閑話:王女様は見守りたい
「いち、に、さん…いち…」
王城の一室。決して大きくはないが、きらびやかなシャンデリアが輝く小さなホールに、二人分の小さな足音と教師の規則正しい手拍子と掛け声が響いていた。
「随分上達したんじゃないアル」
「そうですか?」
「自分ではよくわからなくて」と、はにかんだように笑みを浮かべた弟二王子に、タニアも笑顔を浮かべる。
「えぇ、今日はまだ足を一度も踏まれていないわ」
「…練習しましたから」
茶化してそう言えば、苦笑しながらそう返ってきた。昔のように途中で投げ出すことはなく、今ではこうしてタニアをリードするくらいに上手に踊れている。
手を離して恭しく礼をした後、アルコルは教師からもダンスを褒められ嬉しそうに笑った。
「姉上とこうして踊ったのは久しぶりですね」
「そうね」
今日は学園の休日で、珍しく何の公務もなく。暇をもて余していたタニアは、天気もよかったので庭園を散歩でもしようと思って歩いていたところをアルコルに会った。
そしてアルコルから「今日はミモザがダンスのレッスンに城にくるんです」と聞いたため、少しだけ顔を出そうと、こうして待っている間にアルコルと久しぶりに踊ることにしたのだった。
「これならミモザも踊りやすいと思うわ」
「ほ、本当ですか?」
ミモザの名前を出した途端、ぱっと顔を輝かせたアルコルに、タニアも嬉しくなって自然に笑みが浮かぶ。
「えぇ」
一時期自暴自棄になっていたアルコルは、鍛錬だけでなくマナーやダンスのレッスンも止めてしまっていた時があり、いやいやレッスンを受けたとしても、足は踏むわステップは滅茶苦茶だわすぐに投げ出すわで、練習にもならなかった。
そんなアルコルが「上手く踊れるようになりたい」と、再びレッスンを受けるようになったきっかけは、タニアもよく知る一人の少女であった。
あの頃、母を亡くし王宮内で孤立し、日に日に荒んでいく弟を見ていられなくて、何度もタニアはアルコルに話しかけた。けれどもその言葉が彼に届くことはなく、アルコルを取り巻く状況はどんどん悪化していった。
しかしあの日、城で開かれた茶会でその少女と出会ったアルコルは、彼女の言葉で今までの行いを少しずつ省みるようになった。
あれほどタニアが話しかけてもその表情に諦めしか浮かべなかったアルコルが、その少女に嫌われたくない一心で止めてしまっていた訓練や勉強を始め、積極的に学び、笑顔を浮かべるようになった。周囲の人間に対する態度も目に見えて変わり始め、憑き物が落ちたかのように元の自分を取り戻していった。
そんな時だった、アルコルから「ダンスの練習相手になってほしい」と頼まれたのは。もちろん断る理由はないから、タニアもそれに喜んで協力をした。そして何度も練習に付き合ううちに、彼がタニアに練習を持ちかけてきた理由を知った。
『…足を踏んでしまって…』
誰の、とは言うまでもないだろう。アルコル曰く『僕の体重であんな小さな足を踏んでしまったらかなり痛いだろうから』とのこと。
あの少女は気付いていないが、少なくとも国王である父は彼女をアルコルの婚約者に迎えることを考えている。アルコルのことを理解する数少ない人間であるし、年齢も身分も申し分ない。何よりアルコルが彼女を好いていること。こうして彼女に真実を告げずに、王城へ呼んではアルコルと一緒に将来に備え教育を受けさせているのは、父の親心なのかもしれなかった。
もちろんタニアだって、彼女がアルコルのお嫁さんになってくれたら嬉しいと思う。むしろ父よりもタニアの方がずっと彼女にアルコルの傍にいてやってほしいと願っていた。同じ境遇を持つ彼女だからこそ、アルコルの悔しさや寂しさを受け止めることができたのだろうと思う。
でもそれは彼女が自ら望むことが必要だった。王家の都合や、周囲の思惑でミモザの未来を縛ってしまうことはいけないともタニアは思っていた。
『なのにミモザはいつも大丈夫ですって言うんだ。僕はこんなだからお腹だってつっかえて、腕だってかなり伸ばさないと組めないのに段々に慣れていけばいいって、僕と踊るのは楽しいって言ってくれたんだ…』
太ってしまったアルコルに好んで近付く令嬢は誰もいなかった。誰もがその容姿に眉を顰め、敬遠し影で悪く言った。けれどミモザだけはそんなアルコルを嫌悪することなく、時に叱ったりしつつも傍にいてくれた。
『だからきちんと踊れるようになりたいんです』と、そうタニアに言ったアルコルの表情に、もう諦めの色は見えなかった。
ミモザを見ているとアルコルを憎からず想ってくれているように思えたが、恋愛感情かと言われれば断定もできない。だから、アルコルが彼女に好かれたいと努力をするなら、タニアはそれを全力で応援するのみだった。
それからしばらくアルコルのダンスの相手は、城へミモザが来る以外の日はタニアが務めていた。一ヶ月、半年、一年と月日が過ぎていくうち、アルコルのダンスも上達し、他に続けている運動のおかげか体格も変わってきていた。背も伸び、肩を組む姿も様になるようになり、それと比例するように段々とタニアと踊る回数は少なくなっていって、タニアが今年学園へ入学してからは滅多にアルコルとは踊ることはなかったのだ。
成長が嬉しいと思う反面少しだけ寂しかったが、アルコルが本当に手を取りたかった相手と踊れているのならそれでいいと思った。
「学園に入学したら、後夜祭や卒業記念のパーティーとか、色々な行事でダンスをすることがあるから」
「これだけ踊れれば大丈夫ね」と、アルコルより一足先に学園生活を送るタニアはそっと入り口の方を見た。ノックの音が響いたのはすぐ後だった。
「アル、ミモザ嬢をお連れしまし…」
「メグレズありがとう」
「っ…お、王女殿下っ…失礼しました!」
部屋の中にタニアがいるとは思わなかったのだろう。慌てて「殿下に無礼な口を」と頭を下げるメグレズに「かまわないわ」と手で制して動きを止めさせた。
「あなたはアルのお友達なのでしょう、前にも言ったけど公の場でないときは砕けた口調で構わないわ」
「とっ…!」
王女に王子であるアルコルの友達と呼ばれ絶句したメグレズに構うことなく、アルコルも「そうです姉上、メグレズは僕の親友なのです」と嬉しそうに言った。
「ふふ…メグレズ様、いつのまに親友に昇格なさったのですか?詳しくお聞かせ頂きたいわ」
真っ赤になって固まるメグレズの後ろで、もう一つの声が聞こえた。先程までタニアの思考を占めていた彼女は、今日もアルコルの練習パートナーとして城へ呼ばれたらしい。
「ミモザ!」
「アルコル様、ごきげんよう。タニア様もお久しぶりでございます」
「お会いできて嬉しいです」と微笑んだミモザに、タニアが返事をするより早く彼女のところへすっ飛んでいったアルコルが、その手を取ろうとして漸く相手の両手が塞がっていることに気付く。
「…今日はレモンも一緒なんだね」
「はい、どうしても一緒に行くって聞かなくて…」
「新しい猫用ドレス持って待ち構えてる奴がいる屋敷に置いていくとか悪魔だろ!!」
ミモザの腕の中で黒い猫が抗議の声を上げる。はじめて見たときには驚いたが、この猫はミモザの使い魔で何度も城へと連れてこられているので、タニアもよく見知っていた。
「まぁ、貴方がドレスを着るの?」
「着ねぇよ!」
タニアが使い魔を覗き込んで聞くと、猫は怯えたようにミモザの服の胸元に爪をたててしがみついた。
「えぇ、結構似合ってて可愛いんですよ!」
「だから着ないって言ってるだろ…っとわぁ!?」
言葉の途中で、アルコルに持ち上げられた使い魔の言葉が不自然に途切れる。
「アルコル様」
「重いだろう?私が抱くよ」
ミモザから猫を取り上げたアルコルは、片腕で猫を抱き、空いている方の手でミモザの手を取って部屋に招きいれた。
「ぐえっ…おい、離せよ!」
「だ、大丈夫ですわ、レモンくらいなら重くありません…」
「私があなたに頼られたいんだ。……駄目かな?」
「う………だ、駄目では、ないですけど……」
「うぇ…」
げんなりとした声を出した猫に構わず、少しだけ眉を下げて見つめてくるアルコルに、ミモザはすぐに言葉につまる。
『どうやったらミモザにもっと好かれると思う?』
『うーん…女性というのは白馬の王子様に憧れるものと母から聞きました。なので、物語の王子様を参考にしたらどうかな?』
『丁寧に話した方がいいってことか?』
『見ているとミモザ嬢はアルの王子様っぽい話し方に弱いのだと思います』
『そうか…メグレズがそう言うなら頑張ってみるよ』
そう、アルコルとメグレズが話しているのを以前聞いたことがある。現にメグレズの助言どおりアルコルは普段は自分のことを「僕」と呼んでいたのにミモザの前では「私」と意図して呼び方を変えているようだ。
城の中でよく二人で笑い合っているのを見かけていたが、タニアはその現場を目撃したとき、二人が恋愛相談ができるほど仲良くなっていたらしいことが自分の事のように嬉しくなったのを覚えている。
「ミモザ」
「っ…」
やっていることは子供の嫉妬だというのに、物語の王子様のような様相のアルコルに、固まっていたミモザは耐えきれず白旗を上げた。
「…お願いします」
「うん」
どことなく赤い顔で頷いたミモザに満足そうに笑ったアルコルが返事をすると「勝手にお願いするなっ!」と、その腕の中で猫は声をあげ毛を逆立てた。
「こら、レモン暴れちゃ駄目よ」
「嫌だね、コイツの腕の中は心地が悪いんだ」
「あら、じゃあ私が抱いていましょうか?」
タニアがそう申し出れば、猫はすぐにアルコルの腕を蹴って一目散にタニアの元までかけてきた。
「こっちの方がいいや」
「レモン!」
「いいのよ、ミモザ。ねぇレモン向こうで私とお茶にしましょう?」
「これからミモザとアルコルはダンスのレッスンがあるから」と言って、レモンを抱き上げたタニアはその喉元を撫で、機嫌よく腕に収まった相手に微笑んだ。
「レモンのことは私に任せて」
「でもタニア様のご迷惑では…」
「そんなことはないわ、今少しアルコルと踊っていたから、丁度休憩しようと思っていたところよ」
「ではアルコルのことをお願いね」と二人に言い置いて踵を返す。タニアがいればアルコルもミモザも気を使うだろうと思って、元から挨拶だけしたら退室するつもりだったし、それに。
「メグレズ、貴方ミモザを迎えに行くのに少し時間がかかっていたようだったけど、何かあったのかしら?」
扉を開けてくれたメグレズに、二人には聞こえないよう小さな声で聞くと、眉間に皺を寄せた青年は「はい、他のご令嬢と出くわさないよう遠回りしたので遅くなってしまいました」と申し訳なさそうに言った。
「貴方を責めた訳じゃないわ」
そう、最近アルコルの容姿が変化した事で、今までアルコルのことなど見もしなかった令嬢達が王城に来ているのを度々見かけるようになった。勿論警備兵がいるから離宮内へは入ってこられないにしても「城で働く父親に書類を届けにきた」とか「王宮で侍女をしている親戚に会いに参りました」とか、理由をつけて離宮近くをうろついている令嬢の姿は少なくない。
メグレズが遠回りをした理由はそういった令嬢達からミモザの存在を隠すためだ。令嬢達がたとえ運よくアルコルと出会ったところで目に留まることなどないだろうが、筋違いな嫉妬をアルコルの想い人に向けられては困るのだ。
「その子達がいた場所に案内してくれる?」
「どうするおつもりで?」
「その子達もお茶に誘おうと思って」
殊更にっこりと笑みを深くしてタニアは言う。部屋を出るときに振り返れば、アルコルとミモザは楽しそうに二人で話してステップの確認をしていた。
弟の恋路を応援したいタニアにとっては、今更寄ってきたアルコルの見た目しか興味のない令嬢達に、二人の時間を邪魔されるのは面白くない。自分が茶会に誘うことで目を逸らしてやるくらいの手助けはできる。
(丁度、彼女達の気を惹きそうなものも、ここにいることだしね…)
タニアが腕の中のレモンに目を落として笑いかけると、何故かレモンが「なんだ…寒気がしたぞ」と小さな体をぶるりと震わせた。
「どうしたレモン、風邪か…?」
「いや、何か嫌な予感が…」
案内をするメグレズにそう返事をして、首を傾げるレモンにタニアはくすりと笑った。この勘の働く使い魔はとても賢いらしい。
来年の春には彼等も学園の生徒となることが決まっていた。幼い頃から見守ってきた彼等が、これからもずっと一緒にいられればいいとタニアは思った。
(そのためにはアルコルに頑張ってもらわないとね)
窓の外の枝木には蕾がついて日に日に膨らんできている。春が来るのはもうすぐだった。
感想、誤字報告ありがとうございますm(_ _)m
次からいよいよ学園へ入学します。
書くの遅くて申し訳ありませんが、引き続き見守ってくださると嬉しいです。




