母の教えその10「悪役令嬢になんかさせない」
「お嬢様、そろそろ出発のお時間ですよ」
「……うん」
いつもならば長くて面倒になる身支度の時間が、こんなに短く感じたのは今日がはじめてだ。
声をかけられ、ぼんやりと座りっぱなしだった鏡台の前から立ち上がる。
髪は結わずに背中に流されており、右耳の上から編み込んだ髪を左の耳の後ろでまとめられ、くすんだ黄色の星がついた飾りでとめられていた。瞳と同じ色合いの薄い若葉色のドレスは胸の下で暗めのオレンジのサッシュがまかれている飾りの少ないシンプルなものだ。
ドレスも化粧もいつもより色合いがぼんやりしているのは、今日の主役が自分ではないから。それでもこれだけ見栄えするのはきっとカペラの腕がいいからだろう。
「……はぁ……」
思わずもれた溜め息にカペラが「なにか気に入りませんでしたか?」と焦って尋ねてくるので、慌ててミモザは首を振った。
「ちがうの、ちょっと外出するのが億劫になっただけだから!」
「…そうですよね、今日は侯爵様とアクルお嬢様が一緒ですもんね…」
そう言うと、カペラは父親と義妹と一緒に出かけるのが嫌なのだと勘違いをしたようだったので、ミモザはそのまま誤魔化して曖昧に微笑んだ。
「もう少し色味を落とした方がよかったかなぁ…」
「そんなことないわ」
「綺麗にしてくれてありがとう」と言えば「当然です!」とカペラは胸を張った。
「アクル様の付き添いとはいえ、王城に行かれるんですもの!」
「そうね…」
そう、本日の外出先は王城である。
何故アクルの婚約者候補との顔合わせが王城で行われるのかと言えば、その相手であるアルカイド・イーターがこの婚約に乗り気でないということが大きいらしい。そのため顔合わせを嫌がったアルカイドに内緒で、王城でばったり出くわしたように装って二人を近づけようというのが両家の親達の目論見だ。子供心に安い芝居だと思う。
『アルカイドは騎士を多く排出しているイーター伯爵の三男よ。騎士である父親に憧れて自らも騎士を目指して、幼い頃から鍛錬などをしていたみたい。爵位を継ぐことはないから在学中から騎士見習いとして王太子の側近、護衛として重用されていたわ』
あの後ミモザはすぐに部屋にこもり、母の日記のアルカイドに関する部分を目を皿のようにして読んだ。
『七騎士に選ばれたことに誇りを持っているというか…自分の強さを過信しすぎているというか…幼い頃から大人の騎士達に混じって訓練していたせいか、同年代に対しては少し傲慢で、自分よりも「弱いくせに」と見下すような発言があったわね。彼のルートでは、己の力を過信したアルカイドは単身でクーデターを企む第二王子を追い、結果的に王子を操っていた敵に返り討ちにあう。そして彼を庇って重傷を負ったヒロインの姿をみて、ようやく己の愚かさを知って、強さとは何かを知りヒロインに惹かれていくの。アルカイドルートの悪役であるアクルは親交を深めていく二人の姿に嫉妬し、ヒロインを排除しようとして第二王子のクーデターに手を貸すけれど、途中で第二王子からも切り捨てられ魔力を暴発させヒロインもろとも死のうとする。最後はアルカイドの手で倒されるわ』
『このルートは比較的王道で攻略も簡単だったわ』と、しめくくられた母の日記の記述に複雑な思いを抱く。
この“星の天使と七人の騎士"は最初から全員が攻略できるわけではないらしいのだ。その点アルカイドは初期から攻略できるキャラクターの一人であったというわけだ。
“王子を操っていた敵"の存在を匂わせるのも初期攻略キャラだからだろう。
このルートにはミモザの名前はほとんど出てこない。断罪されるのは第二王子と義妹だけなのだから、このルートならミモザは生存が望めるのかもしれないが、とてもそれを選ぶ気にはなれなかった。だからこそ深く考えずに読み飛ばしていたのだが、今後もこういうことがあるかもしれないので、反省してもう一度全部じっくりと日記を読み返すべきであろうと思っている。
ぼんやりと考え事をしながら邸の入り口につくと、アクルが「遅いわお姉さま!」とはりきって腰に手を当てて待っていた。
「ごめんなさい……そのドレス、よく似合ってる」
「べっ…べつに、いつもとおんなじじゃない!」
謝りつつも褒めれば、嬉しかったのか小さい背を仰け反らせて胸を張るのがなんとも小動物のようだと思う。
今日のアクルは桃色のシフォン素材で胸元に大き目のリボンがついたドレスで、髪もそろいのリボンで飾られている。確か父と義母が「妖精さん!」と言って褒め称えていたのはこのドレスだっただろうか。しかし本人もいつだか「お気に入りなのよ!」と言っていたのを思い出して、きっとアクルなりに頑張っておしゃれをしてきたんだろうと思って微笑ましくなった。
「アクルは普段からお前と違って可愛らしいからな」
いつの間に来たのか「いつもと同じで可愛いぞアクル!」とか囃し立てている父を冷めた目で見つめる。
(そこは今日は一段と可愛いと褒めるべきところでしょ…)
頑張っておしゃれした結果が「いつもと同じ」だと言われたら誰だって気分が良くないだろう。空気の読めない父親と、案の定黙ってむくれたアクルを見て溜め息が出そうになるのを飲み込んだ。
ミモザは何故アクルが黙り込んだのか分からず首を傾げる父を置いて、アクルの手を引いて馬車にさっさと乗り込む。隣に座り「そのリボン、ドレスとおそろいで可愛いわね」と耳打ちすれば、ぱあっと明るくなった顔にほっとする。
そう、今日のミモザの目的はこの笑顔を守ること。
アルカイドルートの詳細を知った今、アクルをアルカイドと婚約させるにはやはりリスクが高すぎる。
しかしアクルはこうして会うのを楽しみにしているくらいにはアルカイドに好意を寄せてしまっていた。
アクルやアルカイドに暗示をかけて婚約をなかった事にしたとしても、嘘の気持ちを植えつけたり、アクルが悲しむのでは意味がないと、ここ数日ミモザも悩みに悩んで、そう結論を出した。
(折角こうして笑いかけてくれるようになったんだから…悲しませたりしたら駄目よ)
『貴女を悪役令嬢になんかさせないわ、絶対』
昔母はミモザによくそう言ってくれた。今度はミモザの番だ。
もし婚約がうまくいってしまったなら、アクルが嫉妬に狂うことのないようその時はミモザが身を張ってでも止めよう。
(この子を悪役令嬢になんかさせない)
かろかろと揺れる馬車の中、ミモザはそう誓って二人のお見合いを見守ろうと決意した。
「お父様、どうしてアルカイド様は王城にいらっしゃるの?」
「それは彼が王太子殿下の側近だからだよ」
王太子の側近候補である彼は王城に通って、王太子や他の候補者達と一緒に学んでいる。立場的にはメグレズと同じだが、彼の場合、父親が王城近くに居を構える騎士団の隊長であったため、王都の家から通っているらしい。
「休みの日も騎士団で騎士達に混じって鍛錬しているらしいよ」
「まぁ…努力家なのね…」
父親の情報にほわぁと頬を染めて微笑む彼女の顔は、もう恋するそれだ。未だ現実を知らない歳なのだから王子様や騎士様に憧れる気持ちはミモザにもなんとなく分かる。
「…着いたようだな」
父親の声と止まった車体に、とうとう城についてしまったことをミモザは知る。父親にエスコートされながら降りるアクルの後ろから、御者の手をかりて降りると振り返った父親から「お前はついてくるだけでいい、余計なことを言うな」と釘を刺された。
「アクルがどうしてもお前と一緒じゃないと嫌だと言うから仕方なく連れてきたんだからな」
「…わかりました」
「そう何度も言わなくても分かっている」と言いそうになるのを堪えて、ミモザは眉に皺を寄せたが、それはすぐに違う声によって消えることになった。
「ミモザ!」
「っ…アルコル様?」
城内とはいえ、馬車の乗降場など王子の来る場所ではない。それでも城内の方から手を振って小走りでかけてくるあの丸いシルエットは、見間違えようもなくアルコルだった。
「どうなさいましたの?」
「はぁっ…は…み、…モザが…はっ…」
「落ち着いてください…」
「深呼吸です」と膝に手をついて息を切らせているアルコルの背中を撫でれば、漸く落ち着いてきたのかアルコルがそれを手で制した。
「ごめん…ミモザが城へくるって聞いたから…つい…」
「…もしかして迎えにきてくださったのですか?あんなに急いで?」
「あー…いや…その…うん」
恥ずかしそうに頭に手をやるアルコルに「でも走るのはお行儀が悪いです」と言うと、途端にしゅんとしてしまった。
「すまない…」
「…次は気をつけましょうね……でも、迎えに来てくれてありがとうございます」
「うん…!」
お礼を言えば嬉しそうに笑うアルコルに、ミモザも知らずに入っていた肩の力が抜けるのがわかった。いくらアクルのためとはいえ、この父親とずっと一緒にいなければならないというのは神経をつかうのだ。
振り返れば、父もアクルも笑顔の第二王子にぽかんと口を開けていた。しかしこの間のお茶会の一件を思い出したのであろう。父親は慌ててアルコルの前に進み出て礼の形をとった。
「アルコル様、私の父と義妹です」
「…サザンクロス侯爵…こうして挨拶をするのははじめてですね」
「はい、第二王子殿下の御前では初めて挨拶させていただきます。先の一件では娘が誠に申し訳ありませんでした。また我が娘が仕出かした粗相をご寛容にもお許しくださり誠にかたじけなく思います」
心なしか表情を消したアルコルに父は顔色を悪くしていた。
最近では他の人にこうした態度を取ることはなくなってきていたのに、どうしたのだろうとミモザは思う。もしかして茶会のときの嫌な記憶を思い出してしまって怒っているのだろうかと心配になって、アルコルの袖を小さく引いた。
「っ」
「アルコル様…?」
「あっ…えっと、もう怒ってるわけじゃないんだ…!」
引かれた袖を凝視して顔を赤くしたアルコルが、反対の手で口元を覆う。
「あまり、ミモザと似ていないなと思って…」
「そうですね、私は亡くなった母に似ているので…どちらかと言えば義妹の方が父と似ていますよ」
「あっ……」
ミモザから呼ばれたアクルは、びくりと肩を揺らしながらもアルコルの前に歩み出た。
「第二王子殿下……この間は、ごめんなさい!!」
「!」
いきなり謝罪を叫んで頭を下げたアクルに、アルコルも驚いて肩を揺らした。
「私…酷いことを言いました…本当にごめんなさい…」
「私も…あの場にいたのにこの子を止められなかったのは私です。アルコル様、申し訳ありませんでした」
そう、これもアクルが城へ行きたがっていた理由の一つだった。
頭を下げ謝ったアクルに父親が目を瞠った。父は茶会でのアクルの暴言を第二王子にも問題があったのだと思いこみ、侯爵である自分が一度頭を下げればそれで済むと簡単に考えていたに違いない。
アルコルがもう怒っていないようだとミモザが伝えてから、途端に気が大きくなったのか、最近になって「直接謝りたい」と言いだしたアクルに「そんな必要はない」と切り捨てていたくらいだ。全て身から出た錆だというのに、開き直るなど愚かだと思う。
まさか今日会えるとは思わなかったけれど、アクルがちゃんと自分から謝ることができてよかった。
父から視線をそらしてミモザも一緒になって頭を下げると、アルコルは慌てたように「頭をあげてくれ」と言った。
「もう怒ってる訳じゃないんだ、二人とも頭を上げて」
「でも…」
「私にだって悪いところはあったしね」
困ったように笑ったアルコルに少し驚いたように目を開いたアクルも、やっと心のつかえがとれたのかほっとしてミモザのほうを向いて笑った。同じようにミモザもほっとしてアルコルに微笑んだ。
「っ…アル!一人で行かないでくださいってあれほど…」
なんともいえないほんわかとした空気の中、アルコルの後ろから声がかけられた。声の主は走っているとは言えないぎりぎりの速度でツカツカと歩み寄ってきた。
「ごめん、メグレズ」
「いくらミモザ嬢が来ているからと言って、座学が終ってすぐ走っていくのはどうかと思います。それにいきなりあんなに走ったのでは体に負担がかかりかえって…」
「ごめんってば、気をつけるよ」
くどくどと長くなりそうなお説教の気配にアルコルはすかさず謝る。「本当にわかっているのですか」と眼鏡を光らせいぶかしむ顔をしながらも、その表情に嫌悪感などはみられない。
「ふふっ…メグレズ様はお母様のようなことをおっしゃるのね」
「だっ、誰が母親なんですか!?」
「母……っく…はははっ、母親か、それはいい…っ…」
「アルまで!」
お腹を抱えて笑い出したアルコルに「元はと言えばアルが走るからでしょう!」と耳まで赤くして訴えている。
「ふふっ…メグレズ様、アルって呼ぶようになったんですね。お二人が仲が良くて安心です」
「そうだろう、メグレズは大事な友達だからな」
「っ……次からは気をつけてくださいね」
「あぁ」
ただの側近である彼を「大事な友達」と言ったアルコルに毒気を抜かれたのか、メグレズは耳を赤くしたままそっぽを向いてそう言った。
(メグレズ様って…案外アルコル様には甘いわよね…)
そういう自分もアルコルに対しては甘い自覚があるのだが、最近の対応を見ているとメグレズも大概であると思っている。
それにしても王族というのはこうして人を惹きつける力でももっているのだろうか。それでもメグレズも譲れないところは駄目と突っぱねているようだし、二人の仲がいいにこしたことはない。
思いもかけないところで時間を食ってしまったが、父にメグレズを紹介したあとはアルコルのおかげかすんなりと騎士団の詰所の近くまで来ることができた。
「アルコル様とメグレズ様はここまでついてきてよかったのですか?」
「あぁ、私もメグレズもこのあと剣の鍛錬なんだ」
「エルナト先生は騎士団を引退されているけれど、とても強い騎士だったと有名な方なのです」
「へぇ…」
アルコルと並んで歩きながら、一歩後ろを歩くメグレズの説明を聞く。父とアクルは後ろを少し離れて着いてきていた。
ほどなくして到着した騎士団の詰所では何人もの騎士達が訓練をしていた。打ち込みの声が訓練場を越えて聞こえてくる。アルコル達と別れ父とアクルの後をついていくと、目的の人物を見つけたのか父が歩みを止める。
「イーター伯爵」
父に声をかけられ振り向いたのは、訓練場の全体が見渡せる位置にいたがっしりとした体つきの壮年の男性だった。
「この場では騎士隊長とお呼びしたほうが良かったかな」
「どちらでもかまわないですよ、サザンクロス侯爵」
此方へ歩み寄り、背筋が伸びた美しい礼をするイーター伯はさすが騎士といった風情だった。父と並ぶとその背の高さが際立つ。
「愚息のせいでこんなところまでご足労頂いて申し訳ない、鍛錬を休むのが嫌だという真面目な奴なんだ、許しておくれ」
父親から紹介された後、アクルの前に膝をついてイーター伯は言った。
侯爵家からの縁談を断れないから仕方なく、といった感じは見受けられない。もしアクルたちの婚約が成ればアルカイドは次期侯爵の地位を得ることが出来る。アルカイドの印象を少しでも良くしようとアクルに訴えるのは、彼なりの爵位を継げない息子への愛情なのだろう。
「あれが私の息子のアルカイドだ」
指を指した先、大人の騎士達が訓練している訓練場の端に、動く小さな赤い頭が見える。
「カイド、こっちに来なさい」
イーター伯に呼ばれ此方を向いた少年は、遠目からでも分かるほど明らかに顔を顰めていた。しぶしぶと木剣をしまい、わざと時間をかけて此方に歩いてくる。
父親である伯爵と同じ真紅のくせのある跳ねた髪は、ミモザのオレンジがかったそれより赤色が濃い。目の色も同じ赤だがそちらは大分色素が薄かった。近付いてくるにつれて、いかにも「不本意です」というような表情が見て取れて、ミモザも顔を顰めた。
「………なに」
「此方は私がお世話になっているサザンクロス侯爵とそのお嬢さんだよ、挨拶なさい」
「……アルカイド・イーターといいます」
「はじめまして、この子が私の娘のアクルだ」
「アクル・サザンクロスと申します」
「……」
アクルの挨拶に非はなかった。最近の本人の努力の甲斐あって、淑女らしく礼をしたアクルに対して、返事をするわけでもなく不躾にじろじろと見てくる態度に、後ろで見ていたミモザもムッとした。父親を確認すれば、アクルの方を感動するように見ていて、アルカイドのそんな態度を見ていなかった。全く役に立たない父親だとミモザは臍を噛んだ。
話の続かない息子に痺れを切らしたのか、イーター伯は「この先には花の植えてある庭もある」と咳払いして父に提案した。
「アクル、この辺りを案内していただいたらどうだ」
「え……」
「それがいい。カイド、庭園を案内してさしあげなさい」
「………わかりました」
あれよあれよと言う間に二人で散策に行くことになってしまい、アクルが焦ったように此方を振り返る。
「お、お姉さま…」
聞き取れないくらいの小さな声でミモザを呼んだアクルの顔には、不安が浮かんでいた。
(大丈夫)
「あとから着いていくわ」と、口をぱくぱく動かしてこくりと頷く。アクルも意を決したように、一人でスタスタと歩き出したアルカイドの後ろを急いで着いていった。
「…お父様、アクルは城にくるのがはじめてなので、心配だから私も後ろを離れて着いていっていいでしょうか?」
「…お前がか?」
いぶかしむ父親に「決して二人の邪魔はいたしません、心細い思いをしているアクルのためです」としつこく言うと、しぶしぶながらも納得したのか離れて着いていく許可を出してくれた。
「いいか、声をかけるのはアクルが助けを求めたときだけだ」
「はい」
「二人がいい雰囲気だったらお前は戻っていい」
「わかりました」
早くしないと二人の姿が見えなくなってしまうではないかと、ミモザは返事を言い切る前に踵を返す。もう二人の後ろ姿はかなり遠くなっていた。
後ろで父が何か騒いだような気がしたが、そんなことに構っている暇はない。今はアクルが心配だった。
出会い頭のあの態度といい、挨拶も返さずエスコートもせず。憧れていたアルカイドからのぞんざいな対応に気落ちしなければいいけれど、とミモザは思う。
(フォローできる範囲ならいいのだけど…)
とにかく二人に追いつかなくてはと、ミモザは走る足に力を込めた。




