母の教えその13「可愛いは尊い」
あの悪魔との邂逅から一週間ほどが経とうとしていた。
「知ってることを全部話しなさい」
「嫌だね」
「またみぃみぃしか言えない様にしてあげましょうか」
「うっ…」
「お義母様とアクルの部屋に置き去りにしてもいいのよ」
「やっ、やめてくれ!もうあんなフリフリの洋服を着せられるのは嫌だっ!!」
「なら話してくれるわよね」
「う、うぅ……」
目覚めたら消えてしまうのかと思っていた悪魔は、ミモザに暗示をかけられたことでその力を失ってしまったようで、悪夢から覚めたミモザの膝の上で仰向けに転がり呆然としていた。
悪魔とは、実体がなく魂だけで存在しているようなものらしい。本来はこうして触れることも、目に見ることもできないものなのだそうだ。それがミモザのかけた暗示のせいで、魂の姿が猫に固定されてしまったようで元に戻れないのだという。
逃げ出そうにもその短い手足では「よちよち」と歩くのが精一杯で、すぐにミモザに捕まっては連れ戻されるのを繰り返し。そして脱走を何度も繰り返しているうちに義母やアクルの目にとまり「かぁわいいでちゅねぇ~」と文字通り猫可愛がりされ、フリフリの洋服を着せられたり、キャットフードを食べることを強制されたり、頬ずりされてもみくちゃにされるなど、とにかくトラウマを植えつけられ、逃走しようとする気持ちが折れたらしい。
ミモザの部屋にいるのが一番安全だとわかった今では、こうして大人しくしていることが多かった。
ミモザが悪魔から脅すようにして聞き取ったのは、これまで悪魔がしてきた行いと、人を惑わすその能力。そして彼らの背後にいる冥王の存在だった。
「冥王様、まだ復活していない、けどいずれ復活する」
だから自分はそのときの為に種を撒いていたのだと悪魔は言った。
「私やアルコル様をそそのかしてクーデターを起こすことが、どうして冥王の復活につながるの?」
「冥王様、悪意を力にする。お前達はその苗床」
悪魔いわく、まだ完全に復活するには力の足りない冥王に、悪意を捧げるべく暗躍していたとのこと。そうして蓄えられた悪意によって、完全復活した冥王がクーデターでがたがたになったこの国を滅ぼし、世界にその手を広げていく、という筋書きだったというのだ。
「冥王が現れると、ヒロイ……伝承の天使も現れるんでしょう?そんな簡単にいかないんじゃないかしら」
「だからこそ、お前、クーデター起こす。人間の手で、天使、消してもらう」
「………」
なるほど、とミモザは思う。どうして悪役令嬢ミモザがヒロインをあんなに目の敵にしていたのか、その理由の本当の意味が分かった気がした。
実際に第二王子の婚約者であることが嫌だったとはいえ、婚約者のいる身で王太子と仲の良いヒロインを苛め、平然と王太子の婚約者に納まろうと画策するなどおかしな話だと思っていた。
全て、悪魔の言うとおりだとすると、ゲームの中のミモザの行動にも納得がいく。最終的に処刑されるところまで、きっとこの悪魔の筋書き通りだったのだろう。
「これで全部…もう、話すこと、ない」
渋々と白状した悪魔は、しおしおと項垂れて丸まった。
「…どうしよう、おれ、人間に、捕まるなんて…」
テーブルに置かれたふかふかのクッション入りのバスケットの中で、手足の短い黒猫は頭を抱える。その短い前足では全然抱えられていないのが可愛い。全身真っ黒で、瞳は薄い黄色。手足は普通の猫よりも短くて狩などとうていできそうもない。母が転生前にいた世界には手足の短い犬や猫がいるのだと聞いて、見てみたいと思っていたものがこんな形で叶ってしまって何だか可笑しかった。
「そんなに落ち込まないで、恐ろしい姿より可愛い方がよっぽどいいじゃない」
「俺は悪魔なんだぞ、可愛いというな」
「母が『“可愛い"は“尊い"と同義語よ』と言っていたわ、可愛いってことはつまり“貴方は尊い"って言ってるのとおなじことよ」
「尊い……ほんとうか、だまされないぞ」
「本当よ、私も貴方のことを尊いと思っているわ」
ミモザがそう言うと、悪魔はふてくされたように見えて、心持ち機嫌よく「ふん」と鼻を鳴らした。
「………」
(悪魔なのに、こんなことで騙されて大丈夫なのかしら…)
最初にミモザが子供っぽいと抱いた印象の通り、この悪魔はまだ精神が幼いらしいのが話していると感じ取れる。
「…貴方に仲間はいないの?家族は?」
「……ひとり、いた……けど、この姿になってから、話、できない……」
「………」
悪魔はその力を失っているようで、仲間との交信などもできなくなっているようだ。
仲間がいるのであれば警戒しなければと思って聞いたことだったが、予想せず目の前の悪魔が落ち込んでしまったことに、ミモザは少しだけ良心が痛んだ。けれどもその存在の危険性をわかっているからこそ、自由にしてやることはできない。
「…貴方には名前があるの?」
「名前なんか、ない」
ミモザにとって、というか人類にとってはその方がいいのかもしれなかったが、たった一人の仲間と連絡が取れないというのもなんだか可哀相に思えて、ミモザはバスケットの中にいた子猫を持ち上げて自分の膝の上に置いた。
「貴方の力はとても危険だから、暗示を解いてあげることはできない」
「………」
「だから代わりに名前をあげるね」
「名前」
きょとりとした顔でミモザを見上げてくる子猫の頭を撫でて、黄色のまん丸な目に笑いかける。
「…まさかチョコとかマロンとか甘ったるい名前じゃないだろうな」
「イチゴとかモモでも可愛いわよね」
「嫌だー!!」
「悪魔としての威厳がー!」と再び頭を抱えて蹲る子猫にクスクス笑って、その小さな頭の上から話しかける。
「嘘よ。レモン、貴方の名前はレモンよ。瞳がきれいなレモン色だから」
「レモン……あんまりイチゴとかモモとかと変わらない気が…」
「まだ甘ったるい?」
「うー……もっと悪魔っぽい名前にしろ"暗黒の死猫"とか」
「その姿の貴方が"暗黒の死猫"って…かえって格好悪いと思うわ」
「そういうの中二病っていうのよ」とミモザが諭すと、レモンレモンと何度か呟いた悪魔は疑わしそうに『本当に、瞳の色?』と確認してくるので、ミモザは素直に頷いた。
「うん、摘み取る前の、木に生ったままの若いレモンの実の色に似ているわ」
「………ならばそれで、妥協しよう」
しぶしぶと、しかしどこかそわそわとしながら悪魔は尻尾をミモザの膝に何度か打ち付けた。
「しばらくここで暮らしてもらうから、名前がないと不便だしね」
「おい、おれはここにいるとは…」
「行く当てもないんでしょう?」
「その格好だとたとえこの邸を抜け出したとしても、あっという間に第二第三のアクル達に捕まるわよ」と言えば、トラウマを思い出したのかぶわっと尻尾を太くして悪魔は首を振った。
「うぅ……」
「それに、ここにいる限りは貴方と私は家族よ、安全は保障するわ」
「……お前は、勘違いをしている、おれは人間と、馴れ合いなどしない」
「別に馴れ合わなくてもいいよ、私が自分の安全の為に貴方から仲間を奪ってしまったのなら、その罪滅ぼしだと思ってくれていい」
「………ばかな、おれがなにもしなくても、仲間が、動く」
「そのしょっちゅう出るカタコトは癖なの?少しずつ直しましょうね」
「おい、聞いてるのか」
「聞いているわ、今の貴方には何もできないってことでしょう」
「………」
呆れたように前足を額に当てた悪魔は「もう勝手にしろ」と一つ欠伸をしてバスケットへ戻り丸まって寝てしまった。
その丸まった背中にそっと手を置いて撫でながらミモザは考える。
この悪魔の言うとおり、たとえここでレモンを囲ったとしても、その仲間が暗躍している限り、ミモザに平穏は訪れないのかもしれない。それでもこうして彼らの存在を知ることで、事前に対策を考えられるだけ良かったと思う。
彼らの力は危険だ。実際にどれほどのことをレモンが行ったのかはわからないが、父は母を裏切り、ミモザは孤立し、アルコルもメグレズもその悪意にさらされていた。
「…………」
父に裏切られ、母はどれだけ傷ついただろう。
義母だってアクルだって、本来恨まなくてもいい相手を恨まされていた。
アルコルは周囲の悪意に傷つけられ、悩んで心を壊してしまっていた。
メグレズだって不安と不審に苛まれて追いつめられていた。
もし全部が目の前の悪魔のせいならば、許してはいけないと思う。
人の不安や恐怖につけこんで、惑わせ、唆して。そこにあった想いをねじ曲げられ、ミモザを含め誰もがたくさん苦しんだ。
レモンのやったことを全て許すことはできない。そしてその力の危険性を考えれば、こんな風に側におくのも良くないことなのだと思う。それなのにミモザはこの悪魔を見捨ててしまおうとも思えなかった。
そう考えるミモザは甘いのかもしれない。けれど出会ってまだ一週間だというのに、仲間とはぐれてしまったこの幼い悪魔に、同情して名前をつけてしまうくらいには情がわいていた。
「ねぇレモン…もう、悪いことはしちゃ駄目よ」
「…………」
返事はなく、ただ耳をぴくりと動かしただけの相手に苦笑して、ミモザは撫でる手をそっと動かし続けた。




