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その真珠の輝きは偽りか

 十七世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメールの代表作といえば、『真珠の耳飾りの少女』。

 画材としてラピスラズリをふんだんに使用した鮮明な青のターバンが印象的に光る、ひとりの少女を映した絵画だ。

 少女の耳には題名の由来となった耳飾りが付いており、大ぶりの真珠が目に眩しい。

 強い光を受けた少女が暗い背景から浮かび上がるその姿は、どこかエキゾチックで神秘的な雰囲気を醸し出している。

 貝殻の成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然入り込むことで生成される神秘の宝石……それが真珠。

 真珠特有の鮮やかな虹色は『オリエント効果』といい、真珠を生成する真珠袋でできた有機質と、カルシウムの結晶によって生まれる。

 真珠は『人魚の涙』とも称されるほどに美しく、長きに渡り万人に愛されるポピュラーな宝石だ。

 しかし真珠層の構造や色素の含有量など、複雑な条件によって色・照りの程度、そして宝石としての価値が決まる。

 数値のなにかひとつでも違えば、上等な真珠として認めてもらえない。

 一ミリでも『間違い』があれば簡単に……劣等種としての烙印を押される。


 母とふたりで出かける場所は、いつも決まって美術館だ。

 ほかの艶やかな美術作品には一切目もくれず、母は真っ先に『真珠の耳飾りの少女』を求める。

 飽きることなく絵画を一心に見つめる母の横顔は、まるで少女のように幼くて儚く消えてしまいそうだ。

 閉館時間のアナウンスが流れてもその場に根が生えたように立ち尽くして眺める母に、わたしは「もう帰ろう」と声をかける。

 繋いだ手を駄々っ子のように揺らし、美術館で出せる声量を超えた大きさで母を呼んだ。

 そのときのわたしを支配する感情は、名状し難い複雑で曖昧な【不安】と【恐怖】。

 母がこのまま、絵画の世界に旅立って消えてしまうのではないか……。わたしを独り置いて、いなくなってしまうのではないか。

 母をどうにか繋ぎ止めるために、わたしは母に呼び掛け続けた。

 館内のアナウンスと相まって、その煩さに通りすがりの大人は目を眇める。

 しかし母の耳に、わたしの声が届くことはなく。

 母は美しい真珠の耳飾りを、更には身につけた少女の澄んだ瞳を、羨ましそうに見つめ続けている。

 いまよりもっと幼い頃、母はわたしの名の由来がこの絵画にあると教えてくれた。

 この真珠のように大きく豊かで、美しく育ちますように……と、母は強い願いを込めたのだと。


 しかし近年になってこの絵画に描かれた耳飾りは、実は真珠ではないかもしれないという説が浮上している。

 この絵画が描かれた十七世紀の時代背景や作者フェルメールの経済状況では、天然真珠である可能性が低いからだと、小さな記事に載っていた。

 これほど大きな真珠は、天然では有り得ない……というのが学者たちの見解である。

 こんなに美しく描かれたものなのに、本当は真珠ではない。

 この美しさは、まがい物なのだ。

 それでも母はきっと、この作品を愛し続けるのだと当然のように思っていた。だが。


 わたしがよかれと思ってそのスクラップ記事を見せた日を境に、母の美術館通いはぴたりと止んだ。

 目に映るもの総てを拒絶するように、手当たり次第に衝動で破壊を繰り返しては、胃のなかにあるものを残さず吐き出す。

 自らの肌をこれでもかと掻き毟り、形のいい爪の間には皮膚と血が詰まって黒くなりはじめた。

 まっさらな肌は許せないのか、さらにその間を埋めるかのように、鋏やカッターで幾重にも傷をつける。

 毎夜毎夜の、月明かりのした。蚯蚓脹れと赤黒い血痕に覆われた肌を、母はなにか満たされたようにうっとりと見つめていた。

 母はみるみるうちに痩せ細り、あんなにも美しく輝いていた姿は、すっかり面影も消えてしまった。

 わたしと母のふたりで暮らしているボロボロな安アパートの一室は、入居時の面影などないくらいに荒れ果てている。

 六畳一間の室内は、足の踏み場もない。

 使いっぱなしの鍋や皿が狭いシンクに溢れ、ゴミはダストボックスからはみ出して山となり雪崩を起こし、洗濯物は洗うも畳むもしないまま床に転がっていた。

 カーテン代わりの障子は穴だらけでその機能を十全に果たすことはなく、木製の組子はあちこち鼠に齧られている。もちろん害虫だって、そこらじゅうに卵を産み付けて生活している。

 室内の臭いはもちろん最悪で、しかしわたしは麻痺していたのかもしれない。どんな臭いか説明できそうになかったが、鼠の糞尿や生ゴミの臭いでいっぱいだったろう。

 風呂や便所の掃除も一切していないので、その類の臭いも混じっていたかもしれない。

 料理をしてくれる人がいないので、幼いわたしは生ゴミや襖と障子の紙を食べて過ごすのが常。

 母とお揃いの流麗な銀髪は汚れでくすんで縺れており、雪のように白かった肌も黒ずんでいる。母子揃っていると、「まるで真珠のようね」なんて褒められた容姿は、見るも無惨な有り様だ。

 わたしの仕事は母が暴れて刃物を持ち出さないよう、必死に抵抗すること。

 しかし子供の腕力で成人女性の、しかも脳の箍が外れたヒトの力に対応するのは、いささか難しい。ましてやまともな食事にありつけない、枝のような頼りない腕でどう止めようというのだろうか。

 子供の白く柔らかい皮膚には母の爪で引っ掻かれた痕が、常に痛々しく蚯蚓脹れを起こしていた。

 平手で殴られることも日常茶飯事で、わたしの顔は原形がわからないほど常に腫れているし、身体じゅう青紫の痣だらけだ。

 娘にいくら傷をつけようと、彼女のこころはその『痛み』に気づくことはない。


 母のこころは壊れてしまった。

 宝物の傷すら見えなくなるほど、粉微塵に。

 たったそれだけのことで? と誰かが言うし娘のわたしでも思うが、彼女にとってはきっと人生観すら揺らぐ大きな問題だったのだろう。

 八つ当たりにわたしを生んだことを毎日、繰り返し後悔する母の情けない背中を見て。

 わたしのこころは叫んでいた。


 ————お母さん。あなたにとって、わたしは『間違い』だったの?


 お母さんの瞳に映る『真珠(わたし)』は、わたしであって《わたし》ではない。

 わたしは触れてもらえるまでずっと手を伸ばしていて、でもすぐ隣にいるはずのお母さんには……なにも見えていない。

 お母さんの目に映っているものは、いつだってあの絵画という幻想だけ。

 幼いわたしに求められた【なにか】が詰まった絵画を前にして、求めたのは大切なひとの温もり。

 すり抜ける気持ちの行方は。

 わたしが伸ばした手を掴んでくれるのは、誰なのだろうか。


 少女が抱えるその真珠の輝きは、果たして偽りのものなのか。

 真珠のように真っさらな涙の光は、仄暗きこころに届くのだろうか。


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