなんとか踏みとどまる。それでも心配なのは変わりなく、一人ワンピースの裾をぎゅうと握った。


『ダミアン・カミール子爵様とお見受けします』

『次から次へと…!誰だお前は!!』

『静まりなさい!』


母に向けて怒鳴った貴族と、ざわつく周囲に向けてアリアが叫ぶ。母はそれこそ楽しそうに「まぁ私のことをお忘れですか」と笑顔で、自分の首に巻いていたスカーフを外した。そして次の瞬間『この紋所が目に入らぬかー!!』と突然妙な口調で叫び、バァアアン!と音でも出ていそうな勢いでそのサザンクロス家の紋章の入ったスカーフを目の前にかざした。

突然の母の奇行にミモザは、口をぽかんと開けてじっと母を見入る。それはミモザだけでなく周囲にいた領民達も、果ては相手の貴族ですら同じように度肝を抜かれたのか無言で母を見ていた。唯一母の側にいたアリアだけが酷く残念なものを見るような目で母を見ていた。

しんと静まり返った中でごほんと咳払いした母は、そそくさとスカーフを戻してまっすぐ貴族の男を見据えた。


『私はサザンクロス侯爵家夫人、リディア・サザンクロスと申します』


先程の妙な口調が幻聴だったのかと思えるほど、凛とした声で母は自分の名前を名乗った。背筋を真っ直ぐ伸ばし、胸を張り、美しい姿で。決して大きくもない声だったのにそれは聴衆に響き渡った。着ている物は商人の妻といった出で立ちなのに、その姿は気高く貴婦人のようだ。誰もがそれに魅入る中、母の名前を聞いた相手の貴族だけは顔をざぁっと青褪めさせた。


『このような格好で申し訳ありません。本日はお忍びで参りましたの。しかし何やら騒ぎが起こっている様子でしたので、こうして恥を忍んで名乗り出た次第でございます。見たところ私の大事な領民と大事な侍女が貴方様に何かしてしまったご様子…領主婦人として、また主として彼等に代わり貴方様にお詫び申し上げますわ』

『あっ…いや、侯爵の奥方様に謝っていただくわけには…!!』

『いいえ、こういうことはしっかりとしなければ。主人が勤めより帰って参りましたら、カミール子爵のことをようく申し伝えますので。主人と相談して後日きちんとご領地へ謝罪に伺おうと思いますので、どうぞ奥様にもそうお伝えください』

『それはっ…』


ミモザはこの時、母の言葉を額面どおりに受け取っていたが、後から考えれば「侯爵家の大事な領民に手を出してただで済むと思わないで、夫に言いつけるわよ」という意味だったのだろうなと思った。

結局相手の男は自らが笠に着た身分に負けて、母に「私も悪かったのですから、もう結構です!忘れてください、今回はなかった事にしましょう!」と捲くし立てて、青い顔のまま足早に去っていった。残された観衆は口々に母を称える言葉を口にし、助けた親子からは泣きながら頭を下げられた。


『もうこれではお忍びができないわね…』


あっという間に事態が収束してしまったこととか、あんな訳の分からないことを口走っていた母がいつの間にか人心を掌握してしまったこととか、アリアが恐ろしく強かったこととか、色んなことが起こりすぎて呆然とするミモザに母は『ミモザは楽しみにしてたのに、ごめんね』と謝ってくれた。呆気に取られたミモザは、ただ頷くことしかできなかった。


先程の出来事をぼんやり思い出しながら、ミモザは帰りの馬車に揺られながら気になっていたことを母に聞いた。


『お母様はあの人に何かしたのですか?』


ミモザは母が自身の能力を使ってあの貴族に暗示でもかけたのかと思った。


『いいえ、人前で力を使うのは危険すぎるもの。それに相手が子爵家だったから、身分を明かせば引いてくれると思ったからよ』

『身分…』


ミモザは前に“悪役令嬢が身分や権力を使って嫌がらせをするのは悪いこと"だというような内容を母から言われたのを覚えていた。しかしさっき母が言ったのはそれとは逆だと思って頭を捻った。よく覚えていないがそのことを聞いたのだと思う。


『確かに権力や身分を使って相手の嫌がることをするのはいけないことよ。でもその権力を使わなければいけない時も同じくらいあるのよ。人が集えば街は栄えるけれど、その分さっきみたいな摩擦も増える。同じ場所に生活する以上それぞれのルールが必要になると思うの。それを遵守させるのにも権力が必要だと私は思うわ。そして私はこの街でその権力を与えられているサザンクロス侯爵家の人間なのだから、あの場でそれを振るう必要があった』

『振るうのですか?』

『権力は振るってこそ。手段として役に立たせるだけでなく、此方の方が格が上なのだと相手に思わせられれば、無駄に争うこともなく引いてくれる場合もある』

『お母様はあの人の名前を知っていたのですか?』

『夜会で一度ご挨拶したから。忘れていなくて良かったわ。奥様とはたまに他家のお茶会でお会いするしね』

『だから奥様によろしくって…』

『えぇ。カミール子爵は恐妻家で有名なの。それに奥様はとても聡明で有能な方だと聞くわ。今回あの方が侯爵領で騒ぎを起こしたことを知れば、どちらが悪かったか公正な判断をして対応してくれる筈よ』


「よく見ていたわね」と、そう言ってミモザの頭を撫でた母に『だからと言って私より前に出られては困ります』と渋い顔でアリアは窘めたが、母は反省していないように笑った。


『そういえば……あのモンドコロとかいう妙な呪文はなんだったのですか?』

『ああいう時はああ言わなきゃいけないものなのよ』


自信満々な母を見ながら黙って首を振るアリアに、あぁこれは一般常識ではなく時々出る母の残念な一面なのだなと、ミモザは馬車の揺れる音を聞きながらそう思ったのを今でも覚えている。










どうしてこんな昔の事を思い出していたのかと言えば、今あの時と同じような状況がミモザの前で繰り広げられていたからだった。



「平民ごときが殿下のまわりをうろつかないでくださる?」

「私はただ浄化の役目を…」

「殿下やメラク様がお優しいのにつけこんで色目を使っているのではなくて」

「誤解です!私そんなことしてません…!」

「まぁそんなに大きな声を出して、なんてはしたないんでしょう」

「っ…!」


女子生徒達から逃れようと身を隠してしまったレモンを探して、中庭を歩いていたミモザの耳に聞こえたのはそんな声だった。

その内容に嫌な予感を覚え声のする方へ足を向ける。校舎の影に隠れながら裏庭を覗き込んでみれば、三人の貴族の令嬢らしき少女達がスピカを取り囲んでいた。


「………」


心臓が嫌な音を立てて軋むのが分かった。正直ヒロインであるスピカにはできれば関わりたくない。少女達の顔を見れば前からスピカに暴言を吐いていた貴族の令嬢達だと分かった。けれども今まではこんな風に数人で取り囲むようなことはなかった筈だ。明らかにエスカレートしている行為を見ない振りをして立ち去ることは出来なかった。


「礼儀がなっていないのは平民だから仕方ありませんわ」

「ふふっ、そうですわね」


壁際のスピカを取り囲むように、少女達は口々に悪口をぶつける。


「っ…」


口を開けば馬鹿にされ、逃げることもできずにスピカは口を結んでそれにただじっと耐えていた。なんとかしなければと思うも、逃げ出したいと思う自分もいて、どうしても一歩が踏み出せない。彼女達の記憶を操作してしまえばとも考えたが、フェクダの話ではミモザの魔法はスピカには効かない。


(せめて誰か…呼んでこなきゃ…)


その時ミモザの頭にはフェクダやメグレズの顔が浮かんだ。


(っ…七騎士の二人では逆効果に…)


今までそうして彼等が庇っていたからこそ、こんな状況になるまで悪化したのだ。けれど何かあってからでは遅い。


「きゃっ…!」


とにかく近くに誰かいないかミモザが探しに行こうと踵を返した時、スピカの小さな悲鳴が聞こえた。息を止めてばっと振り返り見ると、そこには地面に倒れこんだスピカと、突き飛ばしたのか手を伸ばしたままの令嬢の姿があった。


「ほんと、平民って生意気なのね」


倒れこんだスピカのスカートを靴で踏みつけながらリーダー格らしき令嬢があざ笑う。


「やめて…!」

「やめてください、でしょう?」


その「あはは」と高く笑った声にミモザは怒りが込上げてすぐに飛び出そうとしたが、一度ぐっとその場で踏みとどまった。


(落ち着け……ここは学園なのだから、感情的になってはいけないわ…)


大きく深呼吸をして、ミモザは背筋を伸ばした。


「お待ちください」


胸を張って、視線は真っ直ぐに。震えないよう声は腹の底から。あの時の母の姿を思い出しながら「何をなさっているのですか」と非難をこめて令嬢達を見据えた。


「さ、サザンクロス様…」

「これは…!」

「何をなさっているのですかと聞いたのです、ベリンダ様」


令嬢達がミモザのことを知っていたことに内心ほっとしつつ、毅然とミモザがそう言うと名指しされたリーダーらしき令嬢は慌てて「この者に立場をわきまえるよう教えていたのですわ」と言った。


「カルヴィン様、立場というのはどういう意味でしょうか」

「わ、私達は…平民でありながら殿下に擦り寄る彼女を諌めていただけですわ!」

「擦り寄るなどと…スピカ様は救世の天使の生まれ変わりとして七騎士である殿下達とお仕事をされているのですよ。それが彼女の今の立場でしょうデラクール様?何がおかしいのです?先生方もそう仰っていたと思いますが」

「っ…しかし…」


ミモザが自分達の名前を呼んだことに、さっと顔を青くした令嬢達が一歩下る。下った分空いたスペースへミモザは入り込むと、スピカを背にして全員の顔を見渡す。ベリンダ家とカルヴィン家は伯爵家、デラクール家は男爵家だ。身分だけを見ればこの場で一番高いのはミモザとなる。加えて最近アルコルやメグレズと一緒にいたせいで目立ってしまっていたこともあったため、そういった事情が余計に令嬢達の焦りに拍車をかけているらしい。侯爵令嬢であるミモザがスピカを庇ったことで、令嬢達は自分達の方が立場が悪い事に気づき始めたのだろう。


「彼女は国王陛下より授かった使命を果たしているだけですわ。メグレズ様もそう仰っていましたし、アルコル様やタニア様からもそう聞いています」

「っ…」

「陛下の選んだ、天使の生まれ変わりである彼女にこのような仕打ちをしたと公になれば、大変な問題になると思いますが…」

「ひっ…」


ミモザの言葉に頬を引き攣らせた令嬢達は「ど、どうやら勘違いだったようですね」とか「間違えましたわ!」とか言いながらそそくさと去って行った。


「…………」


令嬢達の姿が見えなくなってから思わず安堵の溜め息を吐いたミモザは、肩から力が抜けていくのが分かった。


(引き下がってくれてよかった……)


国王陛下の名前まで出してしまったが脅しすぎただろうか。それで相手が大人しく引いてくれたのであればよかったと思うけれど、少し強引だったかと反省した。気付けば体の横で握っていた手は少し震えていた。その手を胸の前で握り合わせて一つ大きく深呼吸をすると、少しずつ手の震えが止まっていく感じがした。


「あなたは…」

「っ」


後ろから聞こえた声にミモザが我に返ると、呆然と此方を見上げるスピカと目があった。


「ご、ごめんなさい…私ちょっと考え事していて……怪我はなかった?」

「は、はい!」


漸くスピカの存在を思い出したミモザは、少しかがんで座り込むスピカへ手を差し出した。


「手を…」

「そこで何をしている!!」


しかしそれは次の瞬間聞こえた怒声に掻き消された。ミモザとスピカが同時に声のした方を向けば、そこには王太子ミザールと側近であるメラクとアルカイド、そしてドゥーベがいた。


「っ…!!」


突然の攻略対象達の登場に、思わずミモザは息を止める。近付いてくる彼等の目には敵意が宿っており、それが自分に向けられていると思うと、ゲームのミモザの末路が頭にどっと浮かんで顔が青褪めるのが分かった。


「あ……」

「…顔色が悪いようだな」

「自分のしたことの愚かさを理解したんじゃないか?」


そう言って無理矢理ミモザとスピカの間に割って入ったのはミザールとメラクだった。アルカイドもまた何か言うのではないかと身構えていたが、彼だけはどうしてか渋い顔をしてミモザを見ているだけだった。


「で、殿下…ドウ…みんなどうしてここへ…?」

「さっき別の生徒から君が令嬢に裏庭へ連れて行かれたと聞いたんだ」

「怪我はなかったかスピカ!?」

「うん…平気よ」


そしてスピカの手を引いて立たせたドゥーベは、その制服に靴の跡がついていることに気付いてミモザを睨みつける。


「あんたがやったのか!!」

「っ…」


いきなり目の前で怒鳴られて、ミモザはびくりと肩を竦める。


「平民だからって馬鹿にして…!!」

「ドウ!?何言ってるの、違うよ、この人は…!!」

「君を貶めた人間を庇わなくていいんだ」

「待ってください殿下!!本当に違うんです!!」


ミモザが疑われていることを知ったスピカは必死にドゥーベの腕に縋り、動きを抑えながらミザール達に言い募る。けれど二人はスピカを傷つけられたことに頭に血が上っているようで、彼女の話を聞こうともしなかった。


「言い訳くらいできないのか」

「…私は、私はそんなことはしていません」

「信じられると思うのか?君はアルコルの友人だったと記憶しているが…こんなことをする人間だとは思わなかったな」

「私はっ…アルコル様に顔向け出来なくなるようなことはしていません!」

「殿下っ止めてください!!その方は私を助けてくださったんです!!」

「スピカ、どうしてこんな奴庇うんだ!」

「だから違うって言ってるでしょ!!」

「アルカイド、スピカを連れて戻っていろ。彼女は優しすぎ……アルカイド?」


ミザールが指示を出すも、いつの間にかそこにアルカイドの姿はなくなっていた。


「こんな時にどこへ行ったんだ…?」


しかしミモザにはそんなことを気にしている余裕はなかった。


敵意と嫌悪の込められた視線。ぶつけられる鋭い言葉。最初から頭ごなしにミモザの言葉など聞く必要もないと言わんばかりの態度。きっとゲームのミモザはこうして彼等によって断罪されたのだ。


(違う……私はやっていない……っ…)


「っ…は……っ…」


息が苦しい。体が震えて足に力が入らない。どんどん短く早くなっていく自分の呼吸の音だけが頭の中に響く。

やっていないのだと、誤解だと言わなければならないのに力が入らない。

このままでは本当に悪役令嬢にされてしまう。そう思ったらぐらりと足元が揺れた気がした。


「違……わた…し……」


恐くて、震えが止まらない。

苦しくて立っていられなくなってしゃがみかけた時、ミモザはその声を聞いた。


「ミモザっ!!」

「っ」


ふっと、膝から力の抜けたミモザの体を支えて抱きかかえたのは、ここにはいない筈のアルコルだった。

どうして、とか、来てくれた、とか聞きたいことが沢山あるのに、ただ自分を支えてくれたその腕にどうしようもないほどの安堵感を覚えて、ミモザは自分の目から涙が溢れるのが分かった。


「ふっ……ぅ…っ…!」

「ミモザ、大丈夫、少し息を止めて……なるべくゆっくり息を吐くようにしてみて…」

「っ……アル……さ……っ……」

「無理に話さなくていい…もう、大丈夫だから…」


過呼吸を起こしかけていたミモザを抱きしめ、アルコルはそっと背中を撫でる。


「アル…どうしてここに…」

「…兄上、どうして彼女は泣いているんですか?数人がかりで責められ、こんなに追い詰められるほどの何を彼女がしたと言うのですか」


ミモザを支える腕はそのままに、アルコルは強い口調で兄であるミザールを責めた。


「彼女は、天使の生まれ変わりであるスピカに暴行を加えたんだ」

「だれかその現場を見ていた者はいるのですか?」

「……突き飛ばされた現場は見ていないが…我々が彼女を見つけたとき、彼女は地面に座りこんでいたし、彼女の制服には踏みつけられた足跡が残っている」


横から進み出たメラクがそう言うと「違います!」とスピカがそれを遮った。


「これは別の方にやられたんです!この方はその方たちから私を助けてくれたんです!!」

「…被害者である彼女がそう言っているが?」

「スピカは優しいからな…今までも苛めの加害者を庇っていた」


肩を押してスピカを後ろへ下らせようとしたドゥーベが、メラクに加勢するように言った。ミモザどころか当事者であるスピカの話も聞こうとしない相手に、アルコルは静かに怒りを湛えた。


「ミモザはそんなことしない」


きっぱりと全員に聞こえるよう声を張って言ったアルコルに、ミモザははっとしてアルコルを見上げる。自分のことを無条件に信じてくれる言葉に、収まってきた涙がまた溢れてきたのが分かった。


「ミモザは真っ直ぐで優しい人だ、誰が相手でも真摯に向き合って、自分ではない誰かの為に怒れる人だ。そんな彼女が誰かを貶めるなど絶対にない。それを証拠もないのに一方的に責めるなど…根拠もなく彼女を貶めるのは止めてください」

「根拠もなくとは……口が過ぎるぞ、アル」

「事実でしょう、誰も彼女が突き飛ばされたところを見ていない。しかも当人である彼女が違うと言っている。なのに何故ちゃんと話を聞こうとしないのですか」

「…彼女がやっていないという証拠もない」

「だったら余計に彼女達の言葉を聞くべきだ。これではただの言いがかりだ」


(……分かってくれた……)


その場を見ていた訳でもないアルコルが、自分を信じてくれたこと。ミモザのことをそんな風に思っていてくれたことが、どうしようもなく嬉しい。


優しいのはアルコルの方だ。


その横顔をじっと見ていると、少しずつ息が楽になっていった。呼吸が落ち着いてくると、次第に頭も回り始める。未だミザール達の顔を見るのは恐いけれど、アルコルの腕の中はそんな不安をも消してくれた。

そして漸く顔を上げることができたミモザは、ミザール達が一歩も引かずにミモザを擁護するアルコルに苛立ってきているのに気付いた。


「っ…」


(いけない…このままじゃ…)


このままミモザのせいでアルコルと王太子の間に確執が出来てしまえば、それがクーデターという最悪の未来を呼び起こす切欠になってしまうかもしれない。


(どうしたら…っ…どうしよう…私のせいでアルコル様が…っ…)


「待ってくれ!」


ミモザがパニックに陥りかけた時、中庭の方から声がかけられた。驚いて顔を向ければ、遠くからアルカイドとフェクダ、他にあと一人の生徒が走ってくるのが見えた。


「アルカイド、お前今までどこへ…」

「証人を探してきた」

「え…」


大して息を切らせることなく王太子の元へ一番に辿りついたアルカイドは、後から遅れてやってきた一人の生徒の肩を押して前に出す。いきなり王太子の前に突き出された青年は慌てたように礼をして、それからミモザの方を見た。


「……確かに俺はスピカ嬢が裏庭に連れて行かれるところを見ましたが、連れて行ったのは彼女ではありません、別の令嬢でした」

「な……」


青年はそう言うと王太子達の視線に耐え切れず、居心地悪そうにすぐに礼をしてその場を去っていった。


「…だが、」

「メラク様もうやめて!!ドウも、殿下もっ…どうして私の話を聞いてくれないの!!」


ミモザとアルコルの前に両手を広げて立ち、スピカはそう叫ぶと涙をぽろりと零した。


「す、スピカ……私達は…君のために…」

「どこが私のためなんですか!この人は他の女生徒に囲まれていた私を助けてくれたんです!!そんな優しい人にみんな酷い言葉を…!!」

「スピカ…」

「ドウだって聞いてたでしょう!判定の授業のときに“水晶から手を離して"って言ってくれたのだってこの人なのよ!?」

「え……」


スピカの叫んだ言葉に、はっとしたようにドゥーベが動きを止め、ミザールやメラクもまた我に返ったようにミモザを見た。

ミモザもまたスピカが、声の主が自分であったことに気付いていたことに驚いていた。


「…誰かにやらせたかもという件に関しては、さっきアルカイドくんから聞いて、今アリオトくんとメグレズくんが調べてくれているよ。ただ今のスピカくんの様子を見れば、わざわざ探すまでもなくミモザくんの潔白を示しているように見えるけどね……それに、ミモザくんはずっと前からスピカくんの置かれている状況が悪いことを気にかけていたんだよ」

「そんな……」

「ドゥーベくん、君もだよ」

「え…」

「ミモザくんはスピカくんだけでなく君のことも悪い噂が広がらないように、嫉妬する令嬢達の話を逸らしたりして影で上手く立ち回ってくれていたんだ」

「な…」

「スピカくんを心配するあまり周りが見えていなかったんじゃないか?」

「っ…」


今までミモザを責めていた三人が揃って沈黙すると、ミモザに向き直ったスピカが「ごめんなさい」と深く頭を下げた。


「ごめんなさい…っ…私なんかを助けたせいで、こんな目にあわせて…ごめんなさい…!!」


目に涙を湛えて頭を下げ続けるスピカに、漸く固まっていたミザール達もはっとしてそれに倣った。


「疑って、すまなかった…」


そう言って頭を下げた彼等にミモザはビクリと肩を竦ませる。ミモザの怯えた様子に表情を険しくしたアルコルはミモザを離し背中に庇い、「謝って済むことではないでしょう」と、その視線から隠した。


「人目がないといってもここは多数の貴族も通う学園です。誤解だったとはいえそのような言いがかりが万が一誰かの耳に入れば、彼女の侯爵令嬢という名に傷が付くでしょう。それに身分に関係なく、女性が自分よりも体の大きく力の強い男性に囲まれ、頭ごなしに怒鳴りつけられれば恐怖を覚えるのは当たり前です。あなた方はそれを本当に分かっているのですか?」

「っ…」

「あ、アルコル様…」


ミモザよりも怒っているらしいアルコルに、ミモザは動揺しつつも意を決してその袖を引いて止めた。


「ミモザ…」

「もう大丈夫です…」

「しかし…」

「…私のために、怒ってくださってありがとうございます……けれど、あなたが兄として慕っている王太子殿下と、私のせいで仲違いをして欲しくないんです」

「………」


ミモザが辿々しく紡ぐ言葉に、アルコルは口を開きかけて、出かかった言葉を飲み込んで口を閉じた。ミモザよりも辛そうな顔をして眉を下げたアルコルに、少しだけ勇気をもらったような気がしたミモザは「もう少しだけ、頼ってもいいですか?」とアルコルの指先を少しだけ握った。


「少しだけこうしていてくださいますか…?」

「っ…あぁ」


すぐにぎゅうと握り返された掌と、ぱっと明るくなった顔に少しだけ微笑むことができたミモザはスピカ達に向き直る。


「…誤解だとわかっていただけたのなら、もういいです」

「しかし我々は…貴女に酷いことを…」

「スピカ様、本当に怪我はしていないのですね?」

「はい、私はあなた様が庇ってくれましたから…」

「でしたら、殿下、私は事が大きくなるのを望みません…今日の事は忘れます」

「しかし…」

「もし悪いと思って下さるのなら、今後このようなことのないようにスピカ様の身辺の警護を充分になさってくださいませ。それと…どうか皆様、彼女の話に耳を傾ける柔軟さや余裕をお持ちくださるようお願いいたします」

「…わかった」


頭を下げたミモザに重々しく頷いたミザール達は僅かにほっとしたような表情で頷いた。


「…サザンクロス嬢、こんなことを言うのは烏滸がましいかもしれないが…君がずっとスピカを気にかけていたというなら、今後我々もこのようなことが起こらないよう注意はするが、君もこれからスピカの友人として支えてやってくれないだろうか」

「それは…」

「侯爵家の令嬢である君がスピカの友人として行動を共にすれば、貴族達への抑止力になる筈だ」

「……確かに男の我々では限界もある」

「ミザール、メラクも…いくらなんでも言い過ぎだ…こんなことになって、サザンクロス嬢が頷ける訳がないだろう」


王太子達の身勝手な言い分に、それまで黙っていたアルカイドが二人を諌める。しかし二人がそれに反論するよりも早く、アルコルが「あなた方は何を言っているのですか」と怒りを露にした。


「…あなた方はミモザにこんなことをしておいて尚、スピカ嬢の盾となれと言うのですか?」

「それは…身勝手な言い分だと分かっている…だが、スピカには我々以外の協力者も必要だ」

「だからといってそれをこの状況で口に出すなど…王太子である貴方が口にしたことを断れる貴族がいると思うのですか?スピカ嬢を庇った分彼女にも悪意が降りかかるかもしれないのですよ!?」

「っ…アルコル様…」


大きな声を出したアルコルの繋いだ手を顔の前に引き寄せ、ミモザは意を決して首を振る。


「アルコル様……いけません、これ以上はあなた様のお立場が悪くなってしまいます…」

「しかし…」

「お願いします…」

「っ…」


今のミモザは悲壮な顔色になっているだろう。けれどもそれ以上に、アルコルを死亡フラグから遠ざけたい気持ちが強かった。


「それが殿下の御心であれば、承りました……スピカ様」

「っ………はい…」


言葉にするのが怖くて少しだけ声が震える。自らヒロインであるスピカに関わりにいくなど、まるで死地に向かうような気持ちだ。腹だって立たない訳ではなかったが、それでもこれ以上はアルコルとミザールの間に溝を作る訳にはいかない。

未だしゃくりを上げて顔を伏せていたスピカにできるだけ穏やかに話しかける。


「さっき王太子様がおっしゃったように、私が側にいれば他の令嬢達は貴女に手がだせなくなると思うの…だからせめて教室では一緒に…」

「っ…そんなことできません!」

「!」


否定の言葉を叫んだスピカに、震えそうになる手をアルコルが握る。


「あ、ち、違うんです…友達が嫌なわけじゃなくて!!そんなあなたを利用するみたいなのが嫌だっていう意味で…それに私はそんなこと言ってもらえる資格もないし、あなたが断れないのを知ってて無理矢理なんてっ…!!」

「……それなら、少しずつお話ししませんか?」


罪悪感からか中々頷こうとしないスピカに、ミモザはゆっくり話しかけた。


「私達は同じクラスだけど、話したこともなかったでしょう?友達かどうかはともかく、その方がお互いにいいんじゃないかと思ったの。もちろん貴女が嫌じゃなければだけど…」

「嫌じゃありません!…けど私はあなたに酷いことをしたのに、そんな私ばっかりが嬉しいのは駄目だと思うから…」

「…嬉しい?」

「はい」


「私、ずっとあなたと話したかったんです」と、真っ直ぐミモザを見てスピカは言った。今まで話したこともないスピカに、そんな風に思われていたとは知らず衝撃で内心言葉を失うも、今はもう何とか早く事を収めてしまいたかったから、それを利用してしまおうとミモザは思った。


「私も……先生が言ったように私も貴女とお話ししてみたいと思ってたの」

「え…」

「それでも貴女が自分を許せないと思うのであれば、謝るのではなく少しずつ歩み寄ってくれたら嬉しいわ」

「…………本当に?平民の私が嫌じゃないんですか…?」


スピカの澄んだ空のような青い目が怯えるようにじっとミモザを見つめてくる。

ミモザに怯えているというよりは、すがるような、拒絶や否定をされることを恐れているような視線だった。

ミモザも「平民だからという理由では嫌いにはならないわ」と言い、スピカを見返した。


「…本当に?」

「えぇ…今は貴女も私も動揺しているでしょうから…焦らなくてもいいから、今日はもうこれで終わりにして、お互いによく考えませんか?」

「考える…」


スピカがミモザの言葉に俯いて考え込んだタイミングで、アルコルが「もう今日は彼女を休ませたいので失礼します」とミモザの手を引いて、その場から連れ出してくれる。

最後に礼をとり、踵を返す直前にアルカイドと目があった。アルカイドはばつが悪そうに、ミモザに向けて頭だけを下げた。


(そういえば……アルカイド様は、助けてくださったのね……)


あの王城での一件から今まで会うことはなかったが、ああしてミモザを助けてくれたのは、彼なりに成長し、自らの過ちを償おうとしたのかもしれない。


(あぁ…何だか頭がぐちゃぐちゃだわ…)


「送ろう」と言ったきり無言で手を引くアルコルの背中を見ながら、ミモザは明日からの我が身を思って強い疲労感を感じていた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] 流されキャラになったのは正直とても残念。 これまでの彼女が好きだった。
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