母の教えその12「決めるのはあなた自身」
『めざわりだわ、同じ空気を吸っているだけで汚らわしい』
開いた扇で歪む口元を隠しながら冷たい目で見下ろしてくるのは、今よりも成長した姿のミモザだった。
『この場にいること自体が間違いなのだと分からないのかしら?』
ミモザは知っている。この台詞はヒロインと同じクラスになってしまったミモザが、平民出のヒロインを貶める為に吐き捨てた言葉だ。
(……あれが、私………)
毛先が幾重にも巻かれたオレンジがかった赤い髪は腰ほどまで伸び、白い肌は人形のようで血の気を感じさせなかった。派手すぎるほどの真っ赤なドレスに包まれた体は腰は細いのに出るところは出ていてスタイルがよい。誰もが「美しい」と称するような姿であったが、母から受け継いだ筈のその若葉色の目は面影もないほどに暗く淀み、相手を冷たく蔑むために細められていたためか、とても恐ろしい顔をしているように見えた。
(……夢……?)
どこかぼんやりと、自分を遠いところから見ているようなふわふわとした感覚に、ミモザは戸惑っていた。
水の中を漂っている感覚に近いのかもしれない。
明晰夢だろうか。抗おうにも体は重くて動かない。見えているはずなのに目蓋も開いているのか閉じているかも分からない状態で、ミモザは考える。
これが夢なのだとしたら、嫌な夢だと思う。
(もっといい夢を見させてくれたらよかったのに……)
こんな夢を見てしまうのには心当たりがあった。
アルコルと初めて会った時といい。
アクルに説教をした時といい。
アルカイドを言い負かした時といい。
感情的になりすぎている、とミモザは最近の自分の行いを後悔していた。
母から受け継いだ能力を使えば、もっとうまく立ち回れたであろう場面が沢山あった。それができずに感情のまま自分の言いたいことを言い、相手を叱り付け、終わってから後悔して。
それなら最初から躊躇せず相手の記憶を改ざんしてしまえばよかったと思って、そんなことを考える自分が恐ろしくて。
『平民風情が殿下に取り入ろうなどと考えるなんて…身の程知らずもいいところだわ、恥を知りなさい!!』
(私も…あんな風に見えたのかな……)
カッとなって我を忘れて怒鳴るその姿は、まさしく「悪役令嬢」みたいだ。そう思ったら、不安で、怖くて仕方なくなった。
胸の中に芽生えた不安は消えることなく、必死に忘れようとしても、こうして悪夢という形で毎晩ミモザの心を蝕んでいた。
侮蔑の色を浮かべ、高圧的で、相手を認めることをしない。一方的にヒロインを貶めるその姿はとても醜かった。
『本当に卑しいこと…貴女なんかいなくなればいいのよ!!』
夢の中のミモザは恐ろしい顔で、呪いの言葉を吐く。
(ちがう…私はそんなこと言わない…)
『私の力で貴女の大事な人達を全部奪ってあげる』
(だめ……お母様と、悪いことには力を使わないって約束したもの…)
『貴女が何をやっても無駄よ、もう争いは止められない。私こそが将来の王妃になるのよ』
(そんなことのために、争いを起こしたというの…?なんて…なんて酷いことを…)
『美しくて身分のある私こそがあの方に相応しいの』
(いや……あんな風に、なりたくない…)
『消えなさい』
(いや……いやなの…っ…)
目の前の光景を見たくなくて、目を瞑って両手で耳を塞ぐ。なのにその声は頭の中にガンガンと響いて。真っ暗な視界が涙で滲む。頭が割れそうに痛い。
(…っ…いや……助けて、誰か……お母様…っ……)
ミモザが母の名を叫んだその時、ミモザの体が急に何か暖かいものに包み込まれた感覚があった。
『大丈夫、大丈夫よ…』
(お…かあ、さま……?)
『大丈夫』
ぼんやりと目を開けて、自分を抱きしめる相手を見上げると、優しい顔で微笑む母の姿があった。幼い頃のように抱きしめられ頭をゆっくりと撫でられて、ミモザは目の前の母親に縋って泣いた。
(おかあ、さまっ…お母さ、ま…っ…)
『辛かったわね…』
(おかあさま…わたしっ…がんばったの…!)
『そうね、貴女はとてもよくやったわ……だからね、もうがんばらなくていいのよ…』
(おかあさま…?)
『私が助けてあげる』
母の言葉と温かい腕に、頭がぼんやりと靄がかかったようになる。眠くないのに目蓋が自然と落ちてきてしまう。母に言われたことを考えようとするのに、ままならない。
『貴女が私の言うとおりにすれば幸せになれるわ』
(お母様の……)
母の言うとおりにすれば悪役令嬢にはならない?
『そう、貴女は私の言うことを聞いてその力を使えばいいのよ』
それで私はどうなるの?
『貴女は幸せになる。今まで貴女を見下してきた奴らを見返してやるのよ』
(……………違う)
母親の言葉に、ぱきりと頭の中で何かが割れる音がした。
『ミモザ…?』
「違う………お母様じゃない」
『どうして…私は』
「お母様は、誰かを見返すことが幸せだなんて絶対言わない」
“ミモザ、私ができるのは貴女にいろいろな道があるのよって教えてあげることだけ。どの道を選ぶのか決めるのはあなた自身なの。間違ったことや悪いことを諌めてあげることはできても、何がいけなかったのか考えて改めなければいけないのは貴女自身。どの道を選んだとしても困難はつきまとうでしょう。それでも貴女が今まで選んだ道の中には、きっと貴女の力になってくれる人が沢山いるはずよ。私は貴女の選んだ道を応援するわ"
教えることや諌めることはあったけれど、母は決して全て自分の言うとおりにしなさいとは言わなかった。
“今の貴女には沢山の選択肢がある。貴女はどうしたい?"
いつだってミモザの意見をちゃんと聞いてくれたし、選んだものが間違っていたとしても蔑ろにはしなかった。一緒に考えてくれた。
“誰かと比べて幸せをはかるのではなく、貴女の心でそれを感じてほしいの。貴女が自分の手で、自分や周りの人と幸せになってくれる未来を信じてる"
「私は……この力をそんなことには使わない。お母様と約束したもの」
はっきりとした意思をもってまやかしの母の腕から抜け出すと、ぐにゃりとその輪郭が歪む。
『…ミ…も…ぁ…』
「私だって怖いけれど…誰かに言われるのじゃなくて、自分で悩んで後悔しながら、いつか振り返ったとき皆が笑っていられるような道を探すの」
母の形は既になく、黒い靄のような塊が目の前でうごめいて、また悪役令嬢のミモザの姿を形作ろうとする。あるかもしれなかった未来のミモザが吐いた暴言がまた頭に響いてきた。
「………もうやめて」
『!?』
ぶつりと場面が切り替わるように、悪役令嬢のミモザを形作っていた靄は動きを止め、その形を急に維持できなくなった。
「お母様の姿になるのも駄目よ」
『っ……』
先回りするように重ねて言った言葉に、またしても動きを封じ込められて、靄は焦ったようにざわざわと蠢いた。
「…何に姿を変えても、もう貴方に惑わされたりしない」
一つ違和感に気付いてから、急に頭にかかっていた靄が晴れるように思考がクリアになっていった。先程の母に抱いた違和感は、この悪夢は恣意的なものではないかとミモザに疑問を抱かせるきっかけとなった。
“精神に作用するこの能力には、貴女自身の精神力も必要になってくる。もし同じ能力を持つ者がいた場合、精神力のより強いほうが勝つわ。同じ能力を持つものなどそうそういないとはいえ、能力を遺憾なく発揮するためには精神のマウントを取ることが重要ね"
能力のコントロールを学ぶうち、母から教えてもらったことを思い出す。
もし、この悪夢が誰かによって齎されているものだとしたら。
あの黒い影は今かなり動揺している。さっきまで掌でいいように転がしていたミモザが急に反抗しはじめたことに焦って、主導権を取り戻そうと必死にあがきはじめていた。
ひっくり返すなら今しかない。ミモザはそう感じて、目の前の影を見据えた。
『お前は必要ない。早く家から出て行け』
「お父様……むしろ、今更家を継げなどと言われたら困ります」
『さっさと掃除を済ませるのよ!』
「はいお義母様、掃除は嫌いではありませんから…がんばりますね」
『私の方がお姉さまよりもずっと、ずーっとお父様に愛されているわ!!』
「そうね、私もアクルのことが大好きよ」
『っ………お前達を主だと思ったことなどない!』
「はい、私もアルコル様も家臣だなどと思ったことはありませんわ。メグレズ様は大事なお友達ですもの」
『ぐ…っ………お前は将来この僕のお嫁さんになるんだ!!』
「アルコル様……今は、死亡フラグということを除けば、あなたの婚約者に選ばれるのは、前ほど嫌だと思わなくなりましたの……あなたのその優しいお人柄をお慕いしています……まぁ、今のアルコル様はもう私のことをただの友人と思ってるかもしれませんけど…」
『っ…く……ぅ…!』
一つ一つ、影の見せたまやかしを消してしまうと、黒い靄は小さな塊になって手も足も出ないように動きが鈍くなっていった。
「…終わりですか?」
『……なん、でだ……』
「なんでと言われても…」
『どうして、何に、変わっても、飲み込まれない、お前が、恐ろしいと思っている、ものなのに』
「…私が恐ろしいと思っているものに変化していたのですか?」
さっきまでの未来のミモザや、家族友人らの姿は、ミモザが心の奥底で抱いていた不安そのものだったのかと納得する。
『あきらめろ、絶望しろ、お前は、悪夢から、逃げられない』
「目が覚めないということですか…?」
『そうだ』
「私に存在を気付かれてしまったのだから、もう続ける意味はないと思うのですが…」
『……このままでは、終われない』
「……ならば、賭けをしませんか?」
『賭け…?』
どこか幼い片言で話す黒い影が何者かは分からないが、いつまでもこのままという訳にはいかない。
昨晩ベッドに入った記憶はあるのだから、多分ミモザは今眠っている状態なのだろう。もし目の前の相手をどうにかしない限り目が覚めないというのであればやるしかない。
ミモザはぐっと拳を胸の前で握って母から昔聞いた寝物語を思い出していた。
「私がこの世で一番怖いと思っているものをあなたに教えてあげます。それであなたはそれに変身してください。私がそれに堪えられなければあなたの勝ちです」
『………お前が、正直に、言うはずない』
「だって、あなたの手札はもう全てきってしまったのでしょう?だったら私に恐いと思っているものを聞いたほうが早いと思いませんか」
『信用できない』
「そうでしょうか。私だってどうやったらここから出られるのか分からないし…原因であるあなたが目の前にいるのだからそれが手っ取り早いと思って持ちかけたのだけど…信用できないと言われてしまうとそれまでよね……あなただっていつまでもこのままというわけにもいかないのでしょう?悪い賭けではないと思うのだけど…」
『………』
「まぁ……出来ないというのなら仕方ありませんね」
『………できないとは、言ってない』
「そうなのですか?てっきり出来ないから言い訳をしているのかと思っていました」
『ふざけるな』
急に怒気を孕んだ黒い影が発する言葉に、ゴオッっと風が吹いて、目の前にミモザの身の丈より大きい狼が現れた。
『人間、ふぜいが、なめた、ことを』
「…失礼しました」
ひくりと肩を震わせ怯えて言うと、黒い靄は狼の姿でにやりと笑った。
『お前の、頭の中、ある、全部、知ってる』
だから聞くまでもないのだと、自分が有利に立ったと思った影は下卑た笑いを浮かべた。
「なら…私の恐いものなど全部知れてしまっているのですね…きゃああっ!?」
『ひーっひっひっ!!』
怯え、顔を青褪めさせたミモザの前で、影は恐ろしい形相の魔女の姿に変わった。高笑いを上げながらミモザを追い詰めるため、次々と姿を変えていく。
「ひゃあっ…!?」
『一人残らず食ってやる!!』
「いやっ、助けて…!!」
血みどろの人間や、人を食べる巨人など、いまやミモザの頭の中は恐怖で一杯だ。自身の中に流れ込んでくる恐怖に影はほくそ笑む。
「いやぁっ!!」
迫ってくる大きな手にミモザは悲鳴をあげる。影は巨人の姿のまま手を伸ばした先の、ミモザの恐怖に揺れる目を見た。そして自らの優位を確信した影は、その目の奥に浮かぶ恐怖を覗き込んだ。
『んにゃ』
「捕まえた!!」
『んに……にー!!?』
一瞬で小さな子猫の姿に変わった相手を両手で掴み、瞳を合わせてミモザは最上位の暗示を全力でかける。相手がミモザよりも実力者であった場合、暗示が効かない事も心配して魔力を全部使う勢いでかなり強めにかけてしまったが、油断していた相手には充分だったらしい。
逃げ出そうと黒い子猫は暴れだすも、すぐに自分の姿が元に戻らないことに気付いて呆然とミモザを見上げた。
『にゃ……』
「…さっき、あなたと目を合わせたとき、恐いものの代わりに可愛いと思うものを浮かべました」
『なぁ…』
「そして、あなたの本当の姿はこれだと暗示をかけました」
『みゃ……みーっ!!なーっ!!』
「私の記憶を覗いて、母のこともこの力のことも知っていたのに…」
「あなたが単純でよかった」とほっとしたミモザは、子猫を抱いたままその場にぺたんと座り込んだ。
ミモザが実行したのは「三枚のお札」作戦。小坊主を追いかけてきた山姥を、お寺の和尚さんが言いくるめて最後は餅に挟んで山姥を食べてしまうという、母から聞いた昔話を参考にしたものだ。本当にひっかかってくれるか心配だったけど、挑発にあっさりのってきたし、話し方もどこか幼いし、案外この影は子供っぽいのかもしれなかった。
『みっ、みゃ…みーっ!!』
「ちょっと強く効き過ぎちゃいましたね」
みぃみぃとしか喋れない相手に苦笑して、顔の前まで子猫を持ち上げて少しだけ暗示を軽くしてやると『ふざけんなっ、お前、もとに、戻せっ!』と黒猫の姿になった影はミモザの腕の中で暴れて喚いた。
「嫌です」
『俺は、悪魔なんだぞっ、許さない』
「悪魔…?」
『そうだっ、父親を、そそのかして、継母に悪意を植えつけてっ、義妹をけしかけて、お前を孤立させて』
「………」
『使用人に、悪意を吹き込んで、歪んだ王子に、お前のこと、教えてっ、従者の、不安を煽って!』
「な……」
『なのに、お前、絶望しない、これじゃ、クーデター、起こさない!!』
「………」
ミモザは信じられないような気持ちで、目の前で前足をじたじたとさせて喚く黒猫を見た。
もし今のことが本当なら、父親が母を裏切ったことも、継母がミモザを目の敵にしていたことも、アルコルが使用人たちに悪く言われていたことも、メグレズにあることないこと吹き込んだのも、全部がこの自称悪魔のせいだったということなのか。
しかも最後の一文はとても聞き捨てならない。
「クーデター…」
『お前、王子そそのかして、クーデター起こす、悪意、満ちる、冥王様、喜ぶ』
「冥王……」
『乱れた国、滅ぼすの、簡単、この世界、冥王様のもの』
急にいろいろな情報が出てきて、頭の処理が追いつかない。
どうしてかずっと不思議だった。母が言うゲームの悪役令嬢ミモザは何故これだけの能力を持ちながら失敗して処刑されたのか。
全てが、この悪魔によって操られていたことだったとしたら。
しかし母の日記にはこんな悪魔の存在は書かれていなかった。唯一アルカイドのルートで「彼がクーデターを企む第二王子を追いつめたときに王子を操っていた敵に返り討ちにあう」というなんとも曖昧な表現があったが、それもこの悪魔のことなのだろうか。
「まって……一人だけ……」
攻略対象全員のルートをクリアした後に、もう一つだけエンディングがあったのだと、日記のどこかに書かれていなかっただろうか。ただそれは「大団円ルート」と呼ばれるものでそのルートに入るには最低でも全員のルートをクリアしていることが条件だとあった気がする。特に詳しく書かれているわけでもなかったし、母もそういった条件があったから、そんなにそのルートは重要視はしていなかったのだと思う。しかし、そのルートには確かに「冥王」の存在があった気がするのだ。
「………」
『おい!元に!もどせ!』
思わず目の前の子猫を腕に抱えて、背中を丸めて踞ると、きつくなった抱擁にジタバタと自称悪魔は暴れだした。
「………」
『聞いてるのか!』
もしや自分はとんでもないものを捕まえてしまったのではないだろうか。
世界の秘密とでも言えばいいのか、それともミモザが行動した事で本来のゲームのシナリオから外れてしまったせいで現れたバグなのか。
「お母様……」
どうしたらいいのでしょう、と途方に暮れながら「とりあえず私をここから出しなさい」と目の前の子猫を逃がさないように両手でぐっと抱きしめた。
感想、誤字報告ありがとうございますm(_ _)m
誤字多くてすみません、助かります。
はじめて感想いただいて、はじめて日間ランキングに入りました、嬉しいです、スクショとって大事にします!ありがとうございました(*´▽`*)




