6 進路
「葉山さまも騎士学校に進まれるのですか? いったい、どうして?」
美羽は驚きに声をあげた。
貴族で騎士になるのは、次男以下の爵位を継げない者が多い。公爵家の嫡男である夏樹は当然、宮廷で官吏になるのだろうと、美羽は思っていた。
「そのほうが向いていると思うからだ」
夏樹はそう答えたが、美羽にはいまいち頷けなかった。
確かに夏樹の身体能力は高そうだ。しかし、夏樹は友哉と常に首席争いをしているのだし、官吏になっても優秀に違いない。
「夏樹はただ、おじさまに言われるまま官吏になるのが嫌なだけよ」
夏樹が顔を顰めたので、明香の言葉は概ね正しいようだ。
「夏樹はおじさまに反発しないと気が済まないの。今まで婚約者がいなかったのだって、候補の方がいる前でふたりが言い争いを始めてしまって、父子の仲の悪さに辟易したお相手に逃げられた、ということが何度もあったからなのよ」
「何度もじゃない、2回だけだ」
夏樹はいつも以上にむっつりとしたが、明香はそれを鼻で笑った。
「夏樹としては計算どおりだったのかもしれないけど、おかげで、昔からの知り合いである私にお鉢が回ってきたってわけ」
やれやれという風に明香が緩く首を振ってから、紅茶を口に含んだ。
放課後、明香に誘われて美羽は学食でお茶を楽しんでいた。夏樹と友哉も一緒だ。
「友哉こそ何で騎士志望なんだ。お父上の仕事は継がなくていいのか?」
「騎士学校が家からだと子供の足でも歩いて行ける距離にあるから、しょっちゅう見物しているうちに、自分もなりたくなったんだよ。それに、うちの父はやりたいことをやれ、そのために色々な教育を受けさせているんだ、っていう人だからね。跡継ぎのほうは、適性のありそうな者を美羽の婿に迎えても良いと父は思っているようだし」
「私の結婚にそんな条件をつけられるのは納得できないわ」
美羽が口を曲げると、友哉は可笑しそうな顔で美羽の頭を撫でた。
「大丈夫。恵人は商売に興味があるみたいし、美羽が好きな相手と結婚したいと言えば、父さんは反対しないよ。もちろん、美羽に相応しくない男だったら、俺が許さないけどね」
友哉にそう言われ、美羽は夏樹の顔を見つめてしまいそうになるのをどうにか堪えた。
「だけど、学園を卒業してからさらに騎士学校を2年と、地方勤務が1年でしょう? その後のことを考えても、騎士の妻になる人は大変よね」
明香は他人事のように呟いた。
「美羽もそう思うでしょう?」
「い、いえ、私は、どちらでも……」
明香の意地悪な振りへの正しい答えが浮かばず、美羽は口の中でモゴモゴと言った。
それからしばらくして、友哉は騎士学校で行われる入学希望者向けの見学会に出かけていった。
昼過ぎに帰宅した友哉は、夏樹を伴っていた。夏樹が藤森家を訪れるのは初めてのことだった。
自室にいた美羽はそれを聞き、慌てて鏡を覗き込んでから、そばにいた侍女の花にも尋ねた。
「私、どこかおかしくないかしら?」
「いつもどおり、お可愛いらしいです」
「本当に?」
「本当です」
美羽が廊下に出ると、ちょうど恵人も自身の部屋から出て来たので、ふたりで友哉の部屋に向かった。
「邪魔してる」
「いらっしゃいませ、葉山さま。こちら、弟の恵人です」
「どうも、初めまして」
「初めまして。こんにちは」
挨拶が済むと、恵人がさっと長椅子に座る夏樹の隣に陣取ったので、美羽は友哉の隣に腰を下ろした。
恵人は物怖じすることなく、夏樹にあれこれと話しかけた。夏樹は不快な様子も見せずに相手をしてくれていた。
そのうちに、いきなり恵人が「夏樹さん」と呼んだので、慌てて美羽は窘めたが、夏樹は「構わない」と言うだけだった。美羽は恵人を羨ましく思った。
やがて満足したのか、恵人は部屋を出て行った。
「申し訳ありません。ご迷惑ではありませんでしたか?」
「いや、兄と大して変わらないだろ」
「それにしては、弟に対する方が態度が優しいのは俺の気のせいか?」
「さあな。俺には弟や妹がいないから、あのくらいの子供との接し方はよくわからん」
夏樹が正直にそう口にしているらしいのがわかって、美羽はにっこり微笑んだ。
「弟はとっても可愛いものですよ。つい甘やかしたくなってしまいます」
それを聞いた夏樹の顔に、フッと笑みが浮かんだ。突然、現れた夏樹の笑顔らしい笑顔に、美羽は目を瞠った。胸の鼓動が跳ねた。
「それ、前に言ってたことと矛盾してないか? 弟だって、姉から過剰な干渉は受けたくないだろ」
「おまえの姉上がそういう方なのか?」
ニヤリと笑った友哉の問いに、夏樹はしまったという顔をした。
夏樹の姉は2年ほど前に別の公爵家に嫁いだと、美羽は明香から聞いていた。
「……ある面では」
「もっと父上の言うことを聞け、とか?」
「いや、もっと上手く扱え、だな」
友哉が声をあげて笑った。
「それはすごいな。おまえの周りの女性はそういう方ばかりなのか?」
「母は違う、と思うが」
夏樹は自信なさげに言った。ようやく気持ちが落ち着いてきて、美羽も口を開いた。
「ですが、やはりお姉さまもきっと夏樹さまが可愛いのでしょうね」
途端に、友哉が目を見開き、夏樹は少し戸惑うような表情になった。美羽は歳上の男性に対して「可愛い」は失言だったと慌てたが、友哉に可笑しそうに指摘されたのは別のことだった。
「美羽、いつから呼び方を変えたんだ?」
その言葉で、美羽は自分が「夏樹さま」と呼んでしまったことに気づいた。
「申し訳ありません、葉山さま。その、恵人に引きずられてしまって、つい失礼なことを」
美羽は焦って頭を下げた。
「いや、好きに呼べば良い」
答えた夏樹の声は普段どおりだったが、少し照れているように見えた。それも美羽が初めて見る表情だった。
学園の中で、少し離れた場所にいる夏樹の姿に美羽が気づくより先に、夏樹がこちらを見ていることが増えた。美羽と視線が合うと、夏樹の表情が柔らかくなった。
少し前までの美羽がそうだったように、夏樹は美羽が彼に気づいたことを喜んでくれているのだろうか。そう考えて勝手に緩んでしまう顔を、美羽は両手で隠した。